彷徨える迷惑男
「はぁ……」
薄暗い廃墟の中のような街並みを、俺達は揃って進んでいる。多少は高級なはずの東の街区にしても、相変わらず目に見える景色はというと……頭上から垂れ下がる古びた布、薄っぺらい木の板でできた天井、それにひび割れだらけの日干し煉瓦の壁ばかりだ。
ガッシュの顔色も冴えない。そんなに付き合いたくない相手なのか。
「参考までに、聞いてもいいですか?」
「ん? ああ」
この件、素朴な疑問がある。
「その方も傭兵か冒険者なんですよね?」
「そりゃそうだろ」
「じゃ、迷宮に潜って……はいませんよね。でもじゃあ、何をして暮らしてるんですか?」
黒の鉄鎖に雇われるでもなし、ドミネールの仲間になるでもなし。では、どうやって生計をたててきたのか。まさかアナクの知り合いで、ずっとワームを狩ってました、なんてこともなさそうだし。
「その時その時で違う」
「はい?」
「初めて見た時には、鍛冶屋だった。しばらくしてもう一度会いに行ったら、今度は仕立て屋だった」
「はいぃ?」
なんて多芸な奴だ。
それはすごい。一流の戦士でありながら、鍛冶屋でもあり、仕立て屋でもあり……あれ? まるで俺じゃないか。
但し、自分の場合はズルをしている。もし、そういう変な異能がなくてそれだけのことができるとすれば、なるほど、誰だって家来にしたいと思うだろう。
「才能がある方なんですね」
「あ、いや、まぁ、あるっちゃぁあるな」
スッキリしない返事に首を傾げつつも、俺は歩き続けた。
「あそこだ」
彼が指差した先には、他と変わらない暗い穴みたいな入口があるだけだった。
「看板も何もないから、わからないわね」
「はて、いろんな臭いがしますが、これは……何か饐えた臭いがしますね……でしたら病院、でしょうか」
「いや」
俺は眉をひそめた。ビルムラールの推測が当たっていてくれればいいのだが、これはもっとひどいものだ。
「もしかして、飲食店?」
「また商売替えか……」
ガッシュは心底いやそうな顔をした。
「けど、食い物はいやだな」
「さっき食べたばっかりですもんね」
「そういう意味じゃねぇよ……けど、行くか?」
どうしてガッシュがそんなに嫌がるのかはわからないが、ここで足踏みしていても何も変わらない。
「ごめんくださぁい」
俺達は口を開けた暗い戸口の中へと踏み込んでいった。返事はなかった。
薄暗さに目が慣れた頃、室内の様子が見えてきた。
「ひえぇっ!?」
悲鳴をあげたのは、なんとなくついてきたコーザだった。
「こっ、これっ、血ッ、血ッ、血ッ……」
「確かに、赤黒い汚れがありますね」
床にこびりついていたのは、割と真新しい血の汚れだ。殺人事件でも起きたのだろうか。
店の中はというと、細長い芋虫みたいな間取りだった。横一列にカウンターが続き、そこに座席が横並びに置かれている。前世の寿司屋みたいだ。テーブルの上には木の板があり、そこにお品書きが書かれていた。誰にでも読めるよう、フォレス語とサハリア語の両方で。
『子羊のカルパッチョ ~それはトパーズのようなレモンとエメラルドのようなベビーリーフを添えたルビー~ お一人様金貨二十枚 オススメ
鴨のコンフィ ~野趣溢れる骨付き肉~ お一人様金貨十枚
白身魚のセビーチェ ~白の砂漠のような清々しさ~ お一人様金貨十枚
ふっくら白パン ~豊満な美女の乳房~ 金貨三枚
ワイン ~それは鮮血のような~ 金貨五枚
ドゥミェコンの天然水 ~ここでしか飲めない名物、ダンジョン産~ 金貨一枚』
俺達は、口をポカンと開けたまま、何も言えずにそれを見つめていた。
まず、物価が高いこの迷宮都市においてさえ、すべてが割高に過ぎた。水だけで金貨一枚って、どういうことだ。ここはボッタクリバーなのか。
