不自然な総力戦

「さて、これから……ですが」


 俺は三人の顔を見渡しながら、話を進めた。


「何を優先するか。どうしたいですか?」

「それは誰に尋ねているのかね」


 俺の問いかけに、アドラットは質問を返した。この場合、至極もっともなことだ。


 アドラットは、ゴーファトを討ちたい。但し、その立場はヤシュルン達とまるで違う。彼らは、始末できさえすれば、あとはどうなってもいいと考える。アドラットは、女神の名の下に悪を討たねばならない。だから、犠牲を極力小さくしたい。

 彼が、あの日の午後、ホテルの裏庭に殴りこんできた連中を殺さず、ただ殴るだけにとどめたのも、そういう考え方があるからだ。一般人を犠牲にして勝利を得ても、それは勝利とは呼べない。

 俺とは近い価値観の持ち主で、その意味ではやりやすいのだが……


「僕の任務は、スード伯の暗殺でした。ですが、事ここに至っては、もうその形にこだわる意味もないのでは、と思います」

「ふむ」

「アグリオは混乱状態ですし、ゴーファトがパッシャと繋がっている事実は、王家の隠密はもちろんのこと、ワノノマの魔物討伐隊もはっきり目撃しています。彼らの代表を一人ずつ伴って、ここは王都に逃げ帰るのも手ではないかと」

「なるほど」


 俺のこの考えも、おかしなものではない。既に個人が対処できる状況ではなくなりつつある。

 暗殺は、相手が無防備であればこそ成立する。しかし、いまやこの地は戦時に等しい状況にあり、負傷した標的は城内に篭って傷が癒えるのを待っている。その城内には、少なく見積もっても千人以上の兵士が詰めているのだ。

 更にいえば、ゴーファトが求めているのはこの俺だ。俺が逃げてしまえば、目的は果たされず、あちら側に勝ちを譲る結果にはなり得ない。


「私は反対」

「ノーラ、なぜ」

「まだ、タマリアもディーも捕まったままなのに」


 そこはもちろん、引っかかっている。どうでもいいわけではない。


「わかってる。だけどノーラ、いくらなんでも無理だ。今は市内も混乱してるし、戦力も十分集まっていない。それでも、ゴーファトの周りには千人以上の私兵がいる。それを全部倒して、二人を助け出せって? 無茶だよ」

「だけど」


 俺はじっと彼女を睨みつけた。


「力が普通よりあるから、何かできるかもってか? そんなの、僕は何度も思ったよ。でも、言うほど簡単じゃない」


 最強クラスの精神操作魔術は、確かに大きな力になる。最初の関門を突破するくらいなら、できるかもしれない。ただ今回に限っては、アーウィンやデクリオンといった、その手の作戦の通じにくい難敵が控えている。

 少しきつい言い方になるが、ハッキリさせておこう。自戒とともに。


「力に溺れてるんじゃないのか?」


 その一言に、アドラットが反応した。


「じゃあ、やっぱり君がやったのか」

「は、はい?」

「兵士達がいきなり同士討ちを始めたのは、あれはファルス君ではなく、君が」


 その言葉に、彼女は俯いてしまった。

 アドラットは、難しい顔をして溜息をついた。


「やむを得なかった。君は自分の身を守っただけだ。そこには何の罪もない」

「はい」


 その点だけは、俺も同意できる。よく無事でいてくれた。


「ノーラ、せっかく助かったんだ。幸運は大切にしなきゃいけない。欲張りすぎたら、何もかもを失うかもしれないんだから」

「答えが出たね」


 アドラットが悪戯っぽく笑う。


「はい?」

「優先順位だよ。まずは、ここにいる人の安全。安全のためには、まず体力を残しておくことだ。ノーラ君、それとルーク君、二人とも、昨夜は牢屋の中で、ろくに眠れなかっただろう。ここは宿屋だから、他にも部屋がある。好きなところで、のんびり寝たらいいよ」


