少女の復讐の終わり

 魔術で焼かれた兵士達が、多少いやな臭いを撒き散らしながらも、徐々に静かになっていく。既に全員が息絶えており、焼け残った部位もない。ここまできれいに黒焦げになると、逆に死臭がそこまで残らないらしい。

 そうして湖畔は、いつも通りの静寂を取り戻した。見上げれば、分厚い雲も少しずつ追い散らされつつある。なんとも無情にも、燃え上がるようなあの美しい高原の朝が、当たり前のようにまた、訪れようとしていた。


「さて」


 いち早く立ち上がったのは、ヤシュルンだった。


「俺はもう、行かせてもらう。隠密のくせに、なんでこんな明るい場所にいるんだかな」


 誰にというのでもなく、独り言のように、白々しくもそう自分を皮肉ると、彼は弱々しい足取りで背を向けた。


「陛下には、ありのままを報告する。全部終わったってな……じゃ、あばよ」


 それだけだった。

 彼はいずこかに向けて歩き去っていった。


 次に立ち上がったのは、ヤレルとクアオだった。


「ファルス殿」

「ヤレル様」

「我ら魔物討伐隊も、生き残りはクアオともう一人、わしも含めて三人だけになってしまった」


 それが彼らの務めとはいえ、今回ばかりはあまりに過酷だった。


「それは大変に気の毒なことと思います」

「いいや、ファルス殿、キデンがおらねば、我らは一人残らず犬死しておったろう。感謝いたす」


 そうだろうか。そうかもしれない。

 けれども、俺がいなければ、そもそもこんな騒ぎにならずに済んだのではないか。ゴーファトも不死を求めて無茶をしでかしたりはしなかったんじゃないか。そう思うと気持ちは晴れない。


 彼は、俺の肩に両手をおいて、熱を込めて言った。


「前にも形ばかり申し上げたが、今度は本気でお伝えしよう。もし東方大陸南部のスッケ港にお立ち寄りのことあれば、我が兄オウイにお声がけくだされ。決して無下にはされぬであろう」

「ありがとうございます」

「それはこちらの台詞よ」


 体を離すと、彼らもまた、背を向けた。


「我らはこの地でヒジリ様がいらっしゃるのを待つ。一切をご報告申し上げねばならぬ。それにまた、この先は世俗のこと、我らの口出しできる話ではないゆえに」


 軽く手を振ると、短く最後の挨拶を口にした。


「さらば」


 それだけで、彼らもまた、歩き去っていった。


 ワノノマの武人達を見送った向こうに、無言で佇む男がいた。

 槍を突き立てたまま、ナイザは目に涙を溜めていた。それが決壊して、白くなりかけた髭の上に流れ落ちる。その視線の向こうにいたのは、いまだ眠りから覚めないゴーファトだった。


「……この手に槍を授かってより二十年……」


 その声はしゃがれていた。喉の奥の苦汁を吐き出すかのようだった。


「拾い上げていただいた恩義は、忘れようにも忘れられぬ。若き日には、名君に巡りあったのだと、こんな幸運は他にないと」


 貧農の息子が、才能を見出されて君主の側近になったのだ。その感激は、今でも色褪せることはない。


「多少強引でも、スーディアを纏め上げたのは、紛れもなく……それがなぜ、このような」


 槍を持つ手が、小刻みに震えていた。だが、掌が開かれ、槍は前方に向けて、ばったりと倒れた。重さがある分、低い音をたてて、転がることはなかった。


「この槍は、お返し致す。後のことはお任せあれ」


 一礼すると、ナイザは、いまだに足下でしゃがみこんだままのジャンを担ぎ上げ、彼もまた背を向けた。

 すると、所在無く立ち尽くしていた僅かな兵士達……あのアーウィンの猛火に飲まれずに済んだ幸運な数人も、ポツポツとその後を追って歩き出した。


 この場には、俺達だけが残された。

 いまだに意識を取り戻さないルークと、彼を抱きかかえたままのアドラット。

 茫然自失の様子で立ち尽くすオルヴィータと、苦々しげに湖の彼方を眺めるニド。

 何を思っているのか、ただただ重く沈んだ表情のまま、佇むばかりのノーラ。

 ある一方向を激しく睨みつけたままのタマリア。

 そして……


 ……十数人の『妖精』達に遠巻きにされる中、ようやく意識を取り戻し始めたゴーファト。


「ウッ……はっ、こ、ここ、は」


 まだ体が思うように動かないらしい。

 あの、儀式の直前に飲んだ薬の影響だろう。それに、さっきまでシュプンツェに取り込まれていたのだ。すぐさま明瞭な意識を取り戻せるわけもなかった。


「なんだ、生きてやがったのか」


 ニドが溜息交じりに言う。その横を、タマリアは無言のまま静かに通り抜けようとする。手には、ニドから受け取った短剣があった。


「おお、ここは……愛おしい妖精の泉、そして居並ぶのは、私の少年達……これは夢なのか、現実なのか」


 ゴーファトは、少しずつ意識を覚醒させていく。まだ、状況を把握し切れていないようだ。


 俺は、黙って見ていることしかできなかった。

 今となってはもう、ゴーファトを急いで殺す必要はない。どうせもう、彼は社会的な意味でも死んだも同然だ。パッシャの関与が終わった以上、タンディラールも任務完了を認めるだろうし。

