迷宮への大攻勢、始まる

 仄かな青白い光が周囲を照らす。大昔、真四角に掘り抜かれたまま、いまだに形を保っている地下四階の通路。ちょうどここはまっすぐ道が続いていて、見通しがいい。離れたところにある壁まできれいに照らし出されている。薄暗さは感じるものの、視界に不自由は一切ない。

 これが人の力というものか。初めに二人きりでこの迷宮に挑んだ時とは雲泥の差。遥かに安全で快適な探索をさせてもらいながら、しかし、俺は溜息を漏らさずにはいられなかった。


「なんだ、もうバテたのか」

「いいえ」


 横に立つガッシュの問いに、俺は首を振った。


 まるで暗闇のようだ。ここは明るいが、遠い遠い通路の向こうは、やっぱり真っ暗。いくら光で照らそうとも、闇を完全になくすなんてできやしない。

 疲労感というより徒労感。無意味じゃないのか。やってもやってもキリがない。


「飽きたんだろ」


 所在なく前を歩くキースが、手元で霊剣をもてあそびながら俺の気持ちを代弁する。そして顎をしゃくってアナクに尋ねる。


「おら、次はどっちだ」

「ああ、そこを右だ」


 それを聞いたビルムラールが、静かに詠唱する。途端に暗い通路を青白い光が切り拓いていく。


「飽きるって、なぁ」

「飽き飽きしてねぇのはお前くらいだろ。要するにドン臭いだけだ。とっとと慣れろ」

「慣れろって、こんなのどう見たって普通じゃないだろ」


 一人、常識人が頭を振る。まともな人ほど、異常な状況に適応するのには時間がかかるらしい。

 周囲には常に二、三人のリザードマンがついている。護衛兼道案内だ。それがアナクと独特の言語でやり取りしながら、実に友好的に迷宮の探索を手伝ってくれている。


「ビビリやがって。お前の仕事なんざ、ラクなもんだろが」

「いっそキツい仕事にまわしてくれよ」

「やなこった。遅ぇんだよ、お前がやると。その役立たずも、置いてけっつったろ?」


 するとガッシュは、右手に持った戦鎚を少し持ち上げて、恨めし気な顔で俯いた。


「ガッシュさん」


 俺はフォローに割って入った。


「武器の相性ですよ。仕方ないです」

「そんだけかねぇ」

「キースさん」

「ま、武器はともかく、お前自体はちゃんと役に立ってんだ。気にすんな」


 ひどい言い草だ。余計にガッシュがふてくされてしまうだろうに。


 現在、俺達六人は、迷宮の裏口から侵入して、あの貯水池からまた表の出口のある方向へと進んでいる。目的は、魔物の間引きだ。挺身隊員の死傷者を減らす。この目的を実現するため、浅い階層に生息する魔物を討伐してまわっていた。

 だが、その役割分担の残酷なこと。

 まず、俺とキースの仕事は、ワームの殲滅だった。切れ味抜群の霊剣にかかれば、ワームの皮膚など綿のように裂けた。

 アナクの仕事はもちろん案内役。ビルムラールはいざという場合の治療担当だが、そちらではまだ出番がない。ただ、光魔術を使いこなせるので、今もこうして通路を照らし続けてくれている。

 ところが、俺やキースの横で戦うつもりだったガッシュはというと……


「もういらないだろ。何本集めた?」

「捨てんなよ? 一応、そんなんでも一本金貨十枚だ」


 背中に背負っているのは特大の籠。そこに詰まっているのは切り落とされたワームの尻尾。そう、今のガッシュの仕事は、荷物持ちなのだ。この六人パーティーの中でも、一番格下の扱いだ。

 こうなったのは、彼の武器の問題が大きい。ワームの弾力性のある体は、鋭い刃物には弱かったが、打撃には滅法強かった。最初は彼も意気込んでいて、俺の腕前を見せてやると前に出た。ワーム相手に死闘を繰り広げ、結果、見事一匹を討伐してみせたのだが、とにかく時間がかかって仕方がない。

 それで、やっと勝利を掴んだガッシュに向かって、キースがあっさりと宣告したのだ。お前、荷物持ち、と。


「計算違いでしたね」


 この状況、金儲けのためだったら、俺もきっと喜んでいた。しかし、俺達の目的は、あくまで迷宮の安全確保だ。

 それでワームを一掃してやろうと、数日間の余裕をもって討伐に乗り出した。当初は順調だった。まったく苦戦することもなく、発見もラクラク。次々とフロアを制覇していった。

