解き放たれた復讐者

 通路から通路へと、無人の城郭の中を駆け抜ける。まばらにしか照明は置かれず、足元は常に薄暗い。それでも、俺達の歩みを阻むものは一切なかった。


「右、兵士が五人」

「少し待て」


 ノーラの警告を受けて、先頭を行くニドは、左腕を広げて後続の足を止める。気配を読み、安全を確認した上で、すぐその手を無言で上に向ける。それで俺達はまた、通路の先へと進んでいく。

 もういくつ階段を登ったことだろう。現在位置はよくわからないが、恐らくこのままいけば、城の上層を飾る尖塔の一つに辿り着くのではないか。


「ちょっとだけ寄り道していいか」


 ニドが振り返って、そう尋ねてくる。


「何をしたいんだ」

「タマリア一人助けて満足ってのも、自分勝手すぎるだろ」

「他に誰か、捕まってるのか?」

「ここだ」


 確かにそこには、頑丈そうな鉄格子が拵えてあった。だが、外からなら閂を外せるようになっている。苦もなく開けると、俺達は中に雪崩れ込んだ。

 そこは……


 一見して、明るい子供部屋だった。この時間でも照明が点され、優しい曲線が特徴のクリーム色の壁に囲まれていた。左右にそれぞれベッドが置かれ、小さな椅子と机もセットになっていた。それが列をなしている。

 ベッドの上には、一人ずつ少年達が寝そべっていた。その少年達の肌は、幽霊か何かのように真っ白だった。誰もが目鼻立ちは美しく、少女よりも繊細に見えた。服装は簡素で、なんと少女が身につけるようなワンピースだけだった。


「これって」

「妖精って奴だな」


 ゴーファトの性奴隷達だ。なるほど、これを救い出そうというのか。


「おい、お前ら」


 ニドの呼びかけにも、彼らは鈍い反応しか返さない。その整った顔立ち。しかし、目の焦点があっていないようにも見える。


「ここの扉は開けた。逃げるなら今のうちだ。南の正門付近は危ないから、他から走って出るといい。俺達にはお前達を守ってやる余裕がない。助かりたければ自分で頑張れ」


 彼らは、あまり知性を感じさせない視線をぼんやりとこちらに向けた。

 構わずニドは背を向けた。俺達も続く。


「思ったより手薄だな」

「お前らのせいだろう? 下では小競り合いが続いている」


 ヒシタギ家の武人と、ヤシュルン達に扇動された民兵達は、いまだにゴーファト直属の兵士達と向かい合っているらしい。思った以上に長い間、持ちこたえてくれている。


「奴らの役目が陽動なら、まずは成功といったところか。前面に外国の豪族がいる。だから先に手を出すわけにはいかない。かといって後ろには大勢、地元の連中がいる。こいつらが何をしでかすかわからないから、兵士の大半もそこに釘付け。うまくやったもんだ」

「それでも、どこかで鎮圧に切り替えるんじゃないか。ゴーファトはいなくても、ナイザあたりが」

「奴は下にはいない」


 とすると、指揮官不在の集団が、なんとなく下で暴徒を押さえ込もうとしている状況か。あとで責任問題になることを考えると、彼らも思いきった行動を選べない。

 角を曲がると、階段があった。


「テラスに出るぞ」


 幸い、外は暗い。月の光も差し込まない曇天だ。さほどの警戒もせず、俺達は駆け登った。

 そこは、フリンガ城の奥の間のような場所だった。南側に正門とホールがあり、その真上に一つ目の大きな胸壁がある。そこから四角い中庭を挟んで、今、俺達が立っている広いテラスに出る。船の甲板を思わせる広さだった。

 離れた南の城壁の上で、何か動くものが見える。うっすら青い粒子のようなものと、時折弾ける赤い火花。あれは……


「派手にやってるな。行くぞ」


 アドラットは今もパッシャの幹部達と戦っている。影に身を潜めるマバディと、あの燃え盛る拳を武器とするモートの二人を敵に回して、それでもなお持ちこたえている。シャーヒナのおかげで空中の有利を生かせるがゆえだろう。その奮戦ぶりは、真なる騎士の名に恥じるものではなかった。

