亜人の処遇

「このお話をしていいものか、ずっと悩んでいたのですが……僕の説明は、以上です」


 俺がノーラに捕らえられてから、三日後のこと。ブラックタワーの最上階に、俺達はいた。

 当然ながら、ここ五階が一番明るい。頭上の広い面積が透明度の低いガラスで覆われているので、光がしっかり差し込んでくる。

 なお、このフロアには、こことトイレくらいしか部屋がない。あとはあの、俺がこの街に辿り着いた時に使われたサイレンくらいか。

 石と木が主要な建材となるこの世界では、上層階に重量がかかる構造を作るのが難しく、よって残った部分には床がない。事実上の吹き抜けになっており、これが下の二つのフロアに光を供給している。


 この会議室を締め切っての秘密会議。議題はもちろん、俺が旅で見聞したこと、特に、セリパス教の真実。

 参加者は、俺、ノーラ、リン、それに当事者たるマルトゥラターレ。その他の人を信用していないのではないが、この秘密は、知るだけで本人が危険にさらされる。

 その意味では、誰にも話したくはなかったし、ドーミル教皇との約束もあるのだが……マルトゥラターレのことを隠さなければいけないという認識を持ち、そのために動く人間には、真実を知らせないわけにはいかない。

 そして、秘密を守るには一人だけでなく、外側から協力する誰かも必要だ。もし噂になった場合でも、それを掻き消せるように。

 例えば、ノーラが亜人を囲っているという噂が流れたとする。この火消しを、リンが引き受ける。いつもの調子で「汚らわしい」と叫んで、腕まくりしてブラックタワーに殴りこむわけだ。ところが、そこにいるのは、青いウィッグを被った普通の女……そういう役回りの人が欲しい。

 で、そういう外側の協力者は、俺が事前に声をかけておかないと。いざ、何かあってからでは手筈を整えるのも難しい。


「ふむ、問題ありませんね」


 落ち着き払ってリンが言う。


「聖女は死去している、というのがもともとの聖典派の見解ですし、ええ。よって私の教会も、従って収入も、肯定されるわけです。はい」

「リンさん、その点を話し合っていたのではないんですが」

「ドーミルのアホも、欲張るから厄介事を背負い込むことになったのです。私には関係ありません」


 アホとか言ってるし。自分さえよければいいのか。いいんだろうな。

 いや、問題はそこじゃなくて。


「いいですか? 聖女様が大勢の少女を抱え込んでいたのは、地下でサキュバスを量産」

「わーっ! 聞こえません」


 ダメだ、こいつは。


「ま、いいです。土産話としては、充分すぎるでしょう」

「そうですね。まあ、真面目に言わせていただきますと、マルトゥラターレさん」


 居住まいを正して、リンはきっぱりと言った。


「教会の幹部があなたに対してしたことは、決して許されることではありません。ただ、その謝罪の気持ちとは別として、やはり私が……ピュリスの管轄教会が、あなたの身柄を保護するのは、適切ではないと考えます」


 その言葉を、マルトゥラターレは、表情を変えずに聞いていた。


「これは、面倒を避けたいからではありません。私個人としては、亜人に対する好悪の感情はありませんが、教会は妖術を禁じ、秩序に外れた存在を嫌います。それが亜人を手元に置いているとなれば、そのうち噂にもなりますし、説明を求められることにもなるでしょう。それにまた、教会の管理者は私ですが、他にも信徒が出入りします。彼らに真実を話すわけにはいきませんので、とてもではありませんが、あなたを安全に匿えるとも思えませんし」

「はぁ」


 興味なさげに、マルトゥラターレは息をついた。


「ですので、ファルスの考え通り、外側からあなたの存在を否定する立場に徹します」

「ということは、やっぱりリンガ商会で預かるのが適切ね」


 大きな黒い革張りの椅子に全身を預けながら、ノーラが締めくくる。

 なんか、ものすごくしっくりくる感じがする。ボスっぽさが似合っているというか。


「中心街は、どこもファルスの所有地だから、その気になればいくらでも家を建てられるもの。このビルのなるべく近くに、場所を用意するわ。マルトゥラターレさん、あなたが人間に危害を加えるのでなければ、ピュリスに滞在する限りにおいては、私が何不自由ない生活をお約束します」


