生贄はこいつで

『さて、前置きはこれくらいにして、本題について述べたい。

 君が姿を見せたのは初夏の香りが高原を包み始めた頃だった。突き抜けるラッパの音色を思わせるあの太陽が大地を貫くと、草木も興奮して互いに囁き始める。そのざわめきは、歓喜に満ちている。それは麗しい少年の汗だ。またそれは感動に身を震わせた人の吐息だ。そうしてこの地に住まう者は季節の移ろいを知る。

 しかるに今、まさにかつて少年の興奮のようだった大地の熱気は、ごく当たり前のものになりつつある。それは人が大人になるにも似て、特別なことが特別でなくなったような、ある種の倦怠を伴う性質のものだ。静寂の中の笛の音は世界を引き裂きさえするのだが、同じ音色でも、単に吹き鳴らされ続けるそれは、耳にする者を眠りに誘う。

 君が好奇心に駆られて城を後にしてから、随分経った。さほど広くもない旧市街など、どの通りも思い出せるくらいに歩きつくしたのではないかと思う。すると私は慌てなくてはならない。興味が愛着に変わるのは大変結構だが、その愛着がやがて退屈に入れ替わってしまうのではないかと。


 既に王都へは私の使いを走らせている。陛下も私の最後の我儘を聞き届けてくださると信じている。

 しかし、ここはスーディアだ。ただ王が上から爵位を与えても、それだけでは治められない。昔からスザーミィ家の後嗣は、三つの盆地の代表者、城に住まう臣下達、それから当主の血族に取り巻かれる中で、正式に支配権を受け継いだことを宣言しなければならない。

 君の場合、血縁がないということもあって、このちょっとした儀式の必要性が、とりわけ大きい。衆目の集まる場所で、特にジャンが君に対して跪き、臣下の礼をとるところを示さなくてはならない。

 さしたる手間ではないのだが、この手続きの後では、誰も君の支配権には異議を差し挟めなくなる。だからどうしてもご足労いただかなくてはならない。


 勝手ながら、その日取りを明後日の昼に決めさせてもらった。

 明日の夜には登城して、再び私の心からの歓待を受けて欲しい……』


 掌中の手紙を握り潰す。

 時間切れらしい。


「領主様の使いの方からのお手紙ですが」


 アドラットが、俺の顔を心配そうに覗き見る。


「明日の夜、登城せよとあります」

「おぉ、で、差し支えなければですが、どのような」

「正式に僕を後継者にすると宣言するためらしいですね」


 今はタシュカリダの高級ホテルに戻ってきている。夜はイチカリダの市街地のあちこちに潜伏しているが、日中はこちらに立ち寄っている。怖いのはアーウィンの奇襲なので、これでいい。それに俺がまったくこちらに顔を出さなかったら、どこにいるかを疑問に思われる。

 表向きには、夜もここに宿泊していることになっているのだ。俺に「雇われた」アドラットが、自室で食事したいという主人のために、夕食をトレイに載せて、毎晩、部屋に運んでいる。もちろん、食べるのも彼で、俺のベッドで眠るのも彼だが。


「どうなさるおつもりですか」

「どうもこうもないでしょう。行きません、なんて言ったら、大騒ぎになります」

「では、お傍で護衛を引き受けましょう」

「ゴーファト様が余計な一人分の部屋を用意してくださるでしょうか?」


 俺は皮肉笑いを浮かべてやった。

 なんだかんだと口実をつけて、要はこいつはフリンガ城に入りたいのだ。そこで何をしたいのかについては、決して口を割ってはくれないのだが。


「そんなのは、ベランダで結構ですよ」

「路上よりはマシですからね」

「はっははは」


 しかし、笑っている場合ではない。


 イチカリダを根城に定めてたったの二日。その間、俺はあの碑文の解読にかかりきりだった。しかし、結局、一文字たりとも読むことができなかった。市内にあれを理解できる人がいないか、探し回ってみたりもしたのだが、やはり無駄だった。

