隠蔽と冒涜

 自分の体内で何かが蠢いているような不快感が抜けない。朝、起きてからずっとだ。どうにも意識が散漫になりがちで、集中してものを考えることができない。

 頭上は相変わらず、へばりつくような濃い緑のトンネルに覆われている。おかげで、絶えず湿った吐息が首元に吹きかけられているような感じがするのだ。だが、こいつを取っ払ったところで、この気分の悪さはなくならないだろう。今度は今度で、無神経な青空が、遠慮なく灼熱の視線を浴びせてくるのだろうから。

 無性に苛立つ。その理由を、俺は頭で考えて、そして見つけてしまう。


 すぐ近くで落ち葉を踏みしめる音。

 こいつのせいだ。


 何食わぬ顔で、俺のすぐ横をノーラが歩いている。さも当然といわんばかりだ。

 本当に、何を考えているんだ。しかも、昨夜はついに使徒まで割り込んできた。奴の宣言がまったくのデタラメということは考えにくいから、この先にあるのは、本当にとんでもないレベルの危険に決まっている。

 だが、それを説明するのも憚られる。じゃあ行く、ファルスが行かなければいい……そういう不毛な反論が返ってくるに決まっているからだ。


 ただ、そういった理由は、あくまで後付けのものでしかないともわかっている。危険といっても、俺がそれと向き合わねばならない理由はない。ゴーファトを殺す。逃げる。それ以外はどうでもいい。たとえパッシャが一般市民を虐殺しようとも、俺は無視して出国する。

 最悪、俺が伯爵殺害犯とバレたとしても、さほど問題だろうか? タンディラールも、結果さえ得られれば、ピュリスに手は出さないだろう。形の上では俺を指名手配せざるを得ないし、リンガ商会に対しても表向きはファルスとの関係を断つよう命じるだろうが、存続を許さないということはないはずだ。というより、もしそれでノーラ達を処刑でもしたら、俺がタンディラールを殺しにいく。

 要するに、この旅は大したものではない。今、俺が感じているこの気持ち悪さは、土地の気候のせいだ。蒸し暑く、道も歩きにくい。疲れもする。それだけではないのか。


 これも違う。自分に言い聞かせているだけだ。

 なんとなく、なんとなくだが、とにかくいやなものを感じている。


「ファルス」


 斜め後ろから、ノーラの声。


「誰かが見ているわ」


 どうせ、どこかの有象無象だろう。気にするほどのこともない。

 ノーラの旅の経験は浅く、武人としてもまったくの未完成。そんな彼女が誰かの気配に気付いたなどとは考えにくいから、これは精神操作魔術の力によるものだろう。そしてこの魔法は、本当の強者には使いにくい。ある程度の経験を備えた人物であれば、意図的に思考にノイズをかけることさえできる。また、自分が魔術の影響下にあると気付くこともある。それがない以上、程度の知れた連中ということだ。

 また、この辺りは木々が密生している。よって、俺でも気配を察知できないような遠距離からの射撃は難しい。その辺の茂みから奇襲を浴びせてくるくらいなら、さすがに気付くし、対応も難しくはない。


 俺は歩みを止めようとしなかった。


「隠れてやり過ごさないと」


 面倒だ、と一瞬思ったが、それはあまり正常な判断ではないと自分でも感じた。

 おとなしく、俺はノーラに従って道の脇の樹木の陰に身を潜めた。彼女は短く詠唱を繰り返す。これは多分『人払い』だ。恐らく彼女は、俺に追いつくまで、このやり方で危険を避けてきたのだろう。常に『意識探知』で敵意を探り、敵の接近に気付いたら身を隠す。合理的ではある。


 だが、俺はそっと剣を引き抜いた。


「ファルス?」

「気付かれた時に、遅れをとるわけにはいかない」


 これも合理的な判断だ。魔術は有用だが、魔術だけに頼るべきではない。常に二重、三重の対応策を用意する。

 それは理解できたのだろう。ノーラも何も言わなかった。


 ややあって、後ろから足音が聞こえてきた。

 物陰から見やる。四人、か。服装は、見るからにみすぼらしい。この辺の農民や狩人達なのだろう。古びた革のベストと色落ちした着衣、それに質の悪そうな剣を携えている。弓を持っているのが一人だけいた。あと、明らかに農作業用のフォークを槍代わりにしているのもいる。


