毒物危険注意

「あんぎゃっ!」


 すぐ後ろでまた悲鳴が響いた。


「ビルムラールさん、落ち着いて」

「は、はいぃ」


 アナクに会うため、閲兵式の翌朝早く、俺は西の街区へと向かった。もちろん、ノーラも同行している。そこに今回は、ビルムラールも呼んだのだ。

 できることなら、もっと段階を踏みたかった。迷宮の深層を探索するなら、魔術や医術に通じた人物は有用に決まっている。ただ、スキルだけでは人となりはわからない。信用していいのか、いざという時動けるのか、確かめてから仲間に組み入れたかった。

 だがもう、キブラが攻撃命令を実行に移すまで、あと十日ちょっとしかない。出たとこ勝負もやむなしなのだ。


 しかし、この賭け、どうも不安が付き纏う。

 ビルムラールは、狭苦しい路地が連なるこの一角を駆け抜ける際、何度も頭をぶつけた。背が高いせいで、低い天井や通路をくぐるたび、うっかり避け損なっている。やっぱり間が抜けているというか、センスがないというか……

 少なくとも、運動神経に期待はできそうにない。


 それでも、彼はおとなしくついてくる。誠実でお人よしだからだろうか。それとも、俺なしでは目先の生活が立ち行かないからか。

 こんなずっと年下の少年に顎で使われる状況に、不満はないのだろうか?


「もうすぐです」

「ううう、あとで打ち身の薬を塗ります……」


 顔立ちもすっきりしていて、体つきも立派なので、堂々と胸を張ってまっすぐ立っていれば、もうそれだけでそこそこカッコいい男だと思うのだが。喋ったり行動したりすると、途端にボロが出てしまう。だが、ここは彼もだが、俺にとっても頑張りどころだ。

 もしかしなくても、見るからに専門バカのケがありそうなので、臨機応変な振る舞いを期待するのは間違っている。そうじゃない。能力がないと切り捨てるのではなくて、どうしたら彼の能力を生かせるか、だ。冒険者としても一流で、魔術も医術も完璧なんて人材、そんなのどこを探せば見つかるというんだ。


「ここ」


 前回と同じ、三方を他の家に囲まれた袋小路にある家。そこにアナクがいるという。


「大丈夫ですよ、そんなおかしな人じゃないから、緊張しないでください」

「は、はぁ」


 アナクとビルムラール。まったく正反対だ。長所も短所も。そんな風に思った。

 それで俺達は、路地を曲がって狭い中庭に踏み込んだ。


「ぎゃっ!」


 その瞬間、威力と重さを感じさせる打撃音と、甲高い悲鳴が響いた。


「わぁっ!?」


 すぐ後ろでビルムラールが目を丸くした。といっても、驚いたのは彼だけではなかった。

 アナクが、年下の少年をぶん殴っていたのだ。それで弾き飛ばされた少年は、立っていられなくなって地面の上に転がっている。


「な、なんてことするんですか!」


 思わず駆け出そうとするビルムラールを、俺は慌てて手で制した。

 俺も内心、穏やかではないが、まだ事の理非を見極めてもいない。どういうことだ? アナクはこの子供達を守るために頑張っていたのではなかったのか。


「何があった」

「お前達には関係ない」


 質問はしたが、思った通り、あっさり切り捨てられた。

 しかし、ノーラが一歩、前に出た。


「確かに、盗みはよくないものね。思い知らせる必要があるのはわかるわ」


 ぶたれた少年の心を読んだのだ。しかし、これでアナクの纏う空気が変わった。

 察した俺は、急いで付け加えた。


「別に密告もしない。捕まえにきたのでもない。お前の言う通り、俺達には関係ない話だったな」


 アナクは鉄拳制裁を浴びせたが、それはいわば、愛の鞭だ。彼女自身は盗みもするし、他にも悪いことに手を染める。だが、自分が従える子供達には、それを許さないらしい。

 殴られた本人にとっては、理不尽この上ないだろう。だが、傍から見る限りにおいては、その思うところもわからないでもない。

 彼女は善悪を弁えている。わかった上で、あえて意志をもって盗みを働くのだ。しかし、それを横で見る子供達が、何も考えずに泥棒の真似事をするとなればどうか。倫理観の欠片もない人間にしてしまったのでは、わざわざ守り育てる意味がない。

