それを断ち切るもの

「これが城内の見取り図だ。一応渡しておくが、しっかり頭の中に叩き込んでくれ」


 ヤシュルンがそう言いながら、人数分の紙を配る。


「よくぞここまで」

「これは、ここにいるドロルのおかげで作成できたものだ。ただ、彼が我々の手に落ちたことは、もちろんゴーファトも知るところだ。なんらか通路に罠が仕掛けられているかもしれん。過信はしないように」


 ニドが去ってから半日。元の拠点に戻ると、窓際に銅貨の塔ができていた。つまり、集合の合図だ。

 こうして夕方に、俺とアドラットがヤレルの宿に顔を出している。ノーラとルークは留守番だ。なぜなら、プルダヴァーツとその息子を守ってやる必要があるからだ。今はルーク自体が要介護の状態だから、実質、ノーラの魔術だけが頼りといえる。

 市内の紛争は、相変わらず散発的に続いている。それぞれの盆地の勢力が小集団を作って、市街地の中のちょっとしたバリケードに立て篭もって、牽制しあっているような状態だ。そして周辺をパトロールしては、敵対勢力と小競り合いを繰り返している。フリンガ城からは、これら暴徒達を鎮圧する動きはほとんどみられない。


「それで、今後の作戦だが」

「それも抜かりはない」


 自信ありげにヤシュルンは頷いた。


「コーシュティに続き、ミュアッソの協力も取り付けた。これだけいれば、一時的にフリンガ城を孤立させることもできる。問題は、どう仕掛けるかだが」

「正面からゴーファトが打って出るならよし、さもなくば」

「城内に潜入する必要がある。ただ、絡め手からとなれば、道筋を一つに絞るのは、むしろ悪手だろう」


 指を立てて彼は提案した。


「この際だ。ヤレル殿、あなたがたが真正面に立つのはどうだろう」

「異国の戦士が貴国の貴族を討つのはいかがなものか」

「既にパッシャとの関与は明らかだ。我々が全滅しない限り、この件でヤレル殿ら魔物討伐隊が責めを負うことはない。断言できる」


 窓際に陣取ったヤレルは、掌を顎に当てて考える。


「では、御身らはどうなされる」

「無論、城内に忍び込む」


 真ん中に広げた図面を指差しながら、彼は意見を述べ立てる。


「一隊が東から、もう一隊が北から、それぞれ四、五人の集団で入り込む。壁をよじ登っていくことになる」

「なるほど。ではその間、我々は、南側の正面から敵を引き付ける、と」

「そうなる」

「ではその間、アドラット殿、ファルス殿はどうなされる」


 意思表示を求められて、アドラットは答えた。


「そういう作戦でいくのなら、私は上空から参ります」

「なに?」

「ご覧になったはずです。私には騎獣のシャーヒナがいる。あれに跨って、上空から南側の城壁部分に降り立つことにします」

「目立って仕方がないな」


 彼は皮肉の滲むヤシュルンの物言いに、軽く首を振るだけだった。


「なら、尚更、好都合では。私がなるべく彼らの耳目を集めます」

「それも悪くはないか。では、ファルス、お前は」

「ヤシュルンさん、まだ前途ある少年を、このような仕事に駆り出すのはやめていただきたい」

「まだ言ってるのか」


 聞く耳持たずと、彼はまっすぐ指を向けた。


「戦う力があるのなら、使わないという手はない。犠牲が出てもやりきるしかない。でないと、何もかもが無駄になるんだぞ」


 アドラットが俺を戦わせたくないのは、理解できる。先日のニドとの殺し合いを見て、彼の言うところの「危うさ」がますます増していると実感しているからだろう。実際、自分でも正気ではないと感じることはある。

 しかし、パッシャの異能に立ち向かえるのは、アドラットでなければ俺しかいない。ワノノマの武人達も弱くはないが、それはあくまで人間としてだ。彼らのほとんどが刀や弓といった武器には熟練しているものの、水魔術を使いこなせるのは半分以下、他の魔法は使えず、神通力を操れるのは一人もいない。ヤシュルン達に至っては、それすらない。相手がゴーファトやナイザだけならともかく、今の状況では、力不足との印象が拭えない。


