間抜賢者現る

 頭上は相変わらず灰色だった。西の街区の狭い通路は、あちこちが崩れかけていて、時折不安を感じる。今、俺が歩いている場所も、かつては高所まで日干し煉瓦や木造の壁で覆われていたはずが、ぽっかりと穴が開いてしまっている。おかげで街を構成するドームの最上部まで見通せる。

 見上げると、日差しを防ぐ薄汚れた布がはためいていた。街の外は灼熱の砂漠、そこに熱風が吹き寄せているのだろう。けれども、地べたをうろつく俺の居場所には、風一つ吹いていない。ただじんわりと暑さを感じる。

 翻って足下に目をやると、すり減った石の床があるばかりだ。たまに見たこともない文字で書かれた看板の破片が転がっていたりする。かつてはワノノマ人向けの商店なんかもあったらしいから、その残骸か。してみると、頭上の「崩れた」街並みというのも、案外問題ないのではないか。住人がいなくなった場所から建材を引っぺがしていっただけかもしれないからだ。


 のんびり歩いてはいるが、あまり遅くなるわけにもいかない。アナクの横にノーラを残したまま、俺は一人、ギルドを目指している。

 手にしたワームの尻尾は、実に十五本。金貨百五十枚分だ。半日の稼ぎとしては十分すぎる。ただ、これを人数で等分するので、アナクにはこの後、五十枚を支払わなくてはいけない。但し、彼女の立場では換金できない。冒険者証もないし、そもそもお尋ね者だからだ。よって俺が討伐証明となる部位を持ち込んで現金にして、それを持ち帰る。居残ったノーラは、いわば人質だ。


 さて、今後のことを考える必要がある。


 ワーム狩りは確かにうまくいった。そして恐らく、アナクはリザードマンと手を組んでいる。その関係性がどれほど強固なものかはわからないが、そうとしか説明できない。連中は、それとは気付かれないように俺達を誘導し、支援した。

 しかし、ワームは奴らの食料だ。狩りの手間を省いてもらう分には連中も歓迎するだろうが、狩り尽くして欲しいわけではない。これを続けられるはずもないだろう。もちろん、俺にとっての最終目的もワームなんかではない。

 次回の探索目標について、相談しておく必要がありそうだ。


 もう一つ。

 彼女とトカゲ達との同盟関係を白日の下にさらすべきか。今のアナクにとって、これは最大の秘密だ。気付かれたと知ったら、こちらを殺しにくるかもしれない。今の力量差からして、俺が彼女に負けるとは考えにくいが、結果、これほど有用な案内人を失うのは痛い。

 俺はもっとトカゲの力を借りたいのだ。迷宮の深部まで潜っていきたい。不可侵条約さえ締結できるのなら、リザードマンには一切手出ししないと女神に誓える。可能なら、貢物を差し出しても構わない。ただ、それをあちらが信用するかどうかは別問題だ。


 気持ちは急いているが、慌てて話を持ち掛けて、すべてをフイにしてしまっては元も子もない。

 一度落ち着いてから、ノーラとも相談して決断すべきだ。


 あれこれ考えながら、演劇の舞台の裏側みたいな街並みを抜けると、やっとギルドの前の広場に辿り着いた。

 差し当たっての問題はこれ、いきなり十五本もあるワームの尻尾を、違和感なく買い取ってもらえるかどうか、だ。気持ちを引き締めてから、俺は壊れかけた扉をそっと押した。


「でーすーかーらー」


 いきなり耳に飛び込んできたのは、苛立ちを隠さない受付嬢の声だった。


「買い取れないって言ってるんです!」


 思わずビクッと身を縮める。

 だが、彼女が怒鳴りつけていたのは、俺ではなかった。


「そこをなんとか」

「なんとかも何も、勝手なことできるわけないでしょ」

「しかし、それではお金が」

「いいから迷宮に入って、日給でも稼いできてください。仕事の邪魔だから」


 言い争っている……というか、にべもない彼女に縋りついているのは、大柄な男だった。


 見ればまだ旅装も解かれていない。砂漠を旅するために、頭にはターバンのような布の塊を巻き付けたまま。体の方も、ずっしりと重いマントをローブの上に重ね着している。いずれも色落ちしたベージュで、とても上質な品とは思えない。

