第二十八章 迷宮都市

逆さまの街へ

 視界を遮るものはない。雲一つない、透き通るような青空。その下には、真っ白な地平線と、うっすら黄色に染まった不毛の大地が広がるばかり。砂漠といっても、砂より岩が目立っていた。乾ききった地面は固く、思った以上に歩きやすかった。

 そんな中、踏み均された道を、俺達は黙って歩き続けている。行列の先頭を進むのは熟練の冒険者で、頭からすっぽりと白いケープを羽織っている。これほど見晴らしがいい場所では、盗賊や魔物の奇襲もそうそうあるわけではないが、油断は禁物なのだ。

 その後に続くのが駱駝の列だ。この灼熱と乾燥の大地では、馬など役に立たない。また、内陸に進むほど寒暖差も大きくなる。駱駝か、そうでなければ、まだ目にしたことはないが、サハリア特産の走竜なる騎乗用の魔物以外は用いられないという。

 駱駝達は大量の荷物を背負ったまま、ロープで繋がれて、大人しく商人に牽かれている。どんな感情を抱いているのかはわからないが、その緩慢な仕草からは、無気力な奴隷がいやいや命令に従っているようにも見える。


 その後ろをとぼとぼとついていくのが、俺とノーラだった。一応、名目上は隊商の護衛として。但し、契約金はなし。水と食事をもらえるだけマシだ。俺は既にジェードの階級章を手にしているが、見た目がこの幼さで、ノーラはまだジャスパー。この砂漠のルートを旅した経験もない。黒竜の主討伐者だからといって、能力面で期待してもらうのが難しかった。

 だが、目的地が人形の迷宮だと告げると、ある意味、お情けで受け入れてもらえたのだ。これはありがたかった。

 というのも、少数で旅をする場合、危険の度合いが跳ね上がる。ムスタムから人形の迷宮の間には、砂漠しかない。その道中には、ワームやリザードマンがうようよしている。ほぼ魔境なのだ。

 奴らは、人間どもの数が少ないとなれば、次から次へと襲いかかってくる。今の俺なら、そうした魔物を倒すくらいはできる。それでも、無用な危険を回避できるならそのほうがいいし、今はノーラを連れている。

 それにまた、目印らしきものがほとんどないこの砂漠の道を行くのに、経験者の知識は貴重だった。野営するにも、足元が砂場ではいけない。真下からワームが顔を出さないとも限らないので、必ず岩場に陣取る。よくリザードマンが徘徊している辺りも避けなくてはいけない。

 だから、俺達は隊商を守ってやっているのではなく、連れていってもらっている。


 たった一週間ほどの徒歩の旅だったが、それでも今回は過酷だった。

 自前の水ではまったく足りず、いつも暑くて、いつも渇いていた。だからといって、この重苦しいケープを脱ぐわけにもいかない。肌は日焼けでは済まないし、脱水症状を招く。さすがに真昼の時間帯になると、隊商も簡易テントを張って休憩を挟んだ。だから動くのは早朝からと、夕方から宵の口にかけてだ。

 それでいて、夜になると急激に寒くなる。内陸に進めばそうなるとわかっていたので準備はしてあったが、毛布をかぶっていても、下からしんしんと冷えてきた。


 だが、それでいい。

 広大な自然が、俺に思い知らせてくれる。俺は弱く小さな存在だ。ある特定の状況においては力を発揮できるけれども、そうでなければ、ただの少年でしかない。身の丈を知るのに、過酷な地域ほど適したものはない。

 この地での過ごし方を熟知しているのは彼らだ。ここでは先輩冒険者のほうが、商人達のほうが、俺よりずっと優れている。この砂漠を渡ることこそが、彼らの生業だからだ。


 誰かが叫んだ。先頭を歩く冒険者だ。


「見えてきたぞぉっ」


 と同時に、ウォーッと叫ぶ声が前から波のようにこだましてきた。そうやって声をあげるのが彼らの習慣らしい。毎回、このように到着を祝うのだ。


 何もない平らな砂漠の真ん中に、ポツンと聳える城塞。その周囲に建ち並ぶバラック小屋。

 あそこが人形の迷宮であり、その「城下町」たるドゥミェコンだ。


 前の方を歩くサハリア商人が、声を張り上げた。


「今日中に着こう! 今日は昼休みはなしだ!」


 またウォーッと声があがった。


 昼下がりの一番暑苦しい時間帯に、俺達は街の入口まで辿り着いた。

 そこで護衛はお役御免。有給の冒険者達は報酬を受け取るため、さっさとギルドの建物を目指すが、俺とノーラはただ、街の様子を眺め渡すばかりだった。


 迷宮都市ドゥミェコン。ルークの世界誌にもその存在は記述されている。そこは、何もかもが逆さまの街だった。


 例えば、城壁だ。普通の街なら、内部を守るために、城壁は外側に作られる。ここでは反対だ。街の真ん中に、内側に向けて幾重もの城壁が構築されている。逆に外側には、見張りのための石塔がいくつか突き立ってはいるが、それ以上の防衛施設はない。

