破片を握る手

「お話はわかりました」


 音もなく溶けていく蝋燭。

 目の前の老いた男は、まっすぐ俺を見据えていた。


 そこに怒りはない。彼はまったく静かだった。と同時に、冷たいこの地下室の石の壁のように頑なでもあった。

 戦わなければ殺される。対話の余地もない。どうすればいいのか。きれいごとでは、彼は動かせないだろう。


 しかし、俺はただの人間だ。

 或いはパッシャは世界の変革を目指しているのかもしれないが、そこに加わりたいなんて、まったく思えない。


「でも、だからってなぜ僕に声をかけるんですか。僕はイーヴォ・ルーとも南方大陸とも、何の関係もないのですが」

「まず、君が有能な存在だからだ。それだけでなく、元奴隷という経歴もある。つまり君は不当に支配され、搾取されることの苦しみを知っている。君に限らず、今の組織の人間は、別に南方大陸出身者に限られているわけではない。人種も、性別も、出身も、何も問われない。中には、龍神の使徒だったのもいる」

「えっ!?」

「だが、前非を悔いるなら、我々は何も言わない。目的さえ一致するのなら、仲間になれるのだ」


 これまでのところ、デクリオンの主張には、少なくとも頭ごなしに否定できる要素はなかった。暴力はいけないことだと、しかしその前提は、自分が手を出さなければ手を出されないというコンセンサスだ。お前は殴られるが、殴り返してはいけないなんて、誰が同意するだろう。

 だからといって、俺が組織に加わらなければいけないかというと、もちろんそんなことはない。例えば貧しい人々を救うためのボランティア活動は素晴らしいが、参加するのを強制されるようなものではない。しかし、たとえ不参加で済ませるにせよ、確たる理由や根拠もなしに、そうした活動を非難することもまたできなくなる……

 いや、待てよ?


「では、あなたがたの目的とはなんですか」


 大きな問題点がある。そこに気付いて、俺は追及を始めた。


「さっき、イーヴォ・ルーへの信仰をなぜ守らなければいけないのか、わからないと言いましたね。でも、女神が悪いに決まっているから、と。この世界がひどい場所だからといって、それでは乱暴すぎるじゃないですか」


 すると、彼はまたしても頷いた。


「無論、その指摘も無視できないものだ。だから、我々の目的は、現在では『世界の修復』にある」

「修復?」

「あるべきものを、あるべき状態に戻すこと。突き詰めれば、それが我々の活動目的となる」


 少し理解できず、俺は目を見開いたまま、彼の顔をじっと見つめた。


「根本的には、女神による征服以後の世界は、すべて誤ったものとみなすのが、我々の認識だ」

「はい」

「もし可能であれば、時計の針を巻き戻して、それ以前の状態に復したい……だが、言うまでもなく、それは不可能だ」

「ですね」

「だから修復する。世界は今も、壊れ続けている。君は穴の空いた衣服やひび割れた陶器を見たことがあるだろう。ほつれたところを縫い直したり、隙間を何かで埋めて修理することはできるが、それだけだ。本当に元通りになったわけではないが、それでよしとせざるを得ない。我々が復讐を容認し、ときに手助けするのは、そういうところからだ」


 それで思い至った。

 反射的に俺は、非難せずにはいられなかった。


「復讐が世界の修復だって? 何を言ってるんですか。そうだ、あなたはクレーヴェに手を貸しましたね。覚えていますか、クレーヴェ・ナラドン・マラティーアのことを。結局、彼は非業の最期を遂げるしかなかった!」

「そうかね?」

「そうかねって、あなたは……!」


 だが、デクリオンは落ち着き払っていた。


「クローマーから報告を受けているから、もちろん認識している。クレーヴェは亡くなったそうだね」

「ええ、パッシャが関与しなければ、あんな悲しい死に方をすることはなかった」

「私の記憶に間違いがなければ、ベグノー家の一女が仇討ちを果たしたそうだが」

「その通りです」


 大きく頷いてから、彼は俺に尋ねた。


「君も居合わせたらしいが、では、聞かせてもらえないか」

「何をですか」

「クレーヴェは、何か一つでも……我々組織について、恨みがましいことを言っていたかね。パッシャなんかに関わったから殺されるんだ、とか。復讐なんてやめておけばよかった、とか。息を引き取る前に、そんなことを口にしたのかね?」