「バカな、見失っただと」

「遠くに行ったはずはない。探せ」


 口々に言い合っている。

 ヒゲもろくに剃ってない。汚い顔をした男達だった。


「おっ?」


 だが、中に一人、拾いものがいた。


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 チェト・エルダ (40)


・マテリアル ヒューマン・フォーム

 (ランク5、男性、40歳)

・スキル フォレス語  5レベル

・スキル サハリア語  5レベル

・スキル シュライ語  5レベル

・スキル 剣術     3レベル

・スキル 弓術     3レベル

・スキル 隠密     3レベル

・スキル 水泳     2レベル

・スキル 操船     2レベル

・スキル 農業     4レベル

・スキル 料理     2レベル

・スキル 裁縫     1レベル


 空き(29)

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 リーダー格の男だが、元出稼ぎ組といったところか。西方大陸の内海で働いたことがあるのだろう。しかも、サハリア語だけでなく、シュライ語まで。

 スーディアでの用事を済ませたら、次は人形の迷宮に行くつもりだ。ムスタムならまだフォレス語でなんとかなるが、目的地はサハリアの砂漠地帯のど真ん中。

 ここで目的を達成できればそれで終わりなのだが、ダメだった場合、東に海を渡って南方大陸に向かわねばならない。そこでの共通語はシュライ語だ。

 サハリア語については、グルービーから奪った分で足りる。しかしシュライ語は、彼もあまり得意としていなかった。セリパシアではなんとかなったとはいえ、やはり言語が4レベルしかないと、自由自在とはいかない。

 ここで調達してしまおう。


 幸運にほくそ笑みながら、俺は手を伸ばす……


 その瞬間、言葉にしがたい何かの感覚が胸を貫いた。

 空間を切り裂く白刃のような。


「あっ! あそこにいたぞ!」

「隠れてやがった!」


 四人の男達が、一斉にこちらに気付いたのだ。

 隣のノーラも、声を押し殺しながらも言葉にせずにはいられなかったようだ。


「うそ! どうして見つかったの!?」


 おかしい。

 この程度の連中が、ノーラの魔術をそう簡単に看破できるはずもない。それと、なぜこのタイミングで? ピアシング・ハンドを使用したことで、誰かに存在を察知されたことは、今まで一度もない。少なくとも、人間相手では。


 だが、そうした内心の動揺は一瞬だった。

 俺は音もなく、すっと木の陰から滑り出た。


「ガキ、そっちのも出てこい。有り金置いてきな」


 盗賊、か。

 といっても、本業は追い剥ぎなどではないはずだ。こいつらが涌いて出た理由は……


「って、素直に聞くつもりもねぇか。しょうがねぇな」


 と言いながら、四人が俺を囲もうとする。


「ファルス!」


 背後で、駆け出そうとしてすぐ立ち止まったのが聞こえた。そして、大慌てで詠唱を始める。

 少しブレはあるが、悪くない判断だ。未熟な棒術で立ち向かうより、精神操作魔術を生かして、こいつらの意識を断ち切ったほうがいい。『誘眠』でも使えば、一人か二人はすぐに昏倒させられる。

