イジメのお作法

 円筒状の城壁の地面には、まだ陽光が届いていない。湾曲した城壁の一部が眩く照らされて、そこだけが浮かび上がって見える。本格的に暑くなるのはこれからだ。まだ、朝のひんやりとした空気が居残っている。


「駄目だ。手続きをやり直してこい」


 迷宮の入口の前で、俺は係員にそう宣言された。

 内心、こいつバカか、と毒づく。


 せめて空気だけでもサッパリしている間に中へと進みたかったのだが、これではどうしようもない。


「お前のパーティー『フライパン』はファルス、ノーラ、ルングの三人組だ。ルングがいない。なら、迷宮への立ち入りは認めない」


 人類の敵、魔王の拠点に攻め込むのに、その戦いを推進するべきギルドの係員が「認めない」とは。お役所仕事、ここに極まれり、だ。

 じゃあ、今すぐ迷宮が暴走して、中から魔物の大群が溢れ出てきたらどうする? 戦闘許可は下りてないから戦いません、ってか。


 好意的に解釈するなら、安全確認の取れない状態での入場は認めないと、そういう理屈付けはできる。入るときに三人と確定しているからこそ、いちいちリストにも名前を書かない。スムーズに入場を認める。それが最初から欠けていたのでは、迷宮から出てきたとき、いない一人がどうなったかわからない。


「待ち合わせに来てくれないんですよ」


 ノーラが、そしてあの暗がりにいた少女、アナクが予想した通り、やっぱりルングは来なかった。


「それはこちらの関知することではない」

「じゃあ、どうすれば入れますか」

「ルングを連れてこい。それができないなら、いったんパーティーを解散して、再結成しろ」


 目が点になった。なんなんだ、いったい。

 日給制度もあるからか、とにかく面倒臭い。


「わかりました」


 別に、十分か二十分か、迷宮に入るのが遅れるだけ。なんてことない。本当に手続きだけの話なら、だが。

 しかし、城壁から街へと戻った瞬間、ノーラがこっそり俺の袖を引いた。やっぱりか。


「これ、足止めよ」

「読んだのか」

「怪しいと思ったから」


 俺は一度頷き、前を見ながらゆっくり歩いた。


「じゃあ、これから受付嬢と話すけど、やっぱり引き延ばしをしてないか」

「うん」

「もしそうだったら、左肩を軽く叩いてくれ」


 あのドミネールとやら、早速嫌がらせをしてきたらしい。

 この後、ノーラはすぐさま俺の左肩を叩いた。そして受付嬢とのやり取りには三十分以上もかかった。

 しかし、彼らが詳細を知っているわけではない。単にドミネールに言い含められただけだ。


『手続きは厳正にな。特に人数が揃ってないまま出発なんて、あり得ねぇだろ』

『パーティーの解散と再結成は、理由をちゃんと問い質して、きっちり記録に残すのが常識だろ』


 誰のこととも言わず、ただそれだけ。しかし、彼らはそれで俺のことと察して、忠実に務めを果たした。

 実のところ、受付での再結成手続きに三十分もかかったのは、大半がお説教だったのだ。というのも、ルングは昨日、いきなりムスタム行きの隊商の護衛の仕事を単独で請けて、ドゥミェコンを去ってしまっていたからだ。その件で、彼女はリーダーであるこの俺が、格下の冒険者であるルングをいじめたのではないかなどとして、問い詰めてきた。

 寝耳に水でした、と言ったら、それはそれで大変だった。まぁ、いけません! リーダーたるものが、メンバーの様子をまったく把握してないなんて! といった具合で。


 俺も無策のまま、お叱りの言葉を拝聴していたわけではなかった。

 好きなやり方ではないにせよ、それなら権力に頼ろうと考えた。わざとらしく腕をカウンターに置き、左腕に着けた黄金の腕輪を見せつけたりもした。だが、意外と効き目がなかったようだ。ここでは、俺の身分も、冒険者としての階級の高さも、あまり役立ってはくれないらしい。この辺、何か理由がありそうだ。