 そしてついに、俺が次期スード伯として認定される日がやってくる。それが何を惹き起こすのかはわからない。ただ、ゴーファトがここでこのカードを切ったということは、彼にとっての計画が、更にまた一段階先に進んだものと推測することができる。

 何より、ここでフリンガ城に入ってしまったら、もうできることが全くなくなる。ノーラと連絡を取り合うことも、タマリアを救出することもできない。ドロルには会えるだろうし、プルダヴァーツが訪ねてくれればルークの顔は見られるが、ディー……オルヴィータとは立ち話も難しいだろう。ウィスト……ニドについては、どちらにしても手の打ちようがない。

 居場所が特定されるので、アーウィンらパッシャの襲撃も避けられない。というより、俺がフリンガ城から逃れようとすれば、彼らが出口を塞ぐだろう。


 つまり、もうこちらはなりふり構ってなどいられなくなった。

 彼が何を企んでいるかはわからない。だが、とにかくそれを阻止するために、こちらから機先を制して討つしかない。

 その結果、残されたパッシャが暴れだしたら? 逃げる。戦わない。もちろん、仲間にもならない。


「じゃあ、わかりました。お城の前までは連れて行きますよ」

「中は? 中に入れなきゃ、意味ないでしょう?」

「家来ですが、連れていってもいいですか? とは尋ねてあげます」

「いけませんね。質問ではなく、連れていく! と断言しなきゃ」

「決めるのは僕じゃなくて、ゴーファト様ですからね」


 やりたくはなかったが……衆人環視のもとで、俺は堂々とゴーファトを殺さなければならなくなった。

 どれほどの犠牲が出るんだろうか。しかし、手加減はできない。ゴーファト自身も優れた武人だが、彼の横には、槍術に優れたナイザも控えている。エスタ=フォレスティア一の精鋭と称されるスーディア兵もだ。これを、恐らくは丸腰の状態で相手取らなくてはならない。

 しかも、時間をかければ、状況の変化に気付いたパッシャが妨害してくる可能性が高い。まずアーウィンが瞬間移動で駆けつける。デクリオンは来ないかもしれないが、他にもきっと幹部級の構成員が控えているだろうから、そいつらまで入り混じっての乱戦となる。さすがにそうなったら、いくら俺でも勝ち目はない。

 要するに、最初の一撃で確実にゴーファトを討つ。それからは全力で逃走。これ以外にない。


 とすると、被害を小さくするためには……


「まぁ、では、そういうことで」

「何がそういうことですか」

「ちょっと外出してきます」

「またですか!? 今度こそお供します」

「お座り」


 犬に命令するように、そう言いつけると、アドラットも冗談めかして犬みたいに床に座った。


「一人で出かけるのも、これが最後です。一緒に登城できるよう口添えしますから、我慢してください」

「はいワン」


 日を追うごとにコミカルなキャラになっていく彼を後にして、俺はイチカリダの市街地に向かって歩き出した。


「もう投げ出したのかと思ったよ」


 グラスを片手に、ヤシュルンはそう皮肉った。


 後をつけられてはいないかと警戒しながら、裏通りをグルグルまわり、やっと辿り着いた。あの古びた、廃屋のような地下の酒場だ。

 そこでかけられた最初の一言がこれだ。


「明日の夜、登城する」

「ふん、それで?」

「……明後日の昼までには、やるつもりだ」

「ほっほう!」


 彼はさも素晴らしい、と言わんばかりに手を打った。


「ちょうどよかった。こっちも準備を重ねてきていてね。無駄にならずに済みそうだ」

「というと?」

「ちょっとした武装蜂起を計画していた」


 スーディアの支配者が乱暴なのはいつものことだが、ここ一年のゴーファトは、さすがに度が過ぎていた。これに耐えかねた各盆地の長などが、ついに反攻に出ようとしていたのだ。特に、ゴーファトは自らの支持基盤であるシュプンツェ盆地出身者には甘かったが、コーシュティやミュアッソ出身者への対応は、冷遇などといえるような生易しい代物ではなかった。

