怨恨の炎

 暗い部屋の中、俺は窓際の椅子に腰掛けたまま、動かなかった。

 使用人に言いつけて、お茶のポットを持ち込ませてテーブルに置きっぱなしにさせてある。それをゆっくり飲みながら、何もない虚空を眺めていた。


 本当なら、酒を浴びるほど飲みたいところだ。だが、さすがにそこまで自分の判断力を下げるわけにはいかない。

 最低の気分だった。ただでさえ行き詰まっているところに、「味方」「仲間」を名乗る邪魔者が増えたのだから。


 証拠も何もない以上、完全に信用するのも危ういが、あのヤシュルンとその仲間達については、とりあえずはタンディラールが配置しておいた人員であろうと判断はできた。ならば協力関係を築けるかと考えたのだが、それは思ったほど簡単ではないようだった。

 一応、味方なのだからと、俺は情報の出し惜しみをやめた。パッシャとの遭遇、とりわけアーウィンの異能は驚異だった。ピアシング・ハンドについて知らせるわけにはいかないので、言葉を濁しながらにはなったが、奴の能力について大雑把に説明した。気配のないところからいきなり現れた、あれは瞬間移動に違いない……といった具合に。

 鼻で笑われてしまった。俺の未熟のせいではないかと。実力者なら、完全に気配を消して背後をとることだってある。彼らの常識では、そういうことだった。要するに、アーウィンの能力はあまりに非常識すぎて、なまじ経験がある彼らだけに、説明しても法螺話にしかならなかったのだ。


 嘲笑を浴びるのは気分が悪いが、それはまだいい。問題は他にあった。

 ゴーファトの暗殺という共通の目的がありながら、俺と彼らの間には、優先順位について、見解の相違があった。彼らにとって重要なのはまずゴーファトの暗殺で、このパッシャの協力者を除きさえすれば、闇の組織は何もできなくなると決め付けていた。続いて大切なのは、この事件が王室の陰謀であると悟られないこと。具体的には、ファルスが殺したと知られるのを避けなくてはならない。そのためには、タマリアやルークを実行犯に仕立てるのも、やって当然のことだったのだ。


 そして、俺が異を唱える余地はなかった。

 もともと、ゴーファトの始末は彼らの仕事だった。そこに標的自身の嘆願もあって、俺が計画に後追いで紛れ込んだだけなのだ。彼らの中では、計画の主役は自分達で、ファルスはそのトッピングに過ぎなかった。うまく利用できればよし、足手纏いになっても表沙汰にはできない厄介な代物……

 それに、プライドもあったのかもしれない。もともとこれは俺達の仕事だと、ポッと出の、表の世界のボンボンが首を突っ込みやがってと、そういう気持ちもあったように思われる。


 彼らには彼らの立場も誇りもあるのかもしれないが、その考え方や方針は、俺の希望するものとは大きく異なっていた。

 俺はルークもタマリアも救い出したい。自分が殺害犯として追われることになってもだ。だが、それは彼らにとって失点にもなるし、王室に疑惑の目が向けられかねないから、まずここで意見が合わない。

 それと、ゴーファトとパッシャが手を結んでいるという証拠はまだないのだが、彼らはそうであると断じていた。話によると、パッシャとゴーファトとの間に交わされた密約についての連判状を、彼らの仲間の一人がフリンガ城内で発見したという。ただ、それを直接持ち帰ることはせず、仲間に事実を報告するにとどめた。実物を盗んで持ち帰った場合、相手が気付かれたことを知るからだ。それで書類の在り処だけ伝えて、本人はタンディラールへの報告のため、王都に向かった。その途上でパッシャの襲撃を受けたが、報告を王都に持ち帰ってから死んだという。

