迷宮都市の風景

 ドゥミェコンの街の雰囲気は、陽気なムスタムとはまったく違う。道行く人は誰もがむっつりと黙りこくって、足早に立ち去っていく。

 かなり治安が悪いらしいことは、事前に聞き知っていた。昼間でも油断はできない。道幅は狭く、すれ違うのさえ難しい。頭上の布を透かして届く陽光は弱々しく、周囲は薄暗かった。窮屈な路地に立ち止まり、俺は一息ついて前後を見回す。


 街の入口の大通りこそ幅広く、空の広さを感じることもできたが、後は狭苦しいばかりだった。宿を探して俺とノーラは、これらすべてで街を形成する、この一塊の円形の建造物群に足を踏み入れたのだが、その薄暗さときたら。日差しをしのぐためとはいえ、どこにでも天井がある。それは崩れかけた日干し煉瓦のこともあれば、ただの薄っぺらい木の板一枚のこともある。また、目の粗い布が幾重にも渡されており、これが直射日光を遮りつつも、ある程度の通気性と視界を得るのに役立っている。

 この土地では、これが合理的なのだろう。雨が降ることなどまずない。一番危険なのは苛烈な陽光だ。


 はじめ、大通りの突き当たりにあった街の中心側の建造物を見て、そのみすぼらしさに驚かされた。だが、か細い通りから奥へと立ち入ると、その理由がわかる。あれは裏側だったのだ。この街の住民は、あの大通りや、建造物群の外周を歩くことなど、滅多にない。だから見てくれなんてどうでもよくて、とにかく崩れないように、なんでもいいから建材を積み重ねておいただけ。まさしく逆さまで、他の街なら表玄関の部分が、ただの裏庭になってしまっている。

 では、内側はというと、これもやっぱりパッとしない。というか、ほとんどスラムみたいなものだ。足下の凸凹もかなりのもので、一部の幅広の通り以外は、ほとんど山歩きをしているのと変わらないくらいに足場が悪い。石畳があっても、大抵は穴だらけだ。仮に形のいい石材が残っていても、住民が勝手に剥がして自分のために使ってしまうのだろう。


 狭いというなら、ムスタムの下町の裏通りだってそうなのだが、あちらにはまだ、光と影のコントラストがあった。ここにあるのは、ひたすらに濁った、澱んだ、沼の底にいるかのような灰色ばかりだ。

 薄汚れた布が壁から垂れ下がり、古びた板の破片が散らばっている。時折、まるで死体のようにぐったりとしたままの人間も見つかる。もちろん生きてはいるのだが、どういうわけかピクリともしない。ひたすら薄暗い路地の隅っこで、壁にもたれるばかりだ。


 この混沌が、いくつもの階層に広がっている。わかりやすく断面図にするならば、どら焼きをティッシュの空箱の上に置いたような感じになっているのだ。街の周辺には有力者の拠点がある。その一つ内側、円形の都市の外郭は低階層の高級住宅地だ。高級といっても、このスラム街における顔役の住処というだけのことなのだが。また、このエリアは外部から街への補給物資が届く場所でもある。つまり、市内の物流の起点だ。

 その内側に入ると、今、俺とノーラが彷徨っているような本格的なスラムになる。道幅も狭く、石畳も凹みばかり。どこもかしこも薄汚れている。低い天井は薄っぺらい木の板でしかないのだが、その上に足音が響くこともある。何かで割れて人が落ちてくるんじゃないかと不安で仕方がない。

 空気の流れは滞っているが、臭いは不思議なほど少ない。水気がないので、腐るということがないのだ。ただ、たまに猛烈な臭気を放つ場所がある。その汚れの原因については、あまり考えたくない。ここでは、弱者は見殺しにされるらしい。街の中心部に近付けば近付くほど、そういう個所が目立つようになる。

 そうしてどんどん内側に進んでいくと、やがて迷宮の入口に辿り着く。


 迷宮の入口は、クレーターのようになっている。これはもともとそうだったのではなく、人間と魔物の抗争の末に出来上がったものだという。迷宮の浅い階層は掘り抜かれ、剥き出しになった。その狭い入口の周囲に、外からだと塔にしか見えない城壁も拵えた。人形の迷宮に潜る冒険者は、ここから侵入しなくてはいけない。

 要するに、その塔の根本にも街が広がっている。だが、そこは迷宮の一部でもある。ティッシュの空箱の上のどら焼き……市街地が、その重さで箱……魔物の生息域にめり込んでいるような構図だ。だから時折、床や壁を突き破って魔物が押し寄せることもあり、その場合には、その最低の住宅地に住んでいた人々は犠牲になりつつ、応戦する。

 こうした事情もあるため、迷宮内の、特に浅い階層では、壁の位置が頻繁に変わるという。人も魔物も、自分にとって不利な壁はぶち抜いてしまうからだ。一方で、冒険者ギルドは人員を派遣して、自分達に有用な壁を新設することもある。また、深い階層でも、力のある魔物が自分の生息域を広げようとしたり、単に移動しようとして、やっぱり通路を埋めたり、広げたりするという。

