唯一のアーウィン

 体が重い。身体的な疲労のためではないはずだ。ベッドにずっしりと体が沈みこむ。動かずにいることが心地よい。ただただ横になっていたい。

 辺りは既に暗くなっていた。時間としては、ちょうど宵の口、といったところか。昨日の雨は止み、今はただ、雲が垂れ込めるばかり。必然、夜の訪れも早くなる。


 ついさっき、鳥に化けて南に向かって飛んできた。ゴーファトのものと思しき兵士達の集団も確認した。宿舎は既に特定したので、あとは明日朝早くに現地に舞い戻り、上空から肉体を奪い取る。外に一歩出た瞬間に消えてもらう。

 これで終わりだ。あとは……そうだな、せいぜいノーラにタマリアの救出でもさせて、あとはそっとピュリスに帰ってもらう。もしかしたら、俺自身も一度、あちらに引き返さなくてはいけなくなるかもしれないが、その後は何と言われても再出発する。それだけだ。


 ……何の意味があるんだろう?


 それは、してはいけない問いのような気がした。

 ここにいること自体、ピュリスに残されたみんなを守るためだ。だが、誰かを守ることと、その他を見捨てることと、その線引きの基準とはいったい何だろう?


 それは一見、単純明快でわかりきったことのように思われる。

 ノーラは俺のことが好きで、気にかけてくれる。だから俺も、ノーラを守る。それでいいじゃないか、と。


 じゃあ、タマリアは? 昔は仲が良かった。今、彼女が俺のことをどう思っているかはわからない。だけど、恐らくノールのことを嫌ったり憎んだりしてはいないし、今後も仲良くやっていけるだろう。だから守ったほうがいい。

 なら、ゴーファトは? 彼は無道の暴君だ。デーテルをはじめ、何の罪もない人の命を多数奪ってきた。但し、俺のことは大好きだ。俺が望めば何でもくれるし、命令にだって喜んで従うかもしれない。そして、頼まれもしないのに、彼にとっての全財産といえるスーディアを差し出そうとまでしている。さぁ、どうする?


 そうじゃない。タマリアは普通の人だが、ゴーファトは悪人だ。悪い奴だから、きっと下心があるに違いない。だからタマリアの側に立って、ゴーファトの愛は拒絶する。では、俺が勝手に善悪を決めて裁くのか?

 彼にもし俺に何か望んでいることがあったとして、それのどこが悪い? だいたい、何の下心もない、損得のやり取りもない友情以外、すべて不純だとするならば、誰の援助も常に拒絶しなければならない。それを道理とするならば「私は誰の手助けもしないし、されないけど、私はみんなを愛しているし、みんなも私を愛してね」という立場が成り立つことになる。

 非現実的だし、無責任だ。美貌に心奪われて愛情を感じるのも、よくないことになる。かわいらしい柴犬の頭を撫でてやるのもアウトだ。形ある何かに基づいて愛するという、つまり取引を伴う感情だからだ。

 突き詰めると、無条件で与えるという側も……例えば俺が誰かを助けるという行為自体も矛盾していることになる。相手は利益を期待していいのか、俺が善人になるために相手の品格を貶めているのではないか、という問題に答えられないのだ。


 ドロルは? 昔から仲が悪かった。だから見殺しにする? 今は憎悪に歪んでしまっているが、彼をあそこまで追い詰めたのは誰だ? 他ならぬ俺ではないか。

 いや、彼は悪い奴だったじゃないかって? 俺や周囲の人間とうまくやれなかったから、悪いのか? 仮に社交性に問題があったとして、子供の立場でそこまで罰を受けなくてはならない? 周囲の社会は、彼に十分な更生の機会を与えたか?

 それに少年奴隷が金品を盗んで逃げようとするのは、ある意味当たり前のことだ。だいたいからして、彼が奴隷になったのは、彼自身の意思や過失によるものではない。これを悪とみなすのなら、では王に認められた正統な領主に危害を加えようとしたタマリアも、悪人ということになる。どちらも法に反しているという点で差異がなく、よって助ける道理がない。


 気に入ったから大事にする。嫌いだから殺す。

 それでは、俺とゴーファトと、どこが違う?


