突入前の広場にて

 既に明るくなっていた。襤褸切れを透かして見上げる空からは、今日もぼやけた光だけが届けられていた。乾いた空気は、微妙に熱を持ち始めていた。夜が明けてしばらく経った証拠だ。


「走れ!」


 そう叫ぶやいなや、キースは後ろも見ずに突っ走っていく。石段を跳び越え、木の壁をかわし、視界を遮る布を乱暴に押しのけながら。それを俺達は、慌てて追いかける。


「ビルムラールさん! ガッシュさんの後ろに」

「あっ、そうですね」


 この分だと、どれだけ頭をぶつけるか、わかったもんじゃない。ガッシュが先に立てば、そうひどいことにはならないだろう。


「今日の昼までだったかしら」

「柘榴石の刻までだよ」


 一階を制圧する集団は、夜明けと共に迷宮に侵入し始めている。ギルドにとって既知の範囲、特に最初の階層は、一時間もすれば制圧完了するはずだ。そのような見通しありきで、だいたい碧玉の刻くらいから、地下二階組の侵入が始まる。ただ、そこから先は、きれいに予定が立たない。なぜなら、サソリなどの魔物が出没するようになるためだ。

 それでも大雑把に、二、三時間の見通しで、地下三階への侵入を開始するとしている。俺達は地下四階組なので、すべてがスムーズに進んでも昼、紅玉の刻にならなければ出番がないのだが、ギルドからはその少し前に出頭するようにと命令されている。これを無視すると、規約違反、下手をすれば脱走と看做されかねないので、厄介なことになる。


 古びた看板を乱暴に踏みつける。大きな音が、がらんどうの西の街区に響き渡る。


 街の中は、奇妙に静かだった。宿や酒場の主人も、今は客がいないので、ほとんどが店を閉じている。街の中心部だけは、待機中の挺身隊員や冒険者でいっぱいなので開放されているが、営業はしていない。だから、どこも静まり返っていた。それがまた、変に焦りの気持ちを煽る。


 やっとギルドの前の広場に辿り着いた。

 何百人かはいる挺身隊員。そして元隊員だった浮浪者達もまた駆り出されて、石の床の上にしゃがみ込んでいる。

 ギルドの出入口の横には、あの赤い旗が掲げられている。閲兵式の日に持ち出された、あの栄光あるアシュガイ隊の旗だ。なんとも仰々しい。


「済みません、ちょっと通してください」


 そう言いながら、のっそりと体を寄せる彼らの間を駆け抜ける。その顔を、そっと覗き見た。

 それはまだ若い、少年といってもいいような顔立ちの男だった。目は血走っており、口元はぎゅっと引き締められている。身は強張ったまま、下を向いてその場に座り込んでいる。

 恐ろしい、死ぬかもしれない。いや、これだけ大勢が一度に戦うのなら、或いは……そんなところだろうか? 彼の心のうちはわからない。


 ギルドの建物に入ると、既にキースが説明を始めていたところだった。


「だからよー、ウチのバカが財布なくしやがってよー、そいつを探しに行ってたんだわ。あ、来た来た、こいつこいつ」


 と言いながらビルムラールを指差した。


「な? 来たろ? 全員揃ったな。じゃ、これでよし。いいな?」


 口をパクパクさせる受付嬢だったが、突然、ビンと背中を仰け反らせて、その場に立ち止まった。


「おーし、終わった終わった。外で待つぞ、お前ら」


 多分、遅刻だ。

 本来なら、あれこれペナルティを課されるべきところなのだが、キースの眼力にビビッた受付嬢が、何か言えるはずもなかった。


「俺はその辺で寝る。お前らは後で起こしに来い。じゃ」


 マイペースなキースは、そのままずんずん歩いて、適当な日陰を見つけると、そこでゴロンと横になった。白い陣羽織が汚れるだろうに。

 ただ、俺達は夜明け前からずっと地下でワームを間引いていたので、実はそれほど寝ていない。休めるものなら、少しでも寝ておいたほうがいい。


「ノーラも休んで」

「平気よ」

「いいから。ビルムラールさんも」

「ファルスさんは、いいんですか?」


 俺はガッシュと目を見合わせてから、頷いた。


「先にガッシュさんも仮眠をとってください。あとで起こしますから、替わってもらうということで」

「いいのか? 先で」

「はい」


 まず、キースは本当に好きなようにしかしない。迷宮の中ではともかく、オフタイムには基本、役に立たないと思ったほうがいい。そうなると、あとはノーラとビルムラールだが、どちらも冒険者としての経験が浅いか、ないも同然。体力を温存させてやらないと、どこでどんなミスをしでかすかもわからない。だから、多少なりとも無理をしていいのは、俺とガッシュだけだ。

