妖精の泉にて
高原の日差しは、とにかく眩しすぎた。
世界が真っ白に見えて仕方がない。丈の低い草花も、陽光を照り返す。まばらに立つ低木も、その幹、枝の合間からの木漏れ日が、目を突き刺してくる。頬を撫でるというより、無理やり口付けしてくる熱風も、夏の訪れを感じさせる。
過剰な興奮に包まれた高原、その生命の躍動感に溢れた朝の訪れだ。朝食を済ませ、フリンガ城から馬車に乗ってこの近くまでやってきて、それからのんびり歩いているので、時間としてはもうすぐ昼だが。既にかなりの蒸し暑さになっている。
「もうすぐだ。だが、道中も美しくはないかね」
「はい」
結局、昨夜ゴーファトが思いの丈をぶちまけにくることはなかった。俺の方では、何かあるかもという不安が消えず、熟睡できなかったというのに。おかげで朝日が目を焼く。世界が黄色い。
アグリオと、それを取り囲む盆地や森林地帯とでは、本当に雰囲気が違う。まるで異世界にやってきたかのように。スーディアは全般として、どことなく陰鬱で息の詰まる場所なのだが、昼間の高原だけは、不思議なほど光に満ちている。それも夜となると、下界の暗黒が這い上がってきて、場を支配するのだが。
「今日は晴れてくれて良かった」
「そうですね」
「だが、この好天は、今日までだろう。なんといっても碧玉の月だからな」
「わかるんですか?」
「さすがに四十年近く、ここで暮らしていればな。明日はザッと降って、それからは曇りがちになるだろう」
本来なら、この時期は雨がちなものだ。前世日本でいうところの梅雨時みたいなものだから。
その分、晴れると日差しが強い。暑いけれども暑すぎず、世界がこの上なく明るく見える。
「ここを登ったところだ。美しい泉がある」
草地の合間に顔を見せる岩を足場に、ゴーファトは手にした黒い棒を杖代わりにして、どんどん登っていく。俺も遅れまいと後についていく。
「ここだ」
なるほど、言うだけのことはある。
遮るもののない高所に、丈の低い草花がびっしりと生えている。どれも黄緑色で初々しい。そんな中、澄んだ水を湛えた泉がある。泉といっても、その大きさからすれば池、ないし湖といってもいいくらいだ。対岸が見渡せないほど広いわけではないが、気軽に泳いで渡れる大きさではない。深さもかなりありそうだ。
ここから見ると、陸地に近い場所に、一本の枯れ木が沈んでいる。その半身は水面より上にあり、そこには無数の蔦が絡まっていた。また、その対岸には灰色の岩がある。それは「く」の字を横倒しにしたような形で、人が上で寝そべってもまだ足りる大きさだった。
もし俺が画家なら、この情景を描きたくもなる。折れて枯れ果てた古木に絡まる蔦はあくまで鮮やかな緑色を保ち、湖水はどこまでも澄み渡っていて、遥か遠くの南の山々の青い影を映している。微風が吹くたび、そんな水面が波紋を浮かび上がらせて揺れる。
「私のお気に入りの場所だ。狩りといっても、さすがにこんな場所まで血で汚したくはない。今日はどちらかというと、散歩のようなものだな」
と言いながら、右手には立派な獲物を手にしてはいる。それと俺とゴーファトの後ろには、数人の少年達が同行している。ある者は彼の弓を持ち、また別の者は手拭いや水筒を持参している。
「本格的な狩りをする時には、これに勢子がいないと始まらん。愛すべき少年達では、野獣や魔物の相手は務まらん」
「普段はどんな風に狩りをなさるんですか?」
「配下の兵士どもに追いたたせて、私自ら立ちはだかる。難しいことは何もない。こいつで」
黒い棒を一振り。ビュッ、と風を切る。長身の彼より一回り丈が長い。
「一発で頭を叩き割る。それで終わりだ」
他はともかく、これだけは侮れない。弓術も格闘術も一人前だが、今の動きだけをみても、棒術は別格だ。白兵戦でなら、俺が今まで出会った一流の武人とも、互角に戦えるだろうと判断できる。
「勇ましいことです」
「そうでもない。スーディアに黒竜はいないからな」
これだけの武勇があれば、ムーアン大沼沢でも恥をかくことはなかろうが。
焦げ茶色の豊かな髪。それに獰猛そうな顎鬚。自分が負けると思ったことなどなさそうな、強者の風格がある。
「どうかね、気に入ってくれたかね」
「それはもう」
「よかった。君がスーディアを愛してくれないことには、跡継ぎにしようにもできないからな」
またその件か。