 ただ、今回に限っては、あまり有用とはいえない。問題が一つある。


「フッ!」


 一呼吸で俺はチェトの眼前に迫った。


「ぬおっ」


 想像以上に素早い踏み込みに、彼は武器を振り上げようとした。

 その次の瞬間、グラリと揺らいで、まず頭だけが草叢を押し分ける。そのまま残った胴体も、茂みの中で仰向けに転がった。


「なっ」

「こい」


 喋る時間すら与えない。

 二人目の首も宙を舞った。


「なん……ギャアッ」


 ほとんど詠唱するまでもなく、三人目の膝が『行動阻害』の激痛にひん曲がる。ちょうどよく身を屈めたところで、また刃先が喉笛を切り裂く。


「ひっ? ひぃ」


 逃がすか。

 それに、そいつは弓を持っている。遠くから狙われたくはない。


「あがっ!?」


 突然の激痛に腰砕けになったそいつを、後ろから上下に真っ二つにする。

 すっと飛び退いて返り血を避けると、俺は何事もなかったかのように、剣を一振りして、血を払った。


「ふう」


 片付いた。

 なんてことはない。本当に。


「あっ……ああ」


 そこでやっと気付いた。物陰に立ち尽くすノーラの姿に。

 せっかくの詠唱も、効果を発揮する時間がなかった。いちいち援護するまでもない仲間と敵……それが今回の問題点だった。


「どうした? グズグズしないほうがいい。早く行こう」

「ファルス……どうしちゃったの」


 どうって、盗賊を殺した。

 それが何かおかしいのか?


「やらなければ殺されていた」

「だからって、全員殺さなくても」

「逆だ。一人でも見逃せば、いつまでも狙われる。誰も殺さなくても、俺達はこいつらの顔を見ている。だから、下手をすると領都についてからも、追い回される」


 敵対するというのは、そういうことだ。ことにここはスーディア、こいつらにも地縁血縁がある。一度でも揉めたなら、相手を残さず殺すしかない。全滅させれば、誰がやったかわからない。


「でも、ファルス、昨夜はあんなに」

「あんなに、なんだ?」

「人を……殺さないほうがって」

「ああ」


 俺はもう、何人も殺している。今更じゃないか。

 気付くと、妙に頭の中がスッキリしていた。手元の剣の輝きが、俺の心の中の澱みを洗い流してくれる。


「どうしてこうなったと思う」

「えっ」

「俺達がここにいる、そして金を持っていると知っているのは誰だ」

「あっ」


 そう。昨夜ノーラは老婆から情報を得ようとして、金を握らせた。気前が良すぎたのだ。

 それを知った村人は、欲を出した。あっさり何枚もの金貨を出すようなボンボンだ。なら、身包み剥いでしまえば、もっと儲かるのではないか。しかし、村の中で襲うのはまずい。騎士の腕輪を持っているのだから、身分も保証されている。だが街道で襲えば、誰がやったのかをうやむやにできる。


「気にすることはない。自業自得だ」


 俺は剣を鞘に戻すと、また歩き出した。急に体が軽くなったような気がする。ノーラも慌てて後を追う。その表情は強張っていたが。


 昼下がりになって、俺は道の脇に奇妙な光を見つけた。昨夜見かけた、あの使徒のものとそっくりだ。そいつは、とある脇道の入口に浮遊していた。


「ここか」


 俺が足を止めると、その光は上空に向けて飛び上がり、やがて消えてしまった。案内はした、あとは勝手に見物しろと、そういうことなのだろう。


「どうしたの?」

「少し寄り道をする」


 それだけ言って、俺は獣道へと分け入った。

 生い茂る草花が行く手を遮っていたのは、ほんの入口のところまでだった。その先には、割合しっかりとした道が整備されていた。足下には灰色の石で舗装された通路があり、その隙間から草すら生えていない。よっぽどしっかりと作りこんだものに違いない。

 ほどなく、広場のような場所に出た。


「なに? ここは」

「わからない」


 隠された祠、か。

 確かに、何かの力で隠蔽されていた場合、普通の人はなかなかそこに近付けない。タリフ・オリムの聖女の祠がそのいい例だ。ただ、ここの封印はあそこほど強力ではないらしい。ノーラは意識を保っている。ギルみたいに眠り込んだりはせず、周囲を見回している。


 丸く切り取られた土地。足下は土だが、草も生えてこないくらいにしっかりと踏み固められている。相当な労力をかけたに違いない。というのも、この場所を管理する人などいなかったはずだ。わざわざ人除けしているくらいなのだから。そういう状況でも施設が維持されるようにと、しっかり作りこんだのだ。

 前世でも、中国の始皇帝なんかは土木工事で、やっぱりただの土をしっかりと踏み固めさせたりしていたっけ。それで、二千年以上が過ぎた今でも、その上には草すら生えない。そんな大きな労力をかけてまで、この場所に残しておきたかったものとは、なんだろうか?


