不幸な航海の真実

 肌にへばりつくのは闇か。それともスーディアの夏の夜の湿気か、はたまた自分の汗か。

 俺達四人は、息を殺し、足を忍ばせて路地裏を駆け抜けていた。


「……あそこに四人……今、右に追い払うから」


 とりわけ、ノーラの消耗が激しい。ひっきりなしに『意識探知』を繰り返し、必要であれば『暗示』や『認識阻害』を行使して、俺達の移動を助けている。


「行ったわ」

「すげぇ」


 ルークがポツリと感想を漏らす。


「なんでそんな魔法なんてもん、使えるんだ……すげぇ」

「いろいろあったのよ」


 言うまでもなく、ルークの表情からは、羨望が見て取れた。


「運がよかっただけだ。ルーク、ここを切り抜けたら、将来は何でもできる。魔術の本物の教本もいくつかあるんだ」

「あ、ああ」


 或いは手っ取り早く、神通力でも移植してやろうか。

 既に十二歳になった彼だ。これといった職能を持たないままで身分もない彼の将来は、決して明るくない。本来なら、あと二年は早く修業に入るべきところなのだ。その機会が得られなかったのは、先代の主人が海難事故で死んだせいだろう。今の主人、プルダヴァーツに嫌われて、スキルアップできる仕事から干されたのは、痛恨事だ。


「大通りを渡るわよ。あちらがタシュカリダ」

「よし」


 俺達のやり取りを、アドラットは難しい顔をして見つめていた。

 一昨年の内乱で逆賊を討つ活躍をし、今年の初春には黒竜まで退治した異常な少年。しかも、その周囲にも異常が溢れかえっている。奴隷出身のはずが家には魔術書が何冊もあり、誰も知らない魔法のゴブレットを持っていて、しかもお供に連れている少女まで、信じられないほど高度な魔法を使いこなす。

 だが、彼は俺に対して何もしないだろう。彼が討つべきは邪悪であって、異常ではないのだから。


「大通りには、見張りが哨戒してるみたいね。あっちから大回りすれば、行けそう」


 ここまで一度も戦闘に至ることなく、安全を確保しての移動ができている。キースは、こんな力に頼ると弱くなると警告したが、裏を返せばそれだけ有用ということだ。やはりあるとないとでは、こういう場合、大違いになってくる。


「着いた」


 石造りの小洒落た門をくぐる。市内が混乱する前と何ら変わらない。開け放たれた木の扉には傷もなく、すぐ目の前の前庭も、その向こうにあるテラスも、以前のままだ。よく見ると、俺がここを脱出するときに放った火球のせいか、右の外壁の一部が砕け散っていたが、目に付く損傷はそれくらいで、建物が全焼するなどの被害には至っていない。ただ、やたらと人気がなかった。

 普段であれば、ここに門番がいるはずだ。しかし、今は門の脇の小屋に灯りも点されていない。


 俺達は足早に建物の内側へと駆け込んだ。それから階段を駆け登り、俺の部屋へと雪崩れ込む。


「窓を閉めて」


 言い終える前に、アドラットが静かに閉じていた。それで俺は、指先を蝋燭に見立てて、小さく火を点した。室内を見回して、まだランタンがあるのに気付き、灯りを移す。


「じゃあ、碑文の写しを」

「待て」


 アドラットが床を指し示している。そこには、俺のリュックが横倒しになっていた。


「荒らされている」

「お金は取られたかもしれませんね」


 果たして、リュックの中の金貨は、半分以上なくなっていた。それでもまだ、ざっと見て三百枚くらいは残っているはずだ。薄暗い中、中に手を突っ込んで検分する。金貨を包んだ袋は一つでなく、小分けにしてあった。それが幸いしたのだろう。衣類や道具に囲まれた合間にあったので、気付かれずに済んだのだ。


