横暴な男、家名のない少女、それと毛布

「さすがは案内人ですね。いるといないとでは大違いです」


 既にとっぷりと日は暮れていた。俺達は酒場でまたもやご馳走を並べていた。


 ほぼ丸一日、俺とノーラ、ルングは迷宮の中をうろつきまわった。そうして集めたサソリの尾、実に五百本。金貨換算で五十枚にもなる。ここからルングの一日の雇用料金としての金貨二枚を差し引き、かつ一人頭で金貨十六枚ずつ分配。それと八時間以上、迷宮の中で活動したので、それぞれ金貨一枚ずつ。たった一日で八日分の生活費を確保できた。

 戦うだけならまだまだ余裕はあったのだが、さすがにサソリの尾が嵩張りすぎて、運搬に差支えが出てきた。それに、だんだんと目につくサソリがいなくなっていったのもあって、やむなく撤退したのだ。


「この調子でどんどん稼ぎましょう」


 だが、俺とは対照的に、ルングは浮かない顔だった。


「あんなに殺したら、もうサソリ、いない」

「迷宮から魔物を駆除するのが冒険者の仕事ですよね」


 俺が突きつけるのは正論だ。森の中の果実を取り尽くすのとは違う。この人形の迷宮は世界の辺境で、魔王の支配下にある領域だ。ここを滅ぼすためにこそ、帝都もギルドも金を出す。なら、魔物の乱獲は問題とならない。むしろいなくなるまで狩り続ける。それが正義だ。

 しかし、現実にはそう単純でもないことくらい、承知している。初心者向けの楽な狩場を丸坊主にしてしまったのだ。これでは案内人稼業に差支えが出かねない。だからどうした。

 ルングは頑として、俺達を下の階層に連れていこうとしなかった。ワームやリザードマンのいる場所まで行けないのなら、目先にいる獲物を狙うだけだ。だから徹底的に狩った。次は下に行くしかない。


「いやぁ、迷宮って稼げるんですね。やっと冒険者らしい暮らしができますよ」


 俺は上機嫌を装っている。だが、ルングの仏頂面の原因については、既にノーラを通じて明らかにしてある。もっとも、心を覗き見るまでもなく、大方は想像がつくのだが。

 浅い階層のサソリを殺しまくった。これはこれでまずいのだが、さりとてもっと深いところにいるワームやリザードマンは危険な相手だ。一応、年に数回は、彼もリザードマンを相手に戦ったりはする。ただ、それは先輩冒険者の背中を見ながらのこと。ワームのいる場所も知ってはいるが、下手をすれば人間など一飲みだから、行きたくない。

 それにまた、より強力な魔物は、即ち案内人カルテルにとっての利権でもある。理由は説明されていないが、上の人間からは、許しを得てから連れていくべしと言い渡されているらしい。それを勝手に、うかうかと初日に案内したのでは、ますますここでの立場が悪くなる。

 要するに、同業者の目が怖いのだ。


 そんなことは承知で、俺は彼を飲みに誘っている。このままルングが覚悟を決めて俺達の味方をしてくれるならよし、そうでなくても、この食事の時間のうちに、ノーラに彼の記憶をなるべく読ませる。暗記できる限り、迷宮についての知識を抜き取ってもらう。


「危ない。簡単に考えすぎ。もっと慎重になるべき」

「そうですね。だからこそ案内人が必要なんだと、そのことがよくわかりました。さ、もっと飲んで、食べてください」


 しかし、ルングが把握している情報は、やはりというか、大したことなかった。せいぜいこの先、二、三階層先くらいしか知らない。ワームとリザードマンまでが彼にとっての迷宮で、その奥にいる窟竜やバジリスクどもとなると、遭遇したことすらない。

 やはりどこかで案内人を切り捨てる必要が出てくる。もっとできる連中と組んで、深層を目指さなくてはいけない。


 俺はノーラとアイコンタクトしながら、今後どうするかを相談していた。

 ルングから十分情報を抜き取れたら、今度は自分達だけで……ただ、彼がこちらにもっと協力してくれるつもりがあるのなら……


「おい」


 ドン、と不意にテーブルが揺らされた。


「よぉ、ルング」


 顔をあげると、テーブルの横に五人の男達が立っていた。中には見覚えがあるのも混ざっている。あのバンダナの男だ。けれども、今回の彼は脇役でしかない。

 真ん中にいたのは、ルングよりもっと大柄な男だった。フォレス人とサハリア人のハーフらしい。ただ、体格だけみると、むしろルイン人のように手足が太かった。といって肥満しているのでもなく、単純に体が大きいのだ。肌は微妙に浅黒く、髪は黒い。全身、毛深かった。歳は四十前後か、額には深い皺が刻まれ、口元にはほうれい線も出ている。ただ、逞しさゆえか、老いを感じさせなかった。

