スーディアの継承者

 散歩の後、俺とゴーファトはフリンガ城に引き返し、昼食を共にした。時間もなかったことから、ごく簡単に済ませることになった。幸い、人肉が供されることはなかった。それから、慌しく執務室に連れ込まれた。

 そこには、俺達とは別に、二人の男が待機していた。


「紹介しよう」


 ゴーファトは、面倒臭そうに指差した。

 俺達が来る前から、その男は部屋の中で突っ立っていたらしい。髪の毛の色はゴーファトと同じく焦げ茶色だが、あとはまったく似ても似つかない。背は低く、目の輝きもない。眼鏡をかけていて、顔は下膨れだ。太っているわけではないが、鍛えているのでもない。ちょうど帝都の学園から帰ったばかりといったところか、まだ十代後半と若いのに、まったく覇気を感じられなかった。


「ジャン・スザーミィ。私の甥だ」

「はじめまして、ジャン様」


 俺は深々と頭を下げた。なにしろ未来のスード伯なのだから。

 ところが、それをゴーファトは、片手で遮った。


「ジャン、拝礼しろ。なぜなら今日、ファルスは私の養子になる。未来におけるスザーミィ家の頭領なのだから」

「……はい」


 ほぼ無表情。

 だが、どう考えても俺のことを好ましく思っているはずもない。


「グズグズするな」

「お待ちください」


 俺は割って入った。


「やはり筋道が通りません。僕も余所者で、到底スーディアを治める器でもございません。正統な血筋を引き継いだゴーファト様、それに次ぐのはジャン様でしょう」

「ファルス君、私に対してはもちろんだが、ジャンの名を呼ぶのに敬称など必要ない。歳は上でも、彼は目下の人間だ」

「ご無理をおっしゃらないでください」

「無理などない。ここでは私の言葉が法だ。そして間もなく、君の言葉が法となる」


 支配するのが当たり前、という人生を生きていると、こうも配慮というものを忘れてしまうのか。しかし、領主の息子に生まれ、事実上の嫡男として育ち、好き勝手に過ごしてきたのなら、それも無理はない。


「もう一人も紹介しよう」


 戦時でもないのに甲冑を身につけた男。といっても、重さはさほどでもないだろう。皮革をベースに金属のリングを重ねて、重量を軽減している。また、肩や直垂の部分には、なんと塗料を塗った木材を使用している。強度と軽量性に優れたコーシュティを利用した鎧というわけか。なお、彼のものと思しき手槍が、部屋の壁に立てかけてある。

 年齢は既に中高年に達しているが、こちらは歴戦の勇士と呼んで差し支えない風格がある。といって、そこに晴れがましいものはなく、どちらかというと兇悪さが目立つ。逆立つ固そうな髪には一部白いものが混じり、頬には刀傷がある。そして、眼光は銀の刃のように鋭かった。


「ナイザ・キリシュ。スザーミィ家の重臣だ。執事といって差し支えない」

「はじめまして」


 彼はじろりと俺をねめつけたが、そこは家臣としての立場もある。主人の賓客なのだから、すべきことは一つだった。彼は黙って膝を折り、俺に頭を下げた。


「彼も騎士だ。長年、スーディアの治安維持に活躍してくれている」

「一目見ただけで、武勇のほどがわかろうものです」

「うちはなんでも実力主義だ。ファルス君、君は自分を貧農の出だというが、彼もシュプンツェ地方出身の、貧農の息子だよ。だが、誰よりも優れた槍捌きがあった。だから今では私の側近だ」


 能力的には、ゴーファトに引けをとらないほどの武人だ。ただ、得物は槍だが。


「これほどの方がおいでなら、当主の武勇に頼らずとも、家の安泰は揺るがないと思うのですが」

「甘いな。それでも力を求められるのがスーディアという土地なのだ」


 確かに、ナイザは強者だ。この辺鄙なスーディアに留まらずとも、どこでもやっていける。こんな勇士を従えるのなら、主人にもそれなりの何かが必要だ。

 しかし、だからこその家柄ではないか。そもそも、そうした資質を個人の能力に求めないことが世襲のメリットなのだ。なんでもかんでも実力主義だと、我こそはと名乗り出るのが後を絶たず、ゆえに内紛も繰り返され、政局は混乱する。