 ストリートチルドレンのボスとして君臨しながら、その意図するところは支配でなく、統制だ。利用ではなく、保護だ。しかし、少年達にはまだ、その区別がつかない。


 しかし、それを外部から指摘されると、また話が違ってくる。

 ノーラの一言で、アナクは気持ちを切り替えた。こいつら、今度は自分達を捕まえにきたんじゃないか……だから俺は急いで付け足さなくてはいけなくなった。


「まぁ、いい」


 向き直ったアナクは、一息つくと、ビルムラールを睨みつけた。


「で? こいつはなんだ」

「ビルムラール。昨日から俺達の仲間だ。今回は彼を、その次にはあと一人か二人、他の仲間を連れてくる」

「ふざけるな」


 彼女は吐き捨てた。


「何の不都合がある」

「おおありだ。まさか、あの場所のことを」

「まだ説明はしていないが、連れていくつもりだ」


 わけのわからないやり取りが始まったので、ビルムラールは俺とアナクの顔を、不安そうに見比べた。


「ふん……」


 さて、ここが正念場だ。

 彼女はリザードマンを使役しているのか。それとも服従しているのか。同盟関係にあるのか。どの程度の対話が可能なのか。そして、彼女はこの街の人間とリザードマン、どちらを大切に思っているのか。


「またワームを狩りたい」

「慌てなくても、何日か待てば、お前らは一斉に迷宮の奥を目指すんだろう? よかったな、邪魔する連中がいなくなって」

「そう簡単な話でもない」


 アナクのビジネスが成立していたのも、本来はドミネールのおかげだ。奴が迷宮の深部を目指すのを禁じていたからこそ、やる気のある冒険者に声をかけることができた。しかし、キブラが出しゃばって、地下一階の拠点が取っ払われた今、その必要はなくなりつつある。あくまで表向きには、だが。


「みんなで一斉に迷宮に突っ込んだら、俺達の取り分なんか残るものか。それに当日まで、自由に出入りできなくなった。俺とノーラは前回の稼ぎがあるからいいが、ビルムラールは文無しだ。金くらい貸してやってもいいが、その前に一度、実戦でどれだけ使えるかを見たいのもある。ご覧の通り、いいとこの坊ちゃんみたいだからな。何より、あと十日以上も稼げないんじゃ、話にならない」


 そこでビルムラールが割り込んだ。


「ちょっといいですか」

「なんですか」

「話が長くなるのなら」


 彼は進み出て、さっき殴られた少年のところで膝をついた。


「傷を見せなさい」


 さっきまでのオタオタした態度は鳴りを潜め、彼は実にきびきびと動いた。

 懐から素早く軟膏を取り出すと、ぶたれた頬に塗り付けた。


「終わったか」


 アナクが問いかけると、ビルムラールは答えた。


「とりあえずは」

「よし、お前ら。いったん下がってろ。こいつらとは私が話す」


 ボスの命令が下ると、少年達はさっといなくなった。

 足音が遠ざかると、改めてアナクは俺達を鋭く睨みつけ、低い声で唸った。


「あまり裏口のことを奴らの前で喋るな。うっかり踏み込ませたら、どうなると思う」


 それからおよそ三十分後、俺達は迷宮の通路を歩いていた。


「なんだかワクワクしますね」


 もともとは知的好奇心に動かされてここまできたのだ。ビルムラールは、暗い迷宮の壁を、興味ありげに見つめていた。


「暢気な奴だ」


 アナクの感想には、俺も同意する。ここが危険な迷宮の中、というのはさておいても、裏口から入れてもらうのに、俺は今回、金貨百枚も支払った。つまり、前回の稼ぎをまるまるくれてやったことになる。もう、俺達には余裕がない。

 しかも、それだけの利益を得ていながら、アナクは明らかに不機嫌だった。彼女とて、金が要る。一時的なことかもしれないが、ドミネール達が迷宮の出入口を仕切れなくなった今、裏口ビジネスのチャンスは今後、限られてくるというのに。この様子では、もう二度と案内してもらえないかもしれない。となれば、今日こそ勝負を仕掛けなくてはいけない。

