キースのテスト

「よし、と……ま、こんなもんか」


 キースはさまざまな商店を開業しては閉店してきた。その結果、十分な量のガラクタがあった。つまり、木製の棒や板切れなどだ。それらはちょっとした加工で、すぐさま簡単な木剣や盾に生まれ変わった。


「おし、持て。広いとこ行くぞ」

「目立っていいんですか」

「どうせもうお前らにバレたからな。同じだ同じ」


 トレードマークともいうべきあの白い陣羽織を身に着け、腰には霊剣を佩き、逆立つ髪を隠そうともせず、彼は颯爽と前に立って歩き出した。

 昼間だったが、街中の人通りは多くなかった。だが、挺身隊の若者達は、今は迷宮での座り込みはしていないはずだ。では、どこで時間を潰しているのだろう? 宿で寝転がってボンヤリ過ごしているのか。


「この辺でよさそうだな」


 そこは、かつては一軒家があった場所だった。今は敷地に四角く整地された土台だけが残されている。頭上はずっと高いところに布が渡されているだけ。それなりの広さがある。


「んじゃ、誰からだ」

「僕が」

「ダメだ。ファルス、お前は最後」


 キースを仲間に誘った。迷宮探索の五人目の仲間として。屁理屈だが、これは傭兵の仕事ではない。冒険者としての仕事だ。実際には、傭兵の派遣も冒険者の管理も、どちらもギルドの業務で、いずれの実績も同じタグに記録され、昇格の判断基準になる。両者の区別など、ないに等しいのだが。

 それでも俺にとっては手放せない相手だった。なにしろあのキースだ。普通ならこんなところで出会えるはずもない。それが運よく目の前にいる。そのままリリースするなんてあり得ない。彼がいれば、迷宮の深部の探索だってずっとやりやすくなるだろう。それにまた、俺が迷宮の主にやられても、キースなら血路を切り拓いて地上に引き返せる。ノーラだってまさか、撤退を主張するキースを腐蝕魔術で殺したりはしないだろう。彼女は正論には弱いのだ。

 人形の迷宮で不死を得る。そのパズルにとって、いまやキースは欠かせないパーツになった。是が非でもここで口説き落とす。


 それで提案を受けたキースは、条件を出した。

 全員の腕前を確認する。あまりにレベルが低い連中とは、一緒にやりたくない。無能な仲間は、敵より危なっかしい。だから俺達は、彼のテストを受けるべく、ここまでやってきた。


「じゃあ、俺からでいいか」


 進み出たのは、ガッシュだった。いったん宿舎に戻って、武器一式を装備し直してきた。

 いつもの赤銅色の鎧に、彼の大柄な体を覆い隠す鱗型の大楯。そして適度な重心の戦鎚。完全武装だ。


「おう、お前か……お前……あー……誰だったっけ?」


 木剣でいつものように肩をポンポンと叩きながら、キースは人を逆上させるようなことを言った。


「ガッシュだ! ガッシュ・ウォー!」

「あー、そうか。あんまりにも印象薄くて、ピンとこなかった」


 わざとだろうな、とは思うが、絶対にそうとも言い切れない。キースの性格からすると、人なんて殺して忘れてナンボというか。そもそも黒の鉄鎖の傭兵になんかなるつもりもなかったから、説得に来た人間の顔だって、いちいち覚える必要を感じなかった可能性もある。


「この野郎」


 挑発だとは理解しているのだろう。冷静さを手放すほど怒っているわけではない。というか、恐らくキースはその辺まで含めて相手をテストしているのではなかろうか。仲間に加えるのなら、感情的に過ぎるのはご遠慮願いたい。でないと、これまた危険を招くからだ。

 ただ、ガッシュとしては、腹に据えかねるものがある。キースを勧誘するために散々苦労してきて、上役にもせっつかれて、本当に胃が痛む思いをしてきたのだ。それがついさっき、ファルスに声掛けされたら、あっさりついてきた。少なくとも、交渉には応じつつある。但し「お前らの実力を見極めてやる」と上から目線だ。

