挺身隊の閲兵式

 夜明けの風が吹く。固い砂岩の大地の上を、風に散らされたきめの細かい塵が舞う。ブーツの縫い目、金具、爪先に、それが詰まっていく。

 日は昇りきっていなかった。この時間帯でなければ、しかし、大人数の召集は難しかっただろう。日中は灼熱の太陽が周囲を圧するのだ。


 規則正しく立ち並んでいるか、私語はないか。時折、いかつい顔の神官戦士が棒を片手に通り過ぎていく。青と銀に彩られたその制服は、この薄暗さの残る時間帯には、あまり見栄えがしなかった。

 慌ただしい空気がやがて静まり、足音も止む。くだらない儀式が、定刻通りに執り行われる。


 街の北の外れの固い足場に、俺達は整列して立ち尽くしている。その方陣は、南東の方角に向けられている。斜め後ろから登る朝日のせいで、そこに据えられた演壇が、黒いシルエットになる。


 プァァー……と気の抜けるようなラッパの音が、まちまちに吹き鳴らされる。実のところ、タイミングを合わせようとはしているのだろうが、何人かの奏者が広い範囲に散らばっているために、音が届く時間がずれてしまうのだろう。なんとも締まらない。

 だが、続いてシンバルが激しく打ち鳴らされ、太陽を背に大きな赤い旗が持ち上げられると、眠たげな冒険者達の視線も、自然と集中する。


 その旗のすぐ横にある演壇に、一人の女性の姿が立ち現れた。

 いちいち確認するまでもない。挺身隊の団長、キブラ・アシュガイだ。


「聞けーっ!」


 声をあげたのは、彼女ではなかった。演壇の足下に立っていた大柄な神官戦士だった。無理もない。遮るもののないこの砂漠で、特に鍛えられてもいない中年女性が、声を響かせるなどできはしない。彼の声にしたところで、こうして聞き取れるのは、俺が比較的近くにいるからで、それだってやっとのことだ。後ろの列に立たされている連中には、何か喋っているらしいとわかるだけだろう。


「よくぞ集った、勇敢なる冒険者諸君、この栄光あるアシュガイ隊の旗の下に!」


 炎の槍の勇士ナームとともに戦ったとされるアシュガイ家、その隊旗……を模したのが、あの赤い大仰な旗なのだろう。


「父祖の使命を思い起こし、我ら世に害なす魔の巣窟を討たんとす!」


 声ばかりは勇ましいが、こいつ、前線には出るんだろうか?

 俺の横では、あちらで叫んでいる神官戦士と同じくらい大柄な男が、貧乏揺すりをやめられないでいる。


「討たない、討たないから」

「シッ」


 ビルムラールは、自信なさげに俯いた。

 例のギルドでのやり取りが二日前。その時、話を聞いたのだが、どうやら今まで、魔物との実戦経験はゼロなのだとか。もちろん、人を殺したこともないし、もっというと殴った経験すらない。実家はポロルカでも指折りの名家だったので、魔術とそれを用いた戦闘技術について、一通りの修練は済ませたのだが、ほぼ畳水練らしい。


 それにしても、気に食わない。何がアシュガイ隊だ。

 方陣の反対側を見やる。そちらには、挺身隊に所属する帝都の若者達がいる。コーザもあの集団の中にいるのだろう。みんなただの青少年で、ろくに戦うこともできない。こんな連中を、本当に迷宮に突っ込ませるのか。

 ご先祖様にどんな武勲があるのか知らないが、きっと今回の企ては、そこに泥を塗りたくるだけだ。だいたい、いくら自分の手柄にしたいからって、あんな旗まで持ち出して……


 この召集命令を避けられたのは、発令時点でこの街にやってきて三日以内の冒険者だけだった。彼らは定期的に物資を運搬する隊商に随行するので、徴集してしまうわけにはいかない。

 つまり、ドミネールのようなヌシ達も、今回の命令に従って迷宮の深部を目指さなくてはいけなくなったのだ。


《距離が離れすぎてて》

《無理しなくていい》


 キブラの能力は高くない。だから、ノーラが心の中を読むのも、不可能ではない。しかし、距離がかなりある上、この状況では詠唱もできない。


 なぜこんなことになってしまったのか。

 挺身隊がこんな大規模な攻勢を仕掛けたことなんて、これまでなかった。コーザのような若者が大勢送り込まれ、少なからず犠牲になり、或いは除隊になるなどして、自らドゥミェコンを去ってきた。それが今になって、どうして。


