安全な階層……なんてない
松明が照らす範囲はごく狭い。弱々しい赤い光がすぐ近くの土壁を照らすが、その向こうは飲み込まれそうな暗黒だ。微風とさえ言えないほどのゆったりとした冷たい空気の流れがあるだけの場所。普通なら、本能的な恐怖に身が竦んでしまうところだろう。
ただ、この階層はルングと一緒に散々歩いた。サソリより手強い魔物が出てくることは、そうそうない。基本的にはそこまで危険でもないのだ。
「うーん」
「どうしたの?」
迷宮の中を歩きながら、緊張感なく俺は唸っていた。
「やっときゃよかったかな」
「何を?」
「いや、さっき、あの汚い場所で……よくよく考えたら、火魔術であいつら焼いちゃえば、すんなり上がれたのに」
「ファルス」
ノーラは非難がましく声をあげる。だが、俺は首を振った。
「あいつらはこっちを殺しにきたんだ。少なくとも、死にかねないことをした。だったら、殺して悪いとは少しも思わない」
「まぁ、そうだけど」
とはいえ、思い付きで実行しなくてよかった。
「ただ、やめておいてよかったかもしれない。さっき、リザードマンがここまで上がってきたのを見たよね」
「うん」
「あいつらはどうも、熱を発してる場所を察知する能力があるみたいで」
「えっ」
「大きな火が燃えると、確認にくるかもしれなかった。だから、連中を派手に焼き殺したら……」
スムーズに上に上がって、焼死体を穴に放り込めば、あとは急いで逃げれば間に合うかもしれなかったが。
「ま、いっか。ノーラを汚物まみれにはしたくなかったし」
「それは……この際、仕方ないけど」
糞尿まみれになるくらいで泣きを入れるような性格だったら、そもそもこんなところまで追いかけてこないだろうし。
「さて、じゃあもう一つの出口を作ろうか」
「どうやって? 作るってことは、天井でもぶち抜くの?」
「探さないといけない。まずはこちらが、後であちらが」
「何を?」
暗闇の中で、俺は人差し指をたてて説明した。
「ノーラが不安になるといけないから、腹積もりを話しておく。僕が狙っているのは、水道だ」
人形の迷宮は、伝えられる限りでは魔王の拠点で、魔物の養殖施設だ。しかし、魔物とて生物、水を飲まずには生きられない。だから当然に、それを供給するための仕組みがある。その一部が外部に流れ出して、ドゥミェコン近郊に小さな泉を形作っている。もっとも、それを占拠するだけの実力が人間側にはなく、今ではそこはリザードマンどもの支配領域になってしまっているが。
だから人間側は、地下深くから水を汲み上げる迷宮のシステムを借りて、水源を確保している。もちろん、迷宮を拵えた魔王の側としては、何も人間に水を飲ませるために用意したわけではないので、地下の貯水池から地上までの水道は後世になってから人間が作ったものだ。
魔王が倒されてから、統一時代の三百年間に水道施設が作られた。魔王が存命中であれば、そんな構造物は、積極的に破壊されただろうから。しかし、魔物は棲んでいても、統率する神や魔王、もしくはアルジャラードのような悪魔を欠いているために、計画的に人間を排除する行動をとれなくなったようだ。
もう一つ。今の時代は人間側があまりに弱腰で、本気で深いところまで攻めてこない。むしろ、ちょうどいい餌だ。だいたいからして、知恵のあるリザードマンが本当に人間を排除しようと考えたら、水道管なんて破壊しているはずではないか? それをしないということは、彼らもまた、人間側に水を供給するメリットを見出しているのでは……
まだ、いろいろ想像しているだけで確かなことはわからないが、そんなところではあるまいか。
「地表近くの溜池にまで、水が上がってきているんだ。でも、それを支える管が、地下深いところから上まで、ずっと繋がっているはずなんだよ」
「それを壊すの?」
大事なのは、逃走経路の確保だ。やるべきなのは、俺達がいる階層か、それ以下の場所に穴を開けること。そうなったら、横穴を開けられた水道管は、そこの階層から下に、大量の水をぶちまけ始める。地上近くの溜池にある水すべて、何万トンもあるのが一気に押し寄せてくるのだから。