 そうした経緯の上での、このセリフなのだ。バカにしやがって、と思わずにはいられまい。


「だけど、いいのか」


 極力怒りを抑えつつ、ガッシュが尋ねた。


「何が」

「俺はいつもの武器を使う。当たれば大怪我だ」

「当たればな」

「そうなったら仲間もへったくれもないだろう。困るのはこっちだ」


 キースは首を傾げた。


「何言ってんだ。やっぱズレてんな」

「なに」

「どうせならここで俺を殺してみろよ。そうなりゃお前、一気に幹部待遇だ。給料が百倍になんぜ?」


 ガッシュは歯噛みしたが、すぐ苛立ちを抑えた。


「殺しはしないが」


 努めて落ち着きを保ちつつ、彼は付け加えた。


「……そうだな、俺相手に苦戦するようなら、黒の鉄鎖の傭兵になってもらおうか」

「いいぜ」


 おっと。

 キースはあっさり了承した。


「言ったな」

「言ったぜ?」


 それで会話は終わったらしい。


 ガッシュは、その大きな体を小さく伏せた。重心を低く取り、大きな盾を前に出してにじり寄る。相手から見ると、ガッシュの急所のほとんどが盾に隠されてしまっている。ゴリ押しで殴りつけても、防がれてしまうだろう。

 本気のキースが霊剣を振るえば、表面が金属に覆われたこの銀色の盾でさえ、両断できるかもしれない。しかし、それは装備に恵まれているから勝てただけ、という評価もできるやり方だ。今回、彼が手にしているのは、粗雑な作りの木剣と盾のみ。

 そういえば、キースが盾を使うところを見るのは、これが初めてだ。


 キースもまた、剣と盾を構えていた。それも、まるでガッシュをからかうかのように。要するに、まったく同じような姿勢をとってみせたのだ。

 盾を前に出して剣を下げる。こうして武器が見えにくい状態を作りつつ、相手の隙を窺う。


 どちらも基本的な動きだ。但し、キースのほうは剣代わりの棒切れの長さがあり、盾が小さいせいで、切っ先を隠せていない。それが不利とも言い切れないが。剣には、鎚にはない攻撃手段、つまり刺突がある。突然の一撃をちらつかせながら、主導権を取りにいくことだってできるのだ。今も盾の後ろに剣を重ねながら、ゆらゆらと揺らめいている。

 一方、叩きつけるしかないガッシュの側は、動きのバリエーションに限りがある。基本的には振るしかない。但し、その打撃には、剣にはない重さがある。リーチは短く、盾が大きいため、キースからは鎚の先端が見えていないはずだ。


 この戦い、どうなるか。

 どちらも初めて出会った頃に比べると、成長している。


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 ガッシュ・ウォー (28)


・マテリアル ヒューマン・フォーム

 (ランク5、男性、28歳)

・スキル フォレス語  5レベル

・スキル サハリア語  4レベル

・スキル 戦槌術    5レベル

・スキル 盾術     5レベル

・スキル 格闘術    4レベル

・スキル 水泳     3レベル

・スキル 釣り     3レベル

・スキル 操船     2レベル

・スキル 病原菌耐性  5レベル


 空き(19)

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 ガッシュは、一人前の戦士と呼ぶに相応しいだけの力を身に着けた。

 ただ、相手は一流だ。


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 キース・マイアス (31)


・マテリアル ヒューマン・フォーム

 (ランク7、男性、31歳)

・マテリアル マナ・コア・水の魔力

 (ランク3)

・スキル フォレス語  5レベル

・スキル ルイン語   3レベル

・スキル サハリア語  4レベル

・スキル 剣術     7レベル

・スキル 盾術     6レベル

・スキル 格闘術    7レベル

・スキル 水魔術    7レベル

・スキル 投擲術    6レベル

・スキル 隠密     5レベル

・スキル 軽業     5レベル

・スキル 水泳     4レベル

・スキル 医術     3レベル

・スキル 魔獣使役   3レベル


 空き(17)

