選ばれしおのこ

 階段を駆け降りる。虚ろな夜の城内に足音が響き渡るが、それを聞きとがめる者はいない。先頭を走るニドは、もはや遠慮も警戒もかなぐり捨てて、なんとランタンを盗み出して行く手を照らしている。灰色の壁に、ぼんやりとした光が膨らみ縮む姿が映りこむ。それはさながら、俺達それぞれの中にある希望と不安のようだった。

 タマリアの救出に向かうときにはまだ、どこか明るい空気があった。危険ではあっても、傷つけるためではない。人を助けるのだ、という前向きな思いだったから。だが、今は違う。明らかに人を傷つける、いや殺害するために、俺達は進もうとしている。


 結局のところ、あの場にいた人間のうち、ナイザとジャンを除く全員が地下室に向かっている。

 二人は早々に別れて、南の正門を目指した。彼らが争乱を仲裁してくれるのを期待するしかない。

 そちらはよかったが、タマリアは頑として譲らず、彼女を救うという目的でやってきた以上、ノーラやルークも自分達だけで外を目指すわけにはいかなくなった。

 状況は刻々と変化している。テラスに降り立ったとき、そこには既に、戦うアドラットの姿は見えなかった。勝ったのか、負けたのか、それとも逃げたのか。単に戦場を移しただけなのかもしれない。


「おい、ニド」

「なんだよ」

「無謀だろ。お前は何を考えているんだ」


 早足で歩きながら、俺は彼に詰め寄る。


「どうやってタマリアがゴーファトを殺すんだ。確かに奴は今、自慢の棍棒を持ち上げることもできない。だけど、その程度じゃ近寄れさえしないぞ」


 蹴倒されてしまえば同じだ。そうでなくても、近くには護衛もいるはず。


「なんとかなるだろ」

「バカか! 無駄死にするだけだ」

「こいつは小耳に挟んだだけなんだけどな」


 指を一本突き立てて、彼は静かに語り始めた。


「儀式の最後に、奴は薬を飲むらしい」

「薬?」

「詳しいことはわかんねぇ。肉体と霊魂の接続を弱めるとか……よくはわからねぇが、それで奴は、しばらくの間、まともに動けなくなるんだとよ」


 そこを狙うつもりだと。しかし、それだけでは。


「周りには取り巻きがいるはずだ。それに……組織の幹部は怒り狂うんじゃないのか? その儀式とやらは、ゴーファトとの契約なんだろう?」

「そこはそれだ。俺は俺の考えで組織に加わった。クソ貴族どもブッ殺して世の中マシなモンにするっつうから、手ェ貸すつもりになったんだ。それが結局、奴らに媚びるだけって話なら、俺も知ったこっちゃねぇよ」


 そこでまた、俺は冷え冷えしたものを感じた。ニドの心は炎のようでもあり、氷のようでもある。考えがないのではない。タマリアの命を軽んじているのでもない。ただ、自分自身を含めて、相対的に命全般が軽いのだ。では何が重いかというと、憎悪だ。優先順位がとにかくまずそこにあって、他はすべて二の次でしかない。

 だから、彼は自分を犠牲にしても、タマリアに復讐を遂げさせるつもりだ。裏切り者とされて組織に殺されても構わない。ゴーファトという悪徳貴族を殺すためなら、自分もタマリアも死んで幸せ。そういう発想だ。


「それだけでやれると思っているのか」

「無理かもな。でもやる。降りてもいいんだぜ? お前を案内してるわけじゃないんだしな」

「冗談もほどほどにしてくれ」


 あわよくば、俺達より先に誰か……ヤシュルン達が、タイミングよく奴を倒してくれていればいいが。もちろん、パッシャの幹部を相手に正面から戦って勝てるとも思えないが、身動きさえできないゴーファトを殺すなら、ナイフ一本投げつければ何とかなる。


「う、ここは」


 階段を一つ降りた先で、ルークが手で顔を覆った。

 そこは広さのある、流線型の地下室だった。部屋の壁際に、ちょうど子供が腰掛けられるくらいの縁がある。その向こうには、暗い階段が続いていた。


「どうした」

「ここに生贄が集められていたんだ。だけど、もう一人もいないってことは」

「儀式はこのすぐ下でやってる。行くぞ」


 短い階段を降りた先に、観音開きの重々しいコーシュティ製の扉があった。さすがに俺達も、足音を殺してゆっくりと降りる。いきなり突入なんて、さすがにリスキーだから、耳を澄ませて、中の様子を……


