入口から出ていった彼ら

「哨戒中!」


 声が響くと、暗がりの中からぼんやりと赤い光が浮かび上がり、近付いてくる。そのおぼろげで頼りないことといったら。こうしてみると、闇があり、それを追い払う光があるのではなく、まず光があって、それに闇が一枚、また一枚と黒い襤褸切れを被せているようにも思われてくる。


「応答どうぞ!」


 面倒がるキースに代わって、ガッシュが声を張り上げる。


「こちら四階制圧隊の第五班」

「三階警備隊の第七班です」


 帝都の若者が、額に汗を浮かべながら、緊張した面持ちでそう返事をする。


「地下四階への階段はこちら、まっすぐです」

「ああ、ありがとう」

「信号ー!」


 いちいちやかましい。だが、そういう訓練を受けているのだろう。文句を言ってやめさせるわけにもいかない。

 さっきの班長らしき若者が、俺達の行く手に向かって、松明を大きく振る。すると、闇の向こうにもポッと赤い光が見え、それがグルリと空中で円を描く。


「確認取れました。進んでください」


 彼らの任務は、安全地帯の確保だ。通路のうち、どこからどこまでが安全か、いちいち確認を取りながら通行を管理する。彼らにとっては、道端に一匹のサソリがいるだけでも危険なので、それもわからなくはない。それこそゴキブリ一匹通さないよう、通路の端と端をしっかりと押さえておきたいのだ。

 これは、彼ら素人冒険者にとっての心理面の効果もあるのだろう。何もせず、じっと暗い迷宮の中に立つなんて、怖くてできない。信号をやり取りすれば、仕事をしている気にもなるし、自分の前後左右がまだ安全であることの確認も取れる。

 しかしこれでは、俺達はろくに会話もできない。


 昼下がりになって、俺達はようやく突入命令を受けた。こうして今、地下三階まで降りてきたが、今のところ、一切危険に見舞われることはなかった。こんな状況では、オルファスカも俺やノーラを始末するなんてできないだろう。それに今、彼女はそれどころじゃない。


「そこで停止!」


 階段前に控える挺身隊員が声をあげる。


「所属を」

「こちら四階制圧隊の第五班、突入命令により、地下四階に向かう」

「確認しました。どうぞ!」


 本当に形ばかりだ。こんなことしなくても、見れば人間だってわかるだろうに。

 ただ、この調子だと、コーザに地下まで逃げろと言ったのは、無駄に終わるかもしれない。勝手な移動が難しいからだ。


 まさか……

 ふと、気持ちの悪い思い付きが頭の中を突き抜けていく。


 こっちはこっちでいろいろ忙しかったので、コーザに構っていられなかったのだが、俺がアルマスニンと取り決めた「リザードマンに降伏する」という選択肢、どこまでどんな風に広まったのだろうか。気を付けて、決してオルファスカ達には知られないように、とは釘を刺したが、実はもう、漏れてしまっているとか。

 あまり考えたくはないが、それならそれで、俺は同盟者を守るだけだ。それでも、できれば「どっちの味方をするのか」という厳しい決断を要求される状況になるのは避けたい。例えば、ガッシュとアナクでは、意見は正反対に分かれてもおかしくないのだし。


 階段を下りて、しばらく進んだところで、やっと俺は息をついた。


「それじゃ、急ぎましょう」

「そうだな。アナクはドミネール達のことを知らないはずだ」


 結局、あれから連中がギルドに出頭することはなかった。それで捕縛命令を受けた黒の鉄鎖の傭兵達が、街中を駆けずり回っている。オルファスカ達もそちらにかかりきりらしく、こっちは完全にお留守だ。

 怖いのは、アナクが保護している少年達がその巻き添えになることなのだが、間の悪いことに、降伏目的で逃げてきた挺身隊員を導くために、彼女はずっと地下六階に詰めているので、この件を知り得ない。