 が、問題はそれだけではない。接触する人間を制限しなければ。

 俺の視線を受けて、ノーラは頷いた。


「信用できる人達だけにお願いすることにするわ。ガリナやエディマ、それにディーやリーアなら、あてにしていいと思う。あとは……」


 そこでノーラは言葉を濁した。


「他は?」

「正直、厳しいと思ってる。ウーラとステラは、解放してしまったから、もう譲渡奴隷ではないし」

「結構じゃないか」

「一応、リンガ商会で働いているけど、今、ピュリスで一番、勢いがあるのが私達でしょう? それもあって、結婚を申し込むところもあるみたいで」


 よかった。

 まず二人、まともな人生に復帰できるのか。


「ますます結構……だけど」

「そうなのよ。得たものが大きくなると、なくしたくなくなる。いざ、夫を持ち、子供を持てば、そちらの方が大切になる。それは健全なことだし、私も嬉しいけど」


 依るべきところができてしまった人は、保身に走る。

 彼女らが何か悪いことをしたわけではない。それでも、もう下手に頼ることはできない。


 リンがしたり顔で頷きながら言う。


「その点、女神以外の何者にも帰依しない私は、もっとも信用できる人物ということですね」

「あなたは自分以外、何も大事にしてないだけでしょうに」


 呆れる余り、ツッコんでしまった。


「失礼な! 私以上に幼女を愛し、ゲームを求め究めた人が、世界のどこにいますか」

「あ、それがありましたね」


 余計に呆れることになるとは思わなかった。


「では、これで話し合いは終わりですね。利害関係からして、私が秘密を漏らす心配はありません。協力はするので、そちらも無難に乗り切ってください」

「なんか、身近なことだけで話を切り上げましたね?」

「それはそうですとも」


 リンは首を振った。


「現実的ではありません。色なき色の破壊者、でしたか。そんな、神だか魔王だかわからない、途方もない代物を、私達がどうするというのです。関わらないのが良いのです」

「ま、まぁ、そうですが」

「ギシアン・チーレムでもあるまいし。私は聞かなかったことにします。誰かが解決するでしょう」


 それも道理、か。

 ただ、下手をすると世界が滅ぶくらいのお話なのだが。よくスルーできるものだ。豪胆といえるレベルで怠惰なのだろう。

 ところで、内心、ツッコミを入れたくて仕方がない。不潔な単語は口にしないと言いながら「ギシアン」「チーレム」……ざまぁみろと言いたくなってしまう。


「とにかく、ピュリス教会は共通の利益のために、マルトゥラターレさんと教会の秘密を守るため、協力はします」


 そう言いながら、彼女は席を立った。


「そうですね。宜しくお願いします」

「あと関係ないですけど」


 リンはじろりとノーラを見下ろした。


「また、信徒の女性が夜間に襲撃される事件がありましたよ」

「警戒は強化しているのですが、最近、多いですね」

「繰り返されているところを見ると、出入りのある船乗りや商人達の突発的な犯罪ではない可能性もありますね」


 といっても、人の出入りはなお多い。

 商人も一週間くらいは街に滞在する。それより長いとなると、例えば工事を引き受ける人夫達か。中心街を囲む壁の一部は、現在でも改修中の部分が残っている。こちらは一ヶ月以上もピュリスに留まる余所者だ。もちろん、移住者の誰かが不埒な真似をしている可能性もある。


「善処します」

「ではそろそろ、午後の祈り……来航者の出迎えがあるので、私は失礼します。また何かありましたら、ご連絡ください」


 そう言うと、リンは背を向けた。

 彼女が去るのを待ってから、ノーラは呼び鈴を鳴らした。間もなくリーアが姿を見せた。

 この世界における女の盛りはとうに過ぎたかと思われるのに、彼女は相変わらず魅惑的だった。エキゾチックな美人というか……男なら、黒髪を結い上げたうなじに目を奪われることだろう。着こなしもあるのだろうが、体型も崩れていないし、立ち居振る舞いにも教養が滲み出ているので、余計にそう感じるのかもしれない。