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 両者の技量差は確かにある。しかし、だからといってガッシュに勝機がないとは言い切れない。

 自分より身軽な戦士と渡り合った経験くらい、あるはずなのだ。そこで勝利を拾ってきたからこそ、今も彼は生き延びている。


 俺がガッシュなら、装備の有利を生かす。

 相手の道具は今にも砕けそうな脆い木の盾と棒切れだ。それをまともな武器と見立てるのが試合のルールだが、そんなものは無視する。要するに、手にした金属製の戦鎚で、盾ごと叩き割る。実戦ではもっとマシな武器を持っているはず、なんていう前提は無視。

 卑怯で結構。それが戦いの本質だ。利用できるものはなんでも利用する。そこまでしても、なおキースには届かないかもしれない。大事なのは、初動だ。足の爪先、瞬発力がすべてを決める。


 キースの木剣の先が、誘うように揺れる。そして、盾の真後ろに剣が重なる……


 ガッシュの巨躯が、滑るように前に出た。

 ズン、と重さを感じさせる音が響き、彼の重い盾がキースの盾に重なる。悪くない。重さを生かして、自分の左手一本で、相手の左側から右手まで纏めて押し潰す。あとはガラ空きの左肩に戦鎚を打ち込む……


「うっ!?」


 その瞬間、ヘビのような何かが、キースの盾の横から滑り落ち、不自然に波打ったように見えた。


「ガハッ!?」


 気付くと、ガッシュはその場の地面に膝をついていた。かろうじて武器は手放していなかったが、そんなことは何の慰めにもならなかった。既に後頭部にはキースの木剣が添えられている。

 但し、その得物は左手にあった。


「馬鹿正直すぎんだよ、お前は」


 何が起きたか、見極められたのは、この場にいた中では、俺だけだったろう。ビルムラールやコーザは、目を丸くするばかりだ。

 キースは、ちょっとした曲芸をやってのけたのだ。ガッシュの狙いが、盾を前面に押し出しての圧迫、そこから相手の行動を封じるところにあるというのを、最初から見抜いていた。では、それにどう対処するか?

 常識的には、盾の押し合いになる。力で弾き返してもいいが、目的は相手の左手にある盾を右側に寄せる……つまり武器で体捌きをしたのと同じように、相手の左側をガラ空きにするところにある。多分、その駆け引きでもキースは負けないだろうが、この場合、装備の大きさと質が足を引っ張ることになる。カバーできる面積が広い分、ガッシュが有利なのだ。

 或いは、相手の鈍重さを考慮して、ベタ足での戦いに付き合わないという対策がある。フットワークで攪乱して、主導権を取る。ただその場合、ガッシュは大きな盾を生かして、じっと耐える動きを取るだろう。それでも最終的には、キースなら防御を割って打ち込むことも不可能ではないと思う。ただ、面倒だった。

 だから彼は、徹底的にガッシュを出し抜く手で決着をつけることにした。具体的には、相手が望むような形……盾をぶつけるだけで、キースの左右の手が封じられてしまうような姿勢をあえて見せる。するとガッシュは突進してくる。その瞬間、キースは素早く左右の手を入れ替えた。右手に盾、左手に剣と持ち替えたのだ。

 そうして後は、打ち込まれる寸前の戦鎚を木剣で受け流し、右手の盾で相手の盾を逸らす。ガッシュの盾は、キースの盾を本人から見て左から右にと押し流す動きをするので、こちらは軽く手を添えるだけでよかった。そうして間抜けにも左右の腕が開いてガラ空きになった鳩尾に、鋭く蹴りを見舞ったのだ。


 トリッキーなことこの上ないやり方だ。しかし、これも剣。

 実戦は、生き死にのやり取りだ。一回しか通用しない奇術でも、一回通用すればいい。


「くっ……」

「だがまぁ、わかった。お前は一応、ギリギリ合格ってとこだな」


 こうしてみると、やっぱりキースは強い。ピアシング・ハンドで確認できるスキルでは俺のほうが高レベルなのだが、それだけでは測れない強者の風格がある。単純に引き出しも多い。