 髪は黒い直毛で、女性かと見間違うほどに長さがある。ただ、体格はしっかり男性で、肩幅も広いし、筋肉質だ。しかし、鍛えられた武人のような雰囲気はない。

 肌は浅黒かった。顔立ちはすっきりしていて、見開かれた目には理性が宿っていた。しかし、切った張ったの世界で生きる冒険者とするには、違和感のある顔つきでもある。


「済みません、ちょっといいですか」


 俺は押し問答の間に割り込んで、リュックをカウンターに載せた。そこから、いくつものワームの尻尾を鷲掴みにして、そこにぶちまける。


「買い取り、お願いします」

「えっ」

「街の外でワームを狩りました。金貨十枚ですよね、一匹あたりで」

「あ、う……ん?」


 いきなりでこの数だ。受付嬢は戸惑いを隠せず、しばらくその場に立ち尽くしていた。


「十五本です。数えてください」

「え、ええ……ええと、はい、ありました」

「じゃあ、払ってください」

「ちょ、ちょっと待って」


 目を白黒させながら、彼女は仕切りの奥に駆け込んだ。

 一方、このやり取りを見ていた長身の男も、やはり目を白黒させながらこちらを見ていた。しかし、何も言い出せずにいる。


「お、お待たせしました」


 受付嬢が、トレイの上に金貨の山を載せて、バタバタと駆け戻ってきた。数えやすいように、ちゃんと十枚ずつ積み上げてある。


「確認してください」

「ありますね。じゃあ、いただきます。あと、討伐記録をタグに」

「あ、はい」


 首からぶら下がっているタグを外して手渡すと、彼女はまた奥へと引っ込んでいく。


「……すごいな」


 今度は金貨を鷲掴みにして、次から次へと袋の中に放り込んでいる俺に、彼はついに声をかけてきた。


「どこであれだけのワームを?」

「街の外です。隊商を襲うといけませんから」

「君のような若い……まだ少年が、こんなにも簡単に狩れるものなのですか」

「運がよかったんですよ。真似はしないほうがいいです」


 この金は、まだ俺のものになっていない。ちゃんとアナクに見せて、公平に分配しないといけないからだ。


「お困りですか? でも、この街は物価が高いですから、長居はしないほうが」

「あ、ああ」


 彼は突然、居住まいを正して、ターバンを取った。それから会釈すると、自己紹介を始めた。


「私はビルムラール・シェフリといいます。ポロルカ王国から参りました」


 そんなところから?

 しかし、この品のある表情や振る舞いはどうだ。この街にはおよそ相応しくない……


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 ビルムラール・シェフリ (22)


・マテリアル ヒューマン・フォーム

 (ランク6、男性、22歳)

・スキル フォレス語   5レベル

・スキル サハリア語   5レベル

・スキル シュライ語   7レベル

・スキル ハンファン語  5レベル

・スキル 裁縫      1レベル

・スキル 料理      1レベル

・スキル 風魔術     5レベル

・スキル 土魔術     5レベル

・スキル 光魔術     5レベル

・スキル 薬調合     6レベル

・スキル 医術      6レベル


 空き(11)

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 珍しい。魔術師だ。それも本業かつ専業の。

 いや、本職はむしろ医者か? それとシュライ語の熟達ぶりからすると、学者っぽい感じもする。


「僕はファルス・リンガと申します。この腕輪が示す通り」


 と言いながら、俺は袖をまくってみせた。


「フォレスティア王タンディラールが認めた騎士です」

「なんと! その若さで、ですか?」

「一つには幸運に恵まれました。また一つには陛下の寵愛によるものです」

「素晴らしい。だからあれだけのワームを討伐することができたのですね」


 俺の手元には大金がある。だから自然と警戒する気持ちがわいてくる。

 けれども、目の前の人物が盗みを働くような性格とも思えなかった。根拠はない。うっすらとそう感じる、というだけだ。


「ビルムラールさん、でよろしいですか?」

「はい」

「あなたはドゥミェコンまで、どのようなご用事で」


 すると彼は頷いて答えた。


「私はもともとポロルカ王国で学識を積んでまいりましたが、医術と薬学において世界の頂点を占めるのは、やはりワディラム王国です。その叡智の一端を垣間見たいものと望んで、留学しておりました」

