迷宮の申し子

 およそ人のものとはかけ離れた足音が間近に聞こえる。ペタペタと間の抜けた響きだが、しかし否が応でも俺達の心を不安に駆り立てていく。

 十二匹……いや、十二人からなるリザードマンの集団に、前後左右を囲まれた格好で、俺達はどんどん下の階層へと向かっていた。誰も何も言い出さない。


「足下に気をつけろ」


 沈黙続く中、アナクがやっと声を出した。

 しかし、あからさまに元気がなかった。がっくりと首をうなだれ、目にもいつものあの力強い輝きはなかった。

 無理もない。これまで秘密にしてきたことを、あっさり暴かれてしまった。どんな関係なのかはまだわからないが、今まで協力的だったリザードマン達にも迷惑がかかるのは間違いない。


「おわっと」

「気をつけろ。ここはあえて修復されてない。この下、地下七階から、本当の迷宮だ」


 いまやアナクだけでなく、三人のリザードマンも灯りを点してくれていた。だが、この辺りから通路の損壊が激しくなってくる。一応ここは下り階段なのだが、ほぼ崩れた瓦礫のようになってしまっている。通い慣れたリザードマン達にとってはなんでもないようだが、俺達は一歩ずつ、足下を確認しながらでなければ進めない。

 最後に大きく飛び降りて、足の裏にこれまでと違った感触をおぼえた。石の床? それに、空気がやけに湿り気を帯びている。


「ここからが、お前達の言う、魔物の領域だ。もっとも、一括りにして欲しくはないが」


 ここまでくると左右の壁の形も不規則だ。一本道で、通路の向こう側に進むにつれて、だんだんと道幅も狭くなっていく。まるで谷間を抜けるかのようだ。

 そこを通り抜けた。


「お、おぉ」


 すぐ後ろでビルムラールが感嘆の声をあげた。彼は目を見開いていた。


「こんなものが見られるとは! あああ、ついてきてよかったです!」


 彼にとっては感動的なのだろう。俺にとってもそうだと言いたいところだが、実はこういうものを見るのも、二度目だ。さすがに感動も薄れる。

 眼前に広がっていたのは、四角い貯水池がいくつも連なる広間だった。ちょうど魔宮モーにあったのとそっくりだ。大人がすれ違える程度の幅の通路が十字に交差しており、その間は水で満たされている。ただ、あそこと違うのは、青白い光を発する照明が、高い天井から吊るされていることだ。

 壁は灰色で、何の模様も装飾もなかった。正方形の貯水池がいくつも続いているが、かなりの広さであるとはいえ、さすがに視界の向こうには壁があった。そのあちこちに、暗い通路への入口が見えた。


「これだけの水があれば、なるほど、ここを離れられないわけだ」


 リザードマンがここに住み着くのも理解できる。外は灼熱、しかしここは、少々じめじめするものの、快適そのものだ。

 だが、アナクは首を振った。


「違う」

「違う?」

「彼らがここにいるのは……いや、いい。もうすぐ聞ける話だ」


 俺達は一列になって、貯水池の間の道をまっすぐ渡った。こちらに降りてきたのとは反対側に、大きな通路への入口がある。そこに立ち入ると、また薄暗くなった。

 傷一つない灰色の階段をしばらく降りると、今度はもう少し天井の低い空間に出た。地下八階だ。空気の流れもあまりない。左右には壁が立ち並ぶが、時折、そこに切れ目がある。内側はちょっとした部屋になっているようだ。