「水がなくなれば、街も維持できない。絶対に冒険者達が修繕のために降りてくる。だから、あいつらは急いで出口を元通りにする」
「でも、それって大変なことじゃない? 直せなかったら……」
「大勢の人が、渇きに苦しんで死ぬだろうね」
一歩間違えばテロリストも同然の発想なのに、なぜか俺は平然としていた。俺とノーラだけなら、地上に戻りさえすれば、シーラのゴブレットで命を繋げる。それに、そこまで街が破壊されれば、今度こそ俺の邪魔をする奴らもいなくなる。
一方、俺の考えに、ノーラは顔色を変えた。
「そんなことをするくらいなら、あの汚い場所であいつらを殺しておいたほうがよかったかもな」
「他にないの?」
「深いところまで降りて、リザードマンの棲みかを正面から突破する? ここより安全な階層はないのに?」
かなりの無理難題だ。ここより下に降りなければ、大きな危険に出くわすことはほとんどない。そして当然、水道管はこの階層にもあるはずで、だからそれを破壊するのが一番安全な脱出方法なのだが。
しかし、ややあってノーラは頷いた。
「人を、大勢死なせるくらいなら」
「知らない……ああ、ちゃんと言ってなかったっけ」
俺は首を振った。
「リザードマンも、元々は人間だよ」
「えっ!」
「マルトゥラターレが詳しい。イーヴォ・ルーが変質させた人間の一部が、亜人になったり、ゴブリンになったり、リザードマンになったりしたんだ。だから、あれらも人間だし、知恵もある。心もある」
ノーラは絶句していた。
でも、殺す。殺さないと殺される。
「それに、そうやって脱出したんじゃ、利益が小さい」
「利益? ねぇ、何を考えているの?」
「迷宮の入口を押さえてるあいつらが、邪魔だ」
水道の破壊、ないし故障は、ギルドにとっても最優先の緊急事態だ。となれば、すぐさま熟練の冒険者がかき集められて、地下に派遣される。この場合、帝都の若者は呼ばない。なぜというに、死活問題だからだ。深い階層まで調査に出て、なんとしてでも水道の補修を済ませなくてはいけない。足手纏いは連れていけないのだ。
そうなったら、やってくるのはきっと迷宮のヌシどもだ。
「地下で何かあっても、誰も調べられないから」
「どっちにしろ、やるのね」
「それしかないだろう」
ただ、あそこで下から火球をぶつけるのは、やっぱりよくなかった。あちらは何人もいて、上に陣取っていた。中には射線が通っていなかったのもいた。逃げられたら面倒なことになっていたから。
「問題はたった一つだけ」
俺は暗い通路の向こうを眺め渡しながら言い切った。
「溢れ出る水より早く、階段に辿り着くこと。それだけだ」
もっとも、それはさほどの難題でもなさそうだが。なにしろ、この迷宮にはトイレの大穴が開いている。うまいことそちらに水が流れてくれれば、大洪水は避けられるかもしれない。
この考えを実行に移すにあたって、俺には具体的な手段があった。今日はまだ、ピアシング・ハンドを使用していない。手元のバクシアの種を確認して、これはと思うものを抜き出した。
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ファルス・リンガ (12)
・アルティメットアビリティ
ピアシング・ハンド
・アビリティ マナ・コア・身体操作の魔力
(ランク9)
・アビリティ マナ・コア・火の魔力
(ランク4)
・マテリアル 神通力・暗視
(ランク5)
・マテリアル プルシャ・フォーム
(ランク9+、男性、11歳、アクティブ)
・スキル フォレス語 6レベル
・スキル サハリア語 5レベル
・スキル 身体操作魔術 9レベル+
・スキル 火魔術 7レベル
・スキル 剣術 9レベル+
・スキル 格闘術 9レベル+
・スキル 隠密 5レベル
・スキル 料理 6レベル
空き(0)
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土の壁、石の壁を『透視』する。もちろん、水道管の中は真っ暗だろうから、それだけでは何も見えない。なので、先に『暗視』の能力を取り込む。枠がないので、一時的にサハリア語を種に戻す。保存食を持ち込んでいるから、一日くらいは余裕で過ごせる。
