リザードマンの事情

「納得しました。ありがとうございます、アルマスニン長老」


 俺はクッションから立ち上がり、そう言いながら深々と頭を下げた。

 アナクが何か通訳しているが、仕草でこちらの気持ちを汲み取ったのだろう。相変わらず背中を丸めたまま、長老は小さく頷いた。


 なお、本当はまだ、納得なんかしていない。

 アナクの件はそれでいいとして、こちらとしては他にもまだ、知りたいことが山ほどある。

 差し迫った問題もある。近々実施される、迷宮への攻撃計画については、どう決着をつければいいのか。その辺も、話し合いができるうちにしておきたいのだが……


 とにかく、俺個人は友好的でありたいと、そういう姿勢を示す。


「僕らはあなた方に剣を向けません」


 すると長老は、アナクの翻訳を待たず、白い顎の下を見せて仰け反りながら笑った。ただ、声はなく、シュウシュウと息を漏らすばかりではあったが。

 少しの間、アナクとやり取りすると、彼女が代わりに尋ねた。


「信用できない、そうだ」

「と言われましても……証拠を差し出せるようなものでも」


 信用できない割には、大笑いしているように見えるのだが。どういう精神状態なんだろう?

 とにかく、問われているのは過去ではなく、未来だ。もちろん、友好的な相手を一方的に殺すなど、俺はしないし、したくない。損得勘定でも、彼らと敵対したいとは思えない。しかし、そういう考えであると証明するなど、できようものか。気持ちは変わるものなのに。


「最初に疑問に答えたのだから、今度はそちらが素性を明らかにするべきだ」

「ごもっともです」

「長老は、お前達が迷宮に挑む理由を述べよとおっしゃっている。何のためだ」


 なるほど。それなら道理が通る。その場の気分は変わりやすくても、目的はなかなか変わらないし、急には考えつかないからだ。

 カネのためであれば、リザードマンを殺す理由がある。名誉を得るためでもそうだ。ワノノマの魔物討伐隊みたいに、魔物を殺すこと自体が目的という連中もいる。だから、そういう狙いで迷宮に潜っている人であれば、ここで答えに詰まる。


「目的は、全員違います」


 俺ははっきり長老を見据えて言った。彼は笑ってはいるが、油断しきっているのでもない。俺達の本質を見抜こうとしているのだ。慌てる素振りはよくない。こちらにやましいところなどないと、はっきり示すべきだ。


「ビルムラールさんから、おっしゃってください」

「はい」


 一瞬、いきなり話を振られて目が泳いだが、そこはそれ、すぐに考えを纏めたのだろう。落ち着いた口調で彼は説明した。


「私はシュライ人の学者で、医師です。もともとはバジリスクの石化魔術を見たくて来ました。ですが路銀も尽きてしまい、女神挺身隊の召集命令もあって街から出ることもできず、情けないながらも今はこちらのファルスさんのお世話になっている始末です。だから迷宮にいるのは成り行きで、暮らしていくのに困らず、学びになるものがあれば、それで満足です」


 耳元で囁くアナクに頷くと、今度はノーラに視線が向けられた。察した彼女は、澱みなく答えた。


「私が迷宮に潜る目的は、特にありません。ここにいる理由は、ファルスをピュリスに連れ帰るためです」


 するとアルマスニンは首を傾げ、俺に顎で指図した。では、お前がここにいる理由はなんなのだ、と。


「迷宮の最下層を目指しています」

「何のためだ」


 さすがに本当のことは言えない。ここにはノーラもいるのだ。石になって永遠に眠りたいなんて……


「迷宮の主を討伐したい。それが無理でも、せめて一度、直接見てみたい。できれば挑みたい。千年以上、誰にも討伐されなかった化け物がどんなものか、あのギシアン・チーレムですら放置した魔物がどれほどのものか、知りたい。そういう思いからです。でも、あなた方にとっては邪魔ですか?」