「ゴーファト様、いくらなんでも無茶です」
「何が無茶なものか」
「僕はスーディアと、縁もゆかりもないのですよ」
「これから繋がればよいではないか」
「せっかくご結婚なさったということですし、ここはもう、ご嫡男を得られては」
すると彼は首を振った。そしていきなり言ったのだ。
「なるほど、君は私を殺しにきたのだね」
「な、なぜそんな話になるんですか」
びっくりするじゃないか。
タンディラールの密命が漏れでもしたのかと、一瞬思ってしまった。
「はっきり言うがね、私には無理だ」
「無理とおっしゃいますと……その、お体に問題が?」
「いいや。相手が美少年なら、一晩に二度、三度と求められようとも、いや、たとえそのために息絶えようとも必ず応じてみせる。だが……女だぞ?」
「はい、奥様は女性でしょうけれども」
すると彼は、珍しい表情を見せた。
飛び切り酸っぱい梅干を口いっぱいに含ませたような、それはそれはつらそうな顔。
「おおぇぉぇっ……想像させるのもやめてくれ。肥溜めに突き落とされたほうがまだましだ。いや、正直に言うが、そんな生易しいものではない! 私は戦場で敵の槍に貫かれて死のうとも、恐れはしない。敗れるのを悔しくは思うだろうがね。だが、女を抱く? あのブヨブヨの気色悪いものに触れる? よしてくれ! ああ、あんなものと交わるくらいなら、八つ裂きにされたほうがいい!」
「案外、悪くないかもしれませんが」
「君は私をからかっているのか? そうと信じたい! いいかね、女というものは、どだい使い道などない害悪でしかないのだ。まずあの肉体。形状からして、およそ実用性がない。力仕事にも向かず、余計な脂肪がつき、見た目も醜い。おまけに経血で衣服と部屋を汚す。声色も耳障りだ。いつも甲高い声でキャンキャン喚く。森の奥のサルどもだって、もう少し慎ましいだろう。だが、それ以上に醜悪なのはその精神だ。奴らには自己愛と無責任しかない……ただこれは、まだ若い君に語っても仕方ないだろう。とにかく奴らは醜い。本当は殴りつけて躾けてやりたいくらいなのだが、あんな不潔なものには触りたくないから、仕方なく我慢しているのだ。ファルス君、穢れたくなければ、女に触れないことだ。それしかない」
「そこまでひどいものですか」
「後生だ、私は愛すべき美少年達に貞操を捧げているのだからね。彼らとの愛の絆が断ち切られたら、私は本当に死んでしまうよ。とてもではないが、その苦痛には、絶対に耐えられないだろう」
ミソジニーここに極まれり、といったところか。
同じような論旨を展開する文章を前世でも目にしたことがあるが……とにかく、嫌いなものは嫌い、そういうことなんだろう。
「しかし、子孫を得るには、女性が産むしかないと思うのですが」
「そこ、それだ」
ゴーファトは怒りさえ滲ませて、人差し指を立てて熱弁した。
「その立場を最大限生かして、男達を脅迫している。奴らには対等な付き合いという考えがないんだ。今、私と君がしているような、年齢も身分も違っていながら遠慮なく物を言い合える関係など、連中にはない。いつでも上か下か、そして自分が上でなければ気が済まない。現実の女どもを見てみろ。いつも張り合って、けなしあってるじゃないか。そういうちっぽけな自尊心を満たすために、自分の肉体の、あの口にするのもおぞましい不潔で醜悪な部分を使うのだ」
ツッコミどころを感じながらも、これは反論しないほうがよさそうだと思い、適当に頷いた。
「私も貴族の家の男子だったから、帝都に留学したこともあるのだがね……陛下は、もしかすると君にも留学を強制するかもしれないが、私としてはあんな場所には行ってもらいたくない」
「なぜですか?」
「あそこは女の都……いいや! 世界一不潔な売春窟だ! いいか、あそこでは女どもに男と同じか、それ以上の権利を与えている。そのなんとおぞましいことか」
彼の演説もだんだん熱を帯びてくる。
「まだ若い君にはわからないかもしれないが、いいか。さっきも言ったように、女には対等なんて無理なのだ。男と同じ権利、同じ財産を与えたら、必ず男を見下す。根が売春婦だから、どうしようもないのだ。ちょっと自分の体を使えばすぐ利益が得られてしまう。だから対等な男は目下の男、そう考えるようになる」
「あの、もしかして、帝都で……」
失恋でもしたのだろうか?