「んー、スッキリしねぇな」


 キースが歩きながら苛立ちを口にする。


「変だろ」

「何がでしょう?」


 教養はあるのに考えが追いつかないビルムラールが、素直に疑問を口にする。


「だからよ。ドミネールどもが逃げたって、どこにだよ。こんな砂漠のど真ん中にある掘立小屋みてぇな街から、どこへ行こうってんだ」

「どこかに隠れて、とか……ああ、そうですよ。きっと物資の運搬に来た冒険者の荷台にでも隠れてですね」

「んなもん、真っ先に確認するだろ。それに」


 召集命令が下ってから、街からの逃走を図った挺身隊員は、実は数知れない。だが、みんな捕まって連れ戻されたという。

 中には、今、ビルムラールが言ったように、隠れて逃げ出そうとしたのもいたそうだ。しかし、それはうまくいくはずもなかった。


「もうお山の大将じゃねぇのに、誰が協力するってんだ」


 ドミネールがこの街の王様でいられたのは、利権の真ん中に座り込んでいたからだ。だからこそ、街の外からやってくる商人達相手にも顔が利いた。それが逃げ出すとなればどうか。


「第一、それじゃやられっぱなしだろが。俺なら、いーや、傭兵ならそんな引き下がり方はしねぇよ。相手がよっぽど強けりゃ別だけどな」

「そうね」


 ノーラも頷いた。


「引っかかってはいたのよ。召集命令から十日以上あったでしょ? 地下の詰所から追い出されて、ずーっと考える時間があったのよ。もうこの街でいい思いはできないかもしれない。それだけじゃなくて、自分達に見切りをつけたキブラが何をするか。だったら、これからどうしたらいいか、知恵を絞ったに決まってるもの」


 だが、ガッシュは首を傾げた。


「とはいっても、何ができる。いくら気に入らなくても、連中がキブラやオルファスカを殺せるわけはないぞ」

「そうね、迷宮の中に入ってこない限りは難しいと思うけど。でも、殺しても、あんまり意味がないんじゃないかしら」

「と言いますと?」


 この手の話は、ビルムラールには難しいらしい。欲とか、怨恨とか、そういう感情が人をどう動かすか。それをあまりよく知らないからだ。


「ドミネールの立場なら、とにかくお金が最優先じゃないかと思うの。恨みがあるからってオルファスカを殺しても、何の利益にもならないから、もし殺したいとしても後回し。だから、もっと違う何かを狙ってるはず、なんだけど……」


 その声が、尻すぼみになる。


「けど?」

「わからない。ここで行方をくらませることで、どんな利益があるのか」


 そこは俺もわからない。


「単純に、迷宮の中に入ったら、キブラの手下どもの、あの神官戦士達に殺されると思ったから、逃げただけってことじゃないのか」

「それもあるかもしれないけど、結局、今は黒の鉄鎖に追われてるじゃない。何にも変わってないのよ」

「確かになぁ」


 連中の行動を合理的に説明する方法が見つからず、ガッシュは頭を抱えてしまった。


「ま、いいや」


 キースは心底どうでもよさそうに言った。


「とにかく、こんなクソみてぇな仕事に付き合うこともねぇ。もう散々ワームを間引いてやったろが。とっととトカゲの根城に戻って、たっぷり寝ようぜ」


 俺達の役目は、非常時にしかない。もし、冒険者が地下七階を突破しそうになったら、協力するふりをして妨害することだ。それとなく、違う方向に誘導する。だいたい、その下に挺身隊員が潜ったら、本当に殺されてしまう。アルマスニンは見逃しても、レヴィトゥアは手加減しないだろう。

 迷宮の制圧ペースは、明らかに落ちている。地下四階を掌握するまでに、きっと今日の日没くらいまでかかるだろう。そうなると、じわじわと周辺からワームやサソリが戻ってくる。恐らく、地下五階の制圧の最中に、足が止まるはずだ。逆を言うと、間引きの効果がなくなり始めるその時間まででないと、コーザやその知り合い達は、安全に保護を受けるのが難しくなる。