 そんな男が体格を強調するかのような薄っぺらい黒いシャツ一枚で立っている。威圧感があった。


「あっ、ああ」


 ルングは、明らかに動揺していた。目を白黒させ、居心地悪そうに貧乏揺すりを始めた。


「随分と景気がよさそうじゃねぇか。あやかりてぇもんだな、おい」

「う、そ、その」

「はじめまして。どなたですか?」


 笑顔で俺は話しかけた。


「あっ、済みません。お酒もう一杯ください」


 逃げ腰になっているウェイター相手に、俺は満面の笑みでそう要求する。そそくさと陶器のグラスに酒を満たして戻ってきた彼は、さっと逃げ去った。


「どうぞ」

「おう」


 下手に出て、俺は恭しくグラスを差し出した。その男はろくにこちらに振り返りもせず、当然のように手を伸ばし、一息に中身を呷った。傲然たる態度だ。


「聞いたぜ。俺ぁ驚いたよ」


 俺が名前を尋ねたのに、返事もせず。彼はニタニタしながらルングに話し続けた。


「一日でサソリを五百匹……いやぁ、すげぇもんだ」

「あ、それは、そこの」

「それだけできるようになったんなら、もうお前も『一人前』ってことだよなぁ」


 こいつがここの本当の『ヌシ』か。


「僕がやりました」


 コップの中の水を飲み、一息ついてから、俺はもう一度言った。


「僕がやらせました」

「……あん?」


 この瞬間、俺は察した。

 この男の攻撃性……こいつは今から俺に暴力を振るう。

 だが、あえて動かずに座ったままでいた。


 次の瞬間、皿の上でナイフとフォークが跳ねる音がした。視界が斜めに、そして横倒しになる。

 横ざまに座ったままの俺に、こいつは蹴りを見舞ったのだ。


「今、俺ぁルングと喋ってんだ。ガキが口挟むんじゃねぇ」


 粗暴そのものの振る舞いに、一瞬で怒りが沸点に達したが、すぐ収まった。いつでも殺せる。

 それより、こいつはどういう立場で、何を知っているのか。すべて把握してから始末すべきだ。


「んで? ルング、お前、このガキンチョのせいにするってか」

「あ、いや、そう、いう」

「来月な」


 冷や汗を流す彼に、そいつは言い放った。


「また奥で間引きやるんだ。稼ぎ時だ。せいぜい頑張れよ」


 用事はそれだけらしい。

 足下の俺を一瞥すると、背を向けた。


「じゃあな」


 やりたい放題やって、挨拶もなし、か。

 どっこい、ただでは帰さない。


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 ドミネール・イスタブダッド (41)


・マテリアル ヒューマン・フォーム

 (ランク6、男性、41歳)

・スキル フォレス語  5レベル

・スキル サハリア語  5レベル

・スキル シュライ語  5レベル

・スキル 指揮     3レベル

・スキル 剣術     5レベル

・スキル 盾術     5レベル

・スキル 弓術     5レベル

・スキル 格闘術    5レベル

・スキル 罠      3レベル

・スキル 隠密     2レベル

・スキル 薬調合    2レベル

・スキル 医術     2レベル

・スキル 料理     1レベル

・スキル 裁縫     1レベル

・スキル 操船     3レベル


 空き(26)

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 能力的に、海兵崩れといったところか。ワディラム王国か、ムスタムあたりから流れてきたのだろうか? 小隊の指揮官くらいはしていたのかもしれない。

 じゃあ、まずは割合希少な『指揮』スキルを抜き取るとしよう。これからちょくちょく顔を見るようにしないと。


 ところで、俺が蹴飛ばされたからといって、ノーラは騒ぎ立てたりはしなかった。あの程度で俺が死んだりすることはない。逆に俺が相手を殺す可能性ならある。だから彼女はじっと状況を注視するにとどめた。他人からは乱暴者に怯える少女らしく見えるので、好都合ではあったが。