 ひとりでに扉が開いた。


「ようこそ」


 室内の照明に、一瞬、目が眩む。続いて感覚を刺激したのは、噎せるくらいに充満した血の臭いだった。

 頭上のシャンデリアにはいくつも蝋燭が立てられ、部屋の中を煌々と照らしていた。そこだけ見れば、華やかな貴族の邸宅の一室といえたが、下界は地獄そのものだった。表情をなくした少年達の首が、ずらりと左右の壁際に並べられている。低い台の上には血で描かれた魔法陣があり、その真ん中に、椅子に座ったゴーファトが腰掛けていた。脇にはデクリオンが、そしてウァールが控えている。しかし、その他の護衛はいない。


「遅かった、か」


 ルークが小さな声でそう呟く。

 耳聡いデクリオンは、律儀にもそれに返事をした。


「そうでもない。君らはちゃんと間に合った」


 そう言いながら、彼は手にした大きな銀杯を、椅子の上のゴーファトに手渡した。


「そうとも。まさに完璧だ。君らの事を疑っていて、本当に済まなかった」


 ゴーファトも満面の笑みだ。


「デクリオン、見事だ。本当に素晴らしい。私は内心、不安で仕方なかったのだよ。儀式は進むが、肝心のファルス君がいない。これでは私の転生は、意味のないものになってしまうのではないかと」

「最初から無用の心配だと言っただろう。あとはそれを飲み干せば、すべてが終わる」

「いや、始まるのだ。そうではないか?」

「確かに、そうとも言えるか」


 にこやかに語り合う二人。俺達が何しにきたか、わかっていないのだろうか?


「ファルス君、この前は冷たくして申し訳なかった」

「何を言っている」

「短い恋だったとか、くだらないことを口走った。私の短気を許して欲しい。あの時はどうかしていた」


 あの時は?

 今のほうが、ずっとどうかしている。血塗れの部屋の中で満面の笑みを浮かべて座っているのだから。並べられた少年達の生首が気にならないのだろうか。


「私は君なしでは生きる意味などない。最後にそれだけは伝えておきたいと、ずっと思っていた」

「俺がいても、生きる値打ちなんてない気がするがな」


 どういうわけか、アーウィンがいない。今ならまだ、手が届くかもしれない。

 だが、まだだ。その銀杯は、例の体が動かなくなる薬ではないのか? 霊魂と肉体の繋がりを弱めるとか……では、飲むまで待ったほうがいいのか、それとも妨害すべきか。


「そんなことはない。君がいてこそ、私の夢がかなうのだよ」

「どんな夢か、教えてもらってもいいか」

「いいとも。君は私に、私は君になるのだ」


 やっぱり、それが望みだったのか。


「私は一度死に、生まれ変わる。そう、選ばれしおのこである君、ファルスの肉体を得るのだ。だから私達は永遠に結ばれることになる。私は君という理想の姿を借りることができるのだ。けれども、君も私の一部になれるのだから、悲しいことは何もない。そうだろう?」


 自分のことしか考えなくていい人生をずっと生きていると、こうも思考が歪むのか。

 まあ、その辺はどうでもいい。大事なのは、確実にゴーファトを殺すこと。

 決めた。薬は飲ませる。ここで服用を妨害しても、もう一度同じことをされたら意味がない。それより本人を始末しなくては。

 薬ということは、何かの魔術の触媒なんだろう。ということは、術が完成するには、更に手間をかけるか、待つしかない。その前に倒しきってしまえば済む。


「その薬は」


 剣を手に、俺は一歩前に出た。

 デクリオンが首を傾げる。


「ニドが勝手に伝えてくれるのではないかと思っていたが」

「飲むと動けなくなるんだろう? この状況で飲んでいいのか」

「構わんとも。ここまできたら、小さなことはどうでもよい……さぁ、ゴーファトよ」

「では、君と私の未来に……乾杯」


 彼は実に楽しげに、まるで宴会でも始めるかのように、その銀杯を掲げ、それから一気に飲み干した。


「う、おお」


 その直後、全身をブルッと震わせた。デクリオンは手早く銀杯を回収すると、すぐ足下に置いた。


「お前らの思い通りにさせると思うか?」


 俺は剣を前に向けた。

 まさか、俺から無理やり肉体を奪うなんて、できないとは思うが……もしそうなっても、まだデスホークの肉体がある。つまり、その場で元の肉体を奪い返して、それからゴーファトを殺せばいい。


