ゴーファトの歓迎

 青空の下、広場は静まり返っていた。居並ぶ兵士達が槍を手に、目を伏せて立ち尽くしている。ここまで俺を運んできた馬車が動きを止めると、本当に周囲は静かになった。

 真っ白な石畳の上にそっと降りると、純白のドレスを着た貴婦人のようなフリンガ城が、俺を見下ろした。


 中央高地の中心に、小高い岩山があった。周囲が平坦な中で、そこだけが周囲を見下ろす場所であったがゆえに、築城の拠点とされたのは必然だった。

 そのほっそりした姿は優美でありながら、また威厳も備えていた。ティンティナブラム城のようにがっしりとはしていない。ただ、女性的なフォルムなどといったら、きっとゴーファトはいい顔をしないだろう。

 この城には、本丸を囲む城壁の類がなく、水に満たされた堀や跳ね橋すらない。ただ真上に突き立つ白い壁が目立つばかりだ。そうしていくつもの尖塔が並び立っている。その尖塔の間を結ぶ屋上の通路には、不恰好なほど大きな狭間窓が設けられていた。まるで掌を上に向けて、指を曲げたような感じに見える。

 見た目重視の建造物だが、歴史的にみても、防衛拠点としての意味合いは、希薄だった。世界統一後に、あくまで地域の統合を目的とした行政センターとして設けられた城だからだ。諸国戦争勃発後は、内部の調度品や財宝などが略奪され、一度はまるで廃墟のようになってしまったという。旧市街のフォレス人がこの城の近くで細々と生活していたが、皮肉にもこの城の利用価値の低さが、彼らの身を守った。どの盆地からも遠く、守るには不便で、周辺の開発も進んでいなかったから、捨て置かれたのだ。

 だが、スーディアがエスタ=フォレスティア王国の版図に収まると、再びフリンガ城は象徴として、統治者の居城の地位を取り戻した。スーディアの支配者は、城郭を守って勝つのではない。常に攻撃する側でなければならなかった。であればこそ、今でもこの城は、周囲に防壁を備えていないのだ。


 この広場に向かって、旧市街側からは扇形にいくつもの歩道が延びている。それらの線が交わるところに噴水があり、そこまでは市民が自由に立ち入っていい領域となっている。だが、俺を乗せた馬車は、その向こう側に止まった。

 陽光を浴びて輝く城のほうへと視線を向ける。ここからまっすぐ石畳の上を進めば、フリンガ城の前面、一階部分にあたる大ホールに辿り着く。南からの日差しを取り込めるよう、大きく口を開けている半屋外の空間だ。

 左右に並び立つ兵士が、スザーミィ家の旗を掲げる。その後ろには、濃緑色の茂みが広がっている。そんな中、幅広の通路をまっすぐ歩いた。


 やがて、はっきり見えてくる。

 本来なら、大ホール……謁見の間で俺を迎えるべき主が、日差しの下に出てきてしまっている。その後ろには、礼服を身につけた家臣達が居並んでいるのだが、本人は至ってラフな格好だった。下半身のそれは礼服のものだし、上半身のシャツもそうなのだが、ネクタイもなく、宝飾品も上着も何もない。ボリューミーな縮れっ毛が特徴的な長身の男だから、すぐそれとわかってしまう。


 一介の騎士に、この出迎えは過分だ。この動員された兵士達の数もそうだし、領主自らが屋根のないところに進み出て来客を待ち受けるとあっては。

 それこそ、王族がやってくるのでもなければ、ここまではしないのが普通だろう。ゴーファト本人は楽な格好をしているが、考え方によっては、これだって歓待の一部だ。もし彼がゴテゴテと身を飾っていたら、それは領主としての威光を振りかざしていることになる。臣下達には正装を命じているのに、彼自身が軽装でいるのには、気安い友情と謙譲の気持ちという意味合いがあるのだ。

 とはいえ、俺は俺だ。ここは礼法通り振舞おう。


 俺は随分手前で立ち止まり、膝をついた。


「ファルス・リンガ、ここに参りました。閣下にはこのように盛大な」


 その言葉が途切れる。

 作法も何もなく、彼が大股に歩み寄って、同じく俺の目の前で膝をついたからだ。


「よく来てくれた!」


 そのまま強引に俺の手を取り、勢いよく立ち上がる。


「私は息を吹き返したよ。君が今、ここにいなければ、きっと私は死んでいた」

「閣下」

「君は既に、何より価値あるものを贈ってくれたに等しい。なんとなれば、それは生きる意味そのものだからだ。ならば、私もすべてを差し出そう」


 俺の手を取ったゴーファトは、喜色満面だった。

 しかし、不吉な表現をしてくれる。何より価値あるものを贈ってくれた……って、もう俺の後ろの貞操を予約したつもりになっているのか。確かに常識的に考えれば、ここは彼の領土のど真ん中なのだから、俺に逃げられる余地はないのだが。


