迷宮の裏口から

「足はもういいの?」

「すっかり治ったよ。走るのも跳ぶのも問題ない」


 例のボヤ騒ぎから三日目の朝。

 準備万端を整えた俺とノーラは、宿の前に立っていた。


 捻挫が早めに治ってくれてよかった。案外軽症だったのかもしれない。あれからなるべく必要ない時には出歩いたりせず、足に負担をかけないようにしていた。

 だがもし、よくなる見込みがなかったら、その場合はノーラに金を持たせてアナクを説得させる必要があっただろう。もしずっと重症だったとしても、あと二日もあれば、完治させることができた。

 だから最初は五日間の休みを要求した。ピアシング・ハンドで『魔導治癒』をセットして、またそれを外し、クールタイムが終わるのにそれだけかかる。


「それより忘れ物はない?」

「もう二回も見直したわ」

「さすがに大丈夫か」


 行先は、西の街区のスラムだ。約束通り、今日、アナクが案内する隠し通路から迷宮に挑む。


「これ、ちょっと大きいわね」


 頭の横にでかでかと存在感を主張する黒い蝶。ちょっと邪魔くさい。


「帽子と一緒につけようとすると……いっそ、帽子の中に入れちゃうとか」

「いいわ、別にフードもあるし、帽子なんてかぶってても邪魔なだけでしょ」


 前回はひどい目にあった。通路を爆破され、床をワームに掘り抜かれ、散々な思いをして、やっと地上に引き返した。

 今度はそういう失敗はしたくない。もう、能力の出し惜しみはしない。


「あとは……いきなり実戦だけど、あれだけはギリギリまで使わないように」

「わかってる」


 アナクに三日間の準備期間を要求した理由。それは何も、俺の捻挫だけが理由ではなかった。


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 (自分自身) (12)


・アルティメットアビリティ

 ピアシング・ハンド

・アビリティ マナ・コア・身体操作の魔力

 (ランク9)

・アビリティ マナ・コア・火の魔力

 (ランク4)

・マテリアル プルシャ・フォーム

 (ランク9+、男性、11歳)

・スキル フォレス語  6レベル

・スキル サハリア語  5レベル

・スキル 身体操作魔術 9レベル+

・スキル 火魔術    7レベル

・スキル 剣術     9レベル+

・スキル 格闘術    9レベル+

・スキル 隠密     5レベル

・スキル 料理     6レベル


 空き(1)

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 俺自身の能力には変更点はない。

 だが、ノーラには詰め込んだ。


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 ノーラ・ネーク (12)


・マテリアル ヒューマン・フォーム

 (ランク8、女性、12歳)

・アビリティ 魔導治癒

・アビリティ マナ・コア・精神操作の魔力

 (ランク8)

・アビリティ マナ・コア・腐蝕の魔力

 (ランク9)

・スキル フォレス語   5レベル

・スキル 精神操作魔術  9レベル

・スキル 腐蝕魔術    9レベル

・スキル 棒術      3レベル

・スキル 指揮      5レベル

・スキル 商取引     7レベル

・スキル 房中術     7レベル

・スキル 裁縫      2レベル

・スキル 料理      1レベル


 空き(0)

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 結局、こうするのが合理的だった。

 最強の魔法を使う方法が用意されているのに、どうしてそれを無視するのか。とはいえ、これは毎度毎度、気楽に使っていけるものではない。あくまで非常時の最終手段だ。

 これに踏み切れなかった理由ならあった。俺もノーラも若い。こんな常用できない緊急用スキルのために、貴重な能力枠を消費するのは惜しかった。第一、俺自身が直接利用しようにも空きがなかった。諸々考えあわせた上で、これが妥協点となったのだ。

 せっかくドミネールに会う機会があったのに、能力を奪わなかったのもこれが理由だ。あの火災のあった日、コーザと話した後、ノーラに自分の考えを伝えた。スキルと魔術核、一日のクールタイムを挟んでそれぞれ移植した。それから丸一日、詠唱の練習から魔道具の使用まで、慣れてもらうのに時間を使った。オマケながら、その最後の一日で、以前サモザッシュやドミネールから奪い取った指揮スキルをノーラに継ぎ足した。

 これでもう、強化可能な枠は一つしかなくなった。房中術は使用されていないから、種に戻しても構わない。しかし、裁縫も料理も、彼女が自分で習得したものだ。レベルが低いからといって削り取るのは憚られる。


「でも、あれはどうするの」

「検証が済んでない魔法が四つもあったね。この前、迷宮の中で思いついたんだ。もしかしたら『壊死』も、試せるかもしれない」


 時間は限られていたが、一通りの魔術の使い道を、俺はノーラに指導した。

 まず『反応阻害』、これは積極的に使う。場面としては、例えばリザードマンが火球を投げつけてきたときだ。実際に俺と練習もした。使徒がくれた道具のおかげで、咄嗟に意識するだけで魔法を消去できてしまう。心強いといったらない。