「あれは?」


 うっすら青白く光るものが見えて、俺は足を止めかけた。


「止まるな。キノコだ」

「キノコ? 食べるのか」

「この迷宮の中でなら、あとは水さえあれば育つ。いつもワームの肉があるわけじゃないからな」


 つまりここは、リザードマン達の屋内農場でもあるらしい。


「人間なのね」


 ポツリとノーラが呟いた。


「本当に」


 魔物とされていた種族の理性と知性を確認して、俺の以前の説明を思い出したのだろう。

 アナクは、ノーラの嫌味も何もない、正直な感想にポカンとしていたが、すぐ我に返った。


「そうだ。人と何も変わらない」


 心なしか、その口元はかすかに微笑んでいるようだった。


 ある部屋の前で、俺達は立ち止まった。

 一列に並んだ俺達の前に、一人のリザードマンが立つ。そして手を伸ばしてきた。


「武器だ。武器を手放せ」

「返してもらえるんだろうな」

「お前達の態度次第だ」


 口ではそう言うが、いきなり殺し合いになったりはしないだろう。話し合いをするつもりがあるから、わざわざこんな場所まで連れてきたのだ。

 俺は腰帯から鞘ごと外して、剣を手渡した。本当は片時も離れたくなかったのだが。


「よし、ついてこい」


 入口近くに丸い座布団のような敷物が三つ。その反対側にも、もう一つ。但し、そちらには先客がいた。

 背中を丸めたリザードマンだった。手には黒い金属製の杖を持っている。背筋がまっすぐでなく、横に丸めた尻尾の上に凭れるようにして座っていた。見れば鱗に色艶もなく、ところどころ剥がれているところもある。

 アナクが、何か、歯と歯の間から息を吸ったり吐いたりするような仕草をした。これに対して、その年老いたリザードマンの側も、同じようにした。

 もしかして、今のがメルサック語か?


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 アルマスニン (85)


・マテリアル デミヒューマン・フォーム

 (ランク3、男性、85歳)

・マテリアル 神通力・高速治癒

 (ランク2)

・アビリティ 破壊神の照臨

・アビリティ 熱源感覚

 (ランク4)

・アビリティ マナ・コア・火の魔力

 (ランク4)

・スキル メルサック語  5レベル

・スキル ルー語     5レベル

・スキル アブ・クラン語 5レベル

・スキル サハリア語   3レベル

・スキル フォレス語   1レベル

・スキル 指揮      5レベル

・スキル 管理      3レベル

・スキル 槍術      5レベル

・スキル 火魔術     6レベル


 空き(72)

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「今、なんと」

「お詫び申し上げただけだ」


 アナクが、これまでに聞いたことのないほど丁寧な言葉で説明した。お詫び申し上げた? 謝ったではなく? それを当人があまり得意としていないフォレス語で言ったのだ。

 これだけでも、彼女の立場が分かろうものだ。少なくとも、リザードマン達とは相当に深い絆があるものと見て取れる。


「ア……ァア……シュ、シュゥ」


 かすれる声を絞り出そうと、目の前の年老いたリザードマンは喉をヒュウヒュウ鳴らした。


「長老」


 それを慌ててアナクが押しとどめる。


「通訳します。ご無理をなさらないよう」


 それで彼も、口を閉じて静かになった。向き直ったアナクが説明する。


「リザードマンの喉では、人のようには話せない。年老いれば尚更だ。だが、長老は人間の言葉もご存じだ。失礼のないよう……はっ?」


 トカゲの顔ながら、彼は今、明らかに笑ったようにみえた。

 シュウシュウと息を吐いたようにしか聞こえなかったが、それが彼らの中では意味のある言葉らしい。アナクは自分の言葉を控えて、耳を傾けた。


「……まずはお座りください。私は、人の言葉で言い表すなら、アルマスニンと申します」


 それから彼女は、長老の言葉を忠実に伝えた。


 まず、長老が説明したのは、アナクの出自についてだ。

 といっても、彼らの知っていることも、限られている。


 今を遡ること十二年ほど前、とある砂嵐の吹き荒れる夜に、他の部族のリザードマンが地上に出た。珍しくもない。街の郊外にある小さなオアシス付近にも迷宮の出口があり、そこから外を目指したのだ。

 目的はいろいろだが、特に重要なのがゴミ拾いだった。食料は一応、迷宮の中でも調達できる。だが、人間が作るような道具や武器は、自分達では製造できない。幸い、割合近くには赤竜の谷もあり、時折、隊商狙いの盗賊団が出没する場所でもあるため、その手の物資の残りが散らばっていることもよくあった。もちろん、たまには人間も襲う。相手の数が少なく、仲間の被害を恐れなくていい場合には。きれいに全滅させれば、彼らの荷物は略奪し放題だし、人間の死体も食料にできるからだ。

