運命の舞台、狩猟への誘い

 暗い夜の森を背景に、豆粒ほどの紫の光球が、空中を漂っている。

 その小さな輝きには、どこか禍々しいものが感じられた。


 それでも、俺にはついていくしかなかった。呼ばれているのだ。

 罠? 違う。相手は俺と話し合うつもりでいる。もし、俺を攻撃したいのであれば、村ごと襲えばいい。特に、俺の傍には眠ったままのノーラがいる。足手纏いを庇いながらの俺は、さぞ倒しやすいことだろう。

 それをあえてしないのだから、差し迫った敵意はない。


 紫の光球は、村の外へと飛んでいった。街道をまたぐと、そのまま、森の奥へと入り込んでいく。夜の森の足場はよくないが、我慢してついていくしかない。俺の歩みの遅さに苛立っているのか、それとも辛抱強く待ってくれているのか、追いつくまで光球はその場で旋回を繰り返した。

 落ち葉が靴の裏で擦れる。枯れ枝を踏みしだく音が耳につく。ざらつく木の幹に手を置いて、俺は転ばないよう、慎重に歩みを進めた。


 ふと、森の中の小さな広場に出た。

 暗がりから声だけが聞こえた。


「アルディニア以来か。いまだ目覚めぬ者よ」


 紫色の光球が、すっと地面に落ちた。かと思うとそこから紫色の炎が吹き上がる。だが、不思議と熱さは感じなかった。

 その光に照らされて、一人の男の姿が浮かび上がる。


 大人の男性としてはやや大柄。全身を膨らみのあるクリーム色のローブで覆い隠している。目元もフードのせいで、よく見えない。ただ、黒く長い、艶のある髭が垣間見えた。その手には、虹色の光沢を放つ歪な杖が握られていた。いや、虹、といっていいほどきれいなものではない。水に浮かんだ油のような色だ。でこぼこのある杖の先端に刻まれているのは……無数の人の顔だろうか?


 説明なんて不要だ。

 この外見、既に何度も聞かされていたのと同じ。ついにとうとう、俺の前に姿を現した。


「どうした? 言葉も出ぬか」

「使徒だな」

「わかりきったことを。それがお前の知りたいことか?」


 俺は内心の動揺を必死で鎮めていた。ピアシング・ハンドで見ても、こいつの能力がわからないからだ。

 とすると、いくつか可能性が考えられる。一番ありそうなのは、俺の目の前にいるこいつは、幻影だということだ。或いは、何かの自動人形とか、そういう性質のものだ。神などの例外はあるが、原則として生物でなければ、ピアシング・ハンドは機能しない。

 もう一つは、そもそも使徒にはピアシング・ハンドが通じない、ないし対策があるという可能性だ。

 こいつが俺の能力について、かなりの知見をもっていたとしても、驚きではない。グルービーをけしかけ、アルディニアでは俺を相手に実験もした。だから、万一に備えて、本体は隠れている。

 だが、それは言わないほうがいい。余計な情報を与えることになるからだ。


「何の用だ」

「お前の目を覚ましにきた」

「皮肉が利いてるな」


 俺はあえて笑ってみせた。


「あれだけ眠らせておいて」

「邪魔が入らないようにしてやっただけのこと。それとも小娘を始末したほうがよかったか」


 わざと浮かべた笑みが、すっと消える。

 こいつにとって、人命などなんでもない。本当にやりかねない。


「勘違いはやめておけ。今のお前など、我にとっては羽虫に過ぎぬ」

「その羽虫に何をさせたいんだ」

「何度も同じことを言わせるな。目を覚ませ」

「目を覚ますとは、どういうことだ」


 フードの中で、使徒は鼻で笑った。


「愚かにもほどがあるな。今のお前が目覚めているといえるか? ではファルスよ、お前がしていることはなんだ」

「なに?」

「お前はなぜ、スーディアにやってきた。お前が目指すのは不老不死であろう。なら、人形の迷宮でも、大森林でも、どこでも目指す場所にまっすぐ向かえばいいではないか」

「仕方ないだろう」


 ゴーファトを殺すため。

 なぜゴーファトを殺すのかというと、そうしないとノーラをはじめとした、俺がピュリスに残してきた人々が犠牲になりかねないから。かといって、それに抵抗したら、今度は知人を守ることはできても、無関係の人々を大勢、巻き込むことになる。