 俺は魔宮の奥底で「正義」を殺した。自由になったのだ。

 だが、その先にあったのは、正義を他人任せにできない現実だった。古びた道標を叩き割った以上、自ら指針を示さなくてはならない。正義の根源を、独力で見出さなくてはならないのだ。


 俺は力なく手を伸ばし、剣を手に取った。鞘から引き抜く。


「……ふーっ」


 やっと安堵の息が漏れる。

 なぜだかわからない。この輝きを目にすると、重苦しい気持ちが一瞬、楽になるのだ。

 だが、一方で、どこか不安になる。理由は説明できないのだが、よくないことをしているような気もするのだ。それで俺は、そそくさと剣を鞘に戻す。するとまた、気持ちがずんと沈んでくる。


 明日は早い。

 バカなことやってないで、無理やりでもいいから目を閉じよう。そう思った時だった。


「火事だ!」


 叫び声に、俺はビクンと跳ね起きた。

 どこだ? 火元は。この建物が燃えている? 声は窓の下から聞こえた。急いで顔を突き出す。


 すると、窓の下のテラスで、数人の男が東の空を指差しているのが見えた。あちらはイチカリダ……旧市街だ。確かに、真っ暗なはずの夜空の雲が、赤く滲んだ光を照り返している。

 いったい何が起きたのだろう。ゴーファトが不在である以上、余程のことがなければ当局も街を焼き討ちにしたりはしないはずだ。とすると、これは誰かの反乱? それともただの火災?

 旧市街と一括りにはできない。他の街区と違って、ここだけはかなりの広さがあるからだ。とはいえ、あちらにはノーラもいる。心配でないと言ったら嘘だ。もっとはっきり見たい。だが、この窓からでは、旧市街の城壁が邪魔になって、見通せない。それで俺は、部屋を出た。


 建物の屋上に駆け上がる。

 そこからなら、火災の起きている場所を見渡すことができた。どうやらノーラのいる宿とは違う場所のようだ。ほっと胸を撫で下ろす。

 しかし、火事の原因が気になる。というのも、テラスにいる男達が噂話を始めた。それが少しだけ、耳に入ってくる。


「もしかしてまた、アレか?」

「おいおい、勘弁してくれよ……怪盗ニドっつったか? これ以上、何がしたいんだよ」

「火ィつけて金目のモノ盗んで、それを貧乏人にバラまいたって……あとで領主に殺されるのは、そいつらだってのによ」


 怪盗ニド。そういう人物がいるらしいことは、アドラットが教えてくれていた。


 ゴーファトは暴君だが、誰に対してもつらく当たるわけではない。ちゃんと支持者がいてこその領主なのだ。だから当然、平民を抑圧し、彼に利益をもたらす側の人間というのも、ちゃんといる。そういう連中は、このスーディアの富を独占し、肥え太っている。

 その、利権の側に立つ金持ちを襲撃するのが、怪盗ニドだという。殺人は避けるらしいが、家に火をつけるくらいは平気でやる。そうして屋敷が混乱の最中にあるうちに忍び込み、中にある財貨を盗んで去っていく。それを後日、貧民街に出向いてバラ撒くのだ。

 当然ながら、最初は貧しい人々には歓迎された。憎い金持ちを痛めつけて、その上お金までくれるのだ。しかし、ゴーファトが取締りに力を入れると、意見が分かれた。相変わらず支持する人と、ありがた迷惑と考える人と。

 領兵達の懸命の捜索にもかかわらず、ニドはまだ、捕縛されてはいない。本人の顔も、素性も、協力者の有無も、一切が不明なままだという。


 今、ゴーファトが不在であることを、どこかで知ったのだろう。それで、この好機を逃さず、新たな襲撃を計画し、実行した。そんなところだろうか。

 義賊を気取る何者か。だが、俺の知ったことではない。


 興味をなくして階下に戻ろうとしたところで、背筋に冷たいものが走った。

 振り返ると、黒い影が立っていた。


 さっきまで俺がいた場所に、一人の男がいたのだ。成人男性としてはやや細身、やや長身。上から下まで黒尽くめ。つばの広い帽子をかぶり、この蒸し暑い季節にもかかわらずロングコートのようなものを羽織っている。それでピンときた。その帽子も、コートも、黒竜の皮を加工した上等な防具だ。ご丁寧にも、手袋やブーツまでしっかり身につけている。この装備だけで、いくらするんだろうか。

 顔は美しく整った若い男のもので、一言でいって優男だった。帽子の隙間からは縮れた黒髪が垣間見える。その表情には、どこかあどけない少年のような純粋さと、自信に満ちた傲慢さとが同居していた。とりわけその眼差しには、何もかもを射抜くような鋭さを感じた。


