時を経て目覚めしもの

 ふわっと白い上着が、支えを失って椅子の上に引っかかる。

 その瞬間を、デクリオンが、アーウィンが、ウァールが、半ば呆然としながら見つめていた。

 目を見開いているのは、ノーラとオルヴィータも同じだ。但し、この中で意味を理解しているのは、ノーラだけだろう。あとは、とにかく不可解な現象が起きたとしか認識していないはずだ。


「これは……」


 解釈に戸惑って、デクリオンは真顔で呟く。思考を整理できずにいるようだ。


「儀式が完成したのではないか?」


 アーウィンが楽観的な意見を述べる。


「いや、しかし、元の宿主の口の中から這い出てくる、と予想されていたのだが」

「碑文の内容か? 比喩だろう?」


 何も起きなかった。なんだ、ピアシング・ハンドは何か警告らしきものを発してはいたけど、なんてことなかった。これでパッシャの計画は頓挫、ゴーファトが不老不死を得ることもない。こんなことなら、最初から肉体を奪っておけばよかった。


「だが、生まれ変わったゴーファトはどこにいる? 何もいないではないか」

「確かに、それは」


 ウァールも頷きながら、口を挟んだ。


「もしかすると、転生といっても、我々が考えていたものとは、まるで違うものだったのかもしれん」


 そのまま、勝手な解釈をして、ここからいなくなってくれ。

 これで任務完了、すべては丸く収まる。


「仕方がないな……では、組織の計画はこれで完了とし、ここより撤……」


 引き揚げを命じようとしたデクリオンが、何かを感じて息を詰める。それは、アーウィンもウァールも、俺やノーラ達も同様だった。


 ずん、と空気が重くなった。気のせいかもしれないが、やけに湿気を感じる。それにどことなく生臭い。血のせいではないかと思うのだが。

 頭上のシャンデリアは、まだ煌々と輝いている。だが、理由は説明できないが、なぜか一段と暗くなった気がする。


 何も起きていない。起きていないのに、何かが変わった。目に見える変化、耳に聞こえる現象は何もないのに、確かにそう思えた。

 言葉にならない不安が、胸の奥から満ち溢れてくる。


 その時、不意に歌声のようなものが聞こえた。まるで調子外れのファンファーレだ。遠くからかすかに聞こえるかのようでもあり、耳元で囁くかのようでもあった。たくさんの管から、喜びとも怒りともつかない衝動のような声が響いてくるようだった。

 俺だけではない。その場に黙って立ち尽くす誰もが、その音を聞いた。そうとしか思えない顔だった。

 その音が、止んだ。


 不意に足下から、ピチョリ……と水が滴るような音が聞こえた。俺達の視線は、椅子のすぐ手前の床に集まった。


 白い管のようなものが落ちていた。蛇というには太いし、上下に区別できる顎のようなものがない。何より、眼がなかった。丸く開いた口のような部分は、そこだけ肉厚になっているが、牙のようなものもなく、のっぺりとしている。逆に後ろの方は急に細くなり、ごく短い尻尾のようなものがある。長さとしては、せいぜい七十センチほどか。

 それが、まるで生まれたばかりの胎児のように、粘液を滴らせながら、のたうっている。


「……おぉ!?」


 やっとデクリオンが声をあげる。しかし、そこに喜色はなかった。どちらかというと、戸惑いのほうが強く出ていた。

 その声に反応したのか、関係ないのか。白い何かは、鎌首をもたげると、真上に向かって伸び始めた。物理法則も何もあったものではなく、急激に膨らみながら。

 それがシャンデリアの手前で止まると、いきなりガラスを引っ掻いたような声で絶叫した。


「お……うはははは!」


 結果を確認したデクリオンは、今度こそ喜びを露にした。


「おはよう、ゴーファト。気分はどうかね?」


 白い管を見上げながら、彼は悠然とした態度でそう尋ねた。するとそいつは……モコモコと表面に何かが浮かび上がり始めた。それはまるで人の顔だった。


「ご、が……こ、れ、は」

「素晴らしい! ゴーファト、君はついに不老不死を得た! 神の領域に辿り着いたのだ。祝福しよう!」


 そんな?

 あり得るのか?