 恐らくだが、この目的は、彼ら迷宮の住人にとっては迷惑この上ないものだ。

 迷宮を機能させているものは、その核となる魔石であると言われている。これを破壊すれば、その機能は失われるという。具体的には、魔物が生きていくのに役立つさまざまな資源が供給されなくなる。そのための魔力が遮断されるからだ。

 その核を守るのが、一般には迷宮の主とされる。中には、核を体内に取り込んでいたりもする。だからしばしば、迷宮の攻略は、その主を討伐するという形になるらしい。人形の迷宮の場合は、バジリスクの王がそれに該当するはずだ。これを殺した場合、リザードマン達が利用しているこの区画……貯水池やキノコ畑も、機能を失うかもしれない。

 なお、どこもかしこも「恐らく」「言われている」「らしい」ばかりだが、迷宮が踏破され、滅ぼされるなんてそうそうあることではない。だからどれも伝聞ばかりで確実性のない情報だ。例外だってあるだろう。帝都の迷宮の場合は、核が剥き出しになっていて、守護者に取り込まれていないらしいし。


 アルマスニンは、俺の発言を通訳してもらうと、考え込むようにして腕を組んだ。


 では、仮にもし、この目的が拒絶されたらどうするか。

 諦めます、と言う。少なくとも、この場では。だいたい、この状況で戦闘になったらどうなる? ノーラも巻き込まれる。彼女が死ぬのも怖いが、今のノーラは大量破壊兵器だ。まかり間違って『腐蝕』を連発しまくったら、俺までお陀仏だ。


 どちらにせよ、俺はバジリスクの王を倒したいなんて思ってない。

 最悪の場合、リザードマンの監視の下で、バジリスクの王を見物に行きたいと申し出る。それから「事故死」すればいい。これなら彼らに迷惑はかからない。


「その目的は、我々としては妨げる必要のないものだ、とおっしゃっている」

「やっぱりそう……え? ええっ」


 拒絶されるものだとばかり思っていたのだが、長老はあっさりと許可を出した。


「い、いや、聞いてました? 誤訳じゃないのか、アナク。僕は迷宮の主を倒して、核を破壊すると言っているんだぞ?」

「だから、それは構わないと言っている」

「わかっているのか。そんなことをしたら、この迷宮もダメになるかもしれない。このすぐ上にある貯水池にも、きれいな水が流れ込んでこなくなるかもしれないんだぞ」


 アナクに耳打ちされた長老は、今度は大きく頷いた。そして身を乗り出すと、自分の右腕を見せつけてきた。色落ちした鱗だらけの指先で、その腕の表面をなぞる。

 アルマスニンの皮膚……鱗は、見るからに傷ついていた。加齢のせいか、あちこち剥がれて、何か白い産毛のようなものが噴き出ていたりもする。これがおよそ健康的な状態とも思えない。


「肌の状態は見たな」

「見た。ボロボロだが、それがどうかしたのか」

「砂漠のリザードマンは、暑さにも寒さにも負けない。水も僅かで足りる。だが、ここの湿気は耐えがたい。若いうちはいいが、年を重ねるほどに耐えられなくなっていく」


 沼地種とは、見た目はそっくりでも、適応できる環境は大きく異なる、と。

 では、彼らにとっては迷宮の中は暮らしにくい場所だと? 砂漠の中にいたほうがいい?


「じゃあ、どうしてこんな場所で暮らしている? 出ていけばいいじゃないか。そうすれば人間どもと殺しあわずに済むのに」

「一つには、使命があったから、らしい」

「それはどんな」


 アナクは、やや自信なさげに答えた。


「迷宮の主を討つこと、だったとか」

「ハァ?」


 変な声が出てしまった。

 じゃあ、なにか? この迷宮を攻め滅ぼそうとしている人間側と、実は目的が同じ? バカな人間どもは、味方を背中から刺しているのか?