「強くなりたきゃ、もうちょい頭使え。お前は」

「なに」

「お前、左手で武器振る練習したか? 右手で盾使う練習もしてねぇよな。溺れながら戦ったことはあるか? 素っ裸で寝込みを襲われたらどうする。食事用のナイフで戦ったことは。全部ないだろ。狭いんだよ、頭ん中が」


 生活のすべてがほぼ戦いだった彼ならではだ。

 あらゆることが戦いに繋がる。だからいつもそればかり考える。武器はこうやって振る、盾はこうやって構える、という型にはまった考え方がない。教わるというのは成長を加速するよい経験だが、それがすべてになってしまっては、いつか頭打ちになる。

 そういうアドバイスなのだ。しかし、はて……あのキースが? 彼にとっての有象無象でしかないガッシュにアドバイス?


「よし、次。そこのでかいの」

「わっ、私ですかっ」


 次に指名されたのは、ビルムラールだった。

 明らかに目が泳いでいる。ガッシュの戦いぶりにしても、決して低次元のものではなかった。自分には到底真似できない。素人目にも達人とわかるキース相手に、殴り合いを挑まなくてはいけないのか。


「キースさん」

「あ? なんだ」

「ビルムラールさんは、医者です」

「だからなんだ。迷宮ん中で足引っ張るんなら、連れていけねぇぜ? 戦えねぇのかよ」

「わっ、私は」


 両腕をバタつかせながら、なんとか彼は、懐から触媒を取り出した。


「多少ながら、魔術を学びまして」

「お? ふーん」


 するとキースは表情を変えた。


「なら話は別だ。お前、何ができる」

「光魔術と風魔術、土魔術を少々」

「なんだ、それだけできるんだったら、使い道はあるかもな」


 ビルムラールは、ホッと胸をなでおろした。


「けど、実戦で役に立たねぇんじゃ意味ねぇしな……お前、風魔術を使えるんなら『矢除け』はできるか?」

「あ、はい、一応」

「一応ってなんだよ」


 語気を強めたキースにビビりながらも、彼はまた、いそいそと触媒らしき豆粒みたいな薬品を取り出した。


「こっ、これでできます」

「おーし、じゃあ、今、やってみろ」

「い、今?」

「石投げっからな。当たらなきゃ合格、当たったら……ま、お前、医者だし、てめぇでてめぇの傷、治せんだろ」

「ひえぇっ」


 それでも、積み重ねた修練は彼を当然のように支えた。ごく短い呟きの後に、ふっと風がそよいだ。


「いっくぞー」


 転がる日干し煉瓦の破片を拾い上げ、キースは遠慮なくビルムラールめがけて投げつけた。


「ひっ!」


 恐怖で身を縮める彼だったが、果たして破片は空中でいきなり軌道を変え、斜め上へと放り出された。


「ふーん、ちゃんと効いてんじゃねぇか」

「あ、は、はぁ」

「よっし、まぁ合格……けど、中で死んでも自己責任だからな」

「うっ」

「あと、お前は直接戦うな。見るからにトロそうだしな。うまいこと俺やガッシュに任せろ。それも立ち回りだ」


 さて、次は……


「んで、どっちだ? そっちのガキか?」


 ガッシュ、ビルムラールがメンバーなのは見ればわかる。しかし、まだ十二歳のノーラと、一応は成人しているコーザ。俺が五人目を探しているのだから、どちらか一方だけがファルスのパーティーメンバーということになる。


