山中の集落にて

 頭上に広がる梢のドームが青空を切り刻む。

 黒々とした木々は、旅人の心を脅かさんとして街道に身を乗り出す。その腕を振りかざすのは、行き交う人々を日差しから庇うためではない。むしろ、夜の闇を一層、濃くするためではないか。

 暗黒と沈黙は、ここでは誰にとっても都合のいいものだ。襲撃者にとっても、身を守る側にとっても。


 それでも、足下には隠しきれない痕跡が残る。落ち葉がうっすらと街道の脇を覆ってはいるが、そこは敷石に覆われていないので、どうしても足跡が残る。特に、大勢が通った場合には、それが顕著だ。

 俺はそれを見て、溜息をついた。諦めた、と言ったほうがいいか。


 これだけ大勢の足跡が残る理由は? 難しい理屈などない。行軍のためだ。

 例えば、つい一年半ほど前、ゴーファトは大軍を召集して王都に向かった。しかし、ろくに幹線道路など整備されていないスーディアだ。すべての兵をアグリオに集めて、そこから出発、なんてことはしないし、できない。大勢の兵士を食わせる場所、宿営するスペース、そういったものがどれも不足しているからだ。

 だから、スーディア兵は領内では独自の移動方式を用いる。分散した小部隊単位で、血管のように張り巡らされたそれぞれのルートを選ぶ。僅かな物資を自ら運搬しつつ移動するのだ。そして、必要な資源は現地調達する。

 つまり、こうした細かい街道の沿線にある小さな村落は、その都度、その場で物資を提供しなくてはならない。拒否すれば、そのまま略奪に移行するだけのこと。ただ、仮にもこの地の統治者が一人と定まっている現代においては、そんなトラブルは滅多に起こらない。

 内情は知らないが、現実的に考えて、そうして徴発した分については、後々税の棒引きなどで帳尻を合わせるのだろう。


 なるほど、フォレスティア王の頭痛のタネか。

 スーディアは、守るに易く攻めるに難い。スーディアの軍自体も、何しろ補給線が脆弱すぎるので、領外に出たらすぐ補給を受けるか、略奪するかしかない。必然、その行軍は破壊的なものになる。

 紛争を日常とする野蛮な文化も合わさって、とてつもなく扱いにくい土地になってしまっているわけだ。


 それはともかく、ここに足跡がある以上、この森の奥に繋がる脇道が、どこかの村落に繋がっていることは確実だ。つまり、そこに行けば、俺は屋根のあるところで寝られるし、金を払えば食事も取れる。魔物が出てもおかしくない森の中で野営するより、ずっと快適だろう。

 しかし、まだこの時間だ。昼をちょっとすぎたくらいなのに。とはいえ、この村をスルーして先に進んだら、次はどこに集落があるかもわからない。安全策を取るなら、ここで一泊するのが正しいだろう。

 つまり……


 ここで追いつかれてしまう、か。


 仕方ない。

 もうスーディア領内に入って四日目だ。なのに、ノーラは相変わらずついてくる。最後に確認したのは昨日だが、俺のずっと後ろを黙々と歩き続けていた。放置しておいても、簡単には諦めてくれないだろう。なら、ここらで一度、話し合いをしてみるのもいいかもしれない。


 大人二人がすれ違うのが精一杯という幅の道を抜けると、途端に視界が広がった。

 木造の小屋が散在する集落だ。土台は石で、茅葺屋根の家ばかり。そしてどこも、不自然なほど窓が小さい。村の敷地には草一本生えておらず、よく踏み固められている。奥のほうにはまた別の獣道があるが、きっとあれは農地に続いているのだろう。

 この村も、森の中と同じく、ほとんど物音さえ聞こえてこない。息を潜めているかのようだ。いや、実際にそうなのだろう。入口に立っただけだが、俺は既にして、誰かに見張られているような気がしている。