「あれは、神殿?」


 見慣れた作りに、ノーラが呟く。


 正面には、クリーム色の石で組まれた建造物が横に長く広がっている。高さはそれほどでもなく、地上二階建てくらいだ。

 手前には横に長く高さのない階段があり、横一列に円柱が立ち並ぶ。どれも上から輪切りにしたらギザギザの歯車みたいに見えるに違いない。この辺の作りには、さしてもの珍しさなどない。ピュリスの女神神殿でも、こうしたタイプの柱は多用されていた。但しあちらは、建物本体より、参道の左右を飾るために使っていたのだが。それとタリフ・オリムでも、例えばリヴォフラン教会のファサード部分は、やっぱりこういう作りだった。

 ということは、この建造物は、特に事情がない限り、ギシアン・チーレム以降、女神教の影響を受けたものとみるのが適切と思われる。


 この、横に長い建物の奥の壁に何が飾ってあるかも、まったくもって様式のまま。少し近付くと、壁面に女神達の姿が浮き彫りになっているのが見えた。これで確定だ。これは女神神殿の施設だ。

 しかし……


「……ちょっ、ちょっと」


 異変に気付いた彼女は、息を詰めた。


 中央にはいつも通り、祝福の女神像がある。

 ただ、その首から上がない。きれいに切り離されて、それが足下に置かれている。しかも、それが赤黒く染まっている。明らかに、人間の血だった。特に両の目のところには、しっかりと擦りこまれている。

 ざっと横を見渡すと、他の女神の像も同様だった。大半の女神は浮き彫りになっているだけだから、首だけ抜き取るのが難しいというのもあるが、それでも一人残らず、目のところには赤黒い汚れが付着している。


 その汚れはどこから持ち込んだのか。この広場の真ん中に、大きな焚き火の跡がある。そこに転がっているのは、黒ずんだ薪のカスだけではなかった。うっすら見える、白みを帯びた大腿骨。下顎が捩れた状態で、頭蓋骨も埋まっていた。大きさからみて、大人とは考えにくい。

 こうして物証がはっきり残っているところをみても、ここでの凶行が割と最近に行われたことは間違いない。ここまで子供を連れてきて殺害し、その血でもって、女神達を穢したのだ。


 どういう目的でこんなことをしたのかはわからない。ただ、もしこれを女神教の関係者が目にしたら、大騒ぎになるだろう。世界の創造者にして支配者である祝福の女神を、こんな風に冒涜するなんて。


「ノーラ」

「なぁに?」

「近くには」

「わかる範囲では、誰もいないわ」


 使徒が俺をここに導いたのだ。俺を殺したいのであれば、いちいちこんなところに罠を仕掛ける必要もない。とはいえ、彼が意図していない危険が残されている可能性もある。


「これは……通路、か」


 女神神殿の常だが、祝福の女神など、一部の特に重要とされる女神については、壁の浮き彫りでは済ませず、独立した像を設けて中央に配置する。俺はその群像の後ろにまわりこんだ。すると、その背後には通路が隠されていた。かなり狭い。人一人分で、ほぼ真っ暗だ。ただ、ずっと向こうに小さな光が見える。


「行くの?」

「もちろん」


 この向こう側には、何があるのだろう。女神教の建築物としては、これは少し異例だ。なんだか違和感がある。ピュリスの女神神殿でも、本殿は左右に入口と出口があり、突き当たりが女神達の像だった。それが目的地であるべきで、その後ろには何かを設置することはないのが普通だ。

 短い詠唱の後、右手は赤熱した。あまり明るくはないが、これで照明代わりになるだろう。

 天井も低く、通路も両腕を広げられない狭さだった。体格のいい大人であれば、肩が入らないくらいの幅しかない。それがひたすら長く続く。ただ、幸いなことに、足下はしっかりしていた。やけにひんやりしていた。