「私よ」

「おいおい、ファルス。お前、何やってんだ。サカるにゃまだ早ぇだろ」


 自分の身長より長い黒い杖を手に、ノーラは進み出た。それを見て、キースは肩をすくめた。


「けど、そういやお前、一歳で童貞捨てたんだっけ? ま、どっちにしろ、女はやめとけ」

「あ、キースさん、言い忘れてたんですが」

「なんだ」

「これの他に、もう一人少女がいます」

「はぁ?」


 呆れるのも無理はないが、伝達事項としてこれは欠かせない。


「彼女は、迷宮の道案内です。リザードマンとも話ができます」

「なんだそりゃ」

「本当です。その件についても、後で詳しくお伝えしたいのですが」

「ま、いいや。役に立つってことでいいんだよな」

「はい」


 余所見をして俺と話しているキースの顔面めがけて、ノーラは渾身の突きを放った。


「うおっと」

「いい加減にして欲しいわ」

「なんだ、このメスガキ」

「今は私の話でしょ」

「ははっ」


 一歩跳び退き、改めて武器を構え直してから、キースは笑った。


「確かになぁ。わかったわかった、相手してやっから、かかってこい」


 ノーラは無駄口を叩かず、なおも踏み込んで鋭く突きかかった。

 が、それはあっさり受け流され、間合いを詰めたキースに横っ腹を薙ぎ払われた。


「あぐっ!」


 手加減はしたのだろう。それでも、一発で彼女は地面の上にひっくり返ってしまった。


「珍しい技を習ってんだな、お前」


 見下ろしながら、キースは言った。


「師匠は誰だ? 東方大陸かどっかの棒術だろ、それ」

「わかるんですか」

「おう、こう、棒の捩じり込み方がな、あっちの連中と同じなんだわ。こっちの棒術じゃ、あんまやんねぇ動きだからな」


 視線を、横たわったままのノーラに戻し、キースは続けた。


「ま、筋は悪かねぇし、この稼業は負けん気が強くなきゃ始まんねぇから、先はあると思うが……さすがにこれじゃあ、今はお留守番だな」


 棒術だけの評価であれば、それはまったく妥当だ。

 しかし、この時、俺の内心は大きく動いた。


 これはいい。キースを誘ってよかったかも! そう思ってしまったのだ。

 なぜなら、ここでノーラが不合格になれば。もちろん、目先の攻撃計画の際には、ノーラが一人になっては困るので、そこはキースを口説き落として連れていくつもりだが、問題はその後だ。

 俺は迷宮の最深部を目指す。しかし、ノーラは留守番だ。彼女としても、西方大陸でも指折りの達人がファルスの仲間になるという好条件を一蹴するなど考えられない。自分が居残ることで、もっと強い仲間が手に入るのなら、我慢もするだろう。


「んじゃあ、次は……そっちのガキか? 名前、なんつったっけ……」


 すべてがうまく回るのでは。

 そう思いかけた時、ふと違和感をおぼえた。


 キースが硬直している。動いていない?


 風を切る低い音。ついで衝撃音。木片が飛び散った。

 起き上がったノーラが、全力でキースに殴りかかったのだ。金属製の黒い杖の先端は、確かにキースの頭に迫っていた。それを間一髪、彼は手にした盾で防いでいた。しかし、受け止め方がまずかったのか、これで盾は割れかけてしまっている。


「うっ、くっ?」


 反射的に防御したキースだが、様子がおかしい。

 彼らしくもなく、目が泳いでいる。


 今こそ畳みかけようとしたノーラは、棒の強みを生かして、穂先を石突に切り替えながら、素早くキースの目元に打ちかかった。


「危ない!」


 本当に怪我をさせかねない打ち込みに、俺は思わず声をあげた。

 だが、キースはこれまた間一髪、木剣の根元で受け止めていた。


「てめぇ……」


 いつの間にか、彼の目にはいつもの輝きが戻っていた。

 と思った瞬間、ノーラは弾き飛ばされていた。地面にバウンドして、横ざまに転がりながら、近くの壁際まで吹っ飛んでいった。


「ナメた真似しやがって、このクソガキが!」


 さっきまでの余裕いっぱいの態度が一転、キースは怒りを隠そうとしなかった。


「ノーラ」

「おいファルス」


 俺をじろりと睨みつけ、キースは言った。


「こいつは、お前の仕込みか」

「えっ?」

「いやらしいモン教え込みやがって、この」


 それでわかった。精神操作魔術だ。恐らくは『認識阻害』で、キースの動きを止めたのだろう。

 並の相手なら、これで一撃を入れるのは難しくなかった。しかし、達人というのは、それこそ身を守る動きが体に染み着くまで鍛錬を繰り返した連中だ。意識がうっすらとしか残らなくても、反射的に体が動く。そうこうするうちに意識を取り戻したキースは、何をされたかに気付いてしまったのだ。


