スーディア昔話

「食え」


 老婆は短くそう言った。


 素人の手仕事なのか、腰掛けた椅子は微妙に傾いでいた。テーブルはもう少しマシだったが、こちらは日常的に使うものだからだろう。この家、住んでいるのは今は彼女一人だけらしい。となれば、俺達のような不意の来客以外、追加の椅子を使うことはない。

 出された料理は、特別なものではなかった。大雑把に切られた葉物野菜が目立つ豆粥だ。決して裕福とはいえない農村だから、肉なんか出てこない。


「いただきます」


 さあ食事という雰囲気でもない。窓の小ささのせいで室内は一層薄暗く、もうすぐ日没というのもあって、なんとか手元が見える程度の明るさだ。しかし、そういった直接的な環境以上に、居合わせた人間の表情が問題だった。老婆には、およそ客を歓待する意識などまるでなかった。俺達が食べようと食べまいと、構わず自分の皿に手を伸ばし、食前の挨拶も祈りもなく、食べ始めてしまった。


「いただきます」


 低い声でノーラもそう言うと、木の匙をとって豆粥を少しずつ口に運び始めた。

 それでも聞こえるのは、老婆の遠慮ない咀嚼音のみ。年寄りなのに歯が丈夫で大変結構なことだが、少々品がない。なんともいえない空気というか。


 それで俺も、ようやくスプーンを手に取った。そしてすぐ思い知った。塩が足りない。いや、節約しているのだろう。海は遠い。ブルカンなどの塩の名産地も近くにない。スーディアにも岩塩の取れる場所があるのかもしれないが、この手の資源が領主の専売となっていることも、多々ある。貴重なのだ。

 だから、この豆粥はおいしくない。それは仕方ない。だが、そのまずい一品がますますまずく感じられるのは、この雰囲気のせいだ。


 そこでふと、思いついた。

 スーディアに踏み込み、はじめて人里に宿をとった。ならば、ここで情報収集すべきではないか。外からではわからなくても、住民なら、何か事実の断片くらいは知っているかもしれない。ゴーファトはなぜ、タンディラールの命令を無視するようになったのだろう?

 無言で食べる気まずさもあって思いついたに過ぎないが、せっかくだし、話をしてみてもいいだろう。


「お婆さん」

「あん? なんだね?」


 不機嫌そうな声が返ってくる。


「僕らは旅人です」


 やや気圧されながらも、俺はなるべく自然を装って、話を続けた。


「スーディアに来たのは、初めてなんですよ」

「ふうん」

「何か面白いお話はないですか。変わった事とか……ああ、これから領都に行くんですが、せっかくだから、この辺のことをよく知っておきたいので」


 こんな訊き方でよかっただろうか。

 変に警戒されても困るし、悩ましいところだった。


 一瞬、じっと俺を見据えてから、また彼女は食事を再開した。


「なんもねぇ」

「そ、そうですか」

「とっとと食って、とっとと寝ろ」


 無愛想この上ない。

 怪しまれているだろうか。しかし、彼らがゴーファトに忠誠心をもっているとも考えにくい。気になるのは自分と身内、つまりは集落の安全だ。下手なことを口走って、それが災厄を招くのが怖いのだ。

 これは諦めて……


「お婆さん」


 と思ったら、ノーラが右手をテーブルの上に伏せていた。


「私達は用事があって旅をしているけど、都会のピュリスから来たのよ。こんな何もない田舎でただ時間を潰すなんて、我慢できないの。何かないの?」


 何やってるんだ、ノーラ。

 その掌の下にあるのは、金貨だろう。それはいい。倹約しろともいわない。だけど、金をチラつかせて「喋れ」だなんて、余計に相手を警戒させる。俺達がどこかの密偵だとか、そんな風に思われたらどうなる? もちろん、俺が簡単に殺されることはない。ノーラ自身もそうだろう。だが、トラブルは後から響いてくることがある。