 ヤシュルンらは、そもそも俺抜きでのゴーファト暗殺を計画していた。その要となるのが、この現地住民の反乱だった。


「混乱に紛れて奴を狙う……いくつか狙いどころはあるが、ここでというのが、明後日の召集命令だった」

「なるほど、条件は揃っている」

「そういうことだ。各地の有力者が大勢の関係者とともに登城する。人質もとりやすいし、城内にこちらの手の者が立ち入る余地もある。城門を内側から開けて貰えば、あとは手勢が乱入して、一気にゴーファトの首を獲る」


 それなりには実現可能性の高い作戦だ。

 問題は、それでゴーファトを討てるかだが。彼は、ああ見えて頭の切れる男だ。それに、余程のことがなければ動揺もしない。それだけの胆力がある。ヤシュルン達も、世間の平均からすれば優秀だ。上級冒険者が務まるくらいの実力はある。しかし、個人の武力という点においては、ゴーファトやナイザにも及ばない。ましてやパッシャの幹部級が出張ってきていたら……


「ということは、僕もその前には動かないほうがいい、か」

「そうだな。そもそも領地を譲るという話ありきでの召集だから、その跡継ぎが領主の暗殺未遂で始末されたら、何のために集めるのか、わからなくなる。こちらの準備もパァだ」

「むしろ、その儀礼の最中に、そちらの乱入を待ってから、僕が後ろから襲いかかった方がいい。いろいろやりやすくなる」


 曲者どもが武器を手に城内へと雪崩れ込んでくる。となれば、当然、ゴーファトもその配下も迎撃に当たらねばならない。その場にいる俺も「閣下に手を出すなんて」と戦うのは、これまた自然なこと。武器を借りるのも不可能ではないだろう。丸腰で戦わずに済むだけ、ありがたい。

 重要なポイントは、パッシャの介入が始まる前に、一気に済ませることだ。あくまで表の世界の出来事として処理してしまわなくては。ゴーファトが死んで、目的を達成できなくなれば、彼らも当面は引き下がるに違いない。ただ、俺はまた一つ、恨まれることになるが……


「味方はどれくらい集めた」

「そう多くはないぞ。コーシュティ盆地の若者を中心に、三百人くらいだ」

「じゃ、時間をかけられないな」

「城下の兵士が集合して取り囲んだら、もう終わりだ。ただ、そこはさすがに妨害する。他の場所で不穏な行動に出ようとしているのがいる、と伝えることになる」

「具体的には?」

「ミュアッソの連中が怪しい動きに出ている、という情報は、少しずつ匂わせてある。昼間の儀礼の開始前後に、兵士達を誘導するつもりだ」


 それでも、稼げる時間はどれほどか。

 五分か、十分か。


「一つ、気になっていることが」

「なんだ」

「情報が漏れているということはないか」

「なぜそう思う」

「イチカリダを脱出する市民がいるようだ」


 二日前の宿屋がそうだった。

 これが最後とばかり、俺から大金をもらっておいてから、すっといなくなった。


「ミュアッソの連中については、噂を流したからな。巻き込まれたくないからと腰を浮かす連中がいるのも無理はない」

「ならいいが、実は露見していることは……」

「ないとは言えないが」


 グラスをドン、とカウンターに置き、ヤシュルンは向き直った。


「ゴーファトが無防備になる瞬間など、そうはない。ここを逃したくはない」

「失敗すれば、次はないんだぞ」

「失敗しなくても、次があるか?」


 問われて、俺は俯いてしまう。

 ない。

 だからこそ俺も殺害計画を実行に移そうと決心したのだし。


「それで、ファルス」

「なにか」

「計画遂行に際して、直接手を貸してもらえるのは非常にありがたい……戦う力だけはありそうだからな……しかし、そうなると、一つだけ問題がある」


 ついにその話か、と俺は力なく頷いた。


「決心はついたか」

「……ああ」

「誰を『身代わり』にするんだ? それでこっちの準備も、多少、変わってくる」


 現実的に考えて、ヤシュルン達だけでゴーファトを討つのは、かなり難しい。毒殺などであればともかく、正面切っての戦闘となれば、彼が後れを取るなど考えにくい。すぐに近習からあの棍棒を受け取るだろうし、なくても自分の体一つで戦い抜ける。また、周囲の兵士もすぐ彼を守る動きに出る。