 もっとも街の中だし、警戒する必要なんてなさそうだが。


「まぁ、石畳の上で座って休むだけなんですけどね」

「それでいいさ。じゃ、起こせよ?」

「ええ」


 四人の仲間が、いつもの酒場の前の、あの暗いトンネルみたいな日陰の通路に背中をつけて休むのを見届けると、俺は改めて広場に目を向けた。


 塔みたいな城壁の足下から、人影が小走りになって広場に向かうのが小さく見える。なんだ、行先が逆じゃないのか……ぼんやりとその姿を目で追った。そのすぐ後ろを、またもや忙しなく速足で通り抜けようとするのがいる。但し、手ぶらではない。

 あれは、担架だ。何かを運んでいる。いや、何かじゃない。人だ。


 何かあったのかと俺は身を乗り出した。

 担架の上に横たわっている青年は、まだ生きていた。しかし、ひどく苦しんでいる。ふくらはぎに傷を負ったらしい。ズボンの裾が既に引きちぎられている。そこだけ足が膨れ上がっているようだ。

 不用意に歩き回って、サソリに刺されたか。チョコマカと動き回る面倒な相手ではあるが、さほどの技量がなくても、注意深く武器を構えて対応すれば、こうした事態は避けられたはずだ。残念だが、さすがに俺達も、地下二階の間引きまでは、手が回らなかった。

 急いで処置すれば、また歩けるようになるだろう。だが、毒がまわり切ってしまうと、膝から下は切断となる。最悪の場合、そこから発熱に繋がって、命を落とすこともある。


 犠牲者には気の毒だが、こうして救命措置がとられているだけ、状況は悪くないと言える。まだ迷宮内では秩序が保たれているといえるからだ。


「あら、こんなところにいたの」


 城壁前の騒ぎを見物していたら、横から話しかけられた。美しい声色だが、俺には嫌悪感しかない。


「何か御用ですか」


 オルファスカと、その仲間達だ。ベル、ザイフスはもちろんのこと、今日はラシュカまでいる。冒険者証を持っていると知られている以上、ギルドの召集命令には逆らえない。キースみたいにハチャメチャな奴なら別かもしれないが。

 とはいえ、こいつらの頭の中が理解できない。なぜ、あれだけのことをした、された関係で、こうやって一緒に行動できるのか。まぁ、ラシュカの側からすると、逆らうという選択肢自体がないか。


「監督官の立場としては、管理下にある冒険者の脱走を防ぐのも、仕事のうちなのよ」

「僕らはちゃんとここにいるじゃないですか」

「そう? さっき、ギルドに立ち寄った時には、時間になっても出頭していないって聞いたんだけど」

「誤解です。少なくとも今、ここに五人揃っているんですから」

「ふうん、まぁいいわ」


 要するに、俺達の粗探しにきたってところか。

 せっかくだから、俺からも嫌味の一つでもぶつけてやりたい。ムスタムでは素敵でしたね、とか。でも、それを言うといろいろバレるから、しないが。


「それより、こんなところで油を売っていていいんですか」

「順調よ? さっき、本部に報告が届いたわ。地下二階の制圧も完了。今は地下三階」


 戦闘経験のない若者でも、頭数を揃えてぶつければ、怪我人こそ出るものの、サソリくらいは駆除できるらしい。

 彼女らが今、ここで暇潰しをしていられるのも、地下一階が安全地帯になったからだ。


「だから、そろそろ四階に突入する人にも準備を促さないといけないの」

「僕らはここで突入命令を待っていますよ」

「そうね。優等生で結構なこと」


 はて……何か含みがある。


「でも、悪い子もいるみたいね」

「なに」

「いいの。こっちの話。だけど人手が足りなかったら、後でお仕事してもらうかも」


 俺の後ろから、大股に歩み寄る何者かが近付いてきた。顔見知りらしく、オルファスカは視線を上に向けた。


「ロヒブ。どう?」


 俺の後ろに立ったのは、青い僧衣に身を包んだ大男だった。金属で補強された長い棍を手にしている。逆三角形の体つきに、見事なまでのスキンヘッドがワイルドでよく似合っている。