「小部屋を見つけて、そこで交代で仮眠を取ろう」
「逃げ場のある場所じゃなくていいの?」
「どうせまだ上には出られない。小部屋から飛び出ることもできないなら、どっちにしたって助からない」
ちょうどよく、近くに六畳くらいの広さの小部屋があった。扉などはない。俺は出入口に陣取り、リュックを床に置いた。
「こんなものしかないけど、枕に使って。まずは僕が起きて見張るから」
「わかった」
俺にとってはいつものこと、経験済みの危機でしかないが、ノーラにとってはほぼ初体験だ。消耗は小さくない。少しでも休んでもらったほうがいい。
そうして、真っ暗闇の中の退屈な時間が始まった。それは不安と安心のないまぜになった奇妙なひと時だった。
俺が恐れるのは、ノーラが死ぬことだ。だからここには彼女などいないほうがいい。しかし、一方でノーラには決然たる覚悟がある。今も出口を塞がれて、地下に閉じ込められたというのに、ほとんど動揺していない。泣いたり喚いたりしないだけではなく、落ち着いてできることをこなそうとしてくれている。松明を持って俺の手を自由にしてくれるだけでなく、魔術で敵意を探知し、俺に知らせてくれる。要するに、役立ってしまっている。
彼女がいなければ、俺は何も怖がらなくていい。ただ、方法論上の問題には直面し続ける。今だって、一人で休息と警戒の両方をこなさなくてはいけないだろう。だが、ここにノーラがいてくれることで、俺は確実に仮眠をとることができる。
だが、こんな調子で最下層まで行くんだろうか。
なんにせよ、今の俺には戦力が足りない。出口を塞がれたときに、力ずくでこじ開けることができなかった。火魔術のレベルをもっと上げておけば、或いは一気にすべてを焼き尽くして、階段を駆け上がることもできたのではないか。
とすると、気になるのはやはり、窟竜だ。滅多に目撃されないが、赤竜の一種で、炎の息を吐くと伝えられている。なら、きっと火魔術の力を身に備えているはずだ。ここを乗り切ったら、ぜひ探しに行きたい。
それにしても、この迷宮はどうなっているのだろう?
また、モーン・ナーか何かが拵えた迷宮なんじゃないかとは思っていた。しかし、リザードマンは未知の言語を習得していた。メルサック語とは、どこからきたのだろう? 他は説明がつく。ルー語はイーヴォ・ルー、アブ・クラン語はモーン・ナーに由来する。他の神ないし魔王が彼らの主人ということか。破壊神の照臨なんていう恐ろしげな表記の何かもあった。あれがついていると、どんなことが起きるのか。実験してみたくもない。
もしリザードマンが操る言語が主としてアブ・クラン語で、ルー語をオマケに覚えているだけだったとしたら、ここも魔宮と同じだと結論しただろう。要するに、ルーの種族がまたもやモーン・ナーの力に屈した結果だ。場所的にも違和感はない。ちょうどここは、西のセリパシア帝国と、南方大陸のポロルカ帝国の緩衝地帯だったところだ。しかし、ここに第三勢力が存在していた?
そもそも、こういう魔物が地下迷宮に居座り、ときには砂漠のあちこちに出没しているのに、どうしてヘミュービは掃除をしないんだろう? これはスーディアでも感じた疑問だ。シュプンツェが覚醒して大勢の人を殺したのに、結局、最後まで奴はやってこなかった。
では、奴は魔物が人を殺すのを容認しているのか。それとも魔物を間引きたくても、何らかの制約があるのか。人は殺せるのに、魔物は殺せないとか?
少なくとも、モゥハも自分では動いていない。人間の魔物討伐隊にすべてを丸投げしている。贖罪の民の言葉を信じるなら、ギウナは禁忌を冒して人々を殺害し、自ら滅んだ。
こうなってくると、他の龍神についても疑問が浮かぶばかりだ。五色の龍神のうち、赤のゴアーナと黄のトゥー・ボーについては、神話時代に存在したとしか記録されていない。なぜいなくなった? ギウナのように自滅でもした? でもどうしてそれが現代に伝えられていない?
