狩る、者が狩られる、者が……
真四角に掘り抜かれた通路。その壁、天井。それが仄かな松明の光に照らされて、うっすらと浮かび上がる。よく見ると、表面には微妙な凹凸、色の変化がある。注意していなければ気にならない程度のものだが、この数百年で、汚れや破損が少しずつ蓄積していったのだ。これまでは気にならなかったのに、今になってやけにそれが目立って見える。
見知った道だった。それなのに、来た時と引き返す今とでは、まったく別物のような気がする。五メートルもの高さの天井は厳めしく、その床との間を流れる空気は冷たく、いかにもよそよそしかった。
足音と息遣いだけが聞こえる。見つけ出したい彼らの足取りは、まったくわからない。
「近くには、熱は感じない、と」
「じゃあ、やっぱり上だな」
二人のリザードマンが、ビルムラールの代わりに俺達に同行してくれている。光魔術の支援がないので視界は限られるが、その分は熱源を探知することで補える。しかも、照明をつければあちらからもこちらが見えるが、温度を見分ける能力は俺達だけのものだ。先手を取るには、このほうがいい。
裏口の存在を知られた以上、口を封じるしかない。事ここに至っては、きれいごとは抜きだ。彼らに好ましい意図があるはずもないのだから。
「私のせいか」
アナクが呟く。
「ちゃんと説明しなかった。知られなければいいと思って。裏口を教えれば金になる。でも、それがどれだけ危ないことか」
「クヨクヨすんのは後にしろ」
感情はときに判断を鈍らせる。もっとも彼の場合、単に何も感じていないだけだろうが。
「お前ら、文句はねぇな。奴らは殺す」
キースは宣言した。
「俺はもともと気に入らなかったんだ。迷宮の出入りが自由にできねぇからって、リザードマンと人間のドンパチ食い止めて、裏からコソコソ……まどろっこしいんだよ。最初っからクズどもブッ殺しときゃ、こういうことにゃならなかったんだ」
「そんな、こうなったら仕方ないとは思うが……乱暴じゃないのか」
「ボケが! やっぱり頭固ぇよ、お前は」
反論するガッシュに噛みつきながら、今度は俺に矛先が向かった。
「ファルス、お前も甘ぇんだよ。邪魔する奴がいる? なんで片付けねぇんだ。無視して迷宮の奥に潜りゃあいいだろ? なんでしなかった」
それは、同行するノーラが……
「追いかけてくる? 上等じゃねぇか。全部バラしちまえばいいだろが」
言い返せない。
ある意味、この上ない正論だからだ。
「滅茶苦茶だ。あんたにはできても、俺はしないし、できない」
「お前にはな。けどファルス、てめぇだったら本当はできんだろが」
できることなら、とっくにそうしている。
ノーラがここまでついてきていなければ。あの地下一階の詰所ごと、皆殺しにしていた。
「静かに」
階段を駆け上がり、しばらく進んだところでノーラはまた『意識探知』を使った。
「やっぱりおかしい。ここまで来たのに、まだ上にも下にも意識が」
「ここはもう地下五階だ。四階には大勢、挺身隊の連中が来てるんだから」
「そうだけど……」
「おっ、おい」
ガッシュが息を呑んだ。
「あれは……なんだ?」
彼が指差す暗闇の向こう、平坦なはずの床の上に、大きな石のようなものが転がっていた。
全員が振り向き、言葉もなく駆け寄る。ガッシュがそっと松明を下に向け、そこを照らす……
「ひっ、いやぁあああぁっ!」
「おい、バカ!」
慌ててキースは黙らせようとするが、アナクは腰砕けになってしまった。
そこにあったのは、生首だった。まだ幼い、せいぜい六歳くらいの少年の。一撃できれいに首を飛ばされたのではない。多分、切れ味の悪い剣で頭を殴打されたのだろう。額から頭頂部にかけて皮膚がちぎれており、そこからも血が滲んでいる。剥がれかけてズレた皮膚、焦点の合わない濁った瞳。そして鼻からは赤黒い血の跡が。既に凝固しているところをみると、それなりの時間が経過したものと思われる。
「ラップス! あああ!」
アナクが絶叫したのは、死体を見たからではない。自分の身内だったからだ。
「野郎、こんな子供を」
ガッシュが手にした松明を握り締める。