「出頭の報告はない。宿にもいなかった。刻限を一時間も過ぎている」

「じゃあ、もう確定ね。黒の鉄鎖に報告してちょうだい」

「了解した」


 服装からすると、キブラ直属の神官戦士か。腕前はそこそこありそうだが、頭の中はどうだろう。オルファスカとの関係も、これだけではよくわからない。ポッと出の女が差し出がましい、と思っているのか、それとも例によって悩殺済みなのか。

 ただ、どうも俺は、経験的にハゲとは仲良くやれていない。だからきっと彼も、俺の敵になるんじゃないか。ただの偏見だ。心の中で肩をすくめた。


「間に合ってよかったわね」

「脱走ですか」

「ええ。それもここの元中核戦力が」


 では、ドミネール達が?


「総勢二十名ほど。いつの間にか姿を消したみたい。だけど、街の周囲は黒の鉄鎖が見張っているから、どうせ逃げられやしない。狩り出して、処分しないとね。あー、忙しい」


 この期に及んで、連中がどうして行方をくらましたのか。確かに、黙って迷宮の中に入っても、いいことなんか一つもない。最悪の場合、後ろから刺される可能性だってある。

 だからといって、脱走も不可能だろうに。周囲は遮るもののない砂漠。赤竜の谷だって、そこまで近くはない。となれば、街の中のどこかに身を隠しているのだろうか。


 連中がどうなろうと構わない。ただ、できれば西の街区には潜んでほしくない。黒の鉄鎖の私兵が奴らを探し回るついでに、アナクが保護する少年少女まで狩り出されてしまうかもしれないからだ。

 迷宮に突入したら、なるべく早めにアナクに伝えよう。大してできることなどないだろうけれども。


「まだ時間がかかるようなら、宿に戻って仮眠したいんですが」

「ああ、それはもうだめよ」

「どうしてですか」

「人がみんな、ここに集まってるでしょ」


 ギルドの前の広場も、近くの酒場も、どこも待機所になってしまっている。まるで前世の海開きの日みたいだ。みんな、すごい密度で座り込んでいる。


「人のいない宿屋に戻って、泥棒されると困るから」

「そんなことはしませんが、そういう理由なら仕方ないですね」

「ドミネール達の仲間と一緒に処分されたければ、帰ってもいいのよ」

「面白くない冗談です」


 話は終わったらしい。

 距離を空けると、彼女は軽く手を振った。


「じゃあね。またお互い、無事に会えるといいわね」


 他の三人は、特に何も言うことなく、無表情のままにオルファスカの後を追った。そうして連中はいなくなった。

 少し、不安がなかったともいえない。ラシュカは俺のことを喋っただろうか? まったく信用などできない女だから、裏切りの裏切りの、そのまた裏切りだってあり得る。


 考えても仕方がない、か。

 ドミネールとオルファスカの潰しあいなど、勝手にやればいい。俺としては、地下六階のあの防衛ラインさえ守り切れれば、あとは仲間が無事なら、どうなってくれても構わない。


 ……コーザは今、どこにいるんだろうか。

 この広場にはいなかったから、もう迷宮の中にいるのだろう。同じ班の仲間と一緒に、うまいことアルマスニンの集落を目指してくれているといいが。一応、一人頭金貨十枚で解放する、という約束で捕虜に取ることになっている。ビルムラールがきれいな字で、フォレス語とサハリア語でメッセージを書いてくれた。だからリザードマンの側は、それを見せつけるだけでいい。


 だが、頭の中にまた「無意味」というフレーズが浮かんでくる。

 こんなことをして、何になるんだろう。目の前にいる大勢の……赤の他人。生きようが死のうが、俺の知ったことではないはずだ、と。

 余計なことに時間と労力をとられている。なんだかそんな風にしか思えなかった。


 今、できることはない。準備は済んだ。あとは結果を待つだけだ。

 俺は壁際に凭れかかって、腕組みし、そっと瞼を閉じた。そして長い長い溜息をついた。

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