「大昔の話だが……」


 一千年以上も前のこと。彼ら砂漠種のリザードマンの祖先が、海峡を渡ってサハリアに上陸した。目指すは西。行く手を遮る敵は討ち果たす覚悟だったという。その攻撃目標がここ、人形の迷宮だった。

 しかし、当時の彼らはまだ、砂漠に適応した肉体を持たなかった。水場を必要とした彼らは、今でいうところの赤竜の谷に居を構えた。その時代、谷はオアシスだったらしい。彼らはそこに根を下ろそうと決め、自分達の『魂の木』なるものを植えたという。


「魂の木? それって、もしかして」

「私も詳しいことは知らない」

「やっぱりもともと、ルーの種族だったんだな。それは『霊樹』だ。魂を繋ぐための」

「お前は何を言っているんだ」

「長老、長老はご存じないのですか。あなたがたリザードマンは、何を得て、何を失ったのですか」


 だが、辻褄は合う。

 モーン・ナーとイーヴォ・ルーは敵対していた。そしてここ、人形の迷宮がモーン・ナーの拠点だとするなら、赤竜の谷にイーヴォ・ルーが前線を構築するのも当然のこと。サハリアのど真ん中で、両者が睨みあっていたのだ。

 しかし、今の砂漠種のリザードマンは、どう見てもルーの種族ではない。かといって、モーン・ナーに降った、あの魔宮の連中とも違うようだ。


「ご存じないとおっしゃっている」

「えっ」

「少なくとも、お前の言うルーの種族だとか、霊樹という言葉は知らないと」

「えっと、噛み砕いて言うと、だから……イーヴォ・ルーはご存じですか。あの魔王とされている神が創造した種族ってことですよ」


 すると、アルマスニンはまた、腕を組んで考え込んでしまった。

 ややあって、シュウシュウと息を漏らした。いや、そうしてアナクに説明を任せた。


「あまり古い時代のことは、それほどしっかりとは伝わっていない」


 彼らが知っているのは、ごく断片的なことだけだった。

 曰く、彼らは東からやってきた。

 曰く、彼らは谷間のオアシスに住み着き、西の迷宮と戦った。

 曰く、彼らは最後の種族だった。


「最後の種族というのは?」

「他の七つの枝は、命あるものと黒き手が交わって生まれた。けれども我々の祖先は、横たわる龍神から拾い出された、と」

「横たわる龍神だって?」


 それは誰のことだろう? 横たわるとは、どういう意味だ? まさか死んだとか? とすれば、真っ先に思い浮かぶのはギウナだが、あれは多分、違う。ギウナはムーアン大沼沢でモーン・ナーと戦った際に滅んだはずだ。イーヴォ・ルーとは関係がない。


「それゆえに、我々は誰より逞しく、また何よりも脆い」

「強いのはわかりますが、脆いというのは」


 アルマスニンが短く答える。それをアナクがやはり端的に伝えた。


「罪ある魂が死せる者より生を得た種族ゆえに、死に近いと言い伝えられている」


 これでは伝わらないと察して、長老は、自分の喉を指差した。頷いたアナクが代わって説明する。


「リザードマンは、生まれてから死ぬまで、ずっと加齢が進む。人間もそうかもしれないが、それとは少し違うんだ。つまり、なんというか……例えば喉だ。私達人間は、生まれてから死ぬまで、ずっと同じ仕組みで声を出し、話し、泣くだろう? もちろん、若い頃と年老いてからでは声色も違ってはくるが、その違いは小さい」

「ああ」

「リザードマンは違う。生まれてから若い時期までは人間のように声を出すこともできる。だが、大人になると喉や顎の形が代わって、まず発音が十分にできなくなる。それから更に年を取ると、長老のように声を出すこと自体が難しくなってくる」