「……ぐっ……はっ……」


 地面に突っ伏したノーラが、起き上がろうとしている。だが、今度は手加減なしの打ち込みを受けた。打撲はそのうち、魔導治癒の力で治るだろうが、瞬間的に回復するのでもない。痛みもそのままだ。手足に力が入らないのだろう。

 その様子を、キースは凍りつくような視線で眺めていた。


「てめぇみてぇなけったくそ悪ぃガキは願い下げだな」


 何が起きたか、理解が追いつかないガッシュとビルムラールは、目を白黒させている。


「んじゃ次……」

「待ちなさい」


 棒を杖にして、ノーラはなんとか立ち上がった。


「まだまだこれからよ」

「甘ったれんじゃねぇ。死ぬときは一発だ」

「まだ生きてるじゃない」


 棒を構え直し、ノーラはまた突きかかっていく。

 だがもう、手の内は知られてしまっている。短く詠唱しても、はっきりと意識を保つキースには通用しない。繰り出す技はどれも見切られてしまい、かすりもしない。


「あうっ!」


 突きを受け流され、体が大きく泳いだところで、横から包丁を振り下ろすかのような一撃を背中に浴びて、ノーラは突っ伏した。


「あぐ!」


 キースは容赦しなかった。倒れたノーラの鳩尾に、爪先で蹴りを入れる。上から背中に木剣を叩きつける。間断なく暴行を浴びせ続けた。


「おい、あんた」

「や、やりすぎです!」


 勝負というよりイジメといったほうがいいこの振る舞いに、二人が声をあげた。

 俺は、何も言い出せなかった。これでノーラが死ぬことはない。死なずに、迷宮探索から外れてくれるのなら、今だけの痛みなら……


「黙ってろ、カスどもが」


 そう言いながらも、キースはノーラを踏みにじり続ける。

 正視に耐えない暴行に見えて、しかし、俺はまた気付いた。手加減のない一撃は、さっき眩惑されたときだけ。あとは大したことはない。顔には一撃も入れていないし、大きな打撃は背中など、致命傷になりにくい個所を選んで打ち込んでいる。今もグリグリ踏みにじっているのは、痛みを感じやすい指先だ。


「お前よぉ」

「な……に」

「これ以上ボコられると、体に傷が残んぜ? せっかく小綺麗に生まれたっつうのに、そんなんじゃ娼婦にもなれやしねぇぞ」


 実際には、すべて治るとは思うが、確かなことは言えない。

 しかし、ノーラの意志に揺らぎはなかった。


「いい、じゃない、それくらい」

「あれか? ファルスは出世したしなぁ? なんつったって、王の騎士だ。んでもしかして、くっついてりゃお嫁さんにしてもらえるって思ってるか? おいおい、甘ぇよ」

「がっ!」


 鳩尾を軽く蹴飛ばして、ノーラを仰向けにすると、キースは首をぐりぐり踏みつけた。


「のし上がる男っつうのはな、女になんざ、目もくれねぇんだよ。貴族になるためにゃ、貴族の娘と結婚するのが手っ取り早い。それだって邪魔になりゃ切り捨てる。どんどん乗り換える。いらねぇもんが溜まったときにツッコんでブチまける以外、使い道なんざねぇ。それが強い男にとっての女ってもんだ。ちっと顔がきれいなだけで、股さえ開きゃあ、ずっと傍にいられるって思ってんのかよ」


