迷宮利権

「まず、確認しておきたいんだけど」

「うん、なぁに?」


 目の前には古びた木のテーブル。それぞれ皿が三つにコップが一つ。生気のないパン、萎びかけたキャベツの千切り、酸っぱいばかりで甘みがほとんどない形ばかりのオレンジ。くたびれたソーセージと、やけに小さな目玉焼き。これらをコップの中の水で流し込めということらしい。

 これが俺達の朝食だった。贅沢なのか、貧相なのか。


 ちょっと手を付けたところで、食べながらノーラに相談を持ち掛けた。

 まずは前提の確認から。


「僕は一人で迷宮に挑みたい。行かせてくれるか」

「それなら私も」

「どうしても連れていかないと言ったら」

「鍛錬だと思って、私も一人で迷宮に挑む。だいたい、こんな街で私だけ、何をしていればいいのよ」


 他に仕事なんかない。多分、娯楽も。残念ながら、家事を頼むのもナシだ。炊事場も洗濯場も宿側が掌握していて、宿泊客が勝手に使うのは許されていないという。といって、まさかあの迷宮の入口に屯していた連中に混じって座っていろとも言えない。

 だから、こうなる。ノーラも多少のお金は持ってきているが、この都市に長期間とどまるだけの蓄えは手元にない。よって迷宮の戦士として働かざるを得ない。


「だから帰ってくれと言ったんだ」

「それはできない。ファルスが帰るまでは、私も帰らない」

「わかった」


 といって、帰国を要求しても受け入れられるはずもなし……

 では、どうすればノーラを死なさずに済むか。そして、どこで振り切るか。


「何が何でも迷宮に入るというのであれば、ノーラ、僕としてはノーラに死んでもらいたくはないんだ」

「うん」

「手段は選べない。覚悟はいいか」

「何をするの?」


 俺は頷くと、左右の客の様子を窺った。誰もこちらには注目していない。夜ほどには活気もないが、それでもこの、ちょっとしたホールのような酒場は十分騒がしい。


「ノーラを強くする」

「どうやって……ううん、もしかして」

「そう、そのまさかだ」


 俺は、紙片に今のノーラの状態を書いて示した。


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 ノーラ・ネーク (12)


・マテリアル ヒューマン・フォーム

 (ランク8、女性、12歳)

・アビリティ マナ・コア・精神操作の魔力

 (ランク8)

・スキル フォレス語  5レベル

・スキル 裁縫     2レベル

・スキル 料理     1レベル

・スキル 棒術     3レベル

・スキル 精神操作魔術 9レベル

・スキル 商取引    7レベル

・スキル 房中術    7レベル

・スキル 指揮     2レベル


 空き(3)

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「今、こうなっている」


 紫水晶の月を迎えて、ノーラは十二歳になった。だから今、空き枠が三つある。

 一方、ここまで具体的に能力を示されて、彼女は軽く驚いていた。


「ファルスの……その、体を……不思議な力のことは知ってたけど、こんなに細かくわかるの?」


 騒がしいとはいえ、誰が聞いているかわからない。それで思わず口に出しかけた言葉を引っ込めつつ、彼女は俺に尋ねた。俺も顔を寄せて、声を潜めた。


「そう。それが、言ってみればノーラの部品だ。部品は取り外したり、付け加えたりできる。このうち、商取引、房中術、精神操作魔術、それとその魔術核は、僕が以前に移植したものだ」

「商取引はいいとして。これ、他のもグルービーのものよね? 房中術なんて……何のためだったの?」

「そういえば説明してなかった。もともと大した理由はなかった。ジョイスと同居するなら、少しでも神通力の効きを悪くしようと思って……相手の能力が高いと、うまく働かなくなるから、それで」


 俺にとって小さくないリスクだ。能力の詳細を知らせ、しかもそれによって他人を強化する。

 彼女についてはまず心配いらないとは思うが、そうして能力を配布することの危険性は馬鹿にならない。この秘密が外部に漏れるだけでも大変なことになるし、またせっかく強化した相手が俺の背中を刺さない保証もない。だから、仲間を集めて強くするというオプションを、今まではほとんど選べずにいた。