 俺は使徒の介入を知っているから、これをそのまま事実と鵜呑みにはできないのだが、彼らは俺より、仲間を信じている。仮にすべてその通りだったとしても、今回、本当にゴーファトを殺すだけでことが片付く保証はない。まだ彼らの真の目的が明らかにできない以上、慎重に判断すべきというのが俺の考えだった。というわけで、これも意見が合わない。


 ゴーファトが俺の目的に気付いているらしいという意見についても、一笑に付された。だったらどうして捕らえられずにいるのか、説明できないというのだ。

 俺には説明できる。そもそもアグリオの通常の出入口は彼が掌握しているので、無闇な脱出はできない。強引に出ようとしても、パッシャが彼と同盟関係にあるとすれば、あのアーウィンが追いすがってくる。そうでなくても、それなりの腕利きが待ち構えていることだろう。その時が来るまで、俺を泳がせているだけにすぎない。

 が、そもそもアーウィンの存在自体が法螺話なので、これも理解はしてもらえない。


 俺の意見が説得力を欠くのは、俺自身、読み取れずにいる謎が残っているためだ。ではなぜ、危険分子たるファルス、王の密命を受けているだろうこの少年を、わざわざ城下に招いたのか。合理的な説明ができない以上、どれもこれも根拠のない憶測にしかならない。


 何がこんなにストレスなのかといえば……

 仲間、味方と言いながら、俺の行動に制約をかけるだけの存在だからだ。


 俺は強い。あんな密偵どもなんか、軽く全滅させられるくらいには。なりふり構わずやっていいのなら、フリンガ城を血塗れにできる。

 俺は弱い。アーウィンには勝てないだろうが、それだけではない。ノーラ、ルーク、タマリア……近くにいる人が、そのまま人質になってしまう。目に見えない鎖が俺の手足に絡みつく。彼らを守りきれるだけの力がない。


 タンディラールの誤算とは言うまい。

 俺自身、ここに来るまで、こんな異常事態はまるで予想していなかった。ゴーファトから肉体を奪い取るのが難しいとも思わなかったし、パッシャの連中がいるにしても、せいぜいあのクローマーに毛が生えた程度の実力者が隠れているくらいだと、そう考えていた。何より、使徒まで出張ってくるなんて、完全に想定外だ。

 これが普通の暗殺の仕事で済む程度の話であれば、俺はヤシュルン達と出会うことさえなかった。さっさとゴーファトの肉体を奪って、その辺に捨てるだけ。また仮に彼らと接点を持つにせよ、方針の食い違いで頭を悩ませることもなかったはずだ。つまり、今回はとにかく巡り合わせが悪かった。


 どうしたらいいのだろう。

 まったく道筋が見えない。希望の光が……


 ……希望の光ではないが、旧市街のどこかにパッと明るい光が見えた。


 あれは照明じゃない。

 見る見るうちに赤い炎の舌が這い上がってくる。放火だ。またか。


「怪盗ニド、か」

「その通り」


 あるはずのない返事が、すぐ背後から聞こえた。

 慌てても仕方ない。


「マナーが悪すぎるんじゃないのか」

「ドアをノックするのも目立つからね」

「あれはお前がやったのか」


 不思議と怒りとか焦りといった感情がわいてこなかった。俺はのんびりとポットを取り、空になったコップにお茶を注いだ。


「まさか、とんでもない」

「てっきり怪盗ニドというのは、お前のことかと思っていたんだが」

「違うけど、違わないかな」

「どういうことだ」


 窓際に立つと、アーウィンは座ったままの俺を見下ろした。


「今夜もよく燃えてるね、うん」

「焼け死ぬ人もいるんだぞ」

「そうだね」


 透明感のある笑顔を浮かべたまま、彼はこともなげに言った。


「会ってみないか」


 こちらに振り向き、まるで女の子を口説く時のような微笑を浮かべて。


「きっと彼も、君に会いたがっているだろうから」


 俺はアーウィンの顔を見据えた。


「どういうことだ」

「どういうことって、何が?」

「いろいろだ。何のために城下に住む人々を襲わせている。そんな放火魔と俺を引き合わせて、何をするつもりだ。お前達はゴーファトの味方をしているんじゃないのか。それとも、これは奴の指示か。それに」


