役者揃い踏み

 かつて英雄が世界を統一し、六大国にその統治を委ねた。君侯は女神の権威と威光にひれ伏して、善政を敷いた。志ある者は、君侯の下に赴いてその力を示し、証を手にした。世界の未来のために献身を誓った彼らのことを、騎士という。


 だが、英雄は懸念を抱いていたに違いない。一人の生涯においても、善人から悪人へと、容易に立場を変え得るものだ。それが世代を継いでいけば、必ずや堕落する日がやってくる。今は我が身を空しくして世に尽くす王達も、やがては奢侈に溺れ、悪徳に塗れる日がやってくるのではないか。

 だから彼は、自ら証を与えた。君侯が与えるのと同じように、皇帝自ら騎士の証となる品を授けたのだ。


 この騎士達の証には、特別な規則が付随している。

 通常の騎士の証は、一代限りのものだ。優れた人物が王なり貴族なりから能力を認められて授けられるのだから、世襲はできない。もし騎士の子が騎士になろうとするなら、自ら実力を備えるしかない。また、その証は騎士個人のもので、誰に下げ渡すこともできない。

 だが、皇帝が与えた証に限っては、次代の任命権が添えられていた。優れた騎士が、また次の騎士に証を譲り渡してよいとしたのだ。しかし、これには制約があった。この証を持つ騎士は、君侯に仕えてはならない。もし彼らが支配者達から新たな騎士の証を授与されたなら、皇帝の与えた証は失効する。


 その意味するところは明白だ。

 腐敗し、自浄能力を失った統治者に対する裁きの剣。それが彼ら……真なる騎士の使命だった。彼らの多くは、誰にも仕えることなく、貧しい人々に寄り添う流浪の騎士となった。


「女神の……騎士だとっ……バカな、そんなものが、今更」


 ゴーファトは尻餅をついたまま、起き上がろうともがいている。だが、両腕とも深く傷つけられた今となっては、どちらも身の支えとはならない。重い棍棒も取り落としたまま、拾い上げることさえできなかった。


 彼の戸惑いも、常識的には大いに納得できるものだ。なぜなら、アドラットが自称する「女神の騎士」などというものは、いまや絶滅したも同然、おとぎ話の中にしか存在しないはずのものだからだ。

 考えるまでもなく、当たり前の現象だが、皇帝が一代限りでいなくなり、騎士の証の発行元がいなくなった以上、受け継がれることなく失われた騎士の補充はなされない。そして真なる騎士とは、そもそも危険な場所に赴き、また権力者の不正を暴いて天誅を下すために存在する。ついでに言うと、たとえゴーファトのような暴君を討ったとしても、真なる騎士だからと免罪されたりはしない。処刑台の露と消えたのも少なくなかった。

 それでいいのだ。悪逆をなした者を討つ。その結果、騎士本人は処刑され、その様子を多くの庶民が目にする。すると、人々は悟るのだ。悪が栄え続けることはない。いつか必ず正義の騎士がやってきて、世を救ってくれるのだと。

 いちいちアドラットがゴーファトの罪状を数え、女神の騎士として名乗りをあげたのには、そういう理由がある。ただ殺すのではない。裁きの剣はここにありと示すためなのだ。


 しかし、そうした理想に身を捧げた彼らの多くは、諸国戦争に始まる戦乱の時代に、そのほとんどが犠牲となった。


 俺は、この戦いの様子を、ただ黙って見つめていた。遊んでいるわけではない。


 ノーラでさえ、精神操作魔術を駆使して戦っている。操られた兵士が、今度はルークの縄を切った。地面に降り立った彼は、足下に倒れる手近な兵士の剣を拾い上げ、心得もないのにノーラの前に立った。

 アドラットが呼び出したシャーヒナという水色のグリフォンは、自らを取り囲む兵士達の横槍によって、ついに足下のナイザを解放してしまった。今は彼らをアドラットに近付けまいと、必死の抵抗を繰り広げている。


 だが、俺は動かなかった。いや、動けなかったのだ。

 なぜなら、そこにアーウィンがいる。恐れているから何もしないのではない。奴がいよいよ動き出した時、俺が止めるため。もし彼が本気で暴れだしたら、勝つ手立てはない。だからせめて、俺が立ちはだかって時間稼ぎをする。一人でも多く逃がすために。


 なのに、奴はというと、薄ら笑いを浮かべるばかりで、何もしないのだ。ただ、立って見ているだけ。なぜ?