 ところが、一度掃除したはずの場所に、またあちこちからワームやらサソリやらがわいていた。ゲームの世界ではないから、勝手にリポップしたのでもない。要するに、リザードマンにとっては不快極まるこの環境も、サソリやゴキブリ、ワームにとっては快適そのものなのだ。湿度が高く、気温も安定していて、餌にも困らない。だから、何かあると周囲の砂漠から穴を掘って流れ込んでくる。

 かなりのところ、魔物の密度は下がったはずだが、ゼロには到底届かない。まさしく終わりのない暗闇、いくら灯火を点しても、俺達がいなくなったらまた真っ暗闇に逆戻り。


「まー、通路だけでも安全ならいいだろ」

「そこだけはきっちりしないと、コーザ達が死んじゃいますからね」


 もう一つの目的も重要だ。アルマスニンらの拠点を防衛すること。だから、表玄関から集落に通じる通路は、一つを除いてすべて封鎖する予定だ。今、彼らの労力の大半はそちらに割かれている。

 そして、唯一の出入口に設置される関所に、コーザやその知り合いは逃げ込んでくる。彼には、ちゃんと自分の身代金を持ってくるようにと伝えた。武器を捨て、お金を払って頭を下げれば、ここのリザードマンだけは許してくれるよ、と教えたのだ。ただ、予定通りにはいかないかもしれない。その時はその時だ。だいたい、悪いのはキブラであり、オルファスカであり、ドミネールだ。俺の責任ではない。


「もうすぐだ」


 アナクの声に、俺は一歩前に出た。

 キースと組んでやれば、三十秒もかからない。揃って前に出て、左右に分かれる。ワームが振り向いたほうが逃げに徹して、もう一人が素早く尻尾を切る。これだけ。


「待ってください」


 ところが、今回に限っては、ビルムラールが声をあげた。


「なんだ、坊ちゃん」


 キースの口の悪さは、治りようもない。ビルムラールのあだ名は坊ちゃんで決まりらしい。


「試しに次は私にやらせてくれませんか」

「あぁ?」

「お二人の戦いを見ていて、私も思いついたことがありまして、ぜひ試したいのです」


 どうだろう? 彼は戦士ではない。

 しかし、これだけ自信ありげに言うのだから、ちゃんと考えはあるのだろう。


「じゃあ、僕がすぐ横について、何かあったら対応しますよ」

「ふん、勝手にしろ。ま、チンタラしてやがったら俺がパパッと済ませちまうけどな」

「はい」


 頷くと、ビルムラールは落ち着いた様子で、懐から黒ずんだ丸薬を取り出した。


「ファルスさん、キースさん、それに……ノーラさんもですよね」

「はい?」

「皆さん、珍しいことに魔術をご存じとのこと。ですが、私に言わせれば、皆さんどなたも『魔術師』とは呼べません」


 もう突き当たりにはワームの姿が見えている。喋りながら歩いているので、当然気付かれているし、こちらに大きな口を向けている。距離にして、ざっと十五メートルほどか。


「おい、そろそろ」


 アナクも危険を感じて、緊張した声をあげる。

 だが、ビルムラールはマイペースだった。


「魔術は、ただ使えればいいというものではありません。いつ、どこで、何に向かってどのように、どんな瞬間に用いるかを自由自在にしてこそ」

「キャシャァッ!」

「ビルムラールさん!」


 慌てて俺が前に出ようとする。

 それを彼は悠々と手で制しながら、さっきの黒い丸薬を爪先で弾いた。


「シャシャッ……」


 五メートルの巨体、通路いっぱいの胴体を前に押し出し、ワームは今にもビルムラールを呑み込もうとした。その時。


「ブッシャァッ!」


 いきなりワームは激しく仰け反り、大きな悲鳴をあげてその場に突っ伏した。それきりだった。


「うまくいきました」


 落ち着いた表情で彼はそう言った。


「何をしたんですか」

「え? いえ、ご存じでしょう。風魔術としては、初級の術ですね。『風刃』です」

「えぇ?」


 はて。

 その技は俺も知っている。イフロースが使っていたからだ。但し、練習ではいつも『気弾』しか使ってこなかった。


 どう違うかというと、射程距離と威力だ。『気弾』は空気の拳で、射程距離が長い。但し、打撃力はあるが、鋭さがない。防具を切り裂く貫通力は備えていないのだ。これはイフロースだけでなく、シモール=フォレスティア王国の将軍の、あのフォニックも俺との試合で使っていた。それと、魔宮モーでグレムリンどもに食らったのもこれだ。

 これに対して『風刃』は、『気弾』にはない貫通力がある。魔法の体系からしても一つ上の技術とされる。しかし、射程が絶望的に短い。剣の間合いが少し長くなる程度なのだ。


 それでワームを一撃とは、どういう裏技を使ったのだろう?