 なんとも暢気なことを。一人になりたい気分かもしれないが、もしそこをアーウィンに襲撃されたら……

 だが、俺はあえて口を挟まなかった。今気付いたが、ノーラもルークも、どこか危うい表情をしている。一度休ませたほうがいいかもしれない。

 それに、俺は自分以上の能力を持ち、かつピアシング・ハンドを受け付けないアーウィンをひどく恐れているが、同時に不可解な印象も抱き始めている。彼は十分な力を有しているはずなのに、なぜかあまり働こうとしないからだ。とすると、案外のんびり休んでも、いきなり襲われたりなどしないのかもしれない。


「それがいい、かな。どうせ今は昼だし、外を出歩くのも危ない。あまり遠くにいかないで、部屋の中で寝たらいい。見張りは僕とアドラットさんでするから」


 ルークが何か言いたそうな顔をしていた。


「あ、ファルス……その」

「なにか?」

「その、城の中、なんだけど」


 少しは道筋を知っていたりするんだろうか。


「大丈夫、寝てからでいいよ。僕も慌ててない」

「そうじゃなくって、その」


 目を泳がせながら、彼は実に言いにくそうにして、やっと口にした。


「おれ……ぼっ、僕以外にも、捕まってたのが、男の子供ばっかり、何人も……で、地下に連れて行かれて」

「えっ?」

「一度だけ、悲鳴も聞こえたんだ。あれって、多分……だけど、僕はファルスの知り合いだってわかって、それで別の牢屋に送られて」


 少年をたくさん集めて、何をしていたのか? 悲鳴が聞こえたのだから、殺したり、痛めつけたりしたんだろう。でも、そんなのは、ゴーファトにとっては日常だ。

 とはいえ、時期が時期でもある。それにあの神殿で見つけた大勢の遺体は、明らかに何かの儀式の結果、残されたものだった。とすると、今もそれを継続している?


「はっ、早く助けてやりたい、けど」

「わかってるよ」


 アドラットが立ち上がり、ルークの肩に手を置いた。


「君の気持ちはわかった。私もそうしたい。だけど、慌ててもどうにもならない。今は休もう」

「でも」

「なに、心配はいらない。冴えないおじさんだけど、一応、これでも私は女神の騎士だからね」


 そう言って、静かに微笑んでみせた。


「さ、ノーラ君も」

「はい。休みます」


 彼女はすっと立ち上がった。それでルークもベッドから腰を浮かせた。

 二人が立ち去り、足音が遠ざかるまで、俺とアドラットは黙り込んでいた。


「……危ういな」

「ですね」


 確かに、二人とも危なっかしかった。ちゃんと見ているつもりで、見えてなかったのかもしれない。

 ノーラにとっては、実質的に初めての実戦だった。実戦は、頭で考えるのとは全然違う。目の前で人が血を流して呻き声をあげ、死んでいくのだ。今日、彼女が操って同士討ちさせた連中は、重傷を負った。あれで死ぬのか、それとも助かるのかは、まだわからない。すぐに槍を抜いて、止血に成功すれば、或いは命だけは救われるのかもしれない。いずれにせよ、その結果を俺や彼女が知ることはないだろう。だが、「殺したかもしれない」というだけでも、心には少なからず重苦しいものがのしかかってくる。

 ルークにとっても、今日に至るまでの体験は楽なものではなかった。いきなり拉致され、生贄にされそうになり、そこから助かったと思ったら、今度はいきなり処刑命令だ。虚勢だとしても、恐怖を表情に出さずに兵士を挑発してみせただけ、立派なものだ。だが、その裏で心が蝕まれていても、まったく不思議ではない。


 だが、俺が頷いていると、アドラットは非難がましくこちらを指差してきた。


「違う違う、ええと……君? あなた?」


 呼び方に困って言いよどんだので、助け舟を出した。


「じゃあ、君で」

「なら、ここだけはあなたにしよう。心に留めておいて欲しいから。一番危ういのは、あなただ」

「はい? 僕?」


 彼は真剣な眼差しを向けて、はっきり言った。


「そう、あなただ。あれだけ戦って、人が死ぬのも見て、顔色一つ変えていない。そういう恐怖にさらされた同年代の少年達をみても、その気持ちに対して鈍感になっている。これが例えば、怖くて仕方がなくて周りが見えていないというのならまだいいが、あなたのはそうじゃない」