 一応、ビルムラールには事前に気構えだけを伝えてある。前回はこういった感じでワームを狩ったが、今回はそのまま同じにはならないだろう。予想もしないことが起きるが、決してうろたえるな。混乱したら、状況を静観して欲しい、と。うまくいくだろうか。


「もともと、ワディラム王国で学問をしていた人だ。ここにも、バジリスクの石化魔術を見たいという理由で来たくらいだからな」

「ふっ」


 心底呆れた、と言わんばかりに、アナクは鼻で笑った。それに対してビルムラールは、愛想笑いを浮かべて後頭部を掻いた。


《前回と同じ。追尾されてる》

《すぐ真下にトカゲの護衛付き、か》


 迷宮に入ると口数の減るノーラだが、それはもちろん、仕事に徹するためだ。こうして地下三階の通路を歩いている最中にも、俺達はリザードマンに監視されている。

 今回は、彼らとアナクとの関係を暴き出すつもりだ。できれば、平和的に決着をつけたいが、最悪の場合も考えられる。


「思った通りだ。よくないな」


 地下四階に降りた途端、アナクは冷淡にそう言った。


「何がまずい」

「前回の狩りからあまり日が経っていない。ワームの気配が少ない」


 気配、ねぇ……

 そんな曖昧なものが読み取れるものか。これがプロの狩人なら、例えば森の中に残された足跡や茂みの荒れ方などを見て、獲物の状態を知るのだろう。だが、ここは迷宮の中。前後左右上下、どれもしっかりと固められた土の壁、床、天井だ。まさかワームのフンがその辺に転がっているのでもなし、どうして気配など探れようか。

 よく見ると、階段脇に小石が散らばっている。これがトカゲからのラブレターなんだろう。種明かしをしてみれば、なんのことはない。


「いないのか」

「いることはいる。だが、そんなには稼げない。文句は言うな」

「ああ」


 普通にやったら赤字確定、か。

 構わない。今回は、いきなり仕掛ける。


「とりあえず、最初の一匹に案内してくれ。それくらいはいるんだろう?」

「わかった」


 アナクが指差したほうに向かって、俺達は静かに歩き出した。


《試すの?》

《やっちゃおう。前回は遠慮して試せなかったが、今回はあえてやる。『変性毒』の威力を確かめたいのもあるから》


 俺の推測が正しければ、アナクは相当に慌てるはずだ。


「いたぞ」


 例によって、アナクは俺達の頭を抱え込んで、小声で伝えてきた。ワームが目を覚ますといけないからだ。

 ワームがいたのは、土壁の奥だった。その一部を自ら掘り抜いて、そこに大きな体を丸めて突っ込んでいる。呼吸のたびにブヨブヨの表皮が脈打っていた。


 すぐ横ではビルムラールが感嘆のあまり、溜息を漏らしていた。ワームの実物、それも生きた個体を目にするのは初めてなのだろう。

 サハリアの砂漠地帯全域に生息する巨大なイモムシで、普段は地下にいる。幼体は地下水脈の近く、奥深いところで砂利……というよりは恐らくその中の微生物……を食い、大きくなるとだんだんと地表近くに這い上がってくる。そうなると最初は小動物、やがては人や家畜まで、一気に丸飲みするようになる。その牙は鋭く、土壁くらいは容易に掘り抜ける。だが、硬い岩盤は貫けない。だから砂漠を旅する人々は、そういう場所を見つけて宿営地としている。