「……で、どうするの?」

「もちろん、これから入場するさ」

「ねぇ、ファルス」


 ギルドの前の広場。そろそろ頭上の布越しに、明るい太陽の光が差し込みつつある。じんわりと空気がぬるま湯のように熱を帯びてきた。


「こうは考えられない? ただ入る前に嫌がらせをするだけならいいけど、これがもっとひどい何かの準備だったら」

「なるほどな」


 ノーラはちゃんと考えている。俺も納得した。

 入場を制限しても、制限しきれるものではない。ここまでで終わりとなれば、それはただのイジメだ。こちらは泣き寝入りだが、それでも結局、俺は迷宮に潜れるのだし、実質的には何の損害もない。

 だが、俺が迷宮に入ろうとした時点で、その事実はドミネールの手下に伝わっている。その上での時間稼ぎだ。つまり、今から迷宮に入ると、奴の手下どもが俺を取り囲む……


「わかった。宿に引き返して、保存食を取りに行こう」

「ファルス」

「それと、ノーラは残って」

「やめて。入らなければいいじゃない」


 罠だとわかっていて、どうして行くのかと。


「やめたらどうする? 今日は休もうか。じゃあ、明日は? 明後日ならいいのか? 奴らにもし、そのつもりがあるのなら、いつかは絶対に何かが起きる。狙い撃ちされる。それがいつになるかわからないのに、その時を待ち続けるのか」


 これには、彼女も言い返せなかった。

 この俺、ファルスが迷宮の攻略を断念するという選択をしないのはわかっている。彼女にとってはそれが望ましいのだが……そういえば、ノーラは「絶対についていく」とは言うものの、俺に向かって「迷宮の攻略を断念せよ」「旅を切り上げろ」とは一度も言わない……そうなると、後はどうやってこの困難を乗り切るか。方法論だけの問題になる。


「それともドミネールのところにいって、頭を下げてくるか。なんなら奴の靴を舐めたっていい。それで丸く収まるなら。でも」

「ううん、それは」

「そう、無意味だ」


 俺もノーラも、一つ似通っているところがある。目的のためには手段を選ばない。土下座で許してもらえるなら、プライドなんか捨てる。円満解決に辿り着けるなら、実際に俺が土下座して奴の靴を舐めても、ノーラは黙って見守るだけだろう。

 しかし、今回の相手は多分、そんなやり方など意味をなさない。這いつくばって許しを請い、ドゥミェコン滞在中の服従を誓ったところで、奴はこちらの言い分を受け入れてくれたりはしない。つまり、交渉そのものが成立しない。取るだけ取って、何も返してくれない。そういう相手だ。もしそうでないとすれば、俺の酒を飲んでおいて、いきなり蹴倒したりはしないだろう。


「それとも、西の街区に出かけていって、あのアナクとかいう奴に抜け穴を案内してもらうか? それも先々は悪くないかもしれないけど」

「今の時点では、それこそ悪手じゃない。アナクの目的がお金なら、私達から案内料を貰った後で、ドミネールに私達を売ることだって」


 俺は頷いた。


「となると、最初から罠を待ち受けるつもりで挑む。そうして正面から打ち破ってやる」

「殺し合いをするつもり?」

「あちらがな」


 だからノーラは置いていきたい。地上にいる限り、戦闘に巻き込まれる危険は少なくできる。最悪の場合でも、殺人犯になるのは俺一人。


「だったら、私は行かなきゃいけない」

「殺せるのか」

「できてもできなくてもよ。私が一人残されて、安全だと思うの?」


 確かに、そこは疑問符がつくか。

 俺が指名手配されたら、同行者も拘束されかねない。そしてここでは、彼女を守る人は誰もいない。同行させれば戦闘に巻き込むかもしれないが、同行させなければ、一人で悪意の包囲網に立ち向かわなくてはならなくなる。痛し痒し、か。