 スーディアのスの字もないような、血縁も何も身に備えていない俺がいきなり領主だなんて、認められるものだろうか。


「そうだろう、ナイザ? お前は弱者に頭を垂れるのか?」

「……主の定めるところに従うのみ」


 低くしゃがれた声で、彼は短く応えた。


「お前らしい」


 内心は窺い知れない。

 この男、誰と比べるのが適当だろうか。イフロース? 彼に近いかもしれない。ただ、彼ほど洗練された作法はないし、魔術の知識もない。商売にも疎い。その分、領地経営の経験は積んできたのだろうが……その「領地経営」というのが、武器を手放さないことと不可分なのがスーディアだから、なんとも物騒なことだ。


「手続きが済んだら、私は南部に向かわねばならん。面倒だが仕方ない。ナイザ、私の不在の間は頼むぞ」

「承知」

「では、早速、署名といこう」


 大きな執務机の上には、数枚の書類が散らばっていた。内容はもちろん、俺とゴーファトの養子縁組についてだ。

 だが、ざっと目を通して、俺は眉を顰めた。


「……なんですか、これは?」

「おかしなところがあるか?」

「家督を譲る、というのは今更として」


 そこには、病に倒れたゴーファトの苦しみが縷々と綴られている。もはや病床より起き上がるのも難しく、食べたものは吐き戻し、介助がなければ一日と生きられない、余命幾許もなく、スーディアの安定のためにも、一刻も早く後継者の承認を求める他ない……

 何の冗談だ。本人はここでピンピンしているのに。ちょっと槍で刺したくらいじゃ死にそうにないくらいだ。


「それくらい強調しないと、王家は取り合ってくれないからな」

「これは王家が承認しないと、成立しないんですよね?」

「残念だが、そういうことだ。伯爵という身分の成り立ちからすると、どうしてもそうなる。といって、陞爵を期待するのも現実的ではなし……」


 そうする義理もないのに、侯爵位を与えて自立させても、いいことなど一つもない。逆に害悪ならいくらでもありそうだ。領内の通行権も失う。ルアール・スーディアみたいな軍港まで作ってこの地域を牽制しているのに、ますます扱いづらくなるのだから。

 だが、俺にとっては好都合だ。タンディラールはバカではない。俺がこれに署名したからといって、この地を与えるなんて選択はしない。また、俺が欲得で寝返ったと考えるほど短絡的でもないだろう。ゴーファト暗殺が済んだら、こんなものは白紙撤回。仮に俺に継承権がまわってきても、それはそこにいるジャンにでも引き渡せばいい。もし彼も死んでいたら、いっそ王家に返上しよう。これも伯爵の身分の成り立ちからすれば、フォレスティア王として拒絶できるものでもない。


「というわけで、さっきも言った通り、あまり時間がないのだ。ファルス君」

「わかりました。ですが、僕としてはいつでもそこにおいでのジャン様にお譲りするつもりですから、そこはご了承いただけますか」

「君がスーディアの主になったなら、もちろん好きにすればいい。私が口出しする権利など、既にないからな」


 そうまで言われては仕方ない。

 俺はペンを取り、さっさと署名した。


「よかった! これで胸のつかえがおりたよ」

「お気持ちが軽くなったのでしたら、何よりです」

「では、早速、雑務を片付けてくるとしよう。それと、ああ、ナイザ、ファルス君はこれから城下を見たいらしい。しばらく好きにさせておいてやってくれ」

「御意」


 夕方には、また俺はあのホテルのテラスにいた。

 仕事はもう、半分終わったようなものだ。まだ気は抜けないが、それでも少しだけほっとする。暢気に紅茶を楽しむ余裕もある。


 明日は雨。そしてゴーファトは南部に向かう街道を辿って現地に到着。一日かけてトラブルを解決して、明後日の昼から北上する。明々後日の夜までにはフリンガ城に戻るというから、二日後か、或いは三日後が仕掛けるチャンスだ。天気次第だが、タイミング的に、二日目の夜にまず鳥になってゴーファト率いる集団の居場所を把握する。そして三日目の朝、宿営地から移動する直前を狙えばいい。馬車に乗り込もうとしたところであれば、上空からでも簡単に視認できる。

