実行部隊の目算

 陰鬱な旧市街を歩く。頭上には重苦しい吐息のような黒雲が覆いかぶさり、地上はひっそりと息を潜めている。傷一つない市街地も、いきなり広がる焼けた広場も、そこは変わらない。


 根本的な問題解決ができない。

 具体的にはゴーファトをどう殺すか。ピアシング・ハンドの使用は極力避けなくてはいけない。


 理由はわからないが、ああいった警告は無意味なものではない。例えば、ヘミュービやアルジャラードからディバインコアを奪い取っていたら、今頃、取り返しのつかない後遺症があってもおかしくなかった。広大な空間の中で自分が四散するような感覚とか、逆に閉所に閉じ込められるようなイメージとか。あれは能力奪取の結果に違いない。自分が自分でなくなるような、そういう恐怖があった。

 ゴーファトに関しては、その点が少し奇妙ではあった。肉体を奪うことによって、俺自身が変化する何かが見えたわけではないからだ。ただ、スーディアの地が、気色悪い触手のようなものに覆われるというだけだ。先の神や悪魔の何かを奪おうとした時とは、感じたものが違う。それでも重大な警告だったように思われる。


 原因は不明ながら、それ以外の手段で殺さなくてはいけない。しかし、これが難しい。

 白兵戦で彼に勝利することはできるだろう。しかし、彼が既に、俺の目的を半ばまでは認識しているとすれば。スパイと知りながら手元に置いていて、油断する馬鹿などいるはずもない。ただ一つ、ゴーファトの想定にないのは、俺が彼の考える以上に強いということだけだ。

 無理やり戦いを挑んで殺す……それ以外のやり方が思いつかない。最悪、それも選ばざるを得ない。とすると、こまごました問題を先に解決しておかなくてはならない。


 まず、ルークの買い取りだ。

 俺が貴族殺しの犯人として指名手配される以上、購入された奴隷も立場が悪くなる。何の関与もない場合でも、彼の身分は宙に浮いてしまう。親族も何もいないので、彼を俺の代わりに所有する人がいなくなるからだ。

 つまり、最初から別の人が買うべきだ。せっかくノーラがいるのだから、彼女が引き取ってしまえば、そこは丸く収まる。ついでにゴーファト殺害でゴタゴタしている間に、タマリアの救出もしてもらう。

 それ以外、どういう道筋が描けるというのだろう?


 思い悩みつつ、俺は路地から路地へと、狭い場所を選んで歩いていた。ノーラに会うのだから、目立ちたくない。


 ここを右に曲がるともう、あの場所……タマリアが閉じ込められている牢獄だ。かすかに物音が聞こえる。今日も客がついているらしい。火花のような怒りが噴き出るが、それを燃え広がらせるようなことはしない。

 今の俺には、差し迫った問題があるらしい。


 誰かが俺の後をつけている。

 どこの手の者だろうか。ゴーファトか、それともパッシャか。ひっ捕らえて吐かせてやろう。


 静かに剣を抜き払った。


「あまりうまいやり方とは言えないな」


 後ろの角から、皮肉っぽい鼻につく声が聞こえた。

 気付かれたと悟って、身を隠すのをやめたのだろう。


 路地の向こうに姿を現したのは、中年の男だった。顔にも特徴はなく、くすんだ色の服を身につけた、平凡な雰囲気の人物だった。多分、道ですれ違っても、まったく印象に残らないだろう。


「誘い込んで取り押さえたほうがよかろうに……剣を抜いたのでは、逃げられてしまうぞ」

「誰だ」

「当ててみろ」


 名前ならわかる。


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 ヤシュルン・ヨク (37)


・マテリアル ヒューマン・フォーム

 (ランク5、男性、37歳)

・スキル フォレス語  6レベル

・スキル ルイン語   5レベル

・スキル サハリア語  5レベル

・スキル 格闘術    5レベル

・スキル 投擲術    5レベル

・スキル 暗器     5レベル

・スキル 軽業     5レベル

・スキル 隠密     5レベル

・スキル 罠      4レベル

・スキル 水泳     4レベル

・スキル 薬調合    3レベル

・スキル 医術     3レベル

・スキル 料理     2レベル

・スキル 裁縫     2レベル

・スキル 商取引    3レベル


 空き(22)

