預かれない手紙

 不毛な話し合いを済ませて、俺は迷宮から出た。異変に気付いたのは、城壁の門を抜けたときだった。


「急げ!」

「水汲め水! チンタラすんな!」

「ちっきしょおぉぉっ!」


 バタバタと走る男達。冒険者らしいのも、普通の酒場の店主も、みんながみんな必死の形相だ。手には桶、桶の中には水。誰もが大急ぎで走っている。

 何が起きた? いや、まさか、火災か!


 雨の降らない砂漠のど真ん中、この迷宮都市は木材や布といった可燃物の塊でもある。制御されない火が燃え広がったら、どんな惨事になるか。

 だからこそ、酒場も宿屋も、一般の冒険者には火種を与えない。炊事も自分ではさせない。迷宮の中以外では、火を必要としない生活を強いている。迷宮利権もあるが、安全確保のためでもある。

 いざ火災となったら、貴重な水を惜しみなくぶちまけなくてはいけない。躊躇などしていられない。ボヤボヤしていたら、被害が広がるばかりなのだから。


 走っていく人々を見て、足を庇いながらも、つい追いかけた。野次馬根性がなかったとは言わないが、少しは良心もある。俺なら『消火』の魔術で火災を抑制できるからだ。

 しかし、後を追うにつれて、だんだんと不安が勝ってきた。彼らが向かっているのは、どう考えても俺の宿のあるほうではないか。


 それは、右手に折れて階段を駆け上がったとき、確信に変わった。空気が焦げ臭い。思わず噎せてしまう。

 だが、立ち止まるわけにはいかない。もし燃えているのが俺の宿なら。ノーラはどうなった? まさか煙に巻かれて、なんてことは。


 宿の出入口のある踊り場に立つと、そこには大勢の男達が密集して立ち尽くしていた。外から見る分には、ただ煙が漏れていて、焦げ臭いというだけだ。真っ赤に燃え盛っているわけではない。なら、突っ込む……


「ファルス!」


 その足が止まった。

 振り返ると、男達が森の木々のように立つ狭間、その向こうに黒いローブが垣間見えた。


「ノーラ」


 無事だったのか。であれば、今、無理する必要もない。俺はほっと胸をなでおろし、人込みを掻き分けてゆっくりと近付いていった。


「何があった」

「火事、みたいなんだけど」


 彼女にしては珍しく、声色に力がなかった。


「それは見ればわかる」


 問題は、誰がどうしてこんな火災を起こしたか、だ。普通なら、そんなにすぐ原因などわかりっこない。だがノーラなら別だろうに。

 けれども彼女は、俺の疑問を察してか、がっくりと項垂れてしまった。


「どうした?」


 だが、俺の質問に彼女が答える前に、背後から大声が聞こえた。


「火は消し止めた!」

「おぉーっ!」

「大丈夫か! ちゃんと見て回れ! 焦げてたら水ぶっかけろ!」


 煙はまだ出ているようだが、さほどの被害もなく済んだか。俺の荷物が燃えてなければいいが。

 と思っていたら、たった今、出口から現れた男の後ろに、また人影が見えた。最初に鎮火を宣言した男は、それと気付いて慌てて場所を譲る。と同時に、急に踊り場全体が静かになった。


 新たに出てきた男が後ろ手に掴んでいたものは、担架だった。そこには当然、人間が横たえられている。だが、ピアシング・ハンドで確認するまでもなく、彼は死んでいた。顔と体を覆う布が、上から被せてあったのだ。

 火傷か? それとも窒息? しかし、疑問が解消される前に、次の担架が運び出されてきた。こちらもさっきとまったく同じ。では、この火災で何人も死んだ? しかし、それにしては。夜間ならいざ知らず、この昼間に、逃げ出すこともできずにこうもバタバタ死ぬものか。いくら巣穴が狭いとはいえ。