 ゴーファトが殺されてもいいのか?


 いや、好都合だ。どうあれ、奴をここで討ってしまえば、パッシャの拠り所もなくなる。その上でなお、彼らがスーディアで暴れまわるというのなら、そこから先はもう、俺やヤシュルン達の仕事ではない。さぞ腰は重かろうが、タンディラールが諸侯の軍を結集して、この地に攻め込む以外なくなる。


「お前はまさに死のうとしている。悔いる気持ちはないのか」

「あろうものか……殺せ」


 アドラットは、無言で剣を突き出した。

 その切っ先が、黒いぬめりのようなものに絡め取られた。


 異様な光景だった。

 石畳の上に半ば倒れこんだままのゴーファト。その背中の影から、まるで石油のように黒い何かが染み出している。その一部が身を起こし、アドラットの剣を防いだのだ。


 まさか?

 俺はアーウィンのほうに振り返る。だが、彼に変化はなかった。

 では、これは別の……


「紹介しよう」


 乱戦の中、アーウィンの声は、不思議とよく通った。


「第五位階、マバディ・シャバハ」


 黒い影は人型をなし、ついには実体を得て、二人の間に身を起こした。

 アドラットも、驚かなかったはずはない。だが、すぐ気を取り直すと、改めて剣を振るった。それをマバディと呼ばれた黒尽くめの人物は、逆手に構えた短剣で器用に受け流す。


「同じく第六位階、ハイウェジ・クオーナ」


 いつの間にか、アドラットの背後にもう一人。今までまったく気付けなかった。

 薄気味の悪い男だった。マバディと違って、顔は覆い隠していない。馬面で、頬がこけている。髪の毛は半ば白くなりかかっており、顔は皺だらけ。だが、何より異様だったのは、目蓋が糸で縫い合わされていることだった。


「くっ!」


 身を翻すと、アドラットは新たな敵の肩口に、鋭い一撃を見舞った。それは確かにハイウェジの左肩を引き裂いた。二、三歩、よろめきながら後ろに下がった彼だったが、その顔は見る見るうちに喜悦に染まった。


「イーアーヒュワァアッ!」


 意味不明の絶叫をあげる。両腕を開いて、天を仰ぎながら。

 わかったのは一つ。明らかな致命傷であるにもかかわらず、ハイウェジにとっては、何の痛痒もないということだけ。


 それより、どうする?

 いくらアドラットとはいえ、前後にパッシャの幹部がいたのでは、戦い抜けるはずもない。しかし、彼の手助けに俺がまわると、誰もアーウィンを抑えられない。


 その時、石畳の一角が爆発し、破片が飛散した。ちょうどグリフォンのシャーヒナが戦っている、そのすぐ近くで。


「第四位階、モート・ムワンバ」


 一見して、戦闘スタイルがわかりそうな外見だった。力士を思わせる巨漢で、浅黒い肌の持ち主だった。分厚い唇に白い眼球が印象的だ。発熱でもしているのだろうか、彼の周囲の空気は、陽炎のように視界を歪めていた。

 確認するまでもなく危険な相手だが、ただ一つ救いがあるとすれば、この突然の増援を、ナイザ達は敵とも味方とも認識しきれていないことか。事前の打ち合わせも面通しも何もなかったらしいのが、一目でわかる。というより、まさか自分達の主が、本当にパッシャと手を結んでいるなどとは、ナイザすら知らなかったのかもしれない。


「第二位階、ウァール・ウブンジャーチ」


 噴水の中から、紫色の腕が突き出てきた。今まで潜んでいたのだろうか?