 それは大変だ。一生の間、ずっと生理的変化が続くのか。


「さっき、長老の名前をアルマスニンだと伝えたが、これも、まともに発音できる若年期の名前だ。歳をとったら、同じ意味になる別の表現を使うしかなくなる」

「それがさっきのシュウシュウいってる、あれか」

「年老いたリザードマンは声を出す手段が限られる。だから吐く息だけでなく、吸うのも含めて一つの表現にすることがある。そういうのも全部含めて、彼らの言葉だ」


 ルー語やアブ・クラン語に似た特徴だ。身体的な制約が種族ごとに異なるために、共通して理解される表現が必要になる。彼らの場合は世代が違うだけで発声能力に差異が出てくるので、一種族で多種族向けの表現を要するわけだ。

 アルマスニン自身は、その名前をろくに唱えることもできない。但し、呼気と吸気を組み合わせた記号によって、その意味を表現できる。それを若年のリザードマンは、慣れによって理解する。


「痛みにも生まれつき強い。しかし、逆に喜びも薄い。何かを食べても、味わう楽しみ、満腹する喜びは小さいし、移ろいやすい。何もかもに鈍感で、そもそも喜びが少ない種族だ」

「それはつらいな」

「特に、谷が滅ぼされ、魂の木が失われたとき、祖先は一切の喜びを失った、と聞いている」


 では、ルーの種族としての彼らが差し出したものとは。

 一つの体に二つの魂が宿るのが彼らに共通する特性だ。そして、その歪さを埋め合わせるため、霊樹が機能の一部を肩代わりする。例えばペルィ……今でいうところのゴブリンは理性を司る部分を、スヴカブララール……水の民は生殖能力の一部を、それぞれ霊樹に依存している。

 であれば、リザードマンが犠牲にした機能とは、感情であり、感覚だったのかもしれない。まさしく霊樹なしでは、喜びも楽しみもない。そうなれば一切の意欲も消え失せる。死んだも同然だ。


 では、俺が昔戦った、あのクパンバーナーはどうだったろう。霊樹との繋がりは失われていたはずだから、彼もまた、感動の少ない人生を送っていたのではなかろうか。戦いの最中には怒りのような表情を見せることもあったが、その感情の振れ幅は、案外小さかったのかもしれない。いや、もしかすると……


「いっそ、痛みすら喜び、ということはないのか」


 何も感じられないのは、本当に苦しい。刺激がないくらいなら、痛いほうがましだと思うことさえある。

 もう遠い記憶だが、俺がこの世界に生まれ変わる前、あの死後の世界にいたときのことを、少しだけ思い出した。


「よくわかったな。リザードマンが冷静で、かつ恐れを知らない戦士であるのには、そういう理由もある」


 リザードマンの祖先達は、強く勇ましかった。そんな彼らがイーヴォ・ルーの尖兵としての役割を果たすのも当然だったのかもしれない。

 迷宮に対する戦いは有利に展開し、当時の迷宮の中層、つまり今、俺達がいる階層くらいまでは、彼らが常時占拠する状況にまで至っていた。

 しかし、谷間のオアシスが破壊され、魂の木を失った祖先達は、途端に苦しみの中に放り出された。何を食べても味がしない。眠っても休んだ気がしない。何の感動もない。もともと希薄だった感情が、どんどん失われていく。そして、援軍はついにやってこなかった。見捨てられたのか、それとも救援する余裕がなかったのか、それはわからない。

 その時、ある神が現れた。


「私に跪き、祈るならば、今を生きる術を与えよう、と」

「その神の名は?」

「忘れられた」


 別に祖先達の物覚えが悪かったためではない。彼ら自身は神の名を聞き、それを受け入れた。竜がリザードマン達の新たな味方について、迷宮の攻略はますます進んだ。けれども、ある時点で二つの事件が起き、それゆえに下層の攻略は頓挫した。

 一つは、深いところから新手の強力な魔物が出現したことだ。それは今では、バジリスクと呼ばれている種類のもので、これにはリザードマン達も、竜も、相当に手を焼いた。

 もう一つは、神の声が聞こえなくなったことだ。ある日を境に、その神は「一時停止」を命じた。


「神の名を唱えてはならぬ。神の名を思い出してはならぬ。使命は遠い未来に取り置かれた。その日が訪れるまで、この地に留まれ」


 それまで彼らは竜と共闘していたが、それもおしまいになった。もはや荒野と化した赤竜の谷に飛び去ってしまい、戻ってくることはなかったとも言われている。

 窟竜は、その時期か、それ以前からいたらしいが、やはり起源は味方の竜達だという。しかし、もはやかつてのように、ともに戦うことはない。今では基本的に、リザードマンとは敵対している。


