裏庭でチャンバラ
「ホッ! ハッ! ホッ!」
久々に晴れ間が垣間見える日だった。
頭上の雲は分厚く太りきって、押し合いへし合いになっているのだが、なぜかアグリオの真上だけに隙間を空けておいてくれている。せっかく明るい日差しがあるのだから、と俺とアドラットはホテルの裏手の庭に出てきて、のんびりしていた。
しばらく日光浴をしたい、と言ったら、ホテルの使用人が大きなポットに紅茶をたっぷり用意した上で、人払いまでしてくれた。
スーディアといえども、フォレスティアの一地方だ。この裏庭も、それなりには悪くない。右手は建物、すぐ後ろと左手は丈の高い石の壁、正面は金属の柵に囲まれている。その柵にはびっしりと蔦が絡まっており、そこから真っ青なアサガオみたいなのが、いくつも咲いている。
足下は、ちょうど救急箱の十字架マークみたいな間取りになっていて、縦横に草木のない石畳が、それ以外のところに緑が配置されている。建物寄りのこの一角には芝生くらいしかないが、他は柵より背の高い樹木が、ぬらりと立っている。柳の木に似て、重い枝が垂れ下がっているのだが、その葉が妙に厚ぼったくて、どうにもそう表現するしかない。この地域の草花は、鮮やかな色で咲くこともあるのだが、観賞用としてはやはり大味と言わざるを得ないようだ。
これらの木々の枝に止まった小鳥達が、ピーチクパーチク呟きあっている。俺にはそれが、足下でダメ男を演じるアドラットを小ばかにしているように見えて仕方ない。
「アドラット」
「ど、どうですか、私の剣捌きは!」
「真面目にやらないと、逆に悪い癖がついちゃいますよ」
「そんなぁ」
今更、俺の前で、わざと弱いフリをしたって無駄だろうに。
「ファルス様も、なんでしたら体を動かされては」
「木剣がありません」
「そこに真剣があるじゃないですか」
魔宮から持ち帰った剣は、肌身離さず今もテーブルに立てかけてあるが……
「これでは危ないので」
「木剣では……なんでしたっけ、安全を確保しながら、命懸けの戦いの準備をするのか、でしたっけ」
「そんなようなことも言いましたね」
「ほら、ほらぁ!」
彼は朗らかに笑いながら、こちらを指差した。
溜息をつきながら、俺は手元の紙に視線を落とす。
「でも、この剣は本当に危ないから、ダメです」
本当に、ツルハシでもなんでも切れちゃうから、練習でも、武器と打ち合わせたら、どうなってもおかしくない。これが敵なら、そのまま斬り殺せばいいのだが……まぁ、アドラットが敵でないと確認したわけでもないけれども。とにかく、殺すつもりもないのに、この剣を抜くのはまずい気がする。
「じゃ、無手でやりましょう」
「気分じゃないので」
「そんな、そんな、なまっちゃいますよ?」
「一人でやっててください」
「ホッ! ハッ! アチョーッ!」
俺は深く深く溜息をついた。
日を追うごとに、こいつの本心はアホキャラの影に隠れていく。一方で、こいつの目的らしきものはというと、少しずつ浮かび上がってきているのだが。
出世したいというのは、もちろん嘘だ。それは最初からわかっていた。彼の目的はフリンガ城にある。しかし、問題はその先だ。
俺と同じく、ゴーファトの命を狙っている? しかし、誰に命じられて? 少なくともタンディラールではない。しかし、それ以外の貴族がわざわざゴーファトを殺したがるだろうか? 在地貴族で中央との繋がりもない人物なのだ。四大貴族の一人だから、それなりに敬意を払う必要はあるものの、積極的に殺したり、付き合ったりする理由はない。
すると、一般人の依頼という線もある。なにしろゴーファトだ。どれほど大勢の恨みを買っていることか。富裕な商人あたりが大金を積んで、復讐のために暗殺を依頼した、なんてシナリオもありそうだ。
それ以外では? まず、真っ先にあげなくてはいけないのが、救出だ。今の夫人、それに長子派貴族の子息ら、他にもきっと無数の美少年が奴隷同然の立場で軟禁されているのだ。それぞれ助け出すだけの値打ちがある。特に貴族の子となれば、その家の下僕だった連中などが動いて、主君のために大金を用立てるなんてこともありそうだ。
とにかく、そういう何かの目的のために、俺と行動を共にしたいのだ。しかし、そのせいで、こちらの計画が妨げられてしまっては、元も子もない。
「それよりファルス様、さっきから何をそんなに熱心に読んでいるんですか?」
「見てはいけません」
「またまたぁ。あれもダメ、これもダメ。窮屈すぎやしませんか」