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 ゴーファト・シュプンツェ (**)


・ディバインミクスチャー

・アビリティ 痛覚無効

・スキル フォレス語  6レベル

・スキル サハリア語  4レベル

・スキル ルイン語   4レベル

・スキル 指揮     5レベル

・スキル 管理     3レベル

・スキル 棒術     6レベル

・スキル 剣術     3レベル

・スキル 弓術     4レベル

・スキル 格闘術    5レベル

・スキル 房中術    3レベル


 空き(**)

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 見たこともないものがある。ディバインミクスチャー? 神の……混合物?

 どういう意味だろう? しかし、過去に見てきた神は、何れもディバインコアのような魂と、アストラルと表示される肉体部分を兼ね備えていた。目の前のこいつには、それがない。

 ピアシング・ハンドはゴーファトの名前を表示しているから、ここに彼の意識があるのは間違いない。しかし、シュプンツェ? では、あれは千年以上前に、このスーディアの地に存在したという古代の神なのか?


「私がわからないかね、ゴーファト」

「おまえ、は……ううっ、わがたみ、ではない」

「支離滅裂だな。組織の代行者、デクリオンだ。さあ、君の力を我々に貸してくれないか」

「わたし、の、ちから……」


 だが、ゴーファトは言葉を理解することはできても、まともな対話をすることができなかった。


「わたしの、ちから、は、しゅくふくの、ながれ」

「これでは駄目だな」


 アーウィンが、あっさりと見切りをつけた。


「精神を持っていかれたらしい。今後の課題だ」

「なるほどな。確かに、過去に積み重ねた知見に照らしても、そう判断するのが適当か」

「オオオッ!」


 アーウィンは、こちらに関心を向けた。


「どうやら、我々の仕事は、ほぼ終わったらしい」

「やりたい放題やって、後始末もしないのか」

「顛末を見届けるくらいはするつもりだけどね……それより、早く逃げたほうが身のためだよ」

「なんだと」


 だが、アーウィンが手を掲げると、デクリオンとウァールは、その左右に歩み寄った。


「君の無事を祈るよ……生き残れたら、また会おう!」


 その声を最後に、パッシャの三人は姿を消した。


「ファルス……」


 いつの間にか、後ろからノーラが俺の袖を引いていた。


「私達も」

「わかった。とにかく、ここを離れよう」


 床に突っ伏した三人も、意識を取り戻しつつある。目の前のゴーファトだかシュプンツェだかがどんなものかわからない以上、とにかく逃げたほうがいい。

 そう思って視線を前に向け直したとき、白い管の表面に浮かび上がった顔が、静かな声で俺に語りかけた。


「ふぁるす?」

「ゴーファトか!?」


 彼の意識があるのか。

 ならば、対話の余地がある。


「しっかりしろ、ゴーファト! 僕が誰かわかるのか!」


 そうだ、このわけのわからない状態を終わらせなければ。

 まずはゴーファトに、奪った肉体を送り返す。だが、それだけでは駄目だ。本人が希望し、俺が手を貸せば、その魂にとって支配的な肉体を取り替えることができる。


 俺が目配せすると、ノーラは前に出て、倒れたままのタマリアに肩を貸した。遅れてオルヴィータも、慌しくルークに駆け寄る。幸い、ニドはふらつきながらも、なんとか自力で立ち上がろうとしていた。


「今、元に戻してやる! いいか、僕のいうことをよく聞くんだ!」

「ふぁるす……えらばれしおのこ」

「違う! 何を言っているんだ。とにかく、今はお前はバケモノ同然になってしまっている! 人間に戻りたくはないのか!」


 だが、ゴーファトの意識は混濁しているのか、わけのわからないことを言い出した。


「おのこ……ちぎりを……」


 白い管の脇から、か細い白い突起が出てきて、それが揺れながら俺に近付いてくる。

 俺はそれを、剣の先で押しのけた。


「正気を保て!」

「それは」


 急に部屋の空気は冷たくなった気がした。いや、気のせいではない。


「それはそれはソれハそレハ」

「なっ」

「オマエッ! シトッ! シトハコロッ! コロッス! シット! シトォ!」


 いきなり、樹木のように無数の触手があらゆる方向に開いた。

 それが攻撃の準備段階であろうことは、誰の目にも明らかだった。


「走れ!」


 俺が叫ぶまでもなく、ノーラは先んじて部屋から駆け出していた。続いてオルヴィータも、ニドも。全員の脱出を確認して、俺は今一度室内に振り返る。


「ヴォーッ! ゴロジッドッ、ギュォァァア!」


 意味の通じない絶叫をあげながら、そいつは脈打ち、また一段と大きくなった。白い管の頂点はシャンデリアにぶつかり、盛大に破片を撒き散らす。それでも足りず、勢いあまって天井を突き破った。