 上半身は裸のその男は、体の半分が刺青に覆われていた。目元は藍色、腕は紫色。片目は金色。そして短い髪は紅色といってもいいくらいに真っ赤だった。これでは目立って仕方がないだろう。

 しかし、俺の注意は彼が手にしている武器に向けられていた。黒い金属の棒。見覚えがある。これを持っているのは……


「……彼は、偽りの罪を捨てて、我らの味方になってくれた人物だよ、ファルス」


 贖罪の民が、龍神を裏切ってパッシャについた? そうだ、前にデクリオンが述べていた。そして幹部にまで昇り詰めている。


 しかし、なぜだ? こんなお披露目をする必要がどこにある?

 パッシャの幹部の情報なんて、本来ならトップシークレットじゃないのか。戦場に出すのはともかく、いちいち名前まで告げてやる意味があったのか。


 とにかく、考えている余裕はない。

 この場の戦力バランスが、明らかに崩れてしまった。アーウィン一人でも、俺やアドラットその他を含む全員より強かった。なのに次々とパッシャの幹部がここに押し寄せてくるとは。

 やむを得ない。俺も参戦するしかない。一人でも多く逃がす。


 即座に自分を縛る縄を解いた。もともと切れ目を入れてある。眠っているところを捕まったなんて、もちろん嘘だし、演技だ。

 それから虚を衝いてすぐ隣に立つ兵士の鳩尾を打ち、剣を取り戻す。


「そんなに慌てて、何をしたいのだね、ファルス?」

「くっ」


 離れたところから、アーウィンは一歩も動かず、そう言い放つ。

 何をしたいかって、もちろん、ノーラとルーク、タマリア……彼らを助け出す。本来の予定なら、ゴーファトはアドラットが討ち果たすはずだった。それは可能であると思われた。妨害してくるのがアーウィン一人なら、俺がうまくやれさえすれば、なんとかなった。

 その後のことは、何も考えていなかった。ゴーファトを殺し、人質を解放できたら、アドラットは捨てていく。そうしてくれて構わないと、彼が自分で申し出ていたのだから。しかし今、そうした計算はもはや意味をなさなくなりつつある。


 ブツッと縄が切れ、ドロルが解放される。ロボットのように動く兵士がいきなりよろめいて倒れた。背後から襲い掛かったウァールの一撃に絶命したのだ。

 これでは……まだ、タマリアとオルヴィータが縛られたままなのに。俺が駆けつけて自由にしてやればいいのだが、それをするにはウァールとアーウィンの二人を同時に相手取らなくてはならない。


 フリンガ城のほうから、一人の老人が歩いてくるのが見えた。それが広場に足を踏み入れ、アーウィンのすぐ横に立つ。


「遅くなったな」

「第一位階、代行者デクリオン……はは、こちらは紹介の必要はなかったな」


 世界中で指名手配中のテロ組織のトップが、ここアグリオに揃い踏みとは。まさに悪夢だ。

 デクリオンはアーウィンの目を覗き込み、続いてこちらに向き直った。


「それでファルス君、そろそろ気持ちは決まったかね?」

「何を」

「今現在、第七位階の席が空いていてね……何ならすぐに最高幹部の一人として扱ってあげてもよいのだよ」


 ここで勧誘とは。

 人目があるのに……違う。こいつ、その他の人間は洗脳するか、皆殺しにするか、どっちかだと思っているのだ。


「やめてくれ。関わりたくもない」

「ふむ、では仕方がない。我々も、これまでの仕事を粛々とこなす以外にないようだ」


 最悪だ。

 デクリオンまで加わったら、本当に戦力差を埋められない。逆に総大将の彼を討ち取ったからといって、パッシャという組織の性格上、ここで戦闘が終結するとも思えない。


「思い知らせよ」


 デクリオンの命令で、じっとこちらを見ていただけのモートとウァールが動き出した。

 モートはその灼熱の拳を、勢いよく叩きつける。爆発がシャーヒナを吹き飛ばし、たじろがせる。そしてウァールは、軽々と跳躍して、俺のすぐ前を塞いだ。

 こうなると、ピアシング・ハンドには限定的な成果しか期待できない。いずれも強敵ばかり、その中の一人は確実に倒せるが、あとは自力で何とかするしかない。


「目の覚めぬ奴! 哀れんでやろう」


 俺の返事を待たず、ウァールはそのアダマンタイト製の棒を振り下ろしてきた。咄嗟に剣で受ける。へし折れるかと思ったのだが、魔宮から持ち帰ったこの剣は、しっかりと持ちこたえてみせた。