《オルファスカが何かをしたのか》

《私もそう思うけど……》


 俺もノーラも確信を抱けない。

 理由はよくわからないが、とにかく帝都は、十年間に渡って大勢の若者の命を、迷宮の中に廃棄してきた。個人単位でいえば、それに不平不満はあったかもしれないが、少なくとも社会の上層、政府のレベルでは、その被害を問題視していなかったことになる。

 そして、コーザの仲間の残した遺書が、オルファスカ達の手に渡っていることもわかっている。だから、素直に考えるなら、やはり彼女らはキブラを脅迫したのだと、そう捉えるのが自然だ。挺身隊のありようがこんなザマだから、有為な若者が多数犠牲になっているのだと、もしくはろくに魔物と戦いもせず、自殺してしまっているのだと。

 だが、それが社会問題になり得るのなら、コーザの先輩方も同じようにしたはずだ。誰かが自殺し、仲間の死に憤った人が、すべてを捨てて帝都に渡る。真実をぶちまける。すると挺身隊の活動が見直される。とっくにこうなっていてしかるべきなのだ。


《だって、奴らが何かしたのでないと》

《あそこに立っていることを説明できないものね》


 演壇の下にいるのは、神官戦士達だけではなかった。オルファスカと二人の仲間も、当たり前のように並んでいる。この件で、キブラに引き立ててもらったのは、間違いない。

 人形の迷宮における若者達の犠牲も、それ自体では、脅迫材料として不十分? では、どうして連中があそこにいるんだ。


「……作戦目標は、黄玉の月三十日! 諸君らは準備を怠ってはならん!」


 あと二週間ほど後に、冒険者と挺身隊の若者達は、一斉に迷宮の奥に向かって進撃する。ただ、その前に準備をしなくてはいけない。

 まず、五人以上十人以下のパーティーを構成すること。少人数ではリザードマンに対抗できない。と同時に、人数が多すぎても狭い迷宮の通路を効率的に進めない。だからチーム単位で活動することを要求される。挺身隊員は既に班割りが済んでいるからいいが、一般の冒険者はそうではない。だから、俺も仲間を何人か集めなくてはいけない。

 期限までにパーティー編成が間に合わなかった場合、挺身隊の命令で、勝手にチーム分けされてしまう。その場合、ノーラと離れ離れになる可能性も出てくる。これは回避すべきだ。

 それと作戦当日まで、勝手に迷宮に立ち入るのはできなくなる。出入口を挺身隊員が交代で見張り続け、いざその時になったら一斉に攻め込むこととなった。


「今日より諸君は、栄光ある救世の戦士達の隊列に加わったのだ! 誇りに思え! 解散!」


 無意味な激励の後、俺達はやっと宿に帰ることを許された。


「どうして、こんな……っ」


 もはや恒例の行事になってしまった。

 いつものように、コーザは宿の前にしゃがみこみ、滝のような涙を流していた。それを俺とノーラ、ビルムラールは溜息をつきながら見下ろしている。


「手紙が関係してるんでしょうね」


 暗い声で俺が呟く。


「うわあああ!」

「もう過ぎたことです」

「やだ、やだよやだ! あんなところ、潜ったら死んじゃう! 死んじゃうよぉ!」


 これで自由になれるかも、と甘言に乗って仲間の遺書を手放した。それがどのように作用して、キブラを動かしたのか。まだ詳細は分からない。

 だが、その意図するところは充分過ぎるほどに明らかだった。


「一石二鳥、いや、三鳥かも」

「そうね」


 オルファスカにとってはいいことづくめだ。

 一つ。キブラによって臨時の監督官として雇用された。この攻撃計画の「成果」によっては、冒険者としての昇格はもちろんのこと、将来の栄光にも繋がってくる。

 二つ。ドミネールに一泡吹かせた。ラシュカが証言したように、彼女らはここのヌシどもに取り入ろうとして、結局、うまくいかなかった。甘い汁を吸わせてくれなかった連中に、ちょっとした仕返しをしてやれた。おかげでヌシ達は、毎晩の楽しみを失った。