 都市の性質上、ここに居を構える富裕層などはいないが、地位の高い人物が一定期間、滞在することはある。女神神殿の関係者、ギルドの幹部、それから『黒の鉄鎖』のようなサハリア南東部諸侯から派遣されてきた部将などだ。彼らは、街の外殻部にそれぞれ囲いを作って拠点を設けている。

 では、貧困層はどこに暮らしているかというと、やはり街の中心部に近付くほど、貧しくなるのだ。


 その原因は、いうまでもなくこの地にある人形の迷宮のためだ。最大の危険は、時折みられるはぐれ赤竜の襲撃ではない。外部勢力からの侵略ですらない。むしろ領有してくれるなら諸手を挙げて歓迎、この迷宮の安全管理を全面的に担ってくれるのなら。少なくとも現在、この街の維持に大金を支払い続けている帝都にとってはそうだ。

 数十年に一度、人形の迷宮は荒れ狂う。内部から魔物が溢れ出し、大勢の人を殺戮する。それで済んでくれればいいが、収まりがつかなかった場合、被害は更に拡大する。東西南北あらゆる方向に魔物は進出する。人間にとっては過酷なこの砂漠の環境も、彼らにとっては何の苦にもならない。実際、暗黒時代には、ムスタムも、東部の豪族達も、そして西方のワディラム王国も、みんな揃って魔物との戦いに身を削らなくてはいけなかった。

 だから、そうした災厄の拡大を少しでも防ぐために、城壁は迷宮の入口付近に構築される。身分の高い人の家屋が街の外側にあるのも、最悪の場合に脱出しやすくするためなのだ。それなら貧乏人は更に外側に住めばいいじゃないかと思うのだが、水源も迷宮にある関係上、そこまで水道を引けるだけの資金力がなければ、街の周縁部には暮らせない。


 だから、世界を統治する責任を担う統一帝国とその継承者である帝都は、この人形の迷宮を、ムーアン大沼沢や大森林と同じような、世界の「最前線」とみなした。諸国戦争以前には、この地域には大勢の冒険者が集い、迷宮の攻略を目指していた。暗黒時代の間に放置されたため、一時はサハリア中央部が魔境と化してしまったが、今ではまた、迷宮都市が再構築されるようになった。


「や、やっと着いたわね」


 さすがのノーラも、少しぐったりしている。無理もない。


「これからこんな旅がずっと続くんだけど?」

「じゃあ、しっかりしないと」


 それでも考えを変えようとしない辺り、本当に強情だ。俺でさえ、クタクタになっているのをやせ我慢しているだけなのに。


「とりあえず、宿を探そう」

「そうね」


 そうして俺は、街の北門から大通りを見渡した。北門といっても、そういう門があるわけではない。申し訳程度に舗装された、大昔からの道がそのままにある。その左右に、いずれも大きな区画が壁に囲まれている。この広さを占有しているのだから、サハリアの豪族か、女神神殿のお偉いさんだろう。その間の道だから、大通りに見えているだけのことだ。実際には、街の外側の空き地に、それぞれ有力者が自分の陣地を築いただけ。当然ながら、こんな出入口に冒険者用の宿などない。


「もっと奥に行かないとダメだ」


 左右の壁が途切れると、途端に建物の雰囲気が変わった。出来の悪い日干し煉瓦と石、それに木材のきれっぱしが積み重ねられただけの、ボロボロの家屋が目の前の壁となった。左右を見渡すと、街の形は四角ではなく、ほぼ丸いのだとわかる。この、無計画に突き立つ家々は、内側にある城壁に沿って、それに寄りかかるようにして建てられているのだ。

 その家と家の間、ちょうど北からの大通りが途切れるこの突き当たりに、小さな石の東屋のようなものがあった。


「あっ……」

「どうしたの?」

「あれは」


 俺は一瞬、何もかもを忘れて駆け寄った。そして、台座の上の石像を見上げて嘆息を洩らす。


 そこにあったのは、石の柱と天井、そして一人の女性の像だった。まったく写実的な、まるで生きているかのような姿。人種的にはフォレス人だったのだろうか。服装がサハリア風ではない。顔立ちは整っており、まだ若々しい。