 最後まで見届けるまでもなく、俺も振り返ると、走り出した。


 儀式の部屋の手前の地下室から階段を駆け上がり、広い廊下に出る。白い壁に赤い絨毯は、ここが人の世界であることを思い出させてくれる。暗い中、手にランタンを手にした人物が立っていた。


「ドロル!?」

「どうだった」


 彼が尋ねているのは、暗殺計画の成否だ。今はそれどころではないのだが。


「ゴーファトは死んだようなものだ! バケモノの苗床になった! 今は逃げろ!」

「わ、わかった」


 彼は、足を引きずるニドに手を貸した。誰にも肩を貸していない俺が最後尾に立ち、剣を手に安全を確保する。


「どこから出る」

「西口だ」

「ここからなら、南門のが近い」

「ダヒア様がまだ」


 それでドロルは、やむなく指差した。


「あっちだ」


 脇の通路に入ってしばらく。ドーンという大きな音がフリンガ城を揺るがした。


「これは」

「天井を突き破ったか?」


 それだけではないかもしれない。いやな予感が胸に満ちてくるのを感じながら、先を急ぐ。


「ここを曲がれ」


 ドロルの指示に従って走る。そこで俺達は足を止めた。


 通路は行き止まりになっていた。城の一部が倒壊し、石材が砕かれて廊下を塞いでしまっている。

 そこに、見たくもないものが転がっていた。


「ダヒア様!」


 オルヴィータが、弾かれたように駆け出していく。その場でルークは膝をついてしまった。そして、苦しげに息をつきはじめる。

 ダヒアは、体の半ばまでが瓦礫に埋もれてしまっていた。しかも、頭のところに血溜まりもできている。


「オル……ヴィー……」

「今! お助けします! しっかり!」

「あなた……だけでも……逃……」


 まだピアシング・ハンドの力で、怪鳥の肉体を与えることができる。

 俺は駆け寄り、肉体を渡す前に段取りを説明し始めた。


「ダヒア様、まだ助かります! 僕の」


 だが、そこでやめた。

 既に魂は肉体を去っていた。最後に大事な妹分の顔を見て、気が抜けてしまったのだろうか。

 そのことに気付いたのは、俺だけではない。ルークもだ。簡単なことで、痛みがなくなったからだ。彼は泣きそうな顔で、ゆっくりと立ち上がった。


「おい、ファルス」


 ニドが苦々しげに言った。


「ぶん殴ってでもそいつ、連れ出せ。じゃないと、このままじゃ」

「ああ」


 俺はオルヴィータの肩に手をやり、無理やり立たせた。その後ろから、ルークが手を握る。


「行こう」

「う、ううう!」


 俺が向き直ると、ドロルは頷いた。


「南門だ。そこしかない」


 それで俺達は、急いで走り出した。

 何度もフリンガ城全体が震動した。遠くから悲鳴が聞こえてくる。構わず駆け抜けた。


「あとちょっとだ!」


 正門の手前の大ホール。もうこのまま屋外に通じている。ここを抜ければ安全だ。しかし、繰り返される震動に、石の破片のようなものが降り始めていた。


「走れ! 走れっ!」


 肩を貸しあいながら、中央の通路を全力で駆け抜けた。そして、建物の外に出た。


 そこにいたのは、群衆だった。

 もはや敵も味方もなく、どよめきながら城の尖塔らしきものを指差している。


「なんだあれ」

「今、ニョキって……」


 あれは塔じゃない。

 ゴーファトの一部だ。


 それはラッパのように口を広げ、更に背を伸ばした。そして、あの調子外れのファンファーレのようなものが、今度はよりはっきりと聞こえた。

 直後、あのガラスを掻き毟るような騒音が、場を満たした。


「おわああっ!」

「バケモノだ、逃げろ!」


 あちこちで悲鳴があがる。兵士と戦うつもりで集まった男達は、背を向けて走り出した。

 話し合いをしていたらしいナイザやジャン、それにヤレルも、口を開けて、変わり果てたゴーファトの姿を見上げている。


「ファッ、ファルス殿、あれは」

「今は逃げてください!」


 俺がそう叫び終わると同時に、フリンガ城のファサードが轟音をたてて崩れ落ちた。

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