「済みません、リーアさん、彼女をホテルに」

「マルトゥラターレ、また後で顔を出すから」

「わかった」


 そこでノーラはわざわざ席を立ち、去ろうとするマルトゥラターレの手を取った。


「安心してください。いきなり不慣れな場所で、戸惑っていらっしゃるかもしれませんが、ここにいるのはみんな、ファルスの身内です。決して悪いようにはしませんから」

「ん……」


 すると、マルトゥラターレも、人間社会の礼儀というものを、思い出したらしい。


「……ありがとうございます。お世話になります」


 これまでは「言わされてきた」だけの丁寧な言葉遣いを、初めて自発的に用いた。


 あとはもう、慣れっこなのだろう。周囲の人間に敵意はなさそうだしと、リーアに手を引かれるまま、彼女もおとなしく従った。

 そして、俺とノーラだけが会議室に残された。耳が痛くなるような静寂が、この場を覆う。


 頭の中身を切り替えて、ノーラに尋ねた。


「他には頼れる人はいる? ジョイスとか」

「そうね。仮にも私の兄弟子だもの。だらしないところがないでもないけど、真ん中の軸はしっかりしてるわ。地下室のことも、ジョイスにだけは教えてあるし」

「えっ?」

「そうでなくても、透視しちゃうでしょ? 前にあの魔法陣を使って犯罪者を捕まえる時にも、外で動き回ってくれたのよ」


 なるほど、シュガ村のサルも、いまやピュリスの頼れる用心棒、ってことか。


「でも、マルトゥラターレの世話役にはしたくないわね」

「それはなぜ……あー、いや、わかった」


 あのスケベに、ほっそりとした美人の身の回りの世話なんて。トラブルが起きる未来しか見えない。


「じゃあ、サディスは?」

「どう思う?」


 質問に質問で返された。

 だが、彼女の言わんとするところは、なんとなくわかった。


 彼女と顔を合わせたのは、実は二回だけだ。

 俺がノーラに捕まった当日、エディマと一緒にいたのと、その翌日の歓迎会。だが、そのどちらでもサディスは静かなままだった。兄の傍に座っているだけで、会話に加わろうとはしないし、ほとんど笑わなかった。


「前々から内気だったとは知ってたけど……最近、何かあった?」

「何もないわ。ないけど……」


 胸の前で手を組み、頭を背凭れに預けながら。彼女は少しだけ言いよどんだ。


「……今頃になって『意味』を認識したってところかしら」

「ああ」


 サディスも、もう十三歳だ。少女から女へと、肉体の変化も起きつつある。

 そうなると、自分が悪臭タワーにいた時の体験の意味が、だんだんとわかってくる。言葉の定義とか概念とか、そういう理解ではなく、性の醜悪な部分を実感しながら反芻するようになる。

 かつての穢れは、リンから学んだセリパス教の基本的な物の見方と相俟って、いわば時間差で彼女の精神を蝕んでいるのだ。


「身内の心を読むようなことはしないのだけど……ジョイスが言ってたわ。妹の心の中のイメージが見えてしまって、それがどんどん怖いものになってきてるって」

「その、聞いていいのかわからないけど、具体的にはどんな」

「私が教えてもらった限りでは、例えば、すごく残酷な……拷問とか、虐殺とか、そういうイメージがずーっと続いている感じなんだって」

「うわぁ」


 無理もない。いきなり売り飛ばされて、あれだけ凄惨な体験をしたのだ。守ってくれたり、愛情を注いでくれたりする大人はほとんどいなかった。

 その怒りの感情が、今になって甦ってきている。しかも、悲しいことに、その怒りは彼女自身にも向けられているのだろう。性的な穢れという意味では、自分を庇ってくれていた元同僚達でさえ、無罪ではいられない。