「もう思い通りなのだよ」


 だが、デクリオンは完全にリラックスしていた。ゴーファトも勝利を疑うことなく、小刻みに痙攣しながらも笑みを浮かべていた。


「薬を飲めば、俺から肉体を奪い取れると思っているのか」

「そうだな。ゴーファトは、そう思っているらしい」


 この一言に、ゴーファトの顔から笑みが消えた。


「な……に」

「せっかくだから、そろそろ種明かしといこう。ファルス君、それに他のみんなも、少しは興味があるのではないかね」


 ずっと前から感じていた違和感が、解消されようとしている。パッシャとゴーファトは、同じ目標に向かって手を取り合っていた? いいや、そうではなかった。


「だ……ま、したの、か」

「そんなことはない。ゴーファト、我々組織は、必ず契約を守る」

「て、んせ、い、でき、ると」

「その通り。嘘はついていない」


 肩をそびやかすと、彼は俺達に向き直り、契約内容を述べた。


「約束はこうだった。古代の碑文の謎を解き明かし、『滅びることのない命』に生まれ変わること……ああ、何の話かわからないかもしれんな」


 頭を振って、思考を整理すると、彼は続けた。


「スーディアの各地には、隠された女神神殿がいくつかある。それらは、古代に存在した、異形の神々を封印するために置かれたものだったのだよ。その奥には、神の祝福を受けて生まれ変わるための方法が刻まれていた。それについては、実はゴーファトにも多少は知識があってね……昔から、そういう言い伝えがあったという」

「滅びることのない命、だと?」

「そうとも。シュプンツェの祝福を受けて、その者は不死に至るという」


 であれば、ゴーファトを不死身にするという一点においては、パッシャと彼の間に齟齬はないことになる。


「え、選ばれし、おのこ……は、どう、なった」

「碑文にはこう書いてあったな……『選ばれし清らのおのこ 時を継いで新たなり、古きを捨てて新たなり 死してなお、とこしえに生きよ』……この、選ばれし清らのおのこというのを、彼は君、ファルス君のことだと思い込んだのだよ。要するに、転生する先の肉体を任意に選択できると……だが」


 動けないゴーファトの肩に手を置くと、デクリオンはさも愉快そうに事実を述べた。


「そんなわけがない! スーディアに生まれ、スーディアで育った彼でなければ、誰が『清らのおのこ』だろう? 女と交わったことのない、シュプンツェの求める男……とはいえ、組織は契約に際して嘘はつかないが、勘違いを正してやる責任もないからね」

「ゴーファトが、その選ばれしおのこだとして」


 では、彼は不老不死を得る? でも、俺の肉体を奪うわけではない? なら、パッシャの求める結果とは?


「結局、お前達組織は、何をしたかったんだ」

「だから、既に達成されているのだよ。この部屋を見たかね」


 全面、血塗れだ。足下には整然と生首が並べられ、台の上には血液で描かれた紋様がある。無意味で悪趣味な残虐行為にしか見えない。

 ルークが首を振りながら、訴えた。


「こんなひどいことを、よくも」

「我々も好き好んで人を殺しているわけではない。誤解して欲しくはないから説明するが、これは触媒なのだよ」

「触媒?」


 すると、これはゴーファトの残虐趣味によるものではない。デクリオンが要求したのだ。


「そうだ。ファルス君、君は魔術師でもあるから知っていると思うが、魔法を使うには触媒が不可欠だ。人間の体には魔力がほとんどない。これを補うために、秘薬を用いたりする」

「この子供達の首に、魔力があるということか」

「いいや。魔力がない、だからいいのだよ。人体は魔力を持たないが、魔力の器になれる。だから、ゴーファトの体内にあった余計な魔力を吸い出すのに役立つのだ。もっとも、そんな知識は世界中の魔術書を読み漁っても、まず見つからないだろう。女神達は、こういう真実を正直には伝えてくれなかったからな」