「ほう! 業物だ!」

「楽しそうだな」

「雑兵どもを殺すよりは、余程よい」


 獰猛な笑みを浮かべつつ、ウァールは軽快なステップを踏みながら、予測し難い動きで前後左右問わず乱れ打ちを浴びせてくる。身体強化を済ませてあるからこそ、辛うじて防ぎきれるような、打撃の暴風だった。

 ウァールの棒術のレベルは8にも達する。こちらの剣術のスキルは彼より上だが、魔術で補助しているにもかかわらず、身体能力でなお上をいかれている。白兵戦では今のところ、せいぜい互角か。


 これではジリ貧だ。

 ウァールの背中越しに見えるアドラットも、明らかに苦戦を強いられている。彼の劣勢を見て取るや、マバディはゴーファトに肩を貸し、打たれ強いハイウェジが妨害にまわった。このままでは取り逃がしてしまう。

 一方、モートは周囲に一切配慮しなかった。灼熱の拳が一撃ごとに爆風を巻き起こし、それはゴーファトの兵士達さえ巻き込んで殺していく。それに激昂したナイザが槍を向けたところだった。


「いかん!」


 アドラットが慌てて振り向く。

 水色のグリフォン、シャーヒナは、明らかに弱っていた。それでアドラットは慌てて片手を突き出す。と同時に、それは光の粒子となって、また彼の掌に吸い込まれた。これでこちらの戦力が一つ減った。

 我を取り戻しつつある兵士の一部は、タマリアとオルヴィータの処刑台に手をかけ、二人を引き摺り下ろす。そして両腕を後ろに縛り直して、引っ張っていこうとする。

 ノーラもそれに抵抗しようとはするが、魔術は即席ではなかなか効果を発揮しない。一人は即座に昏倒させたものの、残りの兵士が警戒して槍を向けている。これを突破するだけの力は、彼女とルークにはなかった。


「ははは、どうした」

「なぜっ」

「今に集中せよ。余所見をすれば死ぬぞ」


 目の前で火花が散る。ウァールの言う通りだ。

 だが、このままでは……


 その時、俺やアドラットの背後で、無数の足音と、金属の擦れる音が響き渡った。

 くそっ、またか。今度は誰だ?


「魔王の下僕、パッシャの戦士を確認。これより魔物討伐隊、任務に就く!」

「オォ!」


 ヤレルだ。

 心にポッと光が点ったような気がした。


「なんだ、貴様らは!?」


 主がパッシャの幹部に連れられて去っていく今、伯爵軍の指揮官はナイザだ。しかし、この状況は彼にとって、完全に許容量超過だった。兵士達も、こうなっては逃げるしかない。一目散に走り去ろうとする。やむなくナイザは殿を務め、兵士達に退却を命じた。


「タマリア! ディー!」

「隙あり!」

「うぐっ!?」


 剣の腹で棒を受け止めたが、威力を殺しきれず肩を軽く打たれた。

 このままでは、二人を取り返せない。ノーラに期待するしかないのか?


「これはまずい」


 低めの女の声。

 ゴーファトを肩に担いだ黒尽くめのマバディは、ナイザに歩み寄る。


「貴様……」

「これはお前の主人だろう。連れて城に引き返すがいい。代わりに戦ってやろう」

「お前達は」

「四の五の言っている場合か?」


 それで問答は終わり。

 ナイザはゴーファトに肩を貸し、フリンガ城へと向かう。代わりにノーラ達の前に立ち塞がったのが、マバディだった。


 両手にも黒塗りの短剣を持つマバディは、敵などいないかのようにすんなりと歩み寄った。反射的にルークは前に出てノーラを庇おうとする。その瞬間、鳩尾を蹴り抜かれて床に伏した。