 気持ちとしては助けに行きたいが、俺のすべきことはそれではない。


「さて、この扉だが……やっぱり施錠されてるか」


 ニドは、とある尖塔の真下で、鉄の扉を相手に格闘を始めた。


「待ってろ、今、こじ開ける」

「鍵を取ってきたほうが早いんじゃないか」

「そいつは遠回りだ。地下室のゴーファトが持ってる……いいから見てろ、すぐだ、こんなの」


 懐の小袋から次々道具を取り出し、どんどん鍵穴に突っ込む。目を凝らし、耳を傾け、指先の感触に集中しながら。その間も、俺は落ち着かなかった。こうして突っ立っている間にも、アドラットが、ヤレルが、ヤシュルン達が戦っているというのに。


「開いた」


 振り返ると、錆ついた金属の扉の向こうには、黒々とした口が開かれていた。中からひんやりとした湿った空気が流れ出してくる。


「もうすぐだ」


 この先には、見張りの兵士もいるかもしれない。俺は一番前に出て、暗い螺旋階段を這い上がり始めた。


「なんだか……」


 狭い場所で、奇襲を浴びる危険もないからか、気が緩んだのかもしれない。すぐ後ろから雑談するのが聞こえる。


「……昔みたいなのです」


 思い出を語りだしたのは、オルヴィータだった。

 この緊迫した状況の中で、彼女だけは独特な空気を醸し出していた。昔の仲間が集まって、一緒にこっそり行動しているのもあってのことか。懐かしさもあり、かつての快活さを取り戻しつつあるのかもしれない。


「昔? なんだったっけ」

「ほら! 収容所の地下から、ミルークさんの執務室によじ登ったときのことなのです。コヴォルは本当に物覚えが悪いのです」

「あー、そんなことあったなぁ」


 ドロルがゴーファトの手紙を盗んでタマリアに見せ付けた、あの事件のことだ。

 まさかあの時、こんな未来が待っているなんて、夢にも思わなかった。俺はあのまま、みんなが寝静まったら、一人、鳥に化けて遠くに行こうかとさえ思っていたのに。


「……ファルス」


 すぐ横まで体を捻じ込ませたニドが、小声で尋ねてくる。


「あれから、どうなった」

「あれからって、何の話だ」

「俺に焼かれた男の話だ」

「ああ」


 俺は端的に伝えた。


「死んだ」

「そうか」


 確認すると、やっぱりかと言わんばかりの様子で、彼は短く溜息をついた。


「なんとも思わないのか」

「思うさ」

「だったら」

「ああ、もう中途半端はできないな」


 人を殺した。だから反省せよ。それはある一方の側からしか物を見ていない人の発言だ。まったく正反対の解釈が起こり得ることを忘れている。

 ニドはちゃんと命の重みを感じている。たとえ悪人でも、殺せば殺人だ。その上で、奪った命の分だけ、自分の責任が増したのだと、より『世界の修復』に邁進しなければと、そう考えたのだ。

 俺は、これを悲しむべきなのか、喜ぶべきなのか、わからなかった。罪を犯す人というのは、わけのわからない気違いなんかではない。みんなそれぞれの理由があり、立場があり、場合によっては熟慮を重ねてもいる。そして罪悪を認識しながら、なおよりよくあろうとさえする。


 窮屈な螺旋階段は、突然に途切れた。

 這い出てみれば、そこは空気の流れのある屋上付近だった。ここは差し詰め展望台のようなもので、大きな窓が外に向けて開かれている。ここから一つ階段で登った先が、フリンガ城の最上階だ。