 血で汚された女神神殿の様子を思い出す。

 女神の目を血で覆い、死体を焼いた。あの残虐な儀式は、まさに女神神殿による封印を打破するために行ったものだった。

 それにしても、人体をうまく使えば、魔術の触媒たり得る……どちらかというと、魔法を妨害する手段としてだが。説明されてみれば、なるほど納得はできる。俺自身、魔術核を含んだ状態では、自分の血液を触媒として用いることができた。魔力が塩なら、人体は水みたいなものだ。溶かし込んで含めることもできれば、洗い流すことだってできるのだ。

 確かにこんな事実は、女神として人間達に教えるわけにはいかなかっただろう。これも世界統一前には、より広く知られていた技法なのかもしれない。


「我々の第一の目的は、なんといっても女神の支配を覆すことだ。それには、神殿の封印を打ち破る力が必要になる。それを実地で試みるという、またとない機会が与えられた。こうして目指す儀式が最終段階まで到達した。もうこれだけで、組織にとっては大きな前進なのだよ」

「なるほどな」


 要するに、ゴーファトはこれから何かに生まれ変わる。だが、そうはさせない。こんな狂人が不老不死になって暴れだしたら、どんなことになるか。


「じゃあ、儀式が完成する前にそいつを殺せば、こっちも仕事が終わるわけだ」

「させると思うかね」


 今なら、まだ、できるかもしれない。

 さっきからウァールは黙ったまま、俺達の様子を注視している。攻撃を始めたら、真っ先に立ちはだかるだろう。だがそれは俺が押さえ込む。それとデクリオンは厄介だが、少なくとも精神操作魔術については、ノーラが無効化してくれる。ゴーファト自身が動けない以上、誰かの手が届けば、それで終わる。


「やる」

「結構。ではその前に、ニド」

「なんだよ」

「お前はどうするつもりかね」

「決まってんだろ?」


 彼は俺の横に立って、ナイフを構えた。


「俺はクソ貴族どもをブッ殺すために組織に入ったんだ。お前はもう、やりたいことはやったんだろうが。だったら、こっからは好きにさせてもらうぜ」

「やれやれ」


 肩をすくめると、デクリオンは一歩下がった。代わりにウァールが前に出る。


「行くぞ!」


 俺は声をかけ、全員で一気に前に出る。予想通り、ウァールが黒い杖を手に鋭く突きかかってくる。それを剣でいなしながら、俺は部屋の中央に立ち止まった。


「行け! ゴーファトからやれ!」


 ノーラは動かない。役割を理解しているからだ。デクリオンが『魅了』や『誘眠』を行使した場合に、仲間を叩き起こさなくてはならない。

 残念ながら、オルヴィータはというと、目を見開いて立ち尽くすばかりだ。無理もない。これが普通の反応だ。


「やれ、タマリア!」


 ニドは、あえてデクリオンの前に立ちはだかった。ルークもだ。相手は優れた魔術師だが、肉弾戦の能力はない。だが、仮にもパッシャの首領だ。そんなに簡単に押さえ込めるはずもなかった。


「ぐあっ!?」


 彼が軽く腕を突き出すと、離れた場所に立っていたルークが浮き上がり、そのままウァールのすぐ後ろを突っ切って、向こう側の壁に叩きつけられる。力魔術だ。


「早く、早くやれ!」

「うあああっ!」


 ある意味、タマリアは精神操作魔術の影響を受けにくい状態にある。激しい怒りに駆られているので、それ以外の思考の操作が難しい。そうなると、デクリオンにできることは限られる。

 ルークは、素早く起き上がると全力で割って入る。デクリオンとタマリアの間に立てば、あの重力の一撃を代わって浴びることができる。


「甘く見すぎではないかね」


 呆れた様子で、デクリオンは片手を掲げてみせた。その瞬間、ルークとタマリアの足がもつれ、動きが止まる。


「ど、どっち?」

「お前ら、どうしたんだ!」


 ニドの叫びも空しく、二人は目の前に手を突き出して、何かを探ろうとするばかり。

 それでわかった。これは光魔術だ。かつて俺の目の前でアイドゥスが使ったのと同じ『万華鏡』の術だろう。二人はこれで、方向感覚を失ってしまった。


「ちっくしょう! なら、俺がやる!」


 と言いながら、ニドは片手を向けて椅子の上のゴーファトを吹き飛ばそうとする。

 ウァール相手に鍔迫り合いをしながら、俺はそれに気付いて叫んだ。


「待て! 二人が巻き込まれる!」

「知るかよ!」


 ニドの手に赤い光が宿る。それをデクリオンは余裕たっぷりに眺めている。


 そこで気付いた。なぜニドは先にデクリオンを始末しない? あの爆炎をぶつけてやれば、さすがに無傷では済まないだろうに。逆にゴーファトはというと、身動き一つできないのだから、そっとナイフを首筋に添えるだけで済む。