 すぐ足下には石碑もある。そこにはこう刻まれていた。


『九六七年 外界に這い出たあの忌まわしい存在により、ターヒヤは生きながらにしてその生を終えた』


 この迷宮都市を訪れた者に、その恐ろしさを知らせるためのモニュメント。そのために犠牲者の姿をこうして見せているのだ。

 そして、これこそ俺が何より見たかったものだった。


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 ターヒヤ・スアルハッツィ (22)


・マテリアル ヒューマン・フォーム

 (ランク5、女性、22歳)

・スキル フォレス語  5レベル

・スキル サハリア語  5レベル

・スキル 商取引    2レベル

・スキル 料理     4レベル

・スキル 裁縫     5レベル


 空き(17)

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 これだ。

 この結果を確認したかった……


「くっ、くくっ、くくく」


 やっと見つけた。不死への手がかりだ。


「ファルス?」


 ノーラが不審げにこちらに振り返る。


「くくっ、ふふふ、あはは」


 ターヒヤが犠牲になったのは今から二十九年前。その時点で既に二十二歳だった。

 今は九九六年だから、もし彼女の魂が加齢するのであれば、ピアシング・ハンドには五十一歳と表示されなくてはいけない。だがこの通り、二十二歳のまま。

 全身が石になってしまえば、年齢もクソもない。肉体も魂も、その時点のままで凍結保存されるのではないか。俺は、ずっとその可能性を考えてきた。しかし、実証しようにも、そんな高度な魔法を使いこなせる知り合いもいなかったし、結果を確認するだけの待ち時間も得られなかった。

 仮に肉体の加齢が止まっても、魂が老け続けるのだとすれば、人形の迷宮に挑む意味はなかった。だがどうだ。これなら……


「あはは、あはははは!」

「ファルス! どうしたの? 何を笑ってるの!」


 肩を揺さぶられて、やっと我に返った。


「あ、ああ、なんでもないよ」

「最近、少し変よ?」


 この石像は、二十九年前の迷宮の暴走に巻き込まれた女性そのものだ。

 彼女の人生はどんなものだったのか。結婚はしていたのだろうか。優しい夫にかわいい子供でもいたのかもしれない。或いは、貧しさゆえにこの地に流れ着き、迷宮で戦う男達相手に春を鬻いでいた可能性もある。いずれにせよ、その人生は、ずっと昔に断ち切られてしまった。

 彼女に人生をやめさせたのは、この迷宮の主……バジリスクの王だ。


 外見的には、冴えない色の巨大なトカゲでしかない。ずんぐりとしていて、顔が不格好に大きいとも伝わっている。

 だが、その能力は脅威そのものだ。その周囲には猛毒の霧が立ち込め、迂闊に近寄ることもできないといわれている。しかし、何より恐ろしいのはその魔眼だ。奴の視界に入ると同時に、どういう仕掛けになっているのか、肉体はもとより、着衣まで含めて、何もかもが石に変じていく。これは他の魔物が用いる石化魔術とは違うらしく、治癒魔術が普及していた統一時代でさえ、解除の手段がなかったという。

 このバジリスクの王は、人間を集めるのが大好きらしい。何十年かに一度、わざわざ地表まで這いずって出てきて、人間を手当たり次第に捕獲して石像に変える。それを迷宮の奥に持ち帰り、眺めて楽しんでいるのだという。


 この魔物の王が動くときには、他の魔物も一緒に暴れだすことが多い。内部には、多種多様な魔物が棲息しており、それぞれが勝手に自分の縄張りを主張している。まずは砂漠にも多数見られる大型のワーム達、それからワームを狩って糧にする砂漠種のリザードマン達、それから通説では赤竜の変異種とされている窟竜。こうした危険度の高い怪物が、一度に外へと溢れ出すのだ。

 であればこそ、帝都は今もやむなく大金を注ぎ込んで、迷宮の暴走を食い止めようとしている。あわよくば、迷宮の中核をなす魔物の王を討伐して、恒久的な安全を実現したいのだ。いったいどれほどの人命がここで失われたのか、いちいち数えるのも馬鹿馬鹿しい。


 そんな人間にとっての悪夢そのものの場所でも、俺にとっては楽園への入口同然だ。

 自力でバジリスクの王の潜む最下層まで辿り着き、そこで無事、石像になりさえすれば、苦しみは終わる。この死を最後に、俺は二度と生まれない。この世界の終わりまで、永遠に眠り続けることができる。


「あ……えっと、宿、だったな」


 やっと石像から目を離すと、俺はあてもなく歩き出した。


「今日は休もう。明日から、明日からだ」


 彼女にというよりは、自分自身に言い聞かせるように。それでも声が震えた。無理もない。

 すべてを終わりにする日も、もう目前なのだから。

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