「見張りがいる。だがファルス、お前なら片付けられるはずだ」

「わかった」


 そのまま、すぐ脇の階段を登った。

 最上階は、ガランとした何もない円形の大部屋だった。部屋の奥、壁際には、芋虫のように転がる人影が二つ。その前に、存在感のある大きな影が音もなく佇んでいた。


「……なんでこんなところにナイザが」


 本来なら、ゴーファトの不在時に兵士達を纏めるという、大事な役目を担っている人物だ。それが看守の真似事とは。

 彼は、下から登ってくる人の気配にはとっくに気付いており、槍を片手に直立していた。そして、俺達が次々階段を昇りきるのを、黙って見つめていた。


「ナイザさん、そこを通してください」


 一応、俺は声をかけてみた。

 この非常時に、こんな場所に配置される理由。本人とて納得できているはずもない。


「ならん」

「では、あなたを排除しなければ、人質は返していただけないと」

「是非にと望むのなら、その手で掴み取るがいい」


 不満ありとはいえ、簡単には忠節を捨てられるものでもない、か。そういうことなら、力ずくで押し通ることにしよう。

 腰の剣に手をかけた。その手を押さえる手があった。


「待てよ、ファルス」

「ルーク」

「俺がやる」


 何のことかと思って、一瞬、思考が止まった。その間にも、ルークはずんずん歩いて、ナイザのすぐ目の前に立ってしまった。


「通してくれ」

「小童が、どういうつもりだ」

「俺は通るぞ」

「無茶だ、ルーク!」


 俺が飛び出そうとすると、ルークは振り向き手を突き出して遮った。


「たわけが!」


 雷を思わせる怒声と共に、ナイザの槍が頭上から叩きつけられる。それはルークの肩を確かに打った。ちょうど伸ばした腕のすぐ上だ。


「むっ!?」


 だが、ナイザほどの武人にしては甘い動きだった。穂先で切り裂くでもなく、ただ打っただけ。それに槍の引きが遅かった。そこを見逃さなかったルークは、しっかりと穂先の近くを掴み、脇に抱え込んだ。


「こいつはっ、もらうぞっ」

「餓鬼が、舐めた真似を」


 子供一人、自分の槍にしがみついたからといって、何ができるというのか。軽く振り払うつもりで、彼は自分の槍を引っ張った。

 だが、そこでやっと気付いた。ビクともしない。まるで槍の先端が岩の狭間に引っかかったみたいに。


「こ、これは」

「ファルス、俺の後ろに立つな!」


 ルークがそう言い放つ。そして体の向きを変えて、後ろに転んでも下り階段に落ちない方向に陣取った。


「やぁっ!」

「ふんぬぉっ」


 なんと間抜けな構図だろう。ナイザはルークと槍の取り合いをしている。こんなもの、横から俺が飛び出て剣を振るえば、あっという間に決着だ。だが、あえて俺は水を差さずに二人の様子を見守っていた。

 案の定、ナイザはふっと表情を緩めると、いきなり手を放した。


「うぶおっ!?」


 勢い余ってルークは後方に倒れこむ。槍を手放したナイザは、半ば放心状態だった。

 すべてが終わったとき、俺は得心していた。


 ルークは他人の苦痛を吸収する。どうして苦しんでいるのかはわからない。ただ、感情としての痛みなら味わってしまう。

 だから、理由は不明ながらも、ルークには、目の前のナイザが葛藤を抱えているらしいことがわかった。だから前に出た。殺し合いではなく、話し合いで終わらせるために、あえて武器を奪いにいった。

 それは一見、無謀な行為だった。けれどもナイザには迷いがあった。手にした武器は槍、敵を殺すならシンプルに突き殺せば済む。なのに彼は、ルークを打ち据えようとしたのだ。要するに、自分の行動に自信がなかった。本当にこのままゴーファトに従っていていいのか、判断できなかった。


「……勝手にするがいい」


 その場にナイザはしゃがみこみ、力なく言った。

 長年仕えてきた。乱暴なところはあっても、奇妙な性癖はあっても、有能な領主であるはずだった。それが年々暴虐の度合いがひどくなり、果てはパッシャとまで手を組む始末。しかも、そのことを彼はまったく知らされなかった。

 はじめから、戦意など萎えていたのだ。


「それにしても」


 俺は、床に転がった槍を見下ろしながら、少し呆れていた。


「よくああも踏ん張れたものだな」

「そりゃあ、決まってるだろ」


 立ち上がりながら、ルークは満面の笑みで答えた。


「ジュサに言われたからな。体を鍛えろって!」


 それでバカ正直に、体力だけはつけてきたってことか。もちろん、それだけでナイザに勝てるわけもない。ただ、簡単には振り払えないくらい、子供とは思えないほどの腕力ならあった。


「それより、ねぇ、ファルス」


 ノーラに促されて、俺は我に返った。そうだ、無駄にできる時間はない。

 それでナイザの脇を通り過ぎて、部屋の奥へと向かう。しかし、芋虫が二人とは。いったいこいつは、なぜこんな場所に?