 そして、三つ目……


「こっちも狙われる、か?」

「あり得なくはないわ」


 小声で囁きあう。

 オルファスカ達は、俺のことも嫌っている。大事なミスリルの剣をフイにしたのだ。それも含め、どう考えても友好的な関係にない。もしできるなら、ついでに殺そうと考えても不思議はない。


「なんにせよ、やるべきことは変わらないな」

「何のお話です?」


 すぐ後ろに立っていたビルムラールが首を傾げた。その彼の手を、俺は素早く取った。


「というわけで、お力添えをお願いします」

「は? はい、何をすれば」

「僕のパーティーに加入してください」

「へっ?」


 これで三人。あと二人。

 能力も欲しいが、何より安全な相手であることが重要だ。きっちり仲間を揃えないと、一人ずつバラバラにされる。そうなったら、ノーラがオルファスカやドミネールに狙われることも……


「問題は、でも、それだけじゃ」

「ああ、わかってる。アナクのほうにも話を通しておこう」


 今月末、人間側が無謀な大攻勢に出る。個々人の能力はリザードマンの平均的な個体より遥かに劣ってはいる。しかし、数が数だ。大勢が彼らに対して攻撃を加えようとするのだ。

 何もしないでいたら、俺達までトカゲを相手に死闘を繰り広げなくてはいけなくなる。だが、アナクの存在を知る俺達にとって、それは無意味な苦労だ。


「あと二人はどうするの?」

「難しいかもしれないけど、一人はガッシュさんにしよう。あの人なら信用できる」


 ノーラは頷き、続きを求めた。


「もう一人は……どうしても見つからなければ、アナクに」

「承知してもらえるかしらね」

「他にいなければ仕方ないだろう。この際、金の問題じゃない」

「それはアナクにとってもよ。彼女、お尋ね者よ?」


 ノーラの言葉に、ビルムラールが大袈裟に反応した。


「お、お尋ね者ですか? なんですか、その……アナクという方は! ファッ、ファルスさん、何か怖いことをしようとしているんですかっ?」

「いいえ」


 俺は笑顔で彼の手を改めてしっかりと握った。


「うっ!?」


 思わず振りほどこうとした彼だったが、思いのほか強い力で掴まえられて、抵抗を諦めた。


「一番安全な方法を探してるんです」


 俺が作り笑いを浮かべれば浮かべるほど、ビルムラールは目を丸くした。


「うえぇぇぇん!」


 その時、一際大きな声で、コーザが泣き喚いた。


「死にたくないよぉぉっ!」

「コーザさん」


 俺はそのまま振り返って静かにたしなめた。


「怖がるのも泣くのも結構ですが、手紙の件はもう、これ以上口外しては駄目ですよ」

「な、なんでさ!」

「殺されます」


 ヒッ、と息を詰まらせ、一瞬で彼は泣き止んだ。


「班割りは済んでいるんですよね、コーザさんは」

「えっ? う、うん」

「つまり、当日までは自由と」

「そうだけど」

「じゃあ、これを」


 俺は懐から、金貨を十枚取り出して、彼に握らせた。


「これは?」

「伝言をお願いします。当日まで、用事はないんですよね? 僕とノーラには、ちょっとやらなきゃいけないことがあるんです。だから、ずっとここにはいられません」

「どこへ行くの? 街からはもう、出られないんだよ」

「出ませんよ」


 迷宮にも入れない、ということになってはいるが。

 こうなっては手段を選んではいられない。大攻勢が始まる前に、可能であるならば、アナクを通してリザードマンとのパイプを構築してしまわなくては。

 可能なら、先にガッシュに会って、仲間に引き込んでからそちらの仕事に取り掛かりたいのだが、それは難しい。黒の鉄鎖の兵営には、俺を含む一般人は立ち入れまい。


「ただ、僕らが留守の間に、もしかしたらガッシュ・ウォーというジェードの冒険者が顔を出すかもしれません。ファルスは留守だが、ガッシュさんに連絡を取りたがっていたと、そうお伝えください。金貨はその駄賃です」


 残り時間は、あるようで少ない。

 挺身隊の大攻勢が始まる前に、できることを済ませておかなくては。

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