謎の乞食、現る

 遠くの鋭鋒が濃い灰色に染まる。その真上に橙色のグラデーションと、渦を巻く朧な白雲とが彩りを添えている。景色に目を楽しませながら、しばしの待ち時間をゆったりと過ごした。やがて足音が近付いてくると、俺は座ったまま振り返った。


「お連れ致しました」


 うっすらと困惑の滲む顔で、ウェイターを務める老人は、俺に頭を下げた。俺は一瞬、どうすべきかをあれこれ考えてから、一応の敬意を示すために、席から立ち上がった。


「ありがとうございます」

「では、ごゆっくりお過ごしください」


 会釈で彼を見送ってから、連れてこられた冒険者……とは名ばかりの乞食に、身振りで席を勧めた。そこで初めて、俺は彼の顔を見た。


 これが乞食の顔だろうか?

 確かに服は古びていて、何度も繕った跡がある。しかもなお、彼の羽織っている黄土色のマントには、あちこちほつれたところが残っている。また頭には、原形がわからないくらいペシャンコに潰された帽子が乗っかっている。冒険者という割には、腰に剣も帯びていない。顔にも無精髭が、気になるくらいには生えている。伸ばしきるでもなく、昨日剃ったのでもない。髪の毛もモジャモジャで、一見して、だらしないといえる身だしなみだ。

 しかし、その眼差しには理性のようなものが感じられた。見つめた瞬間、目が離せなくなり、ハッとして我に返った。これは何者だろう? どこか卑しからぬ身の上の人物が運悪く零落したものと言われても、信じてしまうかもしれない。


「おかけください」

「どうも」


 彼は口数少なく応え、それからそっと向かいの椅子に腰掛けた。

 声色はなかなか渋い。外見さえなければ、ダンディな紳士のそれに聞こえる。


「困窮しておいでと聞きました。ああ、よろしければ」


 少しわざとらしくないか、と思いながらも、俺は手元の茶菓子とお茶を、彼の方へと押しやった。


「差し当たっては、せめて喉を潤してください」

「ご厚意、ありがたく」


 すると彼は、胸に手をあてて軽く頭を下げ、それから冷めかけた紅茶に手を伸ばし、一口含んだ。

 大丈夫、だろうか。自分のためとはいえ、じわじわと罪悪感がこみ上げてくる。変じゃないか。ついこの前、躊躇なく人を殺したばかりなのに。どうにも思考にノイズが混じる。最悪でも、せいぜい睡眠薬でしかないのに。俺はどうしてしまったんだろう。


「そちらの茶菓子もどうぞ」


 彼は勧められるままに、一つ、二つ摘みあげて、口に放り込んだ。

 これで、何か薬でも盛られていれば……


「ファルス様」


 すぐ後ろから、さっきのウェイターが、新しいお茶と菓子を供した。

 これにも毒が? いや、大丈夫。少しだけ様子を見て、何の動きもないなら、俺の考えすぎだったとわかる。なぜなら、もし最初の茶菓子に睡眠薬が盛られていたのであれば、俺が乞食の変化に気付くであろうことを警戒するからだ。つまりその場合、俺が彼の体調変化に気付く前に、ウェイター達は俺に対して何らかの手を打ってくる。


「どうも」


 ウェイターが引き下がってから、俺はゆっくりと乞食の方に顔を向けた。


「ところで、あなたの……」

「ム、ム、ム!」

「ええっ!?」


 乞食は、顔を赤くして、自身の胸を叩いていた。

 なんだ、そんな、馬鹿な!?


 俺が腰を浮かしかけると、彼は手を突き出して俺を押し止め、もう一方の手で紅茶のカップを鷲掴みにして、中身を一気に流し込んだ。

 そうして何度か胸をトントンと叩いてから、フーッと息をついてみせた。


「も、申し訳ない」

「驚きました。どうなさったんですか」

「あ、甘いものを食べたのが久しぶりすぎて、驚いて喉に詰まらせてしまったのです」

「あ、ああ」


 なんとも似つかわしくない。わざとだろうか?

