魔物討伐隊、来たる
フリンガ城の真向かいにある広場から、放射状に広がる街路が走っている。その一つから、まっすぐ奥に進むと、不意に大きな空き地に出る。テントが乱立する青空市場だ。
不意の雨に悩まされるこの時期、仮設の屋根もなしに物を売るなんてできない。雨がなければないで、日差しが強すぎる。だから石を掘りぬいた土台に木の棒を突きたて、布を張っただけの簡易テントが思い思いの場所にひしめいている。
袋詰めの麦、やや大ぶりのスモモ、木彫りの食器類……それに、銀色に光る刀剣もある。思いついて、俺は足を止めた。
「アドラット」
こいつに必要かどうかは不明だが、一応、買い与えてみるか。
俺は一振りの剣を手に取った。若い男の売り子は、何も言わず、無表情のままにこちらを見ている。鞘から引き抜き、軽く振ってみた。バランスは悪くない。
「これはどうですか」
「はっ……もしかして、私に?」
「丸腰で騎士の供が務まるとでも」
「はっ、ま、まぁ、言われてみればそうですね」
もし彼が俺の命を狙っているのなら、この剣を受け取ってから、あえて手放した瞬間を選ぶはず。武器なんかないですよ、というアピールをするのにちょうどいい小道具だからだ。
「一度、振ってみて欲しい」
「え、えええ、そんな、恥ずかしいですよ」
「何が恥ずかしいんですか」
「私のへっぴり腰がですね……」
「実戦で同じことを言うつもりですか。敵に」
「う……わ、わかりましたよ」
少し躊躇しながら、アドラットはおずおずと剣を振った。
素人っぽさを演出したいのか、ぎこちない動きだったが。
「使いやすいですか」
「悪くないと思いますけど、やっぱりもったいないですよ、私なんかに」
「もっとちゃんと、力を込めて振らないと、良し悪しがわからないのでは」
「は、はぁ」
まぁ、そうはいっても、すぐ後ろには混雑する狭い通路、ここも狭いテントの下だ。動きにくいのはわかるが。
「ほっ! はっ! ど、どうですかね」
「その調子です。はい、もう一度」
「ええー……じゃあ」
俺は咄嗟に売り場の別の剣を取り上げ、構え直すアドラットに斬り込んだ。
甲高い金属音が一瞬、鳴り響いて止まる。通行人が立ち止まってこちらに目を向けた。すぐ興味をなくして歩き出したが。
「どわぁっ! 何をなさるんですか!」
「いい動きでした」
いきなりの斬撃に、アドラットは体捌きをしてみせた。彼から見て右斜めに立っていた俺が、いきなり襲いかかったのに、体の位置と方向を入れ替えて、俺の一撃を受け止め、巻き込みながら今は左肩を見せている。
見事なものだ。やはり彼は一流の剣士といえる。驚いたふりこそしているが、これくらいで動じる男ではない。
「店員さん、これ、ください」
渋い顔をしている彼に、アドラットの剣を指差した。
金属は打撃で歪むものだ。それを勝手にこんな風にされたのでは、気分も悪かろう。ただ、俺が身に帯びている魔宮の剣で同じことをやると、彼の剣がへし折れる可能性もあった。
「金貨三十枚」
割高だ。
だが俺は逆らわず、懐からそれだけの金貨を取り出すと、黙って差し出した。
「まいど」
若い男の不機嫌はそのままで、こちらに目を合わせようともしない。まぁ、こちらのマナーが悪すぎた。
「行きましょう、アドラット」
「あ、はい」
雑踏の中を歩きながら、俺は後ろを向いて言った。