帝都は男女平等を重要な価値観の一つに据える場所だ。そして、市民は比較的裕福で、自由でもある。そんなところで暮らす女達と恋愛でもして、こっぴどくふられたとしたら、それは確かに誰だってトラウマになるだろうし。
「今、君が想像したようなことは、何もない」
「えっ?」
「別に、秘密にしているのでもない。生まれてこの方、今まで何度も恋をしてきたが、その相手はいつだって君のような美少年だけだ。だいたい、この広大なスーディアを支配下におく私が、仮にもし、あの汚物どもを欲しいといったらどうなると思うかね?」
「それは……不自由はなさらないかと思いますが」
「不自由どころではない! 私には腹違いの兄がいた。しかし、私が遅ればせながら帝都に留学に出てしばらく後、病で亡くなった。すると、どうなったと思う?」
つまり、その時点で彼の甥はまだ子供、一方、ゴーファトは……
「私が留学したのは、二十歳を過ぎてからだ。というのも、父は若くもなかったし、兄も病弱だった。この地は武勇なしには治まらない。だから私も、君と変わらない歳の頃から、領内の揉め事を片付けてきた。手が放せなかったのだよ」
十代前半で、事実上の領主代理か。なるほど、強いわけだ。
そんな実績ある次男となれば、父親としても、後継者に据えないわけにはいかない。
「するとどうだ。今までは田舎貴族の次男坊、爵位を継げない部屋住み、将来は兄の家臣、よくてもせいぜい騎士身分で王国の官僚になるだけの男だった。それが一気に広大な領土を受け継ぐ次期伯爵。学園の女どもは色めきたったよ。だが、もともと女に興味もなく、前から嫌悪していた私には、サルの群れが襲ってくるに等しかった」
「ありそうな話ですね」
「そうだろう? こういう時、少なくとも男達はもう少し公平だった。もちろん、立場が変わったからとゴマをする馬鹿者もいないではなかったが、大半は以前と変わらない付き合いをしてくれた。私自身の武勇を認めてくれたり、或いは私の詩を愛してくれたり……そして、私を嫌うのもいた。だが、これだって、前から嫌っていたから嫌い続けただけのことだ。そういう連中のほうが、女どもより余程好ましいと思えたよ」
忌々しげに溜息をつき、彼は自慢の棍棒を地面に突き立てた。
「だが、仮にもし、私が男より女を好む性質だったとしても、ああいうのに手を出してはならない。というのも、女が何を好むか……普通、大貴族の妻なんていう素晴らしい地位を与えてやったら、喜んでもらえると思うだろう? どうだ?」
「それは、まぁ、普通は嬉しいんじゃないですか」
「だが、違う。違うのだ、ファルス君。あいつらが好きなのはな……高い地位を得ることではない。そうではなく、地位が上がった瞬間が大好物なのだ。わかるか、この違いが」
なかなかに微妙な理解を要求されている気がする。
伯爵夫人であることと、伯爵夫人になることの違い。直感的にはわからない。
「そんなことをしても、女が喜ぶのは、婚約指輪を与え、結婚式を挙行し、せいぜい屋敷の女主人に収まってからの一週間くらいの間だけだろう。周囲の女どもに自分の出世を自慢できるうちだけ、あいつらは嬉しがる。だが、夫に対してはもう、自分が得たものについては当然の権利だと思っているので、何の感謝も抱かない」
「うえっ」
「嘘でもなんでもない! 私がどれほどそういう実例を見てきたか」
まぁ、高い身分になればなるほど、そういう上昇志向の高い女とは出会うものだろうが……
醜悪な部分にだけフォーカスしなくてもいいんじゃないか?
