ゴーファトの夢

『清らなるおのこよ、泉に集え

 その身を覆ってはならぬ

 立てよ、星を仰げ

 しかる後、身を開け

 尊き流れを導かんがため』


『入るのは出でること

 出でるのは入ること

 巡れ巡れ

 追うものは追われ、追われるものは追う

 流れをとどめてはならぬ

 枯れ果てるは悲嘆

 押し止めるは災厄』


『大地の流れと、身の流れ

 もし大地の流れを断つ者あれば、その身を献じよ

 八は四

 四は二

 二は一

 選ばれし清らのおのこ

 時を継いで新たなり、古きを捨てて新たなり

 死してなお、とこしえに生きよ』


 理解不能な言葉の数々。

 書き写された現代語訳を目にしながら、俺は背中に汗が滲むのを感じた。


「これが読み取れたすべてです」


 根城にしている宿屋の一室に舞い戻り、蒸し暑い中、カーテンを閉め切って。俺はアドラットと例の碑文の解読を進めていた。

 しかし、俺が手にしている紙片はごく一部で、しかも書写の際に不正確な部分もあったらしく、かろうじて理解できる文章になったのは、これくらいしかなかった。


「これだけでは、意味がサッパリわかりませんが」


 アドラットも、首を傾げている。

 俺は深呼吸してから、思考をまとめつつ、言った。


「拾い出せるだけ、拾い出してみましょう。もうあなたには説明しましたが、この件にはパッシャが絡んでいます。それに、ゴーファトもこの碑文の内容を把握している可能性が高いです」


 実際、彼は一切の不利益を度外視して、この碑文と遺跡の何かを得るために行動した。言いがかりをつけて領内の少年を攫い、生贄の儀式に使った。それで領民の不満が鬱積して、小さな反乱も繰り返された。彼は態度を改める代わり、暴力で対症療法に徹した。

 今、アグリオは滅茶苦茶になっている。なのに、彼の関心事は反乱の鎮圧ではなく、ファルスの捜索と確保なのだ。


「つまり、それだけの値打ちがこれにあるということですね」


 アドラットも頷く。

 ゴーファトは暴君だ。しかし、愚かではない。その彼が、これだけの損失を出しながら、なお固執するものなのだ。パッシャと繋がれば反逆罪に問われてもおかしくない。それでもやめられない。余程の利益があるからなのだ。


 そして、この碑文がその拠り所とするならば、また一つ、可能性が消えたことになる。ドロルはピアシング・ハンドのことを知らない。少なくとも、ゴーファトに教えてはいない。というのも、俺を利用するのと生贄を殺すことに、何の関連性もないからだ。


「しかし、具体的には何を得られるというんでしょうか」

「ここを見てください」


『時を継いで新たなり、古きを捨てて新たなり

 死してなお、とこしえに生きよ』


 俺自身が不老不死を求めているからか、どうしても敏感にならざるを得ない。


「前にゴーファトと一緒にいた時、こんなことを言っていたんです……」


 記憶を掘り返す。

 あの人肉ディナーの翌朝。二人で高原の狩場を散策していたときの言葉。


『要するに、これから死ななければいい。不死を得ることができるのであれば、女など不要なのだよ』


 では、彼はこのスーディアで、不老不死を得ようとしている?


「そんな、馬鹿げてる」


 アドラットは、困惑の表情でそう言った。


「ええ、馬鹿げています。でも、他に説明がつきますか? ここに書いてあるじゃないですか、とこしえに生きよ、と」

「では、ファルス様、彼は永遠の命を得るために、領民を犠牲にしていると」

「身勝手といえばそうですが、確かに自分のことだけを考えるのであれば、辻褄は合うと思います、それに」


 この推論には続きがある。

 不死を匂わせる言葉に、俺が探りをいれると、ゴーファトはこうも言った。


『もし、私が不死身になれるのなら、そうだな……君のような若く美しい少年になって、永遠に輝いていたいものだよ』


 更に、前日の夜には、こうも口にしていた。


『あの頃に君と出会っていたら、私は愚かな失敗をするところだった』

『花は散らすしかないと、そう思い込んでいたのだよ』


 俺を呼び寄せた理由。タンディラールのスパイだと認識していながら、なおも傍に置き、親しげにする理由。そして何より、俺をスーディアの後継者に定めようとした、その理由。