 品のありそうな……中高年男性、なのか。髪や髭に白いものは混じっていないが、若者というには少し老けすぎている。どうにも年齢不詳な感じが拭えない。

 ただ、それはそれとして。口数は少ないし、どことなくたどたどしいが、卑しさはみてとれない。世慣れない雰囲気というか、場にそぐわない奇妙な上品さはあるものの……これでは乞食と言われても、冒険者と言われても、あまりしっくりこないのだが。


「大丈夫ですか」

「はい」

「それはよかったです。それと、さっき聞きそびれてしまったのですが、あなたのお名前は」

「はい。アドラットと申します」


 では、これからは気をつけて、彼にはその名前で呼びかけよう。

 しかし、名乗った名前が本物かどうかは、これから確かめる。もしかしたら偽名かもしれないし……


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 アドラット・サーグン (48)


・マテリアル ヒューマン・フォーム

 (ランク6、男性、48歳)

・マテリアル 神通力・具象剣

 (ランク8)

・マテリアル 神通力・風獣召喚

 (ランク5)

・マテリアル マナ・コア・風の魔力

 (ランク2)

・スキル フォレス語  6レベル

・スキル サハリア語  4レベル

・スキル ルイン語   4レベル

・スキル ハンファン語 5レベル

・スキル 風魔術    5レベル

・スキル 剣術     6レベル

・スキル 格闘術    6レベル

・スキル 隠密     5レベル

・スキル 軽業     5レベル

・スキル 騎乗     4レベル

・スキル 水泳     3レベル

・スキル 医術     2レベル

・スキル 薬調合    2レベル

・スキル 料理     1レベル

・スキル 裁縫     1レベル


 空き(30)

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「どうか……なさいましたか」

「あ、ああ、いえ」


 目をパチクリさせながら、俺は意識を引き戻した。


「アドラットさんとおっしゃるんですね」


 考えをまとめる時間を稼ぐため、手元の紅茶を引き寄せ、ゆっくり、なるべくゆっくりと口に含む。


 何が乞食だ。

 とんでもない能力者じゃないか。


 まず、見たこともない神通力が二つもある。

 具象剣……具象化できる剣? これだけ剣術の技能を伸ばしているのに、肝心の武器を所持していないのだ。ということは、何らかの条件付かもしれないとはいえ、こいつは自分の意思だけで剣を生み出すことができるのかもしれない。

 風獣召喚というのは、なんだろう? 風、そこから連想されるのは鳥とか、何か飛行能力を有したものを呼び出し、使役する神通力ではなかろうか。どんな怪物が出てくるか、想像もつかないが、状況によっては敵対者にとって非常に厄介なものとなる可能性もある。


 剣術、格闘術とそれぞれの戦闘技術も一流。風魔術も修めているから、遠距離からの射撃についても対抗策がある。武器を持たずに歩き回ることができ、あちこちの国の言語にも堪能。どうみても戦闘要員……いや、工作員か。

 これだけの能力がある事実を明らかにすれば、仕官など引く手あまただろう。それが乞食なんかをしているということは、能力は秘密、そして何か目的があるに違いないのだ。


「さっき、ウェイターの方から、冒険者だと」

「ああ! そうなのです」


 質問に、彼は喜色を浮かべた。


「ひどい言い草です。私のことを乞食だなどと」

「えっ? ええ」

「これでもれっきとした冒険者で、ここへは仕事を求めてやってきただけなのです」


 そう言うと、彼はいそいそと懐から金属片を取り出した。そして、熱っぽく語る。


「こちらが私のタグです。この通り、ちゃんとガーネットの冒険者です。こちらは実績で……ほら、こちら、随分前ですが、ミッグ郊外で、ああ、東方大陸のあの街ですよ、あそこの森の中で、狼を狩る仕事に参加しました」

「は、はぁ」

「他は、まぁ、その、荷物の運搬とか、そういうものが多いんですが、あぁ、つまり、まだまだ私だって戦えます、お役に立てるんですよ」


 笑顔でアピールだ。

 しかし、俺にはこれが全部嘘だとわかっている。狼だって? これだけの力があれば、狼どころじゃない。これは、ダメな男が身分の高い人に自分を売り込んで引き立ててもらおうとする、そういうお芝居だ。