 逆に環境を汚染する魔法、つまり『腐蝕』はギリギリまで使わない。なお、『汚染』については絶対に使わない。

 試してみたいのは、『老化』『変性毒』『壊死』『活動停止』の四つだ。前の二つは想像がつく。生物相手なら、効き目がありそうだ。ただ、どうにも使い道がわからなかったのが後ろの二つだった。それも今回の探索で、なるべく試すつもりだ。


「さ、行こう」


 待ち合わせの場所は、前回、俺達がアナクの寝込みを襲った場所だった。周囲に他の子供達の姿はなく、静けさの中、ただ一人、彼女は佇んでいた。

 保存食やら松明やらを持ち込むため、それなりの荷物を背負い込んでいる俺達と違って、彼女は身軽そのものだった。なんと棒切れの先っぽに、古びた布を巻きつけてあるだけ。そこに黒い油のようなものを染みこませてある。穂先のない槍みたいなものか。代わりに先端に火をつけるのだろう。その他の荷物はなかった。


「そんな装備で大丈夫か」


 金がないのはわかっているが、あまりに軽装に過ぎる。防具らしきものもない。ブーツすらない。ペラペラのサンダルだ。これでは何かあったらあっさり死んでしまうのではないか。


「大丈夫だ、問題ない」


 ドゥミェコンの物価がもう少し安ければ、こちらで備品を支給してもいいのだが……と考えて、すぐ打ち消した。そんなことをしても、こいつはすぐに売っ払うんじゃないか。


「入口はどこだ」

「今、案内する」


 彼女は前に立ち、俺達が来たばかりの通路を引き返していく。子供の体一つが何とか通るような路地、いや路地とも呼べない建物と建物の狭間を潜り抜け、袋小路に辿り着いた。そこには、割れた石材が山積みになっていた。


「蓋をしてあるのか」

「当然だろう? さ、手伝え」


 重しになっている丸く大きな石をどけると、あとは目方の軽いものしかなかった。狭さを別とすれば、さして労することもなく、迷宮への入口を確認することができた。

 大人の体でも一人分なら余裕で入るほどの幅がある。形は不規則で、すぐ下には瓦礫が積み上がっていた。ただ、相当な暗さでもある。気を付けないと、足を踏み外しそうだ。


「私が先に行く」


 アナクはそう言った。


「安全を確認したら、下から声をかけるから、それまで待て。勝手に降りてくるな」

「わかった」


 身を躍らせて、いかにも慣れた様子で、彼女は穴蔵の中に滑り込んだ。

 それからしばらく、中からは何の応答もなかった。一人でずっと奥のほうまで歩いているようだ。安全確認といえば、聞こえはいいが……


《思った通りだ。あの棒の先っぽに、魔術で火を点した》

《魔法を使うところを見られたくないという理由もあったのね、やっぱり》


 と言いつつ、こちらも精神操作魔術でこっそり意思疎通をしながら、アナクの行動を監視している。遠く離れた通路の向こうの詠唱を聞き取れたのは、俺が『鋭敏感覚』の魔法を事前に行使しているからだ。


 当たり前だが、アナクと俺達の間には、信頼関係などない。少なくとも、今のところは。だから、彼女に与える情報は、なるべく制限する。

 具体的には、俺は火魔術を使わない。身体操作魔術については、どうしても詠唱を必要とするが、その際にはノーラにカバーしてもらって、なるべく見咎められないようにする。ノーラも魔術を使う際には、極力詠唱を聞かれないようにする。既に先日の一件で、魔術を使える可能性に気付かれている可能性はあるが、誰が何をしたかについては、今のところ判然としていないはずだ。だから、手掛かりは与えない。


「もういいぞ。降りてこい」


 俺とノーラは頷きあった。まず、俺がゆっくりと足を下ろしていく。足場を確かめながら、腰を低くして迷宮の床に降り立った。

 周囲に視線を向けるが、アナク以外、動くものの影はなかった。


「ノーラ」

「今行く」


 アナクの槍兼松明が照らすのは、一本道だった。俺達が降りた土砂の山は、背後の通路を完全に埋め潰していた。空気の流れがあまりない。


「ここはどこだ。どうなっている」

「言葉で説明して、わかるのか」

「ああ……質問が悪かった。念のために確認したいが、ここから歩いて、普通の迷宮の入口、ギルドが管理している門には辿り着けるのか」


 回答は半ば予想されていたが、念のため、尋ねずにはいられなかった。


「できるかできないか、と言われれば、できる。但し、一度地下深くに潜ってから、ということになる」


 やっぱりそうか。ここはあの最初の階層と同じ深さにあるが、通路は遮断されている。土木工事でもやれば別だろうが、そのままでは同じ階層の別の出口には行き着けない。

 もちろん、人間側も魔物側も、迷宮に穴を開けることはあるのだが……少なくとも、人間側の代表がドミネールでは、積極攻勢に出ることはないから、ここの抜け道が発覚したりもしないのだろう。