結局、この謎の文字も解読できず、今日の夕方にはフリンガ城に連れていかれる。できることは、もうあまりない。
この剣も、できれば持っていきたい。作戦を実行するとき、手元にあればどれほど頼もしいか。きっとゴーファトのコーシュティ製の棍棒ですら、真っ二つにしてくれるに違いない。鎧を着た兵士だってあっさり両断できそうだ。
だから今、すべきことは、体力を温存しつつ、気持ちを落ち着けることだ。城内に入ったら、その余裕すらなくなる。
「……にしても」
ふと、素振りをやめたアドラットが、急に真顔になる。
「静かですね」
「ホテルの人が、気を遣ってくれたのでしょう」
「でしたらいいのですが」
彼は不審げに周囲を見回した。
それで一度首を傾げると、もう一度、剣を構え直す。すっと背筋を伸ばして、切っ先を上に向けている。今度はきれいな姿勢だ。素人目にも、彼の腕前がわかるくらいには。
ふと、大勢の足音が、蔦に覆われた柵の向こうから聞こえてきた。
ほら、静かといったって、それはたまたまだ。まだ昼下がり、世間の人は働いているんだから……
ところが、アドラットの表情が、ますます真剣味を帯びていく。一瞬振り返り、建物のほうに目を向ける。
俺も、そこで気付いた。何かおかしい。気配が。空気が張り詰めている。いつの間にか、小鳥の鳴き声も聞こえない。俺は手にした紙をそっとテーブルに置き、飛び散らないよう、空っぽのコップで重石にした。そして剣の鞘に手をかける。
ガタン、と甲高く金属が震える。
目視はできないが、柵の向こうには数人の気配がある。そしてあれは……梯子? それを柵にかけた、ということは。
俺は静かに立ち上がった。と同時に、静かに詠唱を始める。
柵の上に、しゃがんで身構えるシルエットが現れた。
それが次の瞬間、番えた矢を放ちもせずに、ぐらりと揺れる。
「むっ」
何かに気付いたアドラットが、一瞬だけ後ろにいる俺へと振り返る。だがまた、すぐ目の前の出来事に注意を移した。というのも、梯子の上でよろめいた男は、そのまま仰向けになって柵の向こう側へと墜落していったからだ。
彼は、俺が何をしたかを察したはずだ。準備する余裕がたっぷりあれば、いきなり『麻痺』の矢を浴びせてやるのも難しいことではなかった。とはいえ、これで襲撃が収まる筈もない。
それより、いったい誰がどんな理由で?
ガタン! と乱暴に柵に梯子が立てかけられる。今度は一つではない。どうやら、力押しで来るつもりらしい。それだけの人数もいるのだろう。
俺は、急いでテーブルの上の紙を引っ掴むと、強引にポーチの中へと捻じ込んだ。
「逃げましょう」
「ええ……」
アドラットは、油断なく柵の向こうに目をやりながら、そう応えた。
俺はまた、静かに詠唱を始める。但し今度は、剣を左手に持ち替えて。
「……ですが」
同時に三人の男が、柵の上に躍り出る。そのまま、二メートル以上の高さから、なんとか飛び降りる。その瞬間は無防備なのだが、だからこそ、一度に大勢で行くことにしたのだろう。
そして、その絶好のチャンスを、アドラットは、ただ見つめるだけで済ませた。
「まだ出ないでください!」
そう言いながら、彼は剣を手に、ようやく立ち上がった三人に向かって突っ込んでいく。
「う、うおお!」
男の一人がようやく起き上がって剣を振り上げる。遅い。
「ぐあっ!」
まともな状態で戦っても、結果は変わらなかっただろう。剣術のスキルが3レベルしかなかった。それに、この襲撃では飛び降りが前提なためか、彼らの装備は実に貧弱だった。鎧らしきものは身につけていない。普段着のまま、剣だけ持ってきたという感じだ。
では、彼らの正体はなんだろう?
「このっ、げはっ!」
二人目も、アドラットに近寄ろうとしたところで顔面をやられた。仰け反って、そのまま仰向けに倒れる。
しかし、そうこうするうち、また上から三人が補充されてくる。柵の向こうに何人いるかわからない。やはり脱出しなくては。
ただ……問題は、脱出するか、しないかではない。
一人で行くか、彼を連れていくか。それが問題だ。
俺は、ホテルの建物側にある扉へと、足音を殺しながら近付いていく。そして、ちらと倒れ伏す男達を盗み見た。
やっぱり。ほとんど流血していない。気を失っているだけ。さっきのアドラットの太刀筋が妙だと感じた。あれは斬ったんじゃない。剣の腹でぶっ叩いたのだ。ということは……
「いけません! ファルス様! お待ちください!」
必死で鍔迫り合いをしながら、首だけ向けて、彼は短く叫んだ。
彼の真意はどこにあるのだろう? この連中とグルという可能性は?