 だから……


「王の命令だと? くだらぬ」

「もともとゴーファトは気に入らない奴だった。殺しても構わないような奴だ。それに周りの知り合いのためでもある。だったら、断る理由はないだろう」

「大有りだ。馬鹿者めが」


 苛立ちも混じった声だ。

 しかし、表情は相変わらず窺えない。


「不老不死を目指すと言いながら、人の世に囚われる……目的以外のことに縛られる。お前なら、すべてを無視して自分の目的だけを選ぶこともできるのに、回り道をする。愚かではないか」

「お前ほど利己的なら、それもできるのだろうな」

「くだらぬ。不老不死ほど利己的な目標が、どこにある。生まれては死ぬばかりの世の人間どもとは違う世界に立ちたいということではないか。お前がいくら世話をしようとも、百年も経てば、その知り合いどもなど、皆死んでおる」


 確かにそうだ。

 百年後には、俺の知り合いはみんな死んでいる。そんな中、俺一人だけは生きている。眠りについているかもしれないが、同じことだ。二度と会わない。二度と会えない。どれほど尽くしても、どうせ無になる。不死を得た者にとって、この世の出来事はただの車窓の風景でしかない。


「それら人の世の煩わしさから逃れるのが不死者ではないか。なのに、お前はなぜ、またそこに手を突っ込むのだ。大馬鹿者めが」


 この点、使徒の指摘は正しい。

 気持ちとして受け入れられるかどうかは別として、論理的には納得せざるを得ない。


「わかった。言う通りだ。俺は馬鹿だ。じゃあ、今日からみんなを見捨てます……そうすればいいのか?」

「ふん」


 忌々しげに、彼は息をついた。


「口でそう言っても、お前の愚かさは筋金入りだ。できるはずもあるまい」

「だったら、どうする」

「お前のために、少しだけ舞台を整えておいた」

「なに?」


 舞台、とは?

 いや、想像がつかないでもない。つまり、こいつは俺がここに来ることを予想していた。なら、準備だってできる。


「ファルスよ。ここでお前が目を覚ますことができるように、人の世の愚かさ、醜さを学ばせてやろうというのだ」

「どうやって」

「運命というものも、あるものだな」


 俺の問いには直接答えず、彼はそう言った。


「ほとんどは偶然の一致だったが、そこに我が少しだけ手を加えた」

「どういうことだ。何をした」

「なんということもない。お前はただ、王の命令とやらを果たせばよい。だが、それで思い知るはずだ。人の心は一瞬、不死は永遠」


 俺は息を詰めた。

 何もかもが、この使徒の掌の上ということか。


「お前自身も含めてのことだ。人など、脆いもの……だが、ひょっとすると、ひょっとするかも知れぬ」


 暗いフードの内側から、鋭い視線が突き刺さる。


「世界の欠片を得ているからとて、思い上がるでないぞ。今回ばかりは、お前でも万一のことがあろう」


 そんなに危険なのか?

 俺の力のことをどれだけ把握しているかはわからない。ただ、それでも人間とは比べものにならないことは知っているはずだ。なのに俺が間違って死ぬかもしれないと、そう言っている。


「俺が死んだら、目が覚めるも何もないんじゃないか」

「甘ったれるな。その時は、また待つだけのこと。魂は流転するものであるがゆえに」


 そういうことか。

 俺が死んで、記憶をなくして。もう一度、世界の欠片を引っ付けたまま、この世界に生まれ落ちれば。次のチャンスで目的を果たしても構わないと言っているのだ。


「目覚めないくらいなら、死んでくれたほうがマシ、という考えか」

「そこまで慌てているわけでもない。お前は既に、目覚めに至るための道標を得ているからな」


 道標? 何が?