「では学生の方? それともお医者様ですか」

「幼い頃より、父の背中を見て学んでまいりました」


 では、幼少期からの経験の蓄積があるわけだ。ちょうど前世の俺が、子供の頃からずっと厨房に立たされていたのと同じ。医術の英才教育を受けてきたのだ。

 しかし、それはいいとして、ではなぜこれだけの魔術を習得しているのか。富裕層か貴族階級でもない限り、こうはいくまい。医者だから、魔術の触媒になり得る薬草の類は豊富に入手できただろうし、また知識もあったはずだが、それにしたって高くついたに違いないのに。


「ですが、失礼ながら、それでは少々答えになっていないのでは」

「とおっしゃいますと」

「それはビルムラールさんがワディラム王国に留学した理由であって、わざわざ西の砂漠を渡ってドゥミェコンまでやってきた理由にはなりません。故国に帰るのであれば、普通に船でムスタムを経由して、海峡を抜ければ簡単だったはずです」

「ああ、そうでした」


 カラッとした表情で、何の悪気もありませんと言わんばかりに彼は微笑んだ。


「いつも人に指摘されてしまうのです。何かを考えて口にしようとすると、どんどん理由を遡ってしまって、およそ見当違いなことを言ってしまうのですよ。ご容赦ください」

「い、いいえ」


 なんか、典型的な学者バカ体質というか。素でやってるとしたら、そうとしか思えない。

 これはアレだ。自分の頭の中で会話して、その結果を話しちゃうタイプだ。だからよく考えて話をしないと、いきなり論理の飛躍が起きたりする。頭の回転は速いのだが、言うことなすこと的外れという、困った人種だ。そして本人の自覚も薄い。


「留学先で知ったのですが、ここドゥミェコン……人形の迷宮には、生き物を石にする魔法を使う魔物がいるのだとか」

「バジリスクですね」

「ええ。それを一目見てみたい。土魔術の一種といわれながら、実のところ、私の知る限りではそんな魔法はありませんから、どんなものか知りたいと思ったのです」


 どうやら彼は、秘密を守るのにも向いていないらしい。これでは、自分が魔術師だと自白しているようなものだ。


「では、あなたは魔法をご存じなのですか?」

「はい。幼い頃には機会に恵まれまして、土魔術や光魔術、風魔術も学びました」

「それは素晴らしいですね。でも、お金がかかったのでは」

「ああ」


 すると彼は、少し困ったような顔をした。


「でも、今の私は一文無しなのです」

「それはまた、どうしてですか」

「砂漠を渡るまででお金を使い切ってしまいまして」


 俺は首を傾げた。


「ですが、ご実家はさぞお金持ちなのでしょう? 身分もおありなのではないかと思います。であれば、手紙の一通でも書いて、あとは信用で借りて、ご実家からの援助が届くのを待たれては」

「いえ、それが」


 大きな背を小さく丸めて、彼は居心地悪そうに言った。


「もう実家はないも同然なのです。お恥ずかしながら、不祥事がございまして……家族ももう、どこにいるか」

「なんと、それは大変失礼しました」

「いえいえ」


 こんな話になっても、相変わらず彼はニコニコしていた。


「お待たせしました」


 受付嬢が戻ってきた。

 手にはタグがある。


「記録は残しましたので、確認してください」

「はい……あれっ」

「はい?」

「確か、次に実績をあげたらトパーズに昇格だって話だったはずなんですが、まだジェードですか?」


 黒竜を討伐した際に二階級特進した。しかし、上級冒険者でも、黒竜を討つなんて、そうそうできるものではない。ジェードなのは過小評価だ。だからあの時、次の実績をもって上級冒険者に昇格させると、そう言われた。