 サディスにとって、この世界を肯定することは、途方もない困難なのだ。


 無論、最初に彼女を保護したリンも、それくらい承知していただろう。俺に向かっては「いやらしい」だの「穢れた」だのと散々だが、不幸せな少女に向かってそんな暴言を浴びせたとは考えにくい。むしろ「あなたは穢れてなどいない」というメッセージを送り続けたとみるべきだ。

 だが、子供のうちはそれでよくても、だんだんと問題が顕在化してくる。


 ……今、自分自身の心の問題で手いっぱいな少女に、重大な秘密を任せるのは酷、か。


「ジョイスもね。ファルスがいなくなって、サディスを見てくれる人が減った分だけ、急に大人びたのよ。女の子をジロジロ見るのも、随分としなくなったわ」

「悪かったかな」

「そこはそうとも言い切れないわ。いつまでも頼るわけにはいかないもの」


 けど、大人びたというなら、ノーラこそ、そうなんじゃないか。さっきから、言ってることが十二歳の少女の台詞じゃない。


「あとは? フィルシャは」

「あれが一番ダメ」


 なんと。

 バッサリ切って捨てた。


「うちで抱えていた犯罪奴隷で、いまだに娼館で働いているのは、もうディーとフィルシャだけなんだけど、まったく違うわね。ディーのほうは、コラプトからの高級娼婦が大勢やってきても、ちゃんとお客さんを大事にするから、格付けも上がったし、今でもたくさん常連客がいるのよ。本当はもう引退してもらうつもりで、本人もその気なんだけど、どうしてもお客に申し訳なくて、予約も殺到しているからズルズル続いているだけ。中身がしっかりしているから、信じられるわ」


 サディスとは対照的だ。

 ただ、この辺の心の強さというか、柔軟性のような部分というのは、生まれ育った環境によるところが大きいのかもしれない。

 サディスの場合は、親からして最低の人間だった。ディーの家族や友人については知らないが、彼女を脅かしたものは常に「外側」の誰かだった。伯爵しかり、悪臭タワーのオカマしかり。

 確かに世の中には悪人もいるが、それとは別に、信じられる人もいるのだと感じているのであれば、案外、人は不幸を乗り越えられたりもするものだ。


「フィルシャは?」

「典型的なダメパターンね。ただ、だらしなくて抜けられないだけだから。売り時はもう、とうに終わってるのに、ダラダラ続けてる感じ。だけど、読み書きくらい、ちゃんと覚えてくれないんじゃ、さすがに商会の仕事はさせられないし」


 ということは、ガリナやエディマは、ちゃんと勉強していたらしい。


「逆に優秀なのはリーアよ。犯罪奴隷の肩書きがなければ、すぐにでも幹部にしたいくらい」

「やっぱり、デキるんだ?」

「生粋のムスタム商人の娘だもの。やっぱりセンスが違うわ」


 リーアはもともと、ムスタムのどこかの商会の娘だったから、最初から読み書きソロバンが完璧だった。俺も雑務を任せていたし、悪臭タワーの会計係も彼女だった。ノーラにとっても、即戦力だったことだろう。


「言いたくはないけど、犯罪奴隷といっても、やむなくその境遇に落ちた人と、そうでない人がいるということよ。多分、フィルシャはこのまま、娼館の裏方になるくらいしかないと思う。そういう人に、こんな重大な秘密は任せられないわ」

「そうか……」


 関わった人みんなが善人であってくれれば、と思う。

 でも、それは夢物語だ。


「……ということで、そろそろ本当の秘密会議を始めましょうか」


 まるで悪の組織の女幹部のような貫禄を見せつけながら、ノーラはそう告げた。


「あとは何を話したい?」

「彼女、信用できると思う?」


 マルトゥラターレのことだ。


「水の民の仲間を見つけたい。わからなくもないわ。でも、現実的に私達がそれに協力するのは無理よ。神聖教国の機密を守りつつ、龍神モゥハまでひっくるめて、ワノノマを国ごと敵に回すの? それでなくても、南方大陸西岸は、今、危なっかしいのよ。対岸がキナ臭くなってきてるから」

