ギャングのキング

「いただきます」


 もう日も高い。すっかり遅くなってしまった。

 予定ではもう少し早く酒場に戻るつもりだったのだが、ノーラが足に負担をかけるべきでないと主張したので、あえてゆっくり歩いた。結果、いつもより三十分は遅い時間になって、やっと朝食となった。西の街区から戻る途中にも飲食店はいくつかあったのだが、基本的には毎朝ここで食べるというのが宿を紹介してもらう条件だったので、空腹を感じながらも我慢するしかなかった。


「残り物、か」


 結構な空腹感だというのに、食卓はいつにも増して貧相だった。

 皿の上にあるのは古びたパン。それも小さい。スープも冷めかけている。前世なら、食事を温め続けるのに、いくらでもガスコンロを使えた。ここではいちいち薪で加熱しているので、これも仕方ない。その薪にしたって、わざわざ砂漠を渡って商人達が持ち込んだ貴重な資材だ。


「こういう日もあるわよ」

「そうだな」


 ここはこういう場所。贅沢したいのなら、それこそピュリスに帰ればいいのだ。それに、俺には幸い、シーラのゴブレットもある。

 とはいえ、釈然としない思いもある。ここの酒場の主人も、迷宮利権にしがみついている。俺は宿を確保してもらった手前、ここで食べなくてはいけない。約束に縛られている相手なのだから、少しくらい出すものの質を下げても、逆らえないはずだ、と。

 考えすぎだろうか?


「じゃ、いただきま」

「待ちな」


 ドン、と真横に足音が響く。

 大きな口を開けてパンにかじりつこうとしたところで、なんとも間の悪い。一瞬、考えてから、俺はあえてパンに噛みついた。


「おいっ」


 無視してコップの水をガブ飲みする。早食いは体によくないのだが、食べないよりはましだろう。


「なんですか」


 返事をしながらも、俺はスープの皿に手を伸ばした。視線をくれてやったりもしない。


「ざけんなっ、このガキ!」


 ガチャン、と座りの悪いテーブルが揺れ、皿の中のスープに大波が立つ。

 右手を上から押さえてきたのだ。振り払うのは簡単だが、それではスープが飛び散りそうだ。諦めて力を抜く。


「用事があるなら口で言えばいいでしょう。朝から何も食べてないんです。聞いてますから続けてください」

「散々待たせやがって、このっ……」


 俺は溜息をついてやった。

 さっきから俺の食事を妨害しているのは、あのドミネールの手下、バンダナの男だ。他にもう一人、下っ端らしい男が横にいるが、突っ立っているだけだった。


「約束なんかしてましたっけ? ないですよね? だったら待ってたのはそっちの都合じゃないですか。どうして僕に腹を立てるんですか」

「ああっ!?」

「だいたいあれだけの真似をしでかしておいて、声をかけたからって、僕がホイホイ耳を傾けるとでも? ほら、邪魔だからその手を放してください」

「んだとぉ?」


 人の頭に糞尿をぶっかけようとしたクソ野郎の分際で、朝食を妨げてまでお話を聞いてもらおうだなんて、ムシがよすぎる。


「いいから早く来い」

「いやです」

「じゃねぇと……なにっ?」


 手を放して歩き出そうとしたバンダナ男は、拒絶の言葉にまた身を翻す。その顔には焦燥感が滲んでいた。


「どんだけ態度でけぇんだ。ガキの分際で、おい、いいから」


 自由になった右手で器を持ち上げて、ズズッとスープをすする。

 本格的に邪魔される前に、少しでも食っておかないと。水も食料も貴重なのだから。


「失礼過ぎてお話にならないので、相手にしません」

「バカが、死にてぇのかよ」

「僕を殺しにきたんですか」


 ノーラはさっきから状況を注視している。いくら俺に殺しをさせたくないとはいえ、あからさまに敵意のある連中となれば。ただ、人の目のあるこの場所で事件を起こすのはまずい。といって、すぐ魔術に頼るのも、リスクがある。きっと頭の中で、今、何をするのが最善かを必死に考えているのだろう。


「ちげぇよ。ドミネールさんが呼んでる。わかったらとっととついてこい」

「じゃあ、いやです」

「あぁん!?」


 行くわけないだろうに。こいつの頭の中には何が詰まってるんだ? 予備のバンダナか?