 彼がかつて「理想」とまでいった美少年の肉体に生まれ変わる。次期スード伯にしてしまえば、これまで築いた地位や身分を失うこともない。何より、こうして美少年の肉体に転生し続ければ、死ぬこともない。


「……僕の体を、奪い取ろうとしている?」

「そんなこと、できるんですか」


 あり得ない。常識ではそうだ。そんな魔法や神通力など、見たことも聞いたこともない。

 しかし、俺にはできてしまう。ピアシング・ハンドという奇跡を、身をもって知っている。あり得なくはないのだ。

 実際には、魂の加齢があるから、肉体だけ交換しても不死には至り得ない。そのことを俺は知っている。だが、一般人がそれを認識しているはずはない。或いは遥か古代においては、肉体の不死と魂の死を経験した誰かがいたのかもしれないが、現代には伝えられていないのだから、それはないも同然だ。だから、少なくともゴーファトの中では、美しい永遠の命という図式が成り立つ。


「では、その『時を継いで』の部分は、何を指していると思いますか?」

「それは……わかりません」

「その前も謎めいていますね。八は四、四は二、二は一……二の倍数がどんどん半分になってるだけみたいですが」

「意味不明ですが、どうも最後の一が『選ばれし清らのおのこ』なんでしょうね」


 ただ、その前提というのが『大地の流れを断つ者あれば、その身を献じよ』なのは、余計に意味がわからない。


「この『流れ』って言葉が多用されているのも、どういうことなのか」


 流れ……なんだったっけ……どこかで聞いたような……


 ちなみに、アドラットにはまだ、俺の目的自体は伝えていない。使徒のことも言えずにいる。どちらもやむを得ない。領主暗殺なんて、密命とはいえ、れっきとした犯罪行為なのだから。使徒のほうは、別の意味でまずい。女神の秩序を拒絶する、いわば魔王の仲間みたいなものだから、そんな奴と話し合い、交渉めいたことをするような関係性となれば、俺自身の立場も危うくなる。

 なので、伝えることができたのは、パッシャが関与していること、スーディアの隠された女神神殿とそこにあった儀式の形跡のこと、これだけだ。


「とにかく、そう仮定すると、ゴーファトがあなたを捕まえたい理由もわかりますね。しかも血縁がないのに、次期領主に据えようというのも納得はできます。地位を譲るといいながら、要するにまた自分のものにするのですから」

「反乱なんかは、あとで鎮圧すれば済みますからね。でも、不死と新しい肉体は、無理にでも手に入れてしまうしかないでしょうし」


 だが、アドラットは考え込んでしまった。


「でも、どうなんでしょうか。腑に落ちない」

「何がですか」

「いえ、もし私がゴーファトなら、妥協も考えるのでは、と。今、あなたの肉体を手に入れることはできない。逃げられてしまったから。でも、新しい美少年の肉体が欲しいだけなら、別に他で調達したっていいはずです」

「それはなんとも言えませんし、僕の勝手な想像でしかありませんが、もしかすると、肉体の乗り換えは一度しかできないのかも……」


 と言いながら、自分で気付いてしまった。

 いや、でもあり得ない。


 一度しかできないのなら、それだけの値打ちはない。美少年に成り代わっても、少し寿命が延びるだけ。すぐにまた、醜悪な中年男になってしまう。

 ただ、俺の肉体は老化しない。成長はするが、その後は若いままだ。シーラがそうなるように作り変えたから。しかし、そのことをゴーファトが知っているかとなると、また別問題なのだが。

 とはいえ、そこから思考を拡張させていくと、別の結論を導き出せる。ゴーファトは、俺の肉体が特注品だとは知らない。しかし、いずれかの「神」の力を借りれば、不老の肉体を得ることができるのは知っている、とすれば。