 一方、老婆は黙って手を伸ばし、ノーラの手の甲に重ねた。ノーラが手を引き、その下に何がどれくらいあるかを確かめると、中身ごとすっと引いた。


「暇潰しでよければ、ないでもないぞ」

「よかった」

「ひひっ……本当に暇潰しならな」


 はじめて表情らしいものが浮かんだ。しかし、それはまったく好ましい印象を与えるものではなかった。明らかに皮肉笑いだ。


「昔から、この村に伝わる話というもんがあってな……」


 この話し出しに、俺はすぐガッカリした。

 ほらみろ。やられた。最近の情勢について語ってもらえるなら、情報料も惜しくはない。だが、こいつはお金の代わりに田舎の昔話を語って済ませようとしている。


「最後の女神の幸産みが、大地を割った。このスーディアも、三つに砕かれた」


 やれやれ。大仰なおとぎ話が始まってしまった。


「シュプンツェは、女神からスーディアを与えられた」

「シュプンツェ?」

「そう、シュプンツェ、それは枝葉のない、白い大木のような姿をしておったとされておる。一人ですべて、すべてで一人、そういうものだという」


 枝葉のない白い大木……

 なんか、あんまりイメージしたくない形状だ。筒状の何か、だろうか。しかし、女神から与えられた? では、シュプンツェは神とか、そういった部類の何かだろうか? どう考えても人間ではないし。

 一瞬、魔宮にあったあの「樹木」を思い出したが、あれは違う気がする。一応枝はあったし、真っ白でもなかった。


「ところが、女神はミュアッソやコーシュティにも、同じようにスーディアを分かち与えてしもうた」

「どの名前もはじめて聞きますが」

「ミュアッソは、平べったく丸いパンのような形をした肉の塊で、コーシュティは黒ずんだ骨のような姿をしておったという」


 これ、思いつきで喋ってるんじゃないだろうな?

 そういうデタラメだったとしたら……でも、それでも悪くないのか。だって、これは暇潰しなんだから。


「ほどなく、シュプンツェはミュアッソやコーシュティと争い始めた。シュプンツェは、とりわけミュアッソを憎んだ。ミュアッソとコーシュティも、互いに争った」


 いや、案外これ、そこまでデタラメでもないのか。

 そういう事実があったかどうかではない。話に出てくるこの三つの神話的生物は、今でも対立の続くスーディアの三つの地域を示しているのかもしれないからだ。寓話としては、聞く値打ちがありそうな気もする。


「シュプンツェは、人々を招き、受け入れた。男達を己に近しいものとして大切にしたが、女は寄せ付けなかった。男達の中でも、特によいもの達は、シュプンツェと睦みあった」


 白い大木と人間の男が、いったい何をどうやって睦みあったのだろう?

 それ以前に、シュプンツェは、どうやって話をしたんだろうか。やっぱり、テレパシーみたいな何かとか、できたんだろうか。外見的にエイリアンっぽいし。


「シュプンツェに選ばれた若い男の中には、千年も生きた者がいたという」


 なに?

 では、これは不死に至る……


「また、他にもさまざまな異能を授かるものもおったという」


 いや、眉唾モノかもしれない。長寿や超能力を与えられるお話なんて、世界中、どこにだってある。だが、だとしても、これは聞き逃せない。


「一方で、睦みあう果てに命を落とす男達もいた。だが、それで互いに不満に思うことはなかった」


 ちょっとワケがわからない。命? 死ぬ? 不満がないって?

 俺なら文句を言わずにはいられないところだが。


「あ、あの」

「なんだ」

「死んだ、んですよね?」

「そうじゃな」

「不満に思うことはないって、なんでまた」


 すると老婆は、少し考えるような顔をした。

 間をおいて、答えた。


「シュプンツェは、気に入った男に口付けをするという」

「はい」

「そのまま食べてしまうこともあった」

「それはヤバいんじゃ」

「人もまた、シュプンツェを食らったというがの」


 なにそれ?

 食われたけど、こっちも食ったから帳尻はあってるとか。怖い。

 それでいて、憎みあってもいない? その時代のスーディア人、どういう価値観で生きていたんだろう?


「スーディアは最後の女神がシュプンツェに与えた。だから、シュプンツェはこの地を己のものと考えて、隅々まで道を張り巡らせた」


 なんか今、白いウネウネしたものが、大地を掻き分けて進む姿をイメージしてしまった。白い筒状の、動く歩道みたいなのがスーディア全土に敷設されでもしたのだろうか。見たこともない奇妙な文明があったとしたら、少し興味深い。


「ミュアッソは、女を好んだ。ミュアッソを受け入れた女は、次第に大きく膨れ上がっていった」

「膨れる?」

「果実のように赤く大きく丸く膨れ上がって、その女は多産になった。飢えることもなく、それどころか食を与え、動くこともなく、地に根付いた」


 なんだか……

 なんだ、この昔話は。興味深いが、奇妙で気持ち悪い。どことなく人間離れした世界が描かれているような気がする。シュプンツェに殺されても文句を言わない男達。ミュアッソによって変異した女達。この神々のやることは、今の人間の感性や常識から、著しく逸脱している。