「これも回収せねば」


 状況は好転してはいる。ヤレルを中心とした魔物討伐隊は、まず巨漢のモートを取り囲んだ。こちらは不安でもない。

 アドラットも、よく戦っている。だが、徐々に雲行きがおかしくなってきた。傷つければ傷つけるほど、ハイウェジなる盲目の男は、更に力強くなっているようなのだ。

 かつての贖罪の民、ウァールは俺と戦っている。俺は彼を出し抜けないが、彼も俺を倒しきれない。

 このままだとノーラがマバディに捕らえられてしまう。精神操作魔術以外は、このレベルの戦いでは意味をなさない。そして彼女の切り札については、恐らく既に気付かれている。なにせゴーファトが殺される直前まで、彼らはじっと状況を観察していたのだから。


 ノーラは槍を構え直した。


「ついてこい」

「もう、捕まったりはしない!」


 拒絶を耳にして、マバディは勢いよく前に出ようとして……身を屈めた。なんだ?

 弾き落とされたのは、黒塗りの短刀。彼女を狙ったのだ。


「かかれ! ゴーファトを逃がすな!」


 広場を囲う木々の間から姿を現したのは、ヤシュルン達だった。

 暗い紺色の影が、次々と姿をみせる。


「雑草どもが」


 俺と対峙するウァールが忌々しげに呟いた。


「撤退だ! モート、殿を務めろ!」

「フン!」


 モートが足下を思い切り叩くと、石畳が爆発四散した。それはワノノマの戦士達をたじろがせた。

 だが、それだけだ。こんなことに何の意味……


「まずい! 伏せろ!」


 叫びながら、俺は横っ飛びになって転がった。直後に巨大な光球が頭上に飛来し、炸裂した。


 モートの打撃は、視線を集めるための陽動だった。

 立ち去ったと思っていた。だが、アーウィンを城に戻してから、デクリオンはすぐ、こちらに戻ってきていたのだ。そして、特大の『閃光』の術を用いた。


 俺の声に反応できたのは、およそ半数。ヤレルやクアオは無事だったが、多くの戦士が視界を失い、その場を飛び退いた。頭を抱えたりしないのは上出来、仲間と距離をとったのも、同士討ちを避けるため。冷静ではある。しかし、これでは頭数に入れられない。

 戦いに慣れていないノーラやルークも、この一撃を避けられなかった。ドロルは、いきなりの衝撃に平衡感覚までなくしたのか、石畳の上に横倒しになっている。


「逃がすか!」

「今更、欲張るか」


 俺の一撃をいなしながら、ウァールは軽々と飛び退いた。たった一度の跳躍なのに、それだけで距離が空いてしまった。


 逃げられる。

 だが、追撃はもう無理だ。アドラットも消耗しているし、ワノノマの戦士の半数も役に立たない。それに、何より……


 城の正面の通路に、煌く槍の穂先がちらついた。

 伯爵直属の兵士だ。いったい何百人いるんだろうか。あれ全部を、ここにいる俺達だけで相手取る? 死ぬだけだ。


「ここまで追い詰めておきながら……!」


 アドラットは歯噛みした。

 しかし、今回については、最初からどうしようもなかった。実際には追い詰めたといえる状況ではなかった。

 マバディは恐らくずっとゴーファトの影に潜んでいた。どんな能力を有しているかをじっくりとは確認できなかったが、『影羽織』というスペシャルアビリティがあったのは覚えている。実体化せずに影に同化するのか、それとも見えなくなるだけなのか、それはわからない。ただ、とにかくずっとゴーファトを守り続けていたのだ。


「引き揚げましょう。でないと」

「わかっている。まだ終わったわけじゃない」


「クソッ! なんてザマだ!」


 ヤシュルンは、苛立って手にしたナイフを足下に叩きつけた。だが、腹を立てても仕方ない。

 アドラットは、急いでルークとドロルの手を取った。俺もノーラの手を握った。


「ファルス?」

「逃げる。急いで」

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