「ククク……よい、考えるな。運命に身を委ねよ」


 どんな運命だか知らないが、こいつの言う運命には、身を任せたくはない。


「だが……これだけではお前も面白くはなかろう。我がここまで出てきて、ただ危険が大きいことを告げただけでは、お前にとっても旨みがないというものよ」

「何かしてくれるのか」

「お前が受けた偽王の命令とは別に、この真なる帝王からも、勅命を下そう」


 一瞬、反発したい気持ちになった。

 何様のつもりなんだ。しかし、何を言っても余計な一言だ。


「殺せ」

「誰を」

「それはもちろん、お前の目的にとっても、我にとっても目障りな連中をだ」


 前者はともかく、後者についてはわからない。


「お前の敵が誰なのか、わからない」

「難しいことはない。大抵の人間どもは、我にとって目障りなだけの存在だ。特に『虫けら』どもは」


 それでピンときた。パッシャのことか。


「自分でやれないのか」

「できなくはないが、まだその時ではない……だが、お前が片付ける分には、こちらも苦労がない」


 その時、か。

 少しだけ想像がつく。目立ちたくないのだ。俺ですら、ヘミュービからは「邪悪」とされて、殺されかけた。なら、こんな使徒なんて、龍神からすれば、まず始末したい相手に決まっている。パッシャの連中と派手に戦えば、見つけられてしまうかもしれないのだ。


「虫けらどももそうだが、その敵どもも、どいつもこいつも、とりあえず殺せばよい」

「無茶苦茶だな」

「ただとは言わぬ」


 では、報酬がある?

 俺が眉を寄せると、彼はフードの中で笑った。


「何を驚くことがある? 帝王たるもの、手柄を立てた下々の者には、褒美をくれてやるのが常」

「何をくれる」

「それは、数次第だな」


 つまり、一人ではない、と。


「十人ほど、目標と定めておいた。だが、ここで名前は告げぬ。自分で見つけて殺してみよ。或いは誰かを仕向けて、死に追いやってもよい。結果だけを判断するとしよう。ことが終わってお前が生き延びておれば、その数に応じて、確かに褒美をとらせよう」

「誰かわからないのに殺すのか」

「殺すのにいちいち理由をつけるのがよくないと教えてやったばかりではないか」


 冗談じゃない。

 つまりは、こいつのやり方に染まれと、そういうことじゃないか。積極的にもらいたいわけではないが、褒美の件も疑わしいし、要は俺を煽っているだけなのでは……


「心配せずとも、今回、お前を欺きはせぬ。名前を明かさないからといって、実はお前が目標を討ったのに報いないということはない。余計なことを気にかけず、お前は狩りに勤しめばよいのだ」

「まるでお遊戯だな」

「そうだ。これは遊戯に過ぎぬ」


 考えがまとまらない。

 いや、無視すればいい。それこそ、俺は目的だけ考えればいいのだ。とりあえずゴーファトの肉体を奪って捨てる。そうしたら、そのまま、まっすぐルアール=スーディアに出て、船に乗ってサハリアに向かう。

 目的以外のことを無視せよといったのも、使徒なのだから。問題ない。


「それともう一つ」

「なんだ」

「せっかくだから、手がかりをやろう。このまま南に向かう街道に、隠された祠がある。常人ならなかなか見つけられぬものではあるが、お前はそこに気付くことができるだろう。どれだけの秘密を知り得るものかはともかく、今後のお前を待つ運命については、少しは悟ることもできようからな」


 そこまで話したところで、足元の紫色の光がふっと消え、また光球が浮かび上がった。


「ここにはお前の運命がある……生き延びてそれを掴むもよし、死に果てて朽ちるもよし」


 光球が一瞬、強い光を発した。


「お前の答えを見せてみよ」


 その言葉と同時に、光球も、使徒の姿も掻き消えていた。

 残されたのは、虫の音も聞こえない、暗い森の景色だけだった。

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