 構うものか。

 別に、争うためにやってきたのではない。ただの旅人なのだから、堂々と宿を求めればいい。金も払うのだから、問題はない。


 俺は手近な家に近付くと、扉を軽くノックした。返事はない。

 それで、二軒目の家で同じようにノックすると、今度はすぐ扉が開いた。


「どなたかね」


 暗い家の中から、ヌッと老婆が姿を見せた。

 髪の毛は既に真っ白になってしまっている。顔も皺だらけ。背骨も少し曲がっている。なのに、眼光だけはやたらと鋭かった。


「ファルスと申します。旅をしています。怪しい者ではありません。この通り、騎士の腕輪も帯びております」


 身分ではこちらが上でも、相手の年齢にあえて敬意を払って、俺は丁寧な態度を選んだ。


「領都を目指しています。まだ日も高いですが、この近くに別の村がないようなら、こちらで宿を取りたいものと」

「よその人かね」

「あ、は、はい。ピュリスから参りました」


 彼女は、俺をじっと見つめた。

 何を考えているか、サッパリわからない。ただ、とにかく息が詰まる感じだ。


「ああ、こちら、剣はお預けします。ご安心ください」


 ピュリス滞在中に、あの魔宮で拾った剣のため一応の鞘も拵えておいた。俺はそれを腰帯から外すと、老婆に差し出した。

 だが、彼女はそれを手に取ろうともせず、スッと背中を見せた。


「あ、あの」


 俺は慌てて言い足した。


「もちろん、謝礼は」

「入りな」


 背中を見せたのは、拒否ではなく、受け入れの合図だったのか。

 なんともわかりにくい。いや、わかりにくくしているのだ。彼らの文化には、その手の油断がない。


「お邪魔します」


 老婆一人で暮らすには広すぎる家だと思ったが、ちゃんと空き部屋があった。

 ガランとしていて、家具らしい家具もない。一応、ベッドらしいものはある。それも二つも。


「金貨一枚」


 ボソッと料金を告げる。

 俺は逆らわずに、すぐ懐から硬貨を取り出し、彼女の掌の上に載せた。


「ちょっとそこで待っとれ」


 そういうと、彼女は部屋の扉を閉じて、どこかへ行ってしまった。

 どういうつもりかは、想像するしかない。というのも……


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 (自分自身) (12)


・アルティメットアビリティ

 ピアシング・ハンド

・アビリティ マナ・コア・身体操作の魔力

 (ランク9)

・アビリティ マナ・コア・火の魔力

 (ランク4)

・マテリアル プルシャ・フォーム

 (ランク9+、男性、11歳、アクティブ)

・マテリアル ラプター・フォーム

 (ランク7、オス、14歳)

・スキル フォレス語  6レベル

・スキル 身体操作魔術 9レベル+

・スキル 火魔術    7レベル

・スキル 剣術     9レベル+

・スキル 格闘術    9レベル+

・スキル 隠密     5レベル

・スキル 料理     6レベル


 空き(1)

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 既に精神操作魔術を自分の能力から切り離しているからだ。それらは今、バクシアの種の中にある。

 それより、ゴーファトを遠くから視認して、肉体を奪ってしまわなくてはならない。だから予め、いつでも変身できるようにとデスホークの肉体はセット済みにしてある。


 彼女なら多分、村長のところにでも報告にいくのだろう。

 いずれにせよ、今の俺は、不意討ちでもなければ、大抵の暴力に対応できる。奇襲も受けにくいようにと、サモザッシュから奪った隠密のスキルをセットしておいた。あまり恐れすぎる必要もないのだ。


 ほどなくして、老婆は戻ってきた。

 ノックもなしに、いきなり扉を開けてくる。


「おい、あんた」

「はい」

「泊めてやってもいい」

「ありがとうございます」

「ただ、勝手に村から出るな。夕飯と朝飯は出してやる。それまでは、勝手に歩き回るでねえ。いいか」

「承知しました」


 俺が一切逆らう様子を見せないので、彼女は軽く頷くと、また出て行ってしまった。

 外部の人間など、殺しても構わない。極論をいえばそうなのだが、彼らとて無用のトラブルは避けたい。それに、騎士の腕輪を帯びている。バックに権力者がいたら、面倒なことになるかもしれない。であれば、普通に金だけ取って、おとなしく出て行ってもらえばいい。

 村の外に出るな、というのは、自分達の畑その他を見てもらいたくないのだろう。もしかすると、秘密の農地があるのかもしれない。つまり、課税を避けて利益を確保するためのものだ。気まぐれな行軍によって徴発を受けるこうした地域では、その手の保険がなくては生きていけない。だが、それは当局に知られたくないものだ。俺がゴーファトの回し者でない保証はないのだから、これは当然の対応といえる。