 では、コーシュティは何になったんだろう? こいつも他と同じくらい、不気味な存在に違いない。


「シュプンツェは湧き水をもたらした。道を整えた。それは大いなる恩恵じゃったが、人は他の恵みも求めた。そうして、裏切ってミュアッソを呼ばう者もおった。すると木々は膨らんで、見たこともない果実が村に溢れた」

「裏切って? どちらにも頭を下げて、いいとこ取りはできないんですか」

「そうともよ。すると、怒ったシュプンツェは、濁流で村を流し去った」


 なんか、土地神の祟りみたいなお話だ。どっちかというと、妖怪みたいな。


「ミュアッソは大地を腐らせた。するとコーシュティは怒って、大地からいくつもの槍を突き出した。そしてシュプンツェは、空を闇で覆ったという」


 まるで天変地異、異常気象。神話の世界そのものだ。荒唐無稽と切り捨てても構わない。だがもし、過去にこれらの事実があったとしたら?

 ありえなくもない。俺は魔宮でアルジャラードと戦った。あれはたまたま接近戦に特化した怪物だったが、そうでない種類の悪魔がいたのであれば、こうしたこともあったのかもしれない。


 だが、これらをすべて事実と捉えた場合、こうしたシュプンツェら神々の立ち位置とは、どんなものなのだろう?

 俺はセリパシアを旅する中でも、いくつか神らしい存在の名前を知った。例えば、テミルチ・カッディンだ。しかし、今の時代の神話や伝説には、その名前がまったく出てこない。理由なら想像がつく。女神教が抹殺したのだ。

 その経緯は、シーラのことを思い出せばわかる。人々に接触を禁じ、偶像を破壊させ、祝福の女神だけを崇めるよう強制した。セリパス教が生き残ったのは、既に広い範囲で信仰されていたことと、モーン・ナーが原初の女神と同一の存在であると主張したからではないか。


 ならば、ここで老婆が語るシュプンツェなる神の物語も、そうした知られざる神話の一部なのだろうか。

 多分、この物語が語られ得るのは、今となっては女神教の支配も、そこまで確かではないからだろう。統一時代であれば、女神や龍神以外を信仰するものは、取り締まりの対象だった。今もそれは同様ではあるのだが、帝都が世界への統制力を失った現代においては神殿にそれだけの力などないし、またこの地に住む人々にとっても、これらの神々の伝承は、ただのおとぎ話になってしまっている。信仰としての実態はないのだ。


「それで、シュプンツェはどうなったんですか」

「む……西から剣を手にした男が現れた。それがミュアッソを討ち、コーシュティを滅ぼして、しまいにはシュプンツェとその眷属をも引き裂いた」

「人間が、そんなバケモノをあっさりと?」

「それは激しい戦いだったという。大地からは炎が噴き出し、空はかき曇り、大勢の人々が巻き添えになって死んだ」


 誰が何のために戦ったのか、これでは因果関係がわからない。


「その男って、誰ですか?」


 恥ずかしい名前の英雄、じゃないよな?

 西からやってきたというし。彼はどちらかというと、東から来たんじゃないか?