 ここでは何もかもが迷宮ありきだ。この砂漠の街の水源も、地下の迷宮に依存している。大昔に深い階層まで制圧した人類側が、給水装置を残してくれた。これがないと、ドゥミェコンという拠点そのものが維持できない。

 こうした人と魔物の抗争は、まさしく命懸けだ。この迷宮都市という最前線が突破されたら、サハリア中央部は一気に魔境に様変わりしてしまう。人間側は、迷宮を滅ぼそうと戦いながら、迷宮に縋りついてもいるわけだ。


 いったい、人が迷宮に挑んでいるのか、迷宮が人を取り込んだのか。

 今の時点では、俺には何とも言えない。


「よし」


 俺は思考を切り替えた。


「酒場に行こう」

「えっ?」

「宿屋を探しても無駄だ。どこも看板すら出してない」


 ここは普通の街ではない。まずその前提から考えていかないとダメだ。

 宿屋という施設は、ある程度の流通があってやっと成立するものだ。誰かが物品を運搬する。その経由地に寝床や飲食を提供する場所があれば、お金を払ってでも利用する。しかし、その往来の頻度が低ければ、専業の宿屋なんて業態は成立しない。実際、俺がオディウスの支配するティンティナブリアを目指した時もそうだった。あの時は、イーパが普通の農家にお金を払って宿代わりにしていたのだ。


 では、この人形の迷宮とドゥミェコンの街は、というと……なるほど、物流の拠点ではある。一応、東西サハリアの陸上交易の要衝だからだ。但し、維持管理費と利益を足し引きすると、完全に赤字になる。

 この都市が維持されている理由は、専ら魔物の暴走を抑制するためだ。そして、そのために多くの人員が詰めている。彼らは飲食し、寝泊まりする。この費用を帝都その他が赤字を垂れ流しながら供給し続けている。迷宮からお宝が見つかることもあるらしいが、それで収支が合うのでもない。多くの物資がこの街に運び込まれはするが、最終消費地もここなのだ。

 要するに、俺みたいな流れの冒険者が頻繁に立ち寄ってくれるような街ではないらしい。商人が物資を売りには来るが、彼らには馴染みの宿や取引相手がいる。一般人相手に広告を出すメリットがない。だから看板の一つもない。

 ということはつまり、人に尋ねる。これが答えだ。


 中心部の城壁に間近いところに、ちょっとした広場があった。広場といっても、頭上は例によって木の板や布に覆われている。ただ、他のところより天井が高いし、大勢の人が通れるくらいの空間ができている。もっとも、その目的に思い至ると、自然と気持ちは引き締まる。地下で魔物の暴走が起きたときに、人員を速やかに送り込むための場所がここなのだ。

 一方、ここに至るまでの道筋がどうしてあんなに狭かったのかといえば、やはり同じ理由によっている。溢れ出した魔物が街の外に出るまでの時間を稼ぐために、迷路のような構造にしてあるのだ。


 広場の中央に位置する建造物は、例によっていろいろな建材の寄せ集めだった。日干し煉瓦、木材、不揃いな石材。それが砂場に突き立てたラグビーボールみたいな形をしている。


「ギルド支部か。せっかくだし、立ち寄っていこう」

「うん」


 日干し煉瓦のカスが降り注いでいるためか、足下も木の扉も、粉を噴いているようにみえた。扉を引いて気付いた。蝶番の部分が外れそうになっていた。

 室内に立ち入ると、妙にがらんとした印象だった。半円形の待合室と、そこに立てられた掲示板の数々。隅のほうに、椅子に腰かけている冒険者はいるが、膝に肘をついたまま、動こうとしない。その向こうにカウンターがあり、くたびれた感じの女性職員が下を向いて座っている。


「すみません」

「はい」


 声をかけられた受付の女性は、のっそりと顔をあげた。口調はぞんざいで、俺達を拒絶する気持ちがありありと表れていた。


「今日からこちらで活動することになりますので、手続きをお願いしたく」

「タグを見せて」


 一瞬、俺達の若さに訝し気な様子をみせたが、すぐに切り替えて、冷淡にそう言った。逆らわず、すぐにタグを差し出す。ノーラもそうした。


「ジェード? ……とジャスパー、か」

「ええ」

「はい……記録はしたけど、迷宮に入るときは、あの城壁……出たらわかると思うけど、あの塔ね。あそこから。他から入るとこっちが困るから。死んでも誰にもわからないから、ちゃんと手続きしてちょうだい」

「あそこから入れば、わかるんですか?」

「いつ迷宮に入ったかの記録が残るでしょ」


 行方不明、即ち死亡とすれば、なるほど、わかりやすくはある。

 まぁ、いい。それより用事を済ませよう。


「僕らはまだ、宿をとってないんですが、この街では」

「あんまりそういう場所はないから。ギルドでも、個人には斡旋してないわ」


 個人には?