「ノーラ、これは」


 彼女は小さく首を振った。そして視線を少し離れた壁際に向ける。

 そこには、うずくまるコーザの姿があった。


 俺は少し気持ちを落ち着けてから、そっと彼に近付いた。


「コーザさん」


 声をかけると、彼はビクッと背中を震わせた。


「ご無事だったんですね。大変なことになりましたが、助かって何よりです」


 ところが、彼は下から俺の顔をねめ回すと、恨みがましく吐き捨てた。


「何が無事なもんか」

「と言いますと? 何か僕が……」

「あ、いや」


 とはいえ、一瞬でいつもの弱気な彼に戻ってしまうのだが。


「ファルス……君が悪いわけじゃ、ないんだけど」

「どうなさったんですか」


 この質問に、彼は周囲を見回した。


「ああ、なんでしたら、お食事でも」

「いらない」


 そう言いながらも、彼は立ち上がった。


「ファルス」


 そっと横に立ったノーラが俺の袖を引いた。


「少しここを離れましょ。コーザさんも」


 本当にコーザは食事を要求しなかった。とにかく人のいない場所を探して、迷宮都市の狭い通路を彷徨い歩いた。

 辿り着いたのは、狭苦しい袋小路の奥だった。天井は高く、街の天辺、その布のほつれから僅かに陽光の挿し込む薄暗い場所だ。

 そこで彼は、また糸が切れたようにしゃがみこんでしまった。


「……自分がいやになったんだ」

「あの火事と関係が? まさか」


 将来を悲観して放火? と思ったのだが、コーザはこの時だけは顔をあげて、強い口調で否定した。


「違うよ! 僕がやったんじゃない」

「じゃあ、気にすることなんて」

「僕は、僕が助かることしか考えてなかった。いつだって」


 誰でもそうだ。そんなの、いちいち自分を責めていたら、キリがない。


「当たり前のことじゃないですか」

「そうだよ。そうだけど……もうちょっと僕がよく考えてたら、あんなに死なずには済んだ」

「コーザさんの責任なんですか?」

「そうじゃないけど」


 彼の場合、毎度のことなのだが、いい加減要領を得ないので、俺ははっきり尋ねた。


「結局、あの火事は? 亡くなった方というのは、なんなんですか」

「自殺」


 短くそう言うと、彼は自分の膝に顔を埋めた。


 今年の翡翠の月にサハリアの地を踏んだ時には、まだみんな、夢と希望を抱いていた。やっと十五歳になった若者ばかりなのだ。三年間も砂漠で頑張るなんて、誰がどう考えても大変な仕事には違いないが、彼らは元気いっぱいだった。帝都から出たことなどなかったのだから、初めて見る街並みや船旅、雄大な砂漠の景色に心を奪われるのは、ごく自然なことだった。

 ムスタムから散々苦労してドゥミェコンに入る頃には、砂漠の暑さに少々打ちのめされてはいたが、それでも彼らには青年らしい覇気が残っていた。それは子供のような甘ったれた気構えと切り分けられてはいなかったが。

 頑張るぞ、俺達はまだまだだ、これから強くなる、立派に成果を上げて、帝都に凱旋するんだと。あまり心配はなかった。去年も一昨年も、帝都からの船団が先輩方を運んできているはずなのだから。


 けれども、そんな元気は最初の三ヶ月で雲散霧消した。

 熟練の冒険者でもリザードマンには苦戦するし、時には殺される。そして自分達は、戦う術をもたないただの素人だ。サソリ相手に重傷を負い、ゴキブリすら取り逃がす。

 先輩に会えないと思ったら、みんな街の中心で浮浪者になっていた。それもあまり多くは残っていない。あとは死んだか、行方不明かだ。

 こんなに物価が高いのに、帝都からの支給金はあと数ヶ月でなくなる。とてもじゃないけど、やっていけない。

 一方で、彼らは既に散財を覚えてしまっていた。ここのヌシ達は、また女衒でもあった。大丈夫大丈夫、強くなってたっぷり稼げば、いくらでも楽しめるから……とうそぶいて、彼らに女遊びを教えた。


 その快楽と絶望の狭間で、彼らはどんどん刹那的になっていった。日々、死が間近なものになっていった。自分達を陥れているここのヌシどもの勧めるままに、コーザの仲間達は麻薬に手を出した。

 あの夜、コーザは仲間が麻薬に溺れているのを知っていた。知っていて、自分だけ宿の外に出て、罰を避けようとした。あの夜の迷惑なドラッグパーティーは、先の見えない青年達の絶望の宴だったのだ。半年後にはもう、どうなってもいい。どうしようもない。諦めゆえに、その場の快楽に縋るしかなかった。


 その気持ちを痛いほど理解していながら、コーザはなおも生にしがみついた。その結果が、俺の証言だった。コーザは難を逃れた。

 だが、同宿の仲間達は、当然の如くに除隊処分となった。もう、挺身隊の初年度給付金も受けられない。彼らは、あっさり決断した。手元に残った麻薬を燻して、せめて最後にひと時の酩酊を味わいながら、息絶えることを選んだ。

 薬物の過剰摂取で死んだ彼らには、火の後始末ができなかった。それが火災の原因だったのだ。


「うっ、ううっ、うっ、うっ……」


 喋りながら、ついにコーザは咽び泣く始末だ。

 俺としては、またしても情けないというのが半分、気持ちもわかるというのも半分だった。


 情けないというのは、覚悟のなさだ。そもそも挺身隊なんかに参加しなきゃいけないのはなぜか。帝都での競争に負けたからだ。もちろんそれは、貧困家庭に生まれたとか、何か不利なスタートラインがあったためかもしれないが、とりあえずそれはおくとして。