「あっ……」


 言っていない。

 彼は復讐を熱望していた。それだけではない。ウィーの手にかかって死ぬことにも、納得していた。


「彼はすべてを承知で、我々の協力者になった。本懐を遂げてこの世を去ったのだ。彼の人生を修復することができて、本当によかった」

「そんな、そんなものが修復だと」

「他にどうすればよかったのだ? 一人息子を殺されたまま、老いさらばえて、何もできずに寂しく死んでいくのがよかったと、君はそう言うのか?」


 この点、デクリオンは正しい。

 だが、クレーヴェは最後に何を言った? 何をした?


「で、でも! 新たに愛する人を見つけて、笑って生きていくことだって」

「本当にできると思うのか? 自分で自分に嘘をつきながら、無理して笑っているかもしれない。復讐もせず、ぬくぬくと日々を過ごす自分に罪悪感すらおぼえることだろう。どうかね」


 言葉もなかった。

 あれ以外に、彼に相応しい死に方があったのか。


 だとしても。

 あれが、あれだけが彼のすべてだったとは思いたくなかった。


「まぁ、我々の悪事は他にもたくさんある。ピュリスではいろいろやった。密輸商人どもの手を借りたりもした。だが、これも必要だからやっている。活動資金を稼ぎ、有力者との顔繋ぎをして、次に生かすためには避けて通れない」

「悪事だと認めましたね」

「認めるとも。だが、必要悪だ。誰かが資金提供してくれるなら、やらなくても済むのだが……しかし、必要悪というなら、もう語りつくしたことだが、お互い様ではないか」

「なんですって」

「君は何しにスーディアに来た?」


 気付かれている、か。

 考えたくはないが、ヤシュルン達と会ったことも、どこかで知られてしまっているのかもしれない。


「ゴーファトを君が殺さなければならない理由は、どこにある? この仕事をこなせば、貴族にでもなれるのかね」

「そんなくだらない夢なんかない」

「では、誰かを守るためだ。しかし、君があの牢獄の中の少女を救うためにやってきたとは考えにくいな。なぜなら、彼女についての事実を知る余地はなかったのだから……とすると」


 彼はさも面白いと言わんばかりに笑ってみせた。


「ピュリスに残された人々を庇ってか、なるほど」

「脅すつもりか? 手を出してみろ」

「はっはは……いや、なに、そういうやり方もあるがね……考え方を逆にしてみてはどうかね」

「というと」


 彼は身を乗り出した。


「我々が、君の商会と知人を守ろう。無論、組織の協力者になったことを彼らに告げる必要はない。その代わりに、あのクッシュロキア公に復権願えるなら、万事うまくいく」


 こいつ……!

 タンディラールを裏切って、パッシャにつけと。今はレーシア湖の向こうに幽閉されているフミール王子を、次の王に据えてしまえばいい。そうすればパッシャはエスタ=フォレスティア王国を牛耳ることができる。

 確かに、身の回りの人を守りたいだけの俺からすれば、それでも帳尻は合ってしまう。


「遅すぎる提案ですね。どうやって今の王を倒すというのですか」

「倒すだけなら造作もない。君は気付いていないかもしれないが、そこにいる唯一のアーウィンは、我々の希望だ。彼が本気になれば、デーン=アブデモーネルなど、すぐ瓦礫の山になる。信じられないかもしれないが、彼一人で軍団一つに優るだけの力があるのだ」

「だったらやればいいじゃないですか」

「無用な犠牲を出してどうする? それと、目立つ形で暴れれば、さすがに世界中の注目を集めてしまう。それはこちらとしても、やりたくはない」


 その通りだ。

 世俗の王国が戦争を起こしてタンディラールを討ち取ったというのならいざ知らず。魔王の下僕達が殺したとなれば、フォンケーノ侯をはじめとした諸勢力も、おとなしく服属なんてしない。損得度外視で、外国の君主と手を結んででも、パッシャとは敵対するはずだ。


「だったら同じことでしょう。彼がいくら強くても、正面切って戦えない。なら、相変わらずタンディラール王の支配は磐石です」

「そうだ。だから、力を蓄えるしかない。少しずつでも、周囲を切り崩すしかない。それならまずは君が欲しい」

「内乱のドサクサに紛れてちょこちょこ隅で剣を振り回して要領よくご褒美にありついて、諸国漫遊のついでで黒竜討伐のおこぼれをもらっただけの少年に、随分と執着するんですね」

