再会の時間
足下に芝生の一つもなく、壁際には剣を模した像が乱立するばかりの四角い中庭。殺風景そのものの空間では、僅かな沈黙と待ち時間であっても、気まずさのようなものが漂う。だが、すぐに慌しく足音が迫ってきた。
「ご主人様、プルダヴァーツ殿をお連れしました」
「遅い」
腕組みし、足踏みしながらではあるが、ゴーファトはそこまで粗暴な態度をとりはしなかった。領主という絶対的な権力者であること、しかもスーディアという土地柄を考えれば、十分に穏やかな対応といえるかもしれない。
「領主様、まずはお目通りかない」
「前置きはいい。なんだ」
プルダヴァーツと呼ばれた男は、見た目ではまだ三十代の若さだった。それが十代前半と思しき少年を二人、連れている。息子だろうか、と思ったのだが、それにしては奇妙だった。というのも、彼本人と少年の片方は、それぞれ臙脂色と黄緑色に染められた上質な衣服を着用していたのに、その後ろにいたもう一人は、粗末な白い上着を身につけているだけだったからだ。
「はっ、閣下は気晴らしを常にお求めですから、いち早く、と」
「ふん」
ゴーファトは、後ろに立つ粗末な服を身につけた少年を、一瞥した。
それで俺も察した。つまりこれは、彼の「妖精コレクション候補」ということか。では、あの少年は奴隷?
確かに目鼻立ちは整っている。多少日焼けはしているが、健康そうだ。ただ、妖精かといわれると、とてもそうとは思えない。肩幅が広く、がっしりしている。短く刈り込まれた淡い亜麻色の髪が日差しを照り返す。あと何年かしたら、強く逞しい男に育つのではないか。ただ、それは男としてはカッコいい特徴かもしれないが、ゴーファトの好むような美少年とは少し違う。
水辺に戯れる妖精のような繊細さというより、カラッと晴れ渡る青空のような印象だ。それくらい、彼の目は透き通っていた。しかし、どこかで見たような……
「たわけが……いらん」
「はっ、これは大変申し訳なく」
そこで気付いた。
その少年も、熱心に俺に目を向けている。なんだ?
「今は大切な客人をもてなしているところだ。些事に煩わされたくないのがわからんか」
「おお、ご容赦を」
プルダヴァーツは、冷や汗を浮かべながら、いやらしく笑ってみせた。これは人に媚びるときの顔だ。ただ、ここではそうでもしなければ、首と胴とが泣き別れになってもおかしくない。
それでもここにやってくるのは、ゴーファトが上客だからだろう。気に入るような美少年には、きっと大金を積んできたに違いない。
「既に随分年嵩でして、お傍でお仕えさせるには早いほうがと思いまして」
「よい。もう必要とはしておらん。コーシュティでも買い付けて、さっさと王都に帰るがいい」
「ははっ」
今、なんて言った?
コーシュティ? どこかで聞いたような……そうだ。山間の村の老婆が口にしていた、古代の神もどきの名前じゃないか。それを買い付ける?
「待たせたな、ファルス君」
「いいえ」
咄嗟に首を振って、笑顔を返す。
「そら、ルーク、何を突っ立っている。退出だ」
プルダヴァーツは、連れてきた奴隷と思しきさっきの少年に、小声で叱りつけていた。
そう、彼の名前はルークだ。そして、俺の知り合いにルークなんて奴はいない。唯一、記憶にあるのは、あの大旅行家のルーク・ハシルアーくらいなものだ。だから、なんとなく見覚えのある顔だとは思ったが、それも勘違いのような気もする。
だが、彼の方では俺を知っているのかもしれない。それもあり得るか。あちこちで目立つことをしてきたのだから。一昨年の内乱で見かけたのかもしれないし。
それでも、妙に気になって、彼の後姿を目で追ってしまった。
なんだったんだろう。
「ところでファルス君、君は料理に詳しいらしいな」
「あ、はい」
「今日から、このフリンガ城に泊まってもらうが、特に今夜は、スーディアの郷土料理を楽しんでもらおうと思っている。これでなかなか、手間がかかるものなんだがね」
ほう、郷土料理とは。
ちょっと興味がわいた。
「そうなんですか。どんな料理ですか?」
「まだ秘密だ」
「珍しい食材を使ったりはするんですか?」
「なかなかいい質問だな。ありふれた素材でもあり、なかなかお目にかかれない材料であるともいえる」
「楽しみです」
笑顔で返事をしながらも、心はしおれていく一方だった。正直、いやな感じだ。俺はこういうことに向いていない。
夕方、俺は客室を宛がわれた。ずっと連れまわしては客人が疲れ果ててしまうから、ということらしい。それでも、夕食の支度が整ったら、人が呼びに来る。