 俺は席を立って彼と向かい合った。


「前に言ったな。救われない人々を救うために、復讐のために組織があるんだと」

「そんなようなことは言ったね」

「お前達は、恨みを増やしているんじゃないか」


 俺の指摘に、アーウィンは頷いた。


「君はなんでも理詰めで考えるんだねぇ」

「気分で決めろとでもいうのか?」

「いいよ。できるだけ答えてあげよう。襲わせているのは、アグリオに拠点を置く商人や土豪だ。みんな、それなりに恨みを買ってる連中ばかりだ。もともと復讐されるだけの理由ならある。ただ、こちらの目的としては、城下の紛争を増やすためにやっている面はある。疑心暗鬼に駆られて、殺しあってくれるからね」


 怪盗ニドを使って、人々の間にある憎悪を掻き立てる。これがまず、目的だという。人差し指を突きたて、続いて中指も立てて、続きを語る。


「ここの領主の関与については……申し訳ないけど、今は省略させてくれないか。ただ、組織の目的についていえば、そこはもちろん、何より最優先だ。組織は契約を結んだ協力者には、約束通りのものを与える。少なくとも、最大限の努力をする。但し、その後はこちらの決まり通りにやらせてもらう」

「よくわからないことを」

「そうかな? 君は知っているはずだ。ナラドン家の最後をね」


 それも報告が届いているのか。

 しかし、言われてみれば、これが彼らのやり方だった。


 ナラドン家、つまりクレーヴェのことだ。一人息子を殺された彼は、復讐のために一線を越えてしまった。

 彼の最初の計画では、ウィーの父ネヴィンを冤罪で処刑させ、その後釜としてピュリスの総督になって、真犯人をあぶりだすつもりだった。しかしそれに失敗すると、今度はウィーを騙し、サフィスの排除に利用しようとした。最終的に、息子を殺した犯人が海竜兵団の軍団長バルドだとわかると、内乱中のドサクサに紛れて、クローマーらを使って彼を拉致し、殺害した。

 だが、話はそれで終わらない。彼は復讐を全うしたが、同時に復讐される立場にもなっていた。ウィーの父を殺したのだから。それでクローマーはウィーに接近し、真実をぶちまけてしまった。クレーヴェはウィーの手によって討たれ、復讐が終わった。

 誰の復讐であっても完遂させる。殺していいが、殺される。恨みのすべてが尽きるまで、殺し合わせる。それがパッシャなのだ。


 とすると、だ。

 仮にパッシャがゴーファトの協力者だったとして。彼には何か、要求するものがあるはずだ。その達成には、組織も力を貸す。しかし、依頼が済んだ瞬間、彼らは本来の目的に向かって動き出す。

 例えば、タマリアのためにゴーファトを殺す可能性も……


「じゃあ、ニドとやらは、誰なんだ。どうして俺に会わせようとする」

「それは会えばわかる」


 そう言って笑うばかりだった。


「何が正しくて、何が間違っているのか。見極めて欲しいのさ」


 数分後、俺とアーウィンは、真っ暗な街路を黙って歩いていた。奇妙なものだ。俺はパッシャと手を結ぶゴーファトを殺しにきた。なら、何よりの敵はパッシャであるはずだ。なのに、その組織の重要人物の提案を容れて、街を荒らす怪盗と面会しようとしている。