 俺は頷いた。


「行こう。やっとここで仕事らしい仕事ができそうだ」


 今度は邪魔されなかった。係員は意味ありげな視線を向けてきたが、無言で俺達を通した。階段を降り、最初の広間に出る。いつものように数十人のモヤシっ子冒険者が座り込んでいた。その中の一人、あのコーザは俺達に気付くと、あからさまに驚いた。だが、何も言えずにすぐ顔を伏せてしまった。

 これはと思い、俺はノーラのローブの裾を引っ張った。問題なく、彼女も気付いていた。しばらくここに立ち止まり、それからノーラが歩き出すのを待って、俺もついていった。


 暗がりに踏み込んでから、ノーラは囁いた。


「数人の冒険者が笑いながら奥を目指してたわ」

「コーザが見たんだな」

「その時、『あの生意気なガキども』『狩場を荒らしたんだから当然の報い』とか言っていたのを、聞きかじったみたい。それでその後に私達が来たから、誰が狙われてるかわかったようね。でも」


 俺は頷いた。


「しょうがない。コーザにこちらの味方をしろというのは無理な話だ。普通はみんな、命を惜しむ」


 ノーラにも命を惜しんでほしかったが、こればかりはもう、仕方ない。


「連中は近くには……いないようだけど」

「二手に分かれてるのかしら? 意識が、下の階層に降りる階段の両脇に」

「そこで挟み撃ちか? それとも降りるのを待っているのか」

「決めつけられないわ。ただの冒険者もいるかもしれないし」


 それもそうか。

 確かめたければ、一人ずつ心を読み取っていけばいい。が、さすがにそこまでやると、ノーラの負担が加速度的に大きくなる。この階層には、大勢の人がいる。まったく見当違いな相手の精神に入り込むために、多大なコストをかけることもあり得る。


「戦う前に消耗してもらってもな。よし」


 俺は作戦を決めた。


「どっちにせよ、こっちは先手を取れない。ただの殺人犯になってしまう。襲われたら反撃。できれば殺したくないが、そうも言っていられないから、誰も逃がさない。降伏させても、上に戻ったら嘘の証言をするかもしれない」

「一人か二人なら」

「そうだな。生存者を残しておかないと、記憶を読み取れない。それに『強制使役』で何もかもを喋らせてもいい」


 といっても、その後に殺すのだが。でないと、魔物のせいにできない。


 俺は歩き出し、二日前にルングと降りた階段の前に立った。ちょうど十字路をまっすぐ行った突き当たりが階段だ。

 通路は左右に広がっている。その向こうには、なるほど気配らしきものを感じるが、誰かが近寄ってくるようでもない。わざわざ待ち伏せしているのに、手を出さない? 子供以上、大人未満の二人を相手に?

 いや、説明はつく。逃げられるのを恐れている。一人なら取り囲んでもいい。しかし、二人ではどうなるか。片方が身を挺してもう一人を庇う。逃がそうとする。そうなると、自分達の犯罪行為を外に伝える可能性が出てくる。

 この階段を降りてからの方が、逃げ道を塞ぎやすい。だから、それを待っているのではないか。


「降りよう」

「行くのね」

「逃げても、どうせ決着はつけなきゃいけない」


 殺し合いなんて、もう慣れたものだ。但し、ノーラを巻き込まないようにしたい。


「降りたら、すぐの曲がり角で『人払い』だ。ノーラはその内側から援護。庇いながらじゃ、僕は戦えない」

「わかった」


 かろうじて平静を装ってはいるものの、彼女の視線は落ち着きなく宙を彷徨っていた。だが、今回については構ってなどいられない。


「先に」


 緊張をおぼえながらも、なんとかノーラは頷き、先に立って歩き出した。俺は後方を警戒しながら、ゆっくりと階段を下りた。

 降りきっても、左右から駆けつけてくる物音は聞こえなかった。考え過ぎだったのだろうか? いや……


「ここで」


 手近な曲がり角に、二人して身を潜めた。きっと来る。後から追いかけてきて「ガキどもはどこへ行った」などと言い始めるはずだ……

 やがて、遠くに足音が響くのが聞こえた。何か荷物でもあるのか、時折大きな音も聞こえた。そら見たことか。だが、すぐには俺達を見つけられない。奴らが敵であることを確認しないことには、こちらから襲いかかるなどできない。今は待たなくては。