「で、どうやってノーラを強くするか、なんだけど」

「なんでも伸ばせるわけじゃないのよね?」

「そう。僕が以前、誰かから奪い取った力でなければ、与えることはできない。それで、僕が差し出せるのは」


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・スキル 指揮      4レベル

・スキル 投擲術     5レベル

・スキル 罠       5レベル

・スキル 軽業      5レベル

・スキル 水泳      4レベル

・スキル 医術      4レベル

・スキル 腐蝕魔術    9レベル+

・スキル 爪牙戦闘    9レベル

・スキル アブ・クラン語 7レベル

・スキル ルー語     4レベル

・アビリティ マナ・コア・腐蝕の魔力

 (ランク9)

・アビリティ マナ・コア・身体操作の魔力

 (ランク6)

・アビリティ 無光源強化

・アビリティ 無光源超強化

・アビリティ 生命力過剰

・アビリティ 痛覚無効

・アビリティ 魔導治癒

・アビリティ 悪食

・マテリアル ドラゴン・フォーム

 (ランク7、女性、967歳)

・マテリアル 神通力・怪力

 (ランク3,4,7)

・マテリアル 神通力・飛行

 (ランク4,5))

・マテリアル 神通力・暗視

 (ランク5)

・マテリアル 神通力・透視

 (ランク5)

・マテリアル 神通力・鋭敏感覚

 (ランク7)

・マテリアル 神通力・壁歩き

 (ランク5)

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「えっ……待って、まだ……こんなにあるの!?」

「これしかない、んだ」


 数こそ多いが、すぐさま役立つものはさほどない。


「まず、魔術については知識がないとまったく意味がない。教えてくれる人もなかなか見つからないし、これで能力を与えても、記憶はついてこないから」

「う、うん」

「身体操作魔術の魔術核がある。これは貴重で有用だけど、スキル……技術や経験の方がない。僕のものを分ければ埋め合わせることもできるけど」

「それはしない。その分、ファルスが弱くなるんでしょ」

「腐蝕魔術については、僕に知識がある。技術にも分ける余裕がある。道具まで揃っている。ただ、これは危険すぎる魔法だ。間違って使うと、人を無差別に殺しかねない」


 とはいえ、使い方次第では火魔術などを一方的にキャンセルできるし、破壊力だって相当なものだ。その気になれば、竜だろうがなんだろうが、一瞬で灰になる。遠慮なく使えるなら、これほど頼りになる能力はないが……


「それと、神通力なんかは便利そうに見えるかもしれないけど、四六時中休みなしの能力だから、寝ている最中でも関係なく働く。例えば、怪力で効果の高いものがあるね。これを取り込んだら、寝相には気を付けないといけない。軽く足をぶつけただけで、壁を蹴り抜いてしまうかもしれないから」

「怖いのね」

「神通力の厄介なところは、スーディアで見てきただろう。僕も暗視を使ったけど、瞼を閉じても明るくて、よく眠れなかった」


 そうなると、使いやすいのはスキルだが……


「普通のスキルは、なんとなく習得しただけでも、ある程度は役立つ。でも、これもやっぱりちゃんと指導してもらったかどうかが影響する。知識や経験がものをいうんだ」

「じゃあ、何を私にさせるの?」

「これ、だ」


 俺が指差したのは、魔導治癒だった。


「まず、これ」

「どういう意味? 誰かの傷を治すの?」

「はっきりとはしないんだけど、魔宮モーの吸血鬼が持っていた力だ。普通の武器で傷つけられても、だんだんと傷が治っていく」

「すごいじゃない! ファルスがつければいいのに」


 まずそっちから考えるのか。彼女らしいが。


「短所もあるんだ」


 無条件に安心して利用できる能力なんて、そうそうない。だから利用には慎重にならなくてはいけない。


「まず、銀またはミスリルで傷つけられると、凄まじい痛みを味わうし、傷も治りにくくなる」

「うん」

「それと、どういうわけか、効果がない場合がある。前に誰かに移植したけど、その人はほとんど傷が治らなかった」


 ヘルのことだ。彼に移植した魔導治癒は、ほとんど効果を発揮しなかった。アルジャラードの力魔術で飛来した石礫によって彼は傷つけられ、身動きできないままになっていたのだ。

 だが、この結果について、俺なりの仮説というか、解釈がある。

 ピアシング・ハンドは意味のない表示はしない。誰かがそう名付けたとか、そう認識されるべきものだとか、とにかくどんなにわかりにくくても、俺が理解できる範囲で説明をしてくれている。そして、この能力についての説明は『魔導』治癒だ。

 魔力がある存在に限って、傷の治りが早くなる。そういうものだとしたら?