フリンガ城の中でも、上等な部屋なのだろう。やはり繊細な印象を与える真っ白な壁に、草花をデザインしたレリーフ。それと、ここの窓はスーディアでありながら、小さくない。一般の家屋の窓が小さいのは、防犯対策としての意味合いからだ。しかし、フリンガ城の存在理由は、平和な時代の統治拠点だ。特にこの部屋は地上四階くらいの高さがある。風通しのよさのほうが大切だったのだろう。
ベッドの上に、大の字になって頭の中を整理する。
自分でもわかっているが、俺はなかなか非情になれないところがある。今のところ、ゴーファトは俺個人には何も悪いことをしていない。盛大に出迎え、自ら居城を案内し、郷土料理まで振舞ってくれるという。それどころか、俺を養子にしてスーディアの統治権まで譲りたいと言っている。これだけを抜き出してみると、殺す理由が見当たらない。
もちろん、夜になったら俺の部屋に忍んでくるのかもしれない。考えようによっては、それが殺すチャンスなのだが……
親愛の情を向けてくる相手を殺す。それは、俺が今まで避けてきた禁忌だ。
ゴーファトは悪人らしい。デーテルを弄んでから殺し、暴力でスーディアを支配してきた。今はパッシャと手を結んで、王国に混乱をもたらそうとしている。しかし、俺自身はそれを直接には目にしていない。
もし、彼が俺に恋慕の情を向けてきているとしても、俺の側ではそれは受け入れられない。だが、それが即座に彼を殺す理由になるかといえば。
いや、しかし。
消すだけ。消すだけだ。痛みも恐怖も何もない。消えるだけのことに、善悪があるだろうか。
考えるな。時間をかければかけるほど、相手の人間味を感じれば感じるほど、俺は迷う。
だが。思考停止して、任務だけを選び取る? それが正しいのか?
それはいったい、誰の「意志」なのだ?
これだから。
前にタンディラールが俺になんと言ったか。
『私はお前など、恐ろしくもなんともない』
確かにこの俺、ファルスという人間は、一応正気だ。少なくとも、理由なしに殺戮を繰り返すおかしな人ではない。金銭その他の欲望も希薄だ。利益のために誰でも殺せるかというと、迷いがある。また、なすべき正義があるのでもない。
ここが違う。タンディラールはあれで、王国に対する責任感を背負っているのではないか。自分の舵取り一つで、王国とそこに暮らす人々が大きな苦難に見舞われる。それを許容することはできない。だからこそ、断固たる対応をとれる。
ノーラは? あの強情な少女は、どうしてここまで俺に食らいついてくる? どんな理由があるにせよ、彼女にも明確な意志がある。彼女が、俺を、ピュリスに、連れ帰る。主語、目的語、補語、述語とも、ぼやけたところはどこにもない。
俺は? 俺は、タンディラールの意志と、ノーラの立場に動かされている。俺がこうして歩いているのに、俺が主語にはなれていない。この差だ。だが、俺にだって意志がある。不死を得て、永遠に眠りたい。では、彼らの意志と、俺の意志と、どこが違う?
なるほど、使徒があざ笑うわけだ。
考えることなど、そうはない。やるべきかどうか、ではない。いつ、どうやってやるか。選択肢など、ないのだから。
ゴーファトの予定なら、彼自身が知っている。夕食の時間に、それを聞き出さなくては。あとは彼の頭上を一羽の鳥が舞うだけだ。
思いに耽っているうち、随分と時間が過ぎてしまっていたらしい。
ドアをノックする音に、ベッドから跳ね起きる。室内を見渡すと、もう差し込む日差しは茜色に染まっており、それも随分とか細くなっていた。
「ファルス様、お食事の時間でございます」
軽やかな少年の声。
ゴーファトの傍仕えをしているのだろう。一瞬、「お手付き」なのかと思ったが、頭を振ってその考えを追い出した。
扉を開けた。
目の前にいたのは、白い肌の目立つ少年だった。背の高さからして、もうすぐ成人といったところか。大人の使用人が身につけるような黒い上着をきれいに着込んでいる。髪は短く刈られているが、昼間見た少年と違って、そこに固さは感じない。全体的にほっそりとしていて、中性的な印象がある。
しかし、何より気になったのは、その目付きだ。顔立ちは整っているのに、ネトッとして、へばりつくような……微笑んでいるが、そこに爽やかさはまったく感じない。なんだろう、人間の皮膚だけというか、剥製みたいに見えたのだ。
「主は既にお待ちです」
「あ……」
そこで気付いた。
ピアシング・ハンドで何の気なしに彼の情報を確認したら、わかってしまったのだ。
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ドロル (15)
