糞尿の大穴にて

「どこから出るの?」

「確実に脱出できる場所はあるんだ。ただ」


 知る限り、上層への唯一の階段を爆破され、出口はなくなった。労力をかけて瓦礫を片付ければ上を目指せるが、俺とノーラの二人しかおらず、道具もないとなれば、現実的ではない。しかも、上の階で作業するなら安全だが、こちらでのんびり穴掘りなんかしていたら、背後から魔物が忍び寄ってくる。


「二重の意味で、その出口は好ましくない。多分、そこからでは逃げられない」


 そこまで言ったところで、ノーラが唇に人差し指を当てた。魔物の接近と察して、俺も説明を打ち切った。

 ノーラが先導し、手近な物陰に身を潜める。そこで手早く詠唱を済ませると、呼吸を鎮め、身動きを止めた。松明の火も消した。


 廊下の奥から、ペタペタと気の抜けるような足音が響いてくる。一つではない。

 しかし、その間の抜けた響きが意味するものは、つまり近付いてくる相手が人ではないということだ。


 目の前の通路を横切っていく影。前屈みになった人のように見えなくもないが、人間とは体のパーツがあれこれ違い過ぎた。

 背骨はまっすぐというより、やや前傾して、丸まっている。それが背中の尻尾のほうへと下に向かうにつれ、今度は緩やかに反り返る。丸い頭と、突き出た顎。以前見たクパンバーナーとは違って、こいつらの鱗は色褪せた赤褐色だった。ただ、腹側は背中より白い。それと、沼地種のそれとは違って、表面がツルツルしている。そんな連中が、トカゲの分際で生意気にも、革の鎧と剣、盾まで持参していた。恐らくは、地底で息絶えた冒険者達のものを強奪したのだろう。

 一匹しかいなければ、或いは奇襲を浴びせてやるのも一興だったが、数が多かった。意外と足が速い連中で、目の前の通路を走り抜けるのもすぐだったので、正確な数は把握できなかったのだが、ざっと見て十匹以上はいる。組織的活動を旨としているらしい。


 どれ、能力を把握しておこうか……


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 プラジュリット (25)


・マテリアル デミヒューマン・フォーム

 (ランク5、男性、25歳)

・マテリアル 神通力・高速治癒

 (ランク1)

・アビリティ 破壊神の照臨

・アビリティ 熱源感覚

 (ランク3)

・アビリティ マナ・コア・火の魔力

 (ランク3)

・スキル メルサック語  5レベル

・スキル ルー語     1レベル

・スキル 剣術      5レベル

・スキル 盾術      3レベル

・スキル 火魔術     4レベル


 空き(16)

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 中にいた一匹の能力だが、やっぱり弱くはない。人間でいえば、一人前の剣士に相当する。いや、それ以上か。

 もともと防御力に優れた鱗を身に纏っているのに、その上から革の鎧を着ている。しかも、普通の人間と違って傷が治癒しやすい。これだけでも強い。

 以前に戦った沼地種との違いとしては、まず魔法か。あちらは土魔術を使ったが、こちらは火魔術だ。既知の系統の魔術だから、俺にとってはやりやすくもあり、やりにくくもある。手の内がわかるのは好都合ながら、こちらの魔術にも対策されやすいのが難点か。

 その他、見たことのない能力が付加されている。熱源感覚とはなんだろう? もしかして、周辺との温度差のある場所が見えるとか? 赤外線センサーみたいに? とすると、こういう爆発と燃焼には、敏感に反応するわけだ。しかし、どれくらいの精度をもったセンサーなのか? 有効な距離は? もしかして、どこかに身を隠しても体温で探知されかねない?