「謙遜しなくていい」


 彼は大きく目を見開いた。

 その眼差しには、奇妙な光が宿っているようにも見えた。或いは部屋の中の蝋燭の灯りを照り返していただけかもしれないが。


「君には、特別な力があるらしいな」

「何を言っているんですか?」

「隠しても無駄だ。私には見えている」


 そうだった。

 こいつには神通力がある。マオ・フーにも同種の能力があった。だから、俺が尋常でない何者かである事実は、隠しようがないのだ。


「へぇ……何が見えているんですか」

「君の力は、唯一なるアーウィンに優るとも劣らない。適切な形で組織のために力を振るえば、理想的な結果が得られるかもしれない」

「そんなことを言われても、また何の根拠もないのでは、僕としては鼻で笑うしかないですよ?」


 その意味では、俺がここまで来たこと自体が、既に失敗だった。

 そもそも、過去のパッシャの作戦でも、俺が謎の存在だったことは認識されている。クローマーと王都で出会ったとき、彼女はこう言っていた。


『正直、ファルスについては、わからないことが多い』


 なぜファルスはクローマーの名前を知り得たのか。パッシャとしても、まずは情報漏洩の可能性を疑ったはずだ。しかし、それがないとなると、ファルスに固有の何かがあるという可能性が浮上する。その想定は的外れでもない。少年といえる若さでこの異能だ。調べる値打ちは十分にある。

 デクリオンというパッシャの首領と会見できたのは、もちろん価値ある体験だった。しかし、そのために俺の情報も抜き取られてしまったのだ。問題は、どこまで彼が俺のことを把握したのか。識別眼で何が見えているのか。

 ピアシング・ハンドのことも、まさか……


「わかった。率直に言おう。私には神通力と呼ばれる力がある」

「そうなんですか」


 あえてしらばっくれてみせる。そして説明を促した。


「神通力の中でも、特に私の能力には、対象の本質を見抜くものがある。具体的には、これを用いると、相手の力の多寡に応じて光が見えるのだ」

「光、ですか?」

「そう、光だ。そんなように見える、というだけだが、様々な色合いで、それぞれ違った輝き方をするので、それとわかるのだ。例えば、鍛え抜かれた肉体や技量が見える。そういうものはだいたい、体の輪郭に沿うような形で、技能に応じて光るのだ。また、神通力に目覚める素質のあるものは、体の中のどこかに結晶のようなものが見える」

「では、僕には何が見えるんですか」


 すると彼は苦笑した。


「いいだろう。君は隠し事が嫌いみたいだから、はっきり言ったほうが信じてもらえるだろうから。君については、ほとんど何も見えない」

「はい?」

「かすかに見えるものはある。どうやら、身体操作魔術あたりに精通しているのではないかね? 武術もそれなりに……しかし、本当にうっすらとしか見えない」

「うっすらということは、大した力もないのでは?」

「最後まで聞きたまえ。どうしてそんな見え方しかしないかというと……君全体を強烈な光が取り囲んでいるからだ」


 ハッとした。

 つまり、識別眼をもった相手には、俺の持つ異能の輪郭が見えてしまっているということだ。


「しかし、そんな光り方をする人間を、私は今まで見たことがない。白というよりは、銀色というか、灰色がかっているというか……だが、とにかく他に例がない。君らが魔人と呼ぶ、我らの使徒達ですら、こうはいかないだろうな。その過剰な光のせいで、他の何かがほとんど見えなくなってしまっている」


 ピアシング・ハンド……世界の欠片の力は、かくも強大なのか。

 だが、安心した。つまりこいつは、俺の能力そのものを把握しているわけではない。ただ、とんでもないエネルギーがあると察知しただけなのだ。


 それより、だとするとこれはチャンスだ。実験してもいいのではないか。

 アーウィンには効かなかったピアシング・ハンドが、デクリオンには通用するのかどうか。


「差し支えなければ、君にどんな能力があるのか、教えてはくれないかね?」

「差し支えがあります」


 本当は強力な戦闘能力を奪いたいのだが、下手に高レベルのスキルを奪い取ると、彼の識別眼でその事実を悟られる危険がある。

 となると、低ランクで……よし、これにしよう。


「それはひどいな。私はこの通り、組織の指導者である事実も明かして、こうして平和的に話をしているのに、君だけ秘密主義なのかね」

「今は平和的ですね。でも、この後、何をしでかすかわかったものじゃない」


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 デクリオン・カーレ (65)