「寝床が欲しいなら……うーん、この広場から、えっと、ギルドを正面に見て、右手? の小道に入れば、しばらく進めば酒場がすぐ見つかるから、そっちで尋ねて。うまく融通してもらうのね」

「は、はい。ありがとうございます。それで、後は市場で買い物……」

「そっちも酒場で訊いて」

「はい」


 ろくに話すつもりもないらしい。暇だろうに。この受付嬢、目が死んでいる。

 しかし、ギルドの仕事についてならば、話さざるを得まい。


「では最後に」

「なに」

「お金になるような依頼はありますか」


 所持金が金貨三百枚を切っている。この街の物価がかなり高いらしいことは聞き知っているので、ある程度の稼ぎがないと、すぐ資金が枯渇するのではないかと思っている。それにまた、もし手に入るのならだが、調達したい装備もいろいろとある。二百年前にこの地を訪れたルーク・ハシルアーは、この街の市場について記述を残しているが、魔物と戦う最前線とあって、なかなか質のいい武具の類も見つかったという。だからお金は欲しい。


「ないわ」


 しかし、彼女の返答はあっさりしていた。


「普通はみんな、日給で稼ぐのよ」

「日給? 固定でいただけるお金があるんですか」

「三分の一日以上、迷宮の中で活動すれば、金貨一枚。二日目に差し掛かったら二枚。その先も日数でギルドが支払うことになってるから」


 なんとも大盤振る舞いだ。迷宮に潜るだけで稼げます! ニートにとっては楽園みたいな場所じゃないのか。

 ただ、それでは一度に大金を得るのは難しい。


「あとはみんな、魔物の死体を持ち込むことが多いかな。あんまり見ないけどリザードマンなら頭か尻尾、毒サソリなら尻尾、毒蛇は頭、ワームも……尻尾しか持ち帰れないんじゃないかしら」

「素材になるとか?」

「そんなわけないでしょ? 魔物の間引きをしたから、報奨金が出るってだけ」


 死体全部を回収しなくていいのは助かるが、それでも荷物になりそうだ。

 もっと無理なく稼げるのがいいのだが……


「そこの掲示板に依頼がありますが」

「勝手に見ればいいじゃない」


 不愛想にもほどがある。

 少し気分がよくなかったが、黙ってカウンターを離れ、ボードに貼られた依頼をざっと見渡す。


『探し人……九八五年に人形の迷宮に挑んだコーザ・ミッシンを見つけてくれた方に金貨百枚、生死問わず』

『九八三年に消息を絶ったパーティー“赤き戦斧”の遺品を持ち帰ってください、買い取ります』

『九七四年に解散したパーティー“砂の精兵”より、窟竜討伐の依頼、仲間の仇討をお願いしたい』


 余計に気分が悪くなった。

 まず、依頼が迷宮関連のものしかない。どこそこで行方不明になった、或いは死んだ、だから探して欲しい。或いは、死んだ仲間の敵討ちをして欲しい。そんなのばかりだ。しかも、それらの依頼が受注された形跡がない。新しくても十年前、古いものでは二十年前に貼られたまま、字が消えかかっているのさえある。

 ここに依頼を残した人達は、どんな気持ちだったろうか。誰かが果たしてくれると期待なんてできない。それは受付嬢がきっと説明したはずだ。それでも藁にも縋る思いで、こうして張り紙をした。それが犠牲者達の墓標になってしまっている。


 俺は、またカウンターに振り返った。彼女の関心はもう、こちらにない。

 意味がないからだ。こんな迷宮に潜って、どれだけ生きられるか。少年少女が勘違いして夢を見て、こんなところまで来てしまった。現実を悟って引き返すか、さもなければ行方不明になるか。どちらかだから、まともに相手をしても仕方ない。


 そんなに危険な場所なのか。じわりと恐怖が這い上がってくる。


 いや、それは普通の人間にとっての話だ。既に常人の領域を超えつつある俺にとっては、そこまでの脅威など存在しない。一つずつ検討してみればいい。バジリスクの王なら、そもそも倒すつもりがない。だから、俺にとっては問題とならない。

 その次に危険な魔物はといえば、窟竜だ。要するに洞窟に住まう竜で、赤竜の亜種とされている。暗褐色の皮膚、そして体の一部だけが同じ色の鱗に覆われている。赤竜と違うのは、集団生活をせず、社会性にも乏しいという点だ。しかし、飛行能力を失ってはいないし、強烈な炎の息を吐くこともあるという。少なくない冒険者が、この竜の餌食になってきたとか。

 しかし、俺なら問題ない。黒竜より強いということもないだろうし、あの腐蝕魔術みたいな、取り返しのつかない損傷が無差別に撒き散らされる状況は発生しない。火魔術で対応可能な攻撃なら防御もできる。かつ、その手のスキルや魔術核まで有しているとなれば、俺にとっては餌だ。

 更に格下の魔物となれば、あとは不意討ちを浴びるのでもなければ、なんてことはないだろう。いくらでも対処できる。俺一人ならば。


 そっと後ろを見る。

 ノーラは黙って依頼の張り紙に目を通していた。


 俺なら平気でも、彼女にとっては……


「今、慌てることはない。まず、宿を探そう」


 なんとしてもノーラは死なせない。

 その上で俺だけが石像になる。できるだろうか?


 それでも、やるしかない。

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