いらない手紙の後始末
日も暮れかけた頃、宿舎に帰った俺は、思わず呻き声を漏らした。
不在の間に、手紙がいくつも届いていたからだ。
カーテンの隙間から夕陽の差し込む居間。ソファの前には、焦げ茶色の丸いテーブルがある。そこに折り重なっていたのが、その手紙の山だ。
部屋付きのメイドは、無言で灯りを点すと、そそくさと部屋を出ていった。客人が一人で向き合い、考え、決定すべきプライバシーに干渉しないためだ。
「読みたくもない……」
そう呟きながら、俺は力なくソファに身を投げた。だが、さすがに無視を決め込むのはまずい。
これらの手紙の主は、ほとんどが中小宮廷貴族、でなければ騎士階級の人間だ。もちろん、みんな俺と仲良くするために書き送ってきたのだから、あまりに失礼な対応はできかねる。
「どれどれ……」
気が乗らないあまり、逆に変な笑いがこみあげてくる。いっそ何が書いてあるかを見て、楽しんでやろうとさえ思い始めた。
何通かは、いくら読んでも意味のわからない変な文面だが、はっきり文意が汲み取れるものに限っても、こんな感じだった。
『我がプレーム男爵家は、武功にて王国創建に寄与した由緒ある家柄であり、それゆえに尚武の気風を尊ぶ。貴殿の武勇はまことに誉むべきものであり、これを愛するがゆえに親交を求めんと欲する。ささやかながら小宴を設け……』
『キャトフロント商会は、王都にて長年、貴顕の方々を相手に値千金の品々を用立ててきました。近年、ピュリスにて最も有力な商会を有するファルス様とは、是非ともお近付きにと……』
『高級会員制クラブ・セクサーモは、ファルス様を会員資格ありと認め、ここに招待状をお送りすることと致しました……』
『ホノーロ家は代々騎士の証を授かってきた歴史ある家門です。先代までは宮廷内での重要な職務にも携わっており、その名誉は金銀よりも尊いものです。ときにファルス殿には現在、王を除いて後見人はなく、また血縁者もおいでではないとのこと。我が家には、当年とって十歳の娘がおり……』
ほぅら、やっぱり。
最初の貴族は、偉ぶってはいるが、今では弱小の宮廷貴族に過ぎない。確か、まともな武官職に就いているのは一人もいないはず。俺に恩を売りつけて、何れは引き立てて欲しいのだろう。だが、俺が本当の意味での王のお気に入りだと思っているのなら、見通しが甘すぎる。
キャトフロントは、貴族御用達の有力商人だった。過去形がついている。なぜかというと、彼らのお得意様の多くが、先の内乱でバッサリ始末されたからだ。なので今は、ちょっと羽振りがよくない。
で、高級会員制クラブってなんだよ? 貴族専門の高級デートクラブとか、そっち系か? 少なくとも、俺には十年は早い。
最後のホノーロ家に至っては論外だ。余裕がないのが、はっきり読み取れる。先代までは仕事があった。今はない。しかも貴族ではないから、領地も年金もない。多分、家財を食い潰しながら生き長らえているのだろう。最後に残った過去の栄光と、まだ幼い娘をセットにして、いきなり俺に売りつけようとしてきている。
本当に付き合う値打ちのある相手からは、こんな手紙なんか届かない。もし、大貴族と付き合いたければ、普通はこちらから出向いて頭を下げるものだ。
まぁ、そうはいっても以前、ファンディ侯は俺にプチトマトみたいな娘を押し付けようとしていたが……あれだって本来なら、俺から「娘さんをください」みたいなアクションを起こすべきもので、彼はあくまで、そのきっかけを作ったに過ぎない。
要するに、ここにあるのは、ただただ面倒なだけのゴミばかりなのだ。
これ、いちいちお断りの手紙を出さなきゃいけないのか……
時間はそんなにない。
というのも、明後日の夜、俺はもう一度、タンディラールに招かれる。それもこっそりとだ。要するに、いよいよ本題ということだ。
そうなったら、きっとすぐ仕事だ。王都を離れる可能性もある。手紙の返事なんて、のんびり書いていられなくなるのだから。
「はぁ……」
朝から慌しかったのもあり、疲れていたのもあって、何もする気が起きずに俺は頭を抱え込んだ。
しばらくそうしていると、ドアをノックする音が聞こえた。
「ファルス様、お客様がお見えになられました」
「どなたでしょうか」
「ナギア・フリュミーという女性の方です」
ナギアか!