 だが、俺の予想では、あと数時間もしないうちに、もう一人の来客が村にやってくる。


 腕一本の幅しかない窓から、茜色に染まった空と、その下の真っ黒な樹木のシルエットを見つめていると、俄かに家の中に足音が響いた。

 やっぱり追いついてきたか。俺がこの家にいるのも、すぐ探知できたはずだろうし。


 ノックが聞こえる。

 返事はしなかったが、すぐ扉は開いた。


「ファルス、いたのね」


 この蒸し暑いのに、黒一色。

 さすがに彼女の顔色にも、疲労が滲んでいる。


「わかってただろう」

「そうとも限らないわ」


 確かに、俺が老婆を無視して家から逃れれば。

 彼女の精神操作魔術が通じるのは、普通の人間に対してのみだ。俺にはまったく通用しないので、俺がここにいるかどうかを知るためには、俺の周囲の人間の精神を垣間見るしかない。よって、彼らの記憶にない行動を取れば、俺はいくらでもノーラを欺くことができる。


「金貨一枚」


 空気を読まず、老婆はそう言った。

 ノーラも逆らわず、懐から金貨を差し出す。それですぐ、老婆はいなくなった。


 俺とは違うベッドの上に、彼女は腰掛けた。

 狭い窓から、西日が差す。彼女の黒髪が、照り返す。顔のほとんどが陰になる。そんな中、瞳だけが井戸水のように光って見えた。


「思った通りだったわ」

「なにが」

「ファルスが勝手に旅に出ると思ってたから」

「誤解しないで欲しい」

「何が誤解なのよ」


 ふう、と溜息が漏れる。

 確かに、ノーラからすれば、誤解でもなんでもない。


 周囲の気配を探る。

 大丈夫、あの老婆は近くにいない。窓の外にも誰もいない。俺は手招きした。


「王命だ」


 小声で、そう告げた。


「陛下の?」

「そうだ」

「どんな」

「説明できるようなものなら、とっくに話している」


 伯爵の暗殺。こんな話、できるわけがない。


「大変な仕事になる。巻き込まれたら大変だ。いや、こうして近くにいて、関わっていると思われるだけでもまずいんだ。帰ってくれ」

「どうしてよ。そんなに……危険なお仕事ってことね」

「ああ、そうだ」

「なら、行く」


 そうだった。

 危ない、と聞いたら首を突っ込んでくる。そういう性質だった。


「今回はダメだ」

「ダメも何も、私もスーディアに行きたいだけよ」

「それもダメだ。だいたい、スーディアがどれくらい治安の悪い場所か、わかっているのか」

「もちろん」


 溜息をつく。

 何を言っているのか、わかっているのか。俺は人を殺しにいくんだぞ。わかるわけないか。


「何か手伝えることは?」

「今すぐピュリスに引き返す。それが一番助かる」

「それはちょっと難しそう。役に立てなくて申し訳ないわね」

「頼むから、聞き分けてくれ」


 ベッドの上で座り直した。

 本当に、どうすればこの頑固な娘を説得できるんだろう。


「他にできることは?」

「何もしないこと」

「それも難しいわ」

「ノーラ」


 背筋を伸ばして脇のベッドに腰掛ける彼女。俺は膝に肘をついて、下から睨みつけた。


「確かに、力を与えたのは僕だ。僕のせいだ。でも、一つ忘れていないか?」

「何を?」

「そんな力、いつでも剥ぎ取れる。そうなったら、ノーラはただの少女に戻るだけだ。役に立つも何もないだろう」

「そうね」


 だが、彼女は動揺する様子も見せなかった。


「もともとはファルスのものだもの、いつでも返すわ」

「なに」

「でも、ついていく。絶対」


 馬鹿な。

 実際には、これはただの脅しだ。能力を奪うなどできない。ここからピュリスに帰るだけでも、絶対に安全とは言い切れないからだ。もし彼女から魔力を奪ったら、ノーラにできる護身術は、まだ未熟な棒術だけになる。ゴブリンの群れにでも出くわしたら、ひとたまりもないだろう。さすがにそんな状態で追い返す気にはなれない。


「ついてきて、何をしたいんだ」

「ファルスを連れ戻すのよ」

「わかった。この件が済んだら、一度ピュリスに帰ってもいい」

「じゃあ、終わるまで私もスーディアにいるから」

「ノーラ!」


 この頑固者、いったい誰に似たんだ。


「ねぇ、ファルス」

「なんだ」

「王様の命令って、それはファルスがしたいことなの?」

「冗談じゃない。誰が好き好んでこんな」

「じゃあ、やめればいいじゃない」


 簡単に言ってくれるな。

 何のためだと思っているんだ。俺がタンディラールに背いたら、ピュリスに残された人達が犠牲になる。


「やっぱり」

「何がやっぱりだ」

「私ね、ファルスがどんなにすごんでも、怖くないの」


 何を言っている?