 その夜は、多少の幸運に恵まれていたらしい。群れの仲間の一人が、近くに熱源を感じた。慎重に接近して様子を窺ったところ、既に戦闘が終結した後だった。どうやら、南東方向に向かっていた小規模な隊商が、盗賊の襲撃を受けたようだった。

 盗賊は、金目の物だけを選び取って、急いで持ち去る。意外に感じるが、あれもこれもと欲張ることはできない。なにしろ赤竜の谷まで遮るもののない砂漠が広がる場所柄だ。グズグズしていては誰かに発見されてしまう。そしてここはフォレスティアではなく、サハリアだ。身内を殺されたら、やはり血でしか清算され得ない。もっとも、そんな人間同士のルールなんてものは、彼らには関係なかった。

 横倒しになった馬車、荒らされた積み荷。その残骸。死んだ駱駝、人間の遺体まで何もかもがお宝であり、ご馳走だった。彼らは大喜びでそれらを回収し始めた。


「物音が聞こえた」

「物音?」

「ああ……言い表しにくいな。フォレス語でいうところの、つまり……赤ん坊の泣き声と言えばいいのか。こちらにはそんな単語はないんだが」


 ふと、生きた人間、それもごく幼い赤ん坊の声が聞こえてきた。盗賊に殺されずに、運よく生き残っていたものらしい。

 リザードマン達は、顔を見合わせて喜んだ。これはいい。赤ん坊の肉とくれば、柔らかくて最高のご馳走じゃないか。

 しかし、彼らは冷静だった。彼らに限らず、元来リザードマンというのは、冷静なものなのだ。


「私……アルマスニン長老は、その少女、つまり私を……物々交換で手に入れた」

「売られたのか」

「冒険者が落とした上質な剣を三本と引き換えにした」


 当時はまだ、人形の迷宮に潜る冒険者も今より数多く、地下四階、五階と踏み込んでくるのが少なからずいた。貯水池のある住居までは攻め込まれなかったが、一部の猛者は別のルートから下層を目指し、窟竜に挑んだりもしていた。彼らも人間相手に戦いを繰り広げることが多々あり、長老の手元には戦利品がいくつもあった。

 何のために購入したのか? もちろん、食べるためだ。柔らかい赤ん坊、しかも女児ときては。こんな珍味はまず手に入らない。迷宮に降りてくるのは、大抵が大人の男だ。それだって、いつも死体を回収できるのでもない。武装し、全力で抵抗する面倒な獲物なのだ。

 しかし、アナクの場合、その貴重さが運命を変えた。高級すぎて、手を出せなかったのだ。というのも、長老は群れの仲間達にこの珍味を分配したかったのだが、赤ん坊はあまりに小さく、これでは一人一口も食べられない。せっかくのご馳走が、却って揉め事の原因になりかねなかった。

 それで、もう少し大きくなるまで飼育しよう、という話になった。キノコを育てるように、大きくなるのを待とうではないか、と。


 そして彼らは、永久に食べ損なう破目になった。


 迷宮内の劣悪な環境でも、アナクはなんとか生き延びた。与えられるのは体に合わないキノコやワームの肉ばかり。たまには冒険者の保存食なども与えた。おかげで少しずつ成長することができた。

 二年が経ち、物心つき始めたアナクがリザードマンの言葉……メルサック語の真似をし始めた頃には、もはや彼女はご馳走ではなく、ペットになっていた。

 また、迷宮内に立ち入る人間が急激に減ったのも大きかった。冒険者に殺される仲間も減り、リザードマン達が抱く敵対心もだんだんと小さなものになっていった。そんな状況もあって、アナクはかわいがられて育った。


「じゃあ、育ての親は」

「長老だ」


 しかし、年月が過ぎ、アナクがおおよそ六歳になる頃、アルマスニンは悩み始めた。

 もはやアナクはただのペットではなく、家族のようなものだ。だが、アナクは人間だ。このまま地下で、リザードマンの仲間として育つのはよくない。ならば、地上の人間の街で生きるべきではないか。とはいえ、人間は今でも敵だ。