「わしらの間では、ギシアン・チーレムだと伝わっておるがの。断罪の剣を手に、魔たるシュプンツェを討ったとか」


 ガクッと肩が落ちる。

 結局、あいつか。


 ただ、それにしては……彼の伝記の中には、スーディアに立ち寄ったという記録はないのだが。


「その昔、かの英雄の使命を受け継ぐ神官戦士達がやってきて、シュプンツェらの社を壊してまわったとも言うのう」


 これもシーラと同じだ。

 とにかく、女神と龍神以外の存在は抹消する。何かそんなに都合の悪いことでもあるんだろうか。


「シュプンツェは、魔王だったんでしょうか」

「さてのう、わしらの知ったことではない。何しろ、わしらは祝福の女神を奉じておるのだから。ただ……」


 老婆はチラと俺の顔を見る。

 既に赤い西日も地平線に沈んで、この部屋も夜の闇に包まれつつあった。


「……死んでなどおらんとも言われておるぞ」

「えっ?」

「シュプンツェはみんなで一つ、一つでみんな、だからバラバラに切り刻んでも、いつかは一つに戻る」


 その言葉に、やけに不吉なものをおぼえた。


「ど、どういう意味ですか」

「知らん」


 だが、老婆の返答は、あっさりしたものだった。


「なんにせよ、わしらもシュプンツェなど見たこともない。年寄りが昔話に知っとるだけじゃ」

「あ、はい」

「ほれ、暇潰しと言うたからな。暇は潰れたろが」


 結局は、終わった話か。

 しかし、俺の中ではまた、謎が深まった。


 部屋に戻った。俺とノーラが顔見知りなのは、既に聞いているのだろう。当たり前のように同じ部屋に置いておかれた。

 月明かりだけが差し込む夜。俺は両手を枕に、ベッドの上に寝転がっていた。


「ねぇ」


 隣のベッドに横たわるノーラが、俺と同じく真上を見たまま、声をかけてきた。


「ファルスは、こんな感じで旅をしてきたのね」

「いきなりなんだ」

「聞いたこともないようなお話を聞けたわ。そういうものを、あちこちで見つけてきたのね」


 そういうことになる、か。

 この世界は、現代日本とは違う。地方ごと、村ごとに歴史があり、伝承がある。それらは狭い地域にとどまるばかりで、テレビやインターネットなどを介して一気に広まることもない。

 今、俺達が聞いた話を、他の旅人も耳にしたことがあるかもしれない。ただ、そうした人々の多くは、わざわざ記録に残す値打ちもないものと聞き流したのだろう。或いは七百年前までの女神教の神官戦士であれば、いちいち記憶にとどめ、シュプンツェなる悪魔の正体を探ろうとしたのかもしれないが。

 今では、その存在もほとんど忘れ去られ、小さな村落の中の記憶の中にボンヤリとした後姿を残すのみだ。


「だいたいは空振りだし、尻切れトンボだ。謎が解けることなんて、滅多にない」


 それにこの話も、さっきの老婆の作り話でないという保証もないのだ。


「旅のほとんどは、つらい道程だ。面白がってる場合じゃない」


 俺としては、ノーラには帰って欲しい。だから、旅行の素晴らしさを感じてもらうつもりもない。

 言葉遣いも、なるべくキツめにしている。優しくしたせいでついてきて、この厄介な仕事に巻き込まれたら。俺のことなんか軽蔑してもいいから、早くピュリスに帰って欲しい。


「だから……」


 その瞬間、急激に深みに落ち込んでいくような感じがした。


「……らっ?」


 それが辛うじて、意識を繋ぎ止めることができた。

 なんだ? 奇妙な、不思議な眠気……


 今のはなんだ?

 一瞬だけ、ものすごく不自然な感じが。頭に熱がこもって、何も考えられなくなった。


 睡眠薬?

 まさか。毒を盛られた? だとしたら。


 ガバッと起き上がり、横を見た。


「ノーラ!」


 さっきまで喋っていたのに。

 既に彼女は、完全に意識を失って、深い眠りに落ちていた。肩をつかみ体を揺さぶっても、彼女はぐったりしたままだ。


「畜生」


 命にかかわる毒か、それとも睡眠薬か、何なのか? あの婆ぁ、八つ裂きにしてやる。

 俺は剣を手に、扉を押し開けて部屋を出た。


 だが、その歩みはすぐ止まった。


「えっ」


 あろうことか、さっきのダイニングの床の上に、老婆が突っ伏している。


「お、おい、しっかり」


 老婆まで、眠りこけていた。

 肩を揺すっても、耳元で怒鳴っても、目を覚ます気配がない。狸寝入りかと思って目の前に剣を突きつけたが、それでも寝息をたてるばかりだ。


 おかしい。

 自分ごと薬を盛る昏睡強盗がどこにいる? じゃあ、こいつが眠らせたのでもない?

 もう一つ。俺には今、眠気がない。薬なら、ここまできれいに目が覚めたりもしないだろう。だけど、魔法にしては。精神操作魔術の『誘眠』を用いたのだとしても。だったら俺だけでなく、ノーラだって強い耐性を示すだろうに。桁外れの威力でもなければ、彼女まで眠らせるには至らないはずだ。


 じゃあ、村の誰かが、毒を……


 扉を押して、外に出た。


 静かな夜だった。

 頭上には黄色い満月がかかっている。その姿は、湿気の多い下界の空気ゆえか、朧だった。それが森の中の集落からは、やけに大きく見えた。

 俺が老婆の家から飛び出してきても、他には物音一つなかった。誰かが見咎めるでもなく、本当に村中が寝静まっているようだった。


 剣を掲げて、犯人に出てくるよう言おうとして……やめた。

 そろそろと手を下ろす。本当に、まったく動くものの気配がない。起きている人間がいないだけでなく、家畜もまた、すべて眠りこけている。


 この村の人間じゃない。

 こんなことができるのは……


 その時、小さな光の粒が、頭上から漂ってきた。紫色に輝くそれは、俺の目の前で二度、三度と旋回してみせ、それから森の奥へとゆっくり飛んでいく。

 俺は一度頷き、静かにその後を追った。

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