ギャングのプリンセス

 宿の前の狭い踊り場に、珍しく陽光が突き抜けていった。

 木の板や日干し煉瓦、汚れた布の積み重ね。その間隙を縫ってほぼ真横から、まだ橙色の太陽が淡い褐色の足場を照らす。命を失った灰色の世界にあっても、今この瞬間に限っては、何もかもが息を吹き返す。壁に立てかけられた木の板も、くっきりと木目を浮かび上がらせる。隅に置かれたままの古い壺にも、ザラつく表面に色濃い影が纏わりつく。


 息を吸い込む。これまた珍しく、不思議とすがすがしかった。

 砂漠の真ん中にあるこの街は、真夜中にはひどく冷え込む。逆に日中は、焼けつくような暑さになる。それでも幾重もの布に覆われているおかげで、街の中にいれば多少はましなのだが。その昼と夜の狭間にあって、明け方だけは程よく涼しく、微風が静かに吹き抜けていくのも、心地よかった。


 たまには早起きしてみるのもいいかもしれない。

 夜が終わり、朝が始まるこの時間、街は静まり返っている。ずっと遠く、どこかで何かの作業をしているのだろう、時折、木槌で何かを叩くような物音が響いて聞こえる。

 そんなノイズの少ない時間が、この上なく好ましかった。


 小さな足音が、すぐ脇で止まった。


「おはよう」


 遠慮がちにノーラが声をかけてきた。


「おはよう」

「……もう少し後にする?」


 俺は口元で小さく笑みを作ると、首を振って立ち上がった。


「ううん」


 不器用だけれど、決して鈍感ではない。気にしなくていいのに。

 俺が穏やかな気持ちでいるので、邪魔したくなかったのだ。けれども、今日の早起きには理由も意味もある。


「目立ちたくないから」

「じゃ」


 それきり、俺達は頷いて歩き出す。


「待って」


 小走りになって、ノーラが先に立つ。


「ゆっくり歩かなきゃ」

「うん」


 俺の足はまだ、治りきっていない。まだ三日目だ。薄暗い下り階段で足を踏み外すといけないからと、彼女は前に立った。


「負担をかけるけど」

「えっ? ううん」


 小さく首を振り、彼女は俺の手を取った。そうして階段を降りきってから、顔だけ出して、通りの左右を確認する。

 誰もいないとわかると、大通りを横切って、すぐ目の前の狭い路地へと踏み込んでいく。


 なんだか秘密基地みたいだ。


 ふと、そんな感想が自然と出てきた。前世の、それこそ子供が空き地とか、資材置き場とか、そんな場所に勝手に拵える秘密基地。あれとそっくりだ。

 出来の悪い日干し煉瓦の壁は、崩れかけたコンクリートブロックみたいなもの。薄っぺらい木の板が天井だったり、ただ布を被せておいてあるだけだったり、それがいきなりなくなって、急に天井が高く見えたり。足下もどうだ。住民がその場その場で継ぎ足したその路地は、あちこちに不要な段差がある。かと思えば、昔、排水を流し続けたためか、不規則な形に蛇行した水路のような凹みも見つかる。もちろん、今は水一滴こぼれていないが。

 あちこち曲がりくねって、行き止まりは土壁、板、布……その布を突き破って更に通路をまっすぐ進む。


 この殺伐とした迷宮都市が、まるで子供の遊び場みたいにも見える。ノーラに手を引かれていると、尚更に。

 不思議な気持ちだった。


 だが、そろそろ気持ちを引き締めなくてはいけない。


 俺とノーラがここまで来たのは、アナクと取引するためだ。訪問を事前に知らせてはいない。彼女に悪意があった場合、こちらにとって不利な場所で待ち伏せされる危険もあると予想したからだ。最悪の場合、熟練のリザードマンの群れに包囲される、なんてことまで考えられる。

 昨日、俺が宿に戻ってから、ノーラが一人で西側の地区を歩き回った。魔術で自分の所在を隠しながら、アナクのことを知っている子供を探した。彼らの心を読み取りながら、ノーラは西の街区を歩き回り、だいたいの土地鑑を掴んだ。彼らストリートチルドレンのねぐらも突き止めた。

 そこにいきなり踏み込む。相手に準備する余裕を与えず、こちらのペースで話を進める。


 身構え過ぎだろうか? そうは思わない。

 例えば、この街に来るとき、砂漠を渡ることにかけては、地元の商人達にはまったく及ばないと思い知った。誰しも生業とするところでは強者だ。ならば、スラム化したこの西の街区で生きる少年少女は、ここにいる限りは弱者ではない。剣を手にすればこちらのものだと安易に考えるならば、それは無用な侮りだ。