あと、店内の雰囲気も最低最悪だ。床には明らかに血痕が残されているし、テーブルの上も、ろくに拭き掃除もされていない。灯りも点されていないので、薄暗いまま。もちろん、店員が立っていたりもしない。
これでどうやって商売してるのか。
「や、やっぱり帰りませんか、ね、ねぇ、これ」
ビビッてしまったコーザがそう言い出す。気持ちはわからないでもない。
だが、少しばかり遅かった。
店の奥から、黒い影がヌッと現れた。カウンターの向こう側から、音もなく摺り足で。
黒い影というのは、比喩ではない。頭からスッポリと黒い頭巾をかぶっている。顔も完全に隠している。体格からして、どう考えても男だ。それも平均よりは背も高い。
それがこちらをじっと窺っている。俺達が何も言えずにいると、お品書きをひっつかんでカウンターの上にバン! と叩きつけた。
「あ」
「あー」
「ああ、水で」
「水」
「水にします」
「水をお願い」
「水を」
黒い頭巾の男は、明らかに苛立っていた。顔は見えないが、さすがにそれくらいはわかる。他に注文はないのかとしばらく足踏みして、それからのっそりと奥へと引き返していった。
彼が去ってから、俺は小声で尋ねた。
「先に交渉はしないんですか」
「相手の商売に付き合わないで、いきなりその話をすると、ぶん殴られて叩き出されるだけだぞ」
「なんて乱暴な」
「そういう奴なんだ」
なんだか嫌な予感しかしない。というかもう、ガッシュの顔色も土気色になっている。ここが薄暗いせいだろうか。
「あれ?」
ノーラが奥のキッチンに振り向いた。俺も同時に。
なぜなら、そちらからジュッ、と肉が焼ける音が聞こえたからだ。
「まさか」
「ちゅ、注文なんかしてないですよ! 肉料理なんか!」
「そういう奴なんだ」
ビルムラールはそう主張したが、ガッシュはもう、諦めたように項垂れている。
用意しているのはカルパッチョだろう。しかしこれは、基本的には刺身のようなものだ。軽く焼き目は入れるが、あとは酢とレモンの殺菌作用に望みを託すしかない。でも、ここの衛生状態を見る限り、その辺に期待するのは難しそうだが。
焼き目を入れてから、普通は時間をおいて肉を休ませるものだが、どうやらここの店主にはそんな考えはないらしい。音しか聞こえないが、すぐさま肉を切り刻んでいる。そして……
奥からまた、ヌッと姿を現した。但し、右手には剣を持ったまま。
彼は頼まれもしないカルパッチョもどきを、遠慮なくガッシュの目の前に置いた。
沈黙が場を圧した。
店主は手にした剣で肩をポンポンと軽く叩いている。そら、どうだ、味見しろとでも言っているかのようだ。
だが、どうしてこんなモノに手を付けられようか。
「う……じゃ、じゃあ」
変に真面目なところがあるガッシュは、おずおずとフォークを取り上げようとした。
しかし、店主の剣を見るといい。何やら脂みたいなものがこびりついている。まさか包丁じゃなくて、その剣で肉を切ったのか。
「やめてください」
「えっ」
「ガッシュさん、食べなくていいです。いや、食べてはいけません」
見るからに問題がある。主に衛生面で。固そうな髪の毛が数本、ちりばめられているし。
肉はもう、古くなりかけている。異臭もする。それでこんな雑な調理では、下痢になってもおかしくない。いや、それどころではあるまい。この土地の暑苦しさからしても、食中毒の危険が大きい。
俺は深い溜息をついてから、言った。
「クビです」
「あぁん?」
初めて店主が声を漏らした。
「料理人失格です。店仕舞いしてください」
「んだとぉオラ」
「お、おい」
相手の機嫌を損ねまいと、ガッシュは手を伸ばす。
だが、俺は容赦なく言った。