「で、でもですね、一応、女性は母になるわけでして」
「そうだな」
「母の愛は無限というじゃないですか」
すると彼は、薄ら寒い笑いを浮かべた。
「君の純真さがいとおしいと同時に、不安と心配で押し潰されそうになるよ。なぜ母の愛が無限なのか、考えたことはあるのかね?」
「えっ?」
「それはな、自分の分身だから、自分と子供を区別できないから、自分自身のように愛するだけなのだ。見たり聞いたりしたことはないか。人生に行き詰まった女が自殺するとき、しばしば自分の子供を巻き添えにする。自分が死んだらこの子が一人になってかわいそうだから……理由になるものか? それなら、その無限の母の愛とやらで、自分が死ぬまで我が子を守り続ければよいではないか! よしんば、本人が限度を超えて苦しんでいて、もはや自ら命を絶つほかないとしてもだ……死にたいかどうかは、子供が自分で決めればよいではないか」
「まっ、まぁ」
抗弁しなきゃよかったかもしれない。
彼の中の熱量が、まるで引いていかない。
「逆に、子供を自分とは別の、他人と感じたら、それはもう冷淡になるものだ。証拠を探したければ、帝都に行くがいい。いくらでも見つかるだろう。特に学園はな、高貴の家に生まれた女どもも大勢やってくる。そこで勝手に花を散らすばかりか、父親もわからぬ子供を宿し、それをこっそり海に捨てる」
「そ、そんなにひどいのですか」
「ひどいなんてものじゃない……私は思うのだがね、『女』という単語は辞書の中にあるが、これを正確に表現することなど、どだい不可能ではないかと。つまりこういうことだ。辞書に掲載される単語は、単語それ自身を用いず、その他の言葉によって説明されることで意味をなす。してみると『女』という単語を正確に説明するには、少なくとも不潔、邪悪、不実、貪欲、淫乱、怠惰……こうした言葉の数々を並べなければならないのだが、実のところ、不潔を超えた不潔、邪悪を超えた邪悪である以上、もはやこれらの言葉では事実を正確に表現することさえできない! なんとももどかしいことだよ」
なんかもう、狂気じみている。
女嫌いは、その辺にもいるかもしれないけど、このレベルとなると、ちょっと見たことない。
「奴らは本当に卑劣だから、どうしようもないのだ。帝都では男女が同じ学園で学ぶので、授業によっては女を相手に討論もせねばならない。だが、あれらには議論というものがまずできない。事実と論理を列挙すればいいものを、何を話しても、最後には相手の人格をけなすことにしか行き着かないのだ。だが、賢明な君なら理解できると思うが、ある人がどんな人物であるかと、その人物が述べたことが正しいかどうかとは、まったく別問題ではないか?」
「そうですね」
「奴らの会話の目的は、真実の探究などではない。ましてや問題の解決でもない。むしろ君がもし、女どもにそんな話をしたら、間違いなく永遠に軽蔑されるだろう。奴らはただただ、自分の身勝手な願望に共感して欲しいのだ。しかし、共感の先にあるものは何か? 難しくもなんともない、私はかくかくしかじかの思いを抱いているのだから、男は黙ってそれを察した上で、先回りして私を満足させよと、それだけのことなのだ」
「あ、う」
「しかも怠惰で無責任だからな。仮にもし、自分の何もかもを捧げて全力で愛すると言おうものなら、きっといやな顔をするだろう。なぜなら、男がすべてを与えると宣言した以上、女もそれ相応の負担を覚悟せねばならないからだ。奴らが本当に好むのは、気軽に、しかも一切の責任を負わない状態で、一方的に楽しませてもらうことなのだ」
しかし、彼の議論にはまだ、異論を差し挟む余地があろう。
「あの、ですね」
「なにかね。私は女どもとは違う。意見があるなら、自由に述べて構わない」
「では申し上げますが、人はそもそも自分で選んで生まれてくるわけではありません。生まれる前に男になる、女になると決められるのでもなく、一方的に男になり、女になるのです。そして女が後からどれほど努力しても、男にはなれません。なのにそのおっしゃりようは、あまりにひどくはありませんか?」
先天的な素質や形質だけで、ここまでクソミソに言われるのでは。
すると彼は、微笑を浮かべて頷いた。
「女どもが、君と同じように筋道立てて話をするのなら、まだ救いがあるのだが。君の言う通りだ。女は見た目にも醜いが、その醜さが罪かといえば、そうではない」
おお、常識が通じた……!