 そうなると、残るのはタマリアが手を血で染めるという現実だけだ。誰にも咎められないとしても、殺人者になってしまう。それはして欲しくなかった。

 だからといって、やめろとも言えなかった。復讐は彼女の悲願だった。誰が止めても、その代償にいっそ命まで奪われようとも、我慢できるものではない。

 俺が事態を静観しているのは、そんな諦めからだった。俺だけではない。ノーラも、アドラットも、ニドやオルヴィータも。みんなわかっていた。


「目を覚ましなさい」


 脇に立ったタマリアが、凶器を片手に低い声でそう命じた。


「そこに立つな、醜悪な者めが」

「目を覚ましなさい」

「聞こえないのか、私を誰と思っている」

「これは夢じゃない。ゴーファト、あなたは負けて、すべてを失った」


 タマリアの宣言に、ゴーファトは沈黙した。そして、思考の糸を手繰り寄せる。


「では、私は」

「そう。フリンガ城の地下で、気持ち悪い儀式をしていたわ。その後、バケモノになって暴れまわって、ここまできたの。覚えてるかしら」

「ああ……そうだ、そう、そうだ! 信じられない! だが、あれは私だったのか」


 彼の顔が驚愕に歪む。

 だが、徐々に落ち着きを取り戻していった。


「では、私は永遠の美少年にはなり損ねた。そういうことだな?」

「ええ」


 現実を飲み込んだゴーファトは、意外にもせせら笑いを始めた。


「ふっ……ははは! では、女……どこかで見た記憶があるな? 誰だ?」


 ぐっと胸を押さえつけられた気がした。ゴーファトは承知している。わかっていて、わざと尋ねている。


「タマリアよ。あなたに弟のデーテルと、養父のサラハンを殺された」

「そうだそうだ! そして、大勢の男達をお前の夫にと、あてがってやったっけ!」


 手足はまだ動かないらしい。どの道、彼に逃げる場所などなかろうが、だからこそ彼は、開き直っている。


「どうだ? よい結婚はできたかね」

「無駄口を叩いていないで、せいぜい女神にでも祈りなさい。あなたの大嫌いな女神に」


 そう言って、彼女は短剣を突きつけた。だが、ゴーファトはそれをますます鼻で笑った。


「ふん、くだらん」

「そのくだらない女に殺されるのよ」

「勝手にするがいい」


 死を前に、彼はあくまで傲然としていた。


「スザーミィ家の男が、死を恐れたことなどない。私が不死を求めたのは、命を惜しんでのことではない。そうではない……永遠の美を我が物としたかったからだ。残念ながら、それは叶わなかった。だが、武人が手強い相手と戦って死ぬのを誉れとするように、私も高みを目指したことを後悔などしない」

「何を言っているのか、わからないわ」

「死ぬ。それがなんだというのだ。ましてやここは、私が愛してやまなかった妖精の泉。傍には麗しい少年達。そして見るがいい、この素晴らしい朝焼けを! このような美の中で死んでいけるのだ。私を手にかけるのが醜い女というのは少々興醒めだが、他には何の不満もない。いっそすがすがしいくらいだ」