 ひどい言いざまだが、一理はある。

 有能な男ほど、トロフィーワイフなんかに興味を持たない。そんなものはレンタルすればいいからだ。せいぜいのところ、女は手段。それくらいに割り切って上を目指すのでないと。道徳的にはともかく、大志があるのなら、色欲などは排泄と同じと心得るべきだ。


「くだ、らない」

「あぁ?」

「捨てたければ、捨てればいいじゃない……それは私の決めることじゃ、ない」


 苦しげに息を継ぐノーラを、キースは静かに見下ろしていた。


「ボケが。てめぇと俺と、どっちが役に立つか、わかんだろが。んで、俺はてめぇみてぇな足手纏いはいらねぇっつってんだよ」

「わ、私は」


 喉を締め付けられながらも、ノーラはかすれた声で言った。


「キース、あなたを、歓迎するわ」

「なに?」

「役に、立ちそうだもの」


 それを聞くと、キースはふっと足をあげた。


「勝手にしろ」


 のろのろと身を起こしながら、ノーラも応えた。


「そうするわ」


 どうやらキースの説得も功を奏さず、彼女は迷宮の奥まで追いかけてくるらしい。

 だが、それならそれで、やりようはある。要は俺が石になった後、他のメンバーが生きて地上に戻れさえすればいい。


「さーて、あと一人か」

「僕ですね」

「お前は最後っつったろが」

「あの、コーザはですね」


 この会話の意味を察したコーザは、真っ青になって立ち尽くしていた。


「ぼっ、ぼっ、僕はですねっ、てっ、挺身隊のっ、だからっ、ファッ、ファルス君のっ」

「何言ってんだかわかんねぇ」


 それからキースは、コーザの表情や体つきをじっくりと眺めた。


「ド素人か」


 そして小さく溜息をついた。


「はっ、はい!」

「そうか。じゃあ、ありがたく思え」

「はい?」


 キースは右手を自由にすると、腰から霊剣タルヒを引き抜いた。


「ひっ!」

「いい剣だろ」


 抜き身のまま、ズンズン距離を詰めて、腰の引けたコーザに握らせる。


「ワノノマの国宝でな。あのギシアン・チーレムも使ってたっつう業物だ。いいだろ」

「はっ、はぁ」

「よーし」


 数歩、後に戻って向き直り、キースは笑顔で宣言した。


「この俺様、世界最強の剣士、キース様が直々に、お前に剣の奥義を教えてやろう」

「はいぃ!?」

「簡単だ。その剣で俺をブッた斬ってみろ」

「えええ!」


 いきなり言われた要求、いや命令に、コーザは完全に動転してしまった。

 キョロキョロと左右を見回して救いを求めるも、もはやガッシュもビルムラールも、破天荒なキースの振る舞いに慣れてしまったのか、何も言い出さない。仕方なく、コーザはそろそろと一歩を踏み出した。


「え、えいっ」


 気の抜けるような気合の入れ方をしつつ、コーザは目を閉じてタルヒを振った。


「ゲボッ!」


 ズバン! と音だけならむしろ心地よくなるくらいの響きが突き抜けていく。ついでに腹を蹴り抜かれたコーザが吹っ飛ばされていた。


「あのなあ」


 キースは首を傾げながら言った。


「せめて動かない相手に当てるくらい、しろよ」

「うっ、げっ」

「あと、斬りつけるってぇのに目ぇつぶってどーすんだよ」

「うぐうう」

「そんなに痛くねぇだろ。急所には当ててねぇ。おら、さっさと立て」


 確かに、さっきのコーザの一撃……一撃? 素振りめいたあの謎のモーションでは、そもそもキースの体のどこにもかすりそうになかった。殴る、叩く、といった行為そのものができていない。