 これは裏切りだろうか? いや。目的を達するため、真実に至るための選択だ。手詰まりの今となっては、尚更そうだ。


「いやぁ、友情っていいものだよねぇ」


 友達とこっそり夜遊びに出かけた若者のようなノリで、アーウィンは話しかけてくる。


「イタズラしにいくみたいで、ワクワクしないかい?」

「真面目な話じゃなかったのか」

「ああ、君も生真面目な部類の人間なんだけど、実はニドもそうなんだ。だからだよ。適度に肩をほぐして、打ち解けて話ができるようにしてあげたいと思ってね」


 放火魔と仲良く談笑。想像もつかない。


 だが、ここスーディアに到着してから、俺の中の善悪の軸は、確かに揺るがされつつあった。

 俺の正義の基準なんて、ちっぽけなものだ。身近な人の笑顔を守りたい。そういう凡人の心があるだけだ。じゃあ、縁遠い人、嫌いな人はどうなってもいいのかというと……本当はそうなのだろう。ただ、それを表に出すと決まりが悪いから、なんとなく善人面をしてやり過ごしているだけ。普通の人なんて、だいたいそんなものではないか。

 しかし、なぜかこの数日、周りで起きている出来事の数々は、俺に断固たる対応を要求してくる。本当にゴーファトは死に値するのか。ルークは救われるべきか。タマリアは自業自得なのか、それとも守るべきか。


 では、復讐を容認し、応援するパッシャは、悪なのか。

 彼らがいなければ、クレーヴェは息子の仇討ちを果たせなかった。そのためにウィーの父を犠牲にしたし、他にも悪事に手を染めたには違いない。では、だからといって、クレーヴェに我慢せよと言えるのか。殺されても、そこだけは譲れなかっただろう。それに最終的にクローマーは、ウィーの復讐を手伝った。クレーヴェは報いを受けたのだ。

 あらゆる復讐が最後まで完遂された世界は、もしかしたら平和なものになるのではないか? どうなのだ?


「そこの角を曲がったところ、廃屋があるんだけど、そこがニドの今夜の宿だよ」

「お前は来ないのか」

「一緒にいてもいいけど、ほら、二人きりで友情を育んで欲しいからさ」


 本気なのか、冗談なのか。


「だから、ここで失礼するよ。また会おう、ファルス」


 それだけ言うと、ごく自然な様子で背を向け、通りの向こうに去っていってしまった。

 武器は持ってきていない。この体と魔術があるだけだ。ニドがどういう人物かはわからないが、危害を加えられないとも限らない。気持ちを引き締めた上で、真っ暗な入口に踏み込んだ。


 入口付近には、目の荒い砂が散らばっていた。それが音をたてる。やたらと埃っぽかった。

 そこで気付いた。足跡がない。では、俺は騙された? いや……


「ハッ!?」


 床を転がって避ける。見えなかった。だがかすかな風切り音が聞こえた。石の床に、鈍い金属音が短く途切れる。

 じっくり観察している暇はない。ただ、横目で見て確認した。投擲用のナイフ。刃渡り三センチもない、先の尖った手裏剣みたいなものだ。ほぼ真っ黒で、光をあまり反射しない。

 用心深い奴だ。自分の足跡を消すと同時に、ねぐらに誰かが入り込んでいないかを確認するために、砂を撒いておいたのだ。訓練された暗殺者といったところか。


 にしても、何が友情だ。いきなり殺しにきてるんじゃないか。


 このままではまずい。

 パッシャの戦士は神通力に覚醒していることが多い。つまり、『暗視』などの力を持っていて、こちらの動きを視認できている可能性が高い。このままでは不利だ。といって、出口に駆け出せば、そこを狙い撃たれる可能性もある。

 とすると、いきなり手の内を明かすことになるが、仕方ない。


 何もない暗黒の空間に、右手を突き出す。そして大急ぎで詠唱した。

 パッと手から火花のようなものが散らばる。それで十分だった。


「そこか!」


 俺は剥き出しの梁の上に立つ人影を指差した。


「グッ!?」


 急ごしらえの『行動阻害』でも、効果はあったらしい。予想もしない激痛に、そいつは狭い足場の上から落下した。


「逃がすか!」

「食らえっ!」


 その瞬間、俺はやっと認識が追いついた。

 身を翻し、その場で床に転がる。続いて轟いたのは、激しい爆発音。


 火魔術? 違う。


------------------------------------------------------

 ニド (12)