・マテリアル ヒューマン・フォーム
(ランク5、男性、15歳)
・スキル フォレス語 5レベル
・スキル 格闘術 1レベル
・スキル 料理 2レベル
・スキル 裁縫 3レベル
・スキル 薬調合 4レベル
・スキル 房中術 3レベル
空き(9)
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「ド……もしかして、ドロル?」
かなり古い記憶だ。
ミルークの収容所で、彼は執務室に忍び込んでいた。タマリアの弟のデーテルがゴーファトに惨殺された事実を記した手紙を盗み出し、彼女の目に付くようにした。それで俺も疑われてひどく殴られたが、結果的に痛い思いをしたのは、ドロル自身だった。ジルが彼を縛り上げて、ゴーファトに譲り渡してしまったのだ。
六年も前。それも、子供は成長が早いから、外見も大きく変わる。だが、名前は変わっていなかった。それに身分も。あれからずっと、ゴーファトの下僕として生き延びてきたのか。
彼は、はじめから俺に気付いていたのだろう。ニタリと笑っただけで、黙って身を折るばかりだ。そのまま、俺を先導する。それも当然ではある。伯爵に仕える奴隷に過ぎないのに、ここで賓客と四方山話に興じるわけにもいくまい。
真っ白な廊下、赤い絨毯の上を歩きながら、俺は彼の背中を見つめる。
だが、なんとも説明しようがないのだが、この瞬間、俺は窒息しそうになった気がしたのだ。
彼は今でも俺を恨んでいるのか。
正直、再会するまですっかり忘れていた。いや、とっくに死んでいるだろうと、勝手にどこかで考えていたのかもしれない。
「あ、あの」
「はい」
俺が声をあげると、ドロルは足を止め、笑顔で振り返った。
「確認しておきたい……んだ。君は、あのドロルなのか。ミルーク・ネッキャメルの収容所にいた……」
声が嗄れそうになる。多分、俺は汗だくになっていたと思う。そもそも、この時期のスーディアは、そうでなくても蒸し暑い。
だが、彼は真っ白な顔に汗一つかかず、涼しげにしていた。
「僕はっ……ノールだ。わかるだろう? あっ、あれから、どうしていた」
「ファルス様」
微笑を浮かべてはいるが、実のところ、内心はどうなのか。
感情の読み取れない平坦な声が返ってきた。
「大変申し訳ございませんが、あまり主人を待たせると、お怒りを招くことになります」
「あっ」
「それと、今の私はスード伯の所有物です。許可なく他所の方と私語を交わすのも、あまりよいことではなく」
当たり障りなく、やんわりと彼は拒絶した。
「ですが、ご興味があれば、主人にお求めいただければ、いかようにもなるかと存じます」
奴隷としては、模範解答だ。
自分には話す自由なんてない。主人が命じるならば、話す。そういうことにした。
俺が言葉に詰まると、彼はそのまま前を向き、また歩き出した。
音もなく絨毯を踏みしめながら、俺は考えを巡らせる。
どんな人生を過ごしてきたのか。ピアシング・ハンドの表示結果は、彼の履歴書のようなものだ。やってきたことが、そのまま結果になる。
格闘術のスキルがあるということは、戦うための訓練を受けた経験があるのだ。ただ、才能がなかったのかもしれない。すぐに鍛錬は打ち切られた。
一方で、料理や裁縫のスキルも育っているので、そうした技術を要する状況にあったのだろう。なにせこの城、ここまで女性の姿を見かけていない。少年好きのゴーファトだから、女の仕事も少年達にやらせているに違いないのだ。特に、召使の賄い飯みたいなものは、飯炊き女がいない以上、自分達でなんとかするしかなかった。
房中術が伸びているところから判断すると、つまりはそういうことだった。彼もゴーファトに抱かれている。では、手術は受けたのだろうか? その可能性はある。見た目が年齢より幼いし、ヒゲも生えていない。
だが、何より伸びているのが薬調合とは、なんとも不吉だ。何のために薬学を身につけたのだろうか? 病気を治療するため? それとも、誰かを毒殺……
切断手術を受け、いまだに奴隷のままでいるドロル。かたや騎士にまで成り上がり、こうして辺境伯の歓待を受ける俺。
経緯が経緯だけに、羨望や嫉妬、逆恨みなどがあってもおかしくない。だが、それを顔に出すほど、彼は愚かではない。
ぬるりとした夕方の空気が、廊下の向こうで揺れたような気がした。
「ご主人様、ファルス様をお連れ致しました」
黒ずんだ大きな木の扉の前で、ドロルは声をあげた。
音もなく、両側の扉が引き開けられた。
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