 そこを抜けると、急に空気の味が変わったような気がした。


「きゃっ!」

「また、か」


 ノーラの悲鳴を聞きながら、俺は溜息をついた。

 決して広いとはいえない中庭だった。ここからはどこへも出られない。周りは丈の高い建物に囲まれているようだった。


 その真ん中、白い石積みに囲まれた井戸の上に、しなびた人間の死体がある。これも大きさからみて、まだ子供だった。髪の毛は短いので、多分少年だ。ちょうど背中が井戸の真上にくる形でピンと伸びていた。大の字に手足を広げていて、胸のところが太い金属の管のようなもので刺し貫かれていた。

 周囲を見上げると、粘土を焼き固めたとみられる装飾でいっぱいだった。パイプオルガンを思わせる管が下から上へと、垂直にいくつも並んでいる。その太さはどれもまちまちだったが。

 しかし、素焼きの管が、こんな野ざらしで……土に埋もれて保存されでもしない限り、こんなものは、さっさと風雨によって削られてしまうものなのだが。


 そして、入口の向かい側には、一つの石碑があった。


「これは……」


 ざっと目を通すも、何が書いてあるか、さっぱりわからない。

 またか、という思いがする。これは何語なんだろう。ただ、タリフ・オリムや神聖教国で見たクラン語の文字とは別物のような気がする。

 読めなくても、とりあえずメモは取る。あとでわかるかもしれないから。とはいえ、だ。


 こんな断片的な情報しかくれないのでは意味がない。使徒も、ここに案内するだけでなく、この碑文の解読まで手伝ってくれればいいのに。


 ただ、いずれにしても……


「女神教の神殿というには、無理があるか」

「ファルス、これが何か、わかるの?」

「いや、まったく」


 ……まるで女神教が、この場所を封印しているかのように見える。


 ここにあるものもまた、世の人々の目に触れて欲しくない性質のものなのだ。そしてどうも、使徒は俺にそういうものを見て欲しいらしい。現に、俺がアルディニアの王宮で奴と向き合った時にも、旅を続けることを推奨していた。神聖教国に行けばきっと魔宮に潜る。そうすれば、聖女の真実を目撃せずにはいられない。

 この世界の女神や龍神が、どうも思ったほど「いいもの」ではないらしいということに気付かせようとしているのだ。ただ、この点については、奴に指摘されるまでもなく、とっくに理解しているつもりだ。あの人畜無害なシーラを追い回すような連中なのだから。


 いや、それは俺の主観だ。使徒からみればどうだろう? つまり、シーラの存在を知らないと仮定したら? セリパス教については、既にろくでもないものだと理解した。では、女神教は?


 多くの人の道徳の根本部分には、やはり神が位置している。

 例えば、なぜ人を殺してはいけないか。誰もが自由に殺人を犯す世界は、快適ではないからだが、では、無差別殺人犯なら殺していいのか。しかし、現実には、そうした凶悪犯を処刑する場合でも、道徳的配慮というものがついてまわる。死刑にはするが、あくまでそれは必要悪とされる。人は躊躇いながらも、やむを得ないからと斧を振り下ろすのだ。

 なぜそんな配慮をしなければならないか。だから神だ。


 使徒は俺のことをどこまで知っているのだろう? 前世日本からやってきたことを、ちゃんと理解しているのだろうか? 例によって、俺の宗教観も一般的な日本人と同じく、限りなく無宗教に近い。ここ異世界でも、なんなら初詣と除夜の鐘とクリスマスを一緒に楽しんでもいいくらいには。

 しかし、そうした事情を正確に理解していない場合、使徒は俺の常識や道徳を破壊するために、まず何から知らせようとするだろうか。

 奴は、俺に目覚めるよう求めた。周りの人も、社会も、すべて捨ててしまえと。そのためには、女神への信頼を失わせるのが有効だと考えているのかもしれない。


 それにしても……


 いったい、スーディアで何が起きようとしているのだろうか。

 割と最近、ここで生贄を捧げる儀式が行われていた。女神の目を穢したのは、文字通り、これからここで何が起きるかを女神達に知られまいとする意図があってのことではないか。なるほど、魔王の下僕を自称するパッシャなら、やりそうではある。


「関わらないほうがいいぞ」


 もうわかることはない。

 俺は、立ち尽くすノーラの肩を軽く叩いて、狭い通路へと引き返した。

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