 不意に物陰でノーラが足を止めた。ゆっくりと振り返り、俺の手を二度、強く握りしめた。俺は頷いた。

 振り返ったのは、すぐそこにアナクがいるということ。二度、手を握ったのは、相手に気付かれたということ。それでも構わない。すぐ踏み込む。


 路地を左に曲がり、すぐまた右に曲がった突き当たり。三方をそれぞれ別々の家に囲まれた小さな庭。二階建てのボロ屋だったらしい建造物は、既に家の前面が崩れかけている。その一階部分の軒先に、座ってくつろぐ少女の姿があった。

 以前に見たままだ。縮れた短めの黒い髪。浅黒い肌。整った目鼻立ち。それに、常に相手を見下ろす威圧的な眼光。少年が身に着けるようなカーキ色の粗末なシャツと長ズボン、それに擦り切れたサンダル。服装はお粗末そのものなのに、それが妙に似合っていた。


「お前」


 こちらを恐れる様子は微塵もなく、余裕いっぱいに顎をしゃくってみせた。


「どうやってここを知った」

「適当に捜し歩いていただけだ」

「ハッ」


 アナクは立ち上がると、拳を作ってトントンと俺の胸を叩いた。


「気をつけろ。手違いで殺しかねない」


 この貫禄。この胆力。やっぱりバカにはできない。

 いきなりの訪問、それもここは彼女にとって隠れ家の一つだったに違いない。もし俺が、西の地区にやってきてからアナクのことを尋ねていたら、きっと手下どもから俺のことを聞き知って、待ち構えていた。そうやって予防線を張ることで、自警団を敵に回しながらも今日までうまくやってきたのだ。

 なのに、このサソリのファルスとやらは、いきなり自分を見つけてきた。戸惑いがなかったといえば嘘だろう。だが、そこは少女ながらにギャングのボスらしく、虚勢に過ぎないとはいえ、すぐに余裕を取り繕って俺に脅しまでかけてきた。何があっても主導権は手放すまいと、すぐさまそこに気付いたのだ。

 間違いない。もしイフロースなら、もしキースなら、彼女の中に、自分に似た素質を見出しただろう。アナクは生まれながらにして、戦うということを知っている。


「それで、金は」

「先に知っていることを教えろ。それから払う」

「笑わせるな」


 言ってみただけだ。

 しかし、ここは思案のしどころだ。


 アナクは、俺が迷宮で稼ぎをあげようとしていると考えている。サソリを五百匹も狩るほど、やる気がある。そこに付け込んで、もっとおいしい狩場に連れていってやると言っている。だが、それは本当に稼げるのか。彼女の情報がガセであるという可能性を別としても、また別に大きな問題がある。

 彼女が知っているのは、市内にある、別の抜け穴だ。ということは、ギルドが管理する正規の入口ではない。では、そこでワームその他を狩ってきたとして、それをどこでどのように持ち込めばいいのか。

 本音をいえば、俺にとっては儲けは二の次だ。仮にもし、彼女の知っているルートが最下層へのショートカットであれば、金を払うのに文句はない。しかし、そういう腹積もりを知られたくもない。足下を見られるだろうからだ。


「それはこっちの台詞だ。アナク、抜け穴のことが本当だとして、じゃあ俺はどうやって儲けたらいいんだ? ギルドを介さず迷宮に潜って、ワームの尻尾をカウンターに置く。どこで獲ってきたんだと訊かれたら、なんと言えばいい? 下手をすれば、お前の情報は一銭にもならない。だが」


 じっと睨みつけながら、俺はにじり寄った。


「ここに抜け穴があるという情報なら、ギルドは高く買ってくれるかもな?」

「そうはならない」

「なぜだ」


 不意に手を口に添えると、アナクは鋭く口笛を吹いてみせた。

 途端に背にした三方の建物、その二階の窓が開く。


「手加減はなし。私ごと射貫いても構わないと言ってある」


 斜め上の窓には、数人の子供達。アナクの手下どもだ。どこから入手したのか、なんとクロスボウを構えている。

 ちらりと盗み見た。だが、これくらいなら別に、なんてことはない。


 窓の一つから、不意に物音がした。窓枠に突っ伏した少年が、手から得物を取り落としたのだ。ハッとしてアナクは振り向くが、急にみんな、何を思ったのか、せっかくの武器を取り落としてしまった。