 そこまで言われて、タマリアは手を止めた。そうして何かを考えているようだった。

 つと振り返り、少年達にねだった。


「ねぇ、誰か」


 タマリアの呼びかけに、少年達はいつものように鈍い反応を返した。無言でゆっくりと首を向けるだけ。


「誰か……小銭を持っていない? その、銅貨一枚だけでもいいの。私にくれないかしら?」

「なんだ? 今度は物乞いの真似か?」


 すると少年達の中から一人が、懐からおずおずと一枚の銅貨を出した。


「ありがとう。くれるのね」


 彼女は駆け寄り、銅貨を確かに受け取った。すると短剣を放り出し、今度はノーラの傍に駆け寄った。目的は、その小さなポーチだった。

 手早く中から薄汚れた瓶を引っこ抜くと、彼女は足早にゴーファトの脇へと馳せ戻った。


「何をするつもりだ」


 様子がおかしいと、ゴーファトもさすがに気付いた。

 けれども、タマリアは満面の笑みを浮かべてみせた。


「お客様、ご指名くださりありがとうございまぁす」

「むっ?」


 タマリアはたった一枚の銅貨を、日の光の下に掲げてみせた。


「銅貨一枚の安い安い卑しい娼婦、タマリアをご指名いただき、本当に本当にありがとうございまぁす」

「何を言って」

「では、早速始めさせていただきますね」


 銅貨を放り出すと、今度は壷だ。中には……俺がリンガ村で味わったのと同じ、あの刺激的な薬品が詰まっている。それを全部、全裸のゴーファトの股間にぶちまけた。


「なっ!?」

「お客様のご準備が整うまで、少々お時間がかかりまぁす」


 何をするつもりか、わかってしまった。

 命を奪われても構わないというのなら……命より大切な誇りを、尊厳を、美を、愛を……蹂躙してやろうと決めたのだ。


「もちろん、お待ちの間も、しっかりお勤めさせていただきますね」


 そう言いながら、彼女は横たわるゴーファトの上に跨った。そして首元に口付けする。いやらしく音をたてながら。


「バッ……バカな!」


 ここに至って、はじめてゴーファトは恐怖の表情を浮かべた。


「は、離れろ! この不潔な娼婦めが!」

「そうはおっしゃられても、今はたった一人のあなたのつがいですから」

「やめろ、やめてくれ!」

「最後まで愛し合ったら、いやでもやめになりますよ」

「貴様っ、こ、殺すぞ! 絶対に殺す!」

「ええ、あなた様の雄々しい部分に突き殺されて死ぬつもりです」


 懇願も脅迫も、何の役にも立たない。

 なんとか動く首をまわして、彼は必死で救いの手を探した。


「た、助け……助けてくれっ……」


 だが、この場には配下の兵士などいない。ナイザもジャンも。

 いるのは、無言の妖精達と、タマリアの知り合いと、悲しげに顔を伏せるアドラットだけだった。


「あ……ファッ、ファルス! ファルス君、君がいた!」


 おぞましい愛撫にさらされながら、ゴーファトは必死で叫ぶ。


「た、頼む! 助けてくれ!」


 俺は無言で首を横に振った。


「じゃ、じゃあ! お願いだ! こ、殺して、殺してくれぇっ!」


 俺は動かなかった。


「そこの……ええい、誰でもいい! こ、殺してくれっ! そうすれば、なんでもする! なんでもくれてやるぞ! は、早く、早くっ!」


 もはや支離滅裂だった。

 考え得る限り、彼にとって最悪の事態が、まもなく訪れようとしていた。


 衣擦れの音が聞こえた。いったん体を離したタマリアが、ついに彼に引導を渡すことにしたのだ。俺は、そっと目を背けた。


「うっ、あっ、あ、や、やめ……ぎゃあっ……!」


 そこでゴーファトの悲鳴が途切れた。

 死んだわけではない。命以外のすべてを失ったその痛みに、叫ぶことすら忘れたのだ。


 見ようによっては、美しい光景かもしれない。早朝の黄金色の中、穢れのない湖畔で、逞しい男とうら若い娘が交わるのだ。それは素晴らしい絵画になるに違いない。

 だが、実際には醜悪そのものだった。憎み、嫌い、軽蔑し……一方は相手を不潔そのものと看做し、他方はその穢れを擦り付けるために、愛の名の下でのみ許された振る舞いに耽っているのだから。


 俺達は、いたたまれない空気の中、ただ座り込んで時を過ごした。

 永遠とも思える悪意の時間の後に、やっとすべてが終わったらしい。湖の水辺に降り立つタマリアの足音が聞こえた。


「ご満足いただけたみたいで、嬉しいです。また、ご贔屓に」


 石のベッドの上で、ゴーファトは小刻みに震えていた。


「う、嘘だ……嘘だ、こんなの……」


 よろめきながら、力の入らない手で身を起こす。やっと動けることを知った彼は、それでも病人のような緩慢な足取りで、タマリアに近付いた。その手が、彼女の首にかかる。


「この、不潔な女めが! こ、殺す! 殺すと言ったのに! うおぁあぁっ!」


 顔を怒りで紅潮させながら、彼はタマリアを絞め殺そうとした。

 彼女は、逃げもせず、抵抗もしなかった。ただ一度、指先をそっと、自らの唇にあて、音をたてて吸ってみせた。


「うおぁっ……」


 それだけで、ゴーファトはたじろいで手を放した。


 それから彼は、左右を見回した。

 そこには、彼の妖精達が十数人、さっきから一部始終をじっと見つめていた。


「わ、私は悪くない」


 取り乱しながら、ゴーファトは、縋るような声でそう言った。


「そうだろう、君達、私は」


 だが、少年達は……必死の形相で迫ってくるゴーファトを恐れて、一歩後退りした。

 それを確認した時、本当の絶望が彼を打ちのめした。


「う、うおお、うおおああおあおあっ!」


 彼はすぐ後ろにあった石のベッドが目に入ると、そこに跪いて、思い切り自分の頭をぶつけた。


「ぐあああ!」


 だが、不幸なことに、彼の体は痛みを感じない。

 どれだけ八つ当たりしても、それで気を紛らわせることはできなかった。


「うう、ふっ、ふおぉあぁぉ……」


 呻いているのか、泣いているのか、叫んでいるのか。

 もはや自分が何をしているのかも、わからない。


 彼はよろめきながら、石のベッドから手を放し、彷徨い始めた。誰の視線であっても、今の彼には恐ろしいもののようだった。人を避けるようにして、ふらつきながらも高原の茂みのそのまた向こうへと歩き出した。

 今のゴーファトなら、誰でも殺せるだろう。だが、そうする必要は既になかった。彼は時折立ち止まって傷ついた獣のように泣き喚き、それからまた、ふらつきだした。それを繰り返しながら、いつしか彼方に姿を消した。

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