 もう一つ、物騒な字面が見える。破壊神の照臨ってなんだ? なんとなくだが、魔宮の魔物によくみられた「降伏者の血脈」に似たものを感じる。照臨というのは、神が地上の人々を見守ることを意味する。転じて支配・統治するというニュアンスもある。ということは、こいつらは破壊神とやらの下僕? そういう意味に受け取れる。

 最後に、二度目に見る言語がある。メルサック語とは何か? どうも彼らはもともとルーの種族だったらしいが、今はそうでもないようだ。

 そういえば、人間であるはずの、あの乞食みたいな恰好の少女……アナクがこの言語を習得していた。では、彼女は何者だったのか。まさか、トカゲどもの手先なんてことはないだろうか。今、考えることではないが、地上に出たら確かめるべきかもしれない。


 そして、これが平均的な砂漠種リザードマンの能力らしい。こんなのが十匹くらい、寄り集まって行動しているのだ。

 これじゃあ、コーザが「トカゲに勝てっこない」と匙を投げて、入口に座り込むのも理解できる。同じ頭数の人間を集めても、普通に戦えば負けてしまう。下手をすると、倍の数を集めても、やっぱり負けるだろう。


「ギィ」

「ギィ」

「ギィーエッ」


 連中は何かを話し合っているらしい。意味は分からない。

 俺は振り返り、ノーラには首を振った。連中の心を読もうとするな。能力が高いからだ。うまくいくかもしれないが、ダメかもしれない。しくじった場合、あちらに気付かれる。気付かれれば、たった二人であの数を相手取ることになる。俺だけならまだしも……


 フッと暗くなった。

 どうも、奴らが『消火』の魔法を使ったらしい。もしかすると、熱源感覚を持つ彼らにとっては、燃え盛る炎は騒音のようなものなのかもしれない。彼ら自身、必要に応じて火魔術を行使はするが、逆を言えばそれで仲間の位置、活動状況を把握できる。そんな中に、自分達とは無関係の熱源があったら、紛らわしいのだろう。だからすぐに確認にやってきて、消し止めにきた。ここは普段はサソリしかいない階層だから、こいつらはわざわざ下から駆けあがってきて様子を見にきたのだ。


 しかし、とすると、これは厄介だ。

 このことを、人間の冒険者はどれくらいわかっているのだろう? 熱源を知覚できるということは……松明の炎で灯りをとろうとしても、見咎められるかもしれないのだ。常にリザードマンの側が先手を取れる。これは非常に危険だ。


 どうか見つかりませんように。そう念じながら身を伏せていたが、やがて連中は、また来た時と同じように、ペタペタと足音を響かせながら、その場を去っていった。


「さて」


 息をつきながら、俺はやっと立ち上がった。ノーラもそうする。


「そろそろ松明に火をつけよう。多分、それくらいなら、奴らは付け狙ったりはしない」


 まだ近くにいれば別だが。でもなければ、この階層にも、いつもリザードマンが出張ってなければおかしい。俺達がサソリ狩りを楽しめた以上、そういうことだ。

 俺が手を添えると、松明の先端がボッと音をたてて燃え始めた。オレンジ色の光が、周囲の土壁をぼんやりとした光で照らす。


「じゃあまず、期待は薄いけど、一つ目の出口を目指そうか」

「どこに行くの?」

「どこだと思う?」


 俺は皮肉めいた笑みを浮かべてみせた。

 それから十分後、さすがのノーラも、顔を強張らせていた。


「ね、ねぇ」

「なに」

「出口って、そこしかないの?」

「絶対に上に出られる穴があるという意味では、そうだね」

「他にしない?」


 まだ現地には到着していない。しかし、強まる臭気に、彼女もそれと察する。


「ちょっと死体と汚物とゴキブリがいるだけだよ」

「ちょっとじゃない」

「全身ドロドロに汚れるね。そうなったら、這い上がってから奴らに抱きついてやろうよ」


 俺達が目指しているのは……そう、トイレだ。

 最初に上の階層を一周したとき、見つけたあの場所。地上から下の階層まで、縦にぶち抜く大穴があいていた。潜んでいるのは大きなゴキブリだけで、手強い魔物はいない。ただ、臭いし、汚いし、死体も転がっている。