 いつの間に。

 一切の物音もなく、視界にそれらしいものもなかったのに。いったいどんな能力を……


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 アーウィン・アーウィン・アーウィン・アーウィン・アーウィン・アーウィン・アーウィン・アーウィン・アーウィン・アーウィン・アーウィン・アーウィン・アーウィン・アーウィン・アーウィン・アーウィン・アーウィン (**)


・ユニークアビリティ 霊樹の導き

・アビリティ マナ・コア・身体操作の魔力

 (ランク9)

・アビリティ マナ・コア・精神操作の魔力

 (ランク9)

・アビリティ マナ・コア・火の魔力

 (ランク9)

・アビリティ マナ・コア・水の魔力

 (ランク9)

・アビリティ マナ・コア・風の魔力

 (ランク9)

・アビリティ マナ・コア・土の魔力

 (ランク9)

・アビリティ マナ・コア・力の魔力

 (ランク9)

・アビリティ マナ・コア・光の魔力

 (ランク9)

・マテリアル 神通力・瞬間移動

 (ランク5)

・マテリアル 神通力・千里眼

 (ランク3)

・マテリアル 神通力・探知

 (ランク5)

・マテリアル 神通力・念話

 (ランク3)

・マテリアル 神通力・高速治癒

 (ランク8)

・マテリアル ミュータント・ユニット

・スキル フォレス語  (6レベル)

・スキル ルイン語   (5レベル)

・スキル サハリア語  (6レベル)

・スキル ハンファン語 (6レベル)

・スキル シュライ語  (7レベル)

・スキル ワノノマ語  (4レベル)

・スキル ルー語    (5レベル)

・スキル 身体操作魔術 (9レベル)

・スキル 精神操作魔術 (9レベル)

・スキル 火魔術    (9レベル)

・スキル 水魔術    (9レベル)

・スキル 風魔術    (9レベル)

・スキル 土魔術    (9レベル)

・スキル 力魔術    (9レベル)

・スキル 光魔術    (9レベル)

・スキル 剣術     (9レベル)

・スキル 槍術     (9レベル)

・スキル 弓術     (9レベル)

・スキル 格闘術    (9レベル)

・スキル 投擲術    (9レベル)

・スキル 隠密     (9レベル)

・スキル 軽業     (9レベル)

・スキル 水泳     (9レベル)

・スキル 指揮     (6レベル)

・スキル 管理     (6レベル)

・スキル 政治     (4レベル)


 空き(**)

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 考えるまでもなく、危険人物だった。

 というか、表記がおかしなことになっている。ピアシング・ハンドがぶっ壊れたといわれても、信じてしまうかもしれない。

 こんなの、どうしようもない。非常識なまでの戦闘能力に加え、探知、千里眼、瞬間移動と理不尽極まりない能力のオンパレードだ。狙われたら反撃も逃走もできずに一発で殺される。

 救いがあるとすれば、千里眼のランクがそこまで高くないことか。位置を千里眼で確認して現地に飛ぶというコンボが使える範囲は限られている。全世界でこいつが好きに動けるとしたら、誰の手にも負えないだろう。


「はじめまして、ファルス」

「誰だ」


 内心で自分の迂闊さを何度も呪った。どうして剣を手放してきたんだ。こんな奴がいきなり出てくるなんて。油断じゃないか。

 いや、剣なんかあったって、気休めにしかならないか。むしろ、今回は幸運だ。奇襲を浴びずに済んだのだから。


「私はアーウィン。この世界で唯一人のアーウィンだ」


 わけのわからないことを言う。


「何しにきた」

「友達になりにきたんだ」


 そんなわけがない。

 焦りと困惑を握り潰そうとする。だが、その掌の中は、汗でいっぱいだった。


「パッシャだな?」

「違うよ」

「嘘をつくな」


 使徒かとも思ったが、そうではない気がした。奴はもっと目立つまいとする。いつでもどこでも、僅かな痕跡が見つかるだけで、俺の前にも姿を見せない。見せても、幻術か生き人形か、とにかくピアシング・ハンドで捕捉できる形では、絶対に出現しない。俺が一発で肉体を奪取することのできる存在だと知っているからかもしれないが、とにかくそうなのだ。

 だとすれば、こうしてノコノコ姿をみせる奴は、使徒ではない。そしてこれだけの実力者が、タンディラールやゴーファトの配下にいるとも考えられなかった。といって、パッシャならいるのかと言われれば、それも疑問だったが。