「数日間、ずっと見ていまして。ワームの弱点は体の中心線にあります。尻尾ですよね」

「はい」

「そしてワームは、最大の武器である牙で食らいつくために、まっすぐ跳びかかってきます」

「ええ」

「だから『風刃』をまっすぐ放り込めばいいのです」

「ちょっと待ってください」


 でも、射程は?

 俺の疑問を先取りして、彼は懐からまた、さっきの丸薬を取り出した。


「ファルスさん、魔術師ならやはり触媒を使いこなすべきです。詠唱だけに頼るのではよくありません」

「えっと、でも、お金が」

「確かに安くはありませんが、金額に見合う効果があります。一つには、人間に不足しがちな魔力を補うこと、もう一つには、魔法の道具に頼らなくてよくなること。ですが最大の利点は……魔術の発動の瞬間を選べること。発動する場所も決められます。特殊な技術によらなくても、思い通りのところで魔法を使うことができるのです」


 目を丸くする俺に、彼はワームを指差した。


「簡単ですよ。さっきの丸薬は、既に『風刃』を発動させる準備の整った魔法の薬です。それを、いつどこで機能させるか、それだけを私が制御したのです。だから、あの長い胴体の内側に飲み込まれたところで、魔法を働かせたのですよ」

「なるほど」


 確かに、そういう使い方をするなら、射程距離の欠点を補うこともできる。

 魔物から奪った魔術核に頼っている俺にはできない芸当だ。


「ポロルカ王国は諸国戦争の惨禍を免れた数少ない地域ですから、古い時代の魔術もいろいろと残されているのです。世界でも、公的役職にはっきり魔術師を置いているところは、あまりないでしょう」

「そ、そうですね」


 おっと、専門バカの頭に火がついたらしい。これは話が長くなりそう……


「本当の魔術師は、だから、いつどこでどのように、まさしく思い通りに魔法を」

「そろそろ次行こうぜ」


 ほっと一息。キースが話の腰を折ってくれた。


「ありがてぇお話は、またあとでじっくり聞かせてくれや」

「あ、はぁ」


 彼らしく、専門バカの情熱には付き合わず、すぐさま頭の中身を切り替えた。


「ま、ガッシュよりは手早くやれるってわかったのは収穫だけどなー、かかっ」

「くっ」


 まったく。

 人をからかわずにはいられないのか。


「で、アナク。次は」

「時間切れ」


 今までじっと黙っていたノーラが、いきなり声を発した。


「お、そうか」

「やっとですね」


 彼女の仕事は、頭上の様子を探ることだった。離れたところに向けて『意識探知』を繰り返して、迷宮への攻撃を察知する。中で活動している姿を見られるわけにはいかないからだ。それに、俺達も地上に引き返して、挺身隊が定めた順序に従って、再度、迷宮の中に突入しなくてはならない。この、今まさに滞在している階層が目的地というのだから、笑うしかない。

 なお不本意ながら、ノーラも魔法使いであると伝えた。どうせキースには気付かれたし、ごまかしても意味はなかった。教師や薬品、その他教育に必要な出費は、グルービーが負担してくれたことにしてある。但し、腐蝕魔術については、何も教えていない。


「んじゃ、長老のところで休むか」

「急いで戻らなくていいんですか」

「ちぃっとくらいいいだろ。どうせ俺達はずっと待ちだしな」


 そう俺達が話しているすぐ後ろで、ガッシュは淡々と尻尾を切り、背負った籠に放り込んでいた。


「はぁあ、これで六十本ちょうど、か」

「お、キリがいいじゃねぇか」

「これで荷物持ちの仕事から解放されると思うと、少しは……ハハッ」


 眉毛をへの字にしながら、ガッシュは苦笑いを浮かべた。

 しかし、これだけ魔物を間引いても、三日もすれば元通りになってしまうのだ。俺達の努力は、だから、かなりのところ無意味だ。


 そう、無意味。

 意味がない。


 人の世界で揉め事があって、この大攻勢が決まった。大勢の若者が死ぬかもしれない。それがなんだ? 俺に関係あるか?

 いちいち助けてやろうとすることに意味があるのか? だけど、それは口に出せない。ガッシュも、ビルムラールも、ノーラも、当然のようにその意味を信じている。

 だが、地下で石像になって永遠の時をやり過ごそうとしている俺にとっては……


 手元で輝く剣が、大いなる空白がもたらす安らぎを想像させてくれた。

 意味とは、それ自体、騒音ではないのか。少なくとも、静かに眠りに就こうとするには邪魔になる。


 そんな俺の気持ちなど、もちろん仲間達の知ったことではない。


「ま、こんなもん、本番の前のゴミ掃除だ」


 剣を鞘に納めながら、キースが締めくくった。


「サクッと終わらせようぜ」

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