「ルング、気にすることはない。あんなのはすぐいなくなる」


 だが、彼は押し黙ったままだった。

 そのまま、晩餐会は盛り上がらないまま、シメとなった。


 先に帰ったルングを座ったまま見送ると、ノーラは顔を近づけてそっと言った。


「いなくなるかもしれない」

「何が?」

「ルングよ。さっきの間引き……ギルドの仕事っていうけど、あの男が仕切ってる。睨まれた人が、ワームやリザードマンと戦うとき、一番前に立たされて、死ぬみたい」

「なるほど」


 あのドミネールって奴は、ここでは相当な顔役というわけか。


「心配いらない。来月って言ってた」

「ん? うん」

「それまでに奴が黙ればいい」

「ファルス」


 咎めるような声色だ。また殺すのか、と言わんばかり。


「あんな奴に慈悲をかけてやる意味があるのか?」

「だって」

「あの男は今まで何人もそうやって殺してきたんだ。それが今度は、俺達に手を出そうとしている。さっきも見ただろう? こちらが酒を差し出して頭を下げて話しかけているのに、いきなり蹴飛ばしてきた。話し合う意味のない人間だ」


 ここまで言い切られると、ノーラも反論できない。頑固な彼女だが、論理や事実に基づく考えを無視したりはしない。


「こちらの邪魔をしないならいい。するなら、排除する。もちろん邪魔といっても、まっとうな理由があるなら別だ。人命救助とか、街の防衛とか……でも、あれはそうじゃない」

「わかったけど」


 溜息をつきながら、なおも彼女は言った。


「なるべく殺して欲しくはないのよ」

「余計な手出しをされなければ、こっちも命までは奪わないよ」


 いろいろあったが、とりあえず多少なりとも日銭を稼げた。それはよかったとしよう。

 俺達も、宿に戻るべく腰をあげた。


 酒場の扉を開けると、外はもう真っ暗だった。街の灯りすらほとんど点されていない。


「お前」


 一歩外に踏み出したところで、声をかけられたらしい。ただ、さっきとは違って、随分と幼い声だ。子供? それとも女?


 酒場の出口の脇に、くすんだ色の襤褸を着た少女が座っていた。足を伸ばして、背中を壁に預けた格好で。

 その肌の色は暗く、髪も黒かった。そのせいもあって、明るい酒場から出てきたばかりでは、はっきりと顔を確認できなかった。


「お前、サソリのファルスだな」


 もう噂になっているのか。それともこいつの耳が早いのか。

 それにしても、やたらと省略した表現だ。俺は別にサソリ専門の冒険者なんかではないのだが。


「それがどうかしたのか」

「案内人に私を雇え」

「は?」


 いきなり売り込み? どういうことだ?


「さっきの男はもうダメだ。お前はまた、案内なしに迷宮に行く」

「だからといって、どうしてお前を雇うことになるんだ」


 年齢は、ざっとみて十二、三歳ほど。俺達と大差ない。


「お前にはやる気がある。たくさん魔物を狩りたい。稼ぎたい。違うか」

「違わないな。なるべく迷宮の奥深くに挑みたい」

「だったら、あんな男より、私のほうが役に立つ」


 ルングは仮にも成人した男だ。戦いの経験もある。なのに彼女は自信満々にそう言ってのけた。

 内心、訝しく思いはするが、全否定はできない。彼女の眼光には、それだけの力が漲っていた。


「冒険者証はあるのか」

「ない」


 じゃあ、問題外じゃないのか。


「でも、迷宮のことは知っている」

「どうしてそう言える。どうやって」

「出入口は一つじゃない」


 そこで思い至った。

 確かに彼女の言う通りだ。このドゥミェコンという人間の街は、人形の迷宮の真上に無理やり組み立てられたものだ。一部は迷宮にめり込んでおり、その境界線は曖昧だ。一応、ギルドは唯一の出入口のみを残して、あとは徹底的に封鎖したとしているが、実際には抜け穴の一つや二つ、あってもおかしくはない。


「金を出すなら案内してやる」


 問題は、こいつの信用と素性だ。そんな非公開の抜け穴にご招待とくれば、俺だって警戒せざるを得ない。

 いったいどんな奴……


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 アナク (13)


・マテリアル ヒューマン・フォーム

 (ランク7、女性、13歳)

・スキル フォレス語  4レベル

・スキル サハリア語  4レベル

・スキル シュライ語  4レベル

・スキル メルサック語 3レベル

・スキル 指揮     2レベル

・スキル 槍術     4レベル

・スキル 格闘術    3レベル

・スキル 火魔術    3レベル

・スキル 罠      2レベル

・スキル 隠密     3レベル


 空き(3)