 いきなり体が消えるので、不自然極まりないが……そこに俺がいるはずもないのだから、この神隠しと関連付けられる危険は少ない。


 空を見上げると、美しい茜色の中に、段々に折り重なる白い雲がかかっていた。これが夜にかけて、どんどん勢力を増していくのだろうか。

 なんにせよ、明日は一日、休日になりそうだ。


 そうしてリラックスして過ごしていると、横から初老のウェイターがやってきて、頭を下げた。


「おくつろぎのところ、申し訳ございません」

「なんでしょうか」

「ファルス様に面会を希望する者がおりまして」

「それは、どなたですか」

「イチカリダの木工商人イショロブと名乗っております」


 まるで記憶にないが……

 イチカリダということは、ここスーディアの地元民だ。


「お通ししてください」


 間もなくやってきたのは、愛想笑いを浮かべた猫背の男だった。よれよれの髪の毛が思い思いの方向を向いている。まだ若いのに額にはシワが深く刻まれている。その人相、姿勢からして、およそ人の上に立ったことなどなさそうに見える人物だった。


「ファッ、ファルス様、ですか?」


 自信なさげにそう尋ねてくる。

 わざわざ案内されたのだから、そうに決まっているのに、何をこいつはいちいち確認しているんだ。キョロキョロと周囲を窺っているし、挙動不審もいいところだ。


「はい」


 背が低いわけではないので、彼はもともと猫背なのに、もっと背中を丸くして、俺より頭が低い位置まで腰を曲げた。


「お、お会いできて光栄です、えへへ」

「どうも……それで、どのようなご用件でしょうか」

「あ、あのっ」


 何かを思い出そうとするかのように、もどかしげに唇を噛みながら、彼はなんとか言った。


「ファルス様は、ピュリスに立派な商会をお持ちだとか」

「ええ」

「お、おお、お近付きに……取引なんて、させてもらえないでしょうか」


 その辺は、俺に言われても……


「普段の実務は副会長が預かっているので、そちらに問い合わせていただければよろしいかと」


 ただ、ピアシング・ハンドで確認した限り、彼が特別有能な木工職人だとか、商人であるということはない。よほどの資産を持っているのでもない限り、ノーラが相手にするとも思えないのだが。


「そ、そこをなんとか」

「横紙破りはしない主義なんです」

「うっ、あっ、じゃ、じゃあ」

「はい」

「あ、握手……握手、していただけませんか?」


 握手?

 なぜ?


 ここで俺は思い至った。

 彼は不自然すぎる。第一、俺の滞在をどこで知った? それに、いくらなんでもこんな声の掛け方で、相手を動かせそうにないことくらい、誰にだってわかる。山師のような男なら、もっと自信満々な態度で近付いてくるだろう。

 可能性は二つ。タンディラールが派遣した工作員か。それとも……


「いいでしょう」


 俺はゆっくりと手を差し出した。

 まさか、掌に画鋲を仕込んでガッチリ、なんてしてこないだろうが、一応、警戒はする。


「あ、あああ、ありがとうございますっ」


 そう言いながら、イショロブはガサゴソと手をポケットに突っ込んでから、その手を俺に押し付けてきた。なんて不恰好なやり方だ。

 思った通り、彼は握手しながら、何かの紙片を俺に握らせてきたのだ。


「追ってお返事は致します。本日はお帰りください」

「あ、は、はい!」


 満足そうに笑うと、彼は足早に逃げ去っていった。


 こういう形でメッセージを送ってくる相手がいるとすれば、あとはノーラだけだ。

 精神操作魔術を用いても、直接俺の精神に干渉することはできない。『精神感応』にしても、こちらに精神操作魔術の能力がない以上、受信の準備が整わない。だから俺の居場所を正確に把握しているのでなければ、うまく行使できなくなる。宿泊している場所を正確に把握し、さっきのウェイターなどを飛び石に利用すればできなくはないのだが、その負担は決して小さくない。