そうか、考えてみれば当然だ。サフィスが建設大臣になったんだから、一家は王都で暮らすことになる。なら、彼女もここにいるはずだ。
ただ、よくよく思い出してみると、今朝の叙任式にサフィスはいなかったが……
「お通ししてください」
メイドが立ち去ってしばらく、俺は座ったまま、来客を待ち受けた。だが、なかなか姿を現さないのもあって、ついウトウトし始めた。
「モテモテね?」
耳に突き刺さるこの口調。
どんなに眠気があっても、これ一発で目が覚める。
「ああ……」
顔をあげ、立ち上がると、やっと俺は挨拶した。
「お久しぶり」
「ふぅん」
相変わらずだった。何が相変わらずって、何もかもが。
一年ちょっと前と変わらず、きれいなストレートの銀髪は、肩にかかるくらいで切り揃えられていた。整った顔立ちも、挑発的な眼差しも、以前のまま。少し変わったとすれば、それは背が伸びたのと、ちょっとだけ大人びたところか。
服装も、子供が着るようなワンピースというよりは、大人のように、腰の細さを強調するデザインのものになっていた。ただ、そこは身分相応というか……きっとナギアなら、銀糸を織り込んだドレスなんかがよく似合うんじゃないかと思うのだが、身につけているのは装飾の少ない、紺色のブラウスとスカートだった。
そして、振る舞いも以前そのままだった。俺が挨拶したのに、彼女は横を向いて、鼻で笑ったのだ。
理由ならわかる。
俺は、エンバイオ家に残留しなかった。その時点で、彼女からすれば裏切り者も同然。仮にリリアーナに仕える道を選んでいれば、この態度も少しは違ったはずだ。
しかし、では、なぜ俺を訪ねてきた?
「面白いところとお付き合いがあるのね? さすがはピュリスの主だわ」
「ちょっと待って。それは」
「セクサーモって……ねぇ、ファルス、いろいろと早熟すぎない?」
「知らないよ。宿舎に戻ってきたら、手紙が届いていたんだから。こんなにも」
彼女は遠慮なく、手紙の山に手を伸ばした。さっきのセクサーモなる高級会員制クラブの招待状を弄びながら、人の逆上を煽るような嘲笑を浮かべる。
「そいつは捨てていいけど、あとは形だけでも返事を書かないといけない。なくしたら困るから」
「大変ね」
「ああ、忙しい」
ただイヤミを言いにきたのか?
俺の目が険しくなったのに気付いて、彼女は用件を口にした。
「お嬢様がお呼びよ。いらっしゃい」
「それは今?」
「冗談でしょ? 明日の昼に決まってるわ」
「昼か……」
それまでに、この手紙の返事、終わるかな?
「あっ」
ガサッ、と手紙の束に手が入る。ナギアは、それをテーブルの上で立ててトントンとまとめ、鷲掴みにした。
「明日は来なさい。これ、手伝ってあげるから」
「ちょっ」
「どうせ全部断るんでしょ? それとも、本当は大事な手紙があるのかしら?」
そう言いながら、さっきのセクサーモの招待状を突きつけて、ヒラヒラさせてくる。
「それはいいから」
「そう?」
俺の心配に気付いたのか、ナギアにしては随分と親切な対応だ。
幸い、手紙にはもう、目だけは通してある。本当に重要なものは一つもなかった。
だけど、こんな作業に手をつけたら、帰宅が遅くなるのだろうに。さっさと主人に返事を持ち帰らなくていいのか? なんだか申し訳ない……
あ、そうか。
彼女の目的は、リリアーナのために、ファルスの来訪を確実にすることだ。だから、こうして俺の代わりにお断りの返事も書こうとする。他の用事を叩き潰さなくてはいけないのだから。
とすれば、俺が今頃、あちこちから招待状を受け取っている状況を看破していたことになる。どちらだろう? ナギアか? いや、多分、リリアーナの手回しだ。ここでナギアが後始末に時間をかけるのも、計算に入っているのだ。実に彼女らしい。
メイドに言いつけて、二人分の筆記用具と、大量の便箋を用意してもらった。
狭いテーブルの上で、次々手紙をチェックしては、適切な返事を考えて書く。
「……これも騎士の家からね」
「何が言いたいのか、サッパリわからないんだけど」
冬の間の古木の節は歪な瘤に過ぎないけれども、春になれば、そこから鮮やかな黄緑色の葉が萌え出でる、ならば薄紅色の花びらも、また同じではないか……
みたいな文章がひたすら続いている。なにこれ、詩人? 文学愛好会へのお誘い?