「閣下、私はもう充分に」

「見たまえ、このフリンガ城を」


 何かを押し付けられる前に、とにかく辞退しようと言葉を口にするも、ろくに聞きもせず、彼は興奮のままに自らの居城を指差した。


「この城は、スーディアの主の証だ」

「はい」

「美しいかね」

「それはもう」


 すると彼は俺に振り返り、手を固く握った。


「だが、実は私にはもう、これを所有する資格がないのだ」


 それはどういうことだ?

 確かに、名目的には、あくまでスーディアはフォレスティア王の委任統治領でしかないとか、いろいろあるが……


「これが今日から、君の持ち家となるからだよ」

「はっ?」

「この居城の所有権を譲ろう。なに、いくら美しいといっても、君の美しさ、気高さと比べれば、納屋か家畜小屋のようなものだが、自由に使って欲しい」

「何をおっしゃいますか!」


 少年好きとはいえ。ここまでするか?

 だいたい、フリンガ城の所有権とスーディアの統治権は、彼の自由にはならない。彼は伯爵で、形ばかりとはいえ、フォレスティア王の承認を受けてこの地の統治を委託されている立場なのだ。その辺の別荘を人に与えるのとはわけが違う。

 だが、彼は止まらなかった。


「言いたいことはわかる。この城も、スーディアも、手にできるのは正式に認められた後継者だけだ」

「そうでしょう。閣下には、立派な甥がいらっしゃるとのこと」

「甥ならいる。それと近頃、ついに妻を押し付けられた」


 こいつが結婚!?

 ビックリだ。少年にしか興味がないと……いや、ないのか。


「であればまずはご嫡男、続いてご親戚の中から、相応しい方をお選びなさって」

「問題ない。問題ないのだよ、ファルス君」


 そんな道理なんかが、彼の情熱を冷ますことなど、あり得なかった。


「君に資格がないというのなら、辻褄をあわせればいい。君が私と養子縁組すれば、つまりは嫡男ということになる」

「お、お戯れを」


 わけがわからない。

 どういうつもりだ? 俺の貞操を奪ってから、手術したいんじゃないのか? だったら、後継者なんかにしたら、まずいだろうに。それとも、俺も養子をとればいいのか?


「閣下、元はといえば、私はティンティナブリアの貧農の息子に過ぎません」

「知っているとも」

「たまさか陛下のご寵愛を受け、身の丈に合わぬ幸運を与えられてはおりますが」

「よしたまえ。君にはスーディアの主たる資格がある」


 俺の抗議など一切受け付けず、彼は一方的に言い切った。


「それはどのような」

「強さだ。そして、このフリンガ城より美しい……遥かに美しい」


 相変わらず、俺の手を握ったまま、放そうとしない。

 彼の手の感触を再確認して、全身の毛が逆立つのを感じた。


「冗談でもなんでもない。すぐそこに文書の用意がある。あとは君が署名すれば……ファルス・スザーミィ・スードを名乗れば、正式に次期スード伯になれる」

「陛下がお許しにはなられませんでしょう」

「そんなはずがあろうものか。私も王国の忠臣、君もまたそうだ。陛下が何を失うというのだ?」


 そう言っておいてから、彼は笑いかけてきた。


「はは、しかし、嫉妬ならするかもしれないな。陛下も君を自分のものにしたいのだろう。だが、何もかもを差し出すわけにはいかない立場だ。それであれこれ物惜しみしているうちに、私に先を越されてしまったのでは」

「閣下」

「こればかりは、ファルス君、他のものなら何を差し出しても構わないが、これだけはもう、誰にも譲れはしないよ。たとえ陛下といえども」


 当たり前だが、こんな無茶が通るはずもない。

 俺はゴーファトを殺しにきたのだが、そうした事情がなかったとしても、王の臣下同士が勝手に縁組して領地を譲り合ったらどうなる? 王との封建関係とは、つまり、管理できない大勢力の出現を防ぐという意味合いもある。王が認めるから、支配権の相続ができる。一種の安全弁だ。筋道に外れたこんなやり方など、認められてはならないのだ。


 しかし、恋は盲目とはいうが……

 こんなに人目がなければ、サクッと消してやれるのに。だからって、この状況で「二人きりになりたい」なんて言えるか?