「……今、ノーラには魔力がある。だから今から、魔導治癒の能力を移植して……目立たないところに小さな傷をつける。それで普通より早く傷が塞がるか、何も起きないか、それを確認したい」

「わかった」

「言っておくけど、痛みはなくならない。痛覚無効の能力もあるけど、これに頼ると、自分がどれだけ傷ついたかに気付けなくなる危険がある。すると、当然なくてはいけない恐怖を感じられなくなる。ゴーファトみたいにね。だから今後ともなるべく使わないつもりだ。我慢してもらうぞ」

「命がかかってる話だから、当然だと思うわ、でも」


 付与できる能力の一覧を見ながら、彼女は疑問を口にした。


「この、生命力過剰っていうのは?」

「これは使えない。傷がものすごい速さで治っていくんだけど、関係ないところまで巻き込みながらくっついていくんだ。例えば、傷ついた右手と左手を触れ合わせておいたら」


 そう言いながら俺は両手を合わせて、引っぺがせないでいる仕草をしてみせた。


「え……」

「トロールの能力だけど、こんなのはさすがに……それと無光源超強化もそうだ。闇の中ではバカみたいに強くなれるけど、光を浴びた途端、凄まじく弱体化する。歩けなくなったりもするから、迂闊に使えない。無光源強化だけなら、そこまで影響もないだろうから、一度試してみようとは思う」


 あの迷宮、光源があるのは入口付近までだ。その先は真っ暗になる。となれば普通は松明を買うなどするところだが、俺達は暗視能力を自分に移植できる。余計なことに手を使わずに済み、しかも能力の強化までできてしまう。デメリットがないのなら、ぜひ活用したいところだ。


「今後、どの能力をノーラに持たせるかは、様子を見ながら考えるけど、まずは魔導治癒が効くかどうかを確認したい。それと、今日から少しずつ迷宮の中を見て歩こうと思う。半日篭るようなことは、まだやらないつもりだけど」


 酒場を出て、俺とノーラはまっすぐ中央の城壁に向かった。今度は入るだけでなく、内部の探索に挑んでみるつもりだ。事実上の初回だから、絶対に無理はしない。まだノーラにも自分にも、暗視すら移植していないので、松明も用意していく。持つのはノーラの仕事だ。

 ギルドの前の広場から、脇の道に入る。すると、昨夜とは打って変わって、道沿いに大勢の人影があった。


「ヘイ! ヘイヘイヘイ」

「よぉっ! こっちだ!」


 道沿いに並んだ男達が、身振り手振りで俺達を差し招こうとしている。いったい何事だ?


「お前ら、どこに行くんだ? 無視するなよ?」


 フォレス語で呼びかけてくる。

 ほぼ全員が大人の男だ。若者から中年まで、幅広い。人種も、フォレス人もいれば、サハリア人もシュライ人もいる。共通点としては、みんな軽装ながら武器と防具を身に帯びているところか。外見からすると、彼らはこの迷宮の探索者達のようだが……

 もう朝とはいっても、かなり遅い時間だ。街全体が日陰とはいえ、じわじわと暑さが増している。そんな中、昼間から内部に潜らず、こんなところで油を売っている。性質の悪いチンピラか何かだろうか?