 猿轡を外して、俺はその男、ジャン・スザーミィの顔を見た。

 彼は、濁った視線をこちらに向けるばかりだった。それで察した。


「ルーク」

「なんだ?」

「後ろに十歩下がってくれ、いや、二十歩」

「お? おぉ」


 反対の壁際まで退いたのを確認して、俺はジャンに向き直り、やおら腕を振り上げると、鋭く拳の一発を見舞ってやった。


「ぐぼぇ!」

「ジャン様!」


 さっきまで牢番をしていたナイザが、息を詰まらせた。更に、部屋の向こうではルークが頬を押さえている。

 だが、この一発だけは、どうあっても彼が受けるべき懲罰だった。


「なるほどな」


 芋虫のように縛り上げられたままのジャンを見下ろしながら、俺は理由を述べた。


「お前の差し金だったんだな」

「な、何のことだ」

「タシュカリダの旅宿にいた俺とアドラットに、男達を送りつけて殺そうとしたのは……お前がやったんだ。あれはミュアッソあたりの連中か?」


 事実を言い当てられて、ジャンは目を見開き、おののくばかりだった。


 あの日の昼下がり、俺とアドラットは裏庭でのんびりと過ごしていた。夕方にはゴーファトの使いがやってくる。計画通りなら、翌日の昼にはヤシュルン達と合流して、継承式の最中に暗殺を済ませることができていた。

 その予定が狂ったきっかけが、あの事件だった。なぜかこれまで我慢していた各盆地の男達が、あの日を境に暴徒と化した。いったい誰が背後にいたのか?


「このままではゴーファトのお気に入りのファルスがスーディアの後継者になる。そうなったら、お前達はますます苦しめられるぞ……大方、そんな風に焚きつけたんだろう。何のためかは説明するまでもないな。ゴーファトもファルスもいなければ、ジャン、お前がスード伯になれるんだから」

「くっ……うるさいうるさいうるさい!」


 芋虫の格好のまま、ジャンはじたばた暴れて、怒りを表現した。


「馬鹿なことを。あのまま余計なことをしなければ、次の日には俺はゴーファトを殺していた。お前は自然とスード伯になっていたのに……こうなったらもう、どう転ぶかわからないぞ」


 パッシャが表舞台に出てきてしまった。それは奴らにとっても大きな決断であったはずで、つまりは目的達成が近いということだ。もっと手前の段階でゴーファトが殺害され、計画実行が困難になっていれば、彼らもここまで踏みとどまったりはせず、事はもっと簡単に収まった。

 これから、地下室にいるであろうゴーファトと戦おうとするならば、デクリオンやアーウィンといった強敵が妨害してくることは想像に難くない。もし俺が敗れたら、多分、誰も彼らを食い止めることができなくなる。