「僕にどんな用事があって呼ぶんですか。どうせまた、人目につかない場所に連れ込んで、いじめるつもりでしょう」


 以前にこの酒場で何をしてくれたか。頭を下げて酒杯を差し出した俺を蹴倒した。常識的な判断としても、そんな怖いオッサンのところにノコノコ出かけていくなんて、あり得ない。


「そうじゃねぇ」

「ふぅん?」

「話があるから呼びに来たんだ」

「そっちから来ればいいのに」

「なっ、こ、この……」


 俺は一つもおかしなことを言っていないのに、こいつは勝手に怒り狂っている。虎の威を借りて好き放題してきたせいか、常識の基準がどこかズレてしまっているのだろう。


「どこですか」


 話を引き延ばしながら、俺はサラダに手を伸ばした。萎びかけたキャベツの千切りが、タワシのきれっぱしみたいに小さく丸まっている。


「俺達の詰所だ」

「危なそうですね」

「今回は話だけだ! いいから来てくれ! じゃねぇと」

「あなたが殴られる、と」


 足下を見られて、彼は顔を紅潮させた。その隙に、俺は小皿のクルミに手を伸ばす。


「これ、ちょっと古いな」

「味があんまりよくないわね」

「場所が場所だけに、贅沢は言えないけど、んむ」

「こらぁっ!」


 我に返ったバンダナ男が、後ろから俺の肩を揺さぶった。仕方ない。そろそろ行くか。


「わかりましたよ。一通りは食べましたし、行ってあげましょう」

「くっ」

「私も」

「ノーラ、大丈夫。大事にはならないよ」


 目立つ場所で殺人なんてできないのは、あちらもこちらも同じこと。油断しているところを狙われるのならいざ知らず、そうでもなければ不覚を取ったりはしない。それより近くにノーラがいると、人質にされかねない。


「僕が戻るまでの間、気を付けて。わかるよね?」

「うん、わかった」


 この「わかった」とは、つまり、魔術を駆使してでも人目につくな、という意味だ。ここには悪意がある。俺が近くにいない時には、自分で身を守ってもらわなくては。

 返事をしたノーラは、すぐさま席を立った。俺も振り返り、バンダナ男に言った。


「じゃ、お供しましょうか」


 目的地は詰所と言いながら、彼はまっすぐ街の中心に向かって歩いた。冒険者ギルドの脇を通り抜けて、迷宮の入口を囲む城壁を潜り抜けた。


「どこに向かってるんですか」

「詰所だっつってんだろ」

「迷宮ですよ、こっち」

「そん中にあるんだ」


 帯剣しておいてよかった。もし襲われでもしたら、全員叩き斬ってやろう。

 バンダナ男が軽く手を振ると、ギルドの職員らしき男は、何も言わずに身振りで通行を許可した。なんだ、俺の時には名前を書けとか、メンバーを全員揃えろとか、いちいちうるさかったくせに。


 既に見慣れた地下への階段を降り、幅広の通路を通って最初の広間に出る。

 ふと、コーザのことを思い出した。俺がこうやってここのヌシどもに連れまわされてるのを見たら、どう思うだろうか? やっぱり心配されてしまうのか。そう思ってざっと周囲を見回したが、なぜか彼の姿はなかった。どうしたんだろう?

 逆にこっちが不安になったが、今はそれどころではない。終わったら宿に引き返して彼の顔を見るとしよう。例のキブラへの証言が役立ったか、確認するだけだが。


 しゃがみ込む連中を軽く蹴散らす勢いで、バンダナ男は左に向かった。コーザが行くなと忠告してくれた方向だ。突き当たりだと彼は言っていたが、つまりはこいつらヌシどもの溜まり場があったのだ。そういえば「怖い人達に小突かれる」とも言っていたっけ。


「こっちだ」


 落ち着きを取り戻していた彼は、低い声で俺に呼び掛けた。

 薄暗いが、通路はしっかりしていた。真四角に切り抜いたようなきれいな壁、床に感心しながら、俺は黙ってついていった。

 通路が途切れたところで、左手に明るい出入口が見えた。先に室内に立ち入ったバンダナ男に続いて一歩踏み込むと、思わず足が止まった。想像もしていなかった声が聞こえたからだ。


「アッ……アンッ……」


 もしかしなくても女の喘ぎ声だ。

 こんなところで何やってんだ。


 足を止めたのに気付いたバンダナ男が、振り返って優越感溢れる皮肉笑いを浮かべた。


「なんだぁ、童貞野郎か。ははっ、まぁ心配するな。お前の態度次第じゃ、いい思いもできるってもんさ」


 はて。

 あのドミネールが俺に女まであてがってくれると? そんなうまい話があるものだろうか。


 それにしても、だ。

 ここが本当に迷宮の中とは、ちょっと考えられない。


 どちらかというと、ただの地下室だ。この一角だけはきれいに整備されていて、壁もニスを塗った木材で覆われている。足下も木の板で、古びた絨毯も敷いてある。すぐ目の前には二段ベッドがあって、そこでだらしなく寝転がったままの男もいる。