 なお、迷宮の中で何をやっていたか、と尋ねられたら、先日まで狩っていたワームの尻尾を提出するつもりだ。真面目に戦ってました、魔物が多くて余裕がなかったんです、と言い訳すればいい。


 地下六階の階段を下りたところに、アナクが立っていた。


「お、お疲れさん」

「遅かったな」

「地下三階までの制圧に時間がかかったようなのです」

「それよりアナク、地上のみんなは大丈夫か」


 俺の一言に、彼女は眉を吊り上げた。


「隠れ家にいろと伝えてある。それがどうした」

「ドミネール達が逃げた」

「なに」

「まだどこにいるかはわからない。だが、もし奴らが街の中を逃げ回って西地区で暴れまわったら」


 巻き添えを食らって一緒に捕まるかもしれない。察した彼女の表情が引き締まる。


「わかった。お前らを貯水池まで連れて行ったら、私はすぐ、地上に戻る」


 踵を返すと、彼女は速足で先に立って歩き始めた。


「ついたか」


 とっくに見慣れた一本道に辿り着く。特に変わりはないが、通路の角、目印のために置かれた燭台には、か細く灯火が点されていた。


「コーザは来てない、かな」

「せっかく用意したのに、無駄になったか」

「無駄ってこたぁねぇだろ。こんだけ固めてありゃ、もしバカどもが攻めてきても、まずおちやしねぇよ」


 角を曲がると、いよいよ篝火の焚かれた部屋の前に出る。その向こうでは、武器を手にしたリザードマン達が、仮設城壁の上で身構えていた。いかにも恐ろしげに見えるが、俺達とわかると、途端に警戒を解いた。気さくに手を振り、城門はあっさり開かれる。

 こうしてみると、リザードマンの顔にも、なんというか、かわいげがある。口をパクパクさせると、こう、うまく説明できないのだが、どことなくコミカルで、ユーモラスにも見えてくるのだ。


「ギィシ」

「よっし、寝るぞ……っておい」


 いきなりアナクが立ち止まり、キースがつんのめった。


「あんだよ」


 だが、彼女は切迫した表情で、シュウシュウと息を漏らしている。目の前のリザードマンには、サハリア語すら通じない。メルサック語でやり取りするしかないのだ。


「ギィ、シュゥ、シュシュゥ」


 しかし、何事か喋っている彼の表情には、何らの緊張も見て取れない。軽い世間話をしているような雰囲気が漂っている。それは手を広げ、城壁の上でリラックスしてしゃがみ込んでいることからもよくわかる。


「そんな……」


 アナクの顔色が変わっていく。


「どうした」

「ここを、人が通った」

「なんだ、コーザの奴、間に合ったのか。よかった」

「そうじゃない!」


 珍しくも、普段は落ち着いているアナクが金切り声をあげた。


「なんだよ」

「内側から外へと出ていったと言ったんだ!」


 意味を飲み込むまでに、数秒を要した。

 ということは、この砦の内側から、迷宮へと出ていった?


 どうやって。

 それはつまり、地上にある「裏口」から誰かが入り込んだということではないか。でも、なぜ? 誰がそこを知っていた?


「とっ、止めなかったのか、リザードマンは」


 ガッシュが声を上擦らせる。


「私の……仲間だと思ったらしい」


 立ち直りが早かったのは、キースだった。


「どんな年恰好のが、何人通った。それを訊け」


 それでアナクは振り返り、城壁の上の彼に何事か話しかける。その頃には彼らも、何かおかしいと気付いたのか、表情を引き締めていた。


「……子供が少なくとも一人、と……大人が大勢」

「大勢って」

「十人以上はいた。男ばかりだ」

「それって」


 俺達は息を呑んだ。


 まさか。

 でも、それしか考えられない。


 裏口の存在を知ったドミネールが、手下どもと一緒に、裏口から入り込んだ。そして、攻撃してこないリザードマンの態度に気付いて、そのまま何食わぬ顔で通り抜けた。

 でも、どうやって? 子供が一人はいたという。となると、買収したか、脅迫したか。或いは、金欲しさに子供の方から彼らに話を持ち掛けたのかもしれない。その辺はわからないが、とにかく少年達の中で裏口の存在に気付いてしまったのがいて、それが情報提供者になってしまった。