小さな感動に目を見開く。しかし、すぐにまたゴーファトは、いつものゴーファト節へと還っていく。
「しかし、女は女であるがゆえに、容易く罪に堕ちる」
「それはまたなぜですか?」
「奴らは己の体に幽冥魔境を備えているからだよ。まさしく魔王の巣窟そっくりだ。見た目の富をもたらしつつ、人を堕落させ、貪欲と怠惰の悪徳に染まらせるからだ」
これだけでは説明不足と思ったのか、彼は咳払いを一つしてから、更に続けた。
「私は幸いにして、奴らのいやらしい財宝などには興味などないが、世の男達にとっては、それは黄金にも似た何かに見えるらしい。それをあの女という悪魔の種族はよくよく心得ているのだが、それは単に富を得る手段にとどまらず、奴らの誇りそのものでもある」
「まぁ、美人さんなら、自信はあるものかもしれませんが」
「そうだな。だが、考えてみたまえ、私は自分の武勇を誇っているし、君の……黒竜を討ち果たした武勇についても、心から尊敬の念を抱いている。武勇に限らない。積み重ねた努力、それは学問であれ、技芸であれ、いずれも誇るに値するものだ。一方、私は君の美しさを愛してはいるが、しかしそれは尊敬の対象ではない。もし君が自分の美貌を誇り、傲慢な態度をとったなら、私は心から悲しむだろう」
この最後の一文だけ取り出してみると、理解できなくもないのだが……
「ところが女どもはというと、違うのだ! 美しさとは、要するに天与のものであり、普通、努力ではどうにもならない。さっき君は、女に生まれてもそれは自分で選んだわけではないと、そう言ったな? その通り、それは罪ではない。と同時に、手柄でもないはずだ。なのに女ときたら、生まれつきの卑猥な宝をこよなく愛し、それがゆえに男達に対しても傍若無人な態度に出る。考えてみよ、伯爵の夫人になったとて、本人が何をなした? 私は武勇でスーディアを治めるが、その館に住まうだけの女に何の功績がある?」
「えっと……世継ぎを産んで、育てる、ですか?」
「そうとも。だが、そんなのは貴族の妻も、農民の妻も、等しくすることだ。いや、むしろ農民のほうが、貧しいだけ自分で苦労して子を育てる。貴族の妻は、乳母に何もかもを任せっきりにするから、誇るべきものは更に小さい。だが、偉そうにするのは貴族の妻だ。その本質は、夫の功績を自分の功績と見間違えることだ。さっきも言ったが、女どもは自分と他人を区別できない。というより、自分でないものは、自分の持ち物かそれ以外か、その程度の判断基準しかないのだ」
周囲の美しい光景すら忘れるほどの、熱い熱い演説だ。
どれくらい女を嫌っているか、よくわかる。
「だから結婚したら夫の、子供が生まれたら子供の功績で、自分を飾る。だから私も偉いのだ、と。だが、実のところ、奴らは自分が追い詰められない限りは、つまりは、そうしない限りは自分が『汚れた』存在になってしまう場合以外は、どこまでも怠惰になる。当然だ。なぜなら、生まれつきの、あのいやらしい財宝のおかげで、若いうちから安逸を貪ってきたのだから。今更、努力する気にもなれまい」
「汚れる場合は、頑張るんですか?」
「そういうこともある。だが、もっと性質が悪い女は、『なかったこと』にしようとする。目をそらして、そんなものはありません、とな。本当に無責任な連中だ。帝都では、私も学生達の仲間になって過ごしたが、彼らの中には女と恋をする馬鹿者もいた。だが、話を聞くと必ず、何をするにも男に責任を負わせるらしいのだ。本当は自分が淫らな思いを抱いているのに、男が欲しているから与えるのだ、と。そういう体裁をとろうとする。そもそも奴らは、自分の財宝の価値を高めるためだけに生きているのだから、無理もないことだが」
いくらなんでも、さすがにそろそろお腹いっぱいだ。
……これ、配下の人達とか、毎日聞かされてるなんてことはないよな?