「それより……あ、あれっ? ない?」


 残りの碑文の写しが、どこを探してもない。

 痺れをきらした俺は、リュックの口を上に向け、中身を全部引っ張り出そうと身構えた。


「どうなってるんだ?」

「待って」


 ノーラが声をあげる。振り返ると、彼女は部屋の隅に立っていた。


「もしかして、これ?」

「え」


 腰を浮かせて駆け寄ると、果たしてそこには、ズタズタに引き千切られた紙片が散らばっていた。これでは解読も何もできたものではない。


「なんてことを」

「誰が……」

「アドラットさん、少しでも読めますか」

「どれ……『肉体』……『捨てよ』……『その身より力は失せ』……『銀の杯に』……これは『薬』と読むのか? 済まないが、文章としては読めそうにない」


 俺は歯噛みしながら、犯人を特定した。


「マペイジィだ。奴しか考えられない」


 彼だけだ。俺が碑文の写しを持っていることを知っているのは。もちろん、ノーラも使徒も知ってはいたのだが、彼らには解読を妨害する理由がない。

 或いはパッシャにもその理由ならあったのかもしれないが、彼らが俺の荷物を漁ったとして、偶然に碑文のコピーを発見しても、こんな真似はしないだろう。最悪、俺の邪魔をするとしても、写しを盗むにとどめる。なぜなら、俺はなくした写しを探さなければいけなくなるからだ。

 これみよがしに破り捨ててみせるのは、マペイジィだけだ。彼は、人が女神の支配以前の世界を知るのを望んでいないようだ。してみると、彼の立ち位置は、よりヘミュービの意志に近いのかもしれない。話し合いの通じたダニヴィドやノーゼンとは考え方が違う。となれば、俺にとっては脅威だ。


 しかし、では金を盗んだのは誰だろう? これは誰でもいいし、いくらでも可能性なんてある、か。暴徒がここまでやってきて、俺の荷物を漁ったのかもしれない。

 それより、あの日の午後、裏庭にいた俺達を襲った連中は、結局、誰だったんだろうか?


「残念だけど、引き返そう。この紙は一応、繋ぎ合わせてみるとして。多分、無駄だと思うけど」


 あのジジィ、どうしてくれよう。

 俺は正義の味方ではない。あくまで自分の都合で動いているに過ぎないから。それでも、ゴーファトを討って恐怖政治を終わらせ、パッシャの企みをくじいて世界の混乱を防ぐ立場にいる。奴とて目的は同じだろうに、なぜにここまで足を引っ張るのか。

 碑文の写しを破り捨てたこと、またその年齢や出自を考えても、多分、奴は碑文を読めるか、内容をおおよそ知っている。なのに情報共有もせず、その取得を妨害して、戦いにも協力せず、好き勝手に振舞っている。今度ダニヴィドかノーゼンに会う機会があったら、是非とも抗議したいところだ。


「あっ」


 これから移動ということで、またノーラは精神集中を始めた。そこですぐ、顔色を変えた。


「ごめんなさい」

「どうした」

「見落としてた。気配が、廊下の向こう側に……二人、ううん、三人かしら?」


 この真っ暗なホテルに、まだ人が居残っている?

 或いはゴーファトの兵だろうか。俺が戻ってくる可能性を見越して、見張りを配置しておいたとか?