「腕は悪くないですね」
「そ、そうでしょう! 私だってたまにはマグレってこともあるんです」
「下手な芝居もほどほどにしないと、本当に後ろから斬りますよ」
するとアドラットも、さすがにヘラヘラした笑顔を引き攣らせた。
「で、どちらですか。ワノノマの人は」
「あ、こちらです」
気を取り直した彼が先導する先に、なるほど、特徴的な集団が広い範囲を占めているのが見えた。
彼らだけは準備が足りなかったのか、テントも張っていない。横に渡した木の棒から、魚の干物が吊り下げられている。あまり数はないのだが、これが彼らの商品なのだろうか。売り物の貧相さに比して、売り子の数は多い。みんな、剣道着みたいなあちらの甲冑を身につけている。暑いのか、さすがに兜は被っていないのだが、そのせいで長く黒い髪の毛がバラけてしまっている。それが汗まみれの額に引っ付いて、傍目にも暑苦しい。
一つだけ折りたたみ式の椅子があり、そこに年嵩の男が腰掛けていた。鞘に収めたままの刀を杖代わりに。身動ぎもしない。
「あれで売れると思ってるんでしょうか」
「さぁ」
ざっと彼らのスキルも覗き見たが、ここにいる八名、全員が戦士だ。水泳や操船技術にも秀でている一方、商取引に通じた人物は見当たらない。しかも、そもそもフォレス語を解するのが二人しかいない。なんとまぁ、無謀なこと。
地元のスーディア人も、変な奴らが、何か臭う干物を売りつけようとしているらしいとはわかる。見物だけして、去っていく。ワノノマ人のほうも、何しろ言葉がわからないので、寄ってください見てくださいなどとは声がけできない。ただじっと無表情に黙って突っ立っているだけ。
これは……アレだな。
ああ、もう、ややこしい。要するにこいつらも、身分を偽装したいクチなのだ。アドラットみたいなもの。俺も人のこと言えないが。
こんなやる気のない、ダメな商売をわざわざやるのは、東方から来た自分達がただの間抜けな冒険者に過ぎず、資金繰りに困って干物を売るような連中なのだと、そう印象付けるためで、それ以外の何物でもない。
ということは、ほぼ確実に隠れた目的がある。第一、あのリーダーと思しき男の顔ときたら。東方の人らしく、のっぺりした顔立ちだが、その徹底した無表情。石のようにズシリとくる。あの顔のまま、無言で人を斬れそうだ。
結論、こいつらは魔物討伐隊だ。そうとしか考えられない。
「話しかけてみますか」
「おっ、いいですね。私がやりましょうか?」
「いえ、多分、ほとんどフォレス語は通じないと思います……ああ、そうか。あなた、ハンファン語はわかるんでしたよね? 帝都の人ですし」
「そうなんですよ。ということで、ここは頼れる優秀な下僕の……ってちょっと!」
俺はスタスタと歩き出し、中の一人に声をかけた。
「こんにちは」
もちろん、フォレス語で。
「ああ、こんにちは」
挨拶を返したのは、フォレス語がわかるうちの一人だ。座っているボスにも通じるのだが、干物の横に立つこの細身の武者も話せるらしい。一人だけ髪がバラけておらず、白い手拭いで小さな頭を覆っており、爽やかな青年らしい顔つき。いかにも声をかけやすい。しかも彼は、知り合いの親族かもしれない。
「こんなところで何をなさっておいでなんですか?」
「ああ、その……サカナを売っている」