 しまった! デクリオンには『魅了』の神通力もあった。精神操作魔術に頼る必要がなかったのだ。それでニドもルークも、目の前に立ちこそすれ、すぐに襲いかかることができなかった。そしてノーラは、仲間の精神が既に敵の影響下にある状況に気付けなかった。

 認識するのが遅れたのは、俺も同じだ。俺は影響を受けないがゆえに、逆に意識しにくいところがある。

 仮にもパッシャの首領か。確かに甘く見すぎていた。


「さすがにそれは困るが……やむを得ない」


 デクリオンは、慌てる様子もなく、そう呟いた。

 なんだ? 何がある? 心の中で危険を感じはするが、落ち着いて考えることができない。今も俺の眼前を、ウァールの黒い一撃がすり抜けていく。


 その瞬間、黒い影がニドの背後に現れた。


「ごあっ!?」


 後頭部に強烈な一撃を浴びて、ニドは勢いよく突っ伏した。そのまま動かない。


「あっ!」

「ようやく到着か」


 俺への攻撃を手控えて、ウァールはのんびりと後ろに下がった。


 僅かなチャンスが、今、掻き消えた。三人目のパッシャの戦士が、この場に現れた。扉も開けずに、予告もなしに。

 突然の静寂の中で、アーウィンはゆっくりと俺に向き直る。


「間に合ってよかった」

「もう覚醒の時間だよ」


 手遅れか?

 今の俺では、アーウィンは倒せない。仮に肉体を奪って消し去ることができたとしても、目の前にはデクリオンとウァールがいる。俺ならどちらか一方と互角に戦えるが、他の全員が束になっても、残り一人を突破できないらしい。

 そうこうするうちに時間切れになる。このまま儀式が完成してしまったら。


「じゃあ、終わるところを見届けて、それから帰ろう」

「慌てることもあるまい。ゆっくり見物としゃれ込もうではないか」


 無造作にウァールが棒を振るうと、タマリアもルークも床に倒れた。殺してはいない。ただ、うざったいから叩きのめして転がした。それだけだ。

 後ろでは、ノーラがオルヴィータの手を握っている。その表情からは、焦りが見て取れる。自分の魔術が一切通用しないのだ。デクリオンには精神操作魔術の能力があり、ウァールもアダマンタイトの武器を持っている。アーウィンに関しては論外だ。できることがない。せめて、隙を見て逃げるしか。


「よかったな、ゴーファト」


 アーウィンは周囲を警戒するでもなく、朗らかな笑顔を浮かべて、椅子の上で苦悶するゴーファトに声をかけた。


「もうすぐ君は、特別な存在になれるんだ」

「こ、の……わ、た」

「きっと君も満足できると思う。もし生まれ変わっても私の顔を覚えていたら、また我々と仲良くして欲しいな」

「ふ、ざ」


 ゴーファトはもう、麻痺がひどくて、もう言葉もほとんど発することができない、か。怒りはあっても、それを発散することさえできない。

 一方、デクリオンは上機嫌だった。


「さあ、組織にとっても、この世界にとっても、歴史的な瞬間を見届けよう」

「イーヴォ・ルーに称えあれ」


 そうはいくか。

 まだ、俺がいる。終わってなどいない。


 ゴーファトはここで殺す。

 但し、アーウィンがいる。剣でも魔法でも、きっと邪魔をされて終わりだ。だが、これだけは誰にも食い止めることができない。


 ゴーファトの肉体を、奪う……


 念じた瞬間、周囲に白い粘液が満ち溢れたように感じた。およそ人の世のものとも思われない、巨大な幹のようなものが聳え立っていた。だからどうした。

 それでも奪う。ゴーファトはここで消し去る。


「黒き花嫁に称え」


 言い終える前に、その賛美の言葉は途切れた。

 衣服を残して、ゴーファトの存在は消え失せた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る