それでいて、それぞれの龍神の姿を真似たような竜が、世界各地に散らばっている。黒竜はギウナに、赤竜はゴアーナに……そして、その亜種としての窟竜や、遠い子孫にフォレスティア王国でも騎乗動物として利用されている飛竜が存在する……緑竜はよくわからないが、青竜はモゥハの色だ。そして、これら竜種は、人間に飼い慣らされている飛竜と走竜を除いては、すべて最悪の害獣として知られている。
「……そうだ」
ノーラが休んでいる今のうちに。
俺は腰から剣を引き抜いた。
溜息が出る。この暗闇にあって、なお銀色に輝くまっすぐな剣。なんと美しいのだろう。
これさえあれば、どんな労苦も忘れられる。今、直面している危機なんて問題にもならない。逆にこれを一目見ないと、どうしても落ち着かない。
「ファルス」
ビクッと背中が跳ねた。
「な、なに?」
「何をしているの?」
「何って……剣の手入れと点検だよ。折れたりしたら大変だからね」
必死で言い繕いながら、慌てて剣をしまう。
「そう」
「で、どうしたの? 寝てれば」
「ん……」
寝ろと言われても、まだ時間的には昼過ぎか夕方くらいだ。熟睡できないのもわかるが。
「何か、たまに揺れてない?」
「揺れる?」
「うん。下から」
それで不審に思って、俺はガバッと床に伏せた。何もない。
だが、すぐに結論を出さず、そのままじっとしていた。耳を澄ませて、じっと待つ。
どれほど時間が過ぎたことか。コロッ、と石が落ちるような音がかすかに聞こえた。それと、ごく小さな震動も。
これは……
俺は無言で起き上がり、小声で、しかし大急ぎで詠唱した。それからノーラに向けて手を伸ばす。彼女は目を見開いたが、黙って俺の手を握った。
心の中で数える。一、二、三……
「それっ!」
力任せに彼女を引っ張り、横っ飛び。
と同時に、足下がなくなった。
浮遊感の中で、何か手掛かりを掴もうと手を伸ばしたが、手先に触れるのは小さな石の破片のようなものばかり。意味がないと悟り、俺は両手でノーラを抱えたまま、落下に備えた。
「うっぐ!」
ダン! と大きな足音をさせながら床に足をついた。
完全に平らな場所に落ちたのならよかったが、そうではなかった。先に落下した上階の床の破片が、落下時の俺の足の裏に当たった。分厚いブーツを貫いたりはしなかったが……
「ファルス! 大丈夫?」
少し、捻った。左足を。
「左足を痛めた。落ち着いて」
淡々とダメージについて説明し、やるべきことをする。
俺には見えているが、ノーラには暗闇しか見えていない。剣を左手に掲げつつ、なんとか詠唱する。それと察したノーラも、手に持っていた松明をそこに差し出した。火種一つで、すぐに燃え上がる。
「これ、は」
「ワームだ」
砂漠の旅の最中、隊商が一番恐れていたのがこいつだった。足下からの急襲。砂に潜り、土を掘り抜いて地上に出てくる。なんでもかんでも一口で丸飲みだ。
「シーッ、シャーッ」
灯りに照らされたその巨体は、まさに巨大な芋虫だった。但し頭部については、まるで派手な花が咲いたみたいに、牙ともかぎ爪ともつかない鋭い突起が円形に並んでいた。その突起は赤く、その周囲も悍ましいピンクだった。でこぼこしたクリーム色の胴体は通路の奥に続いているが、後ろのほうがどうなっているかは見えない。
ふと、ワームの脇に、ポツンとリュックが転がっているのが目に入った。よかった。食べられずに済んで。あそこに保存食が入っているのだ。
床を掘り抜けるほど、あの牙は鋭いし、力もある。ただ、迷宮の通路では、そこまでの機動力はなさそうだ。捕まったら終わりだが……
「効いてる」
既にノーラは、静かに攻撃に移っていた。精神操作魔術でワームの動きを止めていたのだ。
この落ち着きよう、立ち直りの早さは大したものだ。
「今のうちに」
「眠らせることはできるか」
「えっ」
「リュックが落ちてる。あれは回収したい」
「わかった」
どうすれば倒せるだろう? 火魔術は効くだろうが、あまり使いたくない。リザードマンを呼び集めてしまうから。