「向いてないんですよ、キースさん」
「キース? こいつはそんな名前じゃ」
ガッシュは顔を顰めた。
数秒間、彼は硬直していた。他の客……ガッシュの同行者だけだが……もそうだった。
ややあって、彼は左手で頭巾に手をかけ、顔をさらけ出した。
「あー、あっち」
「暑いなら、かぶらなきゃいいじゃないですか」
「顔がバレんだろが……ってかなんでてめぇ、わかったんだよ」
俺は肩をすくめた。心底呆れ果てながら。
「霊剣タルヒを肉切り包丁にする人が、他のどこにいるっていうんですか」
なんとあの『戦鬼』キース・マイアスが、この辺境の街で三流料理人になっていた。
いったい何があったのか。
十分後、彼は黒い上着を放り出し、身軽な恰好で外に出て、路上に寝ころんでいた。
「だーっ、ちっきしょー……」
俺達も、薄暗い建物の中から出て、路上の壁際に、思い思いにしゃがみこんでいた。
「なんでだ、何やってもうまくいかねぇ」
「何やっても、って、今まで何やってたんですか」
「あん?」
「キースさんが……ノーミナル男爵? タンディラール王がくれた爵位を放り出してくれたおかげで、僕は大変な思いをしたんですからね」
もしキースが王国に就職していてくれていれば、ゴーファトの討伐も彼がやっていただろう。ただ、あれだけパッシャの幹部が出揃っていたとなると、さしものキースでも、勝てるとは限らなかったが。
「知るかよ」
「まぁ、その件はいいです。それより、どうしてこんなところに?」
「あーっ、ま、余計なしがらみを放り出したくてな」
タンディラール王が爵位の印綬を差し出した時、キースの中の不快感は限度に達していた。
凄腕の傭兵になれば、王侯貴族からも目をかけられる。評価してもらえる。言ってみれば、彼は紛争地帯で育った同類達の考える人生スゴロクのアガリに辿り着いたわけだ。だが、それが気に食わなかった。
命懸けで戦って「評価していただく」? 最初から恵まれた連中にお恵みいただくために? 大勢の人を殺して?
だが、彼は苦しんでいた。クレーヴェに縋りついて泣くウィーの姿を目にして、自分の中の欠損を再確認させられたばかりだったのだ。それに、結局は見下され続ける。自分が何のために雇われるのか。所詮はただの殺し屋に過ぎない。
「傭兵稼業なんかにゃ、戻りたくはねぇからな」
とりあえず、彼は故郷に戻った。
そこで、深く考えずにレストランを開業した。
「なんでまた」
「そりゃあお前、マイアの街っつったら美食だろ。ま、何百年も前の話だけどな」
「マイア? キャデレ城のある」
「あー、言ってなかったか。ってか気付けよ。マイアスだろが、俺の家名は」
統一時代のはじめ、ギシアン・チーレムの部将の一人、ウーン・マイアが与えられた領地、それがマイアの街とその周辺の丘陵地帯だった。そのマイア家に仕える人の姓だから、マイアス。その子孫ということだ。
そして、若い頃のイフロースが酒の勢いで攻め落としたのも、この街の城だった。物心ついたばかりのキースが見上げたのは、貴族の城郭を乗っ取った傭兵将軍の姿だったのだ。
「でも、うまくいかなかったと」
「あん? んなこたぁなかったぜ?」
「えっ」
この味、この腕で? まさか。
「大繁盛だ。お偉いさんが毎日来たぜ。どんな値段でも当たり前みてぇに払っていきやがる」
「腕のいい料理人でも雇って、仕事を任せたんですか?」
「いーや。俺の手作りだ。ただ、みんな最初の一口しか食わねぇんだけどな」
だと思った。
「そりゃー、俺だってわかる。みんな目当てにしてんのは、俺の剣の腕だ」
「はい」
「ムカついたからよ……どうせまた傭兵になんだろうがって思ってやがるもんだから……全部放り出して、シャハーマイトに出たんだ」