 ここまでの魔術の力があれば、街ごと廃墟にできてもおかしくない。こいつは人というより、大量破壊兵器と考えたほうがいい。


「教えてもらっているはずなんだけどな。私達は自分のことをそうは呼ばないと」

「やっぱりパッシャじゃないか」


 これで身元はわかった。

 だが、そうなると逆に、よくわからないことがある。


「殺しにきたのか」


 疑問はあるが、肉体を奪って消し飛ばすしかない。

 明日、ゴーファトを暗殺するつもりだったが、ここで天秤にかける余裕はない。脅威のレベルが全然違う。ピアシング・ハンドの使用を躊躇できるほど、簡単な相手ではないからだ。


「君、話を聞かない人って言われない?」

「なんだと」

「私は友達になりにきたと言ったはずだけどね?」


 なら、もう少し話をするか?

 いや、危険すぎる。今までも強敵は数多くいたが、こいつの能力はそれらを軽く超える。あのアルジャラードよりも強いかもしれない。


「友達になって、何をしたいんだ」

「組織の一員になって欲しいんだ」

「そうしてお前達の仕事、人殺しの片棒を担がせようというつもりか」


 そう言いながら、俺は念じた。

 恐らく肉体と思しきものを掴んで……このミュータント・ユニットってのが……


 ……あれっ?


「ははは……それはあるかもしれないけどさ」


 おかしい?

 どうした!


 ピアシング・ハンドが機能しない? なぜ? フォームらしきものを奪い取ることができない。しかも、これはどうも、そもそも発動していないような奇妙な感触だ。アルジャラードの時も、なぜかピアシング・ハンドが効かなかった。だが、一瞬だけとはいえ、あの時は肉体を奪った、機能したという手応えのようなものがあったのだ。今回はそれがない。

 それに、こいつの能力表記も、微妙におかしいし。


 理由は不明だ。

 しかし、そうなると……


 俺は、なすすべもない。

 今の実力で、この状況で、アーウィンに勝つ方法なんて、ない。しかも、逃げ切ることもできない。

 いつぶりだろう。勝ち目のない相手に直面するなんて。


 落ち着け。

 この動揺を、相手に悟られてはならない。


「人を殺すためにスーディアまでやってきた君に、人殺し呼ばわりはされたくないな」

「なに?」


 まさか。

 バレている? なぜ?


「あっははは! 顔に出てるよ!」

「……俺が誰を殺すって?」

「ごまかさなくていいよ。だって他には考えられないじゃないか。君、どうしてスーディアなんかに来たのさ。誰が行けって言ったんだい?」


 残念ながら、論理的にはアーウィンの指摘は正しい。

 ゴーファトとタンディラールの取引は、基本的に秘密裡に行われてきた。長子派貴族の子女を横流ししてもらったのもそうだ。ゴーファトは、この俺についても、プライベートな手紙で陳情している。ということは、俺がスーディアに行くには、俺自身に目的があるか、タンディラールが命じるか、二つに一つしかない。


「気まぐれでセリパシアまで行くような人間なら、スーディアにだって行くだろう」

「そういうことにしておいてあげるよ。だけどさ、こっちはもう、一人死んでるんだよ」


 ……そういうことか。

 使徒の奴め、なんてヌケたことを。


「タンディラールの密偵くらいなら、こっちでなんとでもなるんだ。軍隊を相手にするとなると、さすがに数が違うからね、勝ち目は薄いけど、この手のことでは組織が後れをとるなんてあり得ないんだよ」

「自信があるんだな」

「だから余裕をもって始末してきたのに……一人、逃げられちゃってね」


 何があったか、詳細にはわからない。

 ただ、パッシャは王家の諜報員を泳がせ、そして報告を持ち帰るところを見計らって始末してきた。だが、そこで使徒が介入したのだろう。パッシャのメンバーを殺害し、毒に冒された諜報員をタンディラールの下に帰るまで生かしておいた。そうしないと、俺がスーディアに出向くという状況が生まれないからだ。


「その時、追いかけたこちらの同志が、殺されてしまったんだ」


 そうして使徒は、タンディラールにファルスの派遣を決心させた。

 しかし、それは同時に、パッシャに情報を与える結果にも繋がった。どうあれ、タンディラールはこの地におけるパッシャの活動に気付いてしまった。となれば、何らかの手を打つはず……そうして待ち構えていたところで、俺がやってきた。疑わないはずがない。