「では、かつての使命はこの迷宮を攻め落とすこと。今の使命は、新たな使命が下されるのをここで待つこと。そういうことか?」

「そうなる。ただ……」


 新たな神とやらの啓示は、少なくともここ数百年もの間、下されていない。

 判然としないが、最後に命令が下ったのもかなり昔のことで、いつの時代ともはっきりわからない。長老からしてかなりの高齢者だが、彼が子供だった頃にも、神の声を聴いた老人など、周囲にはいなかった。


「ひどすぎませんか? それ。最初に迷宮攻めろって言われて攻めて。その途中で背後を取られて困ってても助けてもらえなくて。仕方なく他の神様に助けてもらったはいいものの、途中で、やっぱり命令は中断で、とにかく待て……それが何百年もですか?」


 何かにつけ、放り出された感じがある。

 ここ人形の迷宮は世界のゴミ箱だが、彼らリザードマンこそ、ゴミ箱に投げ捨てられた存在だった。


「名前も教えてくれない神様なんて、放り出してどこかへ行けばいいじゃないですか」

「ファルス、あまり無遠慮にものを言うな」


 気色ばんだアナクだったが、背中を軽く叩かれ、やむなく俺の言葉を改めて翻訳する。すると長老は、また仰け反って笑った。


「我々の中にも、そう考える者はいる。食料に不自由しないだけのこの居心地の悪い場所を出て、砂漠を旅する仲間達が。だが、どういうわけか、誰しも心の中に何かがあって、齢を重ねるとここに戻らなくてはいけない気になる」


 やはり故郷だからだろうか。

 それとも、彼らの中にある、怪しげなアビリティ……『破壊神の照臨』の作用だろうか。彼らの言う「新たな神」とは何者なのか。


「本当は、それでも若者には遠くを旅して欲しいと。だが、望んだところで何ができる。砂漠の中を歩き回るだけならいいが、その外側は人間の世界。見つかり次第、殺されてしまう。どうにもならない」

「なのにあなた方は……アナクを殺さなかった」


 彼らをただの魔物とみなして殺すだけの人間達に比べて、なんと高貴な……しかし、敬意のこもった視線に、長老は首を横に振ってみせた。


「たまたまそうなっただけだ。それに、必要なら殺す」


 そしてついに、間近に迫った現実の問題を論じる時がやってきた。

 長老は、身を起こしてアナクに告げ、それを彼女は俺達に伝えた。


「間もなく大勢の人間が、下を目指して攻め込んでくる。我々に剣を向ける以上、容赦はできない」


 言い分そのものは至極まっとうで、異論を挟む余地もない。


「僕としても、無意味な戦いはしたくないですが」

「あなた方が人間達を説得するなど、不可能だろうとおっしゃっている」


 長老は顔色一つ変えずに、現実的な意見を述べた。


「我々の側もそこまで単純ではない、とも」

「と言いますと」

「現在、中層を占める我々の種族には、大きく三つの集団がある」


 一つは、アルマスニンの属する群れだ。迷宮の中に留まりながらも、一部は地上に出て砂漠を旅する。ワームを狩り、キノコを育て、敵対すれば人間も殺し、ただ暮らすだけの集団だ。

 迷宮の裏口、近くにある小さなオアシスを占拠しているのが、もう一つ。この集団は、恐らく最も「新たな神」の命令に対して不真面目な連中かもしれない。彼らにとって、酷暑と極寒はさして苦になるものでもなく、日中を快適な屋外で過ごす。危険を冒してゴミ拾いに勤しむのも、主としてこの群れだ。