「まぁ、それは」

「由々しきことだ。悪いことは言わない。今回を乗り切ったら、剣など捨てて平和に生きて欲しい」


 それはできない。

 この後の目的地は、人形の迷宮だ。うまくいっても、あと一度だけは、戦わなければいけない。


 俺の意志が変わりそうにないのを、顔色から見て取ると、彼は溜息をつきながらベッドに腰掛けた。


「それと、もう一つ、気になることが」

「なんですか」

「私は、ここから逃げるべきではないと思う」

「それは……あなたは女神の騎士ですから、使命からは逃げられないでしょう」

「そういうことではなく、納得できていないからだ」


 彼は俺をじっと見据えて、周囲に目配りしながら、やや小声で言った。


「君が手に入れたという古代フォレス語の文字……あれを思い返すと、確かにゴーファトは、君という新しい体を欲しがっていると、そういう解釈もできる」

「そうじゃないんですか? でも、そう考えれば辻褄は合いますよ。だって、僕になってしまえば、僕に譲ったスーディアの統治権も取り戻せますし」

「さっきルーク君は、儀式が続いているらしいことを口にしていた。でも、本当に君なしで目的を果たせないのなら、作業は中断するはずだ」


 言われてみれば、そういう考え方もできるか。


 それに……

 別の疑問点も、ないでもない。


 さっきの戦いでは、パッシャの幹部が大勢、姿を見せた。はっきりいって、あれは彼らの最大戦力だ。投入できる限りの人材を掻き集めて、今回の作戦に当たっていると、そう解釈できる。

 そんな彼らの目的は『世界の修復』だ。しかし、田舎の貴族が一人、ムサいオッサンから美少年に生まれ変わるだけのことが、そんなに大事な目標だろうか? またもし、それが大目標だというのであれば、俺に勧誘なんて仕掛けられないだろう。だって俺がパッシャの仲間になってしまったら、ゴーファトは生まれ変わることができない。それは自動的に、パッシャの今回の大計画の変更をも意味することになる。

 また、もう一つ。力のかけ方がおかしい。この前の内乱、あれも大変な騒ぎではあったが、あの計画のために動いていたのは、クローマーだった。手練の隠密ではあるが、どう見ても最上級幹部ではない。俺が知らないだけで、他の幹部もいたのかもしれないが、ここまで盛大に戦力を投入したのでもないはずだ。少なくとも、アーウィンみたいな究極兵器をあそこに立たせておけば、それだけで長子派が勝っていたに違いなく、それをしていないということは、国家の乗っ取りという大事業でさえ、今回の計画ほどの重要性はなかったと解釈できる。


 今回、パッシャは明らかに総力戦でことに臨んでいる。事件の規模感からするとあまりに不自然なのだ。


「まだ、重要なことが明らかになっていない。私はそう感じている」

「おっしゃる通りかもしれません」

「でも、今は休もう」


 そう言うと、彼は帽子を被りなおした。


「どこへ行かれるんですか」

「悪いが、君は起きたまま、二人の安全を確保して欲しい。私はみんなの食料を確保しに出る」

「危険です」

「誰にとってもそうだよ」


 論理的には、食料探しが次の作業になってしまう、か。ノーラが持ち運んでいた僅かなパンと干し肉では、すぐにみんな飢える。誰かがリスクをとって、調達に出かけなくてはいけない。


「待ってください。それは僕が何とかします」

「駄目だ。君こそ替えが利かない。だが、私が戻らなければ」

「僕もここを出ません」

「なに?」


 仕方がない。シーラのゴブレットを使う。


「安心して眠ってください。僕のとっておきをお出しします」


 夕方、この部屋にまた四人が集まった。季節は既に夏、高温多湿のスーディアでは、この時間になってもまだなお暑い。

 アドラットは、怪訝そうな顔をしていた。


「本当に食べ物があるのかとは思っていたが」


 全員の目の前に出されたのは、四つのコップ。そこに真っ白な液体がなみなみ注がれている。しかし、それだけだ。


「牛乳があるのはありがたいが、これではノーラ君の貴重な食料を食べ尽くしてしまうことになる」

「いいえ。これを飲むだけでいいんですよ」

「私はそれでも我慢するが」


 彼の表情は曇ったままだ。そもそも、この飲み物に不審の念を抱かずにいられるだろうか。混乱状態のアグリオで、新鮮な牛乳など、手に入るはずもない。この蒸し暑さもある。飲食できる安全な状態が保たれていないとも限らない。