 別に階段その他が設置されているわけではないので、あそこから上を目指すとなると、少し工夫が必要になる。

 幸い、ロープなどの道具は持ち込んできている。だから、まずは俺が怪鳥に変身して一人で上の階層に飛び上がり、また人間に戻る。そうして下からノーラがロープを投げ、こちらでキャッチする。あとは残りすべてを引っ張り上げるだけ。

 道具がなくても、方法はある。さっき崩れた階段から、瓦礫の山を運べばいい。それで後は、上の階層より下の階層のほうが狭くなっている部分を見つける。そこに瓦礫を積み上げて足場とすれば、なんとか手が届く高さになる。

 だから、ものすごく汚いが、確実に上に戻れる。一つ、条件があるが。


「ノーラ、そろそろ」


 そう言いながら、上を指差した。俺の勘が正しければ、この出口は使えない。

 いよいよひどくなる臭気の中、俺達はついにその場所へと辿り着いた。以前には上から見下ろしていた白骨死体が、いまやすぐ目の前にある。俺達が近寄ると、光を嫌ってか、その辺にいた黒いゴキブリどもが、さっと逃走した。

 そしてこの大穴は、更なる低階層へと汚物をしとしとと降らせ続けている。あまりの悪臭に、頭痛すら始まりそうな感じがする。

 だが、俺もノーラも、既に頭上の悪意に気付いていた。


「オラッ!」


 バシャッ、と飛沫が跳ねるが、俺もノーラも余裕をもってそれらを避けた。


「チッ」

「こういうことを繰り返してきたわけですか」


 見上げると、上の階層の穴の近くに、数人の人影があった。予想通りだ。


「げはははは」

「やけに早いと思ったら……勘のいいガキどもだ」


 上から下卑た笑い声が響いてくる。

 あのバンダナの男もいる。ドミネールの手回しだ。しかし、ここまでするか? サソリの恨みは恐ろしい。


「前に教えてくれたじゃないですか」


 俺は、そいつを睨みつけながら言った。


「頭から糞尿をひっかぶったって……どこで見たんだろうと思ったんですよ」

「ははぁ、なるほどな。俺がうっかりしてたよ」


 バンダナの男は、しかし、余裕の笑みを浮かべたままだ。


「ま、そういうこった。要するに、ここでやっていきたきゃ、狩場を荒らすなって、そういう先輩のご指導ってわけさ」

「理解はしました」

「お前も弁えるっていうんなら、助けてやらんでもない」


 彼の脇に立った男が、手にしたロープを見せつけた。


「ちょっとばかし汚いがな。引っ張り上げてやるさ」

「……いくらです?」

「がはっ、はっはっは!」


 すると、彼は仰け反りながら大笑いした。


「よーくわかってんなぁ! そりゃあお前、遭難した冒険者を救出してやるんだから、一人頭金貨百枚はいただくさ! 言っとくが、こいつはギルド支部が認めた謝礼金だからな。きっちり払ってもらうぜ」


 そうして搾り取れるだけ搾り取る。帝都からきた若者の中で、特に目をつけられたのが、こういう扱いを受けたのだろう。手持ちがなければ残りは借金、支援金の中から天引きされて、お先は真っ暗、と。


「こんなことをして、ただで済むと思っているんですか」

「なに?」


 効き目はない気がしたが、俺は一応、確認のために左腕の袖をめくってみせた。


「この黄金の腕輪は、フォレスティア王タンディラールが証したものです。騎士たらんと修行の日々を送り、今は人々を苦しめる迷宮を打破せんものとこの地にやってきたというのに、このような仕打ちをしたとなれば、到底許しなど与えられはしないでしょうに」

「けっ!」


 だが、案の定、彼はまったく怯む様子を見せなかった。


「けったくそ悪ぃな、お偉いさんのケツにくっつきやがって、クソ野郎が」

「僕もそう思います。でも、そうじゃないと本当にクソに塗れることになりますから、仕方なくですよ」

「言っとくがなぁ? ここじゃそんなもん、誰も見向きもしねぇよ。無駄だ、無駄」


 やっぱりか。なぜだろう?