「で、いい考えがある」


 ヤシュルンの視線がドロルに向けられる。


「城を見張っていた仲間からの報告だが、西側の入口から、確認できたそうだ。一緒に処刑されるはずだったオルヴィータとかいう少女」

「無事だったんですか!」


 あっさり処刑されていてもおかしくなかった。ゴーファトは、まだ利用価値があると考えているのだろうか。


「暴徒どもも、まさか城攻めまではできやせん。タシュカリダの街中は荒らしまわっても、それくらいが関の山だ。だから、いつも通り、西側の扉を開けてはゴミ捨てをしていたという」

「よかった」


 薄皮一枚で、首が繋がっている感じかもしれない。だが、生きてさえいれば、救い出せる可能性もある。


「せっかくだから、彼女に入れてもらってはどうだ」

「はい?」

「こちらの考えはこうだ。ドロルを城に帰す。手紙をこっそりダヒアの部屋に放り込ませる。その日の夜、ファルス、お前が生ゴミを入れる、あの樽の中に身を潜める……大きさからして、我々では少し難しいが、お前ならぎりぎり入れるはずだ」


 作戦としては悪くない。城内の使用人が手引きして、中に入れてくれるというのなら。ただ、懸念点がある。しかし、それを口にするのも憚られる。


「これがうまくいったら、もちろんドロルには報酬を支払う。一生遊んで暮らせるだけの金は、約束してある」

「期待してます」


 ヤシュルンが肩に手を置くと、彼は薄ら寒い微笑を浮かべた。


「ゴーファト討伐に成功すれば、無条件に金貨三万枚。手紙を一通、扉の奥に押し込むだけだ。容易いことだろう?」

「はい」

「その手紙を見咎められたら、大変なことになりますが」


 相手には、デクリオンやアーウィンといった魔術師がいる。奴らが少しでも疑ったら、それでもう、すべて露見してしまう。


「相手には魔法を使えるのがいます。パッシャなんですよ。人の心くらい、当たり前に覗き見できる連中です」

「要は目に止まらなければいいのだろう。わざわざゴーファトの前に出向いて『逃げてきました』などと宣言する必要はない。城の住人なのだから、ただ帰って、ただ入れてもらえばいい。極端なことをいえば、手紙さえ差し入れたら、あとは城の外にまた出てくれても構わない。タシュカリダに留守番を置いておくから、そこまで戻ってきてくれれば、あとはこちらで保護する」


 そう考えれば、理屈の上では問題ない、か。

 ドロルがゴーファトの前に跪いて、必死で嘘を並べ立てる。その後ろにデクリオンが立っていたりすれば、すべて見抜かれる。だがそもそも、城門を潜ったすぐのところにゴーファトが待っていたりするものだろうか?

 まずは入口で門番なり守衛なりに声をかけ、入れてもらう。必死で逃げてきた、主人のところに報告に行く……ああ、その前に少し、トイレに寄らせてください……これだけでいい。あとは寄り道して手紙を放り込み、また逃げ出してしまえば。

 優れた魔術師であろうとも、相手を直接確認しなければ、その心の中は読み取れない。神通力にしても、基本的には同じこと。


 そうなると、やはり最大の懸念は、ドロルが裏切ること、か。俺はどうにも彼を信じられない。ドロルが金貨三万枚のために動くだろうか?

 下手をすると、俺は樽の中で何もできないままに殺される。それを防ぐには……


 ただ、作戦自体はそう悪くない。


「わかりました。やります」

「ファルス君」

「こればかりはヤシュルンさんの言う通りです。もう出し惜しみなんて、していられないんですよ」

「決まりだな」


 ヤシュルンが手を打った。


「決行は明日の夕方から夜にかけて。ドロルは今夜、城に帰す。真夜中なら、ゴーファトも眠っているから、報告は明日でという話にもなりやすい。その間に、ドロルは自己判断で安全を確保してくれ。奴らの望みを、ここで断ち切ってやろう」