「それで? お悔やみ申し上げますとでも言っておこうか?」

「憎まれ口を叩くのはいいけど……わかってるかい? 君の目的、ゴーファトに教えていいかな?」

「勝手な想像だと付け加えるのを忘れないでくれるならな」


 証拠があるのでもない。俺とタンディラールの密談をビデオカメラに録画しておいたのでもなければ。

 にしても、さっきからどうにも気分が悪い。奇妙な熱が頭に集まっているような感じがする。


「なかなか強情だね」

「魔王の手先を名乗る殺人集団に加わりたいなんて、さすがに思えない」

「普通はみんな、喜んで仲間になるんだけどな」

「普通? お前のいう普通は、多分イカレてる。気が知れないね」

「うん」


 真顔になって、アーウィンは頷いた。


「とりあえず、君が普通じゃないことはわかった」

「どこが」

「操れないところかな」


 こいつ……!

 詠唱も何もなしに、会話しながら、俺に精神操作魔術を行使しようとした? どうやって?

 もちろん、低レベルの術だけであれば、ちょっとした準備があれば可能だろう。だが、奴が行使しようとした術は、少なくとも『魅了』、下手をすれば『強制使役』といった上級魔法だろう。となると、何か仕掛けがなければ、こんな雑談をしながらなんて無理なのだ。


「そうやって仲間を増やしてきたのか」

「まさか。君は特別待遇だよ」

「どう特別なんだ」

「私自らこうして勧誘するなんて、滅多にないことだし、それに……」


 ということは、こいつはパッシャの首領か、少なくとも上位の幹部ということか。この実力をみれば、それも納得だ。

 しかし、そうなると逆に疑問がわいてくる。これほどの能力があれば、正直なところ、ちょっとした街や城砦なんかは、アーウィン個人の力で攻め落としたりもできるのではないか。さっきは軍隊相手では分が悪いなんて言っていたが、信じられない。これほどの強者が、どうして今もコソコソと諜報活動を繰り広げているのだろう?


「……そうだな、仲間になってくれるなら、スーディアを君にあげるよ」

「ゴーファトと同じことを言うんだな」

「同じに見える? でも、結構これが違うんだよ」

「どう違うんだ」

「そこは説明したいんだけど……悪いけど、まだこっちも調査の途中なんだ。デクリオンが……ああ、仲間なんだけどね、彼がすべての資料を確認しないと、はっきりしない部分が残っていてね」


 もう一つの疑問。それが浮き彫りになった。

 パッシャがここスーディアにいることは確定した。だが、本当にパッシャとゴーファトは、手を結んでいるのか? もちろん、パッシャが同盟を持ちかけておいて、実は裏切るつもりだったとか、そういう可能性も含めてのことだ。

 ゴーファトと、パッシャと。両者が同じものを俺に与えると言った。そんなこと、できるはずがない。


「ま、いいか」


 アーウィンは、あっさりと背を向けた。


「とりあえず、君に話ができるだけの理性があってよかったよ」

「それはどうも」

「近々、会って欲しい人がいるんだ。また挨拶しにきてもいいかな」

「一つだけ、言っておく」


 これだけは、はっきりさせておきたい。


「俺は、お前らに興味がない。もし、お前らがフォレスティア王国の転覆を目論んでいたとしても、関知するつもりはない。俺はただ……身の回りの人を守りたいだけだ。やるべきことを済ませたら、さっさとスーディアを出て行く。それだけだ。お前らの敵にも味方にも、なりたくなんかない」


 するとアーウィンは、顔だけこちらに向けていたのが……キョトンとした顔になって、それからすぐ、小刻みに震えだした。


「フ、フ、フ」

「ん?」

「フハハハッフヒヒッフハハハッ! 君、君! 人を笑わせるのがうまいね!」


 身を折って、大笑いを始めてしまった。


「まるで小市民みたいなことを言うんだね! あー、おかしい」

「普通の人間の、普通の考え方だろう」

「そうかそうか、なるほどね」


 目尻にたまった涙を指で拭き取りながら、彼は頷いた。


「じゃあ、私からも一つだけ言っておく」


 身を乗り出し、俺に顔を近付けて。

 凍りつくほど冷ややかな微笑を浮かべて。


「組織は、運命から見捨てられた人を、誰よりも弱く惨めな、傷つけられた人々を救うためにある」


 身を翻して、付け加えた。


「例えば……哀れな囚われの少女とか、ね」

「……それは」

「また会おう」


 その言葉を最後に、アーウィンは影も形もなく、消え去ってしまった。

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