・マテリアル ヒューマン・フォーム

 (ランク6、男性、14歳)

・マテリアル 神通力・爆炎

 (ランク7)

・マテリアル 神通力・暗視

 (ランク5)

・マテリアル 神通力・探知

 (ランク4)

・マテリアル 神通力・隠蔽

 (ランク4)

・スキル フォレス語  5レベル

・スキル 格闘術    3レベル

・スキル 投擲術    4レベル

・スキル 暗器     3レベル

・スキル 軽業     4レベル

・スキル 隠密     4レベル

・スキル 罠      3レベル


 空き(0)

------------------------------------------------------


 おずおずと頭をあげる。俺がくぐった入口は、壁一面ごと見事に吹き飛んでいた。

 相当な威力の爆発だったが、どうやら思ったほどうまく使いこなせてはいないらしい。床に伏せただけの俺が、ほぼ爆風の被害を受けずに済んだ。これはつまり、彼の『爆炎』には指向性があり、それ以外の範囲には破壊力が及ばないことを示している。もっとも、そうでなければ本人が大火傷を負ってしまうだろう。


 危なかった。

 ピアシング・ハンドがあれば、なるほど、認識できた相手の能力を確認することはできる。できるが、それを一覧してどう対処するかを考える時間が十分にあるかといえば、必ずしもそうではない。

 まともに戦えば負けない相手だとしても、今みたいにいきなりの攻撃を浴びせてきたら、どうなるかわからない。


「何をする。どういうつもりだ」

「ハッ」


 俺は起き上がり、ニドを睨みつけた。

 体格は俺とあまり変わらない。ただ服装はというと、ほぼ黒尽くめ。パッシャの工作員が着る、あれと同じ。


 さっきの爆発は、吹き飛ばされなかった建物のあちこちに飛び火して、小さな赤い火を点し始めている。


「誰かと思ったら……ファールースー様じゃねぇか」


 わざと俺の名前を間延びした声で強調して呼んだ。軽蔑の気持ちが込められている。


「なに?」

「おぉっとぉ……そんな呼び方じゃわかんねぇってかぁ?」

「俺のことを知って」

「なぁ、ノール」


 そこで俺は、彼の顔をじっと見つめた。

 人相は少し変わってしまっている。だが、そのどこか垢抜けた顔立ち、軽やかで鋭い雰囲気は、彼以外には考えられなかった。


「……ウィスト!?」

「今はニドだ」

「どうして!」


 また一人。

 これは偶然なのか? それとも、これまた使徒の手回しなのか?


「どうして、パッシャなんかに」


 俺は、もはや警戒心も何もかもを忘れて、立ち尽くしていた。

 そんな俺の動揺を、さも面白いと言わんばかりに、彼は鼻で笑ってみせた。


「どうしてって、そいつは俺の台詞だよ」

「な、なにが」

「なんでまたお前、貴族に尻尾振るようになっちまったんだ?」


 頭を殴られたような衝撃が、俺を襲った。

 俺は、昔の「仲間」から、どんな風にみられているのだろう。貴族に媚びて、かわいがってもらう……卑しい奴?


「そ、そんな、それは」

「俺はさ、お前のこと、買ってたんだぜ?」


 言葉をなくした俺の前を歩き回りながら、彼は言った。

 既に着火し、上のほうから燃え始めている木の柱に掌を当てる。


「森の木はみんな背が高い。何も知らない俺達には、立派なものに見える。だけど、木にとっては無駄なものなんだ。頑張って背を伸ばさなくても、余計なことさえしなければ……地べたに近いところでのんびりできる。なのにそれをしない」