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 しかし、誰の手下かまではわからない。


「わからない」

「考えることもしないのか」

「必要ないからな」


 その瞬間、俺は地を蹴っていた。

 遠すぎる間合い。普通ならそう思うところだ。しかし、とっくに尾行に気付いていた俺は、既に魔術で身体強化を済ませている。滑るように、むしろ敵に吸い寄せられるようにして、あっという間に懐に入った。


「ぐふっ」


 避ける暇も与えず、鳩尾に一撃を浴びせる。足を刈って引き摺り倒し、仰向けになったヤシュルンの首に抜き身の剣を押し当てる。


「ぐ、貴様」

「吐け」

「間抜けが……やはりやり方がわかってないようだな」

「そうでもない」


 とりあえず手足をもらってから、どこかに監禁して、能力を一つずつ奪う。その上で精神操作魔術で頭の中を覗き見れば、自白したのと同じになる。


「ヤシュルン。あまり人を侮らないほうがいいぞ」


 これはハッタリだ。どこに所属しているかなんて、俺にはわかりようがないのだから。

 しかし、俺が名前を呼ぶと、彼は途端に笑いだした。


「ハッハハ……そこまで知っていて、こんな扱いをしたのか?」

「なに?」

「貴様がこんな乱暴者だったとは、聞かされていなかった」


 彼から敵意は霧散していた。ただ、やはりどうにも鼻につくというか、人を軽く見るような態度を感じるが。

 殺すだけならいつでもやれる。俺は拘束を解き、立ち上がった。彼も砂埃を払って起き上がる。


「ついてこい」


 彼はそれだけを言うと、先に立って歩き出した。


 とある裏通りに、黒ずんだ古い建物があった。ほとんど廃屋といってもいい。壁の煉瓦も薄汚れているが、敷地の塀代わりに突き立てられた木材も朽ちかけて、真っ黒になっている。その脇に、地下へと下りる階段があった。

 降りた先にあったのは、寂れた酒場だった。床板も真っ黒で、テーブルも濃い灰色だ。元はもっと艶のある品だったのだろうが、年月を経るうち、劣化してこうなってしまったのだろう。当然ながら、俺達を除いて客は一人もいなかった。


「帰ったか」

「ああ」


 ヤシュルンはバーカウンターに座った。俺も同じようにした。

 バーテンダーのような顔をした男がいるが、こいつもヤシュルンの仲間らしい。外見はともかく、能力的にはどう見ても飲食店のオヤジなどではない。


「あわよくば、何もしないうちに仕事が終わるかと期待したが……どうも、そういうわけにもいかないらしい」

「今更、何を言ってる。何人消えたと思っているんだ」

「はは、それもそうだ」


 この会話から判断すると……


 尋ねようと口を開こうとして、それを閉じた。侮られる。

 こいつらは、タンディラールが遣わした密偵だ。さっきの会話で、ヤシュルンはなぜか俺がそのことを察していると判断した。なら、そのままにしておこう。


「子供一人に俺達がすべてを委ねるのか」

「それなんだがな」


 出された酒をグラスの中で揺らしながら、ヤシュルンは俺を顎で指し示した。


「腕前はあるようだ」

「ほう、お前が言うのなら、そうなんだろうな」

「ああ」


 こいつらだけで納得するのでは、俺を連れてきた意味はないだろう。


「用事は」

「段取りを決めたい」


 俺の問いに、彼は即座に答えた。


「ずっと城の中にいたのなら、連絡の取りようもなかったし、標的も近いから、うまくいくことを願うしかなかった。だが、街中に出てきたのなら、話は別だ」

「何をしてくれるんだ?」


 俺は若干、嫌悪の情を示しながら言った。

 こいつらは、俺をバックアップすることに決めたらしい。ゴーファト暗殺が王の方針だと承知している。その意味では味方だ。しかし、元はといえば彼らがこなせないから俺にお鉢がまわってきたわけだ。じゃあ、いったい何の役に立つんだ。