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 これは驚いた。

 この若さで、しかも貴族などの立場にもないのに、指揮能力がある? それだけじゃない。火魔術だって? 誰に学んだのか。いったいどんな人生を過ごしてきたのか。

 その他、戦闘技術を身につけている点も無視できない。砂と同じ色の上着とズボン、見るからに貧しいのにこれがあるというのは、我流でここまで習得したということか。

 とすれば、若さを鑑みるに天賦の才がある。子供時代のキースの能力を覗き見たら、きっとこんな感じになっていたのではないかと想像してしまう。

 あと、見聞きしたことのない言語もある。メルサック語とは、いったい……


 しかし、これだけ異様な能力があるというのに。身分は? 家名がない。


「奴隷か」

「違う!」


 けれども、俺の一言に彼女は激しく反発した。


「親がわからないだけだ」

「なに」

「サソリのファルス」


 名前を呼ぶのに、わざわざサソリと付けなくてもいいのに。

 アナクは立ち上がり、俺に言った。


「もしその気になったら、西の地区に来い。アナクを探していると言えばいい。抜け穴のこと、金で教えてやる」


 それだけ言うと、彼女は背を向けて、そのまま夜の闇に紛れていなくなってしまった。


 一日サソリを狩り続けた疲れもあったが、その後に気疲れすることもあってか、宿に帰り着く頃には、さすがに体が重くなってくるのを感じていた。財布が重くなった安心感もあったと思う。一応、ルングには明後日の朝、もう一度迷宮に挑むと伝えたのだし、一日空けても問題はないだろう。今日はもうゆっくり寝よう。

 ところが、宿の前まで辿り着くと、扉の前の暗がりにしゃがみ込む人影があった。


「おや」

「ファルス、君?」


 コーザだった。俺が今朝、迷宮に入るときにはもう、出入口に座り込んでいた。朝から座っていて、今も座っている。見るからに尻が痛くなりそうだ。と思ったら、毛布を尻に敷いていた。


「無事だったの?」

「無事も何も、サソリを山ほど片付けてきましたが?」

「ええっ」


 この報告に、彼は目を丸くした。


「あんなに危ないのに、よくもまぁ」

「いやいや、素早いけど、人間より小さいし、毒の尾さえ切っちゃえば簡単じゃないですか」

「そうは言うけど、僕らの仲間も、あれに何人かやられたから。毒で膨れ上がって、片足を切り落としたのもいたし」


 完全な素人のまま、戦うことを強いられた彼らにとっては、危険な相手だった。だから恐れたり驚いたりするのも無理はないか。


「それより、どうしてこんなところに? 中で寝たらいいじゃないですか」

「うん」


 するとコーザは俯いてしまった。


「あんまり言いふらさないで欲しいんだけど」

「え? はい」

「……扉を開けたらわかるよ」


 なんだろうと思い、俺は扉を引き開けた。すると途端に、甘いお香のような匂いが内側から溢れてきた。同時に、明らかに女性の声と思しきものが耳朶に触れた。すぐ扉を閉め直した。


「あ、遊び? 悪いほうの」

「うん。それもクスリをやりながら」


 帝都から来た連中の夜遊び、か。

 コーザみたいに堅実な道を選ぶのもいるが、それには大きな忍耐を必要とする。どうせ先なんかないんだからと、挺身隊の初年度ボーナスが出ているうちに、こうして遊ぶのも出てくる。


「こう、炙ってね……紫色のいい匂いの煙が出てくるんだ。それを吸ってるとだんだん気持ちよくなってくるんだけど」

「はい」

「見てるとみんな、だんだんやめられなくなっていくから……吸い込みたくなくて、外にいるんだ」

「ああ」


 それじゃ、俺とノーラも中に入れない。汚れた空気を吸い続けたら、一緒にヤク中になってしまう。それに、中にいたら欲情を誘う声がひっきりなしに聞こえてくるのだ。我慢できたものじゃないだろう。

 だけど、俺達からしたら。一日動き回ってこれか。ちょっとひどくないか?


「今夜は野宿、かな?」


 俺は背負い袋を下ろして、路地の上に座った。


「宿の中に置きっぱなしにしてきた荷物に、匂いが移ってなければいいけど」


 ノーラも溜息をつきながら、その場にしゃがんだ。


「よかったら、毛布を貸そうか?」


 反対に、立ち上がったコーザが、さっきまで尻に敷いていた毛布を差し出してきた。


「でも、それは」

「いいんだ。どうせ眠れない。一日中、出入口に座ってるだけなんだし、昼寝してるようなものだったからさ。ちょっと動きたいし、僕は散歩してくるから、それ二人で使ってよ」

「あ、ありがとうございます」

「じゃ」


 そのまま、手を振ってコーザは歩き去っていった。

 これはもう一度くらい、ご馳走しなくては。内心、そう決めてから俺はノーラと一緒に、壁を背にしながら毛布をかぶった。

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