 何度も話し合いがもたれた。

 中には、アナクを地上に戻すべきではないとする意見もあった。リザードマンの生活の実情を漏らすのではないか、それは自分達にとって不利益になりかねない、と。

 だが、最終的には長老が地上に戻すべきと判断した。ただ、そこには実利を得ようとの目論見もあった。


「人間の世界で人間の言葉を覚え、人間の仕事をし、人間の世界について学んでくるように、と」


 運がよかったのか、悪かったのか。

 リザードマン達が通路を拓き、アナクを地上に戻した時点で、既にその場所……西の街区はスラム化していた。そこには、親に捨てられた子供も大勢いたため、誰もアナクに注目しなかった。最初は言葉もわからないまま、彼女はゴミ拾いやかっぱらいで生計を立てた。

 それに、本当に困窮すれば、地下にある「実家」が支援してくれた。それは双方に利益があることだった。リザードマン達は、それまで知り得なかった人間の世界の常識を次々学んだ。サハリアの砂漠地帯については彼らも熟知していたが、その外側についてはおぼろげな知識しかなかった。それが大きく変わった。なぜ近年、人間が攻め込んでこなくなったのかも、アナクのおかげで詳細を知ることができた。


 だが、アナクは操り人形ではなかった。自我を持った少女だったのだ。

 そして、彼女は自分の経験に基づいて、自然とよりよい行動を選ぶようになった。つまり、自分の保護者達の振る舞いを模倣した。


「アナクが……つまり私が、スラムの他の子供達を養い始めたことで、また長老達は頭を抱えた」


 地上で活動するスパイとしての仕事だけをしてくれればいいのに、他の子供と接点を持つなんて。しかもただの付き合いではなく、自分自身貧しいのに養うなどと。

 ここでまた、リザードマン達の会議は紛糾したが、結局、やめさせるわけにはいかないと判断した。人の間で生きるというのは、そういうのも含めてのことだ。


 こうして数年が過ぎ、アナクはいつの間にか、ストリートチルドレン達のボスになっていた。


「アナクという名前は?」

「それは」


 彼女が身に着けていた着衣には、サハリア風の刺繍が施されていた。そこに人名らしき文字があり、後にそれがアナクと読めた。

 しかし、家名はわからなかった。リザードマン達に、人間社会の細かな知識はない。サハリア人なら、手作りの刺繍の模様から出身部族を突き止めることも不可能ではないかもしれないが、確たることはわからない。本当にその家の女性の手によるものなのか、他所から買ったものをあてがったのか、区別がつかないのもある。実のところ、アナクというのは彼女の名前でなく、着衣に刺繍を施した女性のことを指していてもまったく不思議ではない。

 それでも、他に名付ける手段がない以上、アナクはアナクと呼ばれるしかなかった。


 こうして持ちつ持たれつで、人間の少女と、地下のリザードマン達は、何年もの時を共に過ごしてきた。

 アナクは地上で冒険者達の活動を調べ、それを逐一地下に伝える。一方で、ドミネール達に邪魔されて自由に活動できない冒険者を見つけては、声をかけて秘密の裏口に誘い込む。リザードマン達も心得たもので、姿を見せずにやり取りし、ワームだけ狩らせてお引き取り願う。そうして得たお金は主として孤児達のために費やされたが、一部はリザードマンの集落に還元されていた。


 アルマスニンは皺だらけの口元を歪めて笑いながら、震える指先でそれを摘まみだしてみせた。なんと金貨だ!


「近頃は、これで他の部族と取引することもある」


 人間世界の金貨が、こんなところでも通用している。なんという皮肉だろう。

 果たして、迷宮が人を取り込んだのか、人の世界が迷宮の魔物を包摂したのか。その境界は、限りなく曖昧になりつつあるのだ。


「我々は地上を攻め滅ぼしたいと思っていない」


 アルマスニンは、アナクの声を借りながら、はっきりと意志を示した。


「あなた方を生かして地上に返す条件はただ一つ。我々に剣を向けないことだ」

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