 確かに、よほどのことがなければ、俺は手をあげたりもしない。いや、ここで一発、引っ叩けばいいのか? 考えてみれば、ノーラに嫌われるくらい、なんてことはない。少なくとも……間違って死なれるよりは。


「だって、そうでしょ? やりたくもない仕事をするのも、今、怒ってるのも、誰のため? だから、怖がる理由なんてないのよ」


 確かに、それもそうだ。

 俺はノーラをぶつことはできるが、殺すことはできない。俺がゴーファトの殺害のためにスーディアに寄り道することにしたのも、そうすることでピュリスに残る知人が不利益を被ることがないようにするためだ。


「いいか、ノーラ。僕が怖い怖くないの話じゃない。この向こうにあるのは、もっと怖いものだ」

「だから、ファルスがいやなら、行かなければいいのよ」

「ただで済むと思っているのか」

「そのために……あれを地下室に用意したのよ?」


 それはわかる。

 わかるが、使ってはいけない。


「だめだ」

「どうして?」

「何人死ぬと思っている」


 あれを使ってタンディラールに抵抗するのなら、大変なことになる。もし勝利することができても、今まで通りとはいかない。それこそピュリスを独立王国にするくらいの話になる。その過程でどれほどの犠牲者が出るか、想像もつかない。


「そうね。大勢の人が亡くなるかもしれない」

「平気なのか」

「そんなわけないじゃない」

「いいか、ノーラ」


 俺は首を振って、深い溜息をついた。


「人殺しなんて、するものじゃない。一度でもやったら、もう忘れられない。こう、何か……なくしてはいけないような何かをなくしたような気持ちになる。それに、思い出すたび、途方もなく怖くなる。頭で考えるのと、実際に手を下すのとでは、全然違うんだ」


 そう言いながら、俺はこれから人殺しにいくのだ。


「このまま僕に関わると、ノーラは死ぬかもしれない。死なない場合、誰かを殺すことになるかもしれない。どちらにしても、取り返しのつかないことになる」


 だが、俺がやらなければ、もっと大勢の人が死ぬ。


「だから、ファルスが背負うのね」


 そんな俺の気持ちを見透かすように、彼女は言った。


「話したこともない、顔も見たこともない、そんな誰かが犠牲になるのがいやだから、ファルスが……」

「だったら、どうしろというんだ」


 どうしようもない。

 ピュリスの魔法陣を起動するくらいなら、タンディラールを消すほうが早い。それに、犠牲も当面は小さくできる。しかし、その後が問題だ。

 彼が死んでも、ピュリス市が反逆しても、王国は傾く。そうなったら、エスタ=フォレスティア王国は火の海だ。どう転んでも、ゴーファトを殺すか、或いは彼がタンディラールに膝をつくか、どちらかでなければ、被害は大きくなる。


「どうしようもないわね」

「わかったなら」

「わかったから、ついていくのよ」


 そう言われても、ハイわかりましたと言えるはずもなく。

 もちろん、精神操作魔術の能力をすべて剥ぎ取り、その上で俺がその力を行使すれば、ノーラを一時的に支配することはできる。しかし、俺の目的は彼女を家に帰すことだ。つまり、同行しないし、できない。そうなると、強力な魔術の力をもってしても、本人の意志がこれだけ強烈な場合、そう長持ちすることもなく解けてしまう危険がある。

 要するに、それも安全といえる対応策ではない。


 どうすればよかったんだろうか。

 いっそ、ピュリスにいる間、毎晩のように色街で遊び呆けたりとか、しておけばよかったか? そうすれば、俺に幻滅してくれたかもしれない。それも今更、だ。


 いきなり扉が開いた。


「夕飯ができたで。食うなら来い」


 家主の老婆だった。

 そこで俺達の話も、自然とお流れになった。

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