 そうした一角を抜けると、すぐ耳に下品な笑い声が響いてきた。脇の小部屋から、サイコロを転がす音が聞こえてくる。


「ここは?」

「あん? 飯食うところだな。夜にゃあ、みんなで酒を飲むこともあるが……いつもは街で昼間っから飲んでるからなぁ? あとはまぁ、気分次第で賭場にもなる」


 なんと、地下カジノということか。

 しかし、なぜこんなところで?


「んで、こっちが」


 そのすぐ隣にも部屋があったが、こちらは扉が閉まっていた。


「ヤリ部屋だ」

「や、やりって」

「お前にとっちゃあ、一生に一度の思い出、大事な大事な筆おろしをする場所だ……もっとも、態度次第だがな」


 入ってすぐの大部屋に二段ベッドをいくつも置いて、寝床とする。その奥の二部屋がそれぞれ宴会場、ラブホテル、か。普段の暮らしに必要なものは、一通り揃えました、といったところか。

 バンダナ男は、なおもまっすぐ進む。その先に、一つの扉があった。ラブホテルはずっと後ろ、なのに女の喘ぎ声も、むしろここから聞こえてきているのだが。


 立ち止まった彼は、振り返って俺に言い含めた。


「あんまナメた態度をとるんじゃねぇぞ?」

「はい?」

「今、戻りました! 遅くなってすいやせん!」


 中から聞こえてきた女の声が、急に止んだ。


「おう、入れ」


 ドミネールの低い声が聞こえた。

 扉を開けたバンダナ男の後に続いて、室内に立ち入った。途端に汗の臭いがして、思わず顔を背けた。


 どうやらここは、王様の部屋らしい。

 なんと、足下の床には白い大理石を敷き詰めている。壁も漆喰を塗ってあり、地上の家々よりずっときれいに仕上げてある。三人くらい座れそうな大きさの真っ赤なソファが真ん中にあり、そこにドミネールは半裸で座っていた。そのすぐ下には、バスタオル一枚を羽織ったきりの若い女がしゃがみ込んでいる。


「ファルスを連れてきま」

「おい、バン」

「はっ」

「遅ぇじゃねぇか」


 すると彼は、黙りこくってしまった。

 ゆらりと立ち上がったドミネールは、いきなり彼の鳩尾に拳を打ち込んだ。


「うぐ!」

「おかげでよぉ」


 顎で女を指し示しながら、ドミネールは理不尽な苦情を吐き散らした。


「いらねぇ女、買っちまったじゃねぇか」

「す、すみま」

「んで中途半端に早く帰ってきやがって、なぁ、おい……イキ損ねただろが」


 暴君の不機嫌を見て取った女は、すっと腰を浮かせると、小走りになって部屋から出ていった。

 それを見送ったドミネールは、軽く鼻を鳴らした。


「んで?」

「あ、はい」

「ナシはつけてきたんだろうな」

「そ、それは、まだ」


 突然、ドミネールはバンダナ男を蹴飛ばした。勢いよく吹き飛ばされて、彼は壁に叩きつけられた。


「しょうがねぇ、俺がいちいち言わなきゃいかんってか」

「何の御用ですか?」


 俺が口を挟むと、やっとドミネールはこちらに向き直った。


 しょうもない小芝居だ。実にチンピラらしい。

 俺が顔を出す前に女を抱いていたのも、目の前で手下をぶちのめすのも、自分の権力を誇示するためだ。逆らえない男だと、そう思い知らせたいのだ。


「何の御用ですか、だと?」

「丁寧に用件を尋ねたつもりです。いけませんか」

「ハッ」


 口元は笑っているが、目つきは険しくなった。生意気なガキだと思っているのが、よくわかる。


「いいさ。じゃ、とっとと終わらせるか」


 そう言いながら、彼は悠々とソファに腰を下ろした。


「お前、騎士なんだって?」

「はい?」

「ごまかすなよ。黄金の腕輪を見せびらかしてんじゃねぇか」


 注目されてしまった、か。

 状況を好転させようと、あちこちで腕輪をアピールしてきた。今となってはデメリットしかないとわかっているが、おかげでドミネールは俺に意識を向けるようになった。


「これですか」

「本物か」

「はい」


 嘘をついても、すぐバレるだけだ。俺は肯定した。


「ファルス・リンガ……ピュリスにリンガ商会っつーのがあるって聞いたが、それもマジか?」

「それは、ありますね」

「おいおい、じゃ、お前、とんでもねぇ金持ちってわけか。ははっ」


 どうする?