 そういう知識だけならあった。だが、知ると見るとでは大違いだ。頭の中の形に、実感が付け加えられていく。その感動だ。


 しかし、俺達は生物の観察日記を書くためにきたのではない。せっかくのところ申し訳ないが、あっさりやらせてもらう。


《眠らせた?》

《刺激したら、起きそうだけど》

《構わない。そのまま毒を》


 アナクは、前回のように俺が忍び寄って、いきなり尾を切るものだと思っている。それが動き出さないので、首を傾げた。もの言いたげな顔をして、俺に詰め寄る。

 その時だった。


「ギッ!」


 グズグズしているから、ワームが目を覚ましたのだと、彼女はそう思ったに違いない。

 だが、俺は腰から剣を抜き放ちはしたものの、その場から動き出したりはしなかった。


「ギッ! ガッ! ギッシシシ」


 奇妙な呻き声に、アナクは今度は真後ろに振り向いた。ワームは襲いかかってくるでもなく、その場で激しく悶えている。


《うっ……こ、これ》

《精神の同調を切れ! 気持ち悪くなるぞ!》


 ワームの精神に入り込むあまり、苦痛まで跳ね返ってきたのでは。しかし、裏を返せばそれだけ腐蝕魔術の毒が効いているということでもある。


《汚染は》

《今のところ、ないみたい》


 なら、使えそうだ。威力も申し分ない。

 しかし、毒なら毒と名付ければいいのに、いちいち『変性毒』とは。どういう意味なんだろう。


「ギッ、アッ……シ、シー」


 巣穴から這い出たものの、それ以上動き回る余力もなく、床に突っ伏したまま、ついにワームは息絶えた。


「なっ、なんだ、これは」

「死んだようだな」


 俺は悠々と死体に近付き、尻尾を切り落とした。


「何をした」

「ちょっと手抜きをしただけだ」

「手抜きだと」

「毒針を使ってみた」


 俺の推測が正しければ、アナクは焦るはずだ。なぜならワームはリザードマンにとっての食料でもある。それが毒物に汚染されたとなると……


「いつの間に」

「さっきだ。見えなかったか」

「勝手なことをするな! ……あ、いや、説明しなかった私が悪いか。ワームには毒を使うな。凶暴化することがある」

「今、現に何の問題もなく簡単に始末できただろう? 何を言ってるんだ」


 それに今後、俺達が毒を使うのを控えたところで、当面の問題は解決しない。俺達がこの場を去ったなら、ここにリザードマン達がやってくる。この毒入りのワームを解体し、食べるために。

 アナクは相当困っている。こんなことをしでかす冒険者など、これまでいなかったのだろう。無理もない。だいたいからして、ワームに毒なんて非効率だ。体が大きいほど、必要な量も増えるからだ。これがクロウラーみたいに体の表面が頑丈で、他に有効な手立てがない相手であればともかく、ワームは簡単に傷つけることができる。毒矢で殺すくらいなら、普通に射殺すればいい。

 とにかく、彼女は今、仲間のリザードマン達に連絡しなければいけない。このワームは危険だから食べるなと。さぁ、どうする?


「確かにそうだな」

「俺達としては、効率的に尻尾を切れさえすればいい。違うか」

「わかった。じゃあ、次に案内する……」


 フッと視界が暗くなる。


「どうしました!?」


 アナクの棒の先端に燃えていた火が、いきなり消えた。それでビルムラールが緊張して、声をあげた。


「騒ぐな。今、灯りを点す」


 だが、俺はもう承知していた。白々しい。自分で消したんだろう。もともと魔術の力で燃えていた火だ。術の行使をやめれば簡単に消せる。

 熱源を探知できるリザードマンにどうやって連絡するか。異常事態の発生を知らせるのに、これほどシンプルな方法はない。


《ねぇ、意識がこっちに》

《そうら、おいでなさった》


 ノーラの警告から数秒後、俺の耳は奴らの足音を捉えていた。


「なんです? この音は」

「チッ」


 アナクが舌打ちする。


「ビルムラールさん、冷静に……言ったでしょう? ここで、冷静に」


 二度、『冷静』という言葉を突き付けられて、彼は黙って顔を引き締めた。

 事前に警告めいたことを言われている。それが何についての話か、やっと理解が追いついたのだ。


 ボッと火が灯る。その棒をアナクは掲げた。

 その頃にはもう、この部屋を囲む三方向の通路に、合計七匹ものリザードマンが殺到していた。


「集まってきたな」

「慌てるなファルス」


 油断なく棒をリザードマン達に向けながら、アナクは言った。


「私が一方を突き破る。お前達はまっすぐ走れ。あとで追いつく」

「その必要はない」


 俺はいきなり、アナクを後ろから羽交い絞めにした。首元に剣を突き付けながら。


「さぁ、伝えろ。俺達に手を出したら、アナクの命はないと」

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