しかし、やはりどんな仕事をしてもダメだった。
キースにも常識ならある。ちゃんとした技能を身に着けるには、それなりの職人の下について、修行するべきだ。粗暴な性質ではあったが、辛抱強さがないのではない。謙虚さがないのでもない。実は地頭もいい。でなければ、剣士としてここまで大成はしなかった。彼なりに先輩には頭を下げ、教えを乞うつもりだったのだ。
だが、邪魔になったのが彼の名声だった。彼は英雄だった。イフロース以来の、大成功した傭兵だった。しかも、貴族の地位を与えられながら、それを足蹴にした。注目されないはずがない。
「どこに弟子入りしても、みーんな追い出されちまう。どっかでバカが首突っ込むからよ」
彼を雇いたいと考えた貴族やその手下がウヨウヨ纏わりつく。下手をすると、親方に対しても買収工作やら嫌がらせやらをされる。
だが、決定的だったのは、元同業者達の割り込みだった。
「日和った俺ならブッ殺せるって思ったんだろうな。仕事中に踏み込んできやがってよ……工房を焼き討ちして、俺を殺そうとしやがった。それだけならまぁ、好きにすりゃいいが、関係ねぇ他の職人にまで剣を向けやがって、クソが」
顔も名前も知れ渡ったマルカーズ連合国では、戦士としての人生しか選べない。
とりあえず、くだらない真似をしでかしたクズどもを皆殺しにすると、彼はまた旅立った。
「名前だけでもごまかさねぇとまずくってよ、だからカース・イナージャっつー偽名を名乗ったんだが」
「俺もそう聞いてたんだが、うちのボスは知ってたってことか」
キースが人目を避けたがっていることをキジルモク氏族の上役は知っていた。だから素性をガッシュら勧誘担当には知らせず、送り込んでいた。
ワディラム王国を横断しながら、彼はあちこちで騒ぎを起こしつつ、ついにこの迷宮都市に流れ着いた。
それでよく店舗と仕事を確保できたものだと思うが、「話し合い」をしたら、あっさり譲ってもらえたのだそうだ。
「で、でも、あの、キース……さんでいいのか?」
戸惑いながらガッシュが尋ねる。
「おう」
「相当な金持ちなんじゃないのか。今までの仕事で貯めた金、それで足りなきゃ、どこかで用心棒になったっていいし、別に仕事なんかしなくたって」
「ああっ!? んだとぉっ!」
「ガッシュさん!」
俺は慌てて割って入った。
ガッシュはキースのことをよく知らない。だから、金も名声も手に入れたのなら、あとは自分の欲望を満たすために生きていいんじゃないかと、そう言ったのだ。それは常識的な判断だが、キースには受け入れがたいものだ。
イフロースがそうだったように……栄光、地位、名誉、財産、美女、美酒……そんなものには、とっくに飽き飽きしているのだから。彼が欲しているのは、あくまで生きる意味だった。
「……ふう」
少しは丸くなったのかもしれない。
一瞬、怒りに着火した彼だったが、俺が止めると、すぐに息をついた。
「ま、とにかくそういうわけだ。俺ぁ二度と傭兵なんざ、やりたかねぇ。雇い主にゃあ、そう伝えてくれ」
「あ、はぁ」
「さーて、とっ」
勢いよく身を起こして立つと、彼は針金のように固い髪の毛をバリバリと引っ掻いた。
「素性がバレちまったんじゃ、ここにもいられねぇな。次はどこ行ったもんか」
「キースさん」
彼はそれでよくても、俺はよくない。
「それはそれとしまして、僕からお話があるんですが」
「おう、なんだ」
「バ、バカ、おいファルス」
何をしようとしているかを察して、ガッシュが俺の肩を揺さぶった。
だが、やめるつもりはない。
「仲間があと一人足りないんです。手伝っていただけませんか?」
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