 拠点の宿屋に引き返したとき、空気の味が変わっているのに気付いた。

 ほぼ真っ暗な中、開け放たれた表の門を通り、無人のカウンターを右手に見ながら、宛がわれた客室に立ち入る。室内には四人……いや、三人の気配があった。


「お帰りなさい」


 壁際に立ち尽くしていたノーラが、沈んだ声で言う。


「ただいま」


 何があったかを察して、俺も暗い声で返す。

 足下には、ルークが転がっていた。全身、汗びっしょりだ。そしてどうやら、意識を失っているようだ。ベッドの脇にはプルダヴァーツの息子が腰掛けているが、さっきから俯いたまま、動きがみられない。


「いつ?」

「ついさっき」

「そうか」


 プルダヴァーツが死んだ。

 火傷は、見た目以上に危険なものだ。焼かれた直後はまだ、意識もはっきりしていたりもするのだが、時間とともに体表面からどんどん水分が失われていく。また、皮膚が機能していないため、その内側は感染症に対して無防備になる。そして、この世界には点滴もなければ、抗生物質もない。


「慰めになるかどうかはわからないけど」


 俺は、石像のように座ったまま動かない息子のほうに、呼びかけた。


「明日の夜、城内に潜入する。首尾よくいけば、仇討ちも果たせるだろう」

「いいえ」


 だが、彼はポツリと復讐の意志を否定した。


「僕の父は、確かに悪辣な商人でした。普通では儲けられないから、こんな仕事にまで手を出して……それでしまいにはこんなことに」


 商才がない。それで少年達をゴーファトに売るという外道の仕事に手を染めた。それでも足りずに、実の兄まで手にかけた。


「情けないといえば、その通りですが……僕は、息子ですから」

「でも、仮にも親を目の前で殺されたのに、怒りは」


 彼は首を振った。


「父さんは、最後に言いました。ありがとう、申し訳なかった、って」


 彼の視線は、足下に横たわるルークに向けられていた。


「あれだけいじめられていたルークが、最後まで父さんの痛みを減らすために……なのに、恨みだって、仕返しだなんて」


 そこで言葉が途切れた。感極まって、鼻声になる。


 ここで起きたことは、この父子にとっては悲劇だ。ただの商売でやってきただけの土地で、いきなり紛争に巻き込まれ、命を落とした。しかし、そこに至るまでの道筋には、恨み恨まれる連鎖があった。

 プルダヴァーツは、何人もの少年をゴーファトのために用立ててきた。恨まれる側の人間だ。一方、彼自身も恨んでいた。家督を奴隷出身のルークに譲りかねない兄に対してだ。だが、兄を始末して家督を手にしたにもかかわらず、彼の中の怒りはなお収まらなかった。だからこそ、ルークをゴーファトに売りつけようとした。他の少年達のように去勢され、或いは殺されてしまえば。

 だが、そんな連鎖が今、ここで断ち切られた。プルダヴァーツはルークへの憎しみを捨てた。父を殺されたその息子も、ニドへの復讐を望んでいない。


 足下に倒れこんだままの少年は、今、ここで何をなしたのだろうか?

 この因縁と怨恨の地に、何をもたらしたのか?


 アドラットが声を発した。


「明日の夜からは、決戦になる」


 さっきヤシュルン達と合流した時に手に入れた食料を近くのテーブルに置き、それから懐をまさぐった。


「君はこれからどうする」

「しばらく父の傍に」

「わかった。ではこれを」


 アドラットが握らせたのは、十数枚の金貨だった。


「多分、私達は戻れない。戻ってくると期待してはいけない。だから、済まないが自力で切り抜けて欲しい。うまくいけば、そのうちにアグリオも平和になるだろう」


 それから、ノーラに向き直る。


「明日、ファルス君は城内に忍び込む。ノーラ君、君はルーク君を連れて、ここから」

「逃げません」


 杖を突きたてて、彼女もまっすぐ向き直った。


「ここで手を放したら……何しにここまで来たか、わからなくなる」

「ああ、俺もそう思う」


 その声は、足下から聞こえた。


「タマリアとディーを助けにいくんだろ? だったら俺も連れていってくれ」


 ようやく意識を取り戻したルークが、弱々しい笑顔でそう言った。

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