干物、という言葉が出てこなくて、なんとか魚と表現するしかなかったようだ。彼は日焼けした顔にぎこちない笑みを浮かべつつ、吊り下げられた干物を指差した。
これでもマシなほうだ。他の連中はみんなムスッとしていて、とてもではないが声をかけられる状態ではない。
「おいくらです?」
「あー、えっと、一つ、キンカ三枚」
ブッ、と噴き出した。誰が買うんだ、こんなバカ高いの。
「売る気あるんですか?」
「あっ、ああ」
「皆さん、どちらからお越しなんですか」
「おぉ」
彼らの不自然さについての話は切り上げ、出身を尋ねた。名前を彼の口から言わせるためだ。
会話が長引いているので、だんだんと彼らの関心がこちらに集まってきた。特に椅子に座っている男は、フォレス語をちゃんと聞き取れる。そ知らぬ顔をしながら、小耳に挟んでいるようだ。
「我らは東方大陸の南端、スッケ港から旅をしてきたものだ。あちらでは、弓矢を生業としていた」
「勇ましいことですね。お名前をなんとおっしゃいますか」
「我はカクア・クアオ、そしてあちらにいるのが我らの主君、ヒシタギ・ヤレルだ」
微妙に堅苦しくて変なフォレス語で、返事をしてくれた。
「カクア? では、カクア・ユミのことはご存知ですか?」
「その名前をどこで!」
彼の顔に驚きが浮かんだ。やっぱり親族か。
「僕はピュリスにいたんです。そこの居酒屋の手伝いをしていたのですが、ユミさんは常連客の一人でした」
「おぉ……」
「お話もいろいろしましたし、彼女の仲間の冒険者とも付き合いがあったんですよ」
俺がユミの話をするのは、彼らと距離を詰めるためだ。仲間、身内、とまではいかなくても、協力者になり得るかも、と思わせたい。
しかし、彼らの表情は微妙だった。
クアオは辛うじて笑顔を保っているが、後ろではヤレルが難しい顔で、何事かを周囲の部下に話している。俺が彼と会話した内容を伝えているのだろう。
考えてみれば、そういう反応もありか。ユミは逃亡者だった。縁談を蹴って、家出してうろつきまわっていた悪い娘なのだ。その友達でした、と言われても……
「ワノノマの人はすごいんですね。ユミさんも若かったのに、本当にいろんなことに通じておいででした」
「武人……の家に生まれたら、男も女もない。厳しく育てられる」
「そうなんですね」
どうしよう。
彼らの目論見を知りたい。どういう情報を得て、スーディアに向かうことにしたのか。ここでの任務は何なのか。でも、教えてくれるはずもない。このままでは。
「皆さんは、では、武者修行でいらっしゃったんですか」
「そのようなものだ」
「何かご不便なこととか、お困りのことはないですか」
すると、クアオは後ろを振り向いて、椅子に座ったままのヤレルと、一言二言、やり取りした。
「今のところは困ってないが……まだ、キデンの名前を知らない」
「これは失礼しました。ファルス・リンガと申します。この通り」
黄金の腕輪を見せて、自己紹介した。
クアオは表情を強張らせる。
「まだ年少ではありますが、騎士の身分を与えられた、身元確かな者です。ご安心ください」
笑顔を浮かべながら、俺はあれこれ計算していた。
彼らは味方だろうか? 敵だろうか? マルトゥラターレにとっては、間違いなく敵だ。しかし、パッシャを敵に回すタンディラールやヤシュルン達にとっては敵の敵、潜在的には味方だろう。では、パッシャに付け狙われている俺は?