「ホノーロ家と同じよ。これ、すっごく遠まわしだけど、縁談の打診よね」
「全然わからなかった。ひたすら春の季節の素晴らしさを語ってるようにしか見えなくて」
「ほら。古木の節は歪な瘤って、自分の家のことを卑下してる表現。でも、古いだけじゃなくて、ちゃんと今でも値打ちのある家柄なんだってことを青葉で訴えてるの。花びらはもう、わかるでしょ?」
「ひねくれてる」
「宮廷人って、そんなものよ」
この王都で一年以上、リリアーナを守りながら暮らしてきたのだ。その差だろう。おかげでナギアは、宮廷と貴族の世界については、俺よりずっと詳しい。
「まだ十一歳なんだけどなぁ」
「早いところでは、そろそろ相手が決まる年齢よ?」
「面倒。興味ない」
「同感ね」
ひたすらテンプレ通りの謝絶メールを書き続ける。
ペン先が紙をこする音ばかりが居残った。
「もしかして」
「なに?」
「ナギアにも、そういう話が?」
「まぁね」
それはそれは。
でも、態度をみればわかる。
「断った」
「当然でしょ」
「腕輪は予約済みの相手だろうに」
「そうね、それも条件だけど」
また一通、広げて目を通しながら、彼女は続けた。
「どちらかよ。お嬢様に終生お仕えする人か、でなければお嬢様の嫁ぎ先の人か。どちらかじゃなきゃ、全部断るつもり」
「はっきりしてるね」
「当然でしょ」
主君のために生きる、か。
現代日本にはない価値観だが……いや、そうでもないか。男が、惚れた男のために生きる、みたいな。なんにせよ、既にして信念があるのは、素晴らしい。
なんというか、今日は立派な青少年に会う日だ。
ノーラ、ベルノスト、そしてナギア。若いながらも、みんなそれぞれに覚悟がある。
さながら春が訪れ、ようやく新緑が芽生えたかのような、そんな新鮮さがある。彼らがこの世界の新たな時代を作っていくのだろうか。
俺はどうだろう。
転生なんて、するものじゃない。年老いた心をわざわざ引き摺って何になるのだろう。俺は彼らのような新緑でも、花でもない。瘤だらけ、洞だらけの古木に過ぎないのだ。
「言わないでね」
「ん?」
「お嬢様には、こういう話はしないでって言ってるの」
なるほど。
リリアーナもナギアのことは大切に思っている。だからこそ、ナギアにとって望み得る限り、もっとも好ましい条件での縁談があれば、自分の傍を離れても仕方ない……そんな風に覚悟を決めているのかもしれない。
そりゃ、重いしな。自分のために、好きでもない、家柄も財産も見合わない相手と結婚するなんて。
なんだかんだいって、フォレスティアは封建社会なので、女性の自由意志による恋愛結婚は一般的ではない。普通は家長がどこそこに嫁げ、と言えば、娘が逆らうなど、まずできない。ただ、ナギアの場合は、いろいろと特殊だ。まずもってその家長が不在だし、家長代わりの母とも、家内政治ではハッキリ敵対しているし。
「じゃ、何を話せば?」
「そうね」
そこでペンを止めて、彼女は少し考えた。
「……憧れのファルスでいてあげて」
「あこ、がれ?」
「遠い国の楽しい話を聞かせてあげて。夢をたくさん見せてあげて。武勇伝でもいいわ。自慢話になっても許してあげる。だから、子供でいられるうちに、めいいっぱい子供でいさせてあげて」
十二歳の少女の言う台詞じゃないな。
そう思いながらも、俺は頷いた。
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