 だから、どうしても突出した戦闘力を有する誰かが必要になる。それこそ、ここにキースやアネロスでもいれば、ヤシュルン達の計画でもなんとかなるのだろうが、残念ながら、いるのは俺だ。

 そしてこの俺、ファルス・リンガには身分が付随している。つまり、やったことを揉み消す必要がある。しかし、現に伯爵が殺害されるわけだから、事件そのものをなかったことにはできない。だから罪を誰かになすりつけなくてはいけない。


「タマリアって女を使うなら、今夜にも助け出しておかないといけない。それともルークか? そっちでもいけるように準備は済ませてある。プルダヴァーツに大金を払って買い取ればいい。ただ、早くても明日の昼ギリギリになるが」

「ドロルで頼む」

「なに?」


 この一言を吐き出すのに、なぜかやけに息苦しさを感じた。

 本当に口にしてしまってよかったのか。


 いいに決まっている。

 タマリアの気持ちはまだわからないが、ルークについては俺に好感をもってくれている。どちらとも仲良くできるし、今後とも付き合っていけるだろう。だけどドロルは。俺のことを憎み抜いている。助けたら助けただけ、俺の背中が危うくなるだけじゃないか。なら、いっそ、ここで。


「ドロルというのは……」

「五年前にミルーク・ネッキャメルから引き渡された少年奴隷だ。今はフリンガ城でゴーファトの身の回りの世話をしている」

「なぜそいつにしようと思った?」

「いろいろあるが、ゴーファトを殺すだけの理由がある。つまり……去勢済みだ」

「はっはは!」


 俺の一言に、ヤシュルンは大笑いした。それが妙に癪に障る。


「別に、そいつじゃなくても、あそこには二十人は去勢済みの美少年がいるんだけどな、まぁいい」

「だったら、最初からそっちを使えばいいじゃないか」

「本当はドロルもだが、そいつらは使いたくないんだ。こっちで身柄の確保もできないし、話し合いもできない。要するに、間違って死なれる可能性もあれば、思った通りの証言をさせるのも難しくなるかもしれない。それに……ドロルに身内はいるか?」


 いない。

 いたが、彼自身の手ですべて殺し尽くされた。


「それも良し悪しだな。身内を守るつもりがあれば、そこを弱みにしてつけこめる。いないのなら、こっちが何をどうでっち上げても、声をあげる邪魔者はいないってことだ」

「そう、だな」

「なんだ? 歯切れが悪いな」

「いや」


 何かが心に引っかかっている。


「まさか、ドロルも守りたい、なんて言い出したりはしないよな?」

「いいや。奴は僕のことも恨んでる。どの道……」

「ふふん、なら簡単だ。死なれさえしなきゃ、あとはどうとでもしてやるさ」


 喩えるなら、それは……

 人を噛む犬を、保健所に連れていくような。


 ドロルの存在は、俺にとって有害だ。それは疑いようもない。俺だけでなく、きっと世界中の人にとっても。

 彼は憎んでいる。家族を。スーディアを。貴族を。ゴーファトを。この世の一切を。生かしておいても、誰の役にも立たない。傷つけるだけ、壊すだけ。


 だから、ガス室で殺処分する。

 それは正しいことなのか?


「あとは、悟られないことだ。細かいことはこっちでやっておく。それより、お前が疑われないように、今日からはタシュカリダでのんびり過ごしてくれ」

「そうするよ」

「本番で元気に動けなきゃ、意味ないからな」


 それで話は終わった。

 俺は席を立ち、力なく階段を登って、一度、振り返った。

 そこにあったのは見た通りのもの……黒ずんだ古い煉瓦の壁だった。どんよりとした灰色の空の下、それはまるで無表情のままにじっと見つめる老人のような顔をしていた。


 やるしかない。

 自分にそう言い聞かせ、俺はまた、歩き出した。

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