 しかし、アナクの仲間から情報を抜き取ろうと考えたのはなぜだ? もしかすると、俺のせいかもしれない。以前、ギルドにたくさんのワームの尻尾を持ち込んだ。俺は砂漠で狩ったと説明したが、彼はそれで疑いを抱いたのかもしれない。

 第一、俺の迷宮への立ち入り記録はギルドで確認できる。あれだけ迷宮に挑みたがっていた俺が、ずっとおとなしくしていたはずがない。それで奴は、当たりをつけたのではないか。


「どっ、どうする、これは」

「チッ……」


 いきなり非常事態とは。しかし、俺もキースも、危機には慣れている。


「ビルムラールさん」

「はっ、はいっ」

「長老はサハリア語なら聞き取れます。言いたいことがあれば、紙に書いてくれます。このことを報告して、裏口を封鎖してください」

「あ、は、はい」

「ノーラ」

「わかってる。『意識探知』ね」


 静かに詠唱、そして数秒の待ち時間。

 だが、ノーラは首を横に振った。


「だめ。多すぎる」

「多い? 対象は絞ったのか。人はまだそんなにいないはずだ。ワームだって間引いたし」

「でも、上にも下にも、なんだかまるで、砂浜の貝殻みたいにいっぱい散らばってる感じ」


 どういうことだ?

 まだ判断できない。うっかりアルマスニンの集落の中まで探査してしまったのかもしれないし。


「追いかけるぞ」


 キースが低い声で言った。


「どっちにですか」

「てめぇの頭で考えろ。チンピラどもが、ここからわざわざ下の階層に降りるか? 窟竜やバジリスクを狩りに行くと思うのかよ?」


 そうだ。

 ここを通過したのがドミネールなら、そんなことはしない。


「狙いが見えてきたぜ」

「ただ隠れたいだけではない、と」

「前に言ったよな。迷宮の冒険者なんざ、割に合わねぇ。儲かるのは……」


 戦争、人殺し……だ。


 では、彼の標的は、未熟な挺身隊員か? あり得る。

 この街の戦力たる彼らが、ほとんど全員、広場に集められて、順番に迷宮に突入している。この状況で、宿に大金を置きっぱなしにしていく間抜けが、どれだけいるだろう?


「それだけじゃないな」


 ガッシュも頷いた。


「迷宮の浅い階層に纏まって隠れていれば、オルファスカの追及から逃れられる。あとはどうやってここから出るかだが」

「状況次第でしょう。ドサクサに紛れて表から出るもよし。僕らのことを計算に入れていなければ、またここを通って逃げるつもりかもしれません。いくら黒の鉄鎖の傭兵が探し回っているといっても、何日も経てば監視も緩まるでしょうし、夜中にそっと砂漠に出てしまえば……」


 冷静に意見を交わす俺達の中で、アナクだけが顔色を失っていた。これまでのふてぶてしさからは想像もつかないくらい、取り乱しているようだった。


「アナク、この砦にいるリザードマンを一人か二人、借りられないか」

「えっ? なに?」

「ノーラに探させようとしたけど、うまくいってない。でも、リザードマンは熱源を探知できる。そうだな?」

「あっ……」


 ドミネールは普通の人間だ。それが十人以上、大所帯でうろつきまわるのだから、いくつも松明を掲げて、視界を得ようとするはずだ。必然、熱源を持ち歩くことになる。それはいい目印になる。

 なんにせよ、大変な状況になってしまった。身の安全を脅かされているのは、同行している子供だけではない。俺達もだ。奴らは知ってはならない秘密に触れてしまったのだから。


「急いで。絶対に追いつこう」

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