「今日の午後は時間をとった。さあ、私が案内しよう。城主としてではなく、君の別荘の管理人としてだが」


 この、領主としては卑屈とさえいえるほどの彼のへりくだり方に、家臣達は一切文句をつけなかった。今、この場のゴーファトだけを目にしたなら、それはもうあけっぴろげで、フレンドリーで、好ましい男にも見えるかもしれない。だが、その正体は暴力の塊だ。非常識でございます、などと水を差したらどうなるか。

 アドラットが教えてくれたのだ。つい先日も、さっきの広場で大勢が処刑されている。その裁定は不公平だが、誰もが受け入れざるを得なかった。

 なるほど、スーディアは寄り合い所帯だ。だから弱腰の領主には務まらない。支持するものにはエサをやり、逆らうもの、気に食わないものには死を与える。そうして得た力を行使して、更に抵抗勢力を潰す。調子に乗った味方も殺す。


「さぁ、来たまえ」


 彼が先に立って歩き出すので、俺もおとなしくついていった。

 フリンガ城は、南側に向けて、大きく口を開けていた。正面から輪切りにすると、僅かに丸みを帯びた三角形のような感じで、天井はやたらと高い。城郭本体は岩山の上に築かれているが、この謁見の間は、市民が歩いて立ち入れる高さになるまで、岩盤を掘り抜いてあるのだ。

 日差しが入りやすいとはいえ、やはりそれなりの奥行きのある空間なので、夏場であれば尚更薄暗くなりがちだ。しかし、壁際の燭台には灯りが点されている。白と黄緑色の織り成す落ち着いた雰囲気の壁面に、ひんやりしたホールの空気もあって、光の喧騒ともいうべき屋外から踏み込むと、一気に別世界に連れてこられたような気になる。

 入口では大きくくり貫かれた三角形だが、行き詰まりの領主の座に近付くにつれ、だんだんと左右の幅が狭まっていく。やがて一番奥、一段高いところに据えられた大きな椅子の前で、俺達は立ち止まった。かなり頑丈そうだが、一見して古さがわかる玉座だ。金属部分があちこちこすれて、それが濁った光沢をなしている。しかし、これも味わいというものか。


「遠慮はいらない」


 ゴーファトは俺に振り返ると、手招きした。


「座りたまえ」

「ご冗談を」

「至って本気だとも。スーディアの主がここに座るのだから」

「であれば、閣下以外の誰がそこに身を置くことができましょうか」

「もちろん、君だけだ」


 しかし、少しわからない。さすがに行き過ぎではないか?

 ゴーファトが美少年を好むのはわかる。俺に対しても、一目惚れだったのかもしれない。だが、それだけでこんな重大な逸脱をするものだろうか。

 確かに、彼の少年愛は無害なものではない。サディスティックな嗜好もあり、個人レベルでは極めて厄介な代物だ。しかし、国家の統治という視点からすると、並み居る変態貴族の一人でしかない。王国への反逆とか、パッシャとの秘密同盟とか、そういう大それた話とはまったく次元が異なる。


「私にもそのような資格は」

「あるとも。ああ、まだ署名を済ませていなかったな。それはすぐ片付けよう。それと、私に対して遠慮など不要だ。もっと楽に話したまえ」


 今の時点では、わからないことだらけだ。


 ゴーファトが暴走しているのは間違いない。しかし、それが個人の恋愛レベルの狂気であるなら、殺害すべきとまではいえない。俺はスード伯なんかにはならないし、王国への反逆も起きない。セクハラの一つや二つはあるかもしれないが、切断手術でもされない限り、俺が彼を積極的に殺すことはないだろう。昔、デーテルを殺したことは覚えているが、だからといって、それだけで統治者の首のすげ替えを俺が決めるというのは、どうかと思う。彼は紛れもなく暴君だが、その急死がスーディアの安定を脅かせば、余計に多くの人命が失われるかもしれないのだ。

 ただ、俺は王命を受けている。ノーラ達の安全のためには、ゴーファトを殺さなければいけない。


「まったく、君の奥ゆかしさには手を焼かされるな。素直になっても、何もなくすものなどないのだが……まぁいい。後にしよう。次はこちらだ」


 なくすものなら、きっとある。貞操だ。ただ、それはそれとして。

 事態はそこまで単純でもないらしい。


 昨日、宿舎で会ったアドラットの存在が気にかかる。昨日の時点で、あれはパッシャが寄越した俺への見張りだと思っていたのだが、考えてみれば、そんな必要はないのだ。なぜか? ゴーファトと同盟関係にあるのなら、堂々と伯爵の部下を遣わせばいい。世話役でも案内人でも、いくらでも名目はつけられるし、頭数だって制限はない。あんな乞食まがいの怪しい男を張り付かせるより、ずっと効率的だ。