「そう、奴らの矢印は、常にそこにだけ向けられている。それは例えば、あまり魅力的でない男に言い寄らせたときでさえそうだ。袖にするとき、女達は自分でも気付かない欲情に囚われている」
「さすがにそれは……考えすぎでは」
「そんなことはない。いいかね、目の前の男を拒絶することで、自分の財宝の価値は更に確かなものとなる。この快楽に身を委ねるのが女だ。気に入らない男を罵りながら、優越感に浸るのだ。とにかく、奴らにとっての世界の中心は、常にそこだ。例えば帝都では、女でも高い地位に就くことができるのだが、なぜか自らそれを擲ってしまうことがある。理由をよくよく突き詰めると……要するに身分を得て、実際に自力で富を得てしまうと、自分より高い身分の男達がいなくなる。すると、自分の不潔な部分を使う機会がなくなるので、自然と恐れを抱くのだ。成功を収めてさえ、なおそうなのだ」
「はぁ」
ある意味、よく女を観察している、ともいえるが……
「だから、私はスーディアの領主になってからは、住民によりよい法を守るようにと布告した。女の精神は常に病んでいる。これに効く薬は二つしかない。わかるかね?」
「いいえ」
「暴力と強姦だ」
ひえっ?
真面目に言ってるのか!
「あのひ弱な体に、雄々しく拳を打ち込んでやればよい。何かを為す力もないくせに、口ばかり達者なのだから。だが、肉体のほうはそれでよいとしても、それだけでは精神の矯正は望めない。そこで強姦だ。女は、先にも述べた通り、あの不潔な部分を何より貴び、それを心の支えにしている。だからまずそこを打ちのめすのが、最も優れた手段なのだ」
「あ、は、はぁ」
「スーディアでは、出歩く女は、いつ強姦してもよい。もちろん、強姦されたことを罰する権利は、未婚なら父親に、既婚なら夫にある。父や夫は、娘や妻を殺しても罪には問われない。また、夫が望めばいつでも離縁できる。かつ、夫が訴えれば、領主たる私が人を遣わして、驕慢な妻を懲らしめることも許している……まぁ、最後の取り決めは、利用するまでもないようだがね」
女にとってはディストピアそのものだ。
エディマ、苦労したんだな。
「だが、そんな私でも、アグリオから女神神殿の施設を追い出すことはできなかった。なんとも無念なことだよ」
「そこまでやりますか」
「当然だろう? 君、考えたことはあるかね、自分の死んだ後のことを。悪行を重ねれば幽冥魔境に堕ち、善行を重ねれば天幻仙境に至れると。だが、私には絶望しかない。なぜといえば、悪事を重ねても悲惨な場所に送られるのだが、だからといって善人になったところで、行き先は……女神という名の娼婦どもが屯する牢獄ではないか! こんなひどい話があるか。私は囚人も同然だ! いいや、そんなまともなものではない。そこまで苦しい思いをするくらいなら、私はいっそのことブタに生まれ変わって、永遠に誰かの排泄物や吐瀉物を貪り食っていたほうが、まだましだ」
ここまでくると「スゲェ」としか思えない。
徹底している。
「要するに、これから死ななければいい。不死を得ることができるのであれば、女など不要なのだよ」
……今、なんて言った?
もしや不死の手がかりを掴みでもしたのか? だが、彼はその続きを話そうとはしなかった。
「そんなこと、可能なんですか」
「ふむ……」
急に歯切れが悪くなった。
「できればよいのだがな」
「手がかりはおありなんですか」
「あるような、ないような……与太話なら、あちこちにあるようだが」
なんだ?
口が重くなるということは、何か重大な秘密があるということではないのか。
「もし、私が不死身になれるのなら、そうだな……君のような若く美しい少年になって、永遠に輝いていたいものだよ」
だが、結局はただの夢想を語るだけで終わってしまった。
何もないのかもしれない。
「そんなにおいやなら、ご結婚なんてなさらなければよかったのに」
「したくなかったとも。だが、あの一昨年の混乱のせいでな」
「あれでまた武名が高まったので、縁談を持ち込まれたのですか?」
「それなら断る。だが、代々スード伯の庇護下にあった王都の小貴族の家が、巻き添えになった。残されたのは娘一人……家は断絶だ。長年、王都でスザーミィ家のために働いてきたこともあって、引き取らないという選択肢がなかった」
手下の不幸をケアしてやるとは。意外とまともなことを言うものだ、と感心した直後、彼は本音を口にした。
「他所の貴族に嫁がれてみろ。私が今までやらせてきたことすべてが明るみに出てしまう。娘が知っていたかどうかはわからんが、知っていたら大事だ。なにしろ、女の口ほど軽いものなど、この世にないからな」
腰砕けになった。
なんだ、保護してやったんじゃなくて、口封じか。といって殺すのもまずいし、結婚という体裁でスーディアに拉致監禁したと。実に彼らしい。
「そんな、いったいどんな悪事をさせていたのですか」
「大したことではない。聖林兵団の巡察予定などの情報を、前もって入手させていただけだ」
「それだけですか?」
「君は自宅の庭を、余所者に土足で踏み込まれたいかね? フォンケーノ侯なら、こんな問題は抱えずに済むのだろうがな」
本当だろうか?