「こっちには気付いている?」

「えっと……二人とも、多分、気付いてないけど、その……何かしら、これ……」


 漠然とした調査では認識できず、やむなく彼女は魔術の深度をあげた。既に疲労している。負担になるから、やりたくなかったのだろうが。


「縛られてる?」

「えっ?」

「息子……動けないのは父親で、息子が近くで……怯えてる」


 つまり、監禁されているということか。

 正直、今の状態では、構ってなどいられないのだが……


「ファルス」

「駄目だ」


 アドラットすら判断に迷う中、ルークは目に強い光を浮かべてこちらを見た。だが、俺は首を横に振った。


「僕らも安全じゃない。他人を背負い込める状態じゃない」

「だけど」


 その時、短い悲鳴が壁の向こうから聞こえてきた。


「あつっ!」


 不意にノーラがビクッと体を跳ねさせた。


「どうした」

「火……火をつけたのかしら? あんまり熱くて、いきなりで思わず」


 侵入先の精神との接続も切れた、か。


「場所はわかるか」


 アドラットが決断したらしい。


「え……あ、はい。ここからまっすぐ」

「行こう」

「アドラットさん」

「確実に死ぬとわかっていて見殺しにするわけにはいかない。それに、火災となれば犠牲者は彼らだけに留まらないだろう」


 それに、俺の火魔術を使えば、今なら消火も間に合うかもしれない、か。


「……火を消し止めて、縄を切って助けたら、あとは捨てていきます。それでいいですか」

「充分だ」


 歯噛みしながらも、俺達は部屋を飛び出した。


「そこ、突き当たりの部屋」


 ノーラの指示に従って、俺は慌てて扉を開ける。途端に眩い光が目を焼いた。


 高級ホテルの一室なだけあり、足下には上質な絨毯が敷き詰められていた。それが今、赤々と燃え広がりつつある。部屋の奥からだ。その少し手前、壁際よりこちらに近いあたりに、椅子に縛られた男がいた。顔は腫れあがっており、何度も殴られたのが明らかだ。その足下には、同じく縛られて転がされたままの少年がいた。


「伏せろ!」


 考えるより前に、直感が危険を訴えていた。

 爆音が頭上を突き抜けていく。耳を聾する轟きの中で、ようやく思考がポツリポツリと理由を告げていく。


 俺が危険を感じたのはなぜか。二人とも縛られているのに、床が燃えている。では、誰が火をつけた? こんな無人の場所で、どうしてわざわざこんな殺し方を選んだ?

 火をつけた奴がいる。そいつの目的は、この二人を焼き殺すことではない。それは手段だ。目的は……


 手早く『消火』の魔術を行使して、延焼を防ぎつつ、俺は転がりながら起き上がった。

 天井が吹き飛んで、なくなっていた。太い木の柱は途中から完全にへし折れてしまっている。その上に、黒衣の少年がまっすぐ立っていた。


「ニド!」

「勘だけはいいな」


 してやられた。とはいえ、これも予想しておくべきだった。


 ノーラの精神操作魔術については、既にパッシャには悟られてしまっている。いや、術者がノーラかどうかは確定ではないが、とにかく誰かがあの処刑の時、魔術か神通力でゴーファトの兵士を同士討ちさせたことはわかっている。

 デクリオンなら、自分の得意とする能力の弱みや攻略法についても、熟知しているはずだ。以前、俺がルースレス相手に不覚をとりかけたときもそうで、相手が精神操作魔術を使っていると気付いている場合、対象は自分の意識をうまく保つことで高い抵抗力を得られる。

 ニドはパッシャの戦士として訓練を受けている。その彼が、ファルス一行の精神操作魔術の可能性を知らされていれば、どうするか。俺達がこちらを目指していると知った時点で、大急ぎで罠を仕掛けた。難しいことはない。相手が勝手に探知して、勝手に引っかかるのだから。


 幸い、今の奇襲に引っかかった仲間はいなかった。アドラットが即座に反応して、ノーラとルークを庇ってくれたからだ。しかし……


「うぐがっ、ぎゃああ!」


 最初から床に転がっていた少年のほうはともかく、椅子に縛られていた大人は、爆発の直撃を受けなかったものの、巻き起こった炎に飲まれ、上半身に火が燃え移ってしまっている。


「いかん!」


 アドラットは飛び出すと、自分の上着で彼を包んだ。空気を遮断して、火を消し止めようとしているのだ。

 ルークも同じように、縛られた少年を自由にしようと駆け寄り、そこで叫んだ。


「プルダヴァーツ様!?」


 あかあかと燃える炎が、少年の顔をはっきり見せてくれた。

 そうだ。フリンガ城の中庭で会った、ルークの所有者。そしてこの少年は、その息子だ。


「どうしてこんなことに」

「助ける必要なんてないぞ」


 上から無慈悲な声が響く。思わずルークは振り返った。


「お、お前! ファルスから聞いたぞ! ウィストなんだってな。どうしてこんなひどいことをするんだ!」

「お前が怒るのはお門違いだ」


 俺達を柱の上から見下ろしつつ、ニドは肩をすくめた。


「これでも気をつけたんだぞ? 他は巻き込んでも、お前にだけは当てないように……そのせいで、一人も当たらなかった。ハハハ」

「なに笑ってるんだ! 人に大怪我させたんだぞ!」

「そいつ、お前の持ち主だろ? プルダヴァーツっていう」


 アドラットが懸命に火を消そうとする。俺も会話が続いているうちにと、こっそり魔術で支援する。だが、火が消えてもプルダヴァーツの上半身には、既にかなりの火傷が広がっていた。


「そうだ」

「だったら、殺したほうがお前のためだろ?」


 縄を切り、弱りきったプルダヴァーツを床に寝かせる。まだ生きてはいるが……


「事情は聞いてる。その商人は、お前のことを随分いじめたらしいじゃないか」

「だ、だけど! 俺は別に、殺されたりなんてしていない! お前のはやりすぎだ!」

「確かに、コヴォル……お前は殺されなかったなぁ?」


 何を言っている?