 だったらここからは敗者復活戦なのだから、死に物狂いで生き残りを勝ち取るか、いっそ帝都を捨ててやるかのどちらかではないか。その進路を考える時間なら、一応一年間もある。その間に無駄な出費を抑え、ライフプランを検討し、今後に備えるということができたのではないか。少なくとも、女を買ったり麻薬を吸ったりしてる暇なんかないはずだ。

 それに、不利なスタートを切ったといっても、じゃあ俺はどうなんだ。世界の欠片を宿して生まれてきたという有利な条件があるだけに偉そうなことは言えないが、その他の境遇については、この帝都の若者達よりずっと悲惨だった。暴君の統治する寒村で、両親に虐待されながら育ち、挙句の果てに食い殺されそうになった。かと思えば、すぐさま奴隷だ。

 ノーラを見てみろ。リンガ商会が成功したのは俺が与えたもののせいだから別としても、それまでの人生を眺め渡しても、情けないところなんかない。あのグルービー相手に意志を押し通してきた。何の能力もないただの少女が、誘惑にも脅迫にも屈することなく、奴隷の身分のままで。

 それと比べればずっとぬるい条件で生きてきたのに、もう諦めて自殺するのか。


 だが、気持ちもわかる。人は環境に適応するものだ。彼らはずっと、帝都の下層階級として生きてきたのだろう。灰色の日々の中で、少しずつ諦めを学んでいく。

 喚いても叫んでも、帝都は広すぎる、大きすぎる。どうにもならないままに、ここまで流れ着いてしまった。外の世界など何一つ知らないモヤシのような青年達に、どうして今から生きる力を期待できるだろう? 彼らは死ぬべくして死んでいる。


「自殺した人が出たのは、初めてですか」


 この問いに、コーザは突っ伏したまま首を振った。


「さっ、最初は……二ヶ月前」


 そう言いながら、彼は懐から何かを引っ張り出した。それは便箋だった。


「こ、これ」

「なんですか」

「遺書」


 俺はそれを手に取った。封はされていない。


「もし帰れたら、届けてくれって、僕に、そいつが」


 手紙を届けたい家族がいるのに、自ら死を選んだのか。俺からすれば、なんたる贅沢……いや。

 見たくないものを見せつけられた気分がした。俺がこれからしようとしているのはなんだ? 自殺そのものじゃないか。死ねば後腐れはない? ノーラは悲しむだろう。それがわかっていて、俺も彼女の心配をしているのに。

 でも、駄目だ。駄目なんだ。頼むから、俺のことなんて忘れてくれ。いなかったことにしてくれ。それさえ叶うなら、なんだって支払う。俺は一人でいなくなる。存在しなくなる。何もかもを滅ぼして、虚無の静寂の中に留まる。それでいいじゃないか。

 そうだ。人はいつかは変わる。変わってしまう。前世を思い出せ。晩年の俺に、そんなに大切な友人が、家族が、一人でもいたか? いつかは誰しも砂漠の砂となる。いいじゃないか。


「ね、ねぇ」

「なんですか」


 返事をする俺の声は、少し震えていた。


「その手紙、もし、できるなら」

「挺身隊の仕組みで、手紙を送ることは……いや」


 検閲がかかるに決まっているか。

 不都合な情報は握り潰す。それくらい、あのキブラなら平気でやりそうだ。


「うん、だから、誰か帝都に行く人がいたら、って……僕、あと二年と半年も、ここで生き延びるなんて」

「諦めては駄目です」


 だからといって、俺がメッセンジャーになるのか? ならなきゃいけないのか? この人形の迷宮での目的を擲ってまで? そんなわけにはいかない。

 俺は、心にもないことを言った。


「コーザさんはちゃんとしてるじゃないですか。今から贅沢を控えて、毎日迷宮の中に座ってお金を貯めて、備えてるじゃないですか。耐え抜けば、きっと任期を満了して、帝都に帰れますよ」

「だ、だけど、もう」

「しっかりしてください。もしこの手紙が負担だというのなら」


 俺はそれを彼に突っ返しながら言った。


「いっそ、その日まで抱えていてください。そうすればきっと、生きられる。生きなければいけないから……そうじゃないですか」


 自分で言っておいて、吐き気がする。

 じゃあ、俺はなんなんだ。


「僕はそれを預かれません。コーザさん、それは荷物に見えて、実はあなたの杖なんです。手放してはいけませんよ」


 それだけ言うと、俺は背を向けた。ノーラも何も言わず、俺に続いた。

 我慢しないと、喚き散らしそうな気分だった。八つ当たりしたくなる。乱暴に足を踏み鳴らしたり、剣を振り回したくなる。でも、いけない。ノーラが俺の気持ちを察するだろうから。親切な少年のふりをして、この場を去るだけだ。


 反吐が出そうだ。この身勝手な薄情者め。

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