・マテリアル マナ・コア・精神操作の魔力

 (ランク3)

・マテリアル マナ・コア・風の魔力

 (ランク3)

・マテリアル マナ・コア・力の魔力

 (ランク3)

・マテリアル マナ・コア・光の魔力

 (ランク4)

・マテリアル 神通力・魅了

 (ランク7)

・マテリアル 神通力・識別眼

 (ランク7)

・マテリアル 神通力・念話

 (ランク5)

・マテリアル ヒューマン・フォーム

 (ランク5、男性、65歳)

・スキル フォレス語  5レベル

・スキル ルイン語   5レベル

・スキル サハリア語  5レベル

・スキル ハンファン語 6レベル

・スキル シュライ語  6レベル

・スキル ワノノマ語  5レベル

・スキル 魔力操作   6レベル

・スキル 精神操作魔術 6レベル

・スキル 風魔術    6レベル

・スキル 力魔術    6レベル

・スキル 光魔術    7レベル

・スキル 槍術     2レベル

・スキル 格闘術    2レベル

・スキル 医術     3レベル

・スキル 薬調合    3レベル

・スキル 指揮     5レベル

・スキル 管理     5レベル

・スキル 政治     6レベル


 空き(40)

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 ルー語、つまり魔物の言語を奪った。

 ただ、問題は教師が近くにいないことだ。スキルだけあっても使い物にはならない。ピュリスに帰ってマルトゥラターレに教えてもらえば、話せるようになるのだろうが……


 そのまま彼を凝視する。

 アルジャラードのときのようなことは起きなかった。普通にピアシング・ハンドは機能した。その行使にも気付かれた様子はない。ではなぜアーウィンには効かなかったのだろう?


「ではこうしよう」


 頷くと、彼は提案した。


「君がすべてを教えてくれるなら、我々もすべてを教える。具体的には、スーディアで何をしているのか。その秘密をね」

「いつもの復讐でしょう?」

「復讐は、あくまで世界の修復の一形態に過ぎない。今回の仕事は、組織にとって、より本質的なものだよ。君は割れた陶器を直す時、まだ大きな破片が残っているのに、余計なところまで粘土で穴埋めするのかね?」


 世界を修復するための、重要で大きなピースを手にしていると、そういう意味か?

 つまり彼らは、一千年前の女神教以前の世界に繋がる何かを見つけたことになる。


「じゃあ、一体何を」

「だから交換条件だ。公平ではないか?」


 返す言葉もない。

 デクリオンはここまで、非常に理性的かつ論理的に話をしている。その中に嘘が織り込まれているかどうかは、まだわからないながらも。


「君が秘密を教えてくれるなら、我々も隠し事をしない。君が我々の邪魔をしないなら、我々も君の邪魔をしない。もし君が我々を助けてくれるのなら、我々もまた、君を援助する。これを我らが神イーヴォ・ルーと、始祖たる黒き花嫁に誓おう。筋道の通った話だと思わないかね」

「そう言いながら、僕を脅すつもりだ」

「そんなことはしない。いいだろう、では条件を付け足そう。君の選択にかかわらず、ピュリスにいる君の知り合いには、手を出さない。もちろん、彼らが我々に襲いかかってきたのなら別だが……これだけでも、君の今の雇い主より、ずっと良心的だろう」


 だとしても、これだけは言えない。

 ピアシング・ハンドのことを、こんな連中に知られたら。半年もしないうちに、タンディラールの中身もパッシャの誰かに入れ替わるだろう。それだけではない。それこそ各国の要人がみんなそうなる。

 世界征服を実現したパッシャが果たして、今この場でみせたような公平さを保つかどうか。


「ははは、困ったものだ」


 何も言えずにいる俺に、彼はそう笑いかけた。


「今すぐとは言わん。だが、早めに決断することだ。私としては、できるだけ助け合える関係になりたいと思っている」


 デクリオンはそう話を締めくくった。

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