「戦うってのはな、案外簡単なんだよ」

「えっ」

「単純だろ? 殺すか殺されるか。そんだけだ」

「そ、そんなの当たり前じゃないですか」

「その当たり前が、てめぇ、できてねぇだろが」


 まったくその通りだ。しかし、コーザが気後れするのもわかる。本物の剣で人に……怪我をさせるかもしれない。それが怖い。


「技だのなんだのっつっても、これがわかってなきゃ何の意味もねぇ。刺されば死ぬ剣を、どうやったら相手に突き刺せるか。そのためにありとあらゆる手を使う。いいも悪いもねぇ」

「でっ、でも、もし間違って刺しちゃったら」

「何が悪いっつうんだ。俺がやれっつってんのに、誰が文句言うんだよ。殺す殺さないに、いいも悪いもねぇってんだ」

「わ、悪いに決まってるじゃないですか!」

「はー、やれやれ」


 針金のような髪の毛をバリバリ掻きながら、キースは言葉を探した。


「今朝、何喰った」

「えっ?」

「何喰ったっつってんだ」

「え、えーと……ベーコン入りのクリームスープと」


 カマキリ顔の店主の店で出されたメニューだ。


「殺してんじゃねぇか」

「はっ?」

「お前が今、ここで生きてるっつうのが、殺した証拠だろが。違うか」


 理解が追いつかず、コーザはおどおどするばかりだ。


「もっかいやってみろ。思いつくこと、なんでも試せ」

「え、えええ……」


 へっぴり腰のまま、剣を構えてコーザはにじり寄る。

 するとキースは、いきなり顔色を変えた。そして、あらぬ方向を指差し、ワナワナと震え始める。


「バッ、バカッ、お、おい、ファルス! てめぇ、何しやがんだ!」

「えっ?」


 釣られてコーザは後ろを向いた。


「ゲボッ!」


 そしてさっきと同じように、腹を蹴り抜かれて転がった。


「こんなもんに引っかかってんじゃねぇよ。けど、お前はこれくらいやれ」

「うっ、げっ」

「バカらしいだろ。だけど、これで一回死ぬんだぜ」


 それでコーザは立ち上がり……キースの後ろを指差した。


「あっ、あれはーゲボガボッ!」

「ちったぁてめぇで考えろ」


 そう言うと、キースはコーザが取り落とした霊剣を拾い上げ、元通り鞘に納めた。

 俺は、軽い驚きを感じながらその様子を見守っていた。


 あのキースが、人にものを教えている? 教えているだけじゃない。それぞれの心の持ちようや技量に応じて、態度を変えている。

 ガッシュにしたのは挑発だが、その後には助言もしている。勝つだけならなんとでもなったはずだが、キースはあえてああいうやり方を選んだ。ガッシュに欠けているであろうものを考えたからだ。

 ノーラに対して辛く当たったのは、無論、危険から遠ざけるためだ。だが、それも一方的な判断ではない。彼女の覚悟を確かめて、最後はそれを尊重した。

 そして、どう見ても有象無象に過ぎないコーザに対しても。仲間に加える予定なんかないのに、余計な時間を取った。なるほど、剣の奥義だ。まず、戦うということ、殺すということを教え、そのためになんでもできることをするべきだと。何より大切なことを伝えようとした。


「よし、ファルス。どんだけ成長したか、見せろ」

「はい」


 俺は、もう一本の木剣を拾い上げ、構える……


「待て」

「はい」


 キースの表情が変わった。


「なんか、なんでもいい。何か一つ、型をやれ。見せろ」

「え? はい」


 それで少しだけ考え、思い出す。


 昔、イフロースに習った型。斬り上げ、斬り下げる。体の小さい俺が、自分より大きな相手と戦う場合の技。あのアネロスと戦った時のことを思い出す。

 イメージの中に、あの無二の剣士の姿が浮かび上がる。揺らめく剣先が、突然に繰り出される。それを撥ね上げ、滑り込むように短く手首を切り裂いた。


「もういい、わかった」


 キースは真剣な表情でそれを見届けた。


「合格」


 手にした木剣を放り出すと、彼は身を翻した。


「詳しい話を聞かせろ。手ぇ貸してやる」

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