 少年の方の救出はアドラットに任せて、俺もニドに向き直った。


「でもな。そいつは死んで当然の男だ」

「なんでそんなこと、言い切れる」

「人を殺している。それも、欲得づくで」


 プルダヴァーツが? 殺人犯?

 驚いて一瞬、振り返った。


「組織が軽く調べてくれたよ。ファルス、お前も人の心を読めるんなら、そいつが何をしたか、わかってるんじゃないのか?」

「なんだと」

「しらばっくれるのか。これだから権力の犬は……ったく」


 これは困った。今、精神操作魔術を使えるのはノーラですとは言えないし。

 だが、幸い、ニドが自分で続きを言ってくれた。


「ルーク、お前、トーキアに里帰りしたんだってな」

「あっ、ああ」

「先代の持ち主が、真面目なお前に期待をかけてくれて、だから商売のついでで、そこまで立ち寄ってくれた」

「そうだ」

「だけど、その優しい先代は、エキセー地方からピュリスに向かう船旅の途中で、海に落ちて死んだ」


 ここまで言われて、ルークも意味を悟ったらしい。


「まさか」

「そうだ。そいつ、先代の弟が、前の主人を海に突き落として殺した張本人だ」

「そんな、父さん!?」


 縛めを解かれた少年が、身動きもできずにいる父に駆け寄って、膝をつく。


「理由は……もうわかるよな。先代には娘しかいなかった。だが、ルーク、お前がいた。見所がある少年だと思い、奴隷から解放して娘の夫にし、ゆくゆくは稼業を継がせようとしているのではないか」


 フォレスティア王国では、相続権は基本的に男にしかない。それは貴族も庶民も同じ。例外は、男性の親族が死に絶えた場合だけだ。

 先代には娘しかいなかった。このままなら、彼女らは全員嫁に行き、家督の相続はプルダヴァーツにまわってくるはずだった。しかし、ルークが入り婿になってしまったら、話は変わる。


「だから手っ取り早く始末したってわけだ。ついでに、自分の身分を脅かした恨みつらみで、お前につらく当たった」

「そんな……」

「食っていけないわけでもないのに、血を分けた家族まで殺して利益を得る。そんな奴は、殺して当然だろ?」


 知らされた真実に、ルークは呆然として立ち尽くした。


「じゃ、じゃあ」

「ああ」

「俺のせい、なのか」

「なに?」


 頓珍漢な彼の一言に、ニドが初めて驚きの声をあげた。


「どうしてそうなる」

「俺は……買い取ってくれた主人のためと思えばこそ、真面目に働いた。頑張って勉強もした。でも、そのせいで死なせてしまったのか」

「あのな。死なせたんじゃない。そこのそいつが殺したんだぞ」


 振り返ったルークは、しかし、沈痛な面持ちで首を振った。


「俺が余計なことをしなければ。身の程を知っていれば……気付いてあげられれば、この人も、兄を殺さずに済んだ」

「おい」


 苛立ちを感じさせる声で、ニドは喚きたてた。


「俺はお前がバカだって、よーっくわかってる。収容所にいた頃から物覚えも悪かったし、やることなすこと見当違いだったしな。けど、まさかここまでイカレちまってたとは、さすがの俺にも想像できなかったぜ」