 大昔に、そんな話をした気がする。


「無駄な苦労のために、森の木も、俺達人間も、人生のほとんどを使わなきゃいけない……お前が教えてくれたんだよな?」

「あっ、ああ」

「だったら」


 ドン、と柱を押した。

 上のほうから火の粉が散らばって落ちてくる。


「切り倒しちまえばいい」

「何を言って」

「同じだろ? 王侯貴族の住まう宮殿。王冠。無駄だ、無駄。こんなもののために、俺達は洞だらけの木の幹みたいになるまで、体をボロボロにしながら働かなきゃいけねぇ」


 既に建物の上のほうが、激しく燃え上がり始めている。この火災も、そろそろ人々の注目を集めだしているはずだ。


「ブッ壊すんだよ。何もかもを。ああ、焼き尽くしてぇんだ、俺は!」


 ウィスト……ニドは、怒りに燃えていた。

 何もない空間を掻き毟るようにして。目に見えない何かを引き裂こうとしていた。


「何が、あった」

「見ろよ」


 彼は乱暴に、自分の上着に手をかけ、一気に前をはだけてみせた。

 そこには……


「うっ!」

「ぜーんぶご主人様のおかげだ」


 ……ひどく焼け爛れて、ところどころ汚い焦げ茶色になっていた。これでよく生きていたと思うくらいの。


「貴族だかなんだか知らねぇが、そりゃあもう、俺で楽しく遊んでくれたもんだぜ」

「ひどい」

「ひどかぁねぇよ。別に、やりたいからやったんだろ」


 上着を引き寄せ、元通りに身につけながら、彼は皮肉な笑みを浮かべた。

 思うに、ウィストを購入した貴族は、何かのきっかけで彼を虐待することにしたのだろう。大した理由など、なかったのかもしれない。ただ、いじめて楽しむ。その結果が、体中に残る火傷の痕だった。

 もしかすると、それが彼を神通力に目覚めさせたのかもしれない。


「組織には感謝してるぜ」


 楽しげに足踏みしながら、彼は続けた。


「ムカつく奴をブッ殺すやり方を教えてくれたんだからな」

「ウィスト、確かにひどい目にあったのはわかる。でも、パッシャはダメだ。今からでも、間に合うのなら」

「その名前で呼ぶな」


 キッと俺を睨みつけながら、彼ははっきりと言った。


「俺はニド、ウィストじゃない。パッシャじゃなくて組織。二度と間違えるな」


 何も言えなくなった俺に、彼は更に畳み掛けた。


「なぁファルス」

「なんだ」

「なんでお前、ゴーファトなんかと仲良くしてるんだ?」

「あ、えっ? べ、別に」

「スーディアあげるって言われて、もらうことにしたんだろ? もうケツの穴は捧げてやったのか? なぁ」


 どうしてそのことを?

 考えが纏められない。


「お前がそうやって楽しいことしてる間に」


 彼は後ろを指差した。


「タマリアは今もオモチャにされてるって言うのによ」

「ニド! それは」

「昔の知り合いなんざ、いくら犯されたって平気ってか。そりゃそうだ。なんつったって、貴族様になるんだもんなぁ!」

「ち、違う! 聞いてくれ! 俺は」

「うるせぇよ」


 ニドがグッと右手を握り締める。すると、周囲の火勢が急に激しくなった。

 そのまま、すっと後ろに下がる。


「俺はすべてをぶっ壊す。邪魔をするなら……お前もだ」

「待て! 待ってくれ!」

「じゃあな」


 その言葉と同時に、さっき彼が手を触れていた柱が燃え上がり、倒れかかってきた。燃え上がる炎が行く手を、視界を遮る。周囲が完全に火に包まれる前に、俺も外へと逃れる他はなかった。

 急いで外へと走り出て、俺は振り返る。燃え上がる廃屋には、今更のように人々が押し寄せてきていた。


 まさか、こんな再会になるなんて。


 これは夢なのか、現実なのか。

 俺は呆然と立ち尽くすばかりだった。

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