案内させたら、後は用なしか。となると、もう一度リザードマンの巣を通り抜けるつもりはなさそうとみるべきか。
この死に方からして、魔物にやられたという線はない。ワームなら丸ごと飲み込むし、サソリに刺されたなら、こんな風に首だけ転がっていたりはしない。剣で首を切り落とせるのはリザードマンくらいなものだが、もしレヴィトゥアの手下がやったのなら、拠点に持ち帰ってみんなで食べるはずだ。
それより、ここで怒りや悲しみにのめり込む前に、考えておかなくてはいけないことがある。
「子供は最低一人、だったな」
「ファルス?」
「他にもいるかもしれないってことだ。アナク、落ち込んでる場合じゃないぞ」
要するに、人質が複数いるなら足手纏いは殺しても困らない。迷宮の中に閉じこもる場合、自制のきかない子供を連れ歩くのは、いろいろとリスキーだ。不意に叫び出したり、恐怖に駆られて逃げ出そうとしたりする。それにまた、食料や水も消費する。だから、いらない分は処分しておいたほうがいい。
「くっ……そうだな」
「間抜けが。今のが聞かれたかもな」
「わかってる。次はもう、大丈夫だ」
「ケッ」
憎まれ口を叩いてはいるが、キースとてこの状況では、協力自体は避けられないとわかっている。
「その首は置いて行け。荷物だ。抱えてても生き返るわけじゃねぇんだ」
「うっ……」
彼女にとっては、いきなり最悪の事態になってしまった。だが、よく耐えた。これ以上泣き喚くこともなく、アナクは言われた通り、そっとラップスの首を床に置いた。
「よし、追うぞ。何やったか全部吐かせて、幽冥魔境の底に叩き落としてやる」
「待って!」
声をあげたのはノーラだった。
「誰か近付いてくる」
彼女が指差したのは、後方だった。全員が鋭く振り返る。
いくつもの松明が浮かび上がる。だが、そのシルエットは、人ではなかった。
「あれは?」
俺達は思わずアナクの顔を覗き見た。アルマスニンが派遣した増援だろうか。ビルムラールが事の次第を伝えているのだから。
しかし、アナクの表情は強張ったままだった。左右のリザードマンと顔を見合わせながら、おずおずと前に出る。そしてシュウシュウと息を漏らして、意思疎通を図った。
「ギィギィ」
ざっと見て、集団の頭数は十人ほど。これだけのリザードマンが加勢してくれれば、ドミネールとその仲間なんか、一瞬で片付くが……
しかし、もしそのつもりで送りつけてくれたのなら、少し常識がないと言わざるを得ない。俺達が堂々とトカゲの仲間を連れ歩いて人間を殺しまわったら、どう思われるか。まかり間違って、一般の挺身隊員に発見されようものなら、彼らは無関係だから殺すに殺せず、始末に困る結果となる。
「シュウ」
「ギィ」
「アナク、なんて言ってる? 長老は……」
「違う!」
違う?
頭の中に疑問符が浮かんだ次の瞬間、背中に悪寒が走った。
「ノーラ!」
細かく指示をする余裕がなかった。それより先に、俺は急いで印を組み、詠唱する。
目の前にいるリザードマン達の持つ松明の灯りが、不自然なほどに大きく揺らめく……
「伏せろ!」
キースの号令に、俺達は急いで従う。ただ一人、金属の盾を手にしたガッシュを除いては。
次の瞬間、オレンジ色の爆炎が、視界を埋め尽くした。
「チィッ!」
爆発は、しかし、広がらなかった。
咄嗟に霊剣を引き抜き、その力を引き出したキースのおかげで、周囲が焼き尽くされることはなかったのだ。加えて、ガッシュが前に出て衝撃を抑えてくれた。
だが……
「ばかな」
起き上がった俺が最初に目にしたのが、胴体を吹き飛ばされて即死したリザードマンの姿だった。はみ出た内臓が、赤い松明の光に照らされていた。俺とキースが魔術で、ガッシュが身を盾にして防いだが、敵は十人全員が熟練の魔術師だった。しかも、彼らの松明は恐らく、火魔術の触媒としての役目も果たしていたのだろう。犠牲が一人で済んだのは、まだ運がよかったといえる。
だがなぜだ? どうして同族を攻撃する? それも迷わず、致命的な魔法を浴びせるなんて。
「に、逃げろっ!」
少し離れたところから、アナクの声が聞こえた。離れたところ?