 大金を自由にできる少年。その認識が、彼をどう動かすか? ドミネールはあからさまに利己的な男だ。こちらの立場を尊重することはない。


「そんならお前、わざわざこんなところまで来なくても、いくらでもいい思いできんだろがよ。何が欲しいんだ? 言ってみろよ」


 その対価に、大きな負担を要求する。見え透いている。


「少々誤解があるようですが」

「なに?」

「どうもお話を聞いていると、あなたはフォレスティア王国の事情をあまりご存じないように見えるのですが、ピュリスに行かれたことは?」

「ねぇよ。それがどうしたってんだ」


 よしよし。

 つまり、あちらの事情は伝聞でしか知りませんよ、と。なら、適当に嘘を拵えてやろう。


「ピュリスにリンガ商会があるのは事実です」

「おう?」

「それは僕の名前からとったものです。これもその通りです」

「お前の商会なんだろが」

「それが少し、微妙に違いまして……」


 眉を吊り上げたドミネールに、俺は嘘八百を並べだした。


「本当は陛下、つまりタンディラール王の私財です」

「ああん?」

「コラプトの大富豪、ラスプ・グルービーは数年前に死去しましたが、財産の相続人は、特に指定されませんでした。海外の事業などは、現地の担当者にそのまま譲渡したようですが……それで当時まだ王太子だった陛下は、その莫大な財産を我がものとするため、側近のサフィス・エンバイオの下僕である僕に、その役目を与えました」


 ドミネールは絶句して、俺の説明をじっと聞いている。


「フォレスティアの貴族には、金儲けに奔走することは卑しいという考えがありますから……ただ、そうなると、形だけとはいえ、僕にもそれなりの肩書が必要です。だからいろいろでっち上げました」

「でっち上げた?」


 いっそ俺の異常な経歴を、ここらで塗り潰してやろうか。


「内乱の際にも武功を挙げたことにされましたし、ムーアンでも黒竜を討伐したことになっています。でも、そんなのできると思いますか。やっと十一歳ですよ。偽帝のアルティじゃあるまいし……実際には陛下の手回し、協力があってのことなんですよ」

「じゃあ、なんだ、お前は仕立てられただけの、ただの看板ってわけか」

「そういうことになりますね。まぁ、いろいろ思惑はあるんじゃないですか? 例えばお隣のシモール=フォレスティア側には、ペイン将軍みたいに若くして有能なことが知れ渡ってる人もいますし、陛下としても、たとえ張子の虎でも、こちらにも若い才能がいることを見せつけないわけにはいかないんでしょう」


 一通り聞き終えて、彼は顎に手をやり、じっと考えた。


「じゃ、お前はどうしてそれを俺に言った? え、おい」

「言わなきゃ納得しないでしょう? ない袖を振れと言われてもね」

「なくはないだろ。その話が本当なら」

「ええ、陛下のお目付け役がどこかにいるかもですね」


 深く考えもせずにベラベラと咄嗟に嘘を並べ立てたので、あまりじっくり検討されると、穴が見つかるかもしれない。

 と思ったが、ドミネールはいきなりプッと噴き出した。


「いないかも、ってこともあるよな」

「えっ?」

「王様にしてみりゃ、側近の下僕なんざ、使い捨ての駒でしかねぇ。んで、ピュリスにも血縁の子爵を置いたとなりゃあ、そろそろお前も……プッ、ハハハ」


 そういう解釈か。

 つまり、グルービーの財産を欲しがったタンディラールが、その相続人としてのファルスを仕立て上げた。しかし、もう政権は安定したし、ピュリスの総督も王家の人間に差し替えた。そろそろ側近の下僕なんかに大金を預けっぱなしにする理由もなくなった、と。

 ということは、ファルスは国王陛下に切り捨てられそうになっていて、それで点数を稼ぎにきたんじゃないか……そう推測しているわけだ。


 まぁ、それはそれで構わない。

 俺に興味をなくしてくれれば。見下そうがなんだろうが、どうでもいい。目的の邪魔にさえならなければ。


「よし、わかった。ファルス、お前、俺の手下になれ」

「はい」


 俺はあっさりと承諾した。


「はいぃ?」


 想定外の返答に、彼は頭を掻きむしって、数秒間、考えた。貴族の下僕という、プライドの高そうな人種が、こうもあっさり? それに、他にも不思議に思うところはあったようだ。


