シュプンツェは欲する

「だめ、まったく通じない」

「わかった、もういい」


 玄関にまで顔を出したシュプンツェ。敵も心得たもので、火が燃えているとその手前で動きを止める。そしてじっと彫像のように固まったまま、動かない。

 これにノーラは精神操作魔術をかけた。しかし、上級魔術の『強制使役』から下級魔術の『認識阻害』まで、一切通用したようには見えなかった。『読心』をかけても、中身は真っ白だったという。


「脳がないんだ。何も考えてないんだから、心を操るもへったくれもない」


 神経も、かなり異質なものに違いない。『行動阻害』でも痛みを感じたような反応はなかった。触覚はあっても、痛覚はないのかもしれない。既にあがってきている報告によると、剣などで損傷を受けても、すぐ傷口が塞がるらしい。もっとも、この魔宮の剣で突き刺したらどうなるか……効き目はありそうだが、凶暴化しそうで怖い。

 他の攻撃手段も試した。アドラットは、まず『風刃』で攻撃したが、これは刃物で切ったのと同じような結果しか得られなかった。それで今度は『電撃』を浴びせたが、軽く怯ませる程度の効果しかなかった。まだ松明のほうがずっと役に立つ。ヤレルが進み出て、水魔術を試した。『水弾』は効き目なし。『氷槍』は刃物と同じ。『凍結』は、一時的にシュプンツェの動きを緩慢なものにしたが、決定的なものではなかった。


 要するに、通常の物理攻撃はほぼ通用しない。判明した限りでは、高温の物質でぶん殴るか、強力な火魔術で焼き払うかでないと、シュプンツェは倒せない。しかも、奴はそうした魔術の効果を弱めるために、粘液の雨を休まず降らせることもできる。その上、それでやっと退治できるのは、無数にいる分体のうちの一つでしかない。

 もしかしたら、本体も同じ手段で討伐可能なのかもしれないが、それがどこにいるかがわからない。ピアシング・ハンドを持たない俺以外には、分体と本体の区別すらつかない。

 逆にこちらは、奴に直接触れられたら、ほぼおしまいだ。あっという間に体中から力が抜けて、すぐさま飲み込まれてしまう。しかも、それによって奴らは目と耳を得て、更にパワーアップする。また、シュプンツェは非力でもない。その気になれば建造物を握り潰すくらい簡単にできる。


 状況はまったく絶望的といえる。

 燃料も、あと一晩持てばいいくらいしかない。さっきのフリンガ城襲撃で、かなりの分を使いきったからだが、あれがなくても、どうせこの粘液の雨があった以上、屋外に積まれていた燃料は全滅していた。

 しかも、食料もない。もともと市内は混乱状態で、置き去りにされた食品など、あまりなかった。現在、ここでそれぞれの家屋に閉じこもっているのは伯爵の直属兵で、彼らは直前まで食事を与えられていた。その意味では、決定的な飢餓には至っていないのだが、なにしろ補給の目処が経たない。水だって、まさかこの白濁した粘液を飲むわけにはいかないので、飲まず食わずで耐え忍ばなくてはならない。


「試せるものは……これですべてか」


 さすがにナイザも憔悴しきっている。弱りきった声で、やっと言った。


 これ以上ないくらい、ジリ貧なのだ。

 もっとも、それが当然ではある。人間と魔王の力の差は、これくらいあってもおかしくない。相当な努力をしても、軽くひっくり返されるくらいには、存在の次元が違うのだ。


 だが、本当にどうしようもないのだろうか?