「済みません、それはこちらではわからないので」

「そうですか」


 まぁ、昇格したから何が変わるというのでもない。騒ぎ立てる必要もない。

 何より、ここのギルドにはドミネールの息がかかっている。俺に対して好意的な行動はとれないだろう。


「じゃあ、今後もこういう形で稼ぐので、次からもよろしくお願いしますね」

「は、はぁ」


 受付嬢は、返事ともいえない返事を口から漏らし、立ち尽くしていた。

 そうして俺は立ち去ろうとする。


「まっ、お待ちください」


 そこへ割り込んだのが、ビルムラールだった。


「なんでしょう」

「その、申し訳ないのですが」


 金に困ってそうだったから。

 何もせずに見送ってくれるとは思わなかった。


「かっ、買い取ってはいただけないでしょうか」

「何をですか」

「これを」


 彼が懐から取り出したのは、汚い石ころみたいなものがいくつか。ヘドロがこびりついたような色をしている。


「こう見えて、どれも貴重な魔法薬です。これなどは『矢除け』の魔術を使う際に必要な触媒で、非常時にはとても役に立ちます。それとこちらは『閃光』の魔術を使う際に……」


 ああ、なるほど。

 こんなもん、売れるわけがない。


「あ、あーっ、あの」

「は、はい? どれかお気に入りの品は」

「買えません」


 こいつは。

 変な笑いがこみ上げてきそうだ。いや、困窮しているから、本人は至って本気、必死も必死なんだろうけれども。


「な、なぜ? これはすべて南方大陸で採取した、本物の」

「そこはまったく疑っていません。ただ、ビルムラールさん……」


 常識中の常識を、俺は突きつけた。


「そんな魔法を使える人、魔術の知識をもつ人がどれだけいますか」


 俺自身、風魔術も光魔術も使えない。知識もない。


「う、あ、それはもう、使い方は教えられます!」

「習得するのに何年かかりますか」

「あ、えー」

「あなたが『矢除け』を使いこなせるようになるまで、何年かかりました?」

「十年ほど……あっ」


 俺は目元を覆った。

 ビルムラールはがっくりと項垂れている。


「私はたくさんのことを学んできたのに、日銭を稼ぐこともできないのでしょうか」


 えてして学問とはそういうものだ。努力の結果が報われるとは限らない。


「どちらにせよ、このお金には手を付けられません。まだ仲間に分配もしていないんですから」


 しまった。ノーラの実績も……いや、いいか。どうせここで記録をつけても、今のところ階級には影響しないのなら。受付嬢も、俺の発言にまったく反応していない。


「い、いえ、しかし、まぁ、その」


 よくいえば品がいい、悪く言えばおぼっちゃま、か。

 金をせびる卑しさに恥じらいはあるのだろう。


 それより、こいつは使い物になるだろうか?

 性格は温厚、狡猾さもなく、付き合いやすそうだ。能力も高い。しかし、やや間が抜けている。

 特に光魔術の存在は頼りになる。松明や火魔術よりずっと視界を得やすいし、熱源にもならない。医術に通じているから、怪我をした際にも役に立つ。


 ……唾くらい、つけておくか。


「わかりました。とりあえず、食べるものにもお困りで、寝る場所もない、と」

「お、お恥ずかしながら、その通りです」

「では、こちらを」


 俺は自分の財布から、金貨五枚を取り出した。


「わっ、私にはお支払いできるものが」

「これは志です。お礼はいりません」

「で、ですが」


 タダより高いものはない。

 金貨五枚で魔術師を手に入れられるなら、こんなに安い買い物もあるまい。もし役立たずだったとしても、或いはこのままいなくなったとしても、それはそれで諦めがつく。

 偶然とはいえ、これは運がよかったかもしれない。


「もし、何かまたお困りでしたら、僕の宿までいらしてくださいね」

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