「安くするぜ? まずはお試しでどうだ」


 その一言で、足が止まった。

 彼らは俺達をからかっているのではない。これでもビジネスをしたいらしい。


「何のお話です?」


 振り返って尋ねる。

 すると、男達は一斉に黙りこくった。一瞬の間の後、今度は大笑いだ。


「ぶははは、こいつは傑作だ!」

「なんも知らねぇんだな」

「お前ら、迷宮に入るんだろ?」


 どうやら、彼らからすれば、かなり世間知らずな真似をしようとしているらしい。だが、そうだとしても、どうにも態度に引っかかるものを感じた。本気で馬鹿にしているのか、それともそういう演技なのか……


「そうですよ」

「そんななりでか。ガキが向こう見ずに」


 俺は黙って階級章をみせた。ジェード、つまりあとちょっとで上級冒険者だ。

 さすがにこれには多少、驚いたようだったが、それでも基本的に彼らは態度を変えなかった。


「ふーん、ガキンチョのくせに腕がたつってか」

「それなりには」


 頭にバンダナ、がっしりした顎に無精髭の男が、下からねめ回すようにして嘲笑った。


「けど、迷宮に潜ろうってんなら、その高慢ちきな鼻は自分でへし折っとけ」

「危険だからですか」

「いんや」


 どこか得意げな顔をしながら、彼は続けた。


「腕っぷしだけじゃあ、やってけねぇってことさ。お前ら、迷宮のどこに何があるかも、まったくわかんねぇんだろ」

「少しずつ調べていくつもりです」

「あめぇな」


 もう、男達は俺達を嘲笑するのはやめたらしい。周囲を取り囲みつつ、ニヤニヤしながら話の行く末を見極めようとはしているが。


「迷宮ん中の道筋なんざぁな、コロコロ変わっちまうもんだ。それも、俺達が手を加えるってぇこともある。魔物が這い上がってくる場合にゃあ、通路ごと爆薬で吹っ飛ばしたりもする」

「壁を作るんですよね」

「あー、そうだ。なんだお前、詳しいな」


 ルークの世界誌の頃からあった防衛策の一つだ。書いてあることなら、俺だって知っている。


「けど、どこにどんな壁を作ったか、何があるかを知ってるか?」

「いいえ」

「知らねぇとよぉ……ヒッ」


 思い出し笑いだろうか、噛み殺しながらも、途中で言葉が続かなくなってしまった。笑いながら身を折り、呼吸を整えてから、やっと彼は言い切った。


「ヒッ……あ、頭の上から、クソションベンひっかぶることだってあるんだぜぇ?」

「はい?」

「この街をな、ムスタムみたいな上品なとこだと思うなよ? 下水道なんざありゃあしねぇ。人間様のクソションベンはな、迷宮に放り込んでんだよ! はっはは!」


 なるほど、納得はできる。

 だが、そうした汚水処理事業についての情報を握っているのは、必ずしも彼らだけではあるまいに。


「ギルドで問い合わせればわかることですね」

「あー、一応はな、一応は」


 ピンときた。そういうこと、か。

 あの受付嬢、いい性格をしている。いや、新人には何も情報を伝えないようにと因果を含めてあるのか。あの不愛想な態度と言葉の節約ぶりには、ちゃんと理由があったわけだ。


「一番詳しいのは、あなた方だと」

「当然だろ? 毎日潜ってんだからよ」


 そういって彼は胸を張り、取り囲む男達も腕組みしながら頷いてみせた。

 だが、見え透いている。


 迷宮利権、と呼べばいいのか?

 要するに、この迷宮の暴走を抑制するために、帝都をはじめとした各勢力から、莫大な資金が流入している。ギルドもその恩恵を受けつつ、冒険者達を使って迷宮内に防壁を作ったりしている。そうした活動の一環で、たとえば迷宮に汚水を捨てたりもする。どれもこの迷宮に対する最前線、ドゥミェコンを維持するための仕事だ。

 そして、こんな場所にも定住する冒険者達がいる。或いは流れ着いてしまっただけかもしれないが、とにかく彼らはここで暮らしている。連中は世界を守るための任務に就いてはいるが、正義の味方なんかではない。ただ儲けたいだけだ。

 だから、様々な情報を独占する。ギルドからは、あくまで熟練の冒険者に対する指名依頼という形で、防壁の設置や汚水の処理などをやらせる。その情報は一般に公開されない。だが、迷宮に居着いた仲間同士の間では共有されている。