 例えば、アーウィンならどうするだろう? 奴なら、自分に降り注ぐ粘液の雨を、何らかの魔術によって回避しつつ、とっておきの火魔術で敵を焼き払えるのではないか。使徒ならどうだろう? やっぱりそれくらいはやれそうだ。

 要は、俺達が弱すぎるという、ただそれだけの話なのだ。


 シュプンツェを燃やす手段としては、手元に残された燃料、俺の火魔術、そして……ニドの神通力があるだけだ。

 彼の『爆炎』については、しかし、若干の問題含みでもある。威力は高いが制御が難しく、連発もできずにすぐ弾切れになる。しかも、その名前と外見、そして炎とくれば、市内を放火しまくったあの「怪盗」であるとすぐに知られてしまう。

 だから、今までは温存してきた。だが、本体を見つけることができたら、そして火力が必要になったら、そうも言っていられない。なんにせよ、倒す目処が立たなくては、考える意味もない、か。


「アドラット殿」


 ヤレルが畏まった様子で申し出た。


「なにか」

「いざという時は、お一人で逃れてくだされ」

「何をおっしゃる」

「これは真剣な願いである。この惨状を外に伝える者がおらねば、犠牲は増えるばかり。ここで見聞きしたことを伝えても、或いは誰も信じぬやもしれぬが、我らが主、ヒジリ様であれば、そのようなことは決してなさらぬ。このような魔物を討つためであれば、いかなる苦労も厭いはせぬであろう」

「ヤレル様」

「恥じることなど何もござらぬ。すべきことをなさるのだ。堂々と行かれるがよい」


 誰かが助けに来てくれる、か。そうなってくれたらいい。例えば、ヘミュービとか。

 俺を雪原で殺す暇があったら、さっさとスーディアまで飛んできたらどうなんだ。魔王だぞ。

 来ない気がする。マペイジィが殺されたからだ。


 使徒は、この状況を観察している。だが龍神が雪崩れ込んできたら、何もかもが滅茶苦茶だ。それは避けたい。

 マペイジィが何を掴んで、どうして殺されたのかはわからない。ただ、奴はパッシャにすら注目していなかった。もしそこを気にかけていたのなら、それこそノーラ達の処刑に便乗して、アーウィンやデクリオンを倒そうとしたはずだからだ。

 してみると、やはり彼を始末したのは使徒だろう。そしてヘミュービにとって、贖罪の民はどちらかというと使い捨ての駒だ。一人死んだからといって、血相を変えてスーディアに駆けつける……とはなるまい。もしやってくるとしても、それなりのタイムラグがありそうだ。


 ヘミュービが来ないなら、モゥハも来ないだろう。女神? もっとあり得ない。シーラは、俺を助けたいと思ってくれるかもしれないが、多分、少なくともスーディアでは、シュプンツェの権能に抗えない。

 神々が当てにできないなら、人間は? 実はタンディラールが、とっくに軍隊を派遣してくれているとか。でも、これもあまり嬉しくない。雑兵どもをいくら集めても、餌になるだけだ。国が滅ぶレベルの消耗戦になるだろう。


「お気をしっかり持ってください。私はあなた方を見捨てたりはしない」

「お気遣いご無用にござる。ワノノマの武人はいずこに死のうとも覚悟はできておる」

「立派なことですが、諦めが早いのは美徳ではありません」


 周囲を力づけようとするアドラットだが、対策があるのでもない。内心は苦しいはずだ。


 つまるところ、どう考えても間に合わない。

 自力で勝つ以外、生き延びる道はない。


 では、対抗する手段はあるのか?

 可能性だけなら、俺には三つ、手札がある。


 一つ、ピアシング・ハンド。これでシュプンツェの本体を発見して、奪い取る。幸い、ディバインミクスチャーは一つだけ。奪ってしまえば消滅する。どうもこれが肉体と魂を兼ねている代物のようなので、取ったらすぐ、バクシアの種にでも封印してしまえばいい。精神に悪影響がなければいいが、奪った瞬間に肉体のアクティブ状態が切り替わったりはしないので、正気を保てる可能性はそこそこある。

 但し、本体がどこにいるかは、目で探すしかない。広いアグリオ全域を駆け回って、運よく出会えれば、これで倒せますよ、というお話なのだ。もっとも、今まで神霊の類をこれで倒そうとしたときには、いつも不気味なビジョンが見えた。もし同じことが起きたなら、警告に逆らってはいけない。つい最近、思い知らされたばかりだ。

 二つ、魔宮の剣。これはまだ未検証だが、もしかするとシュプンツェにも大きなダメージを与えることができるかもしれない。不確定要素が大きく、シュプンツェを怒らせるのは間違いないので、賭けになるが。