 俺は腰の剣を抜き放ち、ようやくジャンの戒めを解いた。それから後ろに立つナイザに声をかけた。


「今、下では暴徒と領主兵が今にも殺し合いを始めそうな状態になっています。いや、もう始まっているかもしれません」

「ふむ……」

「本格的な殺し合いになる前に、ジャン様を連れて、一刻も早く事態を収拾してください。次代のスード伯として、最低限の仕事はしていただきます」


 この言葉に、ナイザは力なく頷いた。

 これでこちらはよし。どっちかっていうと、もののついでの拾い物でしかない。

 それより、あと一人は……


 この騒ぎにも、まるで反応していなかった。力なく床に横たわるばかり。

 ジャンが生きている芋虫だとすれば、タマリアはその死骸だった。


「タマリア、タマリア」


 俺が縄を切り、ルークも駆けつけて、二人で肩を揺さぶる。衰弱しているのだろうか。


「しっかり……うっ!?」


 いきなりスイッチが入ったみたいに目を見開くと、間髪いれずに平手打ちが飛んできた。紙一重で避けはしたものの、彼女の恐慌状態は収まる様子はなかった。


「キャ……いやぁっ!」

「お、落ち着け!」

「死ねっ、死ねっ、殺してやる!」

「ぼ、僕は、ノールだ!」

「いやぁっ!」


 だが、彼女は不安と恐怖に囚われて、目の前の人物を見分けるだけの理性を失っていた。そして、ルークはというと……足下で三匹目の芋虫に成り果てて、苦しみ悶えている。


「タマリア、私もいるのよ、ほら、ドナよ、わかる?」


 後ろから肩を掴んで振り向かせる。そこにあったのが男の顔でなかったのがよかったのだろう。ピタッと暴れるのをやめた。


「ド、ナ?」

「そう、もう一度助けに来たの。大丈夫だから」


 そこまで言われて、やっと彼女は俺達の顔を見渡す余裕を取り戻すことができた。


「……ノール?」

「そう」

「じゃあ、ディー?」

「そうなのです」


 目を真ん丸に見開いたまま、彼女は硬直していた。

 俺と再会するのは、これが初めてではないはずだが……いや。初回はあの不潔な牢獄の前で遠くから見守っていただけだったし、フリンガ城前のあの広場の戦いでは、彼女はずっとぐったりしたままで、まるで無反応だった。よっぽどひどく痛めつけられて、周囲に目を向ける余裕なんて、なかったのかもしれない。


 だが、俺達を認識した今、彼女は新たな恐怖に震えだした。


「……だめよ」

「タマリア、急いでここから逃げないと」

「逃げて。巻き込まれたら、私はもう……だけどみんなは。殺される前に」

「心配ない。ゴーファトは大怪我をしてる。もう、腹心も甥も奴を裏切った。あとは殺すだけだ」


 本当は、まだ近くにパッシャがいる。油断できる状況ではないが……


「怖くない。大丈夫だ」


 いつの間にか立ち直ったルークが、額に汗を滲ませながらも、なんとか彼女の手を取った。


「あっ……う、うん」


 それでタマリアは、一度は落ち着きを取り戻したように見えた。

 だが、その手を取るルークの表情が、だんだんと苦しげなものに変わっていく。と同時に、彼女の眉間に皺が寄っていく。


「そうよ、怖いものなんか、もうどこにもない……」

「何を言って」

「殺さなきゃ。あの気違いを殺さなきゃ」


 ゾッと背筋に冷たいものが走った。

 日向の蒲公英みたいだったタマリアが、今や冷たい牢獄の中で、人を本気で殺したいと願っている。無理もない。それだけの苦痛は味わった。だとしても。


「問題ない。僕がやる」

「私にもやらせて」

「巻き込まれて死ぬだけだ。ここは任せて、先に外へ」

「いやよ!」


 ルークの手を握り潰す勢いで掴みながら、タマリアは憤怒の炎を吐き出した。


「あいつだけは……あいつだけは、幽冥魔境のどん底に突き落としてやらなきゃ、気が済まない……」


 呆然とした。

 俺が助けたかったのは、このタマリアなのか? 人殺しから助け出すのは、新たな人殺しでしかないのか?

 あの、陽気で気遣いもできて、幼い子供達には優しく振舞った彼女はどこへ行った? 下品な冗談も口にしながら、清らかな乙女の部分もあった生身の人間のタマリアは、とっくに死んだのか?


「いいじゃねぇか」


 俺の後ろで、ニドが言う。


「連れていってやれよ」

「ニド! 無責任なことを言うな」

「お前こそ、勝手すぎるだろ。恨みを晴らせないで残りの人生、ずーっとスッキリできねぇまま、我慢して生きろってか」


 確かに俺は知っている。憎しみがどれほど人を乗っ取るものか。だけど……


「そんなのはな」


 俺に顔を寄せながら、彼は言い切った。


「お前の自己満足なんだよ」


 結局、結局……


「なぁ、タマリア。このまま奴を殺せねぇで長生きするのと、奴を道連れに幽冥魔境に堕ちるのと、どっちがいい」

「いちいち聞かなくてもわかるでしょ。私は行く」

「よく言った」


 ニドは、懐から短剣を取り出した。


「俺のだ。使え」


 進み出たタマリアは、引っ手繰るようにしてそれを掴んだ。そして両手で握り締める。


「案内してやる」

「ニド」

「うるせぇよ」


 背を向けながら、彼は冷たく言い放った。


「お前らは、タマリアを助けに来たんだろ? だったら手伝ってやったじゃねぇか。そんでこっからはタマリアの手伝いだ」

「死ぬだけだろうが」

「俺は『パッシャ』なんだろうが。なぁ……復讐より大事なことがこの世にあるか? 相手がクソ貴族なら、余計にそうだ。だから俺は行くぜ。タマリアもな……けど」


 せせら笑いながら、彼は付け足した。


「ついてくる分には、止めやしねぇぜ?」

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