 どれ、何が書かれているか……


「やぁ、ファルス様」


 紙を開いて読もうとした瞬間、横合いから声をかけられた。


「アドラットです、お忘れですか、ははは」


 汚いボロボロのマントを纏ったルンペンが、満面の笑みを浮かべていた。勝手にここまで踏み込んできたらしい。俺に呼ばれたとか、適当な理由でもでっち上げたのだろう。


「いえ。ようこそいらっしゃいました。今日はどうなさったのですか」

「そこですよ! なに、ファルス様は先日、フリンガ城に招かれたのだとか」

「はい、ゴーファト様の傍で過ごしてきまして、いろいろと歓待していただきました」

「それはうらやま……素晴らしい!」


 彼は許しもなく俺の向かいに座り、前のめりになって尋ねた。


「それで」

「それで?」

「私のことは?」

「はい?」

「アドラットという有望な若者……いや、若くはないですが、有能で勤勉な者がいるということは、お伝えいただけましたか」


 何を言ってるんだ、こいつは。


「い、いえ……」

「それは残念です。ああ、やっぱり先日が最大の機会だったのですね」

「あなたは何をなさりたいのですか」

「それはもう、貴顕の方々の目にとまることですよ。スード伯も、私に会えばよさがわかるはずです」

「はぁ」


 変なことを言う奴だ。

 本当に、何が目的なんだろう? この前は、俺に張り付いて情報を抜き取っていこうとしているのかと思ったが、今度はゴーファトに会いたいという。

 アドラットがパッシャの一員なら、そして前情報通り、ゴーファトとパッシャが繋がっているのなら、簡単に面会できるだろうに。

 では、やはり彼はパッシャのメンバーではない? それとも、こうやって俺を混乱させようとしている?


「閣下は所用で出かけられるとのことでしたよ」

「なんと! どちらへ?」

「それは、さすがにそこまでは……」

「そうですか」


 こいつはいったい、何をしたいのだろうか。

 なんにせよ、俺の任務とは関係ない。であれば、深入りせず、深入りさせず。幸い、明後日か明々後日にはゴーファトは女神に召される。あの世では、嫌いで嫌いで仕方ない女神の腕に抱かれるわけだが、そこはもう諦めてもらおう。だから、後のことは知ったこっちゃない。


「とりあえず、これを」


 面倒臭いので、俺は金貨を出した。


「っとぉ、これはどういうことですかな?」

「済みません、もっとお話したくはあるのですが、僕はその……お城での歓待は盛大なものだったのですが、疲れ果ててしまったもので……少し休みたいのです」

「おお、そういうことでしたか。では、お部屋で全身マッサージでも!」

「い、いえいえいえ! お構いなく。今日はこれで失礼させていただきます」


 すると彼は金貨を手に取り、何かを考えるようにしてから、それをまた、俺に突っ返した。


「いいんですよ? 受け取っても」

「いやいや、何も与えてないのに受け取るなんてできません。昔から言うじゃないですか、慌てる乞食は貰いが少ないって」


 ツッコミをいれたくなった。

 お前は自分を乞食と認識しているのか、そういうアイデンティティでもあるのかと。外見は完全に乞食そのものだから。


「済みませんね。では、また後日」

「ごゆっくり!」


 すっかりホテルの客になったかのような図々しさで、彼はテーブルから笑顔で手を振った。


「さて……」


 周囲に人の気配がないことを確認してから、俺はそそくさとさっきの紙片を取り出した。

 薄暗い室内で、目を凝らす。


『ノーラより。見て欲しいものがある。明日の昼、旧市街まで来て欲しい。場所はイチカリダの……』


 彼女らしい、シンプルなメッセージだった。

 見覚えのある字体からして、彼女のものに違いない。


「雨か……」


 寝不足もあって、明日は一日ゆっくり休むつもりだったのだが。びしょ濡れになりながら歩き回るのは嫌だったから。

 こうなっては仕方がないか。

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