「なるほど。それで、俺達をどこに連れていくつもりだ」

「実力がわからない。だが、サソリで満足できないのなら、とりあえずはワームのいる場所だ」


 悪くない。ワームなら、尻尾一つで金貨十枚。サソリとは効率が違う。

 本当は一気に最深部を目指したくはあるのだが、焦りは禁物だ。この、焦りという感情は本当に厄介で、喩えるなら酔っぱらっているのと同じだ。自分ではなかなか自覚できない。冷静なつもりが冷静でいられない、なんてよくあることだ。


「階層としては、いくつ下まで降りることになるんだ?」

「二つ下でもワームが出ることはあるが、数を稼ぎたければ、三つ下、地下四階になる。私はそこに連れていくつもりだ」

「わかった」


 だが、ノーラが尋ねた。


「大丈夫かしら」

「怖いのなら帰れ」

「そうじゃない。私達は、地下三階でリザードマンの群れに取り囲まれた。それより深いところに潜るのなら、余計に見つかりやすくなりそうね」


 これも事前に話しておいてある。

 俺とノーラの間では、既に精神操作魔術による直通会話が可能になっている。だから、いくらでも本音のやり取りが可能だ。これを利用しない手はない。要するに、俺がアナクに賛同し、ノーラがケチをつける。疑問点を洗い出したいが、アナクとの関係を悪化させたくないので、役割を分けることにしたのだ。

 アナクは、リザードマンとの関係が疑われる人物だ。しかし、だからといって「メルサック語ってなんだ」と言い出すわけにもいかない。俺とノーラが二人して「お前は信用できない」と騒ぎ立てるのもナシだ。それなら、できれば精神操作魔術で頭の中を読み取ってしまいたいのだが、アナクには魔術の知識がある。疑われればあっさり看破される性質を持つ魔法なだけに、迂闊に使うわけにもいかない。


「そこは私の腕前を信じてもらうしかないな」


 アナクは顔色一つ変えずにそう言ってのけた。


「奴らは目敏い。もし見つかったら、どうする。殺されるくらいなら、全力で抵抗するしかなさそうだが」


 俺もわざと言った。


「それは悪手だな」

「なぜ?」

「奴らは仲間意識が強い。それに執念深い。身内を殺されたら、死ぬまで追いかけてくるぞ」


 仲間意識が強いのは、確かにその通りだったが……

 しかしこれで、ますます彼女の立場が疑わしいものになった。


「殺さなくても、俺達は奴らの餌だろう」

「狩るのが難しそうだとわかれば、追い払える。私はそうやって生き延びてきた」

「それは絶対か」

「絶対ではない。ただ、難しそうな場合はちゃんとそう言う。それまでは早まった真似はするな」


 今の時点では、いくつかの可能性が残されている。

 このまま、俺達はリザードマンに引き渡されるかもしれない。或いは、アナクが裏で連中と仲良くやってくれているおかげで、本当にトカゲと遭遇せずに探検を済ませられるのかもしれない。また或いは、本当にアナクが迷宮内の事情に通じていて、知識と才覚だけで危険を回避してくれるのかもしれない。


「さ、グズグズせずに降りるぞ。それとも怖気づいたか」

「まさか」


 鼻で笑うと、アナクは槍とも棒ともつかないそれを壁に立てかけ、一度地上に半身を出して、木の板を引っ張り込んだ。出入口を隠すためだ。それからまた降りてきて、得物を拾い上げると先に立って歩き始めた。俺とノーラは、その後に続く。

 彼女は、慣れた様子でまっすぐ歩いた。周囲を警戒する素振りも見せない。足下にサソリが出てくる心配はないのだろうか。


「ここから」


 いきなり立ち止まった。


「地下二階だ。出入口は一つしかない。ここまでは一本道だったが、この先は違う。サソリも出てくるが、いちいち相手にせずに下まで降りる」

「サソリが上がってくることはないのか」

「あれを見ろ」


 余計な虫けらが這い上がってこないよう、下り階段の途中に板が被せてあった。


「いつもは塞いである。地下二階も、ギルドの入口とは繋がっていない。三階もだ。ここからしばらく、途中で休める場所はない。いいな?」

「ああ」

「ついてこい」


 そう言うと、彼女は板を持ち上げて横たえた。その向こうには、なお暗い闇が続いていた。

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