「じゃあ、こちらでは、どんなお仕事をお探しですか?」

「それはもちろん、隊商や貴人の護衛です。ただ、スーディアに来る商人は、既に護衛を外で雇っていることが多くて、私に声をかけてくれないんですよ」

「まあ、それは」


 何をやっているんだ、と言いたくなる。

 スーディアはフォレスティア全土で最も治安の悪い地域だ。だから、当然この地に踏み込んでくる商人は、スーディアの外で護衛を調達する。なぜか? 考えるまでもない。まず、危険地帯に踏み込んでから護衛を探したのでは間に合わないから。次に、スーディアの地縁血縁で動く連中を護衛にしても、同郷の血族と手を組んで、自分達を裏切るかもしれないから。

 彼は、自分を雇ってくれる人がいない場所に迷い込んだ、間抜けな冒険者の役を演じている。少し設定としては、苦しい気がするが。


「あなたは、どちらのご出身なんですか?」

「帝都です」


 外見的にはフォレス人に一番近いが、微妙な違いがある。混血だろうか。人種的には彼の言う通りかもしれない。


「スーディアへはどうやって」

「船でエキセー地方まで参りまして、そこからティンティナブリアを通ってピュリスまで、更にそこから仕事を探しながら……はは、お恥ずかしい、野宿をしながら海沿いを旅しまして、スーディアには南の山越えをして、一人で来たんですよ」

「よくご無事でしたね」

「えっと、ああ、まぁ、その……さすがにティンティナブリアでは、身包み剥がれました。あそこは盗賊が多かったですし」


 変な旅程だ。最初からピュリスに行けばいいし、仕事を探すならそのまま王都に行くなり、海を渡ってムスタムに行くなりすればいい。


「で、でも。まだ、私は夢を捨ててない」

「夢、ですか」

「ええ。もうこんな歳ですが、冒険者として名を馳せる、そういう誰もが見る夢ですよ」


 その辺の与太話はどうでもいいが……

 彼は瞳をキラキラさせながら、自分に酔ったかのような顔で話を続ける。


「本当は私も、それなりにやれるつもりです。ただ、運が悪かった。富裕な商人や、貴人の前でいいところを見せれば、見初めてもらえるはずですよ」

「なるほど、わかります」

「ちょうどここ、タシュカリダ区は、そういう外部からの来客が集まる場所ですからね」

「と言いますと?」

「ご存知ないのですか。アグリオの区割りのことですよ」


 アドラットの説明によると、俺が今いる場所は、葡萄の房のように連なるアグリオのあちこちの街区の中でも、タシュカリダと呼ばれている場所らしい。ここは、どこかの村落の出身者に占められている地区ではなく、外部からの来訪者の宿舎などが集中している場所だとのこと。ここで働いている人間の大多数は、イチカリダ、つまりあの一番大きなアグリオ旧市街の住民なのだとか。


「領主様のお膝元といえばイチカリダで、あそこは広場を挟んですぐフリンガ城があるのです。あちらにも、安宿が並んでいるそうですが。富裕な商人はこちらにいるもので、それで私もこちらでお客を探していたのです」


 ノーラはどちらに行ったのだろう。旧市街の方かもしれない。だとしたら、好都合だ。


「ところで、先ほど、お伺いしましたよ」

「何をですか」

「ファルス様、とおっしゃるのだとか」

「はい」

「なんでも、ここの領主様、ゴーファト・スザーミィ・スードのお招きでいらっしゃった、お若い騎士なのだと」

「その通りです」


 するとアドラットは、テーブルの表面に額をこすりつけた。


「ファルス様、このアドラットの主となってはいただけませんでしょうか!」

「ええっ!?」


 いきなり俺に? 突飛過ぎないか?

 でも、こんな有能な家来ができるのなら……って、そんなわけない。


「黒竜をも討ち果たした騎士ともなれば、供の一人もいて当然です。私が身の回りのお世話を致しましょう。もちろん、どのようなご命令にも従います。私もいずれは立派な騎士に」

「ちょ、ちょっと待ってください」

「お会いしたその瞬間から、私は確信しておりました。これこそまさに女神の」

「待ってくださいよ」

「さっきも私がどれだけ役立つか、ご確認なさったでしょう。これでも情報通でして」


 アドラットには、人並み優れた能力がある。だが、彼には隠れた目的があり、身分もごまかしている。そんな人物が、この俺、領主に招かれた少年騎士ファルスとお近づきになりたいと言っている。

 では、いったい彼は何者なのか?