「降りてこないわね」

「シッ」


 ただ、ノーラの言うように、少し奇妙ではあった。なぜ俺達を追ってこない? こちらの待ち伏せを見抜いているとか? まさか、そんな手練れがいるとも思えないが。第一、慎重策を取るまでもないはずだ。逃げ道さえ塞いでしまえば、あとはなんとでもなる。

 実際には、あの程度の冒険者が十人くらい一度にかかってきても、俺なら余裕で勝てる。だが、あちらが俺の力量を正しく見抜いているとは考えにくい。


 とすると、何か別の理由がある……


「んっ?」


 冷たく重い空気が肩にのしかかるこの迷宮に、似つかわしくない臭いが立ち込めた。

 これは……油?


「しまった!」


 だが、もう遅かった。

 俺が叫ぶと同時に、頭上に爆発音が轟いた。


 曲がり角から飛び出して、階段のほうへと駆け付ける。そこには、オレンジ色に燃え上がる炎があった。そして狭い階段の通路はというと……土砂や木屑で埋まってしまっていた。


「なんてことを」


 想定が甘かった。

 連中は、俺が考える以上に横暴だったのだ。ドミネールとその手下なら、迷宮の中で俺を殺しても罪に問われることはないと、その程度のことと認識していた。だが、実際には、もっと大きな権力を握っていたらしい。

 迷宮の通路を破壊して、道を塞ぐ。そんなことをしたら、影響はサソリの乱獲どころではない。あとで人手を集めて掘り返すのだろうが……だとしても、しばらくの間、恐らくすべての冒険者が、下の階層を目指せなくなる。もし、まともな冒険者がそれなりにいたならば、こんな迷惑行為は絶対に許してはおかないだろう。

 だが、それがまかり通るということは……


 どうやら、この街は完全に腐り切ってしまっているらしい。

 なるほど、これはイジメだ。イジメはイジメらしく、どこまでも陰湿だ。たとえ相手が子供で弱かろうとも、馬鹿正直に戦うなんて発想はない。実にいやらしい、根性の曲がった連中のやり方だ。

 それでもなんでも、迷宮利権に歯向かう生意気な奴には思い知らせる。面子を守るのが、奴らチンピラにとっては何より大切なことなのだ。


 ただ、俺もノーラも、立ち直りは早かった。

 何をされるかわからないから不安なのであって、相手のやり口がわかってしまえば、なんてことない。連中は、これで唯一の逃げ道を塞いだつもりなのだ。


「どうするの?」

「瓦礫をどけるのは手間かな。上にどれくらいいる?」

「もう立ち去り始めてるわ。操って動かせって言われても、無理だと思う。上の方でも燃えてるし」


 火は、俺なら消せる。ただ、消したところで、この通路を埋め尽くす土砂を掻き分け、崩れてくる天井を支える気にはなれない。


「保存食もあるし、のんびりしてもいいけど」

「ゴブレットがあったじゃない」

「ここでも、あんまり使えないみたいだし」


 ただ、ここで待ちながら、連中が通路を再度開通させるのを待つ、というのは消極的すぎるか。それがいつになるかは、まだわからない。その前にこちらの食料が尽きたら終わりだ。


「じゃあ、出口を探さないとね」

「そうしよう」


 アナクは、他の入口があると言った。ということは、探せば他の出口もあるのだ。

 しかし、それだけを頼りにしているわけではない。彼女の言葉がなくても、今の俺には二つほど、脱出経路が存在する。ただ、予想が正しければ、一つは塞がれているだろうが……


「じゃ、とりあえずここを離れよう」


 とっくに気分は持ち直していた。この程度、あの魔宮に落ちたときに比べれば。


「物音につられて、魔物がやってくるかもしれないから」

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