 ムスタムでは、王の権威も通じた。しかし、この人形の迷宮では、まるで無視されてしまう。王国の勢力圏から遠く離れているのもあってのことか。


「わかりました。では、僕がここで頭を下げて、お金も払うと約束すれば、上に引っ張り上げてもらえると」

「おう」

「嘘ですね」

「あ?」


 ノーラに心を読ませるまでもない。これくらい、自分で見抜けなくては。


「あなたがたが引っ張り上げるのは、泣きべそをかいている若者だけだ。僕みたいなのは助けない」

「なんでそうなるんだよ」

「証拠がそこにあるからです」


 俺の視線は、足下に転がる白骨死体に向けられる。


「この程度のことで完全に心を折られるような、ひ弱な青年相手なら、地上に戻してやっても困りません。お金も奪い取れるし、二度と逆らったりはしないでしょう。でも、僕はここで言い争いをした。王の腕輪も見せた。そんな生意気が少年が、やられっぱなしでいるでしょうか?」


 俺が言い切ると、こいつらは表情を引き締めた。


「だから、厄介そうだと思ったら、あなたがたは……途中でロープを手放す。もしかすると、ロープを両手で掴む無防備な相手に、その剣を向ける。その結果が、この遺体です」

「チッ、この野郎ォ……」


 意図を見抜かれて、バンダナの男は苦々しげな顔をみせた。だがすぐ立ち直って、今度は皮肉な笑みを浮かべた。


「で?」

「で、とは」

「そこまではわかった。わかったよ、お前は随分とおつむの出来がいいみたいだな」


 余裕ぶって腕組みをして。彼は続けた。


「けど、どうするんだ? お前を助けるか、助けないかは俺が自由に決められるんだ。だいたいな、ロープを放されたくなきゃ、ここに来た時点でワンワン泣いてりゃよかったんだよ。それを偉そうにしやがって……タネが割れたところで、お前らが上に上がりたきゃ、このロープを掴むしかねぇんだよ」


 俺を屈服させたいらしい。

 だが、どちらにせよ、こうなってはこのルートからの脱出はできそうにない。


「いいえ。他の出口を探します」

「ああ?」

「あるんでしょう? 聞いたことがあります」

「はっ!」


 すると彼は、吐き捨てるように笑った。


「そこまで知ってやがったか。ああ、あるぜ。あることにはな」


 腰に手を当てて、彼は言い放った。


「但し、そいつはここから何階層も下に潜ってから、街の外の泉近くに出る通路だ。ってことは、リザードマンどもの巣のど真ん中を通っていくんだぜ? そんなもん、通れるもんなら通ってみろよ。ははっ、途中でトカゲどものエサになるに決まってんだろが」


 はて、それだけしかないのだろうか?

 いや、他の出口もありそうだ。でなければ、アナクは俺に話を持ちかけられない。


「いいでしょう」


 だが、俺は一歩下がった。


「それならそれで、僕は僕のやり方で、ここから無事に出てみせます。楽しみにしていてください」

「ほぉ」


 交渉の決裂に、彼は眉を寄せた。


「勝手にしやがれ。てめぇらがくたばるところを見られねぇのは残念だがな」

「ええ。またお会いしましょう。行こう、ノーラ」


 となれば、強硬手段でここから出るだけだ。あては、実はもう一つ、ある。

 ただ、ここから出たら……このクズどもは、先に掃除したほうがいいかもしれない。今後の活動の妨げになる。


 俺達は背を向けると、悪臭から遠ざかるようにして歩き去っていく。


「どうするの?」

「奴らに吠え面をかかせてやるんだよ」


 出口を塞いだのは奴らだ。だが、思惑通りにことが運べば、出口を用意するのも、きっと奴らだ。

 思い知らせてやろう。

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