この、鎧をつけていない襲撃者の素性は? まさか、俺のゴーファト暗殺計画が漏れた? 最初はその可能性を考えた。だが、それはおかしい。ゴーファトはそもそも、最初から俺がスパイだと弁えていた。第一、俺を捕縛したいのなら、最初から鎧を着込んだ正規兵を正面から大勢送り込めばいい。
だが、そうなると他にこんな真似をする奴がいない。いや、いるのだろうが、思いつかない。パッシャ? あいつらがこんな雑魚どもを今更、俺にけしかけるだろうか? ヤシュルン達にしても、いくらなんでもこれはしないだろうし。
ただ、それでも一つだけ、わかっていることがある。
それは……
赤熱した右手を前方に突き出す。そこには、黄みがかった白い球体が浮かんでいる。掌を開くと、猛然と正面の扉を食い破った。
爆発させるつもりが、むしろ貫通力がありすぎたようだ。扉の両脇に潜んでいた二人の男が、武器を取り落として尻餅をついている。
「ぎあ!」
「ぐっ」
一人を『行動阻害』で昏倒させ、もう一人に鋭い蹴りを見舞った。アドラットを見習って、俺もそいつらの頭を剣で打ち据える。それでこいつらは完全に沈黙した。
そうしておいてから、俺はゆっくりを振り返った。
さぁ、アドラット。どうする?
「やあっ!」
「ぐふぅっ」
目の前の男を、これまた剣の腹で引っ叩いて、押し返す。そこに追撃で、鳩尾を鋭く蹴り抜いた。この一撃で吹っ飛ばされた味方に、他の襲撃者も巻き込まれて壁際に押し返される。
「お気付きでしたか」
さっき、彼が俺に「出るな」と言った理由。
待ち伏せがいるに決まっていると勘付いていたからなのか。
「逃げますか。戦いますか。それとも」
「行きましょう」
彼は身を翻し、こちらに駆け寄ってきた。
と見せかけて、俺にいきなり襲いかかってくる、なんてことは……
だが、俺の脇を駆け抜けると、そのまままっすぐ外へと走り出そうとする。俺が立ち止まっているのに気付くと、振り返って叫んできた。
「何をしているんですか! 早く!」
少し意外だった。本当に彼は、俺の味方をするつもりらしい。
しかし、こうなっては今夜の登城も怪しいのに、それでも俺を助けるメリットがあるのだろうか。
なお、別に遊んでいるわけでも、呆けているのでもない。
赤熱したままの右手を追っ手に向ける。彼らも、この燃えあがる手が扉をぶち抜いたのをみているから、それだけで後退りする。それを見極めてから、俺は足下をなぞるようにして、床に炎の線を描いた。
そう長時間はもつまいが、裏庭の出口が燃え続けるのだ。これで足止めになるだろう。ホテルに燃え移るかも? そうなったらなったで、知ったことか。この連中を招き入れたのは、間違いなくホテルの人間だ。もっとも、脅されて仕方なくなのかもしれないが。
始末がついたので、俺も走り出した。
「ぐずぐずしないで、早く身を隠しましょう」
「ええ。ですが、アドラット」
走り出て、表側のテラスに立ち、階段を駆け降りて出口に向かいながら、俺は問い詰めた。
「なぜですか」
「はい?」
「あなたは一人も斬ってない」
命を狙われたのは間違いないのに。なぜ敵を殺さなかったのか。
駆けながら、彼は横目で俺を見て、少しの間、言葉を探していた。
「……有象無象を殺しても、意味なんかありません」
「あります。追っ手が減る」
「上から言われて動くだけの、ただの人です。普段は街の中で普通に暮らしている」
「だから?」
理由になるのか。殺し合いにきたんだぞ。
「いけませんか」
そこで俺は違和感をおぼえた。こいつはいったい、どこの世界からやってきたんだろう?
アドラットは達人だ。なのに、もしその本音や考え方が、この言葉通りとなれば、今まで出会った強者達とは正反対の価値観を有していることになる。殺人を楽しむアネロスはもちろんのこと、敵は割り切って殺すキースとも遠く隔たっている。
「その辺の考え方については、あとで相談させてください」
しかし、そこを追及しても仕方がない。今は、身を守らなくては。
「とりあえず、イチカリダの空き部屋に転がり込みましょう。まずは逃げ切ることです」
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