 三つ、腐蝕魔術。これは最終手段だ。いや、これも、か。


 しかし、ピアシング・ハンドでシュプンツェを倒すのと、腐蝕魔術で倒すというのは、選択肢としては排他の関係になる。

 現在、時刻は夜に差しかかりつつある。赤紫色の空も、ほぼ真っ黒に染まっているからそれとわかる。だから、もうすぐピアシング・ハンドのクールタイムが終わる。

 俺一人の生存だけを考えるなら、実は腐蝕魔術という選択肢は、ないでもない。スキルと魔術核、両方を取り込む必要はあるが、鳥の肉体も使って逃げ回れば、あと一日くらいは時間稼ぎができるだろう。その上で、なるべく広い範囲に、かつ無差別に『腐蝕』を用いる。

 だが、その結果は、更なる悲劇にしかならない。たとえシュプンツェを根絶できたとしても、スーディアは恐らく、二度と人の住めない土地になる。土地は汚染され、草木は毒を含み、動物はおろか、小鳥の鳴き声さえ聞かれなくなる。当然、ここにいる全員、俺以外は死ぬ。


 となれば、のるかそるか、ピアシング・ハンドとこの剣にすべてを賭けて、本体を探しに行くしかない。ここにいる五百人ほどの命を盾にしながら。どこにいるかもわからないのに、闇雲に……


「あっ」


 ノーラが声をあげた。


「どうした」

「今、『意識探知』を使ったんだけど」

「魔法の使いすぎだ。体力を消耗するんだぞ。もう休んだら」

「おかしいの。離れたところに人がいる!」


 なんだって?


「近くの小屋とかじゃないのか」

「ううん。ずっと遠く。街の外だと思うわ」

「誰だろう。パッシャか?」


 しかし、パッシャの幹部ほど高い能力を持った連中が、精神操作魔術の網に引っかかるだろうか? アーウィンやデクリオンを別とすれば、あり得なくもないが……


「待って……うっ」


 案の定だ。遠くにいる相手の精神に入り込もうと、強引に術を行使するものだから、反動で頭痛が。


「わかった、もういいから」

「違う……」

「なに」

「これ、お城の……人? 周りに、同じような男の子ばっかり……」


 俺は思わず目を見開いた。

 生き残りがいる? 市街地から離れた場所に? どうやってそこまで逃げ延びた?


「少年ばっかり?」

「うん、だけど、その……みんなスカートしか穿いてない……」

「それは、ゴーファトの『妖精』達じゃないか! ノーラも見ただろう? 他には誰か? 大人の兵士とかはいないのか」

「待って……いない、見えないし、記憶にも……ない」


 ノーラは苦しそうだ。

 しかし、ここはもう頑張ってもらわなければいけない。


「けど、近くに触手が……」

「どうして食われない?」

「何もされない……囲まれてる、だけ」


 人間を区別している? あのシュプンツェが?


「どうやってそこまで来た!?」

「う……それは、白い管……運ばれ……」

「運ばれた!?」


 薄暗い屋敷の広間の中で、俺だけが騒がしく叫んでいた。

 これがどれほど重要な情報か。まだみんな、理解が追いついていないのだろう。


「最後に、ノーラ、頑張って」

「うん」

「そこはどんな場所? 何が見える?」


 これだけ。

 これだけわかれば、勝ち目が出てくる。


「水……」

「水?」

「岩が……湖の、畔……左手に茂み、右手に高台……湖の真ん中に、折れた古木……蔦……」


 あそこだ。

 ゴーファトが心から愛した場所。

 そして彼の精神は、即ちシュプンツェの本能でもある。どうして気付かなかったんだろう? 何よりそこは「水場」だ。水が湧き出る場所、つまり、「流れ」の始まる場所だった。


「わかった、ありがとう。休んで」

「う……」


 それが限界だったのだろう。ノーラは冷や汗を流しながら、倒れこむ。それを俺は抱きとめた。

 無理はさせた。けれども、それだけの値打ちはあった。


「皆さん」


 そっとノーラを横たえ、立ち上がってから、震える声で宣言した。


「本体の居場所がわかりました」

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