 熟練の射手でもない、ただの子供達だ。仮に狙われたところで、身を守るくらいは難しくはなかったが、前日の調査ですべてを把握していたノーラが危険を放置するはずがなかった。次々に『暗示』にかけられた少年少女は、自分でも説明のつかない意識の空白によって、戦う手段を失った。


「仲間思いだな、みんないい子だ」

「へぇ……わかった、降参だ」


 と言いながら、アナクは拳で軽く俺の肩を小突こうとした。


「いっ!?」


 パン! と破裂する音が、彼女の左手の中から響いた。

 懐かしい技を使おうとするものだ。サハリアの閃光火薬。俺の目を潰そうとしたのだ。だが、それも見抜いていた。先に俺の手を重ねて、上から握り潰してやったのだ。


 用意していた手札を次々破り捨てられて、さすがのアナクにも余裕がなくなったらしい。それでも冷静さは失わず、慌てて逃げるでもなく、自暴自棄になって戦うでもなく、こちらから視線を外さない。

 俺は大きく頷き、懐に手を突っ込んだ。


「前金だ」


 切り替えの早さといったら。電光石火の動きで差し出された袋をひっつかむと、彼女はすぐさま中を検めた。


「足りない」


 中身は金貨三十枚。この迷宮都市で標準的な暮らしをするとなれば、半月分にしかならない。


「残りは働き次第だ」

「わかった。今、すぐ行くか」

「いや」


 まだ捻挫が治り切っていない。説明はしないし、できないが。


「五日後」

「遅い。明日」

「三日後。準備くらいさせろ」


 アナクは舌打ちした。


「お前にとっても好都合だろう。迷宮の中で俺を罠に引っ掛けるつもりなら、時間があったほうがいい」

「そんなことはしない」

「何をそんなに焦っている」


 すると彼女は、苛立ちの表情を浮かべながら、顎で向かいの建物を指し示した。


「こいつらを食わせる金がない」

「今まではどうしていた」


 すると彼女は、黙って空中に手を伸ばし、スッと引き抜く仕草をしてみせた。


「追われたくはない、か」


 アナクの目には、うっすらと怒りが滲んでいた。

 盗まなければ生きていけない。この境遇は、彼女らが生まれながらにして押し付けられたものだというのに。


「わかった。最後に教えてくれ。お前はどこまで知っている」

「なに」

「迷宮のことだ。ゴキブリか? サソリか? それともワームか、リザードマンか……その向こうも知っているのか」


 この質問に、彼女はすぐには答えなかった。

 一度、深く息を吸い込み、吐いてから、改めて俺を見据えて、やっと言った。


「迷宮の上層には、ゴキブリやサソリが棲みついている。そいつらや、うろつきまわる人間どもを餌にしているのがワームだ」

「ああ」

「その下、中層の広い範囲を占めているのが……リザードマンのいくつかの集団だ。一部は下層にも拠点を構えている」


 アナクが口にしているのは、かなり重大な情報だ。

 彼女は、上層、中層、下層という表現をした。それはつまり、迷宮の全貌、だいたいの姿を把握しているからこそだ。

 リザードマンにいくつかの集団があるとも言った。これも、傍目ではわからないことだ。よっぽど丁寧に観察したか、それともやはり連中と付き合いがあるのか、どちらかでなければ。


「上層はほぼ、統一時代の人間どもが作った通路が残ったものだが、中層からは違う」

「どう違う」

「本当の、本来の迷宮だ。もう一つの街といってもいい。この街の水源も、その辺りにあるし、ここから地上に出る道がいくつも延びている。それが下層の一部になると、洞穴にかわる」

「ということは」

「バジリスクや窟竜のいる場所だ。私が直接見たのは、そこまでだ」


 当たり籤を引き当てたような気分だった。

 ここまでのことを知っている案内人は、なるほど、他にはいるまい。多少、いやかなり怪しげなところはあるものの、やはりアナクを使わない手はない。


「そこまで行けるのか」

「死にたいのか」

「死なない」


 ふっ、と息をつくと、彼女は首を振った。


「心配するな。ちゃんと稼がせてやる。ワームの尻尾なら、砂漠で倒したことにすればいい。それでも報奨金は出るはずだ」


 焦るな。そんな必要はない。

 貴重なパズルのピースの一つを手にしつつあるのだ。


「いいだろう」


 俺は踵を返した。


「三日後にまた来る。その時までに準備しておいてくれ」

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