「いろいろだ」

「それじゃあわからない」

「俺は薬屋ってことになっている」


 そう言うと、彼はフラリと立ち上がり、酒場の隅に置かれた雑嚢を取り上げ、中から小さな瓶を取り出した。


「これなんか、どうだ?」


 ニタニタ笑いながら、それを俺に寄越した。


「毒薬か?」

「お子様にはそうだな」


 俺は蓋を開けてみた。途端にツンとする臭いが鼻に突き刺さった。これは記憶にある。なんだったっけ。ピュリス……じゃない、薬屋時代のものじゃなくて、これはもっと……

 蓋を閉じた。


「ふざけてるのか?」

「はっはっは!」


 ヤシュルンは大笑いした。


「目利きもできるらしい。なかなか悪くない」

「こんなもの、いつ、どこで使うっていうんだ」


 彼が差し出したのは、一種の強精剤だ。但し、飲むタイプではなく、塗布するものだ。

 こんなもの作ったことはないのだが、なぜ知っていたかというと、リンガ村でエロババァが俺に使ったのと同じものだったからだ。


「奴はガキが好きなんだろう? だったら、使う場所はあるだろうに」

「そういう関係になったことはない」

「そいつはよくないな。これから頑張れ」

「からかっている場合じゃないだろう」


 するとヤシュルンは、ふっと笑みを消した。


「その通り。これは真面目な話だ、ファルス」


 その眼差しには、非難がましいものが滲んでいる。


「グズグズしている時間はない。仲間も何人も死んでいる」

「その話をする前に二つ」


 俺は手を掲げて止めた。


「なんだ」

「一つ。お前達の身分を証明するものは」


 すると彼は鼻で笑った。


「そんなもの、ない」

「何をもって信用すればいい」

「自分の目を信じるんだな。証拠があって困るのは、お前のほうだろう」


 それもそうだ。

 領主暗殺という犯罪行為に手を染めるのだから、いざ失敗した時、証拠が残っていてはまずい。切り捨てられて当然の立場、それが密偵なのだ。


「もう一つ。本当に彼を始末するだけでことが済むのか?」

「それはわからん」

「例の組織が大勢、ここに入り込んできていたら、どうする」

「日の光が当たるようにしてやればいい。そうすればいなくなる」


 そうだろうか。

 アーウィンという規格外の化け物がいる。あれが手加減なしに暴れたら、アグリオはゴーストタウンになるだろう。あれだけの戦力をここに投入しているのだから、パッシャにしても、それなりに思うところがあるのだ。


「そう簡単にはいかないかもしれない。まだ真実は何も明らかになってない」

「それはお前や我々の考えることではない。任務を果たせばいい」


 少しムッとした。

 ゴーファトが何かを企んでいるとしても、それがどのレベルのものかは、わかっていない。パッシャとの同盟関係がある証拠もない。それでも危険だからやるしかないというのは、わからないでもないが、この手の思考停止は本来、俺の好むところではない。

 だが、俺からすれば、それも知ったことではない、か。


「わかった。じゃあ、改めて。何をしてくれるんだ」

「お前の支援だ」

「手を下すのは俺なのにか」


 面白くないのは、こいつらも同じだろう。

 ゴーファトの排除も、真実の究明も、どちらも中途半端なままに、降って涌いたファルスという少年に任務の成功を委ねるしかなくなった。タンディラールとしては、両者の協力関係を期待したいところなのだろうが、当人同士からすれば、そんな簡単な話でもない。


「後始末くらいはする」

「どうやって」

「ある程度、時間と場所は選んでもらうが、やることさえやってくれれば」


 椅子に戻ってまた酒を一口。


「お前の罪は帳消しにしてやる」


 そういうことか。

 ゴーファトに接近して暗殺するのは難しい。彼自身が一流の武人であること。城の中にいて、普段はなかなか手が出せないこと。だからこそ、彼好みの美少年であるファルスが潜入して、彼を仕留めるという筋書きには可能性がある。

 しかし、それでは有望な少年騎士の将来を使い切ってしまう。だから、その犯行を揉み消す役目が必要になるのだ。


「誰かを犯人に仕立てるのか」

「もう目星はつけてある」

「なに?」


 ヤシュルンは俺にいやらしい視線を向けた。


「お前もなかなか考えてるじゃないか」

「何のことだ」

「とぼけるな。奴隷の少年にわざわざきれいな服を着せて、ご馳走まで振舞ってやるなんて」


 ルークのことか。あの時から監視されていた。

 確かに、会話の内容を聞いていなければ、そういう解釈も可能だろう。処分間近の少年奴隷を引き取って厚遇してやり、手下に仕立て上げる。下卑た考えだが、ヤシュルンは俺がそうやって身代わりを用意しようとしたと受け取ったのだ。