「最近は特に物騒になってまいりましてね」

「と言いますと、治安が」

「ええ。噂になっています。怪盗ニドと名乗る何者かが、あちこちの街区を襲って、放火しては逃げていくのです」


 一番ありそうなのが、パッシャのメンバーという線だ。

 ゴーファトがパッシャの協力者になった可能性がある。少なくともタンディラールはそう考えていた。これを事実として考えると、彼の城下町のあちこちにパッシャの工作員が潜伏していても不思議はない。アドラットは、そんな闇の戦士の一人で、このタシュカリダ区に陣取って、乞食のフリをしながら、要注意人物の身辺を探っている。

 そしてファルスといえば、先日、タンディラールによって騎士に叙されたばかりの少年だ。ゴーファトは、持ち前の少年への執着心から、或いは俺に対して無防備なのかもしれないが、パッシャのほうでは、クローマー相手に立ち回った過去も覚えているから、警戒を要すると考えている、と。

 だからアドラットは、組織の意向を受けて、俺の監視にまわろうとしているのだ。こう考えれば辻褄は合う。


「お互いにどこかの区の回し者ではないかと疑って、暴力沙汰も起きているのですよ。それをまた、領主様が懲罰と称して鎮圧するもので、死傷者も」

「それは大変ですね。しかし、領主の兵がそのうちに捕まえるのでは」

「これがなかなかに神出鬼没という話でして、いまだに顔も知られていないのです。それに」

「それに?」

「このニドなる泥棒は、自分の盗んだお金を懐に入れずに、貧しい人々にバラまいているというのです。まぁ、義賊気取りなんでしょうね」


 しかし、アドラットは一つ、ミスを犯した。それは、俺に取り入ろうとしたことだ。

 俺個人の下僕になったら、行動の自由が大幅に制限される。俺の情報は大量に確保できるが、それ以外はお留守になる。とするなら、彼の目的は最初からこの俺、ファルスだった。漠然と誰かの情報を得ようとしていたのではない、ということになるのだ。

 そのために彼は、このタシュカリダ区で乞食のふりをして、うろついていた。今回はたまたま俺から声をかけてしまったのだが、そうでなくても、何かのきっかけを作って近付いてきたはずだ。してみれば、この出会いは偶然ではない。


「それでまぁ、あちこちの顔役が貯めこんでいたお金のことが知られるようになりまして。ご存知の通り、このアグリオの区と区は、それぞれ別の村ですからね。互いに反目しあうようになって、また小競り合いにもなりそうな状態なんですよ」


 あくまでこれは仮定の話で、証拠は何もない。ただ、最悪を想定するなら、これくらいは考えておくべきだ。

 とはいえ、この推測にも、いろいろ穴がある気がする。本当のところ、彼は何者なんだろう?

 では、俺はどうすべきだろうか。


「なるほど……確かに、いろいろ教えていただくことはあるかもしれませんね」

「で、では!」


 俺は懐から数枚の金貨を取り出した。


「とりあえずはお納めください」


 乞食に金貨を恵んでやる。そういう形をとることにした。

 こいつの正体もわからないのに、すぐ傍になんて置きたくない。第一、それは目立つ行為だろう。乞食をいきなり家来に、なんて。かといって、いきなり殺すには不確定要素が大きすぎるし、これまた騒ぎにもなってしまう。

 だから、無難にお恵みを与えて追い返す。もちろん、手ぶらで返すほうが自然ではある。だが、あえて金貨を与える。こうしておけば、もし俺が考えを変えて、なんらかの必要からアドラットに接触しようとした場合に、口実を用意できる。あのかわいそうな乞食はどうしている? というわけだ。


「僕はアグリオに到着したばかりで、知らないことがたくさんあるんです。いろいろ教えていただけると助かるんですが」


 すると彼は、複雑な表情を浮かべ、すぐに打ち消して、笑顔になった。

 なかなかややこしい。こうなると本心が見えてこない。俺の傍に張り付いて情報収集する、という目的は果たせない。だが、金貨をもらって喜ばない乞食はいないだろう。だから……ああ、俺の下僕になり損ねたという理由から落ち込んでみせたのかも。


「それはもう、お任せください。なんでもお答え致しますから」


 アドラットは、笑顔で胸を叩いて請け負った。

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