 だが、よくよく考えてみれば、実は宿や酒場だってそうだ。酒場は宿の紹介と引き換えに、三度の食事のうちの一回を独占した。宿は炊事場その他の施設を客に使わせない。みんな自分の領土をしっかり守って、金を吸い上げようとしている。

 ついでに言うと、俺達外部の人間は、自分で水を汲みに行く権利もない。ドゥミェコン市内の上水道は、迷宮の内側から直接引かれている。統一時代に作られた立派な溜池があるそうだが、なんとそこへの立ち入りすら禁止されている。ここから取水できるのは、特別に許可を得た周縁部に住む有力者達か、市内に住居を構える連中だけだ。


「要するに」


 真面目に迷宮に挑もうという新参者の冒険者は、こうした先輩方の助力なしには、大変な苦労をする。そういう仕組みになっているのだ。

 しかし、多少の疑問もないでもない。ギルドの側にメリットがあるんだろうか? 或いは、彼らに利権を握らせないと困る理由とか?

 それだけではない。そもそもこういう利権が商売になるのか? 俺達みたいな流れの冒険者が、年間どれくらいの頻度で顔を出すだろう? こんな対応を受けたら、さっさと見切りをつけて他の土地に流れていってしまうのでは?


「案内してやるから、金払え、と?」

「そういうこった」


 さて、どうしたものか。

 彼らが役立つかどうかはわからない。スキルだけ見るなら、中級冒険者相当の能力ならあるようだ。しかし、そこにだけ注目するのはよくない。彼らがどれだけ迷宮に詳しいかはわからないし、知っているとしても、ごく上層の部分だけかもしれない。俺の目的地は迷宮の最深部だ。そこまで案内してくれるとは到底思えない。といって、ここで無下に扱おうものなら、今度は逆恨みされて、嫌がらせを受けるかもしれない。俺だけならともかく、ノーラもいる。


「なるほど、興味はあります」

「お?」


 納得はさせよう。敵対はしたくない。

 但し、今回は連れていけない。というより、俺の秘密に気付く可能性があるから、知らない人間はなるべく近付けたくない。


「実は僕はピュリス出身の冒険者なんですが、階級を上げるための実績を上げたいと思っています」

「いいじゃねぇか」

「ちょっとばかり腕試しをしてみたくて、ここまでやってきたんです。そのうちに皆さんのお世話になるかもしれませんが、最初くらいは好きに見て回りたいな、と」

「ほー」


 断られたとわかって、男は剣呑な目つきで一歩下がった。


「ま、お前の自由だ」

「すぐ泣きつくかもしれませんけどね」

「そらそうだろ」


 肩をすくめて、そいつは言った。


「女連れじゃ、困るのは目に見えてる」

「なぜです?」

「そりゃお前」


 鼻で笑いながら、彼はノーラを指差した。


「どこでションベンするんだ? え、おい? お前の見てる前でやるのか? ぷっ、ははは」


 彼が笑い出すと、周囲の連中も一緒になって笑い出した。

 とはいえ、確かに長時間の探索となれば、排泄の問題もついてまわる。この点、生活施設が内部にあった魔宮モーはかなり特殊な場所だった。温水浴すらできたのだから。でも、いろんな種類の魔物が身を寄せ合うこの人形の迷宮では、そんな素敵なサービスは期待できないだろう。


「でも、迷宮で稼がなくちゃいけませんから」

「あぁ、だったら心配するな。そっちの姉ちゃんは、安全なところでたんまり稼げるぜ」


 だが、俺もノーラも眉根を寄せた。意味なら考えるまでもない。


「南の方の一角にな、そりゃあいい場所があるんだ……その気になったら、いつでも案内してやるぜ? あぁっはっはっは!」


 体を売れ、と。

 男ばかりの迷宮都市だ。そういう場所もなければ、やっていけないのはわかるが。だとしても、なんとも気分の悪い物言いではないか。


「行きましょう」


 ノーラが静かに俺の袖を引いた。俺も小さく頷くと、一歩を踏み出した。俺達を冷やかした先輩冒険者達も、それ以上、道を遮ったりはしなかった。

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