「あれは」

「だが、もう一人有望な候補がいるようだが」

「なんだって?」


 こちらは本当に心当たりがない。


「そのためにわざわざ下見にきたんだろう? 一年前の事件を、もう聞きつけたか」

「まさか……!」


 瞬間的に頭に血がのぼって、俺は思わず立ち上がっていた。

 こいつらは、領主殺しの犯人役をタマリアに押し付けようと考えているのだ。


「殺したくて殺したくてしょうがない小娘が、実力もないのに仇討ちに一枚噛ませてもらえる。それだけでも十分な見返りだろう」

「ふざけるな! 本人はどうなると思っている」

「死刑だろう」

「他人事みたいに」

「他人だからな」


 冷たい目で、俺を嘲笑うように彼はそう言った。


「お前らにとってはそうでも、俺には違う。あれは……」

「あれは?」

「収容所の頃の」

「はっははは!」


 ついにヤシュルンは膝を叩いて笑い始めた。

 バーテンダー役の男まで、失笑を漏らしている。


「俺達の世界で、そういうきれいな嘘はいらないぞ、ファルス」

「嘘なんか」

「だとしたら忠告してやる。そんなもの、忘れてしまえ」


 怒りはもう鎮まりつつあった。

 それでも、熾火のように俺の心を焦がし続けている。


「考えてもみろ。お前はもう騎士、さすがに使い捨てるには惜しいということで、わざわざ俺達が尻拭いをしてやろうという話にもなっている。それに比べて、奴らはどうだ? 奴隷だ。一生、浮かび上がることなんてない。お前とは住む世界が違う」


 それは正しい、と思う気持ちと、反発する思いとが心の中で渦を巻いた。


「まぁ、お前がやらなくても、俺達がやる」

「なんだって」

「遊んでいるわけにもいかないからな? まさかお前、年端もいかない子供が仕事を済ませてくれるのを、いい大人の俺達が、ただ指を咥えてみているだけだなんて、そんな話があるわけないだろう?」


 言われてみれば納得だ。

 タンディラールは困っている。コントロールを受け付けないゴーファトは厄介な存在だ。パッシャの介入があればもちろんのこと、なくても始末してしまいたい。

 この重大な役目を、いくら有能だとしても、たった一人の実行者にすべて委ねてしまうなんて、さすがに怖くてできない。何かの拍子に本人が失敗したり、裏切ったりした場合には、対処のしようがなくなってしまうからだ。だから、複数の手段を用意して、同時にスタートを切らせる。

 つまり、俺が何もしなくても、ヤシュルン達は独自でゴーファトの暗殺のために手札を切る。但し、王の密偵がそれをやったという事実が明るみに出てはいけない。もともと表向きの殺害犯を必要としていたのだ。そのためのタネとして、こいつらは既にタマリアに目をつけていた。


 勝手なことをするな。そう言いそうになった。

 しかし、それを口にしていいことなど、何一つない。こいつらが聞き入れるはずもないし、俺を見る目も、もっと厳しくなる。仮にも味方なのだ。信頼関係を壊すような振る舞いは避けたほうがいい。


「奴は、殺しすぎた」


 もう一口、酒を呷りながら、ヤシュルンは言った。


「お前は旧市街……イチカリダと、タシュカリダのことしか知らないんだろう。だがな、葡萄の房みたいに広がる他の街区も、ろくでもないことになっているんだぞ」

「何が起きている?」

「誘拐と虐殺だ。特に、歳若い男……少年が領主の命令で連れ去られ、そのまま帰ってこない。訴え出たところが、領兵に焼き討ちされたりもしている」

「そこまでのことが!?」

「ゴーファトの支持基盤は、シュプンツェ盆地の住民が中心だ。反対に、ミュアッソの連中は冷遇されている。コーシュティも大事にはされていないが、そこまでひどくはないか」


 つまり、アグリオだけでも、小さからぬ紛争の火種が、もう育ってしまっている。


「放火事件も多発しているし……近々、集落同士で始まるかもな」

「そんな」

「俺達にとっては、いい機会だ」


 そして、紛争に乗じて、彼らも目的を遂げようとしている。

 これは、そういうことだ。


「これから俺のことはコーザと呼べ。それとお前の宿舎は見張っている。俺達に用事があるときは、窓際に銅貨を置いておいてくれ。こちらから連絡をとる」

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