 だから、率先してコップを取り、一気に呷った。


「ん……んっ!?」

「いい味でしょう? さ、ノーラもルークも」


 俺は自分のコップに手を伸ばし、当たり前のように飲んだ。冷たくて、ほんのり甘い。それに力がみなぎってくる。


「えっ?」

「おお!」


 二人とも、信じられないというような顔をした。


「これ、どこで手に入れたの?」

「ああ、まぁ、その、なんだ」


 シーラのことをすっかり説明してしまうわけにはいかないので、いろいろと端折ることにした。


「アルディニアで、偶然見つけた魔法のゴブレットのおかげだよ。どういう仕組みになっているのかわからないけど、中から牛乳みたいなものが出てくるから……不思議と、これだけでもお腹が空かなくなる」

「そんな魔法の道具なんて、聞いたこともないが」


 アドラットも大いに驚いていた。

 それもそうか。『断食』の神通力はあっても『食物作成』なんて神通力は、俺も知らない。それに狭義の魔法となると、更に機能が限定される。こんな品があるはずもない。


「僕も聞いたことなかったんですけどね、とにかく論より証拠です。あるものはある……ただ」

「ああ、もちろん他言はしない」

「助かります」


 これでリスクを取っての食料採集はしないで済む。

 それより、話題を逸らしつつ、目的について話し合わないと。


「で、これからの行動なんですが」

「考えはあるのかな」

「はい。タシュカリダのホテルに引き返そうと思います」


 三人を見渡しながら、俺は続けた。


「あそこには、僕の荷物があります。碑文の写しもありますから」

「地道だが、着実にゴーファトとパッシャの狙いを確かめようということか」

「逃げるにせよ、戦うにせよ、その後で考えてもいいでしょう」

「納得できるが……」


 アドラットは他の二人をちらと見た。


「彼らはどうする」

「連れて行きます」

「危険だ」

「残しておくほうが危険でしょう」


 アーウィンには、ノーラの精神操作魔術が効かない。『人払い』をかけても、あっさり居場所を千里眼で見破り、瞬間移動で急襲してくる。また誘拐されて、城の中に連れ込まれたのでは、さすがにもう、助けようがない。

 よって、彼の攻撃を回避する方法は限られてくる。一つ、圧倒的な攻撃を加えて一気に倒してしまう。できるのであればだが。二つ、陽動作戦を展開して、注意がこちらに向かないようにする。三つ、彼の千里眼や瞬間移動の届かない遠方にまで逃げ切る。

 どれも実行不可能だ。しかも、パッシャの連中は、俺の弱点を確かに把握した。人質を並べられると、ファルスはノコノコ出てくる。そのことを経験し、学習してしまったのだ。


 となれば、気休めにしかならないとしても、なるべく一緒にいるしかない。


「本当は、大急ぎでアグリオを出て、遠方に身を隠したいのですが」

「それも手ではある……が」


 こういう時、正義の味方は振る舞いに困る。

 ノーラ達は狙われている。だが、彼女達だけを特別扱いもできない。手が届く限り守ってやりたいが、この街の一般市民の命とて、同じ重さなのだ。


「無理でしょう。僕らは簡単に足止めされる。足止めされれば、あの化け物どもが押し寄せてくる」


 無謀を承知でも、相手の作戦目標を破壊する。そうすれば、パッシャは撤退するはずだ。しかし、その目標がいまだに曖昧なまま。碑文の残りを確認すれば、それも明らかにできるかもしれない。

 そこまで何とかなったら、或いはわからないままでも、次はゴーファトを討ち、タマリア達を救出する。どうやってやればいいのか、皆目見当もつかないが……


「本当はやりたくないのですが」


 ノーラの顔を覗き見る。彼女も理解して、頷いた。


「事ここに至っては、総力戦しかありません」


 使えるものは何でも使う。パッシャが総力戦でくるのなら、こちらも微力ながら、そうする。

 どうせ誰もが命懸けなのだから。

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