案外、パッシャとの繋がりなんか存在せず、彼自身に何か後ろ暗いことがあって、王都との連絡を断っているのではないか。そんな気がしないでもない。結婚の時期とも重なるし、可能性としてはありか。
ただ、これと決め付けるわけにもいかない。確かに、彼のような地方領主にとっては、王都における支援者の存在は必要なものだ。王家が領主達に課そうとするさまざまな負担をどう回避するかは、重大な問題だからだ。それで得た情報によって、何か脱税めいたことはしていたかもしれない。ただ、それは謀反とはまったく別次元の犯罪だ。
「そういうわけで」
彼は狩場の空気を大きな胸で吸い込んで、また大きく息をついた。
「帰ったら早速署名をして欲しい。君が私の跡継ぎになってくれるのなら、悩みもなくなる」
「甥御さんがいらっしゃるではないですか」
「あんな軟弱で根暗な男が、スーディアを治められるものか。論外だ」
彼は俺の肩を抱き、力強く言った。
「うんと言いたまえ。難しいことなど何もない」
「ですが」
「君はこれから、この地で暮らすのだ。永遠に」
それは御免被りたいのだが、俺の返事などあってもなくても、これで了承を得たことになったらしい。自分の中で納得すると、ゴーファトは言った。
「なんにせよ、今日、済ませてくれないと待たなくてはいけなくなる。面倒だが、少し仕事をしなければならんのだ」
「それはどのような」
「南の……名産のコーシュティの伐採場で、ちょっとした揉め事が起きたらしい。私が仲裁にいって、元通りに納品するよう説得せねばならんようだ」
どんな説得をするのかは、想像がつく。言葉でなんとかなればよし、さもなくば……
「今日の午後には、馬車に乗って向かわねばならん」
「どれくらいかかるんですか?」
「片道で一日、と言いたいところだが、明日は雨が降る。今日、なるべく距離を稼いで、明日の昼過ぎに到着だな。それから諸々片付けて……明後日の昼にあちらを出て、明々後日の夜までにはアグリオに戻る」
「お忙しいんですね」
ツイてる。この話を聞けた時、そう思った。
南方の盆地に彼は出張する。その間、俺はアグリオに居残る。アリバイは完璧だ。それに分厚い壁に覆われたフリンガ城の中では、なかなか彼を視認することができないが、街道の馬車の中なら、話は別だ。鳥に変身して肉体を奪えば、この仕事は終わりとなる。
ただ、明日は雨が降る。鳥の肉体で距離を稼ぐなら、なるべく晴れているほうがいい。狙うなら帰路、か。
「まったくね。君の傍にいられないのが残念でならない。だが、城の者どもにはきつく言い渡しておく。君には一切の不自由をさせないこと。主君と思って……いや、主君以上だ。この私の主と思って仕えるよう、厳しく命じておく」
「それなのですが」
チャンスを完璧なものにするためには、フリンガ城にいてはならない。人目が多すぎるのだ。
「城下に出ても構いませんでしょうか」
「ふむ、それはなぜかね」
「僕はまだ、アグリオの街をほとんど見ていません。ゴーファト様は、僕がスーディアの主になるなどと決めておいでですが、僕としては、実際に見てもいない街の主人だといわれても困ってしまいます」
「それも道理だな」
彼は頷いた。
「タシュカリダのあの宿を、また空けておこう。気が済むまで、街を見物するといい。ただ、アグリオの外には出さない」
そして、釘を刺した。
「それとあまり私を一人にしないでくれ。寂しくて死んでしまうからな」
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