「イカレてるのはお前だ、ウィスト」


 ルークはあくまで悲しげに、非難をこめるのでもなく、静かにそう言った。


「こんなことをしても、誰も救われない。死んだ人も生き返ったりはしない」

「はっ! で? じゃあ、どうすればいいんだよ」


 するとルークは、黙って手を差し伸べた。何もない、この夜の虚空の中に。


「俺の手を取ってくれ」

「なんだって」

「もう、そんなひどいことはやめるんだ。ついてこい。人として生きよう。やり直そう」


 あまりといえば、あまりな提案に、ニドはしばし絶句した。いや、俺も何も言い出せなくなった。

 だが、ややあって、やっと彼は気を取り直したらしい。


「あべこべだろ?」


 柱の上で前屈みに構えてみせながら、彼はルークに言った。


「お前が俺の手をとるんだ」

「どう違う」

「お前は今まで、奴隷の身分で散々苦しんできた。でもそれはお前が悪いんじゃない。この世界が悪いんだ。だから」


 広げた掌を握り締めて、ニドは叫んだ。


「俺についてこい! こんな腐った世界は、ぶっ壊してやろう!」

「違う!」


 苦しげに顔をゆがめて、ルークは首を振った。


「お前の言う通りだ! でも違う!」

「どう違う? これが世界だ。理不尽の固まりだ。違うか」

「そうだ! ここはひどい場所だ、ニド……だから」


 ルークもまた、手を握り締めて叫んだ。


「手の届く限り、一人でも助けなくてはいけないんだ!」


 迷いのないこの一言に、今度こそニドは何も言い返せなくなった。


「俺は……妹も、母さんも、誰も救えなかった」


 ルークは、目尻に涙を溜めながら、か細い声で訴えた。


「俺の世界はもう終わったんだと、そう思った。だけどファルスが立派な騎士になったって聞いて、嬉しかったよ。たまたま俺が駄目だった。ただ俺が無意味な奴ってだけだった。それだけなんだって。これ以上はなくさずに済むんだって」

「そんなわけねぇじゃねぇか」

「そうだ、そうだよ……なのに、いつの間にかみんな、傷だらけになっていて。俺の世界は終わってなんかなかった。みんな苦しんでる。悲しんでる」


 胸の奥からこみ上げる激情のままに、彼は思いをぶちまけた。


「終わってない! いいや、終わりにしちゃいけないんだ! 目を閉じて耳を塞いで、何もかもを見捨てても! そこにいる! いるんだ! そこに、お前も……」


 これ以上は続けられなかった。言葉は形を成さず、咽び泣きに取って代わられた。

 床を舐める炎の舌に、小さく木の板が爆ぜる。すぐ後ろからは、苦しげに息を継ぐ男と、それに寄り添う少年の嘆息が聞こえる。そしてニドもまた、表情を変えずにその様子を見下ろしていた。


「ケチがついたな」


 心底うんざりした、というような口調で、彼は吐き捨てた。


「わかった。ルーク、お前は帰れ。帰って平和に暮らせ」


 その一言で、俺は気を引き締めた。

 ニドが何しにここで待ち構えていたか。誰を殺したかったのか。それがわかったから。


「アドラットさん、済みませんが、ルークとノーラを」

「ファルス君、それはいけない」

「話し合いは終わったんです。このままでは、二人とも巻き込まれる」

「そうだぜ?」


 頭上からの声に、アドラットも向き直る。


「それとも、お前もやるか? ええ、女神の騎士さんよ。年端もいかないガキをその手で殺してみるか?」


 ニドの憎しみはもう、多分、手遅れだ。

 説得できないのなら、戦うしかない。戦うとなれば……


「それなら俺も手加減できねぇなぁ。うっかりどこを焼いちまうか」


 ……殺すしかない。


「すぐ戻る」


 舌打ち一つ。アドラットは横たわったままのプルダヴァーツを抱えあげる。守るべき人がいる状況で、無理に居残るわけにはいかない。説得している間に、自分以外の誰かが殺されてもおかしくないからだ。


「ルーク君、それにノーラ君、二人は彼を」

「アドラットさん、俺は」

「今は逃げるんだ!」


 片腕でプルダヴァーツを肩に抱きかかえると、残った左腕で無理やりルークの腕を取った。


「走るぞ!」


 アドラットは一人を背負い、一人を掴んだまま、強引に廊下のほうへと走り去っていく。その後を二人が追う。

 この場には、俺とニドだけが残された。


「やっと静かになったな」


 頭上からの挑発的な声に、俺はそっと剣を引き抜いた。


「もうすぐ、もっと静かになる」

「そいつはよかった。きっとよく眠れる」


 一瞬の静寂の後、場は爆発音に包まれた。

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