「じゃあ聞くが、この前はどうやって水道に穴を開けたんだ」

「開けてません」

「嘘つくな」

「リザードマンがやりました」

「てめぇ……」


 睨みつけてくる。面従腹背そのままの態度に、彼の怒りは熾火のように燻っている。だからどうした。


「悪いこたぁ言わねぇ。この街を今、仕切ってんのは俺だ」

「女神挺身隊の団長は? キブラという女性の方ですが。この拠点が帝都の方針で維持されている以上、挺身隊が迷宮攻略の主導権を握っているかと思いますが」

「ハッ! あんなババァに何ができる」


 まぁ、それはそうだ。自分としても、言ってみただけ。


「では、黒の鉄鎖は? 傭兵を大勢抱えていますね」

「奴らとやりあうことはねぇ」

「どうして言い切れるんですか」

「あいつらには、こっちに構ってる暇なんざねぇんだよ」


 要するに、自警団もギルドも、誰もドミネールに掣肘を加えることはないと。やりたい放題だ。

 本来、ギルド即ち帝都の権力の一部なのだから、現地の冒険者には、迷宮の魔物と積極的に戦うことも含め、さまざまな命令ができるはずなのだが、どうもそうなってはいない。そして、ギルドに上から強く物を言えるはずの立場の挺身隊の幹部も、この状況に手を打つ様子がない、と。

 唯一、この権力構造の外側にあるのが黒の鉄鎖だが、彼らは彼らで別の仕事があるのか、ドミネールの横暴に横槍を入れることはない。


「ま、あれだ。お前がハクをつけて国に帰りたいっていうなら、おとなしくここで待っとけ」

「待つ?」

「リザードマンの首でも手に入ったら、一つくらいはくれてやる。難しいこたぁ何もねぇだろ。食って寝てクソして、たまに女を抱くだけだ。何の文句もねぇだろうがよ」

「あります」


 冗談ではない。そんな暮らしをしたいのなら、それこそピュリスに引き返せばいい。

 俺とこいつがやり取りすべき事柄は、これしかないはずだ。


「あなたのメンツは立てます。何なら人前で土下座しても構いません。だから、僕の好きにさせてください」

「あん? 好きに……何がしてぇんだ」

「迷宮の奥を目指す。冒険者として、やって当然のことをしたい。それだけです」


 ソファの肘掛けに凭れ、トーントーンと指を弾いて、彼はまた、数秒間、考えた。


「そいつは認められねぇな」

「なぜですか」

「なんでもクソもねぇ。やめろっつったらやめろ」


 理由は? よくわからない。俺が一人で潜って、一人で魔物と戦うだけ。もし死んでも、俺の自業自得。もしくはせいぜいのところ、ノーラを連れていくくらいだ。こいつらには何の負担も要求しないのに。


「お金の問題ですか? 何なら、中で狩った魔物の報奨金の一部を分けてあげてもいいですよ」

「それくらいじゃ全然足りねぇんだよ。いいからやめろ」


 わからない。

 アナクが言うならまだ理解できる。仲間のリザードマンを傷つけさせないため、とか。でも、ドミネールにメルサック語のスキルはないし。

 じゃあ、俺が迷宮に潜ることで、どんな迷惑が降りかかるというのだろう?


「理由くらい教えてください」

「うるせぇ」

「では、交渉決裂ですね」

「あぁ?」


 襲いかかってくるか? そのほうが好都合だが。


「どうしますか」

「なにぃ?」

「僕は僕のやりたいようにします。邪魔をするなら、お好きなように」

「てめぇ!」


 やるか?

 と待ち構えてみたが、ドミネールは動かなかった。


 ややあって、彼は手を振った。


「……失せろ」


 俺は黙って背を向けた。

 今度こそ、興味をなくしてくれたんだろうか?


 どうでもいいか。

 それより、三日後にはアナクの案内で迷宮に潜ることになる。どちらにせよ、裏口から挑むのだから、ドミネールの逆鱗にも触れることはあるまい。


 こんな奴らにこれ以上、構うこともない。

 それより、三日しかない。今度こそ、迷宮の深層を目指すべく、今のうちにやるべきことをやらなくては。

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