個人的にはパッシャと敵対しているつもりだが、アーウィンは俺を仲間に引き込みたいと言っている。俺は俺で、組織に加わったニドを、可能ならという但し書きがつくが、救い出したいと思っている。問答無用の殺し合いに至るかというと、そこが微妙だったりする。
なら、俺がここで全情報を提供してパッシャと戦ってくれと言ったら、どうなるだろう? 手助けしてくれるかもしれない。しかし、パッシャの側がどれだけ俺のことを把握しているか、わからない。少なくともアーウィンの口ぶりからすると、タマリアの居場所くらいは確認している。見せしめに彼女が殺されたり、人質になったりすることも考えられる。それにまた、ニドが今度こそ、本気で俺を殺しにくることも……
厄介だ。糸が絡まりあうばかりじゃないか。
「ファルス殿は、なぜスーディアへ?」
やっぱりそうきたか。
これがまた、俺の立場を複雑なものにする。
「領主であるゴーファト様の招きを受けました」
するとゴーファト寄りの誰かなのか、と疑われる。
「実のところ、ゴーファト様とは、もともと王都での夜会で、二度ほどお会いしただけでしたから、どうして僕にお声がかかったのか、わからないのですが……」
と言い訳しておく。
こうやって話をしながら、やっぱり難しいか、と内心で舌打ちする。
互いに協力し合う理由はありそうなのだ。しかし、どちらも信用が足りない。俺だって、彼らワノノマの魔物討伐隊が、他ならぬ俺自身に牙を剥かないとも限らないと承知している。龍神ヘミュービの怒りをかった俺が、女神教の信奉者とうまくやれるものかどうか。
クアオの後ろで、山が動いたかと思った。
いや、そこまで大柄な男ではないのだが、まったく無表情な武人が椅子から立ち上がると、そんな圧迫感があった。
「なるほどの」
クアオよりは流暢なフォレス語で、ヤレルは言った。
「ファルス殿。ワノノマの武人を束ねるヒシタギ・ヤレルだ」
「ヤレル様、若輩者ながら、ご挨拶させていただけて光栄です」
「我らはまだ、この地に着いてより日が浅い。かろうじて言葉を解するものも、わしとクアオしかおらぬ。武を鍛錬せんものと海を渡ったが、どうやら困窮しつつあるらしい」
「お金でお困りですか」
といっても、八人からの旅費となると、俺にとっても小さな負担ではないが……運んできた金貨だけでは、すぐなくなってしまう。
もっとも、彼らが本気でお金を欲しがっているとも思えないが。
「飢えても物乞いなどせぬのがワノノマの武人よ」
「は……失礼しました」
無表情でそう言われると、怒られたのかと思ってしまう。
だが、そうではない。これは「拒否」だ。内情を明かす気はない。少なくとも、まだ今は。
「だが厚意を無にするのも礼を失する振る舞いであろう。ファルス殿、スッケにお越しのことでもあれば、我が兄、一族の頭領たるオウイを訪ねるがいい」
「はっ、はい」
これで終わりにしてしまっては、接触した意味がない。
「ヤレル様、僕はタシュカリダの宿舎におります。もしよろしければ、そのうち東方の話などを聞かせていただけませんか」
「我らは修行中の身、スーディアを経巡って魔物を探し、これと戦うことを求めておる。あまりここには留まらぬかもしれんが」
「それはなんとも興味があります。東方の剣術を一度、拝見させていただける機会はないものでしょうか」
しつこい奴、と思っただろう。
ヤレルはもう、俺が変な奴、怪しい奴だと感じ始めている。それでいい。対話が始まらないことには、どうにもならないのだから。
多分、ここに俺がいることなど彼らは想定していなかった。だから事前情報もなし。ゆえに一切の言質を与えるわけにもいかない。次は彼らからアクセスがあるかもしれない。もちろん、俺の情報を調べ上げた上でのことだ。
ふう、と息をつくと、彼は頷いた。
「善処しよう」
そう言うと、彼は手を挙げた。
これを受けて、男達は急にバタバタと後片付けを始めた。
「ここではサカナは売れぬ。商売を変えねばならんな」
そう言いながら、彼は背を向けた。
俺もこれ以上は邪魔できないと悟って、黙って頭を下げ、手を振るクアオに別れを告げた。
振り返り、歩き出す。
収穫なし。いや、「まだ」収穫に至らず、か。お互い、わからないことも多すぎる。
狭い通路、雑踏の中を掻き分けながら、市場の外を目指す。
さて、次は……
「ファルス様ぁ」
……後ろから気の抜けた声が聞こえてきた。
「なんですか、アドラット」
「ファルス様って」
首を傾げながら、彼は言った。
「猫をかぶるときって、あんなにも、気持ち悪いくらいペコペコするんですねぇ」
「うっ」
指摘されるとちょっと。
でも、お前に言われたくない。
「方便です。方便。さ、行きますよ」
気にしている場合ではないから。
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