 そして、三つの中で最も攻撃的で、最も深いところに拠点を構えるのが、祭司王を自称するレヴィトゥア率いる集団だ。


「本当かどうかはわからないが、レヴィトゥアは神託を受けたと言い出した」


 そして、特別な力を授かったとも主張し、神の意に沿うべく活動し始めた。具体的には、他の二つの集団には服従を要求し、人間に対する積極攻勢に出るべきとしている。

 アルマスニンにしても、もう一つの群れにせよ、別に特に人間を好んでいるわけではない。殺してはいけないとさえ思っていない。しかし、自分からわざわざ戦いを挑むべきとは考えていない。ただ、レヴィトゥアが人間を殺したいというのなら、それも勝手にすればいい。しかし、支配を受け入れよ、命令に従って人間と戦えと言われれば、また話が違ってくる。

 だから、リザードマン同士でも、小競り合いが起きている。


「これより下層の、レヴィトゥアの支配する区画には、神殿や宮殿のような場所もある。人間世界の工房のような部屋もあるらしい。レヴィトゥア自身、立派な金色の槍を手にしている」


 三つの集団の中で、最も深い位置に陣取っているだけに、人間との接点は少ない。だからといって武装が充実していないかといえば、そうではない、ということだ。


「レヴィトゥアは人間と見れば、迷わず殺すだろう。そうなったら、人間は我々を見てどうすると思うか? ……とおっしゃっている」

「なるほど」


 人間側には、特に敵対的でもないアルマスニンの仲間と、人間嫌いのレヴィトゥアの区別がつかない。どちらも攻撃するだろう。

 といって、これから俺やアナクが地上に戻って「彼らは安全なトカゲです! 仲良くしましょう!」と叫んだところで、街中の人に変な顔をされるだけだ。


「でも、こちらとしては、これだけ聞いた以上、少なくともあなた方とは戦いたくはありませんが」


 俺の言葉を受けて、アナクとアルマスニンはしばらく話し合っていた。

 それから、眉をへの字にして、アナクが言った。


「……私の仕事を増やしやがって」

「なに?」

「人間側の侵攻の日はわかっている。その日は、ここの集落のリザードマンは出歩かない。私はここから二つ上の階層で待つ。長老は、アナクと同行している人間だけは襲わない、とするおつもりだ」


 それは俺にとっては好都合だ。あと二人、なんとか仲間を見つけて、地下六階まで降り、そこでアナクを見つける。あとはずっと同行すれば、少なくともアルマスニンの仲間から襲われることはなくなる。


「これで一安心ね」

「そうでしょうか」


 話し合いが平和な方向に向かっていることに安堵しつつも、ビルムラールは腕を組んで下を向いていた。


「長老、人間がこの迷宮に攻め込むとのことですが、そのほとんどは、まともに戦う力もない、ただの青少年です。なんとか見逃していただくことはできないでしょうか」


 ビルムラールのこの提案に、アナクは実にいやそうな顔をした。それでも一応、長老に伝えた。

 返答は厳しいものだった。


「経緯はどうあれ、武器を向けておいて許されようというのは、図々しいのではないか」

「おっしゃる通りですが……彼らもやりたくてやっているわけでは」

「何を今更。女神挺身隊への参加は自由意志だと聞いている。迷宮で戦いたくなければ、帝都の市民権を放棄すればいい。それをせずに、我が身かわいさでここに攻め込んでくるのだろう。情けをかけてもらえる道理があるか」


 長老のいうことは正しい。

 しかし、どうだろう。もしかしたら、双方が得をする結論が他にあるのではないか?


 だいたい、誰もが熟練の魔法戦士であるリザードマンと、ろくに喧嘩すらしたことのないモヤシ青年と。正面から戦ったら、十秒もかからず決着がつく。こんなバカバカしい勝負が……

 あっ。


「長老」


 俺はほくそ笑んだ。

 どうやら、ちょっとした解決策が見つかりそうだ。


「それでしたら、もっといいやり方があると思うのですが……」

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