何が起きたかに気付いて、俺は顔をあげた。さっきの火魔術の一撃に紛れて、相手の集団のリザードマンが突出した。そして、話し合いを続けようとしていたアナクに襲いかかり、無理やり引っ張り込んだのだ。そのまま連れ去ろうとしている。
「アナク!」
「こいつらはっ……」
みなまで言わなくてもわかる。アルマスニンの仲間が、こんな真似をしでかすはずはない。
しかし、どういうことだ? 長老は、レヴィトゥアに申し出たはずだ。地下七階より下には人間を入れない。防衛は自分達がやる。戦利品も半分差し出すと。それなのにどうして。
「野郎……!」
ともあれ、俺はともかく、キースはやられっぱなしでいるような男ではない。
「返しやがれ!」
銀色に輝く剣を突き出しながら、彼は猛然と集団の中に身を躍らせた。
対するリザードマンも、熟練の戦士だ。右上から振り下ろされた袈裟斬りを体捌きで避けると、丸く立ち回ったその勢いのままに、相手の背後から尻尾を叩きつけようとする。
だが、キースのほうが、一枚上手だった。
「オラァッ!」
避けられた突進の勢いそのままに、身を翻して敵に背中を見せ、そのまま一回転して逆袈裟に斬り上げたのだ。その一撃で喉笛を切り裂かれ、あっさりとそいつはその場に倒れ伏した。
「ギィィ!」
「シュシィッ!」
仲間がやられたのに反応して、怒気も露わにまた二人のリザードマンが突きを繰り出してきた。だが、こちらは少し、連携が拙かった。一瞬、早く手を出した右側の剣をタルヒで受け流す。つんのめった仲間に、出遅れたもう一人がぶつかる。
また悲鳴が響き渡った。
「ギィアッ!」
こんな大きな隙を見逃すはずもなく、これまた瞬く間に後頭部を打ち据え、横ざまに脳幹を刺し貫いた。
十人でやってきたのに、すぐさま三人がやられた。それでも彼らに恐れの表情は見て取れない。ただ、手強さは思い知ったらしい。迂闊に攻撃すれば、やり返される。彼らの足が止まった。
「ファルスッ!」
更に遠くなったアナクの声が響いてくる。
「頼むっ、私のっ、他の子供を……っ!」
それ以上、聞き取れなかった。
持久戦に持ち込まれては。状況はよくない。
アナクは既に、先行している二人に押さえ込まれ、遠くへと運ばれつつある。
「くっ!」
後を追おうと前に出る。それを阻むように、残りの五人が剣と盾を構えて身を縮めた。そのうちの一人が、唐突に横倒しになった。
「遅くなってごめんなさい」
ノーラの震える声が後ろから聞こえた。突然の火魔術の猛攻に、彼女は対応できなかった。もう少し冷静であれば、腐蝕魔術で被害を抑えることができたのだ。責任を感じているのかもしれないが、後悔は今することではない。
「全部片づける。あれを」
俺が言い終えるより先に、剣に力が宿ったのを感じた。
盾を構え、その場に踏みとどまる相手に、まっすぐ突っ込んでいく。そのリザードマンは、ただ常識的に、その一撃を盾で受けとめようとした。
「ギッ!」
だが、俺の剣が盾の表面をかすめた瞬間、その向こうの腕、胴体までがバッサリと断ち割られる。
時間はかけられない。次。
何も考えずに剣を横ざまに振るだけで、もう一人も真っ二つになった。支えを失った上半身が、半回転して土の床に突っ伏した。
残るは二人。さすがに形勢不利を悟って、彼らも身を翻した。
だが、ペタペタと足音を響かせながら数歩、進んだところで、急に歩みが遅くなる。
「逃がすかよ!」
俺とキースが同時に切り込む。
背中から心臓を刺し貫かれて、そいつらは同時に絶命した。
「くっそ!」
だが、肝心のアナクはというと、遠くに連れ去られた後。こちらの戦力は、俺とノーラ、キース、ガッシュ、そして生き残ったもう一人のリザードマンのみ。当然、アナクなしでは意思疎通などできない。
「追うぞ! まだ遠くには行ってねぇ!」
「ああ!」
俺達は一斉に、アナクが連れ去られた方向に向かって駆け出した。言葉は通じなくても、味方のリザードマンも俺達の後を追ってきた。
「降りやがったか」
地下六階に逆戻りだ。大急ぎで階段を駆け下りるが、こうなると連中がどちらに行ったか、よくわからない。
ノーラにまた『意識探知』をさせようとしたところで、リザードマンに手を引かれた。
「ギィ! ギィ!」
そういえば、彼は道を知っているのだ。どこにレヴィトゥアの拠点があるかも知っている。さっきの襲撃者の見分けだって、ついていたのかもしれない。
「おっし、そっちだな」
キースは彼の背中を押した。
「先に行け! 案内しろ!」
一瞬、考えるように立ち止まったが、すぐ状況を整理し直したのか、彼は先頭に立って走り出した。
直進した先には、十字路があった。戸惑うような仕草を見せはしたが、彼は左右を見比べ、右を指差した。ペタペタと彼の走る音がやけに耳につく。それが煩わしかった。何か、感じ取るべき変化があるような予感がして、しかし、どうにもそれを明確にできない、そんなもどかしさが心を埋め尽くしていた。
通路の終わりが見える。あれは大きな部屋への入口だ。
「ギィ」
一声、何か喋ってから、彼は中に飛び込もうとした。
「危ない!」
ノーラが叫ぶ。
その瞬間、紫色の炎の渦が、俺達を包み込んだ。
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