 普通の、ただ美しいだけの少年の肉体を、自分がもらいうけ、しかも同時に不老の特注品に作り変える。


「僕の体で不死身になるとしたら、どうでしょう? 見た目の好みは人それぞれですが、もし一度しか乗換えができず、しかもその一度で永久に見た目が決まってしまうとしたら、妥協なんて絶対にできないでしょう。というより、そんなことができるなら……」


 彼は、まず別の肉体で実験したはずだ。


「……まず、彼なら自分の甥のジャンを犠牲にするはずです。そのほうが一切がうまくまわるからです」

「なるほど。ジャンはスザーミィ家の男子としては、ゴーファト本人を除けば最後の一人。しかもまだ妻子がいない、となれば」

「それこそ、ジャンに乗り移ってから、僕を跡継ぎに指名すれば、何の不自然もありません。それをすっ飛ばしているところからしても、そうそう何度もできないものなのかもしれない、と」


 そこまでわかったところで、どうするべきか。


「アグリオで出会ったパッシャの構成員は、目的を『世界の修復』だと言っていました」

「どういう意味ですか」

「女神の支配以後の世界は歪んだ、間違ったものであると。だから、それを本来のありように戻すのが目的だと」


 するとアドラットは厳しい顔をして、口元を引き結んだ。


「その考え方のよしあしはともかく……ということは、ゴーファトはこの件について、女神と龍神以外の……つまり、魔王と呼ばれる何かの力を借りるつもりなのでしょう。それが恐らく、パッシャが関与し、協力している理由でもあるはずです」

「となれば、阻止しなくては」


 アドラットが深刻な表情でそう言った。

 無理もない。もし、この推測通りとすれば、滅んだはずの魔王が生きていることになる。そしてパッシャの狙いは、活動休止していた魔王に、何らかの力を注ぎ与えることだ。


「儀式を完成させてはいけません。しかし、僕が逃げ回るだけでは……極端な話、僕が自殺すればゴーファトは僕にはなれません。でも、その場合はさすがに諦めて、別の肉体を探し求めるかもしれません。つまり」

「根元を断たなくては、終わらない。そういうことになる」


 彼は重々しく頷いた。

 パッシャの計画を頓挫させるためには、やはりゴーファトを討つしかない。


「もしかすると、この異変に気付いている人達が、他にいるのかもしれません」

「あてがあるのですか」

「ワノノマの魔物討伐隊です」


 アドラットは、目を見開いた。


「お気付きでしょう? 彼らがただの冒険者なんかではなかったこと。みんな、あの国の武人です」

「パッシャの動きに気付いて、ここまで乗り込んできたとなれば、納得はできますね」


 女神かその関係者が封印した、古代の遺跡をこじ開けたのだ。もしかすると、それがきっかけで龍神あたりが気付いたのかもしれない。モゥハは今でも姫巫女の傍に留まっているというから、異変を知ったら神託を下すに決まっている。

 また、そうでなくても、そもそも魔物討伐隊にとって、パッシャは標的だ。長年にわたり、女神陣営の急先鋒を務めてきた彼らにとっては、真っ先に追跡すべき相手だ。


「逃げ回るにしても、限度があります。ですが、魔物討伐隊の手を借りられるなら」

「悪くない考えだと思います」


 そう言いながら、アドラットは身を起こした。


「どうしますか。そういうことなら、一刻も早く彼らを見つけるべきだ」

「まだ昼間です。市内の争いも再発しているはずです。気持ちは焦るばかりですが、ここはせめて夕方になるのを待ちましょう」


 いても立ってもいられない。

 それは俺も同じだ。アドラットにも、あえて待つだけの冷静さならば、残されていた。


「やることはたくさんあります」


 ノーラ達を見つけ、安全を確保する。

 ワノノマの魔物討伐隊を味方につける。

 そして、パッシャの妨害を潜り抜けてゴーファトを討つ。


「でも、まずは休みましょう」

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