「その辺はわかってくれている。心配しなくても、すぐさま裏切ることはない。水の民は、人間よりずっと長生きだから、十年やそこらは、平気で待てる」

「だとしても、彼女を抱えていること自体、無視できないリスクよ。人間はまだしも、龍神が敵なのよ?」

「ノーラ、それを言ったら、僕が一番まずいんだよ」


 これは、魔宮に直接関係しなかったから、さっき話さなかった。

 もちろん、この辺のヤバい話は、歓迎会でも一切口にはしなかった。俺が今まで喋ったのは、タリフ・オリムの街の様子とか、オプコットの豊かさとか、ロイエ市の様子とか、そういう無難な話題ばかりだ。


「僕は龍神ヘミュービに会った」

「えっ」

「リント平原のど真ん中で殺されかけた。邪悪な存在だと言われて」


 遠い西の彼方に目を向けて。

 俺は続けた。


「でも、多分、それだけじゃない。この世界には、何かの悪意がある。タリフ・オリムでも、それで人が死ぬのを見た」


 言葉もなく、ノーラは俺を凝視したままだ。


「何者かはわからない。ただ『使徒』だってことしか。とにかくそいつは、遠く離れたところからでも、常識外の魔力で他人に憑依できる。それだけじゃない。その肉体を操って、ズタズタにしてしまうこともできるんだ」


 サモザッシュが死んでから、使徒が俺の目の前に現れたことはない。だが、今も見張られているのかもしれない。


「しかもその場所が、アルディニア王の謁見の間ときたら……わかるだろう? あれは、たった一人で国を滅ぼすくらいの力を持っている。さっき、リンさんは『途方もないものとは関わらなければいい』と言ったけど。僕はもう、関わってしまっている。逃げようがない」


 その恐ろしさは、ノーラ自身、知らないことではない。


「ノーラも垣間見たはずだ。女神が語りかけてきたのも、覚えているだろう。あのグルービーの凄まじい魔力。たった一人の人間が、魔法で街中を支配するなんて。だが、あれでさえ、使徒にとっては、なんてことないんだ」


 これはいい機会だ。

 ノーラはこの街で幸せになれる。それなら。


「地下室の財宝も、何もかも譲る。だからもう」

「待って」


 彼女は手をあげて俺の言葉を遮った。


「わかったわ。どう転んでも危険だというのは」

「なら」

「危険が大きければ大きいほど、それに見合うだけの決断が必要になるということよね」

「ノーラ」


 そっちじゃない。

 俺は、自分の人生に誰も巻き込みたくないのに。


「対決が避けられないのなら、どんなに小さくても、力はないよりあったほうがいい。わかったわ。マルトゥラターレは味方に引き込むことにしましょう」

「ノーラ!」


 俺を生かすための駒にしようということか? だが、それは俺が許さない。


「言いたいことはわかるけど、どうせ二つに一つよ。別に犠牲にしてもいいなんて思ってるわけじゃないけど。ファルスのことがあってもなくても、どこまでも味方するか、始末するか。中途半端にできるようなものじゃないでしょ。ファルス……タダじゃないのよ?」


 なるほど、筋道は通っている。


 魔宮の秘密は、まだ明らかにできない。その情報源たり得るマルトゥラターレの存在は、どこまでも秘匿しなければならない。だが、抱えているだけでも小さくないコストがかかる。生活費なんて小さなものだ。大変なのは、彼女の存在を隠蔽し通すことなのだ。

 その意味では、殺処分というのは、まったくもって現実的な対応と言える。逆に、秘密を盾に神聖教国と渡り合おうなんて、そんな無謀なことは考えられない。

 秘密のために彼女を殺すなんて、非人道的だって? 本当に? 秘密が暴露されれば、死ぬのは一人や二人では利かない。

 そう考えると、ノーラの言うことにも合理性ならあるのだ。こちらはそれ相応のリスクを背負うのだから、マルトゥラターレの側も、我々の援助を得るために、それなりの貢献をしてくれなければ釣り合いが取れないのだと。むしろここまで、損得度外視で彼女を背負ってきた俺の方がおかしいのだ。