 すると、ここに推測がまた一つ、付け加えられることになる。ゴーファトとパッシャが同盟関係にあるというのは、タンディラールの思い込みだった。或いは、同盟関係はあるのだが、パッシャは独自に動いている。ゴーファトは色ボケしているが、パッシャは俺をマークしているとか。実際、この情勢で王が送りつけた少年騎士だ。何か因果を含められていても、不思議はない。そしてパッシャは、俺が組織の人間と渡り合った過去を把握している。

 つまり、いったい誰が当事者なのか。それぞれの思惑は、どこまで共通で、どこが食い違っているのか。疑いだすと、そもそもタンディラールが俺に告げたことも、どこまで真実なのかが不明瞭だ。彼が俺を騙しているという可能性もあれば、彼に情報を与えた諜報員が誤ったことを伝えたということも考えられる。なにせ、使徒が状況をいじくっているのだから。


 そもそも、パッシャが本当に関わっているかどうかも、現時点では確定できない。アドラット? あれが使徒の手先じゃない保証は?

 だから、わからない。


「ここがフリンガ城でもっとも見晴らしのいい場所だ」


 尖塔の頂点だ。当然ながら、天井はある。ここから見渡すと、すぐ下には城に繋がる通路と、真っ白な広場と噴水、そこから広がる旧市街が視界に入る。その向こうはと目を凝らすと、遠くに平原と森、彼方には霞がかった青い山々が聳えていた。


「素晴らしい眺めです」

「見渡す限り、すべて君の所有地なのだよ」

「閣下、申し訳ございませんが、それは」

「広さでいえば、ティンティナブリアにも負けてはいない。まぁ、ただ、あちらと違って小さな村が点在しているばかりの土地だ。絶景はあるが、そこまで豊かな土地でもないというのが、正直なところだ」


 そう、問題点は多い。

 ティンティナブリアにあって、スーディアにないものがある。大きな水源だ。あちらにはエキセー川があり、それがティンティナブリアの南方にまで豊富な水を供給している。一方、こちらでは水はほぼ天水と地下水に頼っている。また、全体として山がちでもあるために、広い農耕地を効率的に管理することができない。必然、村落の規模は小さく、数は多くなる。生産性の低い小集落が点在しているのだ。しかも、それが互いに敵愾心をもっているのだから、治め難いことこの上ない。


「一応、南部を中心に良質な木材が取れるな。スーディアの樫は、独特の黒ずんだ色合いで知られている。商人どもが買い付けにくるのも、これだ」


 謁見の間や尖塔の頂点がフリンガ城のファサードだとすれば、中庭はもっとプライベートな空間らしい。ただ、ここには普通のフォレス人貴族が愛でるようなものがなかった。


「少々、君には殺風景に見えるかな」

「いいえ」

「スーディアは武を貴ぶ気風のある土地だ。蝶よ花よなどとは言わん」


 花壇のような場所にあったのは、草花でも樹木でもなかった。剣と、それが刺し貫く犠牲者の石像だった。ただ、どちらかというと、犠牲者の描写は省略されていることが多かった。精緻に人間の姿を削りだす代わりに、ただ丸い何かに剣が突き立っている。多分、見せたいのは林立する剣そのものなのだろう。


「ご主人様」


 俺に城内を案内していたゴーファトのところに、一人の家臣が駆けつけ、膝を折った。


「お忙しいところ申し訳ございません」

「邪魔をするな、愚か者が。今、大切な時間を過ごしているのがわからんのか」

「はっ……ただ、例の商人が参りましたもので」


 すると、彼はいまいましげに鼻を鳴らした。


「ふん、待たせておけ」

「閣下」

「なんだね」

「僕は構いません。領主としての役目もございましょう。いくらでもお待ち致します」


 商人、か。

 案外、パッシャの手先と会うのかもしれない。


「ふむ……」


 彼は顎に指を当て、少し考えてから言った。


「では、ここに連れてこい。待たせるな。遅ければおいていく」

「はっ!」


 すると家臣は大急ぎで走り去っていった。ゴーファトは悠々振り返り、俺に言った。


「すまんな」

「とんでもございません」

「本当は時間のすべてを君だけに使いたいのだが、なかなかそうもいかん」


 そう言いあっているところへ、慌しく足音が迫ってくるのが聞こえた。

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