重要器官はあるのだろうか? もし、昆虫みたいな開放血管系だったりすると、『即死』の魔法なんかはあまり効かないだろう。その他の身体操作魔術についても、大きさもあって効果は限定的になりそうだ。逆に精神操作魔術はというと、神経系の単純さが幸いしてか、かなり効果的にみえる。
思わず歯噛みした。一人より二人。二人のほうが、できることが増える。問題に対する解決手段が増える。選択肢が増える。一度にこなせることも多くなる。
そのうちに、ワームは前後に揺れ始めた。
「だめ、なかなか寝てくれない。こっちに意識が戻ったり、また気が散ったりの繰り返し。やり方が悪いのかしら」
「わかった。続けて」
俺は、そっと足を忍ばせてワームに近付いた。
頭を揺らすワームとの距離を詰める俺に、ノーラは息をつめたが、それでも役目に徹した。そうしてワームとの距離が一メートルくらいになったとき、俺はダッと前に跳んだ。と同時に、ワームは俺に気付いたらしい。
だがもう遅い。
直径五メートルもある巨体は脅威だ。しかし、ここでは通路が邪魔になって、思うようには動けない。それにまた、ワームの武器は体の前面にある牙だけだ。真横にとりついてしまえば、もはや脅威ではない。だからこそ、ワームはリザードマンにとって獲物でしかないのだ。
リュックを拾うと、俺は体を大きなワームの横っ腹にぶつけた。
「うっ、おおおっ!」
痛む左足を引きずったまま、俺は剣をワームの胴体に突っ込み、そこから一気に胴体の末端目指して走った。ジッパーが開くみたいに表皮が裂け、そこから体液がこぼれていく。すぐ後ろでビチャビチャとワームの血液が床にぶちまけられていく。
ふと、急に手応えがなくなる。尻尾まで辿り着いたらしい。キュウリの根本みたいに、急に丸くすぼまって、手で握れるくらいの小さな尻尾が残っている。
どうせだ。
実際に倒そうが倒すまいが、これが討伐証明部位になるのなら、切り取ってやれ。
俺は力任せに剣を叩きつけ、尻尾を切った。
「ギシャァアッ!」
いきなり、これまで聞いたこともないような大きな悲鳴をあげると、ワームは激しくのた打ち回った。けれども、牙で何かを噛み砕くでもなく、ただ狭い通路で暴れまわるだけ。体を上下左右の壁にぶつけながら、何度も脈打つようにその場でうねり続け、やがて斜めになって、静かに呼吸するだけになった。
これが急所ということだろうか? それとも、痛覚が集中しているだけか? ワームが激しく動き回ったせいでその体液の多くが通路に流れ出し、ブーツの裏に脂っぽいものがねっとりとついてしまった。
それより、ノーラだ。
すぐさま俺はもと来た道を取って返し、急いでさっきの床の抜けた部屋へと走って戻った。
「ノーラ」
「無事よ」
松明を手に、彼女は油断なく周囲を見回していた。
ワームはまだ生きていた。だが、ほとんど動けずにいるようだ。
「トドメは……いや、急いで逃げたほうがいい」
「うん」
さっきの物音で、リザードマンが集団で駆け付けてくるかもしれない。
「あと半日だ。持ちこたえよう」
ここを離れて、どこかに篭って、あと少しだけ時間を稼ぐ。
そのあと、なんとしても水道に傷を入れてやる。
「待って」
ノーラは俺に駆け寄り、左腋に肩を入れた。
「支えるわ」
「余計なことはしなくていい。痛みなら魔法で」
「痛みをなくしても、捻挫が治るわけじゃない」
それはその通りだ。残念ながら、しばらくは無理をすべきではない。
「必要なら、私の手でも何でも借りたらどう? 頑固なのはファルスのほうよ」
「そのせいで、ノーラに危険が及ぶ。だから、そんなことは」
「この際だから、はっきり言っておくけど」
闇の中、その目だけが静かに輝いていた。
まるでオニキスのように。
「私はファルスに守られるためにきたんじゃない。守るためにきたのよ」
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