「わかったよ。でも、どう使うつもりなんだ。彼女にできるのは水魔術と、あとは風魔術がちょっと……それと絶対に溺れないというくらいなものだけど」

「用心棒、と言いたいけど、目が見えないのよね」

「そう」


 ノーラはしばらく、顎に指を当てて考えていた。

 マルトゥラターレには、使い道があまりない。


 絶大な魔力はあっても、目が見えないせいもあって、戦闘力として使うには難がある。俺が以前、魔宮で苦戦したのは、完全な暗闇の中で、かつそこが水場だったからだ。もし、ピュリスの街中で殺し合いになったとしたら、俺は彼女の攻撃を軽々かわして、逃がすことなく倒しきるだろう。

 亜人の特徴のせいで、目立つという問題もある。よって、大勢の人の目に触れる仕事もさせられない。営業活動、力仕事、事務作業……すべて論外だ。


「ねぇ」

「思いついた?」

「私と同じことはできない?」

「なに?」


 数秒間考えて、理解が追いついた。


「精神操作魔術を使えるようにしろと?」

「かつ、あの魔法陣の管理と防衛も任せる」


 どうせ、どちらも秘密だ。なら、一緒に管理してしまえと。


「ちょうどね、リンガ広場の真下に水道が走っているのよ」

「うん?」

「噴水があるのも、水を通してあるから。ファルスは都市計画に手を加えているから、知ってるわよね?」

「ああ」

「地下室を拡張して、そこと繋げる」


 そういうことか。

 マルトゥラターレだけが行き来できるルートができあがる。


「その上で、ビルの側からは地下室を厳重に封鎖する、と」

「そういうことよ」


 大胆なことを考える。

 確かに、ノーラが不自然に仕事の手を止めなくても、必要な時に魔法陣を発動できるのは大きい。更に言えば、暗所かつ閉鎖空間であれば、マルトゥラターレの視覚障害は、弱点になりにくい。水場が近ければ、存分に水魔法を行使することもできるので、リンガ商会の秘密兵器にとっての最終防衛ラインとしても機能する。

 その場合の、最大のリスクは……


「彼女が信用できるか、か」

「そうなるわね」


 人間への恨みで、無茶をやらかしたりはしないか。

 俺は、しないと思っているが……


「裏を返せば、いかに彼女に信用されるか、いいえ、信用させるか、よ」


 しかし、ノーラも怖い女になったものだ。

 さっき、わざわざマルトゥラターレに優しい言葉をかけていたのは、そういう目論見もあってのことなのか。


「信用と……同時に、私達なしでは生きていけないことも、敵意を持たれないよう、うまく認識してもらわなくては」


 いや、ある意味、もともとこうだったのかもしれない。思えばずっと前から、彼女は合理主義者だった。冷たい印象を与えるかもしれないが、筋道が通らないと聞く耳を持たない。その代わり、道理さえ通っていれば、たとえ自分にとって好ましくなくても、おとなしく従う。

 加えて、この決断力。普通の人なら、気後れするか、我を忘れて欲に惑わされるか、どちらかなのに、彼女は余計な感情に一切囚われず、淡々とやるべきことを定めて、実行していった。

 いったい誰に似たんだろう。多分、俺じゃない。


「やるなら早いほうがいい。早速、工事の手配はするから」


 椅子から立ち上がりながら、彼女はそう言った。


「面倒ばかりかけて」

「いいのよ。それよりファルスは今のうちにのんびりして、体を休めておいたほうがいい」


 その意味なら、わかる。

 あと一日か二日で、タンディラールは俺の帰国を知るだろうから。


「もう三日も経ってしまったから……あと一週間しないうちに、手紙が届くわ」

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